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はてなキーワード: 対峙とは

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619162819

おんなじことやってみるといいよ。

自分が他人にするんだから、他人にされても不愉快に思うはず無いよね?」ってスタンスで。

するとストレスはその時一時的には減る。

トータルで見ると相手も対抗してくるから増えるかもしれない、すまん。

相手がなんか言ってきたら「先輩いつもやってるから、(香水なら)もしかして私が臭いのかと思って…それで社会人ならきちんと香水くらいつけなさいってことなのかなって思っちゃって…」とか。

「先輩いつもこうだからこうすべきなのかと…」とか。

でもこれ他の人に頭おかしいと思われるから人間でいたいならやめたほうがいいと思う。

怪物と対峙するなら自らも怪物になることを気をつけねばならない、みたいな言葉があったよね。

もしくは動物園から来たと思えば?

2013-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20130614170225

「怒って捕まえる」って記述があったので、感情任せに一人で相手と対峙しに行くのかと思ってたよ。

通報して、警察監視を前提に犯人に接触するんならまあ良いんじゃないかと思う。実際そうやって振り込め詐欺犯人捕まえたばあちゃんがいたしね。

ただそれでも犯人と直に接触する際、警察の登場で逆上した犯人が突然凶器を取り出して襲ってくる可能性はあり得るから、待ち合わせ役も警察の人に代わってもらえるんじゃなければ自分やらないかもしれない。

上田シャラップ事件に関する周囲の現実逃避ヤバい

http://markethack.net/archives/51879261.html

http://wirelesswire.jp/london_wave/201306112115.html

http://ch.nicovideo.jp/masayukisatomura/blomaga/ar260139

とりあえず事の詳細は↑のリンクを見ればわかるというかもうみんな知ってるよね。

もうこの件に関しては、国連という場で「shut up」という、こういう場所では基本使わないような下劣な表現を使ってしまったのがアホだなぁ、くらいしか感想が無いんだけど、それ以上に危機感を抱いたのが周囲の反応。

上のリンク、それも上田氏が笑われた原因が「middle ages」を「middle age」、つまり中年」といい間違えたから、って結論にしちゃってる所。

いやそのりくつはおかしい、としか言いようがない。

動画を見れば分かるけど、「middle age」って言った瞬間、誰もピクリとも笑ってない。笑い声が発生し出したのは「日本人権状況は先進的」って反論し出した所で、これは誰が見ても周囲にとってはそこが笑いのツボだったのは明白だと思うんだけどな。

そもそもsを付けるのを忘れた程度で失笑するような根性のひん曲がった人間ばかり集まってるだなんて到底思えない。大抵の人はそんな些細なミス普通にスルーするだろう。

これはむしろそのミスに固着してるのは日本人の方だとしか俺は感じられない。「英語完璧に喋れない奴は恥ずかしい」って考えがどうも日本では広まってる節があるというか、ブクマなんかを見てもいかにしてネイティブみたいに喋れるか、恥ずかしいミスをしないか、みたいな記事がよくホッテントリ化する。だからsのつけ忘れみたいな些細なミスを見つけたらみんな鬼の首を取ったように揚げ足を取る。こんなんだから日本人は何時まで経っても英語が苦手なんだよ。

でも本当の問題はそこじゃない。だって、「日本人権状況は先進的」って言われて笑われたって事は、国連では日本人権状況は最悪だっていうコンセンサスがあるって事だろ?そんな不都合な事、誰も信じたがらないだろ?

から「いや違う、あい英語が下手で中年って言っちゃったから笑われたんだ。決して人権状況が先進的って部分が笑われた訳じゃないんだ」って、問題をすり替え現実逃避してるだけなんだと思う。そっちの方が美しい国日本イメージを維持出来て都合がいいもんね。

こういう現実逃避って決して今回の件だけじゃない。ブラック企業問題や歴史問題、戦時中だってそう。どこを見てもこういう現実逃避が問題の根本にある気がしてならない。

いい加減みんな事実と正面から対峙出来るようになろうよ。大人になろうよ。

ほんとマジふざけんなよ。

2013-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20130613221441

心配するな。

今まで通り愛想よく笑顔を絶やすな。動揺するな。今まで通り笑顔だ。

オマエから笑顔が無くなったらブスしか残らねーじゃねーか!そんなことは許せん。

いか?分かったか

笑顔と元気が大事だ。オマエなら出来る。

俺はブスだからって顔や態度に出さずに対峙する奥義を体得している。

なぜか美人には発動しないが、その結果変な方向に行った試しがない。

オマエなら出来る。笑顔と愛想は大事だ。

怒るなよ。

2013-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20130601004217

社会はどう対峙していけばいいのかを考えてる

社会じゃなくて警察の間違いじゃないの?

そもそも「性欲」って規制出来るものかね?

