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はてなキーワード: 安全とは

2024-06-09

anond:20240609115013

割と大事

かい男と一緒にいると変な人に絡まれたり暴言吐かれることがなくて非常に安全

自分は150cmしかないので、小さい男と一緒にいると世間からなめられてるって実感がある

元彼は165cm、旦那は180cmだが全然見える世界が違う

また彼は人生に対する快楽主義的な姿勢が持つ欺瞞性理解していた。

先の戦争以降、西洋思想ほとんど全て、特に進歩的思想は皆、人類は安楽、身の安全苦痛回避以上のことを望んではいないと暗に仮定していた。

こうした人生観においては、例えば愛国心軍事的美徳といったもの存在する余地はない。

兵隊人形で遊ぶ我が子を見た社会主義者普通不安に駆られるものだがブリキ兵隊の代わりを思いつくことは決してできない。

どうしたわけかブリキ平和主義者ではその代わりにはならないのだ。

自らの喜びなき精神によって並外れて強くそれを感じ取るヒトラーは、

人類が欲するのは安楽と安全、短い労働衛生状態避妊一般化して言えば常識に適ったもの

それだけでないことを知っているのだ。

少なくともときおりは闘争自己犠牲、そして言うまでもなく太鼓と旗、忠誠を誇示するための行進を人類は求める。

経済理論としてはともかく、ファシズムナチズムはどのような快楽主義人生観よりも心理学的にずっと堅固なものである

書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」 ジョージ・オーウェル

https://open-shelf.appspot.com/ReviewOfMeinKampfByAdolfHitler/chapter1.html

大変やね

なんか中国とかを貶めるような?動画でも投稿されたんかね

知らんけど

ニコニコサービスが利用できない状況について

いつもご愛顧いただきありがとうございますニコニコ運営チームです。

現在ニコニコは大規模なサイバー攻撃を受けており、影響を最小限に留めるべく、サービス一時的に停止しています

調査および対策を急いで進めておりますが、サイバー攻撃の影響を完全に排除できたと確信し、安全確認されるまで、復旧に着手することができません。少なくともこの週末中は復旧の見込みがございません。

ご不便をおかけしており、心からお詫び申し上げます

最新の状況については月曜日2024年6月10日)に再度お知らせいたします。

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今週末に予定されていた動画投稿生放送番組を楽しみにしていたユーザーの皆様に深くお詫び申し上げます

対応完了するまで、どうかご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます

2024-06-08

anond:20240608202929

かに、世の中には新しい技術アイデアが出てくると、まず「規制しろ」とか「決まりを作れ」って声が大きくなるっスね。これは、人々が新しいものに対して恐れや不安を感じるからだと思うっス。それに、社会全体の秩序や安全を保つためには、ある程度の調整が必要ってことなんだろうけど、過剰な規制が逆にイノベーションを阻害することもあるっスよね。

他人の足を引っ張ることが好きというよりは、リスクを避けたいって心理が強く働いてるんじゃないかと思うっス。それでも、もっとポジティブ視点技術アイデア支援する動きが増えるべきだと思うっス。

