「放し飼い」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 放し飼いとは

2020-07-28

父が死んで良かった

実家燃えてなくなった。

母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。

僕の昔住んでいた田舎実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。

その後、父と母と、一緒に住んでいた次男一時的市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎ放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。

父はぶっ壊れていた。

僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージ試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。

しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。

そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事洗濯や、子ども病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。

父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。

一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。

あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費ほとんど持ち出してしまたこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。

中学高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校あんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。

高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。

進学は田舎から遠い関東大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。

結局僕は関東大学合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着け空間だった。

外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学サークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。

そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。

色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。

それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。

そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。

僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しか自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しか思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。

その後の父

僕は自分普段生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたまから電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。

とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。

結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。

しかし、施設費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。

そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。

僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。

終わりが近づく

それから数年が経った2019年年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。

しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。

年末になり、実家帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。

さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。

母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。

部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。

父はたしかの子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。

そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。

最後大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。

父が死んだ

それから半年ほど経った。コロナ流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日

妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段生活をおくらせてあげたかった。

しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。

とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。

葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日告別式ということも忘れそうだった。

次の日、起きて甥っ子たちはフォーナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。

葬儀

葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休み冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢マリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休み大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。

おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我治療前頭葉があるため、簡単はいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。

しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。

その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。

導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイク全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフ誘導したのがおかしかった。

おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。

そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまたこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。

元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまたことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。

母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。

そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。

その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。

その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。

焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。

次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。

そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。

その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当バラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。

しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。

しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。

スタッフ説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。

そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。

思うこと

僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。

父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。

父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。

昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。

その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。

女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達ショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。

父のため仕方がない、と思いながらも、女性毎日どれだけ苦しいか想像をするだけでも苦しくなる。

その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分娘。さなから育てながら思うことは、この子楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。

しかしその全ての未来自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇さらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。

でも、死ぬということは難しい。自分死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さら介護されている状態自分死ぬこと自体そもそもできない場合もあるだろう。

この世には安楽死必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度必要綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。

とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。

2020-07-20

anond:20200719175126

ペンギンヒルズさらっと流しているのが悲しい。

カンガルーの展示場と同じようにペンギンの展示場に人間が入る形で、足元をペンギンが歩くこともある。


あと、コアラはたしか13時ぐらいにユーカリ交換をする。普段コアラは寝てばかりだが、その時間に行くと動きまわるコアラがみれる。

また、コアラ舎ではナマケモノも展示されている。

本当に運が良ければ展示場にはられたロープを伝って移動するナマケモノが見れる。朝一か、閉園前の16時ぐらいが見れる確率が高い。


他にも園内に放し飼いマーラ(本当に放し飼い、どこに居るか分からない)などが居る。

動物との距離が近くて楽しい園なので大人でも(というより大人の方が)楽しめると思う。

2020-06-26

子どもの頃、ネコいじめクズ思考

親は過保護だった。

親は過干渉だった。

でも、良い親に恵まれ、不満はなかったと思う。

いじめられてるわけでも、いじめてるわけでもなく

子どもの頃に虫を殺すみたいな残酷面が出たのか。

隣の家から、庭に野良猫がよくきてた。

野良猫が可愛そうとかで放し飼い?してたようだ。

餌ほしさなのか、理由は分からないが

人が庭で遊ぶと寄ってきて、時にはすり寄ってきた。

動物にあまり構ったことは無かったけれど

可愛いなと思った覚えがある。

数日後、私はネコいじめた。

餌をあげるときに手を噛まれたことはあったが、

ぜんぜんイライラしてなかったし

どういう理由でそのような行動に出たかからない。


完全にいじめっこだった。

小石を投げる振りをして、びくっと逃げようとするのを見てた。

ノーコンで飛距離がないので猫には当てれないのは自覚してた。

それでも投げる振りをしたし、猫に当てない距離に小石を飛ばしたりした。

おもちゃを出せば、忘れたかのように遊んだ

隣の人から餌を貰ってるはずなのに

自分にもすり寄ってきて餌を欲しがった。

また、石を投げるふりをした。

猫がどこまで許してくれるのか

猫にたいしてためし行動をしてた気がする。

痛いのは嫌いで、他人が痛がるのもダメなので、

物理的な攻撃はしなかった。

石を投げる降りをやめ、ネコ普通に接したある時

隣人が引っ越すと言う。

親に懇願したものの「猫を飼う」と決まら

隣人は遠くの公園に捨ててきたと言った。

何度も遠くの公園に遊びにいった。

何度も何度も探した。

結局見つからなかった。

ごめんな。

2020-06-21

写真整理をしていたら思い出がよみがえってきたので3年間で10回以上中国に行った話を書く

コロナ休日の予定がなく、撮りためた写真を整理していたら思い出がよみがえってきたので備忘録的に書く。

今じゃ考えられないが、ここ数年中国LCC春秋航空が片道\1,980とか異常に安い値段でセールを連発していたので土日+有給1日つけて中国旅行に行きまくっていた。

訪れた都市上海合肥蘇州南京広州深圳西安敦煌ウルムチカシュガル成都・東チベット天津青島大連丹東ハルビン瀋陽香港マカオ

その中でも印象的だった4つのエリアについて、思い出話を書きたいと思う。

丹東

国境の町。大河鴨緑江を渡るとそこは北朝鮮中朝貿易拠点として知られていて北朝鮮とのヒト・モノ・カネの連結点になっていると聞いていたのだが...

2019年訪問した時には経済制裁の影響かほとんど人の往来が見られなかった。2つの国を結ぶ道路を歩いているのは巡回兵士のみ、鉄道全然動いていなかった。

北朝鮮レストランはまだ営業していたが、客足はまばら。冷やかしで入り口まで入ったが店員さんは塩対応英語は話せるっぽい。

結局、中国経営と思われる店で冷麺を食べて北朝鮮ビール大同江ビールを飲んでみた。冷麺の味は可もなく不可もなくというところで、ビール普通にまずかった。

大同江ビール北朝鮮の主要な輸出品目らしいが、東南アジアビールのように暑くて湿気の高い日に合いそうといったこともなく、無個性でただひたすらにまずいという印象だった。

ウルムチカシュガル

ウイグル自治区少数民族弾圧報道されている昨今だが、外国人の俺でも普通に自由旅行ができた。ただし、公安の警備の目は他の町よりも厳しい。

中国では地下鉄に乗るときセキュリティチェックがあるのが普通だが、ウルムチではこれに加えてホテルショッピングセンター入り口でもセキュリティチェックがあった。

地元住民中国の他の町と比べて彫の深い顔立ちで、ウイグル表記看板と合わせて異国情緒が強い。

町の中心部中国語の建物が立ち並んでいるが、バス郊外に向かうと昔ながらのバザール家畜市場も残っており、意外に少数民族文化が温存されているように思われた。中国政府としても(国内向けの)観光資源として金になると踏んでいるのかもしれない。

余談だが、ウイグル人のタクシードライバー普通にぼったくってきた。この3年間、中国旅行でぼられたのはこの一度だけ。抑圧されているマイノリティといえど、常に善良というわけではないのだ。

■ 東チベット(康定、甘孜、色達、ラルンガルゴンパ)

ウイグルと違って、チベットエリアガチ少数民族の抑圧が強い。最大都市ラサ一人旅で入ることができないため(政府公認ツアー参加必須)、成都からバス10時間以上かかるという東チベットエリアに潜入した。

時期によって外国人入境が出来たりできなかったりするので、ネット旅行記を見て行けたという報告の上がった翌週に1週間休みを確保して飛んだ。多分今はもう行けない。

チベットは山がちで人口も少ないため発展著しい都市部に比べるとインフラ整備は遅れているのだが、ここにも開発の手が及んでいるようで、日本首都圏で言うと圏央道くらいの規模の立派な道路建設中だった。

果たして採算は取れるのだろうか? それとも採算無視で鉄鋼の過剰生産解消のためにオーバースペックインフラ整備をしているのだろうか?