相手が子供じゃなかったらOKという発想自体、おかしくないか

児童ポルノ小児性愛者に、社会はどう対峙していけばいいのかを考えてる

児童ポルノ規制が「架空表現」にまで及ぶことは明らかに「児童権利保護」の観点から見て無意味だし

何より表現の自由を守れなくなるので、そこはもう議論の余地がないと思ってる。

でも、じゃあ実際、性被害に遭う児童現実的にどう守ればいいのか。

児童性愛者について社会は、法は、道徳はどう対峙、対話していけばいいのか。

そんなことを数日考えてる。

以前ある集まりで知り合ったアスペルガー症候群男性

自分ペドフィリアで、いつか現実子供に害を加えるかもしれない不安を抱えている」

と私に言っていた。

私は「自覚症状があって、自身が悩んでいるなら、カウンセリングなりすれば良いのでは」

と言ったが、実際、現実的にそういったセラピーは無いらしく、相談する相手はおろか

打ち明ける場所や機会がそもそも無いという。

自分も「児童性愛者」に対して道徳的にも社会的にも、どうスタンスを取ればいいのかわからない。

からアドバイスも、自分価値基準も持てず、言葉に詰まってしまった。

ちなみに、その集まりセクシュアルマイノリティ家族が集まれるイベントだったのだが

彼は児童福祉司参加者にもこの話をしたらしく、その人いわく

ジェンダーLGBTという枠とは(小児性愛は)違うし、児童福祉の観点から言えば治療の対象だ」と

まり望ましい対話ができなかったらしい。


話を戻すと、アニメ同人などで現在ふつう流通している「ロリショタ」的コンテンツを消費している人らと

実在する児童ポルノを消費する(あるいは性嗜好障害としての)ペドフィリアとは、もう根本的に違うということ。

それは概ね同意が得られそうだけど、じゃあペドフィリアの人は、その性嗜好自体が社会的憎悪されるべきものなのかと言えば

それは思想の自由から権利が守られるべきで、実際に加害者がいなければ現状、法的には問題がない。

だけど、社会規範的、道徳的に「ペドフィリアである事実」の人をどう扱えばいいのかというコンセンサス日本にはないと思ったのね。

声高に児童ポルノをすべて禁止すべき!と叫ぶ人たちは、そういった実在する「児童の性被害」や虐待に対して、主体的に問題に取り合っているのか。

タブー視や軽視せずに、犯罪の原因や事実ケーススタディについて議論しようと取り組もうとしてきたのか、と疑問に思うわけ。

実際、上述した彼のように、その性嗜好が社会的に許されないと認知した人は、どこへ行けばいいのか、それを用意しようとした人がいるのか。

ただ、そういう人間や「似たような因子」をタブー視して「すべて禁止!」しようとしているだけじゃないのかって思う。

そういう浅知恵じゃ、「加害者になる可能性」も「被害の予防」もできないと思う。


けれど、「ペドフィリアは危ない因子だから、こちらへどうぞ!」とは簡単にいかないような気がしている。

もちろん性衝動が抑えられない精神医学的な意味での「異常行動」の問題はしかるべき治療をすればいいけど

そうではない様々なケースに、社会はどう捉えればいいのか…とも考えていて…

まずはカウンセリングを自主的にしたい人の為のリソースがあるべきとは思うけど、「社会的同意」としてのコンセンサスや整備が

バランスよく整ったモデルがあるといいなとは思う。

まり被害者がいない場合ペドフィリア糾弾せず冷静に「異常性」だけを判断し分別できるシステムとか。

やっぱり、ペドフィリア本人のモデルケースが聞けると一番いいかなーとも思いました。

私自身、まだ勉強不足な所があるから非常に主観的な物言いから、ぜひほかの意見も聞きたい。

2013-05-28

ごんぎつね感想

子供が、子供っぽくない感想文を書いたから揉めたんだよね?あんまよく知らんけど。

じゃあ、大の大人が、出来るだけ大人げない感想文を書こう。

どうやら子供は、ごんぎつねが撃たれてもしょうがない、と書いたんだよね、たぶん。

ごんぎつねを読んで。

私は、ごんぎつねを読んで、当たり前のように持ち出された火縄銃に驚きました。

まず、私は銃というものを実際に見たことがありません。現在では、鉄砲を所持するのにはそれはそれは様々な手続きを踏まなければならないのです。まして、市街地で発砲しようものなら、例え正当な銃所持者であっても後ろに手が回ります

ところが、兵十はどうでしょう

ごんぎつねを見つける。ズドン

アメリカ南部か、と思いました。

話の構造を考えると、時代背景は古くても百年から二百年前だと思われます

また、兵十は好意的に見ても裕福ではありません。

しかし、銃を所有している。

ここに、現代日本とは比べものにならない、銃所持へのハードルの低さが読み取れます

アメリカ南部で銃の所有数が多いのは、自衛の為ですが、兵十はおそらく山での狩猟だと思われます

さて、わずか百年か二百年前に当たり前に鉄砲の所持が出来たことに私は改めて考えさせられました

また、ごんぎつねが撃たれたのは、自然とのなれ合いではなく、対峙を以てのみ、人類は身の置き場があるのだというメッセージに感じました。

2013-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20130520233205

課題qの解決が急務な状況である、ということが前提(AさんにもBさんにも共有されている)だった場合

それは何を意味するかというと

課題qに対して何も手を打たないことは、誰にとっても絶対的にデメリットがある」という意味です。

そこに議論の余地はありません。

まり、「対案なき反対」=「A案を実行しない」は全体へのデメリットを確定させます

社会組織現実的に直面する諸問題に対峙するとき、それは大抵は急務な状況です。

対案なき反対者は、a+ < a- の主張をするだけで、それで何の案も進まないことによってもたらされる確定的デメリットについては無視しがちであり、そこに問題があると考えます

2013-05-17

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2013-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20130514004222

あなた友達に警戒するなんて失礼だと思うタイプ

私はそうじゃない。友達だろうと家族だろうと恋人だろうと、状況によって人の行動は変わると思ってるよ。

皆、自分生活がかかっているんだ。当然のことだ。

子供の頃はその辺の実感があまりいから、仲良くするのも簡単で良かったな。

逆に、警戒した相手はもう友達じゃないとも思わない。

無心の警戒はするけど友達。そこは問題なく両立する。

しろ、考えるべき可能性を考えずに、いざ対峙した相手の行動が昔と違ったら失望する方が、友情に反する行為だと思う。

何故警戒するかというと、金の貸し借りをするとそれは本当に友情を失う可能性があるからだ。

本当に仲のいい友人なら可能な範囲で貸そうとは思うけど、相手がそれを少なすぎはしないと思ってくれるかどうか、分からないしね。

2013-05-09

Webサイトソースコードを全てプリントアウトしたことはありますか?

"Hacker News"のコメント欄から気になるものがあったので全訳してみた。

文系からプログラマーの道に入った自分的に、琴線に触れたので。

ニューヨーク証券取引所とある企業株式売買の様子を0.5秒だけ映像化した動画を見た人の感想です。

https://news.ycombinator.com/item?id=5678116

日本語

いつだったかソースコードを全部印刷したことがあるよ。その時のソースコードASPHTMLCSSJavascriptで、僕の雇い主の最も重要Webサイトホームページを1ページ読み込んで出力したんだ。僕は紙を一枚一枚テープで繋いで壁に吊り下げた。

同僚と貴重な意見を交わすことができたね。技術に明るくなかったみんなは(大半はそうだったけど)凄く驚いてたよ。彼らが毎回ホームページをロードするごとに(1秒以内の短い時間で)こんなにも多くのテキストが読み込まれ、実行されることにね。

そんなことをしてどんな意味があったって?プリントアウトしたことが僕たちの会話に一定した感情的な緊張をもたらすのに役立ったんだ。1ページを読む裏で行われてる複雑なことに直に対面したことで"今すぐにやって、簡単でしょう"とプロジェクトに要求することが困難だってわかったんだよ。

同様に、高頻度で取引を行う果てしないスピードと複雑さに焦点をあてたこの話(注: HNトピックです)も、疎外感や恐怖といった感情的な緊張をもたらすのを助けてるね。"誰もコントロールできない技術暴力を解き放ったかもしれない"と、反射的にフランケンシュタインターミネーターと争ったのと同様の契機になるかもしれない。

でも、テクノロジーに対して思慮と公正さをもって対峙すれば、もちろん、そんな気持ちは起きないのだけど。僕らのくだんないパンフレットのようなウェブサイトが行き着く先はそんなに複雑じゃないと思ったよ。

原文

One time I printed out all the code--at that time ASP, HTML, CSS, and Javascript--that got executed for one page load of the homepage of my employer's primary website. I taped the pieces of paper end-to-end and hung them on my wall.

