はてなキーワード: まんがタイムきららとは
百合豚「百合は女性向けジャンル!」「百合好きは女性も多い!」
実際は男ばかりな模様
GLFes待機列
https://i.imgur.com/HXxGye6.jpeg
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ゆるゆり物販列
https://i.imgur.com/IGCxA5T.jpeg
https://i.imgur.com/URYsLzj.jpeg
まどマギ展
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流行っているのでそのうち誰か書くだろと思っていたけど、誰も書かないので書く
定義は「芳文社の萌え4コマ漫画誌『まんがタイムきらら』とその系列誌(キャラット・MAX・ミラク・フォワード・COMIC FUZ)」
4コマではないフォワードとCOMIC FUZもここでは便宜上含む。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
芳文社萌え4コマの大看板で元祖とも言える存在。日常系4コマという一大ジャンルの開拓者だが、アニメの蒼樹うめ✗新房昭之✗シャフトという組合せは後に「魔法少女まどか☆マギカ」を生み出しており、実はアニメ史的にも重要な作品
なお2024年10月現在未完結。このリストに出てくる後発作品のほうが先に完結を迎えている。ゆのと宮古の卒業はいつになるのか。
涼宮ハルヒ・らき☆すたに続く京アニブームで一躍有名になった作品で山田尚子の出世作。また、近年の大ガールズバンド時代の前史、あるいは「おっさんの趣味を女子高生にやらせる系」のさきがけとも言える作品。
2018年より事実上の後継作品「けいおん!Shuffle」が連載中。
まんがタイムきらら系としては異色のシュールギャグ漫画。キャラ4コマ中心のきらら系としてはやはり異色の登場人物2〜3人で構成される世界観。
アニメ化で円盤が記録的爆死で話題になったり、出演声優が麻薬で逮捕されたりとその不遇さもネタにされつつカルト的に愛される作品。
「女子高生が教室や部室、自宅に集まってしょうもない会話をしている」「男性が一切登場しない」「ゆるいボケにゆるいツッコミ」という、きらら系の様式の完成形。
こちらもゆゆ式と同じく「女子高生のゆるい会話と日常」というきらら系の王道。アニメのEDは中塚武が担当していてやたら洒落ていた。
こちらも「女子高生のゆるい会話と日常」主体だが、世界設定が「登場人物が日本人だが街並みが欧州の古い街」という独特の世界観。
主人公たちが別々の学校で別々の学年で別々の店でバイトしているというのも、ゆゆ式・きんモザと一線を画すところ。どちらかというとARIAとかに近い世界観。
現在絶賛終盤展開中。
主人公たちは社会人(途中で成人して飲酒するようになる)でデスマーチ的ハードワークや仕事での挫折、昇進と後輩の入社、プロジェクトの危機とその克服などきらら系としては相当異色。「社畜おっさんの日常を可愛い女の子にやらせる」系とも言える。きらら版SHIROBAKO 。
「おっさんの趣味を女子高生にやらせる系」の完成形。フォワード掲載の非4コマストーリ漫画。アウトドアブーム・キャンプブームの火付け役とも言われている。きらら系としては初の実写ドラマ化。
原作者のあfろはゆるキャン△以前はシュールレアリズム的作風で、この作品が転換点とも言える。原作・アニメ・ドラマのいずれもロケハンと背景作画に莫大なコストを掛けている。
主人公の魔族の末裔と魔法少女が手を組み街の平和を守るという話。ギャグの走り方はいかにもきらら系4コマっぽいが、バックグラウンドは結構暗くて、まどか☆マギカからバイオレンスを抜いてギャグを注入したような世界である。
先日2.5次元舞台化が発表される。危機管理フォームはどうすんだろか。
「大ガールズバンド時代」の一作品。けいおんが「90年代J-POP(ラルクGLAY)の薄めの引用」、「陽キャコミュ強だけど楽器初心者の主人公」、「学校の軽音部で特にプロは目指していない」のに対して、ぼざろは「2000年代初頭の邦ロック(ロキノン系)の強めの引用」、「陰キャコミュ障だけど有名配信者の主人公」、「ライブハウスで活動するインディーズバンド」と真逆の設定。大ガールズバンド時代はそういう空気である(ガルクラとかMyGoもその傾向だし)。
いや、マジで臭えんすよ。
作品⇔健全な受け手 間で成立する健康的な空気が台無しになっていくわけですよ。
たとえば映画やLIVEに行って隣でワキガプンプンさせてるデブオタがぴょんぴょん跳ねて臭い撒き散らしてたらこっちの集中力に制限がかかるでしょ?
