連日、例の事件についての詳細な顛末や、それに対する意見がタイムラインを騒がせている。
はっきり言って、目に入れたくない、とすら思う。
彼の孤独を思うと、居たたまれない。
彼だけじゃない。この世界には、今も彼のように、毎日罵声を浴びさせられ、暴力を受け、この世の地獄のような孤独を味わっている人間がいる。
私はまだ良いんですよ。仕事でミスをしておばさん達に嘲笑されたり、こそこそ陰口を言われてるんじゃないかとびくびくしたりしても、甘えられる恋人がいるし、冗談を言い合える友達が(ネットのだけど)いるんですよね。
でも、彼にはそれがいないんです。孤独なんです。誰ひとり助けてくれない。親も先生も周りの人間も助けてくれないし、助けてって言えないんですよね。
どうして助けてって言えないかって、自分が悪いと思ってるからですよ。逃げても良いんだよ、とか君は悪くない、と言われたって、誰より自分が、自分のことを許せないんですよ。
だって許せる訳ないじゃないですか。学生の頃のクラスなんて世界そのものですよ。世界中の全ての人から嫌われたり殴られたり無視されたり罵声を浴びさせられるような自分を、どうやって許せって言うんでしょう。誰にも愛されず、得に良いところも無く、人に嫌われる要素しかない自分を、どうやって許せって言うんでしょう。そんな風に自分が嫌われる存在であるってことを、大事な親にどう言えって言うんでしょう。
例えその場から逃げて、高校を辞めたとして、就職活動の時に「高校を辞めるような奴はちょっと」「いじめられるようなやつはちょっと」って言われ続けるんですよ。これつまりみんなに嫌われていじめられて高校を辞めるような奴は悪だってことじゃないですか。企業だって他人に嫌われるような奴なんてそりゃ採用したくないですよ。「一緒に働きたいと思う人」つまり他人に愛されるような人を雇いたいと言うことですよ。やっぱりいじめられるようなみんなに嫌われるような俺は生きてちゃ駄目なんだって思っちゃいますよ。
結婚する時だって、相手の親にさあ会うぞって時に、こんな、大勢から嫌われて、馬頭されるような人間で恥ずかしいと思ってしまいますよ。
常にそうです。いかにも明るくて、話し上手で、友達が多そうな人間と対峙する時に、ああ、私は皆に愛されない存在ですと言う負い目を感じ続ける。
いじめられるような人間であると言うことは、負い目として、罪として、その人の中で生き続けてしまうのではないでしょうか。
結局この世は弱肉強食なんです。どんな屑みたいなことをしても、他人からの寵愛を受け取り、自分を許せるやつもいる。そんな奴に「自分が駄目なんだ」って思ってしまうような奴が太刀打ちできる訳ないじゃないですか。
自分を責める正直者がバカを見て、自分の非を認めない、自分が正しいのだと思いこめる人間がしあわせに生きていける。
そんな事実を目の当たりに突きつけられているような感じがして、今回の事件はちょっと情報が入ってくるのすらいやで、目を背けてしまいたくなります。
ああ、私も器用で、当たり前のように愛され、自分は悪くないのだと胸を張って言えるような人間に生まれ育ちたかった。少しでも他人に負い目を感じずに生きていたかった。
あの時君のように死ねなかった私は今もこんな気持ちを笑顔の奥底に隠して暮しています。
それでも普段は笑っていられるだけましなのか、やっぱり死んだほうがマシなのか、私には良くわかりません。
お前が一人ならお前が生きようが死のうがどうでもいいよって感じだが、 お前の恋人がかわいそうなのでうじうじしないで生きろ。 恋人が不幸そうにしている事こそ嫌なものはない。 ...
何が恋人だ。ふざけるな。 だまって消えろ。
自分は愛されている いじめで殺されてやつとは違うんだってか 愛され自慢は自分の手帳にでも書いてろよクソが http://anond.hatelabo.jp/20120709002055