It made a great conversation piece with my coworkers. Non-technical folks (most of them) were astounded that so much text was being interpretted and executed every single time they loaded the homepage (in less than a second).

What was the point? It helped set a certain emotional tone to our conversations. Folks found it a lot harder to demand their project be done "right now, it's easy" when directly confronted with the complexity behind a single page load.

Likewise, stories that highlight the immense speed and complexity of high frequency trading help set an emotional tone of alienation and fear. It helps trigger the same reflex Frankenstein and The Terminator played off of: "maybe we're unleashing technological forces that no one can control."

But of course if you are well and truly versed in a technology, that feeling goes away. I knew that our crappy brochure website was not very complicated as websites go.

雑文

後半になるほど、訳が拙くなっていくのは大目にみてください。

たぶん多々あるはずの間違っている箇所、ニュアンス違いは突っ込み大歓迎です。

インフォグラフィックス、なんて言葉ができて久しいけど(今じゃこんなサイトであるんだね)、

僕が初めてこの言葉を知ったのはウェブではなく、生物学だった。

バイオインフォマティクスについて、東大サイエンスカフェに聞きに行った時、

この学問は「生物」と「情報」が融合した学問だけど、さら美術と融合させるような試みも

欧米ではあるんですよ、みたいな話を聞いて、美しく染め上げられた生体写真幾何学的な何かのノード写真

研究成果をこうやって示す方法があるのだと衝撃をうけたのをよく覚えている(...内容は忘れました、すみません)。

そんなインフォグラフィックスは、美術的なセンスと才能と技量が要求されるけど、

ただ単にプリントアウトして見せるだけでも、クライアントを説得するには十分だと

このコメントを読んで、その素朴さにはっとなった。

試しにTwitterのホーム画面でソースコードを見たら、2200行あった。

これにロードされるjavascriptライブラリCSSを加えたらどうなってしまうんだろう。

まらないプリント機を想像して、さすがにやめました。

僕は今、テクノロジーの詳細がわけ分からないという普通の人の感覚を抱きながら一方で、

ティム・バーナーズ=リーがWWWを考案してから積み上げられてきた技術資産を前に途方に暮れている。

おそらく技術屋として中途半端から、こんなないまぜな気持ちなのだけど、

今日IDEが示すままに分け分からないAPIを叩き続けて仕事をしているわけで。

どこかでこの訳が分からないと頭を抱えたくなるような感覚を克服しないと、歳取ったらまずいなぁ。あはは

2013-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20130321130829

逆に考えるんだそいつは優しくされてるんじゃなく、まともに相手されてないと考えるんだ。

ここだけの話病気と言うのは本人のみならず周囲にとっても、正面から対峙しない事のエクスキューズになる。

仕事で最低限必要情報だけやり取りして、あとは遠巻きに無視しておけばいい。

幻覚が見えてる人間の「虫が!虫が!」とかい叫び無視していいのと同じだ(駄洒落じゃないよ)。

これが親兄弟ならそんな扱いも心が痛むかもしれないが、増田にとって相手は単なる職場の知人だろう?

何を言われても意味のある思考の産物だと思わず、「ああ病気でまともな言葉が喋れないんだな」とでも思っておけば、動物の鳴き声と大して変わらんさ。

2013-03-18

働く

この春から、働くことになる。

怖くて怖くてどうしようもない。

どうしても「一度でもドロップアウトしたら、もう社会復帰はできない」という気がしてしまうからだ。

そうじゃないことは知っている。何人もの人が社会復帰しているのも知っている。

しかし「仕事がなくなる」「社会に属していない」という恐怖は、浪人留年、退学に対する恐怖よりも凄まじい。

中学までは義務教育だし、高校も大学も入り直せる、やり直せる、単純な偏差値という物差しで何度だって勝負できる。


けれど、就職活動は壮絶だった。

なにを評価されているのか分からない恐怖。

なにを評価されなかったかからない恐怖。

ある人から指摘された「長所」が、ある人からは「短所」と指摘される。

人の見方なんて千差万別なのに、バカ売れするマニュアル本。

結局、思い通りにいかない就活生。しかし、模擬面接の練習に行くことは欠かさない。新しい本を買うことを止めない。

だって、どこを評価されているのか分からない、せめて、「ここが評価されているんだ」と思い込んでおかないと、不安で仕方がないからだ。


話が逸れたけど、それぐらいに就職活動は壮絶で、自分が何者なのかも分からないような、とにかく「仕事がない恐怖」「社会に一生属することのできない恐怖」と対峙する時間だった。

もう、こんなもの味わいたくない。

今度は、その「職を失う恐怖」とずっと対峙しながら働き続けなくてはいけないのか。

自分が望んだ就職先ではあるが、人間関係までどうなるかは分からない。

そこで上手くいかなかったらどうしよう、とか、考えてしまう。

2013-02-27

日本サヨクについて

欧米などの改革的なサヨクと違って日本サヨクってのは国のすることには何でも反対だけだよね。

それだけでは何も生み出さないのになぜ続けるのか疑問だった。

でも

戦争は悪!少数の弱者しわ寄せをするのは悪!

って考えるとさ、思考停止できるんだよ。そして自分は誰も傷つけないイノセンス立場を守れる。

これって清濁併せ呑んだり苦渋の決断で小を切る判断しなくていいから楽だよな。

そして責任を取る必要もない。

これはすげー魅力的だわ。

常に責任プレッシャー対峙する必要がある教師がサヨクに傾倒するのもしょうがねーわ。

そういった立場必要なのも理解してるけどさ

共感は絶対にできない。

2013-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

 元増田さんに上手く答えられるか分からないけれど、書いてみる。

 依存症治療の会合、アルコホーリクス・アノニマス手法を書いた本「ビッグ・ブック」の中に神を信じること、っていうのが出てくるらしい。

 元々がアメリカからでてきた治療法だから、多くはプロテスタント的発想なんだろうけれね。

 そもそもの依存症って例えばアルコール依存症にしても仕事依存症にしても、問題はアルコールを飲むことや仕事に重きを置くことにあるのではない。問題は大事な人(家族や友人)に向き合わなければならないときに、アルコール仕事や買い物に逃避して向き合わず人間関係を壊していってしまうことにあるのね。