現地の町ではヤクが放し飼いにされており、そのバターを使ったチベット料理を堪能した。いたるところでマ二車が回され、宗教生活根付いているような地域だった。

途中タクシー修行僧と乗り合わせたが、日本人とわかるとフレンドリーになった。ネットで調べておいた簡単チベット語のあいさつをすると上機嫌になり飲み物をごちそうしてくれた。

同じタクシーには家族連れも乗っており、小学生くらいの子供が、おもちゃガラガラのようなマニ車を回していたのがとても新鮮だった。面白そうなのでお土産に1つ買って帰った。

いつか政治的抑圧がなくなって、自由旅行に行けるようになると嬉しい。

香港

デモの渦中の2019年訪問公安デモ隊の衝突に巻き込まれいか不安だったが、twitterデモ情報を見ながら移動したので幸か不幸かデモに巻き込まれることはなかった。

主要道路沿いにはデモ隊の落書きが残っており生々しさを感じた。こんな情勢でも地下鉄や船等の公共交通セキュリティチェックは無く、ネット接続制限体験した限りでは見られなかった。

Google, Twitter, Facebook, Line, Fanza。すべて問題ない。アメリカ日本Webサービス自由に使える。なんて開放的なんだ。素敵!最高。今後もどうか香港自由が保たれますように。

2020-06-15

anond:20200615180705

から公園で犬を放し飼いにしてた女が黒人おっちゃんに注意された腹いせに通報したアレは笑い話じゃなく、ああいうようなことでオッチャンが逮捕されて刑務所に放り込まれたら黒人逮捕カウント+1で、それで黒人の方が危険とか言われたらたまらんて話よね

2020-06-14

ペットにまつわる愚痴命名編)

前置き

 私の中にペットに対する釈然としない気持ちがある。ここで言うペットとは通常「ペット」という言葉想像されるだろう、人間に飼われている人間でない動物(例えば犬、猫)を想定している。私のもつその気持ちがどういうものか、それを上手く表現できないからこそ「釈然としない」と書いたのだが、ともかく他人からペットにまつわるエピソードを聞き、他人ペットとの関わりを目にするとき、私の胸にしばしば芽生えるネガティブ感情がある。それらの感情を抱く理由は――無論断定できる類のものではないが――恐らく私のペットに対する考えが由来となっている。

 しかしそれらの考えは非常に表層的で熟慮されたものではない。反論を自ら思いつくものさえある。これまで折に触れてそれらを検討自分にとっての結論を出そうと試みてきたのだが、考えるのが下手なせいか、その表層を撫でまわすばかりで一向に考えは深まらなかった。

 そこで一旦曖昧なりにも考えを文章にまとめ、ウェブに公開することで有益アドバイスをもらうことを期待して、この文章を書くことにした。本来であれば理路整然と自論を展開してそれを問うのが読み手に親切だとは思うものの、上に記したように、そう出来る程まとまっていないのであくまで「愚痴」として、ぼんやりとした不快感を少しでも形にして提示することにする。

本題

 私のもつ不快感、それは前置きで記したように複数の要素が不明瞭に混合したものだ。それらは互いに相関をもつのかもしれないが一旦切り分け、今回は一つに絞る。今回問題にしたいのはペット命名についてだ。

 論の立て方の拙さで言いたいことが曇るといけないので、先に不満点を端的に述べる。不満点はペット名前に可愛らしい印象のものが多いことだ。そして不満な理由も粗略に述べておくと、そのような名前を付けることによってペット人間の満足のために愛玩されるものだという信念を強めると考えるからだ。

 そう複雑なことを述べているわけでもないので上に短く記した不満点とその理由で、私の意図するところを概ね把握することが可能だろう。ただ私が動物を愛玩のために扱うのを嫌悪する理由説明必要だと思うのでそれを少しする。

 私が嫌悪する背景にはペット動物に対する人間原罪のような意識がある。まず前提としてある種の動物生き方選択肢は狭い。例えば日本で犬が生きていくにはペットとして飼われる以外の選択肢殆どない。野犬は狂犬病対策のために保健所に捕らえられるからだ。猫の場合はもう少し緩やかで放し飼いも許されてはいるし、野良猫もある程度は許容されている。ただし避妊去勢され生物としての機能制限される。犬、猫に限らず公衆衛生人間安全のために生き方制限されている動物は色々といるだろう。