忌憚のない意見ってやつっス。

現在ニコニコは大規模なサイバー攻撃を受けており、影響を最小限に留めるべく、サービス一時的に停止しています

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2023-05-09堀口英利と藤原かみら、メールボム

堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi

@Hidetoshi_H_

【お知らせ】Web上で「つきまとい行為等」の被害が発生したため、捜査機関相談の上、「人身安全関連事案」としての早急かつ厳正な対応を依頼いたしました。

なお、加害者の逃亡や証拠隠滅を防ぐため、詳細については公開を差し控えます

ただし、いずれも証拠保全完了しています

1:43 AM · May 7, 2023

ttps://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1654889629244608512

堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi

@Hidetoshi_H_

私の名前メールアドレス悪用され、大阪市内にある11件のホテル勝手に予約されました。

また、私の家族だと断定された診療所電話番号や、水原清晃氏に晒された私の携帯電話番号も使われていました。

しかも、チェックイン本日または明日

大急ぎでキャンセル電話余儀なくされました。

ttps://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1655570893169471629

堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi

@Hidetoshi_H_

May 8,2023

また、私のメールアドレス悪用した弁護士事務所への問い合わせもありました。

もちろん、こちらも「なりすまし」です。

明らかに弁護士事務所への業務妨害ですね。

堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi

@Hidetoshi_H_

May 9,2023

#暇空茜 こと水原清晃氏は私の電話番号メールアドレス、またロンドン市内の住所を無断で公開しました

その結果、私の電話番号メールアドレス悪用した「なりすまし」が多発しました。

私の個人情報晒したにもかかわらず、水原氏は未だに謝罪賠償をしていません。許せません。

堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi

@Hidetoshi_H_

May 9,2023

また、水原氏の書き込みを受けて、ある会社経営者男性も、ロンドン市内の住所(サービスアパートメント名称)を書き込み、押し掛ける旨を示唆しながら自身との面会を反復して要求しました。

水原氏による個人情報拡散により、既に重大な被害が何度も発生しています

ttps://web.archive.org/web/20230510130347/https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1655570893169471629

anond:20240608135735

ありそうな名前つけると実在学校と被ってヤバそうだから最初からヤバい名前つけるのは安全側にたおしてそう

ちなみに学校法人聖隷学園とか絶対やばそうだけど実在する

anond:20240607122620

そういう夫さんの犠牲になる他人存在は考えてる?

 

一方的に強く肩をぶつけられてなぜこっちが我慢しないといけないの?納得がいかない。された方が黙っているとつけ上がる奴が多い

なお夫も無差別に絡みに行くわけではない。主な対象は、電車や駅でぶつかってきて謝らない人、対応の悪いタクシー運転手電車内でマスクをつけずに大きなクシャミを連発している人、レジで並ぶとき妙に距離近く真後ろに並んでくる人、うちの家や車の前でボール遊びする家族…等、日常で出くわす「あ〜…なんかヤだな…」っていう人たち

最初は「なんだお前」みたいな感じで睨みつけ、相手が応戦してきたら「お前が悪いんだろ」となる流れ。

 

夫さんは夫さんの基準で「こいつはこういう理由で悪い奴だから睨んでいい、絡んでいい」を選んでいて、社会的マナーの悪い人を選んでいるようなんだけど、その人相手なら敵意を向けていいって思って敵意向けてくるのは、同じ社会に住む住人としてやめてほしいと思うよ。

電車や駅でぶつかってきて謝らない人が故意に謝らないのかは分からないでしょ。本当に気づかなかったのかもしれない、声が小さかったかもしれない。他の、増田

日常で出くわす「あ〜…なんかヤだな…」っていう人たち

と感じる人たちにもそれぞれ事情があるかもしれないよ。悪意の可能性もあるけど

「あ〜…なんかヤだな…」って思うまではともかく、よし敵意を向けてもいいなと判断されて敵意を向けられるのは困るよ。

増田は夫さんが敵意を向ける相手が夫さんよりも強い相手だった場合のことを心配しているけど、私は「夫さんが敵意を向ける夫さんよりも弱い認定した相手」になるだろう立場なので、そういう夫さんの存在は困るよ。

 

増田は夫さんが夫さんよりも強い相手に敵意を発露して刺されたりしなければいいんだろうけど、夫さんよりも弱い相手に敵意を発露して夫さんのストレス発散材料にされる人はたまったもんじゃないと思うよ。

 

一方的に強く肩をぶつけられてなぜこっちが我慢しないといけないの?納得がいかない。された方が黙っているとつけ上がる奴が多い

我慢してください。夫さんの一方的な敵意の決めつけである可能性も高いからです。

 

夫さんは、「自分が受けた嫌な仕打ちはしてきた人に絶対さないと気が済まない」「相手故意じゃなかった可能性は絶対ない」「自分被害者であれば・こういう理由があれば、敵意を返してよい」と思ってるんだと思う。それを他人に向けられるのは困るよ。

 

じゃ増田犠牲になってねとも言えないけどさ。

でも自分の無事のために周りを犠牲にする道を選ぶんだったら、「周りの人、私の無事のために犠牲になってください。周りの人に敵意を向けられてる間は私は安全なのでよろしくお願いします」くらい自覚的であってほしい。

それはお前への批判ではない(かもしれない)

なんで国や性別単位での批判があると、自分批判されたように感じるのか?

