はてなキーワード: パレスチナとは
日本のために命かけるならできると思ってたが、ウクライナやパレスチナの戦争を見ているうちに「いや、これは政権与党のために殺し合ってるだけだな」と気づく。
ロシア兵が死んでいるのは100%中100%プーチンのためなわけで、俺たちがもし戦争になったら岸田や鳩山のために殺し合えるかということが問われる。
アフガン戦争の頃、自民党のメンツのために最前線に行けるかが問われていたし、そこでブラックホーク・ダウンの片棒を担げるかが問われていたのを見て、俺はそれを「日本の国際社会における立場のために出来るか」が問われていると思っていた。
違うんよな、政権与党のためになんよな。
911とか見ちゃった影響で守るための戦争を信じていたが、プーチンやユダヤのおかげで目が覚めたよ。
政権与党のために殺し合えるかって話を考えないといかんのやね。
俺はやっぱ無理だなあ。
まあ、氷河期を生き残るために自衛隊に逃げてきた俺が悪いんやろなあ。
戦争始まっても頑張れないわ。
自民党の偉いおっさん差し出して「コイツらが生こいてただけなんです!国民は騙されただけだから許してください!」みたいにしたくて仕方ないだろうな。
でも俺チキンだから表向きは粛々と戦争して、いざ人を撃ち殺してから「あーあ岸田のために人殺しちゃった」と後悔すんかなあ。
「あーあ岸田のために殺されちゃった」で死ぬのかなあ。
はあ、軍隊に入るんじゃなかったなあ。
自民党に例えれば、統一教会の奴等が下働き(ポスター貼りや電話)だけじゃなくて、対立候補の演説妨害とか街宣とかシール貼りとかで自己の主張のアピールをしてる状態なんだよ
大多数からみたらそりゃ引かれるだろ分かれよ
立憲民主党は連合のボランティアがいなくなったせいで市民連合(元SEALDs)やらしばき隊やら共産党に近い市民ボランティア(なんちゃらアクションとかやりがちな人)が入り込んできてるんだけど、立憲民主党の方針に従えない奴等の手綱握れないなら切っとかないといつか大問題起こすぞ
都知事選の一人街宣だとパレスチナとか戦争反対がどうたらとかやってた奴等もいたぞ
しかもそれを指摘したら、活動家はもちろん議員・元議員連中からも袋叩きに合うって地獄
そりゃ何か見返り(政策面での実利とか精神的な高揚感とか)がなければ人は無償の労働力の提供なんてなかなかしないだろうけどね
両親はガキが死ぬかもしれないって思わないんだよな
保育園や幼稚園や学校で通園通学してたら交通事故で死ぬかもしれないって思わないのって馬鹿だよな
他人に自分の子供を預けて育てたら万が一でもそういうことが起こるって考えてない馬鹿両親
なんでこいつらって学ばないんだろうな
こんにゃくゼリーもそうだが悪いのは見守ってばかった両親ども
いやー滑稽だわ
自分のガキが死ぬ可能性を考慮してから産んでないとか馬鹿だなぁ
悲しいことが起きるかもしれないのに
ガキが死んでようやく気づく馬鹿両親
これで身震いするほど嬉しくなる
常に不幸になる恐れを意識して生きなかった罰
ウクライナもパレスチナもウイグルもみんなみんな苦しんで今日を生きるのに精一杯
こんなクズな親はガキが死んでも当然だろ
父親「オラァー!しょうごをいじめた奴でてこい!ぶっこ◯したる!!!」
母親「くのやろう!戦争じゃボケェーボケェー!ぶっこ🌲すぞ!」
祖母母「血も涙もないんかあんたら!血の海に変えてもええねんぞ!」
祖父父「永久欠番だ!お前ら孫をいじめた奴の人生は永久欠番だ!」
俺は学園の頂点にたった
だがその天下も長く続くことはなかった
俺はバイク事故に巻き込まれて今も後遺症のせいで歩くのがしんどい
人生ってのはな
89人がとめよう戦争への道!百万人署名運動 千葉県連絡会さんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数100を一緒に目指しましょう!