 (ここ、重要)。それを前提として読んで欲しいんだけど。

 ビッグ・ブックを読んでいる看護師さんと話していて、ここにある神っていうのは、別にキリスト教である必要はまったくなくて、

人間を越えた存在、親よりももっと上の存在

に許し、受け入れられる、っていうことが、心の安らぎに通じている、ってことなんだなって分かってきた。

 無心論者であっても、「超越者」に「私は生きて呼吸することそのものが、祝福されたことなんだ」と認められていることが、がけっぷちに立たされた状態では、必須で、これがないと人は生きていられない。

 私に立ち返ると、父親は仏教徒で、母親根底はシントーイスト。私は仏教って哲学であって宗教ではないと思っているから、仏壇はあるけれど、宗教的な観点神道にあるという、古い日本の一部ご家庭の状況。

 神道っていっても、自然神的なものを「人知の及ばぬ、わたしの上位のもの」だと感じる程度です。

 そんな状態だった私は、幼稚園くらいのころ、桜の花びらが散っているのを見て、

妖精さんだ!」

と思い、それが創ではないと分かってからも、花びらや雪や、さらには汚れた水の中でもわもわと沸き立つごみや土ぼこりを見るたびに

「だからそれが、神とか天使とか妖精かいものだ」

と感じています

 あれ(神様的なもの)は、目を凝らすと周囲にふりそそぎ、ただにこやかにこちらを見ているもので、こっちのことを好きだけれど何の力も無く、ただいるだけのもの

 小説沈黙」や「レ・ミゼラブル」みたいな情熱的な信仰心ではないけれど、家族の死や苦しさの局面に至ったときに、

「それでも神は降り注ぐ、何の力も無いまま、それでも私たちを愛している」

というのが根底にあるだけで、不思議な立ち直りの力が沸いてくるのです。

 多分それが信仰の原型みたいなもので、それは無心論者であっても必要だろうし、持てるんじゃないかなぁ。

 数億分の1だかの確立地球生命が発生した奇跡を、成し遂げた神は無心論者が否定することが出来たとしても、惨事を見つめるだけの無力な神は否定できないんじゃないかと。

 そして無力な神であっても、「わたくし」の生命をことほいでくれているとしたら、それは力の源になると思うんです。

 んで、アルカホリック(というか依存症全体)の、壊れた人間関係に立ち返ると、

「誰かに容認されない自分

のまま、他人に向き合うことはむずかしいこと、らしいのね。

 誰か(上位の、人間のもの存在することを容認できるくらいの存在)に存在を容認された状態でないと、人は人に対峙できない。

 元増田さんの腹が割れないってのは、だから多分その感覚なんじゃないでしょうか。

 他の方が書いているように、それについて鈍感な人や、日本人が持っている古い神や「ひととひとがよりそって人っていう字」っていう感覚を知らず知らずのうちに身につけている人にとっては、

元増田の悩みは宗教ではない」、と言っちゃうけれど、私から見ると宗教っていうか「宗教っていうか、それ以前の、なんだかわかんないものが、私が生きていることそのものを許してるってことを感じられない苦しみ」なんだろうなぁって思います

 感じるのは変なことじゃないし、恥ずべきことでも中学生でもないと思います

 むしろ人生の危機的状況に至る前に、それに気づいていたほうが、対処に悩まないからいいことだと思います。今後宗教を持つかどうかは別として。

2012-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20121230064021#tb

生産性の低い伝統芸能予算エリート私学にばらまくのは新自由主義者としては非常に正しい政策で、

橋下はそれにのっとっているに過ぎないんだけど、

橋の下」なんて回りくどい差別心むきだしの言い方してないで、

共産党志位委員長みたいに新自由主義親玉であるハイエクフリードマン理論に正面から対峙しなよ。

2012-11-20

うつ病で入退院を繰り返している友達

20年ぐらいのつきあいがあって、割りと仲良しな友達がいるんだけど

2年ぐらい前からうつ病なっちゃって、2回ぐらい入院してる。

元気になったら会おうねって言ってるけどずっと会えてない。

メールしんどいらしいから、手紙を送るぐらいしかしてあげられない。調子がよい時に返事が来る。

今夏前ぐらいかなー。治療方法が変わって随分良くなってきて長い入院生活も終わったって手紙が来たの。

11月はお互いの誕生日があるのでカードのやり取りをしたりして、本当に良くなってきてる感じだった。

よかったーもうすぐ会えるかも。会ったらきっと泣いちゃうな、なんて思ってた。

から相談したいことがあって、今日メールしたらすぐ電話がかかってきたんだよ。

久しぶりで照れるからメールしたのに、電話がかかってきてびっくりした。

そしたら「また具合が悪くなってきて、メールできないか電話した」って。

また入院することになるかもしれないって。

電話ちょっとしんどそうな声だった。

うつ病の人とどう対峙していいかからいから、できるだけ平静を装って(軽い)相談話とかしてたんだけど

つらいのに電話をかけてくれてきた彼女に悪くて、ずっと病気でかわいそうで

何かしてあげたいけど、手紙を送ることぐらいしかできなくて…なんて考えていたら

急に私のほうが感極まって泣き出してしまった。

相手に泣かれることがうつ病の人にどういう影響を与えてしまうのか分からなくて、さら彼女を追い詰めてしまたかもしれない。

どうしようどうしよう。まずいことをしてしまたかもしれなくてすごく後悔してる。

本当に、少しでも良くなってもらうにはどうしてあげればいいんだろう。

2012-11-05

中二病でも恋がしたい!OPは先に行っているのか?


中二病でも恋がしたい!」のOPが苦手だ。

嫌いというわけではないのだが、

今週もまたあのOP対峙しなくてはならないかと思うと

憂鬱になるぐらいには苦手である

まずモリサマーのチアー姿のところなんかで、

画面の切り替えが目まぐるしくて

キャラの表情を見極めるのが困難なのが一つ。

普段、アニメではめくるめくような画面変化は好きなほうなんだけど、

これはどうも意図的に見えにくくしている気がする。

あと指クルクルやお尻ピョコピョコのところで

微妙音楽にノってないのが一つ。

まるでニコニコ動画の強引なMADのようなんだけど

素材を自ら作れる制作会社が、

なぜこんなに、ある意味完成度の低い物を作るのか、と。

アマチュア編集動画風に、という意図かもしれないが

もしかしてこの微妙なズレが、今どきは逆にいいのか!?

相手はプロなので、絶対に狙っているに決まってるんだけど

2012年アニメシーンでは

このOPは高いレベルにあるんだろうか?

ついていけない俺がもうダメなのか?

白背景も、白がなんだかヌケてない気がするし。

でもそれがかえってイケてるのかな?