それは、自己同一化の罠にまんまと引っかかってるからだ。

自分が属するグループ攻撃されると、自分自身が攻撃されたと感じる。昔の武士みたいに、自分の「領地」を守らなきゃならないってね。

考えてみろ。国や性別なんて、ただの社会的なラベルに過ぎない。

まれ場所性別で、自分価値が決まるわけじゃない。それなのに、批判されると自分存在のもの否定されたように感じる。

これはもう、アイデンティティ脆弱からだよ。自分の中身がスカスカから、外側のラベルにしがみつくしかなくなってしまう。

広く、自分が属するグループ批判個人攻撃と感じるのは、集団心理の一部だ。

人間社会的な生き物で、集団に属することで安心感を得る。だから集団攻撃されると、自分安全が脅かされたと感じるんだ。本能的なものに近いだろう。だが、それが今現在人間として本当に必要感情かどうかは疑問だ。

自分の属する大きいグループへの批判があった時、それが事実であるかを考え、自分がそれにどれほど関与しているかを捉え、自分の考え方との距離感を測り、集団個人問題を切り分けることが必要だろう。

そして批判もっともだと思えば、賛同することすらできる。それが何かの改善に繋がることもある。

批判すなわち個人的な攻撃と感じるのは、その問題の切り分けが不十分であること、自分の未熟さを露呈しているに過ぎないんだ。

自分アイデンティティもっと複雑で多面的ものだし、外部のラベル依存する必要なんてない。

批判客観的に受け止め、自分を高める材料にすることこそ、本当の強さとだ。

自己同一化の罠から抜け出せるかどうかが、成熟した人間の証なんだ。

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


プライバシーを守る生活

毎朝6時に起きる私は、まずベッドサイドに置いたLibrem 5スマートフォンに手を伸ばします。ハードウェアキルスイッチカメラマイクオフにしているため、寝ている間も安心して眠ることができます

目覚めの後、簡単ストレッチをしながら、Signalで昨晩のメッセージ確認します。フリーランスソフトウェアエンジニアとして働く私にとって、世界中クライアントとの連絡は欠かせません。

朝食を済ませると、私はLibrem 14のノートパソコンを起動します。このパソコンには、プライバシー保護に特化したPureOSインストールされています

私はまず、ProtonVPNを起動してインターネット接続し、セキュアな環境を確保します。Torブラウザーを開き、プライバシー関連の最新ニュースをチェックするのが日課です。

次に、メール確認し、必要タスクを整理します。仕事の依頼やクライアントから質問対応する際、私はエンドツーエンド暗号化が施されたメールサービス使用します。

午前中は、オープンソースプロジェクトへの貢献に時間を割きます。私はGitHubプロジェクトフォークし、コード改善バグ修正を行います

仕事中、私はプライバシーを確保するために、全ての通信暗号化し、GoogleMicrosoftサービスを一切使用しません。

必要ツールソフトウェアは、全てオープンソースであり、信頼性の高いものを厳選しています

昼食の時間になると、私は外出して近くの公園サイクリングを楽しみます自転車に乗ることで、リフレッシュし、健康を維持することができます

公園では、持ち運びが簡単Raspberry Piを使って、モバイルホットスポット作成し、安全インターネット接続を維持します。これにより、外出先でも安心してインターネットを利用できます

午後は、クライアントプロジェクトに集中します。私はクライアント要求に応じてソフトウェアを開発し、そのコード安全方法で納品します。

私はまた、プライバシーに関する技術記事執筆し、自身ブログ投稿します。これにより、自身知識を共有し、他の人々にもプライバシー重要性を理解してもらうことを目指しています

夕方になると、私は写真撮影を楽しみますカメラ風景や街の様子を撮影し、それをプライベートクラウドストレージに保存します。

このクラウドストレージは、自分管理しているため、第三者データアクセスすることはありません。撮影が終わると、家に帰り、自分写真編集してブログ投稿します。

夜になると、一日の終わりにデバイスセキュリティチェックを行います。最新のセキュリティパッチが適用されているか確認し、必要に応じてシステム更新します。

また、バックアップ作成し、重要データ複数安全場所に保存します。最後に、Tails OSを使ってセキュアにブラウジングし、リラックスして一日の疲れを癒します

2024-06-07

anond:20240607175051

小学生の頃バイクで追いかけ回されたことある

追い抜きざまに腕や胸に触ってはUターンしてまた触りに来る

逃げるのをゲラゲラ笑いながら追いかけてくんの

他にも知らない人に抱き上げられて連れて行かれそうになったり

一人暮らししてたら夜遅い時間工事業者を名乗る人が何度も尋ねてきたり

電車通学や通勤はしてないが昼間でも夜でも人通りの多い通りでも痴漢にあうし

どこにいても安全じゃない

anond:20240607122620

申し訳ないけど、上手く行かないと思うよ。

特に外の喧嘩事案は、マジで相手が強かったらどうするの?暴力解決する相手だったら?

