はてなキーワード: 受験戦争とは
・褒めて育てられたので、叱られることに全く免疫が無い
→まあ理不尽な体罰とかは減っただろうが、受験戦争でキッツイこと言われてそう。
・自分のやりたいこと、やり方にこだわる、固執する
→老害どもが上からの命令を忠実に実行することにこだわりすぎなんだろう。
→ちょっとした病気でもないのに病院でたむろってる老人の立場がねーな。
・言われたこと以上のことはしない(想像力の欠如でもある)
→「給料以上のことをしよう」というのは社畜根性であって想像力ではないよな…
・自分のやったことに対して過剰な自信を持つ(一人でやりきった、全てできた)
→自分で調べるから老害の言うことを聞く必要はないという空気はありそう。
・ネット(ぐるなび、まとめサイト、グーグルの検索結果)で得た知識を全てだと思っている
→同上。
→ただし老害に認められたくはない。
・下積みや基礎研究が嫌い
奴隷の作り方は簡単だ。
「組織に依存するような人格を幼少期からじっくりと植えつける」だけでいい。
まず親世代に「親に感謝すべき。親は子供に感謝されるべき」という思想を植え付ける。
そしてすると親は我が子に対して「感謝しろ。感謝しろ」とうい態度で接するようになる。
子供が親に感謝していない態度を取れば親は不機嫌になり、感謝している態度を取れば上機嫌になる。
その幼児に今度は「夢も持て!持ってない奴はゴミだ!デカい夢を持て!」と洗脳する。
成長していくにつれてその夢を諦めた時、その夢があった場所には心の隙間が残る。
ビッグじゃない夢には価値がないと洗脳されているので、身の丈にあった人生の目標すら立てられなくなる。
そして小中学校にあがったら「人の役に立つ人間になれ!迷惑をかける奴はゴミだ!人の目を気にして生きろ!」と洗脳する。
自尊心にはポッカリ穴が空き、人生の目標すらない、そんな彼らの心の奥底にこの言葉が流れこむ。
この時期は反抗期と重なるため表面上この言葉は届いていないように見えるが、意識の深い所にしっかりとそれは根を張っていく。
ここでは「うまく行かなかったら自己責任。全部お前が悪い!」と洗脳する。
そして戦いに敗れブラックに辿り着いた連中は「そうか、俺が悪いのか」と運命を受け入れる。
こうして彼らは一度完全に壊れるまでその人生を日本経済を回すために消費していくのである。
だがこの時途中で出来損ないが生まれる。
社会の上流や中流にも行けず、下流で奴隷として生きることも出来ない失敗作、それがNEETである。
日本社会が率先して行っている奴隷量産政策によって自尊心を粉々に破壊されながらも奴隷としての首輪を授けられなかったもの。
ないしは、自身が奴隷にされかけていると気づくも上流中流へ行くことは叶わなかった人間がNEETとなる。
そのため彼らはレールの上しか歩くことが出来ない。
ひでーなお前
ねーよ。ほとんどの人間が取り敢えず目の前の大学に入るためだけに勉強してるわ。
ってか、そうじゃなきゃ今みたいな受験戦争起こらんわ。
大学行ってどうするとか、起業してどうするとか、目標考え直してみたほうがいい。良い大学に行くっていう以上の具体的なイメージを作るべき。親だって、大学行かせるために働いてるんじゃなくて、やりたいこと応援するつもりで頑張ってくれてるんじゃないの?
お前はどうだったんだよ?何具体的に考えてたんだよ?で、その具体的な事をやったのかよ?てか、そんな具体性があるのになんで大学なんて行ったんだよ?ニートか?
大学行ったって、留年する人もいれば、卒業出来ない人もいるし、就活でどこにもひっかからない人だっているんだから。だらだらとゆっくり使える時間を作れるなら、もう少し自分のことを考えてみてもいいと思う。
???大学で留年したり卒業出来ないなんてただのクズ。それ以外何者でもない。単にさぼってただけか、もしくはホントに馬鹿かどっちか。
で、その就活のせいでゆっくりだらだらしてる時間が無くなってるのが今の世の中だろうが、アホか。
「良い大学レール」に乗るのが人生の目標なら、良い大学に入れるまでだらだらと受験勉強こなすだけでもいいけど、それ以外のレールを自分でひいていけないなら、今回やりすごせても、また次にレールから外れそうになったときに同じようなこと言うだけだと思う。
で、お前は一体どういうレールを作ってどうい人生歩んでるんだよ?