よくわからんなあ。

2012-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20121015114824

ストーカーのようになりかけたので「強い思い」というのがあったのは間違いないが今でも好きというよりは俺にとってあの女は俺が人に対峙する場合プロトタイプとなっていて考えてみればかなり決定的な女であり良いかいか知らないけれども俺の人生はあのとき確実に分岐してもはや他にどんな可能な人生存在しえたか想像するのが難しくなってしまったという意味ではあの女は俺の一部であろうと思えると同時にあの女に不可逆的に汚染されたようにも思えるという複雑な気分であり答えは出ない。

2012-07-09

まりにも辛くて、目を塞ぎたくなる。

連日、例の事件についての詳細な顛末や、それに対する意見タイムラインを騒がせている。

はっきり言って、目に入れたくない、とすら思う。

彼の孤独を思うと、居たたまれない。

彼だけじゃない。この世界には、今も彼のように、毎日罵声を浴びさせられ、暴力を受け、この世の地獄のような孤独を味わっている人間がいる。

私はまだ良いんですよ。仕事ミスをしておばさん達に嘲笑されたり、こそこそ陰口を言われてるんじゃないかとびくびくしたりしても、甘えられる恋人がいるし、冗談を言い合える友達が(ネットのだけど)いるんですよね。

でも、彼にはそれがいないんです。孤独なんです。誰ひとり助けてくれない。親も先生も周りの人間も助けてくれないし、助けてって言えないんですよね。

どうして助けてって言えないかって、自分が悪いと思ってるからですよ。逃げても良いんだよ、とか君は悪くない、と言われたって、誰より自分が、自分のことを許せないんですよ。

だって許せる訳ないじゃないですか学生の頃のクラスなんて世界のものですよ。世界中の全ての人から嫌われたり殴られたり無視されたり罵声を浴びさせられるような自分を、どうやって許せって言うんでしょう。誰にも愛されず、得に良いところも無く、人に嫌われる要素しかない自分を、どうやって許せって言うんでしょう。そんな風に自分が嫌われる存在であるってことを、大事な親にどう言えって言うんでしょう。

例えその場から逃げて、高校を辞めたとして、就職活動の時に「高校を辞めるような奴はちょっと」「いじめられるようなやつはちょっと」って言われ続けるんですよ。これつまりみんなに嫌われていじめられて高校を辞めるような奴は悪だってことじゃないですか。企業だって他人に嫌われるような奴なんてそりゃ採用したくないですよ。「一緒に働きたいと思う人」つまり他人に愛されるような人を雇いたいと言うことですよ。やっぱりいじめられるようなみんなに嫌われるような俺は生きてちゃ駄目なんだって思っちゃいますよ。

結婚する時だって、相手の親にさあ会うぞって時に、こんな、大勢から嫌われて、馬頭されるような人間で恥ずかしいと思ってしまますよ。

常にそうです。いかにも明るくて、話し上手で、友達が多そうな人間対峙する時に、ああ、私は皆に愛されない存在ですと言う負い目を感じ続ける。

いじめられるような人間であると言うことは、負い目として、罪として、その人の中で生き続けてしまうのではないでしょうか。

結局この世は弱肉強食なんです。どんな屑みたいなことをしても、他人からの寵愛を受け取り、自分を許せるやつもいる。そんな奴に「自分が駄目なんだ」って思ってしまうような奴が太刀打ちできる訳ないじゃないですか

自分を責める正直者がバカを見て、自分の非を認めない、自分が正しいのだと思いこめる人間がしあわせに生きていける。

そんな事実を目の当たりに突きつけられているような感じがして、今回の事件はちょっと情報が入ってくるのすらいやで、目を背けてしまいたくなります

ああ、私も器用で、当たり前のように愛され、自分は悪くないのだと胸を張って言えるような人間に生まれ育ちたかった。少しでも他人に負い目を感じずに生きていたかった。

あの時君のように死ねなかった私は今もこんな気持ちを笑顔の奥底に隠して暮しています

それでも普段は笑っていられるだけましなのか、やっぱり死んだほうがマシなのか、私には良くわかりません。

2012-06-04

【追記2】ぷろとらというカルト対峙する「反ぷろとら」もまたカルト化する現象

最近音楽ゲームクラスタ周辺で話題になったニュースが一つ、ある。

それはBEMANI音楽ゲーム情報サイト大手「ぷろとらドットコム」の管理人Ta2氏がコミケット準備会通報されたと言う事から始まる、

彼の悪事暴露ラッシュである

http://henkaya.blog.fc2.com/blog-entry-15.html :夏コミ制作更新前に告知しておきたいこと - 状態変家 - サークル「状態変家」公式ブログ]

この記事が表向きには全ての始まりだった。

お互いのメールのやり取りを見ただけでも、Ta2氏の異常性はよく分かるであろう。

そしてこの記事を境に、いわゆる「元身内」から暴露が相次ぐ事になる。

現在ブログ記事として確認できるものを以下に列記する。

http://resonate.go-th.net/Entry/27/ :ある音楽ゲーム同人サークル管理人の話【追記有】- RESONATEブログ]←いわゆる「元相方」と呼ばれている人

http://d-ic3.net/rkgk/index.php/view/132?continue=1#continue :酒がうまいぞ~|rkgk]←某企画に呼ばれた絵師

ここまで色々出揃ったところで、2chTwitterも色々巻き込んだTa2氏への非難・追及が始まった。


…かに思われた。


結局のところ、前述の三角州氏を除くメンバーや後述するTeam ZUMMERの面々といったいわゆる当事者も追及する事はなく、非難するにとどまった。

そしていつの間にか2chやぷろとら一行掲示板は、単なる人格攻撃レッテル貼りの場へと変貌したのである

まり、Ta2氏を100%悪として非難する書き込み以外をすると「こいつTa2じゃね?」とか「自演」「信者」というレッテルを貼られると言う、戦時中も真っ青な状況になっているのだ。

筆者は、最初に挙げた状態変家さんの記事の内容は完全にTa2氏に非があると思う。

しかし、残りの2つの事態に関しては、Ta2氏だけに全責任があることではなく、今回の状態変家さんの表明に便乗し、自分たちの責任まで彼に押し付けている部分があるのではないか、と思っている。