 私はこのことを考えると申し訳ない気持ちになる。無論動物と細かな意思疎通ができる訳でもないし、動物にとっては他の生き方という考え自体も恐らく無いだろうから、この申し訳なさは一種自己憐憫に過ぎないのかもしれない。しか人間による地上の征服の結果、人間従属するか人間社会の隙間で生きるしかない動物のことを考えると申し訳なくなるのだ。この申し訳なさから派生して、どうにかそれらの動物に報いることはできないかと考えるとき、改めて意思疎通がとれず、相手の願望を把握することができないことに気づき、行き詰まる。それで結局のところそれらの動物が狭められた生き方の中で幸福に過ごせるよう、ある種独善的判断して行動するほかないということになり、そしてそうする責任があると感じるのだ。

 話を戻してそれが何故可愛らしい命名をすべきでないという点と繋がるのかというと、可愛らしい名前ペットを呼ぶと、その瞬間それが幸福を祈るべき対象であることを忘れ、一つの愛玩すべき物体になってしまう気がするからだ。例えば自分が好ましいと感じる外見の人間に対し、それを「格好いい」、「綺麗」、「可愛い」といった感嘆と共に見つめるとき、その人間内面や背景を失った一つの物体となってはいないだろうか。可愛らしい名前を付けてペットの名を呼ぶことは「可愛い」と言いながらペットを呼ぶのと類似で、それはやはりペットを単なる恍惚対象にしてしまわないだろうか。そして名前を呼ぶ行為は常習的に行われるため、徐々に意識の奥底に愛玩するものだという意識が蓄積し、いつしかそれが自明ことなってしまうのではないか。こういう懸念から可愛らしい名を付けることに不快感を感じている。

余談

 ではどのような名前がいいかいくつか具体例を考えてみた。ひとまず「ゲレゲレ」、「ボロンゴ」、「$$(ドルドル)」あたりを挙げたい。これらの名前は愛らしさがなく、異質さを強く感じさせ、結局のところ人間動物が相容れない存在であることを認識させてくれる。

2020-06-10

anond:20200610150534

ただ動物愛護法は飼い主の責任も問いているので放し飼いの猫はそれはそれでまずいのニャ

anond:20200610143703

毒餌が環境に害があるとかなら分かるけど

ブコメは殺したこと自体が罪みたいだから納得いかないのよ

小学校クラスより人口少ない地域で100匹近い猫が放し飼いはないわ

そもそも生態系に影響があるレベル

2020-06-07

anond:20200606192134

もう3年前だ。

父の形見風鈴がでてきて、

下の紙の風が当たる部分が痛んでたので、なおして

いっかいベランダに突った夜。

翌日「風鈴五月蠅いのではずして!迷惑、うるさい」という内容の手紙

うちの郵便受けに入れてきた奥さん

(父が存命中もつってたけど、

 父がいるとき一言もそんなこと仰らなかったのにな、とため息交じりに、

 即、風鈴しまいました。

 良い音色なのに、うるさいのか。)


その奥さまのところの、お嬢さんと、お友達筋が、大声で近隣で立ち話してるのは

何度も見てる。

きのうの度を越した大声&大笑いの喧騒は(女性の声だったのですね複数の。)

怖いので外覗いたりもしてないけど(見とがめてるように思われるのも怖いし)

いつものの子達だったら、

あなたのお母様は、風鈴の音でも「やかましい」と、うちに手紙をくれるような方ですが、

あなた方の大笑い大騒ぎの

その声は聞こえなかったのかな?

それともお母様は外出中でいらっしゃらなかったのかな?

それにまだ、コロナ収束はしていません。

割と長時間、風に乗ってめっちゃ大声大笑い聞こえてたけど

2m離れてはなしてらしたのかなぁ。だからあんなに大声だったのかしら。

にしてもたぶん場所は、駐車場のあたりですよね。

それぞれお家でSkypeでもズームでもカカオトークでもLINEでも

いまどきの女子は出来るんじゃないの?


2Fで、家の中につりなおした、父の風鈴をみて

ちょっとため息を吐いた。

親御さんは自分ちの騒音や、迷惑にはあんまりきにならないんだろうな。

私たちがまだ幼かったころ、猫ちゃん放し飼いにしておられ、うちのひさしを跳びうつ

まくりで、裏庭にもおしっこされて、

うちは父が厳格な人だったのでそれがドン、と音がすると

「またか!」と怖い形相になってて、母と私で「でもご近所やし、動物にはわからんよ」

なだめるのたいへんだったの思い出す。

部屋の中の押し入れの前の、洋服掛けにつった風鈴はもう鳴らしてない。

でも、洗濯ものハンガーにかけて、ベランダに出すときときどき触ってしまい、

風鈴のいい音がするよ。

2020-05-07

anond:20200507103006

毎日学校に行って帰ってくるほうがどう考えても家庭内感染リスク上がるやんけ

本当に「どう考えても」か?