ずっと安全なレールに乗ってたいだけなんだったら、人の倍でも勉強して良い大学入れば。起業なんかよりそれが一番楽な生き方出来るよ。
それが今や服は3年前のユニクロ着まわしてるし、月末(給料日)を考えると映画や飲み会は渋っちゃうし、通信費とか1ヶ月遅れで支払っちゃってるし、奨学金の返済にてんやわんや。
食費や光熱費なんかの必要額を差し引いたら手元に残るのは2万円もない。
受験戦争を頑張れば報われたのだろうか。
そもそも家がやや貧乏だったので進学を諦めたところはあるけど。
まぁでも、やりたい仕事には一応就けたし、手取り少ない割にもたまの贅沢(それこそ映画やCD買うだけ)で購買意欲は満たされる。
毎日がジュージツってわけではないけど、そこそこ友人にも恵まれ病気らしい病気もない。
強いて言えば、母親が元気なうちに実家にもっと帰ってあげたいくらいだろうか。北海道だから交通費厳しくて年末しか帰れてない。
自分が人間に興味が持てない原因。それは1つは親の養育。もう一つは生まれつきの資質。まあ、どっちも親由来だな。
親の育て方が悪いって思ってたし、それは確かに正しい原因と判断している。しかし、自分は、そういうダメな親の生体コピーにすぎない。それを納得するのに大分かかった。
親とは1年に5分も会話していない。存在を意識すると気持ちが黒く染まる。数年、ほとんど会わなかったら本気で顔を忘れたことがあった。急に同じテーブルにきたオバハンが居て、なんだこいつ??怖い、、、、 と思ってたが、声を聞いたら親だった。冷汗がでた。ちょっと脳がまずい??と思った。
親を憎んでも親の影響からは逃れられない。でも完全に忘れれば、影響が消える。 そういう理屈はわかるし正しいと思う。だが忘れてみると冷汗がでた。生体システムなんだろうか?
あ、人間に興味を持てない原因だった。親との関係が1つ。そういや恋愛(?違うかもしれない。寂しさの埋めあい?)的になる女性は、みんな親とダメな関係だった。ダメなとこで惹かれあうんだな。。
もう一つは能力だな。
自分は100人の中でならトップをとれる確率5割以上。リーダーをはれてしまう。上位1%だな、すごい。100万人の都市では、上から1万番目くらい?? あれ??
このスケール感の違いを成長中にうまく実感できないと、変な万能感とかリーダー意識を持ってしまう。受験戦争とか、広い社会を見るとか大事だな、ほんと。
人への興味もここらへんかもな。100人のなかだと、全員の意思を無視してすら、結果をだせる能力がある。だから、他者をシンシャクせずにモノだけを見てしまう。モノだけに集中するからテストは上々だ。早く気付くべきだな、これには。
大学で選ぶな。やりたいことができるところにいけ。
なまじセンター成功したからっていいとこ進められてホイホイ受験して運良く(運悪く)合格しちゃって大学で挫折したぜ俺は。
何をやりたいか、何ができるかを二の次で、受験戦争に勝つための受験しかしてなかったからな。
自分でよく考えて選べ。
いい大学行けば将来も安泰なんて嘘っぱちだ。
結局いい大学入ったら、よっぽど頭いいやつじゃない限りは、受験のとき以上にがんばって勉強しないと卒業もままならないんだ。
それなのにしなくちゃいけない勉強はやりたくもないことばっかり。
地獄だったぞ。
自分でよく考えろ。
おだてられてホイホイ受験先きめてんじゃねえ。
何がしたいんだよお前は。
何になりたいんだ将来。
そういうことだよ。
それを考えるのに早すぎることなんかない。
最後のチャンスだよ。
サイコパスのAO義塾塾長の文章に突っ込み入れるンゴwwwwwww
全文は http://aogijuku.com/tk2016/
今回の一件で悶々とする中で、改めていま私が為すべき事は何かと考えた時、
それは「AO入試を通して、全社会を牽引していく先導者を輩出していく」という原点を貫き続けていくことだと、思い至りました。
→勘違いやぞ
自らの頭で考え、行動することを身につけていくことをサポートしていきます。
→まず学力つけるのが第一なんだよなあ
そして、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
それは今回の一件でも痛切に感じました。
それでもなお、私はAO入試が、これからの日本社会にとって欠かせない入試形態の一つだと私は確信しています。
AO入試では、大学から受験生へ必ず「志(=大学で学ぶことへの目的意識)」が問われることになります。
「志」を抱くには「意識」が欠かせない
そして「志」を抱くには、
だから私たちが「意識が高い」と嘲笑されることは避け難いこととも言えるのでしょう。
しかし、これからの日本には社会への「意識」が高い人々が「異端」として嘲笑されてしまう少数派であってはならないと思います。
これからを担っていく高校生にとって、そしてひいては日本人全体にとって、
「社会への意識が高いこと」を普遍的なことにしていくためには、
AO入試という入試形態が社会の教育装置として不可欠だと僕は思っています。
とんだ思い違いやね
社会問題を解決していく、社会への高い意識を持った担い手こそ必要です。
→まあわかる
その担い手を育てる仕組みの一つこそ、私はAO入試なのだと思います。
一方で、一点刻みの受験戦争を勝ち抜くには、
社会へ関心を持つよりも、机に向かうことばかりが奨励されてしまいがちです。
→いかんのか?
