はてなキーワード: はたけとは
中学生になれば高校生になったら可愛くなれるだろうと信じていた
大学生になって、二十歳になって、ああ勝手に変わるものじゃないんだなってやっと気づいた
色々頑張ろうとするけど、如何せん知識も技術もない自分はオシャレもメイクもだめだめだった
そのまま社会人になって、オシャレというよりフォーマルな格好でいることが増えて
いかに朝ギリギリまで寝て、夜帰ったら好きなことに時間を割くかに重点を置いて行った
肌のお手入れとかダイエットとかオシャレとか相変わらずダメダメだった
つけまつげですら付けられない人だった
いつか可愛くなりたいなと思いながらそのまま三十路になって、可愛くなれず現在に至った
容姿はダメなままだけど、愛嬌をふりまく(相手の顔をうかがう)術だけはたけていった
容姿について忘れかけていた自分にとって、凄くショックだったと同時に思い出した
そこからまたふつふつと容姿や見た目、オシャレについて受け身じゃなくて綺麗になりないって欲が出てきてる
世間では見た目気にしてるなんて子供もいるのに、母親なのに何考えてるんだって言われることが多いと思う
でもいつか復讐してやりたい。
子供もうすぐ2歳。
たまに月に数回、自分が迎えに行って夕方からワンオペ育児の開始。
まずお迎えだが、まっすぐすぐに家に帰れない。
まず自転車を乗せるまでに一苦労する。
自転車乗ろうよ、いや!の繰り返し。
やっと乗っけて、家に帰る。
ここから夕飯の支度。
その間、息子はおとなしくAmazonプレミアムでミッキー見てます。
食べ終わったらお風呂が沸くので、入れようとするけど、ここからイヤイヤ。
また少しテレビを見せて、その間に自分のごはんの準備の続きをしよう
と思ったら、うんちしてるよ・・・んーこのまますぐお風呂だしなぁ。。
替えるか迷うけど、お尻気持ち悪いし、かぶれも気になるので結局おむつ替える。
これも嫌がるんで、Amazonプライム見せながらごまかしつつ替える。
子供が風邪ひかないように、こまめに見ながら自分も洗わないといけない。
子供は頭洗うのが苦手で毎回泣く。
もうこっちは慣れてんだよ。まぁそういわずにと言いながら洗う。
お風呂入る。湯船で遊ぶ。少しゆっくりできるけど、子供がのぼせるのですぐに上がる。
子供に濡れたまま塗れるクリーム塗る。タオル取って、ふこうとすると
でも好きにやらせて、じゃあ仕上げはお父さんね?
と言ってその間に素早く自分が拭いて服を着る。
逃げる、追う。いや君まだ若干濡れてるからね。。。
何とか着替えさせて、お水飲んで、さぁ寝るか?
寝室行かすのも無理には行かさず、少し遊んで何か眠そうにしてたら、
ここまでで、大体6時半~9時半までの間の出来事だ。
テレビ見ながら食べて、少しだらっとして11時に子供と一緒に寝よう
かなというくらいで妻が帰宅。
妻「うん、楽しかった~行かせてくれてありがと。」
くらいで、子供が起きて、おかあーーーーーさーーーーん!と泣く。
ですが、これが毎日。となるとやっぱりお母さんは大変だよな。
とも思います。
「行かせてくれてありがとう」
妻曰く。
「男で料理できないとほんとそれだけで家事全般への影響がすごいから、
料理できる男はほんといい。というかもう学校で必修にしてほしい。
食戟のソーマくらい。」
だそうです。
お迎えが苦痛。学童に寄って保育園に寄って、これから寝て朝家を出るまで、寝ている間以外ノンストップ、とにかく私がやらなきゃ何も終わらない、終わらないどころかただただやることが増え続ける時間の始まり。
お迎えから帰って夕食作って食べさせて、食べ散らかしを片付けて食器を片付けて掃除して洗濯して邪魔されながら干して、宿題見て本を読んであげたり遊んだりしてもうお風呂に入りなさいと言ってお風呂に入れて、お風呂ぐっちゃぐちゃになって自分はろくに浸かれず洗えず水滴垂らして震えながら子どもに暖かい服を着せて、化粧水もはたけず子供らの保湿をして歯磨きさせて、怒涛のうちに寝かしつける。寝る間際まで子供はママ聞いてママ聞いてと話し続けている。自分も寝落ちしてしまう。
そして朝になったら自分が最初に起きて朝ごはんを作ってせかして食べさせて着替えさせてウンチのオムツ替えて食べこぼし片付けて食器片付けて掃除して家を出る。
