はてなキーワード: アニラジとは
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
TPOでしょ。あと客席(TwitterならTL)を温めてたかどうか。
たとえば声優じゃなくて素人のなりきりとかイタいとされることの代表だけど、演劇部員が部活で架空の人物になりきってるなら全然いい。TRPG遊んでる最中でももちろんいい。
Twitterなら、最近だとキャラbotという形でやれば許されやすいけど、普段使いのアカウントで急になりきりだしたらやっぱりイタい。
ポエムも急に言い出したらイタいと言われるが、詩を発表する場とか、文芸誌に投稿するならイタくない。
声優がキャラになりきるのも、収録するマイクの前とか、舞台の上でだったらどんどんなりきってほしいというかその純度を高めることこそがプロだけど、普段使ってるツイッターでやったら反感を買う。
誕生日ツイートだって、たとえばアニラジで、そのキャラの誕生日付近の放送回でキャラになりきって、祝うなり、ファンに祝われて感謝するなりのセリフをしゃべったんだったらだいたい喜ばれるだろう。
中学生の頃に勉強しながらずっとラジオをつけっぱなしにしてて、洋楽トークがカッコよく聞こえて自分も洋楽を語れるようになりたいと思った
しかし他を圧倒するほどの新鮮さも異質さもなかった。
だけれども、そもそもラジオというパッケージにおいて、他を圧倒することなんてありえない。
ガルラジがなにやらすごいという記事が何本もあがっていたので、早速聞いて見た。
色々と表現の仕方はあるだろうけど「ラジオを題材にしたボイスドラマ」としてクオリティが高かった。
コンテンツが供給されるのなら、今後ついていこうと思うし、DJCDが出るなら買いたいと思う。
特にチーム御在所が俺は気に入っている、おねロリだし。(「オフパコかもとドキドキしながら行ったら女子小学生がいた」っての、完全にメスガキにわからせられるパターンだけど主人公が女性だと、こうなるの、まさに男性の原罪、みたいな話しを広げるか悩んだけど、オチが男性の原罪だとマジの人たちに怒られそうだからやめます)
ただ、これが何か新しいものか? 今までにない異質なものなのか? と聞かれると言葉に詰まる。
これは去年、俺の生活をかなり侵食したVtuberに関しても同じ。
もちろん、細かい部分を見れば面白いところ興味深いところ拙いところ旨いところ色々あると思う。
けど、どれも、ほんのちょっとの調味料にすぎず、元の料理の味を大きく変えているとまでは思えなかった。
結局、主に音声を楽しむパッケージを『ラジオ』と呼ぶのであれば、まさにラジオが心地いいという話だ。
こういっちゃなんだけど『ラジオ』が面白いのなんて当たり前なんだよ。
今現状、毎週聞いているラジオを追うだけで精一杯で、かつそれに満足している人に、新たに推せるだけの強烈なパワーがあるのか? という疑問だ。
これに関しては自身を持って言える「ガルラジに他を圧倒するほどのパワーはない。そしてあらゆるラジオ番組は他を押しのけることはできない」
結局、ラジオっていうのは喋る人のパーソナルな部分を伝えるパッケージなんだよね。
そして、そのパーソナリティの魅力というのは、すなわち人の魅力で、じゃあ人の魅力って代替できるものじゃないんですよ。
こんなの当たり前な話で、「俺にとっての『榎本温子』に変わりなんていない」こんなのあったりまえの話しでしょ。
もちろん、じゃあラジオってパーソナリティーが全てなの? と聞かれれば絶対そんなことがなくて。
ディレクターさんがいて、構成作家さんがいて、いろんな人が関わってできるチームプレイももちろん重要なんだけど、
言ってしまえば、このディレクターさんや構成作家さんや他のスタッフさんたち全員も含めて一つのパーソナリティーなんじゃないかなと。
だからもう、極論なのは承知で言うけど「ラジオを他人に勧めることが愚か」とすら思えてしまった。
だからアニラジアワードなんてもので、評するなんて論外なんだよ!!!!!!
