はてなキーワード: 当事者とは
仁藤夢乃さん周りのゴタゴタを見てると、この手の社会活動インフルエンサーへの対処は、後ろ暗い繋がりなんかを調べあげて喧伝し、権威を引き剥がすのが一番のように思えてくるわ。
仁藤さんとAV新法の当事者の意見に耳を貸さない拙速さなんかを見れば分かる通り、そもそもあの手の人達だって議論なんかに興味はなくて、いかに影響力を拡大してルール作りに食い込み、自分の主張を通すかしか考えてないのは明らかなんだから、反対派がそういう盤外戦術に出ても文句言える筋合いじゃないよな。
インフルエンサーが潰れたところで、本当にその主張が正しいものなら世間が理想の実現を引き継いでくれるだろうから、別段、社会的議論に悪影響もない。
なんなら当人だって『立派な社会活動家』という看板を失うだけで、意見を表明する自由が奪われるわけでもないのだから「後ろ暗い面があったとしても、私の主張自体は間違っていない」と言うことだってできるわけだし。
バス置き去りの件について
SNSで「涙が止まらない」「許せない」って言ってる人死ぬほどいるけど
それオナニーだよ
自分が気持ち良くなるためにシコシコツイートして楽しい?楽しいだろうね、自分と自分の家族は生きてるんだから
元気でよかったね
でもうすぐしたら忘れて、また1年後くらいにシコシコお気持ち表明するんだろうね
SNSに同情の声がいっぱいあがってたけど(リアルタイムでは見れなかったけど)
同情するなら金をくれ、って半分冗談で思ったよ
いや、その親が騙されたと思ってるならまだしも、当事者は納得してるんだろ?
これってなんなら詐欺でもなんでもないやん
こんな当たり前のことなんで指摘されてないのか謎
誰が騙されてるかを周りの人間が決めるのか?
それをしていいなら、俺もするぞ
実は騙されてるのはお前らです
これで納得するか?
しないだろ
香川照之と比べるとブクマ数3桁止まりの割合が多いんだけどなんでだろう(3桁以下と4桁以上で半々)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/57263
id:abr_h 親友の情報売って金稼ぎしてるっていうことだよねこれ。坂本もだけどこの親友もどうかと思うわ。 371件
id:ashitaharebare 不倫じゃないし、レイプしてるわけでもないし、恋人同士がどういう性行為をするかはお互いの関係性にもよるしで駄目と言えるかどうか。773件
id:listeningsuicidal 程度の差はあれ、よくある話。こういう男は酷いけど、惹かれる女もなあ。 538件
id:yahoo7979 ピルは要らないよな。せっかくの坂本の精子なんだから、ピル飲んだフリして中出しされて妊娠してこどもを生むべき。坂本なら1000人は小作りできるだろ。スポーツマンはどんどん小作りすべき。 2件
id:nnn7kun 本当ならどっちもどっちだなという感想 19件
id:madomad ひでーなと思うけど好感度で売ってる芸能人でもないし結婚もしてないし、当事者同士で終わってるんならそれで終わりでは。A子さんが無理やり付き合わされてたわけでもあるまいし。坂本の好感度は下がるが。 387件
まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910005727
ブコメ↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220910005727
これまでにないくらいブコメもらったのでこっちに追記かきます、ただはてなーの意見はテロではないって人が勢いいいみたいでめちゃくちゃがっかりしました。
結局テロではないとして自分たちがテロに加担している事実から逃げる欲望には抗いがたいんですね。
似たようなご意見どちゃくそ多数いただいたのでまとめてここで返信します、法的な観点や学術的な観点とやらで様々な観点でご意見をいただきましたが、ここで語っているのは一般的な言葉としてテロについてです。
テロリズムとは、ある政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致(らち)による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るものである。政治的目的をもつという意味で単なる暴力行為と異なるが、それらの目的には、政権の奪取や政権の攪乱(かくらん)・破壊、政治的・外交的優位の確立、報復、活動資金の獲得、自己宣伝などさまざまなものがある。これらテロリズムを行う主体をテロリストといい、個人から集団、あるいは政府や国家などが含まれる。https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-102010