そういうの本当に迷惑なんですよね。
それって別に屋外か屋内かだけじゃなく、リアルかネットかですらなく、たとえそれが雑誌の投稿の中だろうともいい迷惑なんですわ。
別に個人が陰でコッソリ消費してそれに対して個人的な妄想「〇〇ちゃんと俺が同じ部活だったら絶対仲良くなれたわ。俺達めっちゃ話し合いそう」とかクセー妄想するのは別にいいんすよ。
でもそれを他人の目に付く場所で垂れ流すのは辞めてほしいんすよね。
「ボクは◯◯って映画が好きで50回見てます!」みたいなのも辞めて欲しい。
まあ別にキモくも何ともない人がやるのは気にならないんすけど、キモい奴は一切合切そういうのしないで欲しいんですよ。
だってその作品に対しての印象にどうしても混ざってくるじゃないですか、「あっ、これあのサブカルオタク気取り中身空っぽ老害ジジイがめっちゃ好きだと言ってた作品じゃん。かぁ~~~っいい歳こいて何が好きかで自分を騙るのは辞めてほしいわ~~~」ってなるじゃないですか。
いやマジで思うんすけど「何が好き。何が嫌い」で自分を騙るのって学生時代までにするべきだと思うんですよ。
ある程度成長したら好き嫌いについてと自分語りは分けなきゃいけないと思うんですよ。
別に俺だって作品と自分をちゃんと切り離せる人の「これめっちゃ良かった」は批判しませんよ。
でもインターネットにいるような連中ってなにかの好き嫌いを口にする時に絶対にそれを自分語りに絡めてくるじゃないですか。
こないだだって「疲れている時にまんがタイムきらら原作のアニメが楽しかったけど、今見ると全然面白くない」みたいなツイートがありましたよね。
あれって「(意訳:虚無美少女水族館が楽しめちゃうぐらい疲れていた可哀想だった俺ちゃん。不断の努力により人生をV字回復させて離乳食アニメから卒業)」でしかなくて結局自分語りでしょ?
お前それ結局主体は自分語りで作品はマクガフィン扱いじゃねーか作品に対して失礼だと思わねーのかって感じませんか?
つまりですね「三国志おもしろいよね!曹操の生き様がカッコイイんだ!」はいいけど、「主人公扱いされている劉備ではなく曹操を推す俺、物語をただ右から左に読み流すアホとは一味違うだろ?」はマジキメーって話ですわ。
いや本当に「何が好きかで自分を語れよ」みたいなのをインターネットは持て囃しますけど、ハッキリ言って「自分を語るのに何が好きかを使うなよ」なんですわ。
好き嫌いを通してお前を語るんじゃねえよなんですわ。
ロシデレは今期の覇権候補で、コラボ先の京都地下鉄も市街地を走るメジャーな鉄道だ。
それに対して、きららは完全にオワコンだし、コラボする鉄道会社もマイナーなところだ。
京都には、アニメコラボが多い鉄道会社がある。その名は叡山電鉄、略して叡電。
始発の出町柳駅は市街地だが、そこを出ると田舎どころか山岳地帯が続く、まさに誰得な鉄道である。
そんなマイナー鉄道がアニメという孫の手にすがりたいのも分かる。
それで、叡電が目をつけたのは900系電車である。この電車は「きらら」という愛称で親しまれている。
きららといえば「まんがタイムきらら」だよな。2011年に叡電と「けいおん!」とのコラボが実現した。それ以来、きらら系列を中心にアニメとのコラボが定期的に開催されている。それで炎上したことはない。
出町柳駅に行ってみろ
発狂するぞ
結局、「ぼっち・ざ・ろっく!」って、音楽だけでは勝負できないからアニメという皮を被った、みたいな音楽の敗北を感じるんだよね
物を知らないとこんな勘違いも出来るのかと感心する。
老人すぎて「まんがタイムきらら」という雑誌の性質を知らないんだろうな。
「まんがタイムきらら」というのは「女の子がキャッキャウフフしてる4コマ漫画ばかりが載った雑誌」で基本的にはソフト百合(一部キャラのみハード百合)がコンセプトの作品が集まっている。
百合そのものをテーマにしたコミック百合姫のような雑誌ではなく、あくまで「女の子同士が楽しく過ごしてるのっていいよね。ちょっとエッチなイベントもあると嬉しいしちょっと百合だと良いよね」ぐらいの百合。
そんな雑誌に乗っているわけだからして、必然ぼざろもテーマはソフト百合なのだよ。
さて、それでは何故ぼざろが「音楽」もテーマとして扱っているのかといえば、これは百合ハーレムを実現するためのマクガフィンなわけだ。
まんがタイムきららには20作ぐらいソフト百合美少女四コマが載っているのだが、これと同じコンセプトの雑誌が「まんがタイムきららシリーズ」だけで5つある。