学校は広くて窓が多く子供管理もしやす

飲食店やら映画館やらと違って

同じ場所で決まったメンツしか接触しないわけで

仮に感染が起きたときトレースもしやす

そういう環境よりも家庭で放し飼いにするほうがリスクが低いというのは

言うほど自明ではないぞ

2020-04-07

野良猫放し飼い猫・地域猫

たぶん猫好きの想像以上に一般人ヘイトを煽っていることは認識した方がいいと思うけどな

猫を「毛の生えたデカゴキブリ」としか

思ってない人もいるし、その認識が間違っているとも言えない

2020-02-20

anond:20200220121836

ピーー❗ピピーピー❗❗

犬の放し飼い警察です👮🏼‍♀️🚔

犬を野に放つ行為は、動物愛護及び管理に関する条例違反する恐れがあります❗❗

逃げ出さないよう、リードをつけて、安全を確保するよう心がけましょう。

動物は愛すべき家族です❗❗もっと愛を与えましょう❗❗❗

2020-02-17

anond:20200217123546

不快ものからは目を逸らせばいいというが、でもクソ猫は平然と街を歩くし庭に侵入してくるし

地域猫活動」だとか何とか言ってポスター張られて

猫嫌いもクソ猫を見ざるを得ない状況になってるじゃないか

少しでも不快になるひとがいるなら公共の場不快物を置くべきじゃないと思う。

野良猫放し飼い猫・地域猫殺処分すべき

野良猫放し飼い猫の個人駆除合法化してほしい

公共の場害獣を野放しにするなよ。

行政が処理するならそれでいいが、「犬猫殺処分ゼロ」とか言って仕事しないなら俺ら一般市民駆除するのを許可しろよ。

行政対応しません。しか一般市民駆除するのも許可しません。永遠に糞尿被害を受け続けてください」じゃ話にならない。

んなこと言われて糞尿被害者が「はいそうですか」と無抵抗主義を続けるわけないだろう。

無抵抗被害者を殴り続ければいつか殴り返すに決まってる。

今頻発してる犬猫の毒殺事件を本当に「頭のおかしサイコパスが起こしてるだけ」だと思ってるのか?

「猫を放し飼いすると車に轢き逃げされるのでやめましょう」という表現違和感

自分管理すべき猫を公道に放して、それで事故引き起こしたんだろ?

じゃあ車は被害者で、猫を放し飼いした奴の方が事故加害者じゃないか

なぜ「轢き逃げ」なんて被害者みたいな表現をする?

しかも4輪だったらまだ猫と接触しても少し凹むくらいで済むかもしれないが

バイクが猫を轢いたり避けたりしたら転倒するだろ。

この辺あやふやにするから

「外で生きるのも猫の幸せから放し飼いには賛成」なんて奴が出てくる

クソ猫の幸せなんてどうでもいい、おまえら放し飼い加害者のせいで

罪の無い車やバイク運転手危険な目に遭ってんだから家の中で管理しろって話だ

2020-02-10

anond:20200210154512

なるほど。何が食い違っていたかはわかった。

民主主義ではなく、「労働者管理」についての差があるようだな。

一個前のレスは忘れてくれ。

 

俺の最初の話、フォーディズムの話から入ったよね。フォードっていう人は、「車を売るには、車を買う消費者を作らないといけない」と言って、工場労働者に高級を払った。それによって自動車って商品をを一家に一台級の大市場で売れるようにした。

フォードのあとはGMって会社が出てくるんだが、これは自動車デザイン性ってものを取り入れて、モデルチェンジ毎に買い替えるような消費を広めた。

これが、労働者消費者、を生産管理するということだ。

今でも俺たちはこの管理下にある。一見お得な商品を買うために、労働を強いられる。しかもそのサイクルの中にいる事が幸福ですらある。

 

