2024-06-08

それはお前への批判ではない(かもしれない)

なんで国や性別単位での批判があると、自分批判されたように感じるのか?

それは、自己同一化の罠にまんまと引っかかってるからだ。

自分が属するグループ攻撃されると、自分自身が攻撃されたと感じる。昔の武士みたいに、自分の「領地」を守らなきゃならないってね。

考えてみろ。国や性別なんて、ただの社会的なラベルに過ぎない。

まれ場所性別で、自分価値が決まるわけじゃない。それなのに、批判されると自分存在のもの否定されたように感じる。

これはもう、アイデンティティ脆弱からだよ。自分の中身がスカスカから、外側のラベルにしがみつくしかなくなってしまう。

広く、自分が属するグループ批判個人攻撃と感じるのは、集団心理の一部だ。

人間社会的な生き物で、集団に属することで安心感を得る。だから集団攻撃されると、自分安全が脅かされたと感じるんだ。本能的なものに近いだろう。だが、それが今現在人間として本当に必要感情かどうかは疑問だ。

自分の属する大きいグループへの批判があった時、それが事実であるかを考え、自分がそれにどれほど関与しているかを捉え、自分の考え方との距離感を測り、集団個人問題を切り分けることが必要だろう。

そして批判もっともだと思えば、賛同することすらできる。それが何かの改善に繋がることもある。

批判すなわち個人的な攻撃と感じるのは、その問題の切り分けが不十分であること、自分の未熟さを露呈しているに過ぎないんだ。

自分アイデンティティもっと複雑で多面的ものだし、外部のラベル依存する必要なんてない。

批判客観的に受け止め、自分を高める材料にすることこそ、本当の強さとだ。

自己同一化の罠から抜け出せるかどうかが、成熟した人間の証なんだ。

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