まんがタイムきらら、まんがタイムきららフォワード、まんがタイムきららキャラットと言った感じの本がそれぞれが月間発売されているのだ。
つまり、まんがタイムきららの中だけで100作のソフト百合美少女4コマ漫画がしのぎを削っているわけで、当然それぞれにソフト百合を書き分けなければそもそも相手にされない魔のレッドオーシャンなわけだ。
たとえば主人公たちを凄い不運にするとか、カフェで働かせるとか、国際交流をテーマにするとか、美術科を部隊にするとか、それぞれの漫画がなんらかの要素をサブテーマにすることでなんとか個性を出している。
サブテーマ選びで元められるのは、自然な流れで自分の出したい百合カラーに繋げるためのマクガフィン性能だ。
ぼざらの場合は「絶望的に陰キャな主人公が、実はインターネットではヒーローで、その凄さを知った超陽キャ美少女から惚れられてハーレム化してしまう」という百合ストーリーを目指して「実はギターヒーロー」というコンセプトを見出したわけだな。
結果として、虹夏や喜多ちゃんと言った陰キャのままだったら絶対に接点を作れなかったような相手といい感じに百合百合して過ごしているわけだ。
こうしたサブテーマ選びにおいて重要なのは作者が興味を持てること。
なぜならいくら百合がメインとはいえサブテーマが雑すぎるとツッコミ所が多すぎて目が滑るから。
あと、まんがタイムきららなんて読んでるようなオタクは性格が超陰湿だから弓道警察みたいなことを凄い勢いでするので、ミスをするのが超リスキー。
しかも性格がやたら被害妄想的だから「俺の好きな分野を商業的に利用するために興味もないのに扱った!文化盗用!燃やすぞ!」と暴れ出してしまう。
だから作者が既に詳しい分野、もしくはまだ詳しくなくても勉強が苦にならない分野が選ばれるわけだね。
まあこのへんの知識がなくても、作品を素直に読み解いていれば「ふーん。つまりは超絶陰キャが太陽の光でギラギラに溶けていく様子を描いて、オタクに優しいギャル系の成分を抽出したいのか」ってことはなんとなく分かると思うんだがなー。
憐れよな。
俺もいずれこうなるのかな。
悲しいなあ。
GLと百合って同じジャンル扱いされるけどニュアンスがちと違うよって話。
長くてめんどくさいだけの昔語り
主に同人界隈の話っす。
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今の百合と言われる女の子同士の恋愛・友情ものってマリア様がみてるのヒットでなど大きくなったのだけど、
その後、10年ぐらい経って、マリア様がみてるとは別の流れで、まんがタイムきららでけいおんなどを代表とする「登場人物が女の子ばかりで男性はおらず、そのなかで友情を育む」系の作品が流行って
そういう人達の中では、きらら系の恋愛までいかない友情ものが百合、恋愛やら性愛というものは行き過ぎで百合ではない、って風潮が出てきた。
昔から百合ものの同人を描いていた人達は逆に友情止まりで恋愛していないものと自分達の作品を同じ百合ものとして扱われたくない、みたいな雰囲気もあって、
百合ではなく「女の子同士の恋愛もの」と称したりしていて、その流れからGLものという単語が出てきた記憶がある。
(GLものを描かれる同人作家はBLを描かれていた方も多く、BoysLove→GirlsLoveという流れも自然だったのだと思う)
その流れから、昔からこの界隈にいる人達のなかでは、百合は友情もので、GLは恋愛ものなんて区別があったりなかったり。
もっとも唯一のジャンル専門誌が「百合姫」だったり、今も続いている数少ないジャンル専門即売会の名前が「GirlsLoveFestival」だったりで、知らない人からしたら同じものと思うのも無理はないと思う。
という記事を思い出した
それが「Vtuber」+「男性がいない」+「いつもの友達と一緒」=「自然に生まれた日常アニメ」状態に繋がりまして、日常アニメ好きの心に刺さった訳です。
「日常アニメっぽい」とは何かと言うと、可愛い女の子同士のわちゃわちゃ。この一言に尽きます。
このコンテンツでは巨悪を倒すとか挫折から立ち上がるとか、そんな話の盛り上がりは必要ありません。ほのぼのとしたストーリーの中で、ただただ可愛い女の子たちのリアクションを見せてほしい。そんなコンテンツになります。
私はホロライバーじゃないのでなるほどなーと
主に(殆ど?)男性対象の女の子出てくる漫画がメインの雑誌だった