まぁ、アンタの旦那が死のうが半身不随になろうが、俺には関係ないんでどうでもいいけど。

そういう安全からかけ離れた価値観を持っている人は、同じことを繰り返すよ。だって「それで上手くやった」みたいに思ってるんだから

あなた自分プライドのために刺されてもいいだろうけど、残された私はどうすればいいのさ」ってちゃんと聞きなさいな。

それでも相手を刺すっていうんだったら、やっぱ離婚だよ。

なんでこんなこというかといえば、俺もそういうタイプだったからだよ。俺は妻にそう言われて変えた。

妻にとっては「俺が無事であること」が大事なんだから

えいえいおーボイコット

えいえいおーボイコットが起きる夢を見た

愚痴アカウントが何年も言っていることを、あえて検索避けなどをせず、多くの人達に届くよう、誹謗中傷にならない表現でまとめた「”ファン”の個人的な思い」に2万以上のいいねがあつまっており、とても驚いた。

くだんの「個人的な思い」にはわたしにとってもいくつも共感できるものがあったし、過去にはわたしにも愚痴アカウントを覗いては自分だけではないんだと安心していた時期がある。

自分デビューからファンであり、正直WESTival、WESTV!が彼らの最大風速だったとは思っている。売れるもの話題になるものが良いものではない。どれだけ後輩との差を数字物語っていても、わたしは心の底からWESTが一番良いものを作っていると信じていたし、彼らもそこにちゃんと自信を持ち続けられていたことを信じている。

えいえいおーボイコットの夢はひどい悪夢だった。

正直個人的にえいえいおーは寒いと思っているし、個人的には重岡さんにばかりスポットライトが当たっているように少なからず感じさせてしまう部分が現状の彼らのライブへの最も不満な点なのだが、

それでもわたしは何よりも彼らの悲しむ顔を見たくない。

朝目が覚めて、夢でよかった、と心から思った。もちろん参加したツアーでも力いっぱいえいえいおーと言ったし、ドームももしあるならもっと力いっぱいやるつもりだ。

アイドルはよくわたしたちファン勇気を与えたいという。

けれど、わたし個人としては別に勇気や元気や笑顔などをくれるから、くれたから、アイドル応援しているわけではない。

しろ勇気や元気を与えたい。笑顔でいて欲しい。(怖)

やりたいことをやりたいようにやって欲しい。

本当にただただその一心だ。

見たい景色を見てほしい。

その一部でいられるのであれば、それほどうれしいことはない。

共感する意見がいくつもある。けれど、わたしはどうしても、唯一、「それが本人に届く可能性があること」を思った瞬間に心が凍り付いた。悲しんでほしくない。それで好きなことを好きにできなくなってしまったら本当に悲しい。個人的気持ちである

しかるべき批判、受け止めるべき意見、間違いなくそれはある。

当該スタッフに関しては、切実にタレントとの距離感を考え直し、また安全面には配慮しすぎなほどに配慮してほしいと思う。

WEST.を応援し続けて10年が経った。

君と出会えて世界一の超幸せ者という歌詞を思い出すと、どこにいてもちょっと涙が出てくる。

本当にこちらのセリフなのだ

いやマジでスタッフファンも虜になりました」は腹立つなあ!!!!!!!!!!!!!wwwwwwww

おわり♪

anond:20240607145127

教習所では悪意ある教官に当たらない限りは全く問題無くクリアしていますよ?