これが毎日毎日続く。職場ではほうぼうに頭を下げて仕事に追われ家では育児と家事に追われ、自分なんてどこに行ったのか。白髪だらけの髪、ガサガサでシミだらけの肌。へたった去年のユニクロの服。涙も出ない。虚ろな目の私。
いつかこれも思い出になるのか。
これが母親の尊い役目だなんてクソ食らえだと思う。尊さよりも自分の時間をくれ。落ち着いてトイレに入れる時間をくれ。子どもが食べるメニューだけじゃなくて自分が食べたいものを食べさせてくれ。
ギャンブルしてる時はヒリヒリしながら所持金が増減していく感覚が楽しかったけど、
ネットサーフィンしてる時は所持金に変動はないが情報を眺めながらニヤニヤしている時間の無駄さ加減がすごい。
昔から俺は○○があれば△△できるのにというゴミ思考の持ち主で、その流れでパソコンを持ってもネットサーフィンしかしなかったし、スマホを持ってもこの有様。
ギャンブルの必勝法もご存知ない?いいえ、勝ちそうな奴の周囲を買ってれば倍率だけはたけーんだから十数円くらいは勝ちますよ。勝って見せましょうか?いやいやどうせ単勝で倍率ドン狙いで素寒貧になるんだからやめましょうよ。やめましょう。
ここでグダグダ言ってるだけで胸のつっかえがスーッってなるもんね。でも現状は変わりません。変わりましぇ〜ん。
歳を取るだけ、もう三十路になるんだよなぁ〜。たーのしー!ごめん全然楽しくねーわ。しにてー!
死ぬ気全然ないし借金まだ全然あるのにしにてー!何これしにてー!
必死に働いても減らねー!働けば働くほど疲れるー!家主から出て行けって言われてるー!
たーのしー!ウヒョー!
なんで生きようとしてるのかマジでわからん。お金返さないとー。呼吸しないとー。
まぁ、いつかーは最終的に死ぬんですけどね。
逆転なんて、逆転する土台を押してる人にしか訪れないんだし。今の俺にこの死にたさは当然だよねって話。
誰かに話したかったけど、誰かに言えるような話じゃなかったのでここに書く。
ウェブカメラやマイクやチャットを駆使して、男性とお話したりするようなサービスだ。
その日、仕事で疲弊しきってむしゃくしゃしてた私は、ちょっとした可愛いランジェリーを身に着けて
実を言うと、数年前にもとあるアダルトサイトに下着姿を投稿したことがる。
そのときに意外にも反響があり、それを思い出して「もしかしてお金稼げるのかな」と思ったのが今回の発端だ。
リアルでは、太ってこそいないものの、まったく魅力の無い身体しかなく、顔もひどいし引きこもりだし…
ある程度の歳になってからは、ネット上での知り合いぐらいしか男性というものに触れ合う機会がなかった。
私の「自分の体を見せる」ことに対するモラルは欠如していると思う。
だからってリアルでいきなり見せろとか言われたらそれは嫌だけど。
そういうわけで、でもばれるのは怖いので(友人とも付き合いのないのに誰にバレるのかは知らないが)
色々工夫して、顔を出さずにする方法を編み出した。
サイトのトップページには美人だったり、可愛い顔したお嬢さんだったり、なんだかすごいエッチなお姉さんだったりがところ狭しと並んでいる。
顔出ししてないのに人来るわけ無いだろw
そう思っていたところに一人二人…あっという間に10人ほど入ってきた。
なんだか1体1のチャットをしてくれとうるさい。
そして、メインのチャットには何故か私のチャットが返信されない。
これはビデオなのかと疑う人が出てくる始末。
「やばい…どうしよう」何故か私主催の部屋なのに観客を喜ばせようと焦っていた。
おっぱい見せてという声に、思わずキャミソールを脱いでしまった。
おっぱいなんてものはない。コンプレックスの塊、「まな板」だ。
見ろ、そして絶望しろ。この部屋の女にトップペ^字に入るような巨乳の姉ちゃんはいないんだぞ。
そんな私の思惑とは裏腹に、観客たちは喜んでいる様子。
「天使だ」
「いいね」
「発展途上か…これから成長していくんだな」
いや、しねーよ。
捏造と言っても合法な年齢にはしておいたけど、成長はしないと思うよ。
ありがとうお兄さんたち。
そんなこんなで暫く続けていると気づけば部屋の人数は40人ほどになっていた。
授業が開けるね!