そこで編集をやっていた時、ある事を漫画家らには徹底してもらっていた
それは、「女の子達が楽しくやっている漫画のテコ入れに男性キャラは出さない」という事
過去にいくらでも例があるが、女の子がメインで多い漫画の途中から、テコ入れでぽっと出の男性キャラを出すと
確実に荒れてその後の売り上げに影響するからだ
まあ編集でなくてもほとんどの漫画家はそれを理解してるのだが、
右も左もわからない新人時代、評判の漫画家の担当になって浮かれてた私は、ある漫画家の男キャラ出す案に賛成してしまった
結果はお察しの通り、荒れに荒れた、
今思えば、女の子同士で楽しくやってる中にいきなりイケメンの男性キャラを出してハーレム展開にするなんてどうかしてた
「(漫画家が)非モテ童貞だからこういう展開に憧れてたんだろ」っていう掲示板の指摘にはぐうの音も出なかった
水面下ではアニメ化の話も進んでいたが、男性キャラ出して荒れた途端に立ち消えになり、打ち切りになった
後にその漫画家は結婚して子供を授かったが、当時の自分はどうかしてたと漏らしてた
その後漫画家は、失敗に終わった作品を反省して、メインは全員女の子だけで
実際は男ばかりじゃねーか
GLFes待機列
https://i.imgur.com/gXrpEbr.jpeg
https://i.imgur.com/msOIiHS.jpeg
ゆるゆり物販列
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まどマギ展
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少年漫画なら男ということでいいな?
まんがタイムきららを勧める。
10-30代男性をメインターゲットにした、萌え4コマ専門誌だ。
http://www.dokidokivisual.com/
上の公式webを見ればわかるとおり、ほわほわした柔らかい絵柄の女の子たちが仲睦まじくする作品ばかりだ。
まず「かわいい」が先にくるので、露骨なエロやグロやポリコレといった難しいことから心理的に離れて、頭を無にして読めるものが多い。
創刊の経緯として、芳文社は従来まんがタイムという4コマ誌をだしていたが、年齢層がどんどん上がっていくため
若年層にターゲットをあわせた雑誌をという経緯で発足されたものだ。
ちなみにまんがタイムの最新号の表紙がこれだ。
https://manga-time.com/magazine/mangatime.html
きらら批判の常套句「中身がない」とは、「強い物語性ではない」ということであり、そのこと自体が作品として低劣ということにはならない。
ある作品で、登場人物が死ぬとすれば、制作者は悲劇として、感動的な演出を施すだろう。見る者は感動し、涙を流すかもしれない。
しかし、それはある意味では暴力を受けたことで流した涙ではないだろうか。
人が死ねば悲しいに決まっている。それが心からの感動と言えるだろうか。
感動とは、あからさまな演出によって生み出されるものとは限らない。
誰かが死ぬ必要もなく、あらゆる困難を必死で乗り越える必要もない。何らかの試合を勝ち上がる必要もない。
きらら作品は、何かを成し遂げなければ人間の価値はないという観念を否定した、真に人間を肯定した物語だった。
こうした物語を作るために、多くの漫画家は細心の注意を払ってキャラクターを創造する必要があった。
何気ない描写を気に入ることができれば、それだけできらら読者としての立派な作品鑑賞であり、感動だ。
確かにきらら作品に強い物語性のあるものは少なかった。しかしそれは悪ではない。単にそういう作品が好きか嫌いかという問題でしかない。
「中身がない」とは大味な物語に慣れた者の麻痺でしかないと言いたい。
ところで、近年のまんがタイムきららは組織レベルで、「中身がない」という意見を肯定し、批判を乗り越えたということを定説にしようとしている。
「「かわいい女の子が出てくるだけだ」「読めるレベルではない」などと、ネット上でたびたび批判されていた」
「そんなイメージを覆し、現在の「きらら」は読み応えのある漫画を連発するに至っている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/91bde76822f54bdad7f6fc68a5375aa384b2b494