もちろん、机の上での勉強や学力を身につけることは極めて重要です。
しかしその重要性は、勉強や学力は「手段」であることに対してであり、それ自体が「目的」ではありません。
→意味不明
点数のみで評価することは、手間がかかりません。
→根拠なし
大学での学びも「手段」であって、入学することが「目的」ではないはずです。
→一時的な目的を達成して、それから手段としての学びを行うことの何が悪いのか
高校生達が大いに学問することへの、それぞれの「目的意識」が最も大切です。
その目的意識を問い、社会全体で育てようとするのが、AO入試です。
このAO入試の可能性を活かして、
「ゴール地点」ではなく「スタート地点」へと描き直していきたいのです。
→一般入学者は大学入学がゴールとかいう妄想を押し付けないで下さい(迫真)
やはり、AO入試で入学するには、意識が高いことが求められます。
要するにバカってことやし
むしろ、意識が高いことで嘲笑されてしまう日本社会の現状こそ、最も正さなければならない深刻の病理だと、真面目に思っています。
そんなこと真面目に思ってるなら真性のバカやな
本来ならAO入試の導入に合わせて、学校が変化するべきでした。
学校がAO入試のサポートを万全に行ってくれるのなら、AO義塾の出番など必要なかったと思います。
学校という教育機関に、高校生達のAO入試への挑戦をサポートしてもらうことを期待するのは難しいのが実情です。
AO入試に挑戦する高校生をサポートするコミュニティを創りたいと決心しました。
幸いなことに、AO義塾は毎年、合格実績の過去最高記録を更新し、
本年度のAO義塾4期生も既に慶應義塾大学に150名以上合格することが出来ました。しかしそれを支えたのは、既存の塾・予備校の概念ではありませんでした。むしろ、全くその逆の概念でした。
→AO用の意識高い実績作りのための団体まで用意しているもよう
教える側、教えられる側という関係でもなく、
茂木健一郎とか
200人の塾生がいれば、200通りの志があります。
みんなそれぞれ、違う色、違う形をしています。
それが私たちにとっての誇りです。
合格を目指しません。社会に貢献出来る人材を輩出することを目指します。
そして、この信念は揺るぎません。
安定した時代には、常識的なライフコースというエスカレーターがあり、
それに乗っていれば、社会のことなど考えられずにいられました。
自らの頭で考え、行動出来なければ、一寸先は闇な時代です。
でも、そんな不安定な時代に生まれた私たちのような世代だからこそ、
スリリングだけれども、わくわくするような人生を送れる世代です。
明日がどうなるのか怯える人生より、明日を切り拓いていく先頭に立つ人生に、僕たちの世代はしたい。
※ポエム終了
そしてそれは全てAO入試に挑戦することで得られる学びです。
時代の転換に合わせてそろそろお役御免です。
こうした背景を考えれば、
やはり、新しい学びの場が不可欠です。
AO義塾はその新しい学びの場たらんと、
そして再出発の第一弾として、
「社会問題を考えるワークショップ」を12月26日(金)に開催します。
皆さんと一緒に「考える」機会としていきたいと思っています。
対象は高校生ですが、参加人数によっては、大学生の見学も受け付けます。
こうした企画等を通じて、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
ぜひ意欲溢れる、才能の原石である高校生の皆さんのイベントへのエントリーをお待ちしております。
それは「結果」で示してみせます。
斎木陽平
全体的に文章が下手で草生えた
なぜかこいつは脳内で一般入学者を大学入学がゴールの「意識低い人間」に仕立て上げてるんだよなあ
進路選びというのは日本で受験戦争が行われている限り尽きない。
周りに相談できる人がいればいいが、私のように高卒の両親、親戚も高卒、まわりも…
あと、あまり自分に夢がなくて進路に興味がないという人もいると思う。
この文章はそういう人に大いに役に立つと思う。
話題としては
の4つになる。
文系と理系には大きな差があるというのは高校までくると大体わかってくるかもしれない。