プライベートメッセージや、俺の部屋も見てなんてチャットもたくさん来ていて、
私はたけのこの里派です。
面白いことに複数の男性が、お父さんは好き?とか、娘よといったワードが多くなっていた。
残念ながら眼の前にいるのは28歳のおばさんだぞ。
認めてはいるけど、おばさんって言われると腹が立つ難しい年頃だぞ。
でまさかこんない人が来て、払ってくれるとは思わなかったので驚いた。
自分の体も、自分自身もコンプレックスの塊だけど、たまには好きな人もいるんだね。
ちなみにそこのお金はうちのカードと会社が違うので受け取れませんw
スッキリした。
https://anond.hatelabo.jp/20170625161522
その人が何を好むかは別に自分が口を出せる領域じゃないのでどうでもいいけど、
好きなものを語る時に嫌いなものの話をするのはきのこの山とたけのこの里のどっちが好きかを話す時に「私はたけのこの里が好き! だってきのこの山って形がちんこじゃん」みたいな物言いをするのと同じくらい不毛なのでやめようね
追記 18:36
短文トラバにブコメがつくと思わず軽薄にもきのこたけのこ論争を持ち出してめちゃくちゃ突っ込まれてるので追記しとく
きのこたけのこ論争という例示が明瞭さに欠けていたのは最早否定しようがないので何も言わないけど
自分が言いたいのはこのトラバのトラバのトラバのトラバのトラバ(なんのこっちゃ)に書いた
以上でも以下でもない
政治論争のような“どちらに合理性があるか”という話でなく、単に個人の主観や嗜好の表明に過ぎない“好き”を語るときに「“好き”に該当しないものが何故嫌いか」を説明する必要性はまったくない。なぜなら“好きであること”に合理的な理由や“好きでないもの”という比較対象は必要なく、合理的な理由がなくとも、合理的な理由があることを説明できなくとも“好き”であることに変わりはないから。ましてや好きでないものを持ち出したところでそれは“好きである理由”たり得るわけがないし、そんなものを持ち込むだけ不毛なのでやめようねって話
あときのこの山はちんこじゃないし、たけのこの里は包茎じゃない。自分のちんこも幼稚園児並じゃないし、髪の話も別にしてない。きのこたけのこ論争もこれで終わり、いいね?
現代の、人が人をからかったり馬鹿にしたりする仕方って、結構カンに触ることがある。それは否定しない。
だから、単なる冗談に過ぎない「きのこたけのこ論争」でも、やり過ぎたものの言い方する人がいるのも認める。
だが、それをたけのこの里のせいにして、「もうたけのこ買わない」なんて言い方する時点で、
もうあなたの言説は「きのこ派による巧妙なたけのこDis」文にしか見えない。そうとしか機能しない。
罪は人間にあって菓子にはない。だから、菓子を責めるな。人を責めよう。「そういう言い方はやめよう」というだけの話がなんで「たけのこ買わない」になるのか。
争いに嫌気が刺したというなら、せめて「きのこもたけのこもしばらく買わない」でいいじゃないか。
争いは嫌と言いながら、なんで争いを煽るようなものの言い方をするのか。すべてはたけのこ派の責任であるようなものの言い方をするのか。
最近はもう下火になってきたけど、
見た目の好みって話になるけど、自分なんかはたけのこの里を買ったことがなくて、この対立ネタで初めて、たけのこの里って人気なんだなあと思ったものだった。
最初の頃はどちらの推しも楽しく見ていて、売上とか、人気投票とか、そういうのでたけのこの里の方が人気なのだ、というのがわかって、なるほどなーと思ってたけのこの里も買ってみたりもした。
で、そんなこんなできのこたけのこ戦争も、たけのこの圧勝ってことで終わった、という認識でいたわけなのだけど。
それが終わってからも、たけのこの里ファンらしい人からのきのこの山を格下だからとバカにするような発言が当たり前みたいなものに鉢合わせすることが増えた。
ちょっと「これが正義」みたいなノリでコメントする機会があった、
きのこの日だった、
そんなことで、凄く当たり前のように「きのこはクソ」みたいな「きのこの山持ってる!大問題!」みたいな発言が出てくる。
先日のきのこの日のツイッターだって、きのこ(きのこの山とか関係なく)についてわいわいやってるところに、わざわざきのこの山を買ってきて、たけのこの里で包囲した画像を載せてる人とかいた。
悪趣味すぎて、うえッてなった。そこまでして馬鹿にしたいのか。お菓子とか関係ないところでまで、わざわざ用意までして。
きのこって単語が出たら否定するのが当たり前に、いつからなったのかな
たけのこの里について、自分は好きでも嫌いでもないし、かと言ってきのこの山至高とか言うつもりもない。
それぞれが好きなものがあるって話で、なんでいけないんだろ?