漫画家・ヒロユキ、今だから話せる「きらら」黎明期と同人誌の制作秘話
――今では考えられないことですが、2010年前後までは「きらら」は漫画好きから蔑視されていた印象もありますよね
瀬古口:そうしたイメージを覆す作品を立ち上げたいと思っていました。
https://realsound.jp/book/2023/03/post-1277885.html
『ぼっち・ざ・ろっく!』担当編集・瀬古口拓也インタビュー 「4コマ雑誌「きらら」の固定観念を払拭する企画を出し続けてきた」
「中身がない」という固定観念を払拭した代表的作品として、公式が祭り上げたいのは『ぼっち・ざ・ろっく!』にほかならない。
『ぼっち・ざ・ろっく!』には確かに物語が(比較的)あるし、登場人物の成長だってある。それは確かに重要な要素だが、問題は他にもある。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の作者・はまじあきと担当編集・瀬古口拓也は、近年インターネットにおいて当たり前の語彙となった、「陰キャ」という言葉を前面に押し出すことによって、多くの人の共感を集めることに成功したのだ。
何をもって「陽キャ」「陰キャ」であるかという議論を超えた、曖昧かつ乱暴な分類によって性格が評価されることに人は慣れすぎた。
今や「チー牛」「弱者男性」という言葉をいくらネット上で言い放っても、誰も怒らないし、誰にも怒られない。
これは「淫夢」や「ハセカラ」のような人権侵害コンテンツによって育まれた、感覚の麻痺と考えることができるが、ここではこれ以上語らない。
いついかなる局面においても物怖じすることなくいられる人間などまずいない。
誰もが自らの陰気な心を自覚しているために、「陰キャ」という言葉を捨て去ることができない。
こうしてインターネットを超えてメディアでも当たり前のように用いられるようになった「陰キャ」という語を、『ぼっち・ざ・ろっく!』は目ざとく早くに見つけた。
(もちろん「陰キャ」が純粋にネット由来の言葉であるとは言っていない。ただ十年前の「インターネッツ」において「陰キャ」という言葉が今ほどに使われていただろうか?)
まんがタイムきららは、確実に存在して容易に解消することのできない劣等感を獲得することで、「中身のある」ものになれた。
まんがタイムきららは「中身がない」から乗り越えたことを定説化しようとしている。それはかつてのきらら作品の否定だ。
現在のきららは、かつての遺産を裏返すことで生まれ変わろうとしている。
つまり「あのきららが今ではこんなに中身のあるものに変身している」ということだ。
ただしその手段が、「陰キャ」という借り物であり、上品とは言えないネットスラングの中から穏当なものを選んだに過ぎないものであることを忘れてはならない。
2010年代のきらら作品のアニメ化ラッシュは、いつしか昔のこととなっている。
もはやきららに中身がなかったという記憶すら、かつてのアニメ・漫画ファンにとっての認識として忘れ去られるのではないか。
例えば今(またはこれからの)中高生が、「昔のきららはつまらなかったが今では面白くなった」という認識を実感できる保証はあるだろうか。
まんがタイムきららは、雑誌という全体のレベルで大きな物語を作り上げていったわけではない。
あるいはこれからきららは新たな方向へ進み、さらなる成長を遂げることができるかもしれない。
ただしその体力はどれくらい残されているだろうか。
まんがタイムきららからアニメ化の発表が絶えてどれほどの時が経っているだろう。
『けいおん!』の大ヒットは衝撃的だった。
TBSしかまともに手を出していないマイナー雑誌がアニメの歴史を残すほど大ヒットしたのだ。
同時に、けいおんに限らず、まんがタイムきららに対する批判の声も大きかった。その中で一番聞く声がこうだった。
中身がない
少なくとも多くの人の癪に触ったのは間違いない。
たかが萌え4コマごときがここまでヒットしたとは思っても見なかっただろう。
コマ割りが単調な4コマ漫画、それもキャラにしか魅力がない萌え4コマに魅力があるはずがない。
多くの人がそう思っていたのだろう。
2022年秋、とあるジャンプ漫画原作アニメがきららアニメごときに負けるなんて夢にも思わなかっただろう。
世の中で最もヒットを生み出した高尚なジャンプ漫画が、中身がないはずだった低俗なきららの漫画に負けたのだ。
改めて聞いてみよう。
中身がないってどういうことなんだろう?