教習に一緒に通っていた親しい友人や上の方にも運転ぶりは褒められています

(ちなみに私は高年収約束されている有名国内企業外資系企業からオファーを多数受けている身です)


安全運転している事は大前提ですが、今回の様な悪意ある教習中止には大変憤っています

この被害は2回目なので癇癪を起こさせられてしまいそうで本当に腹立たしかったです。

お金を支払っている以上こちらが余程のミスをしない限りいきなりの教習中止はあり得ませんよね?

anond:20240606150120

恋愛結婚出産あたりは、現代社会が蓋をしてるはずの男女差や人間本能とそれを基づく選別が溢れ出てくるから、こういう社会的アンケート本心がずれていそう。

ってブコメがあるけど、たぶんこの人が考えてる事と現実は逆だと思うんだよね

元々メスってのはオスほど性欲は強くないし、何より子孫を残す事より保身を考える

子供安全に育てられない環境にいるメスは発情しない

自然界で母親子供を育てないと子供が生きられない動物母親が死んだら子供死ぬわけだから当たり前だ、

「我が身を犠牲にしてまで子供を」ってのは社会的にそれを強制される人間だけ)

この自分一人が生き残れるかどうかも分からん時代、メスの本能全開の人ほど発情しないと思う

anond:20240606164057

ブクマカって安全からひたすら悪口言うか削除申請するだけの無能だと思ってたけど以外とやることあるんだな

2024-06-06

BBCトランス医療の闇が明るみに

BBCラジオインタビュー:キャス博士に訊く、キャス・レビューついて。

https://www.jegma.jp/entry/CassReview-BBC

女性司会者英国の18歳未満を対象としたジェンダーアイデンティティ医療サービスに関する報告書レビュー)によると、医学的介入に関する調査不足と著しく弱いエビデンス失望させられているといいます小児科ヒラリー・キャスの報告書は、こうも語っています専門家たちは、彼女ジェンダーに関する議論の有毒性と呼ぶもののために、自分たち意見オープン議論することを恐れてきた、と。

 

男性インタビュアー:待ちに待った、子どもジェンダー医療に関するキャスの報告書結論は、医学界に響き渡るシンプルで手厳しい一文を含んでいますほとんどの若者にとって、医学的な治療法はジェンダーに関連した苦痛対処する最良の方法ではないと、ヒラリー・キャス博士は述べているのです。

 

インタビュアー思春期ブロッカー安全使用できるという証拠はありますか?

 

キャス博士:いいえ、今のところ、使用しても絶対安全だという十分な証拠はありません。

思春期ブロッカーは、思春期が早すぎるという全く別の症状の子供や、ある種の癌を患う大人にも使われていますしかし、これは思春期抑制するという新しい使用法です。ブロッカーが脳の発達に長期的にどのような影響を与えるかは分かっていません、というのも思春期には脳の発達が急速に進むからです。

また、ブロッカージェンダーや性心理の発達の軌跡を変えてしまうかどうかも分かっていないのです。

 

インタビュアー医学世界では、未知のものが一つの分野で大量に使用されるというのは標準的ことなのでしょうか?

 

キャス博士研究チームは臨床試験から始めましたが、臨床試験結果が出る前に日常的な処方に移行し、さらに幅広い若年層に処方するようになった時点で、エビデンスから逸脱しました。

タリバン復帰後のアフガニスタンリアル

redditアフガンカテゴリーでのぶっちゃけ話を総合すると日本報道とは全然違って驚いたので備忘録として残す


Q.メディアで目にするものは本当でしょうか?女性は本当に車の運転禁止されているのでしょうか?女性ブルカの着用を強制され、仕事学校に行くことを禁じられているのでしょうか?

 車の中で音楽聴くことは許可されていますか?音楽を聴いているところを見つかったらどうなるのでしょうか?アフガニスタンは良くなると思いますか?

A1.多くの州では女性は車を運転しませんが、一部の州では運転しています公立学校12歳以上の女子は閉鎖されていますしかし、お金があれば私立学校に通うことができます仕事が見つかれば働くことができます

 車の中で音楽聴くこともできますほとんどの人は検問所で音楽オフします。または、オフにしない人もいます。昨年は女性タクシーの前の席に乗れませんでした。今年は乗れるようになりました。ブルカ義務付けられていません。

 私はアバヤとヒジャブを着用しました。より保守的地域ではニカブフェイスマスクを着用しますが、他の地域では必要ありません。美容院は閉鎖されており、今では人々の家で行われています