労働者管理っていうのは、共産主義めいた職業選択の自由をなくすジョブ管理のことじゃないよ。いや、それも含むんだけど、その管理方法は失敗する事がわかっている。

模索されているのは、もっとこう、放し飼い家畜健康管理するようなやり方だ。

ブラックだのホワイトだの働き方改革だの福祉だのでやってるのはそれなのよ。

 

しかも、これが上手くいってない、ってことなんだな。

お前のいう、個人資産100兆円の奴。そいつの行動は資本主義に反しているし、それを許す国家の仕組みも資本主義に反しているよ。投資しろよ。投資を促せよ。

再分配することは、需要を生み出すという意味資本主義的だし、また資本主義であるべきだ。そうしないと持続不可能からだ。ベーシックインカムの推進者だって労働力が減じないとか需要が増えるとか、とっても資本主義的な合理性を主張するじゃないか(それが本当に合理的かはおいといて)。

 

から、俺はお前の言うことは概ね間違って無いと思うんだけども、資本主義をやりすぎるから福祉が減じる、みたいな認識だけを改めたい。

福祉が最適にならないのは、資本主義合理性未完成からだろ。

もっといい方法があるはずだし、もっといい方法があるはずだという方向性からじゃないと、お前の求める再分配はなし得ないのじゃないか

2020-01-20

猫(追記あり

二日前から家の周りに猫が居つくようになった。

白黒ぶちでしっぽは半分。完全な成猫ではなく若干幼さが残っている。

非常に人懐っこい。こんなおっさんにもすり寄ってくる。しか首輪はしていない。しか去勢されていない(タマタマが付いている)

最初迷子かなとも思ったが、この年齢まで手術をしていないような飼い主である

放し飼いであれば家に帰るのだろうが、早朝から夕方過ぎまで家の周りにいる。

捨てたのだろうか。ここは住宅街である。せめて誰かに拾われてくれ、とでも猫に言って。

非常に腹立たしい。

週末、娘とその友達が放っとけないようで抱っこしたり撫でたりしていた。

今日月曜日。娘が学校に行く前に家の周囲を回ると、猫の鳴き声がした。

そのまま一緒に学校まで着いていったのかもしれない。

そこで誰かに拾われ飼われればそれでいい。

しかしもしまた家に帰ってきたら、餌を食べさせなければならない。

少なくとも土曜日から何も食べていないはずだから

家に入れるための準備もしなければならない。

非常に腹立たしい。

追記

交番に遺失物として届け出を出す。万が一、飼い猫である可能性があるので。

その際、飼い主が現れるまで自分が預かること、現れなかったらそのまま自分が飼うことを伝えるつもりだが、預かっている間に去勢手術をしてもいいのだろうか。3か月も待てないので。

手術以前に獣医に連れていって必要予防接種もしなければならないが問題ないのだろうか。

誰か教えて欲しい。

追記2)

帰りしなに娘にLINEすると、猫はまだいるとのこと。少なくともこの猫に行く当てがないのは間違いない。

とりあえず猫の餌を買って帰り、猫に食べさせた。

その後動物病院に連れていき、診断した結果、超健康優良児であるとのこと。

ノミもいない、寄生虫もいない、エイズでも白血病でもない、栄養も十分足りている。

獣医師さんの見立てでは、昨年の4月5月頃に生まれたのではないかとのこと。

家の中で飼われてはいなさそうで、例えば工場かに住み着いてて餌付けされていて、そこを縄張り争いに負けて追い出されたのではないか、と。

ワクチン接種は落ち着いてからまた。その後に去勢手術になるとのことだった。

動物病院の帰りにとりあえずの猫用品を買い揃え、ペットウェットティッシュみたいなので全身を拭いてから家に上げた。その位、汚れは無かった。

追加で餌をやり、最初はうろうろしていたが11時頃には落ち着いてソファで横になった。

トイレ心配だったのでことあるごとにトイレ場所確認させ、昨夜は自分も一緒にソファで寝て、結果朝方に無事トイレ成功してひと安心

交番に届けるのはやめとこうと思ってる。

早く名前を決めなければならない。

2020-01-17

anond:20200116125255

牧場ならいそう。というか茨城ダチョウ牧場には犬(ゴールデンだったかな?)いたぞ。一人でも別に誰も気にしないと思うけど嫌なら親兄弟とか友達と行けば。色んな家畜放し飼い適当牧場行くの楽しいよ!