となります。
また政府では第二次安倍政権時代にテロの定義について以下のような答弁が残っています。
テロリズムとは、一般には、特定の主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうと承知している。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193125.htm
以上を踏まえると基本的にはテロとは特定の主張に基づき暴力によって国家や社会に対して影響を与える犯罪となります。
このことから山上は安倍晋三を殺すことによって社会に影響を与え間接的に統一教会にダメージを与えようとしたテロになります。
それでもテロの定義云々は文句ある人はいるかもしれないですが、それを置いておいても選挙期間で元首相の国会議員が銃撃によって殺されている事件で世界的にもテロでなかった事例はございません。このことは何度でもいいます。
ちなみに似たようなご意見で暗殺であってテロではないとといった主張もちらほらみられますが暗殺はテロです。Wikipediaから引用すると
暗殺(あんさつ、英語: assassination)とは、政治的動機に基づき要人を非合法に殺害することであり[1]、テロリズムの一形態に分類されるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E6%AE%BA#:~:text=%E6%9A%97%E6%AE%BA%EF%BC%88%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%95%E3%81%A4%E3%80%81%E8%8B%B1%E8%AA%9E,%E6%8C%87%E3%81%99%EF%BC%88%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8F%82%E7%85%A7%EF%BC%89%E3%80%82
baronhorse テロって広く不安や恐怖を与えることで目的を達成しようとすることだと思うんだけど、山上の事件になんか不安や恐怖感じるかね。壺売ったりそういう犯罪に加担したりしてない限りなにも恐れる必要ないんじゃないか
山上意見に賛同する人の多くは統一教会に対して政治的に法的にも何らかの対応がない限りまたテロが起きるぞっと不安をあおってるクソみたいなコメントが見られますね。明らかに暴力で今の社会に対する不安をあおる犯罪でした。
tafutanisu この主張が弱いのを自覚してるから、「アホ」とか強い言葉をトッピングして勢いで誤魔化そうとしてる感がある
違いますね、たとえこのコメントが正しいとしても、同じことは山上にも言えて自分の主張が弱いので安倍晋三を殺すというセンセーショナルな方法をとったんですね。
明らかにテロであることをテロではないというのは鹿を馬というようなアホくさい欺瞞だからアホって言ってます。
agektmr ケネディが殺されたのは暗殺であってテロとは言わないのと同じでは。周りの人も巻き添えにするような無差別なやり方ならともかく。
上に書きましたが暗殺はテロの一分類です、またテロは周りの人も巻き添えにするような無差別なやり方のみを言うのではありません。
一般的な用法としてケネディ暗殺事件はテロ事件として扱われています。
例【日経新聞】
首脳狙った世界のテロ事件 ケネディ米大統領など犠牲にhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB083QH0Y2A700C2000000/
opnihc まず増田の明晰な頭脳で今まで誰もなし得なかったテロの定義の国際的合意をお願いしたい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9?wprov=sfla1)定義もなしにしても不毛だろこれ
テロの定義の国際的な合意はあなたが一人で勝手にやってください
だいたいあとは似たような感じでオギャってるので返信はまーはぶきますが、皆さんや世間では統一教会憎しで行動してる方が多くて疲れます。
結局統一教会に対する問題はこの事件の上辺でしかないと思ってます、本質的には社会的に孤立した人間の貧困がこの事件の一番の問題だと思っていて、山上も孤立して貧困だったからです。