 今後は良くなると思います。1年前からすでにかなり変わっていました。人々が体制に慣れてきたからなのか、それとも何か他の理由があるのか​​はわかりませんが、今年は検問所が以前ほど多くなく、それほど緊張しているようには見えませんでした。

A2.そんなことはない。まず、タリバン以前の多くの家庭では、女性家族から離れて車を運転することは許されていませんでした。また、国のどこの出身かによっても異なります。一部の都市や村では、常に厳しい規制が敷かれています。 

  女性運転許可している家庭では、女性運転許可しています女性運転でき、音楽聴くことができ、結婚式などで好きな服を着ることができます。もし捕まったらどうなるのでしょうか?

  まあ、彼らは無視するか、コーランやナシードを聞く方が良いと言うかもしれません。

  学校について 学校が閉鎖されているのは事実ですが、いくつかの学校は開校しています医科大学保育園はまだ開校しています私立学校大学コースはまだ開講しています女性も働くことができ、奨励されています

  男性中心の職場にいた女性は、給料をもらって働くことが許可されています。私のいとこは2年間働いていて、給料をもらっていますバランスの取れた職場にいる人は、そのまま残っています

  ブルカはチャデリのことですか?義務ですか?いいえ、義務ではありません。ヒジャブを着用することは義務です。報告する場合は、解除されるまでフェイスマスクを着用する必要があります。髪の毛の20%ではなく、80%程度を覆う必要があります

  好きな服を着てもいいですか? いいえ、体を覆う必要があり、タイトな服は許可されていません。メイクしますか? はい、軽いメイク許可されていますが、大胆な真っ赤な唇や華やかなメイクプライベートイベントでのみ許可されています

  その結果、どんな良いことがありましたかハラスメント、ルチャクバジ・キャットコール通りすがり男性に触られることが減った。捕まった人はボコボコにされる。

  道路が整備され、より安全になった。以前は、警備がいない限り、女性と一緒の長距離運転はできなかった。誘拐強盗が非常に多かったからだ。

  幹線道路が復活した。住宅政策が厳しくなり、好きな場所建物を建てられなくなった。

    拳銃は、警察官に特例的に貸与された道具の中でも特に手段として発達し、発達を遂げた完全無欠な道具であり、内部に球と呼ばれるミサイルがいくつか装填されており

    引き金を引くと内部の球が発射されてターゲットを負傷させる力を持っている。ただし、内部に存在する弾が引き金によって強く発射される理由専門家でないと分からない。

     その辺のアパートに住んでいて普段は鳴りを潜めている若者が正体を出すということが現在全国的流行しているが、因果関係として、その場合警察官が、その者に対して

    拳銃を発射すればいいのであるから、最大限の論理関係としても警察官において、拳銃を所持している限り、自らが不安を覚える余地はないものと思われる。警察官拳銃

    所持しながらも不安を覚えるのは、相手方暴力団で、何千人もおり、その暴力団警察官ライフル銃で向かってきている場合であるが、架空の事例であり、現在社会では

    そういうことは発生しない。論理学では、論理破綻している場合驚愕破綻までを想定できるが、客観的に、拳銃を所持していれば、 撃つぞ、という警告をしているうちは

    問題ないが、撃鉄を起こして安全装置を解除していると、発射は自動的であり、安全装置の解除はほとんど発射されるのと同等であると解されている。

安全技術って補助輪じゃん

そういうダンディな人からたっぷり保険料を取ってくれ

anond:20240606110319

女性安全を守るためには、痛ましいことだけどああい事件が増えるしかないのかもね

中出ししたら首切られるよって認識を広めるしか

鹿児島県警本部生活安全部長本部長の隠蔽に対して声をあげられるなんて偉いよ

警察官として正しい心を持っていたということだ

しかも60歳で、ある程度のポジションにいながら、その精神性を忘れていないのは尊敬すべきことだ

それに比べて組織やらかし隠蔽にはしる本部長はダメダメ

正しく情報を公開し、なぜそれが起こったのかを振り返り、必要反省を行って、はじめて改善があり得る

それをやらない限り、いつまでも改善はない

anond:20240605175534

男子トイレに男が行くと男にレイプされる可能性がある

それほどまでに男は危険

そうだ、男を安全女子トイレに入れよう

なんだよこのロジック

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