http://blog.livedoor.jp/minnanohimatubushi/archives/1757512.html?1330947220
久し振りに良いSSを読ませて貰った。軽い気持ちで読みはじめたのにいろいろと考えさせられた。ロードス島を思い出して懐かしくもなった。ありがとう。
私自身、僧侶のような経験をしたことがある。その時聞こえてきた他人への怨嗟は、結局自分への怨嗟であると気づいた時愕然としたものだ。故に僧侶の陥る「なんで?」という、自分の「足りなさ」からくる苦しみに共感し、そしてそれ故に魔王の場面では手に汗握った。はたしてこの主人公は乗り越えられるのかと。置いて行かれた、という想いは、同時に置いて行かせたという後悔でもある。主人公は友人達の弱さも知っていたのだから。「選ばれてしまった」が故にその重圧から逃れるため「選ばれた自分」として振る舞うしかなかった弱い勇者達。僧侶ははたしてそこに気付き彼等を「赦せ」るのか、と。杞憂だった。僧侶は目に見える形での強さとそこに生まれる妬みや恐怖といった人の弱さを利用し怨嗟の渦に巻き込んでいこうとする「悪意」そのものと対峙し、その真なる根源を呪い打ち勝った。勇者や街の人々、世界の姿、全てが「そう在らざるを得なかった」状況の元凶と対峙するその姿は正に「僧侶」であったといえるだろう。人の生まれし時から死ぬ時まで、自身を捧げその性と向き合い続ける生き方なのだから。そこをぶれずに描ききった筆者に敬意を表する。
また、僧侶の職能である「懺悔」は呪いにも似ていると感じさせられた。「懺悔」とは罪を共有しその贖罪を神に代わり見届け、罪を犯した者自身が自身を赦せるようにつきそう技だ。赦し勇者への「最初で最後の呪い」は「ルルーシュ二期」の最後を彷彿とさせるもので、真実を唯知り、自身の存在を隠匿することで赦しをその生き様に問う。これはこれ以上ない呪いであり、清々すると同時に、僧侶の心を想うと切なかった。女戦士も、「特別な人に特別だと想われる」ことがアイデン手ティで在ったが故に、また呪いから逃れきれない。役割から逃れることが出来ない、全うすることでしか許されない呪い。「もっと痛めつけろ」というコメントを散見するが、これ以上のモノはないだろう。
女魔法使いとの「約束」は、尚切ない。これは僧侶自身の「懺悔」でもある。「好きだ」という想いを伝えられなかったこと、それを伝えていればなにか変わったのかも知れないという想いが透けて、そしてそれはもう帰ることの出来ない過去である。この約束を信じ切ることが出来ないことを僧侶自身知っている。今、自分の罪を悔いて許しを請うても自分が赦されることがないことを、そしてそれでも尚、贖罪として待つことを赦してくれた僧侶の優しさを女魔法使い自身知っている。なにより、彼等は互いと自身の狡さを知っている。縋りたい気持ち、赦されたいと思う気持ちを利用していることを、全て吐露して楽になりたいという自身の弱さを知った上で見つめてくれることを。僧侶は「世界を呪う呪い」を一生抱えて生きていくために充分だと思える言葉が、愛する人が居ると信じる心を預ける場所が欲しかった。女魔法使いは過去の罪を抱えそれでも生きていく為に心の拠り所が、赦される未来への希望が欲しかった。そして消せない過去の上、約束をするには遅すぎた別れの時間の中、それでも交わす約束。「愛した」が故、「愛された」が故の、「待たせる」、「待つ」という互いの心を此処に縛る呪い。そしてそこへ赦しが、互いに訪れる日が来るのか、正に神のみぞ知るところである。
最後、門番との会話には希望が見える。彼自身が自身を赦すための旅路にふさわしい。赦すとは愛すると言うことだ。そしてその為には愛されると言うことを信じられるようにならねばならない。彼の旅路に祝福を