得意かどうかわからないぐらいテストの成績が全部悪い、ということもある。
こういう場合は本当に困る。
文系から理系というのは、独学が難しいので追いつくのが非常に困難だ。
文系科目は暗記中心なので一人でできる。
理系科目はそうでもない。解法がわからないとサッパリ解けないということがある。
なので、得意科目を考えてみても自分が理系文系判断しかねる人はとりあえず理系に進もう。
あと貧乏で塾に通えない場合、文系になるしかないのはしょうがない。頑張ろう。
そこで出てくるのが、総合大学である。総合大学というのは学部が複数ある大学のことで
ふつうは入学してからも転学部という専攻を変えることができるシステムがある。
再入学に比べたら全然大した手間じゃない手続きで専攻の変更が完了する。
だから、やべえ興味なさすぎる、と入学してからなっても安心である。
学部の選択に対して保険がきくので、迷ったら総合大学に進もう。
さて、文系であれば大学院に残ろうというのはよほど志が高いか、
学部から専門的な内容の環境だったということで、院にすすむことは悩まないかもしれない。
理系なら研究室のナガレで進んでしまうこともあるかもしれない。
責任は自分で取るとして、あまり悩まずに進学してもよいと思う。
研究は厳しかったり、放置だったり、いろいろあるが正直学部と比べて異様な世界だ。
教授や学生、研究、いろいろあるが、合う合わないで途中で退学していく人も本当に多い。
そういう人うまく就職している。気軽に出入りするべきだと思う。
本を読むと大江健三郎は小学校のころまでは研究者になろうと思っていたが、
教師から「体力、知力、金」の3つのうち2つが研究職になるには必要と言われ、やめたらしい。
まさに、その通りで、ここまでくると本当に実家が裕福な人間が多い。
周りが当たり前のように時間を金で買う様子を見て吐きそうになることがあるので、
体力と知力だけでなく、それでも資本主義を憎まないという精神力を高める必要がある。
ここで、一度よく考え直してほしい。
途中くじけた時に二度と大学にも社会にも出ていけなくなる人だって本当にいる。
博士過程中だってただでさえお金がないのに多くのただ働きを体験するだろう。
さらに優秀な学生は博士からDCなど金が出ている人だっていて、ストレスがもっと発生する。
こんなにストレスをためてもし博士が取れたとして、これだけでは本当に食っていけない。
大変優秀な知り合いだって、日本でトップクラスの研究を長くしていたにもかかわらず、
給料は修士を卒業して就職した子と同じぐらいだった。これはそういうものなのだ。
博士に進学するのを迷う年齢であれば、もう周りの友達が結婚している年齢である。
それも数年たてば、こっちがポスドク先を探して就職活動をする中、
今度は周りは車や家を買って、子供もいる。年賀状も家族写真が増えていく。
いくら好きなことをしているからと言っても、まともに生きる周りの人間と違いすぎて死にたくなる。
ある日気づくと社会と大きな壁ができているのがわかる。
次は研究という自分と似た人間のコミュニティは特別居心地がよく、ここしかないと感じてくる。
博士進学から、どんどん社会と隔絶された変態に仕上がっていくのだ。
運よく変態にならずに済んだとして、
まわりの社会性のない変態たちと付き合いを長くしていくことができるだろうか。
社会性の備わっていない変態たちだ。よっぽど好きでもない限り、これは本当につらい仕事だ。
理系なら医学部にいっときゃよかったと、思うこともよくあるだろう。
まだ、遅くはない。
普通の家庭の出身で、普通の未来を捨てても後悔しないぐらいの覚悟がないならば
君はよく頑張った。進学先というのがある限り、このレーンから外れるのは怖いだろう。
もう進学しなくてもいい。
本人が勉強を『楽しい物』として認識しなければ点数は上がらない。
点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、はーぁ点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、点数、
って親が子供に言い続ければ、子どもはノイローゼになって、普通は点数は下がる。
エリート校に限った話なのかもしれないけど、エリート高校でもう駄目だ!トップ高どうしの受験戦争に勝てない。
と諦めて放任主義にしたら急激に東大進学率が伸びたという笑い話のような話もあるよ。
放任しろという意味じゃなくて、子どもの『知的興味』を伸ばすこと無く成績は伸ばせないという意味で。
ナース、40過ぎて初めて書類選考に落ちて若者の悲痛を知る
当然若者らが可哀想とは思うわけだけど、君たちゆとり世代に立ちはだかる団塊ジュニアの採用のおじさんたちは、就職戦線より以前の、過酷な受験戦争にて血で血を洗う熾烈な戦いを制した強者なんだね。
今の若者が知っているのかどうかはわからないけど、一般的な公立中学だったら、下位四分の一は高校にすら進学できなかった。どんなに頑張っても。なぜなら学校が足りないから。
そしてその中でも上位四分の一ぐらいしか、大学に進学できない。どんなに頑張っても。なぜなら学校が足りないから。不可能なんだ。
今も昔も、有名大学は偏差値に大きな推移はない。だけどそういう人たちが母集団にあった上での、あの偏差値なんだ。
その中でも、それなりにいい大学を卒業した人は、その過当競争に勝利した化け物なんだよ。
君たち若者の中にも、すんなり就職を決めてしまう化け物がいるだろう。
そういう人たちなんだね。勝ち残るのは。
当然そうだが、ホワイトカラーの通常の仕事と結果と比べてほしい。
配属の運や、たまたま任せられた仕事、誰に気に入られたか、など、通常の仕事のアウトプットは非常にコントロールしにくい。
何かで判断しなくてはならないとき、「比較的」平等な条件下で行われた「受験競争」は十分に素質を一定程度見極める条件になる。
別にすべての東大生が優秀だとか、すべてのF欄が無能だとかそういう話ではない。
比較的受験競争の勝者のほうが、優秀な人間が多く、無能な人間が少ないというだけだ。
そしてそういう指標は少ないから「学歴」は能力を測る重要な一つの材料だということだ。
ただ、何度か上がったように、受験戦争に参加することが貧困により許されなかったレベルの高卒の人はかわいそうだと思う。
だからこそ、そういう人のためにより一層の高校の学費の低価格化、学生向け奨学金の充実は必須だとおもう。
君がほんとうに恨むべきは、東大のようなかなり平等な競争で国公立に入った東大卒ではなく、
親のお金で慶應や早稲田の付属高校、付属中学、付属小学校などでエスカレーターで上がった人のほうじゃないか?
あるいは、国公立ではなくお金のかかる私立大学に親に補助してもらって進学して、高卒や短大卒や専門学校卒を馬鹿にする人たちなんじゃないか?
そんなにすぐに他人の考えを理解したつもりにならないでいただきたい。
だから、自分が勝って学歴を手にしたということは、 誰かほかの人を蹴落としたということだ。
自分はそれでよしと思わない。
誰かを蹴落とすなら、蹴落とした「誰か」よりも、社会に役に立つ必要がある。
そうでなければ、社会からしてみれば「おまえは負けた方がよかった」ということになる。
そういう「負けた方がよかった人間」に子供を育てないでもらいたいんだよ。
「負けた方がよかった人間」は生きててつらいんだよ。
他人より優れた人間になって、他人を打ち負かして、それでよし。
見たいな考え方で人を育てないでもらいたいんよ。
自分がいかに社会に役に立つことができるのか、自分の価値とは何なのか。
それを追及するような人間に育ててもらいたいんだよ。
そういう、どうすれば社会に役に立てるのか、という発想を持って行動しなければ、
そういうのはつらいだろ。
他人より優れた人間になって、他人を打ち負かす、という生き方は、
今の社会では受け入れてもらえないのに、まだそんな教育をしてる親がたくさんいてよ。
それがいろいろ犯罪率の増加とかそういうのにつながってんじゃないかって話よ。
夜更けに受験勉強のために机にかじりついていると、おふくろが階段を登ってきた。
ドアが開いた時に香ばしい香りがプン、と立ち込めたので、コーヒーを持ってきてくれたということがわかったのだが、
クリームがたっぷり盛られているところをみると、どうやらただのコーヒーとは違うようだ。
熱々のコーヒーの上に、たっぷりのホイップクリームがかぶさっている。その上を飾る黄色い花のようなものは、オレンジの皮の砂糖漬けだ。
皿にはスプーンの代わりに、シナモンスティックが添えられている。シナモンとは、アップルパイの味と香りを引き立てる、苦いような、甘いようなスパイスだ。
シナモンだけでできているシナモンスティックを、たかがコーヒーいっぱいのために使うという贅沢。
砂糖の甘み、オレンジの甘み、シナモンの、ほのかな甘み。それらが一緒になって、複雑な味わいを形作る。
その一杯が効いていく。
集中を続けているうちに気づかないうちに溜まっていた、意識の澱のようなものを溶かし、ほぐしていくのを感じた。
それまで焚き木のようにごうごうと燃えていた合格への熱意は、ガスバーナーを調節したように、音のない青い炎に変わっていく。
そんなこんなで炎を燃やし過ぎて、すっかりガス欠になって燃え尽きて、やる気を失ったダメ受験生の俺が第一志望の大学に合格できるほど受験戦争は甘くなく、しかしそのあと滑り止めには何とか滑りこんで入学して、紆余曲折あったのち卒業、就職、やがて仕事が忙しくなって、会社に泊まるようになって。
夜中に部下を全員帰して、オフィスに一人になった時に。ふとあの日々のことを思い出した。
勉強の内容はさっぱり覚えてないけれど、カプチーノのあの不思議な味わいは、鮮やかによみがえってきた。
仕事明けの休日、暇になった俺は、図書館でカプチーノのことを調べてみた。
レシピは簡単に判明した。
でもろくに料理もできない独身男アラウンドサーティーが素人ながらにやる気を出してみたところで、密かにコーヒーマニアだったおふくろの味を再現することなんて、どうせできないだろう。
だが幸いな事に時間ができた。金もある。コーヒー一杯800円程度だって、全然問題ない(そういう感覚だから、貯金がたまらないのだ、と友達が呆れ顔で言う。一理ある)。
だが週末をかけて、近所の喫茶店を歩きまわったところで、ついにカプチーノを出す店を出会うことはできなかった。
一方はおふくろのカプチーノ。これは実は日本で発明され、広まったレシピだ。昔の喫茶店ブームの時に広く日本中で飲まれるようになったが、そうした店が少なくなった現代では、古風な喫茶店を除き、扱っている店は少ない。
もう一方は皆さんご存知のカプチーノ。コーヒーの上に、温めたミルクと、熱を加えて泡立てたミルクが載せられている。このシンプルなレシピのコーヒーは、いまも世界中で飲まれている。特にスターバックスなどではお馴染みの風景だ。冬のさなかにマフラーを巻いた女子高生が、単語帳(のようなもの。あるいはスマートフォン)を片手に握りしめて、空いた方の手をカプチーノの入ったカップで温めている。
いいね=b
でも残念ながら、哀愁ただよう独身ボッチのおっさんにとっては、そういう風景は思い出の向こうにしか無いので(※実は向こうにもないけど)、俺は自分の目的に集中して脇目もふらないことにした。
若いカップルが花見を口実にイチャイチャしているのに目もくれず、歩く。一杯のコーヒーを飲むためだけに、舞い落ちる桜の花びらの中を、颯爽と行く。
これが俺という大人なのだ。
いいね=b
うんうん正直悪く無い。全然後悔なんかしてない。まだ三十代。余裕余裕。
そして、カプチーノを探す旅がはじまる。
が、一般的には学校内での試験に合格しなかったり基準に合格せずに進級に失敗する事を指すほうが多いと思うが。もちろん入試にしっぱいするのも落第で間違いないけども。
幼稚なのは日本の制度どうこう騒いでるけど、別にそれ以上に良いものを思い付くでもなし、
現状の制度下で失敗した自分を慰めるためだけにその制度自体を否定していること。
貴方が最初からルール上、1人だけものすごい不利な状況からスタートし、失敗しても仕方ない状態、というのであれば文句も言いたくもなるでしょう。
ただ、貴方がスポーツ大会とかに出て、負けたからといってもルールがおかしいんだ、なんて文句を言っても誰も聞いてくれません。
貴方がしてるのはそれと同じことですよ?