人は霊感商法に騙されなくてもビジネスに失敗したりギャンブルであったりで様々な理由で簡単に貧困に陥いり、ましてやそういった親を持ってしまうと中々貧困から抜けられない現実があるのも事実です。
私は統一教会による問題よりも貧困や孤立している人間に社会が目を向けてへの支援への動きへ社会が動いていってほしいとは願ってますね。
また追記書いた
それこそ"セレクティブエネミー"として左派やフェミを吊るし上げて批判することに喝采を叫び溜飲を下げるユーザー母体が増えることで、対立構造が顕在化しただけかと
アホなこと言うネトウヨやアンチフェミもいてるが、じゃあ逆に左派やフェミがそういう奴を増田を書いてまで晒してやれって積極性ないし、大抵は同じエントリ内のブコメで突っ込んで終わりなことが多い
良く言えばお行儀が良い。悪く言えば行動力に乏しい。そういう非対称さが積み重なって左派やフェミのブクマカばかりが批判されてる印象が強くなってる感
ちなみに、はてなというプラットフォームが運営する増田において個別言及は利用規約違反(現に当事者が通報すれば削除される)なんだけどね
そういう投稿って「サービスの利用はしておきながらルールを遵守する気は無い」フリーライダーみたいだ。「チクられて消えなければ何言ったっていい」っていう恣意的なものを感じるし
弱者男性にもスポットを当てろって言ってる人の多くが、反フェミとか女が悪いみたいな文脈で
議論を混ぜ返したり、停滞させる目的で言ってるので、もうだいぶあきらめているよ。
例えば、消えちゃってるけど、以下のとか
弱者男性論なんて反フェミのために持ち出してるだけって当事者の皆さんが自慢気に言っておられた
http://web.archive.org/web/20210704040201/https://anond.hatelabo.jp/20210702151054
園児置き去りに関する当事者アンケートで…事故の原因は「送迎担当者や職員の意識が低いから」3分の2が指摘
https://news.yahoo.co.jp/articles/09397297e01a836a04924d28ebdf66e2cc0b8b21
ウルトラマンはポリコレじゃない。ウルトラパーソンにしなさい。女のウルトラパーソンや黒いウルトラパーソンも出しなさい。LGBTのウルトラパーソンも出しなさい。
プリキュアはポリコレじゃない。女ばかりでなく男のプリキュアも出しなさい。黒人のプリキュアも出しなさい。LGBTのプリキュアも出しなさい。声は当事者が担当しなさい。
アンパンマンはポリコレじゃない。アンパンパーソンにしなさい。バタコさんが助手なのは性役割の偏見を助長するので家父長制の象徴でもあるジャムおじさんを廃止しバタコさんを昇進させなさい。チーズは動物虐待なので自然に返しなさい。バイキンマンはバイキンパーソンにしなさい。バイキンマンが黒いのは黒人が犯罪者であるという差別と偏見を助長するため白くしなさい。ドキンちゃんはドキンさんと呼びなさい。
媒体が誰でも無料で読めるWEB漫画ということで良くも悪くも言及される機会が多く、作者さんをフォロー等してなくてもフォロワーさんのいいねやRTでTLに回って来て読んだことがある人が多いのではないかな。
以前までは特にジェンダー問題に関心が高い人の間で評判の良い作品といった立ち位置だったけど、俗称・山賊回(初対面の人の家に泊まりに行って、家主が寝ている間に食材を根こそぎ漁って、自分達だけ食事を作って食べたモラルハザード回)を皮切りに趨勢が入れ替わり、批判が増えて、遂に「つくたべ批判いいね罪」なる声に出して読みたい日本語まで爆誕したネタ漫画に…。
個人的に作者が描こうとしているテーマと描いている内容に齟齬があるというか、食い合わせの悪さを感じる作品だと前々から思っていたので、山賊回は論外としても、批判が起こるのもまあわかるんだよな。
LGBTQの恋愛というニッチ要素を商業作品として色んな人に読んで貰う為に、“食”という誰しもに身近で流行りでもあるテーマと融合させたんだろうけど、この2つのテーマの接続の仕方が、何とも雑で。
LGBTQ+食を題材にした商業作品というと「きのう何食べた?」が有名だけど、こっちは融合のさせ方にも全く違和感ないし、作中での“食”に対する言及の仕方などから作者の並々ならぬ“食”へ拘りの強さや熱量が垣間見えるので、LGBTQ当事者じゃなくてもグルメ漫画として面白く読めると思う。(だからこそBL畑のよしながふみにとってのアウェイである青年誌・モーニングでの連載ながら売れて、実写ドラマ&映画化までしたんだと思うし。)
他方、つくたべの作者さんは“食”にそこまで拘りがない人なのでは?っていうのは読んでて誰しもが感じる点なんじゃなかろうか。