ラジオ関西を仲間外れにするのをやめろ!!!!(仲間外れにしたわけではないと思うよ)
アニラジアワードで表彰されなかった全てのラジオ番組全ておもしろいんだよおおおおお!!!!!
つぶせつぶせ! 声優アワードと一緒にこんなのなくしちまえばいいんだよ!
(さすがに「ヨナヨナ」のどこがアニラジだ! という意見はもう寒いので言いませんが、「ヨナヨナ」があって「スターダストボーイズ」がないのは、アニラジアワードのスタッフがポアロの鷲崎派だから、は言い続けようと思います)
会社でいつもはニコ動を見たり流したりしながら仕事していた時、
PCのスペックが足らなくなり、CPU100%とかメモリスワップが追いつかなくなって、よく落ちるようになっていた。
ニコ動じゃなくて音声だけなら流しながら仕事できるんじゃないかなーと思っていたときに、
昼休みにニコ動にアップロードされていた井口裕香の超ラジ!Girlsを見た。
衝撃をうけたのは今でも覚えている。
「やべえ」「なんだこいつ」「くそおもしれえ」と思って、番組名を知り、A&Gとかいうのがインターネット放送でしているのを知り、そこからアニラジにハマりまくった。
元々地元のAM・FMでメールを送ってたりした経験もあり、番組にメールを送る障壁は低かったので、
所謂ネタコーナー以外でメールを送りまくっていた(ネタ作るのニガテ…)ら、
タイミングよくTwitterの実況が一大ムーブメントとなりはじめ、さらに熱量はあがっていった。
もう仕事してるのか、番組にメール送ってんのかわかんねえな、レベルで。
それから8年。
あの時の熱量はほぼ消えている。
昔は尖っていた番組も、年を重ねるごとに丸くなり、
新番組として尖ることも少なくなり、台本もコピペ台本のようなものばかり。
番組にメールを送る人は多くなったかもしれないけど、なんか内容が足らない。
デジマジはどこに…
RadioCrossはどこに…
じゅうはちキンは…ホンバン。は…
Lady Go!!の後釜はFIVE STARSだけど、Lady Go!!ほどおもしろくない…
GT-Rはどこにいったのさ。
羅列するとAGQR番組ばっかりだな、でも音泉もアニメイトTVも響も結局は同じだ。
ちゃんとした「アニラジ」は面白いけど、「中の人ラジオ」になると台本が同じになって途端に面白くない。
そう感じていることが多くなってきた。
しかいない。
ヨルナイトは面白いし、思春期は面白いし、ラジオのラジオは面白いし、本渡上陸作戦も面白い。
SDBは言うことなしだし、NNNYだって視聴者数少ないかもだけど十分。
でも並べてみて思ったのは、これらは「アニラジ」ではない気がした。
ということは、僕の中での「アニラジ」はもう面白いというものではないのかもしれない。
もう僕の中での「アニラジ」は、終わりかもしれない。
・声優がキャッキャしてるの
AIRのコメンタリーが監督語りまくっててめっちゃおもろかった
昔のアニメだと値下がりしてるし
でも全部そろえようとすると後半の巻が高くなってたりするからあなどれないけど
あれだな
アニラジと似てるのかな
でもきらきらしてる声優がとりとめもない雑談するんじゃなくて、
作り手側の人の話って
なんか新しい発見あって
また見てみたくなるんだよね
あーコメンタリーが2つついてて一個が声優1個がスタッフってのもあるな
ユーフォとかそうなってたっけかな
もうそれだと最高
デジパック仕様とかイベント券とかもあるけど、そーゆーモノ的なおまけよりも自分みたいなファンが買う原動力になるのがコメンタリーなのです
本放送を録画してても絶対聞けないし、買ってこそ楽しめるモチベーションとしてはかなり差別化できる部分だとも思う
「(作品名)ブルーレイアンドDVD第〇巻お買い上げいただきありがとうございます」みたいなのから始まるんだよね
○朝食:なし
○お便り返信
はややーってなに?