来年2025年5月21日から23日に開催予定となっている国際武器見本市DSEIジャパンの会場として、千葉県有施設である幕張メッセが使われようとしています。
2023月3月に幕張メッセで開催された武器見本市にはイスラエルの軍事企業エルビットシステムズなど250社が参加しました。岸田政権による軍事予算の倍増や敵基地攻撃能力の保有、武器輸出の規制緩和など大軍拡政策の中で、防衛省・自衛隊や外務省、経済産業省など国家ぐるみで支援し、三菱重工やIHIなどの日本企業も多数参加しました。
2025年5月の武器見本市にも世界中の軍事企業が参加し、イスラエルからも15社が参加を表明しています。
パレスチナ・ガザ地区に対するジェノサイドの当事者であるイスラエルの軍事企業は「実戦で効果を上げている」とドローンなどの最新鋭兵器をセールスしています。ウクライナ戦争やガザ虐殺と同時進行で準備・開催される武器見本市を私たちは見過ごすことはできません。
ウクライナ戦争やガザ戦争をはじめ世界中で戦争や内戦が増加し、近年、世界各国の軍事予算が倍増し、徴兵制復活などの動きが強まっています。ウクライナやガザでは米国などによる武器供与が戦火を拡大し、多数の人びとの生命を奪い、難民を生み出しています。ドローンなどの最新鋭の兵器が人びとを残酷に殺しています。
Gim ヒント:ハーヴェイ・ワインスタイン
nomitori そもそもサイコパスは社会的成功しやすい、若しくは社会的成功者にサイコパスが多いって考え自体が、米国から来てるんちゃう。日本だとなんかサイコパスの意味ねじ曲がっちゃった感はあるけど…
WildWideWeb 少しずれるけど、皆が着任を心配してた2020東京五輪開会式の総合演出、彼がやっていたら例の件より酷いことになったか、むしろ上手くやり抜けたか。どっちだろう。
2024/06/25 リンク
ustam イーロンマスク、ジェフベゾス、ドナルドトランプ「せやな」
2024/06/25 リンク yellowyellowyellowyellowyellowyellow
nyaaaaaaaaaaaaa ここで言う人間性は、キリスト教的な行動(ボランティアや助け合い)の事を言うものだと思う。日本は、朱子学ベースで封建的で拝金主義で薄汚い事は確か。ww2で負けるまで、露と同じ戦闘民族。急に優しくはなれない。
2024/06/25 リンク
2024/06/25 リンク yellowyellowyellow
hepoko_ks ガバ理論。会社員と個人事業主を比較してチェリーピッキングすんなww米国のトップリーダーも人間性はひどい人いくらでもいるじゃない。日本でも会社員はいい会社、上席になればなるほど人格者が増える傾向があるよ。
2024/06/25 リンク
the_sun_also_rises 荒っぽい理屈でゆがんだ見方だね。出羽守論法って亡べって常々思っているのだけどなくならないね。となりの芝生は青く見える。これだけは言えると思うのだけどないものねだりは世界共通だと思う。元増田は特に。
2024/06/25 リンク yellowyellowyellowyellow
cider_kondo 誤:日本特有の現象 正:世界的に極めて普遍的な現象※ただし、欧米SUGEEE論者の脳内を除く 孔子の時代から(それ以前から)仕事と人格連結させる思想は絶えないが、基本的には社会にとって有害な(疑似)宗教よな(全否定
2024/06/25 リンク yellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
kotaponx 石油王ジャン・ポール・ゲティさんも、めっちゃケチで孫の誘拐にも身代金値切ったりで、孫の耳が切られたみたいな話も(まぁ他の親族を誘拐から守るためでもあるけども)
2024/06/25 リンク yellowyellowyellowyellowyellowyellow
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質は正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