(複垢フェミ関が先月に何度目かのツイ垢凍結を食らい、今月にはYoutubeチャンネルがスパムコメで停止となるも即復活。その不屈の精神を称え、今場所で横綱昇進と相成りました ※追記:3月にもまたツイ垢凍結)→前回の【幕内】・【十両以下】 →【今回の十両以下】)
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名フミさん、まーさん他。
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田やはてブで拡散しようと企む某ツイフェミ。
すでにTwitter・Togetter・はてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。ただ「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで一字一句全く同じ文章を使い回す上、噛みつく人物もネタも同じ(絵本作家「のぶみ」・共同親権・ヴィーガンなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。このオマヌケな習性のせいで、復活してもすぐ足がつく。
はてブでも複垢を悪用し、404化を食らった前科持ち。現在もこいつの関与が疑われるはてブidが少なくとも4つあり、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。
なお、実は子持ち説があったりする。にもかかわらず持ちネタのひとつに「子供を産んで後悔した親」というのがあり、事実なら割とマジで虐待が心配である。
🍊
異常なまでに膨れ上がった自己顕示欲にユーモアが全く追いつく様子のない、THE・クソ増田。「増田の王」を自称するが、せいぜい増田のチンフェあたりがお似合い。
昨年ついに増田をBANされたらしく、同時期に大量のネームド増田が削除されている。
一時おっちゃんねるに逃亡していたが、11月の番付発表と同時に、嫌がらせのように復帰を果たした。規約はどうなってんだ規約は。
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。ネームド増田の中ではおそらく最古参。
「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」「女子大生の設定では」などと、意味不明なクソリプを飛ばしてばかりいる。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらにセルクマや自作自演を疑うのも特徴。
「自分の気に食わない奴は全員同一or特定の人物」という思い込みが非常に激しく、最近では無関係な他の増田をしきりに「番付作成者」呼ばわりしているが、
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。
パンティー
以前いたハッタショ増田同様、発達障害・セクマイ気取り系の増田をターゲットとしたクソリプ増田。
過去に投稿した長文トラバから、大量のリンクを貼ってくる過去からの追跡者。
以前はコロナに関する話題でも同様のトラバを繰り返しており、どうやら医療や教育に相当コンプレックスを抱えている様子。
わかりましたね?
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。
一応この増田らしき投稿は続いているものの、以前に比べると存在感は低下している。他にも文体を変えて潜伏している可能性はあるが……?
おーぷん2chやまとめサイトから、おそらく他人の投稿を勝手に転載している増田。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。
「はてウヨ」「はてサ」「超人」などのカテゴリ分けをしたブクマカ一覧を定期的に更新している増田。
この増田に限らず、ブコメ界隈では増田のブクマカid晒しに載ることを「当選」と呼び、載らなかった者が「また落選」とブコメするのが常。
字が汚い女がいかに嫌いか滔々と連投していく増田。食べ方が汚い女も嫌いらしい。
他の増田にいらすとやへのリンクを貼る増田。URLだけ貼ると反映されない仕様のためか、「(^^)」という顔文字も添えられている。
以前は「コモンビート」という、ピースボートかそこら系のNPOのURLを添えていたこともあったが、これが規約に引っかかったのか、投稿が全て消えたことがある。
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。
ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味がない。
「iPhoneや柴犬を買うくらいなら中古のThinkpadを買え、消費者ではなく生産者になれ」が持論の増田。
「iPhoneの50000倍はいろいろなことができる」らしい。
数字の部分は5000~5000000と、割と雑に変動する。
既存の単語を微妙に並べ替えした変な検索をしている増田。検索の件数らしき数字もあるが、どこでどういう検索をしているのか不明。
2020年から現在まで「かるさりかんに」というトラバを延々と伸ばしまくっている謎増田。同一人物の仕業かどうかも不明。
ちなみに駐日フィンランド大使館のTwitterによると、意味はフィンランド語で「自宅でパンツ一丁になって酔っ払うこと」らしい。