1.「元相方」の暴露について。

ブログの3行目より引用

「ただし、私の話はログスクショ等残っておりません。

信じるか信じないかは閲覧されている皆様にお任せします。」

この時点で、我々閲覧者は証拠・資料としての価値は大きく失われている、と言う事を認識する必要があるだろう。

次に彼女暴露した出来事として、ブログから引用するが

「SmoooochのパロディでT氏のマスコットキャラを動かした所、有難い事に好評で、

パターン制作しました。ところがT氏が自分趣味GIFを作って欲しいと言ってきたのです。

うご存知かとは思われますが、T氏の嗜好は状態変化系やスカトロフェチという部類で、

「T氏のマスコットキャラのオナラが止まらないで空へ飛んでいくGIFが欲しい」と言われました。

最初制作しようとしたものの、私の嗜好とは違うため思うように筆が進まず、

その度に「まだ?」と催促されたのを覚えています

最終的には呆れられたように「もういい」と言われ、長い制作時間は無かったことになりました。」

という事例がある。そして製作途中のGIFアニメの1コマブログに掲載されている。

はっきり言うが、ブログを読む限りこの一件は「元相方」氏に非があると筆者は考えている。

以下にその理由を列記する。

制作を引き受けたものの、最終的に「原稿が落ちた」と同じ状態になったこと

同人であろうが商業であろうが、依頼を受けて「わかりました」と請け負った以上、それが趣味と合わなくても

完成させることは依頼を受けた人間責任であって、「嗜好と違うから無理」というのは依頼側に「もういい」と言われる前に、依頼を受けた側が謝りながら言う事なのではないのかと思う。

「長い制作時間」をかけても完成しなかったなら催促の声があるのも妥当と言えるだろう。

・間に合わなかった理由としてTa2氏の性癖を理由とした事。

彼女は理由として「T氏の嗜好は状態変化系やスカトロフェチという部類で」と書いているわけだが、

ブログに貼られているGIFの一コマや先ほどの引用から見ても、排泄物を描くわけでもなく、ギャグアニメありがちな描写で、

しかも絵柄もギャグ風なものなのである

これで依頼人の性癖をわざわざ晒し、それを理由にするに値するものなのかは疑問符をつけてもいいものだと思う。


ブログのそれ以降の内容については、Ta2氏の発言・行動について書かれているものの、それに対する証拠が提示されていないため、感想などを書くに値しないと思うが、

それにしても問題点が出てくるもので、

挙句の果てには「コミケで売り子をしていたのはチケット狙いだ」

「(私)とK氏が付き合っているからこの話が出たんだ」等という暴論などを第三者が見られるチャットで書かれました。

勿論、チケット狙いでコミケの手伝いをしていた訳は無く(上記の通りほぼ全ての時間スペースにいました)、

K氏との付き合いもただの友人関係でしかありませんでした。」

のように「事実とは違う暴論を書き込まれた」という非難をしておきながら、

「余談ですが、別れて幾日も経たないうちに当時設置していた拍手ボタンから死ね」等の

コメントが送られてきたことがあり、サイトの解析と照らし合わせたところ、

栃木県plalaからだという事が解りました。

今ではもうこのコメントは削除してしまった為、一体誰が送ったのか真相は未だ謎です。」

と「犯人の正体を誘導し、非難の声を扇動する『証拠の存在しない』事件」について書き込んでいる。


2.オリコ企画絵師暴露について。

これは何の事かと言うと、

BeatmaniaIIDXという音楽ゲームで「オリジナルコース」と言うものを作れる機能が付いたので

誰かが作ったコースを皆で登録して1000人参加のオリジナルコースを目指してみよう!」という企画が頓挫し、

その後にその企画の絵師逆恨みされたと言う事である

詳細は下記のリンク先へどうぞ。(非常に長いです)

http://megalodon.jp/2010-0319-1331-58/www1.atchs.jp/test/read.cgi/912clickagain/1/

この一件、はっきり言うと主催もTa2氏もおかしい。

まず主催とTa2氏の連絡がしっかりできていなかった事(お互いの認識にずれがあったこと)がリンク先の書き込みから分かる。

まり情報共有ができていなかったために宣伝タイミングが早まってしまったといっても良いだろう。

そしてこのとき主催とTa2氏以外の面子が静観し続けた事に問題はないのだろうか。

情報の共有が出来てなくて宣伝を早くやってしまった→主催もTa2氏も叩かれるが過去の行い補正もあってTa2氏のほうが多く叩かれる

→で、なんで企画メンバーは何も言わずに黙ってるわけ?

となるのは自然な事であるし、これで主催や企画自体に対して不信感を持つの自然といえる。

何より馬鹿馬鹿しいのは、「自分サイトの知名度を利用しようとしているだけ」とし、企画を信頼できなくなった事を理由にTa2氏が企画を抜けると発言したとき主催が引きとめようと必死になっていたことと、

実際に企画から抜けた後に他の企画メンバーが「何とか開催はしましょう」と言っているにもかかわらず主催が「中止します…」の一辺倒になったことである

これは主催自体も企画メンバーのことを軽視していたと見られてもおかしくない事態である

さて、サイトの知名度を利用するためだけに企画に呼ばれ、挙句の果てに信用できないからと企画を抜けるまで無難な事しか発言せず、抜けた後にも特に何も言うことなく「残ったメンバー頑張ろう!」なんて言ってるようなメンバー達に悪い感情を抱かない可能性というのはどれほどのものだろうか?


さて、この二つのブログ記事には以上に挙げたような問題点がある。

だがこれらは、問題をさらグダグダにさせかねない要素を持っている。

それは、

最初に挙げた状態変家のM氏の告発と同列に扱う事で、相対的に氏の告発の信頼性及び重要性を下げる事となる」

ということである

ソースを開示し、あくまでも冷静に対応し、そして実力行使にまで及んだ氏の行動は、

ソースがなく、感情が入っていると自分で言ってしまっており、だからといって何らかの手段に出ているわけでもないものと一緒に扱うべきではないのだ。

しかし、一行掲示板2chなどでは「どっちも悪いなんて話題そらしは信者の仕業」「矛先を変えるな」という別の意味で妄信的なレッテル張りによって一蹴され、

これら3つの出来事が同列の説得力を持っていると判断される事態となっているのである

そしてそれに拍車をかけたのが、ニコニコ生放送Ustreamで同時放送されたTeam ZUMMERによる暴露放送「森林伐採である

タイムシフト視聴可)

http://live.nicovideo.jp/watch/lv95493879?ref=community

はっきり言うが、白瀬氏(生放送ではS氏と言われているが)の出番以外に価値がない。

というのも開始からその出番まではTeam ZUMMERの面々による悪口の言い合いであったり、

「潰す気はない」といいながら放送のタイトルが「森林伐採」であったり、

「こんな悪い奴だよ!でも俺たちは潰す気はないよ!(皆の力で潰してね!)」というマスゴミ顔負けの姿勢を出しているかである

これは放送後半に出てきた元相方も似たようなことを言っている。

これでは、本当にバカを扇動するだけにしかならないのだ。


・何故ここまでお粗末な「断罪()」が続くのか。

その理由はいくつかあるだろう。

「言うことは言うけど出るところには出たくないから」とか「責任が発生する行動を出来るだけ避けたいから」とか「単純に理論の持って行き方が下手だから」とかあるだろうけれど、