2020-01-11

知らない猫が家に来る

毎年、今くらいの時期になると家の敷地を猫が通るようになる。

隣家との間の垣根をすり抜け、塀を乗り越え、なんてことないような顔をしてフラリとやってくるのだ。

ヤツが外に放し飼いにされてる猫なのか野良猫なのかは知らない。目があったりするとサッと走り去っていくので首輪の有無もよく分からない。

ただ庭を横切っていくだけならどうでもいいが、放っておくと庭木の周りや花壇をトイレにされるので迷惑している。先日も知らない間に来ていたのか、庭の片隅にフンが転がっていた。

飼っている犬のフンを片付けることは苦にならないが、知りもしない猫のフンなど誰が好き好んで片付けるのか。うちの犬に対しては責任があるが、自分は猫の飼い主でも召し使いでもないのだ。

ヤツが飼われている猫なら無責任な飼い主が腹立たしいし、野良猫ならヤツが野良になった切欠であろう人間が恨めしい。

うちをトイレ代わりにする猫には心底うんざりするが、気付いたとき適当に追い払うくらいしかやらないし、それ以上のことも出来ないだろう。

どういうわけか、毎年春が終わる頃には来なくなるので、今からGWが待ち遠しい。

2019-12-29

山奥の廃小学校を買い取って暮らしたい

ドローン食料品を運んでもらう

年に1回くらいメンテの人を呼んで

猫を放し飼いにして

毎日運動場でランニングして

教室で大の字になって寝る

たまに廊下の隅でカマキリの卵みたいになって寝る

最後には塩かケイ素の塊のようなさらさらした存在になって消えたい

2019-12-10

「男は獣に入れよ」の論理は今となっては「フェミニストは檻に入れよ」の論理として成立する

https://tikani-nemuru-m.hatenadiary.org/entry/20091208/1260206019

これめっちゃ面白いな。

「男は獣」「男の中に獣がいる」と言った場合

実はその「獣」を支配しているのは♀だということなのですにゃ。♀の自業自得なの。

♂が性的主体として何を行おうが免責され、♀がすべての責を負う。なぜなら「獣」の支配者は♀だから

これが、「男は獣」という言明の意味するところなのですにゃ。

id:Francesco3が断固として拒絶したのは、このような言明であり、このような言明が流通する社会ですにゃ。

から「獣は檻に入れよ」と言わなくてはならなかったのだにゃ。

「獣は檻に入れよ」とは、♀が「獣」の管理責任を問われることへの拒絶だ。

クタイオンの亡霊たちは、いつでも狩る側にいなければならない

クタイオンの亡霊たちは、常に性の卓越性を示さなければならない

クタイオンの亡霊たちは、「獣」を放し飼いにし、かつその管理責任を♀に押しつけなければならない

まり

クタイオンの亡霊たちは、陵辱する権利とその正当性をいっさい手放してはならない

この論理は今となってはフェミニストまなざし村)に適用されるべきであろう。

クタイオンの亡霊たちは、男を見限ってフェミニストを憑依先に選んだのかもしれない。


現代まなざし村理論小宮理論としてアカデミズムの皮をかぶろうとしているが、

結局彼らの言わんとするところは、

まなざし村は何を行おうが免責され、男が作り出した表象がすべての責を負う。主に男オタクポスターである

なぜなら小宮理論において女性は完全に無謬無能で無力な弱者からである

小宮理論においては主体的に情報を取捨選択できる女性というもの存在しない。 

小宮理論においては女性というのは防御力ゼロで男の作り出した表象から一切身を守る手段がない。

小宮理論においては女性というのは無能であり女性が作った表象というのは存在しないことになっている。



まなざし村が主張する意見によれば、女性感情オタクポスターによって支配されている。

たびたび発狂して人間とよべないレベルまで暴れる「獣」となったフェミニストさんたちが仰山おります

あれらの獣じみた狂気の振る舞いは全て男性表象が悪いんだよということにになる。





オタクたちは、女性名誉のためにもこうしたまなざし村の言明を拒絶すべきだ。

上の理屈が成り立つのであれば「フェミニストは檻に入れよ」と言わなくてはならない。

フェミニストは檻に入れよ」とは、オタクコンテンツが「獣」の管理責任を問われることへの拒絶だ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん