はてなキーワード: ベランダとは
部屋に入るなりすっぽんぽんになったので
直視したらマズイなと思いつつチラチラ横目で何度も見だ
それとなく接近して胸や背中に触った
全く抵抗されなかった
でも罪悪感があってすぐにやめちまった
なんでやめちまったんだよ?
女は服を着直した
そのあと並んで寝そべりながら一緒にモンハンしてた
振袖は着たくない。
大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。
2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。
だけど、成人式=振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分のファッション美学に反するだとか、適当な理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元に友達がいないので式自体は出ていない)
わたしの振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。
そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。
最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹の貸衣装を覗いてみたりした。
けど、親が寝た後の暗いリビングのテーブルに、ぽつんとパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレットの幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。
お母さんに感謝。
一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう。
けど、わたしは忘れない。忘れていない。
幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。
両親が離婚して、変わった苗字を学童でからかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親の背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。
テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫。
正直、これを書きながら涙が止まらない。
ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。
「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。
母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから、母親に、「普通の母親が享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから、振袖を着たくないと思ってしまうのだ。
メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖を回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだから、わたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?
言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたしは結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたしは卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態の人間が振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。
ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう。
丸めてゴミ箱に突っ込まれたパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。
何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。
元増田です。楽しすぎて興奮したまま書き殴った増田が伸びててびっくり。楽しいよ!着ぐるみ!
洗濯に疑問を感じてる人が多いから追記しようかと思ったけど、キャラのイメージが壊れるかもしれないので、そっとここで供養。好きなご当地キャラがいる人は読まないでね。
◯◯ちゃん、もこもこはしてるんだけど、意外にも、胴体から手とか足とか外せるようになってて、細かいパーツに分けて、洗濯機で洗える(乾燥は厳禁)
胴体は、中にフラフープみたいな輪っかがいくつかはいってぽよんとした体型作ってるんだけど、輪っか抜いたらかなりしぽむので、コインランドリーへ。
洗ったあとは、洗濯ヒモ通してベランダにつるしたけど、我が家の裏は雑木林で人が歩かないから、多分大丈夫。あと、裏返しに干してあるパーツを脳内で組み合わせて、「これは◯◯ちゃん!」って当てる奴がいたら、とりあえず友達になろ??かわいいよね、◯◯ちゃん。
ちなみに、頭は、中にアルコール消臭剤吹きつけて、乾かすだけ。流石にこれは外に干せなかった。
洗い方は、ちゃんと説明が同封されてたので大丈夫。役場でもたまにクリーニングには出すんだけど、予算の関係で頻繁に洗えないそうです。時々顔が薄汚れてたのは、そのせいかぁと思った。
あと当然の当然ですが、本職の方と比べたら足下にも及ばないので、「なんも知らん素人さんが、はしゃいで楽しそうやなぁ。」程度に思って、生暖かい目で見逃してください。
高層マンションに住んでる女が「隣の家からカレーの匂いがしていい匂い❤️」と投稿しつつ
お前が言いたいのはそれじゃないだろwこういう女ってほんと痛々しい
素直に金持ちなんだよいいだろ!って書いた方がよっぽどいいわ
「あのさ、できたらでいいんだけど」
「突然なんだけど、明日◯◯ちゃん(市のご当地キャラ)の中に入れたりする?」
うちの旦那は市役所職員なのだが、どうも祝日にイベント対応する人が調整しきれなかったらしい。
うちのご当地キャラはかわいい。めちゃかわいいのに、あちこちのイベントに貸し出されては、ぼやーっと棒立ちしてるのをよく見かけていた。
中に入るのはプロではなく、イベント担当課の若手職員らしい。しょうがないよねとは思いつつ、◯◯ちゃん大好きな私としては、「◯◯ちゃんは、本当はもっとかわいいのに!」というモヤモヤを感じていた。そこにやってきたこんなチャンス!乗らない訳がない。
「いいよ!やるよ!」食い気味に返事をすると、「え?いいんだ?」と逆に旦那が驚いていた。
イベントは明日である。すぐに「着ぐるみ、動き、かわいい」などのワードを検索しまくり、イメージの◯◯ちゃんの動きを固める。着ぐるみに入ったことはないが、高校、大学と演劇部だったのだ、手は抜きたくない。
イベント当日、生まれて初めての着ぐるみ。上手く言えないが、着るというより装着するといった方がいいような作りである。パーツを、ひとつずつ身につけ固定する。最後に装着した頭は大きくバランスをとるのが難しい。視界も悪い。また想像以上に手足の可動域が少なく、身体との密着感も悪いため、動きも伝わりにくい。
突然着ぐるみになった妻を案じて、アテンドの旦那が会場まで丁寧に手をひいてくれる。こんなやさしくリードされるのは10年前の結婚式以来である。
そしてやっとこ会場に到着したのだが、到着した瞬間から私の気持ちはもう完全に◯◯ちゃんである。
身体を左右にはずむように揺らし、短い手をぶんぶん振り、頬に手をあて首をかしげる。小さなこどもと握手し、一緒にぷよんぷよんと飛び跳ねる。待機時間であっても棒立ちはせず、身体を左右にゆらしルンルン♪♪とかわいさを表現する。会場のあちこちから「かわいい〜!」と歓声があがる。
途中、楽しさのあまり、リアクションがふなっしーに寄ってしまい「え!動きすごっ!!」ってツッコミが聞こえた。危ない。
また、◯◯ちゃんと同化しすぎて、「なんかさ、ときどき「えっへへ♪」とか小さい声が中から聞こえるから」と注意された。完全な無意識である。怖い。
体力も相当使った。真冬だというのにぬいぐるみの中は暑い。毛皮着てダンスしてるようなものなのだ。ようやく脱がしてもらったときには、濡れたボブの髪から汗がしたたり落ちるような状態で、「うわっ、中から米津玄師でてきた!」と旦那が変な驚き方をしていた。
私のやった◯◯ちゃんは大変に好評で、「次回もこんな動きを期待されたらどうしよう。役場にそんな人材いない。」と心配の声が出るくらいのデキだったらしい。満足である。
たくさんの人とたくさん遊んでもらった◯◯ちゃん。今は洗濯されて、我が家のベランダに干されている。偶然の機会がめぐってくることがあったら、また一緒に遊びたい。
私はかれこれ去年の4月から煙草を吸っているがなんだか気まずくて未だに家族に言えていない。家で吸ったらバレそうなので外出中にしか吸えずもやもやしていた。
ラッキーなことに先日母がぐっすりと昼寝をしていてなかなか起きる気配もなかったのでいそいそ階段を駆けのぼり初めてベランダで煙草を吸っていたところ、だいぶ傾いた夕陽がとても綺麗で、なんだか胡座をかいているのが恥ずかしくなって体育座りで一服後もぼんやり眺めていた。
北側に2階までの高さぐらいの擁壁(直角)がある
家と壁の間は3m弱
全く日が当たらず、冷たい空気が溜まるので1階はめちゃくちゃ寒い。夏は涼しい。
家中隙間だらけ。
日本家屋で部屋と部屋の仕切りは基本襖。襖の上には20cmぐらいの欄間があり通気性は抜群
50年前のサッシとガラスで断熱効果に期待できないうえに、色々歪んでいるので掃き出し窓など閉まりきらず、ひどいところは5cmぐらいの隙間が空きっぱなし
6畳の部屋だからと6畳用のエアコンをつけるがよく考えたら7~8畳ぐらいある(さらに床の間のこと忘れたり)
無駄に広いベランダがあり、コンクリなので多分熱をめっちゃ吸う
西日が当たりまくる(増田の部屋のみ)
冬でも晴れた日の夕方は裸で過ごせるほどになる(秋はサウナ状態)
とにかく柱が太い
ひいじいちゃんだかひいひいじいちゃんだかがこだわったらしく、
すごく太い柱と梁で柱の少ない空間を作ったらしい
20畳? ぐらいのが二部屋つながったとことかがある(普段は、なんか微妙に幅の広い襖4枚で隔てられてる)
昔は4世帯とか住んでたし子沢山だった
改築や増築を繰り返していた
今は半分壊れた離れとキッチンやユニットバス、トイレを外付けして凸凹(凹はしてない)した母屋が渡り廊下で繋がっている状態
(最盛期には台所3、風呂3、トイレ5ぐらいあった。一番でかいトイレは男子小便器が2つ並んでる)
3回ほど増築したっぽい倉もある
10年ほど前までは、物置小屋だったり、工房だったり、鳩小屋だったりがあってカオス
もちろん駅やその他もろもろが後から来たのだが、まあまあ便利な駅まで徒歩15分。使いづらくさびれた駅が徒歩6分。
家以外にも結構なお土地をお持ちになっており、家賃等で安泰だったが、ひいじいちゃんもひいひいじいちゃんも税理士さんと折り合いが悪いのか、
節税なんて知らん、けち臭いことを言うなっていう男気を無駄に発揮してきたようで、相続のたびに縮小してる
今は母と兄が色々悩んでる
大学〜大学院生の時めちゃくちゃ社不だったんだけど、この1年間ちゃんと社会人やれていて嬉しい
・バイト当日欠勤しすぎて実質クビ×2回
・バイトを飛ぶ×2回
・家賃払い忘れまくって滞納(口座引き落としじゃなくて自分で振り込む必要があった)
・電気とガス料金支払い忘れて止められる×それぞれ3回ずつくらい
・風呂に3日間くらい入らない
めちゃくちゃ人に迷惑をかけていてカスすぎる…今振り返ると本当にやばくてなんでこんなことした?って感じなんだけど、なぜか学生の時はカスムーブを繰り返していた…
院卒なので今年26になるけど、精神年齢がようやく20〜21くらいになれて、まともに社会人生活送れてるのかな
あとは学生の時はガチで精神病んでて、躁鬱みたいになってたんだと思う。病院行ってないからわからないけど…
今は仕事もちゃんとしてるし、家事もできてるし自分でもびっくりするくらいしっかり生活できてる…違う人間みたいになれて本当に良かったです
毒親を持っている人のブログを読んだり話を聞いたりすると思うことがある。
毒親持ちの人の体験談は、それはそれは凄惨で、進学させてもらえないとか仕事もせず家に居座る親が暴力を毎日振るってくるとか殺されかけたとか……。親元を離れて立ち直った人もいれば、今なお親の影に苦しんでいる人もいるだろう。そんな彼等を見て自分はこう思うのだ。
「この人に比べれば自分はマシな親を持っているのだろう」
そしてこうも思う。
「だから決して、自分の親が毒親持ちと思って甘えてはいけない」
けれど、ずっとそうして生きてきたのだけれど、最近親と共に過ごすことが辛くなってきた。「おはよう」と話しかけられるだけで動機がして、頭痛がする。眠れない夜が増えた。これは家族間の関係として健全なことなのだろうか。今一度自分の親が毒親ではないのか客観的に整理したくて、文章に起こすことにする。
彼は毎日仕事に行き、給料もきちんと家庭に還元しているし、私の進学を阻むようなこともなかった。大学まで出してくれて、一戸建てを持っており、ギャンブルや浮気の経験もない。
もうこれだけで私が数々見てきた毒親像とはかけ離れている。だから私は父に感謝をしなければならないし、軽い気持ちで毒親などと言ってはいけないとずっと思っていたのだ。
ではなぜこの男に声を掛けられる度に不愉快な気持ちになるのか。それは父の性格に起因している。
単刀直入に言って、父の性格は自己中心的で周り、特に家族のことを常に見下している。
例えば「明日出掛ける」と言うと「何時に?」と聞かれる。ここで少しでも返答が遅れると「なんでそんなことも分からないんだ」
例えば私が昼ご飯を食べようとすると「昼ご飯を食べようだなんて悪い奴だな」
私は何か悪いことをしただろうか。毎日のようにこういう無意味な罵倒をされ、どんどん神経がすり減っていく。もっと酷い人格否定をされたこともある。「子供は親の奴隷なんだから黙って言うことを聞け」と言われたこともある。けれどそれを本人にやめて欲しいと言っても「俺はそんなことは言っていない」「これもコミュニケーション」「冗談もわからないなんて心の狭い奴だ」。話にならない。
ではもし反撃してこちらが「馬鹿親父」などと言ったらどうだろうか。まるでやくざのような気迫で威圧し、怒声を浴びせ激高し、床を踏み鳴らし机を拳で殴る。それでも収まらないときは手近なものを破壊し、最終的には暴力に発展する。さすがに暴力に発展することは稀(というかそうなる前に謝ったり宥めたりしているの)だが、家でも外でもお構いなしに蹴られたり殴られたことがあるし、母に至っては数回骨折沙汰になったことがある。
力ではどうしても勝つことが出来ない。だから何を言われても、私は黙って受け流すしかないのだ。
もうひとつ私を苦しめていることがある。それは父の奇声だ。上記はまだ共感できる人も多いだろうが、これに関しては珍しい上に恥ずかしい話過ぎて誰かに相談することもできず、ずっと悩んでいる。
父は昔から声が大きい。最近耳が悪くなってきて殊更声が大きくなってきた。それは加齢によるものなのである程度は仕方ないのだが、問題は奇声を発することだ。
奇声といっても金切り声でなく、例えばYouTubeの動画でユーチューバーやゲーム実況者が驚いたり興奮した時にスマホが音割れを起こすほどの大声を出して、慌てて音量を下げた経験はないだろうか。あれを、何かの撮影でもなく家の中でやる。還暦をすぎた男が。
誇張なく、いきなりリビングで「うおおおおお!」とか「うぎゃあああああ!」とかいうのだ。病気だとしか思えない。しかも時間は問わない。父が叫びたくなった時に叫ぶ。毎日、毎日、何度も何度も。
だから朝、目覚まし時計より早く父の絶叫で目を覚ますことはざらにあるし、そういう時は心臓が縮み上がる程驚く。
一度気になってデシベル測定をしたことがあるのだが、結果は80~90デシベルだった。これは地下鉄の車内や布団たたき、ブルドーザーの音に匹敵するらしい。
もちろんやめて欲しいと何度もお願いしたし、精神の病院は勧めた。当たり前だが病院を受診するはずもなく、しつこく言ったところ「頭がおかしいのはお前だ」の言葉からはじまりあとは前述した通りである。
他にもおかしいところをあげればきりがないのだが、最後に一つ父の一番理解できない話をしたい。
私は生まれつき肺に病気を患っている。これに関して両親を恨むつもりはないし、長く生きられないと言われていたところを手術を受けさせてくれて、他の人と同じ日常生活を送ることができるようにしてくれたことに感謝をしている。
だが100%なにもかもが健康体になったわけではないし、今でも肺には他人よりもハンデを抱えている。だから掛かりつけのお医者さんには肺や心臓を大切にしてねとさんざん言われているのだ。
その子供を持ちながら、父は平気な顔で紙煙草を吸う。別に隠れて吸うのなら構わないのだが、私が幼いころ(手術前)からキッチンで、リビングで、果ては外食した時に私が食事中でも対面に座ってぷかぷかと吹かす。その量は1日に1箱近い量だ。父が家にいると一日中家が煙草臭くなる。
あまりにも臭いのでベランダで吸うようお願いしたら、窓を開け放したまま足だけベランダに出して吸っている。当然窓から副流煙がリビングに逆流してくる。だったらせめてと空気清浄機を近くに置いたら「音がうるさい」「俺に対する嫌がらせなのか」と不機嫌な顔をしながら空気清浄機を止める。
キッチンで皿洗いしていると後からやってきた父が「煙草を吸うから退け」と言う。せめて洗い物がキリのいいところまで待ってとお願いしても「待てない」と吸い始めるか、真横でものすごく不機嫌なオーラを出しながら急かしてくる。たった1分ですら待つことが出来ない。
このようなことは言いたくないのだが、私が煙草を吸わないで欲しいとお願いするのは、あなたの遺伝子を引き継いで作られた身体に欠陥があったからなのだが、父には何一つ思う所はないようだ。どうも母に聞いたところ、妊娠中も平気で母の前で煙草を吸っていたらしい(母は避けようと頑張っていたようだが、当時狭いアパート暮らしで限度があったようだ)
こんな父だが、ことあるごとに口先だけではこう言うのだ。
「俺はどんな時もお前の味方だからな」
ふざけるのも大概にしろ。人の人格を毎日否定して、やめて欲しいとお願いしたことを喜々として余計にやって、泣いて「もうやめてくれ」と言ったことには「人が泣いてるのをみると殴りたくなる」と言い放って、人が買って来たものを許可も取らずに盗んで食べたり使用したりして、電車で数駅のところに遊びに行っただけで土産をせびり、感謝を強要し、都合が悪くなると「冗談」「コミュニケーション」と逃げるか激高して無理矢理黙らせるかして、大声で絶叫して、持病もちの前で煙草をやめない。
父の言動を聞いていると、本気で自分は「娘を愛する良い父親」だと思っているようだ。仕事に行って金さえ払えば良い父親なのだろうか。自身の子供が眠れない日が続いて、悔しくて苦しくて涙が零れて、頭痛がやまなくなっても、父にはその姿は見えていない。
この父を毒親と言っていいのかずっと悩んでいる。この程度で毒親と言ってしまうと、「この程度で毒親持ちの被害者面するな」と言われてしまうのではないかと思ってしまう。
けれどこの男を父として認め普通の親として扱うには、もう精神の限界が出てきているようにも感じている。
自分はストレスに強い人間だと思っていたし、実際いわゆる「鬱」に当てはまるような症状や過呼吸や胃潰瘍もでていない。だからこの悲しさも辛さも大したことはなくて甘えなのだろうかと思う。身体に大きな不調が出れば、父はなにか変わるだろうか。いや、変わらないだろう。しかし、大手を振って家を出ていくチャンスになることは間違いないだろう。けれどそれもないのなら、もう少し耐えるべきなのだろうか。
家を出ていけばいい。それは間違いなくそうなのだが、父と二人きりにしたらいつか母が殺されてしまうのではないかという恐怖もある。両親から「お前は独り暮らしができない」と何度も言い聞かせられて、まるで呪いのように縛り付けられている感覚もある。一人暮らしをしたいと切り出したあとに、激高され毎日不機嫌なオーラを出される中過ごさなければならないのが怖い。踏ん切りがつかない。これは甘えなのだろう。
そういう中途半端な親元に生まれた私は結局今日も、本当の毒親よりはマシと言い聞かせながら父の顔色を窺う、情けない生き方しかできないのだろう。
適当な空き家買ってまずエアコンだけ付けて冬用にストーブ持ってって、あとは1人で昼からとか起きれなかったら夜からとか現場行ってクロス貼ってクッションフロア貼ってベランダ掃除して畳運んだりしてる
残置物多めの家とかだと安く買えるし、屋内作業の割合増えるからかなり良い
深夜でも玄関に分別して積むだけなら全然できるし、直前まで生活してたりするから温度は快適
ニート予備軍なら部屋のカビとゴキブリ程度慣れてるだろうしオススメ
玄関まで運んでおけば後は車横付けして積んでクリーンセンター持ち込みとか産廃業者に取ってもらうとかだからそんなに力仕事って訳でも無い
キレイになったら美装入れて売るなり貸すなりで手離れ
風呂の酷いカビとかはやっぱり専門業者じゃないと取れないからね
生活習慣ぶっ壊れてるけど、年に30日程度しかない立ち会いの日だけなんとかすれば良いからこんな俺でも個人事業主できてる。
ただ関わりのある業者とか見てる感じ、こういう家庭内廃材とかの処理はペアでやってるのが多いからこのスタイルだと1人作業ばっかりになるのが欠点
階段から落ちて怪我とか棚の下敷きになるとかカビた床板踏み抜くとかやっちゃうと1人はかなり危ない
幸い俺はまだ怪我はせずに済んでる
カビ系の発疹はすごいけどな
立ち会いでしか人と会わないし、ヘルメットとマスクあるから発疹あっても気付かれないから問題ない