自分は子供の頃に買ってたのが、きのこの山だったから感じる違和感なんだろうか。
子供の頃は、見た目できのこの山かコアラのマーチを買ってた。きのこの山じゃないと!みたいな思い入れは別にない。
ただ昔買ってたなあってだけで、今積極的に買うか?って聞かれても別にいらないかなって思う。
見かけるたびに、考えてみる。
ただ、なんとなくたけのこの里を買ったことがなく、なんとなく食べなかったからたけのこの里に愛着もなく、きのこの山にもこだわりはない。
きのこの山よりたけのこの里が人気で、たけのこの里の方がおいしいって結論でも別にいい。そうなんだなとしか思わない。
別に嫌いでたけのこの里を買わなかったのではなく、たまたまそういう機会がなかっただけで、たけのこの里をもらったら多分それはそれで喜んで食べたろうなとも想像がつく。
けど、無意味に「きのこの山はdisってもいいもの」みたいなノリでたけのこの里ファンがきのこの山を揶揄うのなら、
たけのこの里はクソだなと思うし、買う気にもならないし、たけのこの里が好きって人がきのこの山を気軽に否定して笑ってるなら、その人とは関係を続けたいと思わない。
誰がたけのこの里を好きでも、誰がきのこの山を好きでも構わないんだけど。
それを嗤って馬鹿にするのが普通って思う風潮、よくないと思うんだよね。
些細な事に何を、と思われるかもしれないけど、たけのこの里について好きでも嫌いでもなかった人間が、
少なくともここに1人、たけのこの里派の意味のないヘイトのせいでたけのこの里に嫌悪感を覚え始めてるってのを誰かに知って欲しい気がした。
自分はたけのこの里が好き、あの人はきのこの山が好き、それでいいじゃん。
たけのこときのこで競り合ったことがあるけど蓋を開けてみたらたけのこの方がメジャーだったらしいよ、でいいじゃん。
他人の好みをバカにして、その相手も、関係ない人間も不愉快にして、何になるのだろう。
たけのこの里派って、ただたけのこの里が好き、ってだけでしょ?
そういう好きだってだけのことで、そうじゃない人間をなんでそんなバカに出来んの? それが好きな人がいるのに、バカにするような画像作って笑ってられんの?
何気ない会話で他人の好きな物を貶めて、ほんわかするとか盛り上がるとか、コメント稼いだりとか、意味が解らない。
ニコ動とかで楽しく動画見ててもこういう発言あると一気に冷めるし、ツイッターでそういう発言してる人は好意的に見れなくなってきてる。
楽しくネットで遊びたいのに、嫌なら見るなと言われても唐突に無関係に嘲笑ってるのを見ると、通り魔にあったような気分になって陰鬱とする。
そんな感じだから、これからもたけのこの里が売ってるのを見ても、思い出した気持ち悪さや不快感で、買うことが出来ないのだろうなあとぼんやり思う。
ここで、対立する二派を、仮に「きのこ派」と「たけのこ派」とする。
1. 議題設定
相手方に理不尽な議題をふっかける。
例「『自分達に反感を抱くのはたけのこ派以外存在しない』って、きのこ派は本当に低能だなw」
(注:ここでは、実際にきのこ派がそう言っているかどうかは問題としない。)
おもわず反論してしまった相手方を即座に否定し、その理由は示さない。
例「本当に頭悪いなwこれだからきのこ派はw」「反論になってないwさすが低能きのこw」
「誰がそう言っているのか?」「具体的にどこが反論になっていないのか?」「本気で分からないから教えてよ」等、相手方から質問があっても答えない。
例「馬鹿なきのこ派に教えてもわからないだろうからw」「自分で考えろw」
4. レッテル貼り
反論者はすべて相手方の一派と見なして煽る(繰り返しも可能)。
2chであればIDで発言者の同一性がある程度は担保できるが、増田では不可能であるため、言い逃れが可能。
例「俺がいつそんなこと言ったか指摘してみろよw」
上記に関連して、リンク/引用をせずに自発言に言及するというメソッドも。実際発言していたとしても、探すコストを相手方に負わせることができる。
例「俺は既に説明した」「何度も言ってるだろ」
対立派から「こいつと議論しても無駄だ」等の呆れや、茶化す発言が出てきたときに使える。
例「論点ずらししかできないのがきのこ派w」(類義語:「議論から逃げる」)
フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。
文字起こしではなくライブで関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院のラジオを聴きスタッフの馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。
「笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からのお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともはアングラ芸人タモリを始めとする監督や芸術家、作家、アナウンサーら文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタをタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家はダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。