一点例を挙げると、9/10現在の最新話であるバレンタイン回では、春日さんはバレンタインの催事に出掛けるも「ここはシスジェンダーの人達のための場所で私のようなレズビアンは存在を消されてしまう」と被害妄想を募らせ、野本さんは春日さんにプレゼントする為のチョコレートのパウンドケーキを6個試作する。
昨今バレンタインの催事は「チョコ好きガチ勢にとってのコミケ」状態となっており、一年でここでしか食べられない珍しくて美味いチョコを買う為の真剣勝負の場となっている為、女性相手のチョコを買いに来た女性が爪弾きにされる空気などない。(女性同士で贈り合う友チョコなどは昔からごく普通に行われている。)
野本さんサイドの方も、お菓子を手作りしたことがある人ならば全員が知っていると思うが、製菓用の材料というものは押し並べて割といいお値段がするし、本命用のチョコレート菓子を作る場合に用いるに相応しい種類のクーベルチュールチョコレートは結構高価である。
作者は6個も試作品を作るほど真剣な乙女心!を書いたつもりなのだろうが、非正規で低収入という設定の野本さんが練習用に濫用出来るほど安くはないはずだ。
試作品には普通の板チョコを使ったというならそれもおかしな話になる。本命用の、試作品を何個も作るようなチョコレートケーキを作るのにスーパーなどで売っている普通の板チョコを使う人がいないとは言わないが…。
作者はバレンタインの催事に興味がないのかな?、お菓子を作ったりしない人なんだろうな、と思わずにはいられない描写である。
つくたべという漫画ではこのように作者の“食”に対する興味のなさが随所に滲むので、“食に”興味が強い人ほど違和感を覚える仕様となっている。
まあ商業作家がご飯を食べて行く為に好きでもなければ興味もないジャンルの作品を描くのは珍しいことでも悪いことでもないし、それで成功するケースも往々にしてあるので(「キャプテン翼」なんかはその最たる例だろう。最近では「SPY×FAMILY」の作者が同様のコメントをして物議を醸したが)それ自体は別にどうでもいいんだけど、ここにつくたべの主人公の一人である「食べたい女」こと春日さんのキャラ設定を加えると、違和感が首をもたげる人が多くいるのは無理からぬことではないのかと個人的には思う。
春日さんは化粧っ気のない背が高くかなり太っている非常に大柄な女性で、齢30歳弱にして米の食べ過ぎで膵臓を悪くしている(と作中で本人が自己申告している。
彼女は幼少の頃に父親や弟と食事の量などで差を付けられていたトラウマから、実家を出て一人暮らしをしている現在では好きなものを好きなだけ食べるフードファイターもかくやの大食いとなった。
そんな春日さんと、料理が好きでご飯を沢山作りたいけど小食で食べ切れないから作りたいのに作れないという葛藤を抱えていたもう一人の主人公である「作りたい女」こと野本さんが出会う。
「食べたい」と「作りたい」の利害が一致した二人の女性同士の付き合いが始まって…というのがつくたべの導入であり骨子なのだが、やはり膵臓がやられていると申告している人に、本人が食べたいと言っているからといっても、大盛りの飯を好きなだけ食わせるのは虐待に等しいように読者の目からは見えてしまう。
そもそも大食いになったキッカケも男尊女卑な家柄でストレスを抱えた生活をしていたことから来る心因性のものなので、それは自傷行為に等しいのでは?とも思うし。
まあ二人はただの隣人同士であり、野本さんに春日さんの健康を管理してあげる義理はなく、「健康に悪いからもっと野菜を食べなきゃダメだよ!」などと口を酸っぱくして言い聞かせるような間柄でもない。
しかしそうは言っても、作中で野本さんは春日さんへの恋愛感情を自覚しているので、「野本さんは仮にも年上なのに、好きな相手の健康が気にならないの?」というのはごく自然に発生して来る疑問であるように思う。
心因性の大食いで既にブクブクと太り膵臓も悪くしているけどそれでも食べたい(まさに自傷行為、セルフネグレクトとも言える)女と、炭水化物と脂質ドカ盛りの料理を作って食べさせたい女。
この二人を読者が微笑ましく見守るにはあまりにもノイズが大き過ぎやしないだろうか。
春日さんのキャラ造形をBLのスーパー攻め様の女版的なバリキャリの美人OLみたいにはせず(※作者さんはもともとBLを描いていた漫画家さんだった)化粧っ気のない太った非正規のエッセンシャルワーカー女性にした理由も、作者さんが「女性差別・家父長」や「ボディポジティブ」や「脱コルセット」的なポリコレ要素を取り入れたいと思ったからだと推察するのだが、春日さんの大食いが心因性のものであるならば、それはボディポジティブなのか?となって来るわけで、そこにもテーマ同士の食い合わせの悪さを感じずにはいられないのだった。