貴方がどれだけ不利な状況から受験戦争をスタートしたのか分かりませんが、世の中にはそれよりよっぽど不利な状況から東大へ行ったりしてる人も居るでしょう。
色々おかしいよ。
「受験競争は万人に平等な機会を与えるものであり,これに勝てなかった,あるいは参加すらしなかった人間は努力が足らない,みじめな生活を送るのも自業自得だ」
お前が余りに受験戦争に毒されてるだけだろ。
別に東大生だけが思い通りの仕事してるわけではないし、違う仕事はいくらでもあるわけで。それともお前は商店街のお店の人とか高卒とかで働いてる人が「みじめな生活」をしてるとか思ってるのか?
そうやって、底辺だ底辺だ、とか、人を見下す中間層が一番たち悪いんだろ。中途半端に受験戦争に入り、中途半端無プライドを持ち、でもトップ層には負け。
高卒の人とかは別に「受験戦争に負けた」なんて誰も思ってねーよ。参加してないだけなんだから。
一番そういうコンプレックス感じてるのはお前みたいな中途半端な馬鹿だろ。
まさしくお前のことを言ってるだけじゃないか。
http://ss21.doorblog.jp/archives/33561553.html
☆ ☆ ☆
知らない人のために、
説明しておこう。
5人に3人が
あとはwikipediaでも見てほしい。
(当時。今も?)
KやAやMもあるし、
国立のGとかTとか、
高校受験ならKもあるけど、
なかでも筑駒がいい。
筑駒にしなさい!
その理由を説明しよう。
1. 物事の理解力が高い
受験戦争の成果なのか
こっちが多少言葉足らずでも、
一を聞いて百を承知してくれる。
と、まあこれは筑駒でなくとも
東大生とかなら当てはまる条件
かもしれない。
2. 男らしい思考回路
サバサバしていて合理的。
これまた、話が早い。
全員、B型のよう。
契約を交わすように
結婚する
(気がする)
悩み相談しても、
解決策を提案してくる
(気がする)
でもなぜかやっぱり
空気は読めない
(気がする)
このあたりは
と勝手に思っている。
3. 一度はカラを破っている
ガリ勉でいいのか?
という疑問に応える形でなのか、
勉強以外のことにも手を出している。
(しかも、それも
そこそこ極めてしまっている
ことが多い)
「優等生」のカラを破っていて、
(気がする)
KやAの方が
器用で多芸かもしれないが、
こんなにストイックじゃないはず。
4. 負けず嫌い
変な負け癖や逃げ癖
がついていない。
(ことが多い)
「その分、
挫折したら危ないのでは?」
と思うかもしれないが、
支えてあげましょう。
中・高が都内ということは、
6. 仕事が安定している
安定した会社に勤めていることが多い。
リスクを取ろうとしているなら、
事業ポートフォリオとして
欠かせないですよね。
あれ?6つになっちゃった。
「でも、こんなに完璧だったら
お高いんでしょう?」
と思うでしょう?
確かに、東大卒業後は
男女比がまともになるせいか、
割高な価格がついているようです。
出会うとすれば、
在学中になるでしょう。
彼らが学生時代、
女慣れしていない時を
是非、お見逃しなく!!
超絶最高なパートナー候補
であるにも関わらず、
プライドが高いと思われているなど
敬遠されていることもあるようで、
そんなにお高く止まってたり
しないはず。
そんなこんなで、中身を考えたら、
絶対にオススメなのです!
☆ ☆ ☆
補足です
「想像してみろ。いわゆるレールの上を行く男たちの人生を。小学校中学校と常に成績はトップクラス。有名進学校と受験戦争の駒をすすめ、一流大学にはいる。はいって3年もすれば今度は就職戦争。頭を下げ会社から会社を歩き回り、やっと入る一流企業。これが一つのゴールだが、すぐに気がつく。レースがまだまだ終わっていないことを。今度は出世競争。ギャンブルにも酒にも女にも溺れず、仕事を第一に考え、ゲスな上司にへつらい、取引先にはおべっか。毎日律儀に定時に会社へ通い、残業をこなし、ひどいスケジュールの残業をこなし、そんな生活を10年以上続けて、もう若くない。40近い年になってやっと蓄えられる金が1000万、2000万という金なんだ。」(利根川幸雄)