僕の好きな漫画「咲-Saki-」や「シノハユ」などに登場する、瑞原はやりちゃんの口癖です。
で、じゃあそれをなぜ毎日書くかと言われると、あまり深い意味はなく、
僕はアニラジが大好きで、部屋にいるときはずっと流してるんですが、そのノリで文章を書くので、どうしても文章を書き始めるときは、独自の挨拶を書きたくなるんですよね。
ちなみに、昔はむきゅー! がそれでした。
今日ははややー。がなくて寂しい。
あと昼はパン何種類も食い過ぎだよ
はややーないときは、嫌なことがあった日です。
パン三つは多いんですかね、むしろ一つ減らしたぐらいの心づもりなんですが。
良く寝てください。
寝ました。
体調は元気なんですがいろいろあってかったるいです。
出たこの野菜高値の中をふんだんに鍋使いしサプリまで摂取する階級
つやっつやかよ
貯金とか上手にできてなくて、経済観念がガバガバなだけで、手取りが多いとかじゃない、と思う。
いやもうなんか所得の平均ググると憂鬱で死にたくなって来ましたね。
だいたいさ、客先常駐とかいうこのシステムの中において、昇給なんてありえるのかな?
僕が客の立場だったら、何が何でも単価なんかあげないわ。
なにより営業が僕のやってることを何一つ把握していない時点で、僕を評価する人間なんてどこにも誰もいないんだよね。
いやそりゃさ、現場レベルで見れば評価してもらえてるとは思うよ。
こんなこと自分でいいたかないけど、多分今のプロジェクトで一番中身について詳しいし、仕様を調整した経緯とかもそれなりに長くいるから知ってるし、何か問題解決をしないといけなかったり、困難そうな話題があれば呼んでもらって最初からその解決に当たるぐらいには、多分頼ってもらえてるよ。
手が早いってのも多分みんなからそう思ってもらえてて、頼られることも多いよ。
まあまあ、自画自賛してしまえば、1を知って10を知るタイプと言えなくもないわ、そこまで会話を交わさずとも客が求めてることはわかるし、それですぐ手をつけてすぐ診てもらって納得してもらえることも多々あるから。
けど、そんなことと、給料が上がる上がらないの話題は、何一つ、これっぽっちもリンクしてないんだよね。
そりゃまあ、やりがいとかはちょこっとはあるかもだけど、たかが(検問削除)システムの構築にそこまでやりがいなんてねえよと。
なにが同一労働同一賃金だよと。
僕とその新卒の子の労働内容を比べた時に同じかそれ以下だと思うんすかと。
はあああああああああ。
ほんとにほんとにしょうもないわ。
僕がどんなに設計頑張ろうと、製造頑張ろうと、テスト頑張ろうと、なんも意味ないわ。
はあああああああああああああああああああああああああああ。
何様のつもりやねん。
いや、僕がね。
鬱い、やる気でない、家に帰りたい、いや今家だけども。
なんも意味なんてないわ。
少女終末旅行の最終回読んだ時に「こんなん終末やのうても一緒やろ、全ての人間の人生がこうじゃ、ただその時に隣におるやつとおらんやつがおるだけやろ、俺の隣には誰もおらんから、俺はおらん側の人間じゃ」みたいなこと思ったけど、
まさにこの通りやで。
この僕が今登ってる階段の上には何もないし、少女終末旅行と違って僕の隣には誰もいないんやぞ。
ただただ死んでいくねん。
はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
しょうもな。
しょうもな。
あーあ、2月にまた東京出張あるんやけど、ドローン飛んでないかな。
もうニュースでドローンが飛んでるって見ていらい、ワクワクしてんだよね。
いや、ドローンで残業監視するシステムを売るのであってその会社の自社にそれが導入されてるかは別の話だろって?
そらそうか。
ドローンを撃ち落とすことだけを夢見ていきとんのに。
はあああああああ。
なんやろな。
○調子
はややー。
仕事かったるい、なにがかったるいって、二月の末にまた東京出張が決まったことだ。
●3DS
月曜は真面目に聴きたいラジオがあるから、あんまりゲームの時間とれないんだよね。
○ポケとる
ひたすらにメインニャース周回。
いやもう、このゲームのチーム選び運ゲーまじでおもしろくねえな。
・ポケモン(2000/5000 繰越0)
・MS系(0/5000 繰越0)
・@(1500/5000 繰越0、ゲーム内貯金25414、チケット8枚(実質250かける8))
・その他(8200/10000 繰越0)
あー貯金かったるいなあ。
なにがかったるいって、東京出張でホテル代払ったり新幹線代払ったりすると、頭が足りない子の僕としては、もう自分がどれだけ使ったかわからなくなるんだよね。
あーーーーかったるい。
喜ばしい経験、たとえば美しい花を見ることが重要みたいなところが印象に残ってるな。
『意味の探求 人生論の哲学入門』だけど、かなり高くなってるな。
酒はより大きな苦しみをもたらすことも多いから手を出してない。
幼児の頃に一回祖父母に親とともについていったのと修学旅行とかだけ。楽しい記憶はない。
自発的に行った映画はパトレイバーの一作めとエヴァの二作めだけ。
ライブ・コンサート・演劇等に自発的に行ったことはない。学校行事くらい。
漫画家のサイン会に一度行ったことがある。歩いて行ける場所だった。
アニラジのイベントに一回行ったことがある。一回乗り換えるくらいの距離。
結果的に喜びをもたらすこともある。
姿を見ると喜びを感じやすい人がいる。特別に外見のよい人だろうな。
それらの趣味は凡庸。多くの人がよいと言うものをよいと感じることが多いと思う。
気分がましなときだったからか、昔やったゲームのBGMを聴いて喜びを感じて
見ることに喜びを覚えていた。
子供の頃はスーパーマリオみたいなアクションゲームを楽しんでいた。
最後に漫画を単行本くらいの量をまとめて読んだのは2010年の12月だな。
ゲームはやったとしてもほぼ続編というか、
ドラクエ、メガテン、エムブレム、トゥルーラブストーリーの関連作で、
世界樹、アルトネリコ、ブレイブリーデフォルト、ミリアサ、チェンクロくらいか。
ブレイブリーデフォルトはほぼ名前の変わったむかしのファイナルファンタジーだけど。
ラジオって、一見するとパーソナリティの普段は見れないパーソナリティが垣間見えるのが楽しいわけじゃないですか。
なんていうかこう他人の生活をちょっと覗き見するような感じが。
でもね、そういった部分って結局は我々の生活とは独立してはるか高みにあるわけですよ。
「最近みかんにはまった。この剥き方が便利」みたいな話を聞いて「うんうん」と友達の話を聞くように頷いても、全くもって完全に赤の他人でしかないんですよ。
一見距離が近づいたように見えて実際は全く近くなってないんです。
向こうの声は10万人の視聴者に届いても、自分の声は誰にも届かないわけです。
一方通行なんですよ。
ハガキっていうシステムを介してお近づきになれるのも、文章力と熱意と経験値を併せ持った廃人的ハガキ職人の独壇場なんです。
一部のハガキ職人とパーソナリティとゲストだけの空間なんです。
でもYoutuberは違う。
彼らはこっちのコメントを拾ってくれる。
双方向なんですよ。
ハガキシステムだと、面白いハガキ以外は亜空間へと消えるんです。
でも動画へのコメントは荒らし認定を受けでもしない限りは、どんなにつまらなくても他の視聴者の目に入るんです。
孤独じゃないんですよ。
大学の教授の授業はつまらない。彼らは別に学生にわかってもらおうとなんて思ってないだろう。
極一部だけ、自然と聞ける授業をする先生もいる。何がその他大勢と違うか。
それは別に話が上手だったりするわけではない。
学生の方に姿勢を向けているというか、対話しようとする意思が伝わってくるのだ。だから聞き手も聞きやすい。
俺はこれを「心の矢印が外向きである」と呼んでいる。
+++++++
中学生相手に集団授業をするバイトをしている。真面目なので、毎回しっかり準備して挑む。
しかし、事前で考えてきた説明をそのまま吐き出しても、なんか微妙な感じで終わることが少なくない。
その場に適切な?声の大きさとかトーンとか、話のリズムがあって、それに乗せて言葉を吐かなくとうまくいく。気がする。
家で「ここはこういうトーンで話そう」とか考えてきても結局また微妙な感じになる。
そもそも「上手にやろう」と考えた時点でもう心の矢印が内向きなのだ。
最近少しだけ矢印を外向きにできるようになってきた。
+++++++
アニラジだけじゃなく、地上波のラジオもちょこちょこ聞くが、やはり一番ラジオが上手だと思う。
もちろん正解はひとつじゃないのだろうが。
何といってもゲストを掘り下げるのが上手である。気持ちいいくらいの深さまで掘ってくれる。
ゲストに対してだけではない。リスナーに対しても矢印を向けている。
その対話を外で聞いているリスナーもちゃんと意識しているのが鷲崎健である。
ゲストに対するリアクションが大きいのは、リスナーに「ここは笑っていいところですよ」と伝えるためだと思う。
だからリスナーは”安心して”笑うことができる。番組の雰囲気の一部にいるような気持ちになる。
+++++++
安藤忠雄展。メインの建築の話はまあ正直3%くらいしか理解できなかった。
コンクリートで抽象的なTHE・Tadao Andoの建物だが、その実、立地環境を最も生かすように構成されている。
表参道ヒルズのことも、あのゆるやかな坂の傾斜を「建物内部に取り込もうとした」と言っていた。よくわからんけどすごい。
音声ガイドを聞いていても、住居にすむ人のことをよく考えていたり、一緒に仕事をした人の名前をよく挙げていたのが印象的であった。
独学で頂点に立った天才建築家である以上、自分のこだわりは曲げないみたいな、気難しい気性を想像していたが。
自分の意見が受け入れてもらえなかったり、企画が挫折の連続だったとかの過去も、ちゃんと自分の中で消化しているのだなと感じたり。
あの光の教会も、めちゃくちゃ厳しい依頼の中での仕事だったらしい。
それでも条件を全部満たしたうえで自分の作品を建てた。うーん、見習いたい。
あくまでも心の矢印を外に向けたまま、自分の理想も実現するということか。
+++
始めはインターネットのアングラ、オタク向けの作品、自分がやりたいことをやるところから始まったが、
《星を追う子ども》を経て、「観客の求めること」に作品を合わせに行けるようになったという。
矢印が外に向いていき大衆を指したとき、《君の名は。》が集大成として結実したのだ。
+++++++
以上、心の矢印を外に向けたいの話。
これまで勉強と水泳とオタクしかやってこなかった俺の矢印は内側を向いて錆びついている。
少しずつ還元していく。
うっちー……
常々思ってるけど、うっちーもう好き好きオーラを隠しきれてないだろ
無理やりもこっちの隣に割り込む、
割り込み後、もこっちの方ばかりを見る
吉田さんがあんな格好してるのにもこっちだけを見つめるのもう、もう
焼肉回のときも、周りにみんないるのに、もこっちにアプローチしかけてたし
もうこれ、実はみんなにバレバレなのかもしれないな
今回の最後のコマの後ろで、うっちーの友達たちが実は後ろから見張ってて
もこっちグループの中だと、これに気づきそうなのがガチレズさんしかいないのもまた面白いなあ
うっちーが幸せな最後を迎えられるのかが気になって気になって、夜も8時間しか眠れません(アニラジによく送られるゴミみたいなふつおたにありがちな文言)だよ
告白まで行くのかな
それとも、もこっちが薄ぼんやりと自分への好意を気づくぐらいかな
うっちー、がんばれー