やっぱり時間に融通効くことしかできないから、この仕事は休んでも誰かに怒られたりしないし、ゲームしたい時は仕事ほっぽってゲームできるしでかなり自分にあってる
昼前におきて4時ごろまでだらだら食いながらパソコンでネットして
それから寝た
ねるまえにぽこたんいんしたおってのがずっと頭にこびりついてたせいで夢の中でも出てきた
いそがないと空港まにあわないよみたいな
でもおれはかていきょうしだから技術的なことしかおしえらんないんですっつてやんきーどかたっぽいおやにせつめいしてた
8;40のひこうきなのにもう8時半
まにあわんなーとおもいながらそこをでようとしたところでめがさめた
けっこうあせかいてたなー
ふふ
しゃわも1週間あびてないからくさい
カツ系買いすぎたな―
なんかぬれてるのなんでだろう汁もれてたんかなと思ったけど雨だから雨でぬれてるだけだな
焼きおにぎり茶漬けが結構うまいと思ったけどご飯茶碗程度で定価380円はたけえわ・・・
半額200円でも高く感じる・・・
外には一切表札の類が無くて何の建物なんだろって気になってGoogleマップで見ると「〇〇社従業員寮」って書いてた。
ふーんそうなんだ、って感じだったけどよくよく考えるとどうみても人が住んでる感じがしないんだよな。
よく前を通るけど、通勤時間にも帰宅時間にも人の出入りが全然ない。
建物じたいが生活感ゼロというか、堅牢な感じの病院みたいな造りで、ベランダとか一切なくてその時点で寮?ってなる感じ。
窓もすべて締め切られてて、病室みたいな分厚いカーテンが降りててほぼ見えないんだけど生活感ゼロというか誰もいなそうな感じ。
でも1階部分の1部屋だけ、夜になると窓からボワっとした明かりが漏れててなぜか工場っぽい格好の人が事務作業してるのが見える。
寮母さん?管理人さん?って感じじゃなくてガッツリ仕事してる感じなのよ
謎すぎるんだけど。
あんま覗き込むのも失礼だし不審者丸出しなんで通りがかるときにチラっと見るだけだけど。
「テレ東『アド街』で局アナが「サンタいない」発言、家族で見ていた視聴者から大ブーイング」というニュースを読んだ。
→https://www.cyzo.com/2023/12/post_360904_entry.html
こういったサンタクロースの存在可否について思い返してみると、90年代はそこまで世間は熱心ではなかったと思う。
精々「いい子にしてるとサンタさんがプレゼントくれるよ」程度であり、本気で信じ込ませる気概のようなものは無く、あくまでそういうイベント設定を楽しむような物であった。
00年代に入るとノリが変わってきて、大人が本気を出すようになっていった。
ベランダに足跡を付けて「サンタさん来てたよ!」と言ったり、正体を父と疑う子供のために太った友達にサンタコスで登場させたり、
といった話が「子供のために奮闘する大人って良いよね」という流れで消費されるようになってきていた。
それでもバレる時はバレるが、その時は「あちゃーバレちゃったw」と笑い話になるような緩さがあり、そういう雰囲気も含めて楽しんでいた。
「サンタは子供の夢であり、疑わせる行動を取るべきではない」 「子供にサンタの存在を信じ込ませることは大人の義務」
といった妙にクソ真面目な考え方を持つ大人が増えてきて、やたら息苦しくなってきたように思う。
そしてうっかり「サンタはいない」とでも言おうものなら子供の夢を壊したな!と怒り狂うのである。
何というか道徳の領域に足を突っ込み始めて異様さを感じるようになったのがこの辺りだ。
「サンタが居ないと知って悲しむ子供」という構図が「子供の成長過程あるある」ではなく「可哀想、同情すべき悲劇」として大袈裟に使われるようになり、ますます狂気じみてきた。
親戚の爺婆が悪気なく「正体はパパだよ」口を滑らせたりしただけで制裁として出禁にしたという話を聞いた時は驚いた。
正体バラしたら絶対に許さないというのは明らかにやり過ぎである。
最早そこにサンタクロースのイメージにあるような寛容で慈悲深い精神などどこにも無い。
そもそもサンタの存在などちょっと油断すればすぐバレる雑な嘘である。
真実を知って傷付く事がわかってるなら最初から嘘をつかなければ良い。
嘘が明らかになる前提なら、軽いノリでやればよい。
しかし近年のサンタ信じこませ界隈はどうもその辺分かっていないようであり
「サンタは信じ込ませるモノ」という目的不明の原理主義のようなものに従い脳死で動いているように感じる。
率直に言って最近のこの風潮は気味が悪く受け入れられなくなってきている。