鶴瓶のヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーのハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野、スタッフの死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんまの毒舌というより真正面からの他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族にとんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりおは石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋が関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体がお笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本が配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。
太田は談志の後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリ、さんま、石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人」なのだろうが、もしも浜田のツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田も東野も宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長が吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相で事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子の水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。
たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月のフジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリの集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下や赤塚、浅井慎平や高平哲郎に比べ高田文夫やテリー、高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆はタモリを小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌の二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。
ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台や漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人にダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまのスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部、いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二、現在の爆笑太田。
鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。
タイトルにした香取慎吾のスピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。
駆け足が長くなった。ここでおわり。
面接なんて1回で十分。
どうせ受かる受からないは偶然の産物だし学生にスペックを求めたらそういう人間しか来ないのが分からないのか。
だから、人物評価のち採用後、数年以内で辞める人が多いのは人物採用できてない訳だ。
プロの人材コンサルタントなら一回の面接、10分程度の会話からその為人が分かる。
言動、仕草でどんな人物か猫被ってないかすぐ分かるものだ。そういう人間を何百と見てるからだ。
三者面接では挙動不審でないか等を見てるけど面接なら誰だって緊張するしそんな物怖じしない完璧な人間が欲しいならそういう業界にいる人を採ればいいだけの話で、
人材採用には多くの予算が動くし、一人採用するのにも金が動く。
だから慎重になるのは分からんではないけど、人物採用と位置付けていて3回以上も費やしてその為人が分かるものかと思う。