まあ本人たちはあんま意識してなかったと思うけど時期が最悪なんだよ諦めて…
今、日本が植民地支配主義を肯定しても否定してもすごい微妙なんだって。
ウクライナパレスチナ台湾どの問題も植民地支配が発端のひとつなのね。
日本の国民がそれに対してどう思ってるかって、なんかイチャモンつけて喧嘩ふっかけられる可能性も結構あるくらい今世界情勢が逼迫してるのわかって…そこ今不用意に触れるの非常にまずい。
ああいう露悪的だけど実は深い、みたいなのは80-90年代が最盛期だったように思う。
あの頃のMVは今じゃ無理だなって思うけど面白いのが結構ある。
あと題材もちょうど今、パレスチナウクライナ台湾問題、どこも植民地政策が発端でずっと揉めてることがここにきて急にどれも大きく燃え出してるとこだから、真意はどうあれ、少なくない人がそれを茶化す感じに見えるものがでるのは、タイムリーといえばそうだけど間が悪いといえば間が悪い。
NHKの「3ヶ月で学ぶ世界史」という番組がいい。アジアの視点で紀元前の古代から近代までの世界史の流れが解説される。
もちろん時間に限りがあるので、細かい部分は省略されて、王朝単位で大まかに説明されてしまうのだが、それでも高校世界史しか知らない自分みたいな人間には西欧視点でない歴史解説が面白すぎる。
昔の王朝の支配地域の地図でやたら広範囲に色が塗られているが、別にその隅々まで厳しく占領して中央が管理していたわけではなく、多くは現地の支配層を恭順させた上で任せる緩い支配だった。
一番勉強になったのは、ユーラシア大陸を股にかけた遊牧民の重要性。この遊牧民がアラブ商人になったり傭兵になったりしながら大昔から日本からヨーロッパまで世界を繋いでいた。遊牧民は世界経済に欠かせない存在だった。
これが西側視点になると、定住しない遊牧民は非文明な悪者集団として伝えられるだけになる。そのイメージは現代では差別感情となり、物語ではジープに乗ってヒャッハーと叫びながら奪いに来る世紀末の無法者集団にまでつながる。
西欧が技術発展するにつれ、ユーラシア大陸の人やモノをつなげる遊牧民の役割が終了する。というか邪魔になる。
航路の発展で中抜きする遊牧民抜きでアジア各地と取引できるようになる。西欧人にとって遊牧民は農地や資源開発できる土地を無駄遣いしている馬鹿だ。
西欧が列強になりせっかく引いた国境線を好き勝手に線をまたぐ遊牧民は目障りになる。
イスラエル建国のドキュメンタリーで当時のパレスチナ人指導者の息子はこう回顧した。「わたしの父はパレスチナの独立ではなくアラブ国家の建国を目指していた。より大きな民族国家を作ろうとして建国宣言でイスラエルに遅れをとってしまった」。
そりゃそうだ。広範囲に関係性を持って生活文化を作ってた中で突然に直線の国境線が引かれて勝手にここからここまでパレスチナとされるほうが本来はおかしかった。しかしイスラエルのユダヤ人相手にそうした歴史のそもそも論を話している場合ではなかった。
国境のない時代にユーラシア大陸を歩き回って人類の文明発展を支えたアジアの民族たち。世界の多様な視点を理解する重要性を感じた。
・東日本大震災→めちゃくちゃ変わった。特に漁業関係や農業関係の人たちは放射線量を気にして出荷しないといけなくなった。今でも破壊された原発で放射線を浴びながら作業してる人がいるし、日本はそれらへ大金を費やしている。
復興特別所得税ができた。
イスラム系への差別が強まったし、アフガニスタンへの侵攻が始まった。自衛隊も中東へ派遣されることとなった。
・ウクライナ、ロシアの戦争→小麦の価格が高騰した。パンが値上げ
・イスラエルとパレスチナ→シオニスト、非シオニストの対立ができた。ウクライナ企業の不買運動が始まった。
・安倍襲撃事件→統一教会との癒着が取り沙汰され、解散命令が出された。
・コロナ禍→市場経済に大打撃。一時的にエンタメは盛んになったり車が売れたり観光業は潰れかけた。
パッと浮かぶだけでクソほど変わってる