音ゲーマーだから

という部分もあるのではないだろうか。

元来音ゲーマーというのは「上手い人=無条件にえらい人・信頼できる人」という謎のヒエラルキーを持ち、さら2ch音ゲー板を見れば分かるのだが嫉妬と理由の分からない叩きで溢れている世界の住人である

以前にもDDRランカーがワニワニパニックの筐体を壊したり、ポップン&ユビートランカーが代行ビジネスをやっていたり、ギタドラランカーが筐体を壊す動画をアップしたりしていたが、

何故か「上手いから」「イケメンから」などの謎の理由で擁護されうやむやになった事例も存在した(前者二つ)のである

今回のTa2氏の悪事が今まで誰から告発されなかったのも、「有名サイト管理人=偉い!」という考え方が無意識下にある人が沢山居るから、言い出せなかったのである

今回もそんなものである

結局は状態変家さんの告発を見て「流れは我らにあり!」と勘違いしてツッコミ所多数な暴露を始めて挙句の果てには悪口を言うだけの放送までやって、

それで苦言を呈する人間には「信者!」「自演!」と言っていれば仲間意識があると錯覚して悦に入っているだけなのである

Ta2氏の行いは非常に問題あるものなので、きちんとした手段で粛々と潰そうとすればあっという間に終わる事なのである

にもかかわらず、このようなお粗末な事ばかり続けているのは、「無条件で反論者を叩けて味方も沢山いる現在立場」に陶酔し、その立場を離れたくないと思っているからではないだろうか?

そんな風だから本格的に移住しようとしても移住先をあっさり決めることも出来ず、先に続かない意見ばかりが出ているのではないだろうか?


・結論-カルト対峙するものカルトになるのか

ニーチェ言葉引用する。

「怪物と戦う者は、その過程自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。

深淵のぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

現在の反ぷろとらの流れは、まさにコレに近いものになっている。

コレが続くとすれば、今後「ぷろとらは嫌いだけど、反ぷろとらも嫌い。どっちもポイーで」という人々が少しずつ増えていくのではないだろうか。

例え自分たちの目的から考えると美味しくない話であっても、それはしっかり吟味する必要があるのではないかと筆者は思っている、

そして美味しい大好物にこそ、毒は仕込みやすいのではないのだろうか、とも。



【追記及びお詫び】

TeamZUMMERの暴露放送に参加されたS氏は「黒野白瀬」氏であり、三角州氏ではありませんでした。

間違った内容を掲載してしまい、本当に申し訳ありませんでした。


【追記2】

理由の欄をマイルドな内容に変更しました。

そしてまた、現在の「音ゲーマーだから」という文面だけを見て過剰に反応する人々を見るに、これはいいリトマス試験紙だったのだろうと思います

無意識に「有名なサイトから正しいことを言っているのだろう」と思っていたりとか、今回は今回で「有名な人が集まってTa2氏を叩いてるんだからきっと正しいんだろう、俺も私も叩こう」みたいに思ってる人とかはやはりいるわけなんだなと思ったのでした。

無論、全ての音ゲーマーがそういう意識を持っているというわけではないと思います

しかし、今回「信者」が沢山生まれた事のあるぷろとらドットコムというサイトで起きた問題であり、またその問題の相手も同人サークル同人クリエーターであり、それぞれにそれぞれの妄信的な信者が生まれやすい状況であって、

そんな風だから今回のグダグダ暴露放送に対してリアルタイムで苦言が呈されても黙殺されたり、それ以降の展開もよく分からなくなったりしたのではないでしょうか。

2012-05-22

眠れないのです。

夜。ベッドの中。カーテンを引いて、蛍光灯を消して、まぶたを閉じて。ゆっくり深呼吸をしてみるのです。鼻から息を吸い込んで、肺を満たして、お腹も膨らまして。手の先が、足の先が、脳髄が、すうっと青く、清流のように涼やかになるのを感じてみても、だめなのです。やはり。だめだったのです。

眠れない。睡眠というものに引きずり込まれない。

疲れていないからだとか、カフェインの摂り過ぎだとか、日頃の生活が自堕落だとか。当て嵌めることのできる理由原因は多々あるように思えます。日々の生活が自堕落で、ひび割れた白磁のごとく大量の珈琲を啜る中毒者は、ろくに働きもしない穀潰ししかなく、同時に何者でもない、没個性的な、凡凡人未満でしかないのです。故に、極ごく平均的な成人が晒されている、日常的な疲労からは程遠い生活を送っている。

しかしながら。それにしてみても、眠れない。ひどく。断固として。眠られないのです。

暗闇の中で深呼吸しまぶたを閉じると、ぽつぽつと、無秩序な幾何学模様が浮かび上がってくるのです。あるいは、とても醜悪な醜怪極まりない密集が浮かんでくる。てらてらと膨れ上がった小さな小さな黄白色の突起が、わっと眼前に広がってふるふると震えているような画面が、姿を変えて形を変えて、次から次へと展開していくのです。

あるいは、蛍光緑に染まった何かしらの表面に穿たれた無数の窪み。延々とサークルが近づいていたと思えば、突如としてデルタが積み上がっていく。標識は零に置き換わり、麦わら帽子を被った縦列の二つ目に、無味乾燥眼差しを向け続けられる。

ゆめのような、まっことゆめのようなイメージが、次から次へと、流れては消え、移ろい、変遷していくために、ちっとも落ち着くことなんてできないのです。

ですから、例えば、羊を、柵を飛び越えていく長毛を纏った獣の姿を、諄々に思い浮かべようにも、転々と変化する脈絡のないイメージからは逃れるすべなどなく、横切る羊の眼に顕微鏡が向けられるやいなや、拡大に拡大を重ねたイメージはすぐさま瞳孔へと呑み込まれて、落ち込んだ暗闇の中で新たな表象対峙するはめになる。

別段、精神的に参っているわけでも、心理的に煩っているわけでもないのです。ただただ眠られない。ひたすらに。純粋に。それだけのことなのです。ちょっとした、些細な物事なのです。