回数が多くても見る側の判断で、例えば人事・役員・社長と大きい会社の各々の裁量で判断される人物採用だけど、その時の彼らのモチベーションで以って評価される。
モチベーションというより、顔判断、学歴コンプ、縁故(コネ)に加えてロボット並のマニュアルブックによって判断される。
それはモチベーションの有無で判断されるので人物を評価するとは必ずしも言えない。
また面接採用マニュアルがあって、志望動機or自己紹介をロボットのように声出しで復唱させてもその為人が分かるとは思えない。それどころかマニュアル通り過ぎる。
更に会社オリジナル基準の、各々にとって都合の良い採用マニュアルが存在する。
果たしてこんなものが人物評価に繋がるかというと、人材コンサルタント(コーディネーター)をしてプロでない会社員の素人判断の人物評価が必ずしも完全でないので
人物採用を謳って採用面接してる人がどういう人物評価をしてるか非常に疑問に感じる。
マニュアル通りの面接が優秀な人間、真面目な人間を採れないことは採用後即辞める人=第二新卒が増加してる事からも明らかだ。
プロのコンサルタントなら瞬時に人物評価が出来るため会社では人事部ではなく経営コンサルタントや人材コーディネーターを雇い、彼らに任せるべきだ。
尤も人物評価に関して客観的に総合的に判断できる人間であれば、会社の人間で問題ない。
素人面接官に分厚いマニュアルブックを読ませて嘘だらけの新卒面接会を開催した所で、自分を綺麗に飾り立てる学生の嘘の実態を図ることは出来ない。
これは普段本業のプロとして活躍してる人に全くはたけの違う話なのだから人物評価も素人目になるのは仕方ない。
だから学生におべっかを使われて嬉しくない人間なんかいないので、その為人を正確に判断できず上辺だけの評価に終わるのは結局人物評価が出来ていないからだ。
すなわち素人が何度面接をしたところで人物評価が出来ないし、それで採用してもその為人が嘘っぱちだからその人の判断で数年以内辞職、という事になる。
こんな記事を読んだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130307/dst13030708270005-n1.htm
形県酒田市で3日、住宅の一部が焼け、75歳の女性が4日に死亡した。山形県警酒田署が出火原因を調べたところ、女性は自宅の居間にある電気こたつを裏返して使用しており、その上にかぶせられていた布団に引火したとみられることが6日、分かった。女性は普段からこたつを裏返して直接、暖を取っていたほか、こたつのヒーター部分で調理をしていたという。
石山さんはこの家に1人暮らし。体調がすぐれず歩行が困難で、日常品の買い物などは、定期的に訪れる民生委員に依頼するなど、ほとんど外出することはなかった
これさあ、サンケイスポーツ案件だしおもしろおかしくキチガイ婆が自滅みたいに嗤われてるけど結構深い問題なんだぜ。現実的にどうにかしないといかんわけよ。いや、俺も実体験がなけりゃ笑ってたかもしらん。
一応守秘義務があるんで。そう言う事で聞いてくれ。
俺は地元で消防団なんてのを押しつけられてやってるわけ。消防団なんつっても、まぁ常備消防もあるし? 今時は体のいい便利屋なんだがさ。普段は道具の整備とか貯水池と消火栓の管理とか。そんな仕事の中に独居老人の見回りなんてのがあんの。家族や本人の要請があった独居老人の家を定期的に見回るってわけね。名目は一応火災起こさないでくださいねーっつってワケなんだけどようは何かあったときのために顔繋いどけ運動さ。これもまぁ一時独居老人宅の火災が問題になったから始まったんだけどさ。
で、ある日爺さんの家に言ったのよ。おいジジイ生きてるかー消防団様が来てやったぜツラぁ出せや。ついでにトマトがなんか病気っぽいんですけどどうしたらいいですか消毒ですか肥料とかやった方がいいんですかね相談に乗ってくださいみたいなつもりで言ったらジジイ出てこねえの。嫌な予感がしたね。玄関は開いてんのに。大声出したら奥からどんどんどんどん、ってかすかに物音が音がするわけよ。まぁ爺さんとはそれなりに付き合いもあったんで、勝手に上がらせてらったらなんと爺さん階段の下に倒れてんの。
救急車呼んだね。直ぐに名簿にあった民生委員に連絡してご近所の人に連絡して。民生委員は娘にも連絡したみたいだったがつくのに半日かかった。
階段から落ちて腰の骨が折れ、それが神経に触っていたため動けなかったらしい。聞いたら倒れてから1日動けずにずっとこのまんまだったとか。ずっと叫んでたらしく声も枯れててさ。
あーあ爺さんももう駄目かねえ……おいはたけとかどうするんだよ……とか思ったんだが、その後詰め所でうだうだしてたらお礼と称して娘さんが酒を持ってきてくれたワケよ。(消防団と言えば酒ってのやめてくれねえかなあ…まぁ料理に使えるからいいけどよ)で、話を聞いたら爺さん医者からは歩けなくなるかも知れないって言われたのに、娘さん家近くのリハビリ専門病院? だかに入院して、超リハビリがんばって歩行器つかえばなんとか歩けるようになったんだとよ。へえこりゃすげえあの爺さん根性あるな俺は無理。と思ったら驚いたのはその後。