巷ではつくたべを批判する人は差別主義者だと言われているようだけど、以上のことから、つくたべに対する批判が起こるのはごく自然的なことであり、作者の思想のせいではないと思うんだよな。
作者が描こうとしている、描きたいと思っているものは何となく分かるのだけど、そこに漫画家としての技量や扱うテーマに関する知識が追い付いてないというか。
もっと設定をシンプルにして、二人の女が笑いながら美味しくご飯を食べるだけの話でも良かったのでは?と思う。
ポリコレ要素を足したいのならもっと入念に取材をすべきだし、その上で物語に馴染むかどうかを吟味して、商業作品として良い物を世に送り出そうと思うのならば、足し算だけじゃなく引き算も行った方がいいのでは?と一漫画読みの立場から具申させていただきたい。
補足。マイノリティが活躍する作品の否定は差別だというコメントがあるけど、そういった作品の中にも当然だけどピンキリがあると思うんだよね。
例えば最近評判が良かった作品というとNetflixのハートストッパーなんかがあるけど、私もあれはすごく良い作品だと思ったし。
補足2。フェミが評価してる作品だから重箱の隅をつついてるんだというコメントがあるけど、上と同様フェミニズム作品の中にもピンキリry
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
将来的には政治圧力で勢いづいたままに性欲制御装置(公共の秩序および当事者の合意に基づいてのみ性欲をオンにできる装置)の装着が全男性に義務化されて、しばらくは平和だな〜とか思ってたら凄い勢いで結婚も出生数もゼロに落ち込んでいってついでに労働意欲や探究心も無くなっていって、あわてて義務化を廃止したけど時すでに遅しで国が滅びるエンドじゃないかなと思ってる。
駅の構内に私服警察を配置して痴漢に目を光らせている…というていの話をテレビで見るようになった気がする。
しかし気になったのは、警察は痴漢行為を確認次第その場で逮捕し電車の外に連れ出してそのまま連行していってしまうことだ。
つまり、被害女性からしてもなんか自分のすぐ隣で警察沙汰になってるなーっていうのを背中で感じてるだけという可能性がある。
被害女性を確保(保護?)しているようなシーンは少なくともテレビでは見ない。
もしかしたら本当に被害者への事情聴衆も行わなければ被害者不在のまま裁判で有罪に持ち込むようになってきているのではないのか?
お尻を触られたりした人が迷惑だと思ってなければ成立しないんじゃないの。
被害者不在のまま有罪になるということは、下手したら本当に痴漢された人は迷惑に思ってなかったかもしれないのに有罪となってしまっている事例がありえるということになるのではないか。
何時何分に着く電車に何番口から自分は乗るのでその真後ろに来てもらって触ってもらうということを彼氏と約束済みならば、わざわざ傍から見て分かるような目くばせ等をお互いにする必要もないので、傍から見れば男性が女性の身体を突然触っているようにしか見えない状況になっていることは有り得る。
これに対して警察が「なんで声かけたか分かるね?」とか言って逮捕しようとする。
そのとき彼女が「私たち合意の上なんです。」と言ってもお構いなしなのだろうか?どうにもそんな気もする。誰か教えて。
ようは警察的には罰金という名目のカネ(自主財源の確保ってやつ?)が欲しいので、痴漢が実は痴漢ではないということになっては困るから、自分たちが一度痴漢と見なしたならばその後に当事者が何と言おうが強引に痴漢の罪に持っていく慣習があるのではないかと思えるのだ。
先に被害者不在で刑事裁判をするのではないかということについて話したが、これに起因する問題として、あとで警察が確保を怠った被害者が「痴漢をされましたが迷惑だとは思いませんでした」と自主的に名乗り出ても、ようするに警察はカネがほしいので、やはり強行的に起訴するのではないかというのも倫理的な懸念として感じる。
わかる。彼氏持ちで円満にやってる女の子が一番性格とか全般まともだし普通に魅力的。
既婚者は手を出したら不貞で訴えられるけど未婚の彼氏持ちなら当事者間だけで済ませなさいの範囲だし、俺が奪ったんじゃなくて彼女が元彼を切って俺を選んでくれただけだから彼氏持ちに声掛けるのはマジでおすすめする。
フラットな友達から始めないとだし、良い子ほど信頼獲得してこっちに気持ち移るまでかなり時間かかるが、それに見合うだけのリターンはある。