私は明け方の鳥が嫌いです。朝一番の鳴き声が、しんしん耳朶に染み入ってくる気配が、空を切り夜を引き裂く一声が響き渡る振幅が、受け付けられないのです。

動き出す町並も。目覚めゆく群衆も。苦手で。疎ましくて。心がどんどん灰色になっていく。

眠られない。

ただそれだけのことのために。嫌いな物ごとが増えてしまうのです。

夜明けは、だから少しだけ、さみしい。済んだ空気は、どんな時でもひんやりと冷たく感じられるのです。

2012-03-05

僧侶リア充呪われろ」感想

http://blog.livedoor.jp/minnanohimatubushi/archives/1757512.html?1330947220

久し振りに良いSSを読ませて貰った。軽い気持ちで読みはじめたのにいろいろと考えさせられた。ロードス島を思い出して懐かしくもなった。ありがとう

私自身僧侶のような経験をしたことがある。その時聞こえてきた他人への怨嗟は、結局自分への怨嗟であると気づいた時愕然としたものだ。故に僧侶の陥る「なんで?」という、自分の「足りなさ」からくる苦しみに共感し、そしてそれ故に魔王の場面では手に汗握った。はたしてこの主人公は乗り越えられるのかと。置いて行かれた、という想いは、同時に置いて行かせたという後悔でもある。主人公は友人達の弱さも知っていたのだから。「選ばれてしまった」が故にその重圧から逃れるため「選ばれた自分」として振る舞うしかなかった弱い勇者達。僧侶ははたしてそこに気付き彼等を「赦せ」るのか、と。杞憂だった。僧侶は目に見える形での強さとそこに生まれる妬みや恐怖といった人の弱さを利用し怨嗟の渦に巻き込んでいこうとする「悪意」そのもの対峙し、その真なる根源を呪い打ち勝った。勇者や街の人々、世界の姿、全てが「そう在らざるを得なかった」状況の元凶と対峙するその姿は正に「僧侶」であったといえるだろう。人の生まれし時から死ぬ時まで、自身を捧げその性と向き合い続ける生き方なのだから。そこをぶれずに描ききった筆者に敬意を表する。

また、僧侶職能である懺悔」は呪いにも似ていると感じさせられた。「懺悔」とは罪を共有しその贖罪を神に代わり見届け、罪を犯した者自身が自身を赦せるようにつきそう技だ。赦し勇者への「最初最後呪い」は「ルルーシュ二期」の最後彷彿とさせるもので、真実を唯知り、自身の存在を隠匿することで赦しをその生き様に問う。これはこれ以上ない呪いであり、清々すると同時に、僧侶の心を想うと切なかった。女戦士も、「特別な人に特別だと想われる」ことがアイデン手ティで在ったが故に、また呪いから逃れきれない。役割から逃れることが出来ない、全うすることでしか許されない呪い。「もっと痛めつけろ」というコメントを散見するが、これ以上のモノはないだろう。

魔法使いとの「約束」は、尚切ない。これは僧侶自身の「懺悔」でもある。「好きだ」という想いを伝えられなかったこと、それを伝えていればなにか変わったのかも知れないという想いが透けて、そしてそれはもう帰ることの出来ない過去である。この約束を信じ切ることが出来ないことを僧侶自身知っている。今、自分の罪を悔いて許しを請うても自分が赦されることがないことを、そしてそれでも尚、贖罪として待つことを赦してくれた僧侶の優しさを女魔法使い自身知っている。なにより、彼等は互いと自身の狡さを知っている。縋りたい気持ち、赦されたいと思う気持ちを利用していることを、全て吐露して楽になりたいという自身の弱さを知った上で見つめてくれることを。僧侶は「世界を呪う呪い」を一生抱えて生きていくために充分だと思える言葉が、愛する人が居ると信じる心を預ける場所が欲しかった。女魔法使い過去の罪を抱えそれでも生きていく為に心の拠り所が、赦される未来への希望が欲しかった。そして消せない過去の上、約束をするには遅すぎた別れの時間の中、それでも交わす約束。「愛した」が故、「愛された」が故の、「待たせる」、「待つ」という互いの心を此処に縛る呪い。そしてそこへ赦しが、互いに訪れる日が来るのか、正に神のみぞ知るところである

最後門番との会話には希望が見える。彼自身が自身を赦すための旅路にふさわしい。赦すとは愛すると言うことだ。そしてその為には愛されると言うことを信じられるようにならねばならない。彼の旅路に祝福を

2012-03-04

中学生 「何で本は読まなきゃいけなくて、漫画ダメなの?」につい

考えなしの大人が「本を読め」と言ったりするが、幼稚園の頃や小学生低学年までに

本の読み聞かせなどして、物語言葉だけで浮けとる訓練をされていない子が読書

習慣など持つ訳がない。

”本を読む子は賢い子”と言う先入観が言わせる台詞だ。

本を読む子が賢いのではない。賢い子が本を読むのだ。

大体、どう言う本を読めといえない時点で親も読書の習慣ないとしか思えない。

それならまだ”漫画”で物語を楽しんでる方がいい。

スプーンしか食事できないより箸が使えた方が良いよね。程度には本が読めた方が良い。

フランス料理フォークナイフが使えるそんなレベル読書など出来なくて良い。

国語テストで平均点が取れるくらいの実力があれば問題ない。

本はお酒と同じで、多少嗜める程度で問題無いのだ。

呑兵衛ならぬ読兵衛な活字中毒者の感想だ。

読書は、知識と経験が無いと楽しめない。知識と経験を総動員して堪能するのだ。

だがこれは一種のスキルなのかもしれないと思ったはてブがあった。

推理小説の有名どころを挙げられても、読んでもちっとも面白くないと言う人物

が居たのだ。本読みは同じように堪能出来る物と思っていたが本が読めるのと、

本を面白がれるのは全く別の才能じゃないかと気づいたのだ。

から本を楽しむ能力の無い人に本を読めと言うのは苦行を与える様な物だろう。

必要な読解力が備わっていれば無理に本を読む必要は無いのだ。

大体、人は自分の望む物しか読まない。それは人を偏らせ害と為す。

活字中毒だった自分学生時代は本ばかり読んでいた。

勝手脳内補完する癖がついていて対人コミュニケーションが壊滅的だった。

から本は人の糧にもなるが、溺らして人の成長を阻害することにもなる。

中学時代勝目梓菊池正行、菊地秀行志茂田景樹なども良く読んでいた。

結構エロティック投稿写真も見向きしなかった程だ。

から、親が本を知らないと漫画以上に害になるのだ。

読んではいないが、都知事の障子ちんぽな本も中学生の子供に読ませたい物で

はないだろう。

架空戦記なども、超兵器があれば一発逆転的な作品が多く、宇宙戦艦ヤマト

ガンダム等の一機の超兵器が戦況変えるなんてファンタジーが強調されてたり

する。

現役の自衛隊幹部が少数精鋭で航空機を揃えるな宣うバカが居たり、自分達の

造ったファンタジーに酔いしれてたりする。10億人の国に対峙するのにだ。

軍事は質と量なのに!!

話がそれてしまったが、結局本は本人の能力程度にしか読めないのだ。

そこら辺は周囲の人間が子の能力を伸ばしてあげないとどうし様もない。

漫画でも本でも読んでいたら、どう面白かったか聞いてあげたりするべきだ。

そうすることで読む力はついていく。

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