また一人暮らしの家に帰ってくるからまた顔出してくださいとか言うんだぜ。マジでか。娘さんは施設に入ってくれって頼んだみたいなんだが、介護保険の等級が低くて保険は使えないし、介護サービス付き住宅とかそんなのは都会型で田舎には無い。するとフルサービスの民間介護施設か、あるいは地元を離れなきゃならないってんで、爺さん嫌がったんだそうだ。うーん、それは家族で決めたことなんだろうし、まぁ仕方が無いよなあ…。ええ、いいですよ戻っていらっしゃるなら今まで通り回りますよ、と言う事でその日は済んだ。
爺さん帰って来たんだが、やっぱり心配みたいで、娘は初めのうち結構な頻度で来てたようで、よく家の前に他県ナンバーの車がとまってた。要支援1がついて、住宅改修もされたようで、玄関先はこれ一体どこの手すりのショールームよってぐらい手すりだらけになってた。ただ、あんまり長い距離歩くことは出来ないみたいだったが。ただ歩行困難でも軽トラックは運転できるし、買い物が出来てるみたいだった。
一方、畑は維持出来なくなったようで、ほとんど近所の人に貸したようだった。古いながらも整備されてたトラクターはいつの間にやらいなくなってた。
それからも月に2回程度回っていたんだが、見ている限りは普通にやっているように見えた。ちょっと前よりもこう…覇気がねえなとは思ったが…。
ある日、火事の一報が入った。おい俺の部署の地域じゃねえかと職場からすっ飛んでいったらその爺さんの家だった。
小火で済んだ。常備消防が既に消してた。爺さんは家から逃げていて怪我は無かった。
ぼやとはいえ、消防の高圧大送水量のポンプで水をぶっかけられた室内はぐっちゃぐちゃで、そのままでは住めない。本当は消防団の本来業務ではないんだが習慣として火災が起きた地域の担当部署は片付けを手伝う見たいな事になっていていろいろとやったのだが、爺さん当然酷く落ち込んでいた。ただぽつぽつとその後聞いた話を総合すると、原因が分かった。
爺さんそれを引っ繰り返してうわむきにして使っていたらしい。転倒防止スイッチの所はガムテープで塞いでいた。そしてそれを電気ヒーター代わりにしていたという。
爺さん、後遺症で足にしびれが残っていたらしい。さらに冬寒くなるとしびれが強くなる。その状態で超時間立っているのがつらくて、台所仕事はほとんど出来なくなっていたようだった。また冬になると足のしびれから外出もだんだんおっくうになっていって、インスタント食品や、練り物のようなおつまみのような物ばかり食べていたらしい。そこで思いついたのがハロゲンヒーター。
爺さんにとってはストーブの上にヤカンを置くような感覚だったのかも知れないが、これが原因だったらしい。
爺さんは、そりゃあ一人暮らしだし、歳もそれなりに重ねてきているから多少は反応は鈍くなってきている。だが話をしていると特におかしいと言う感じもしないし受け答えはしっかりしてた。しかし一人で暮らしていると、これで大丈夫だ、これはいいアイデアだと思うと、誰にも突っ込まれないままに思い込んでしまって誰もそれを訂正しないと言う事が起きてしまうのだそうだ。
爺さん、周囲に大丈夫だ、大丈夫だと言い続けていた。俺にもそう言ってた。だけど娘さんに聞いた話だと、どうやら実態はそんなもんでは無くいろいろと無理をしていたらしい。また、ぽろりと爺さんが話したことによると、娘の家には娘の義理の両親が同居しており、いろいろと難しいのだがそれでも近くに家を借りるから来ないかと言う話があったりしたそうなのだ。しかし娘に心配をかけたくない、負担をかけたくない、周りに迷惑をかけたくないということでできる限り取り繕っていたという事らしかった。
爺さんはその後、流石に一人暮らしは無理だという事になって施設に入る事を考えたようだったが、要支援1程度の等級では優先度は低くく施設入居もままならないし、施設はどこも一杯だと言う事で難しいかったそうだ。結局どうなったかというと、貸していた畑を売り、その金で家を直して、地元の社協に貸しだした。そして爺さんの家は今は畑付きグループホームになっている。
爺さんはそのまんまグループホームの大家兼住人になり、住み続けている。
結果的にはいろいろと上手く言ったと思う。爺さんの家は立派な家だし、田舎だから無駄に広くて余裕を持った作りでほどよく中心部に近く、ほどよく住宅街ではない場所だったと言う立地もよかった。爺さんの畑は家の周りに集中していて、駐車場の確保や、菜園付きに出来ることも大きかったのだと思う。あと時期もよく、爺さんは地元の一貫水路管理組合で世話人をしていたなど、怪我をするまではそれなりに地域で知られた人だったことも関係しているのかな。
爺さんは畑付きグループホームと化した我が家で「畑の先生」などを言われてそれなりに楽しくやっているように思う。
これはキチガイ婆が自滅したって事ではなくて、社会構造的にぽこっと生まれた構造的問題の一つの結果だよ。
一見してそれなりにやっている人でも、ちょっと深いところまで入り込んだ支援…と言うほどのもんじゃない「これ危ないから辞めた方がいいよ」「今だったら卓上IHとかもっと便利なのあるよ」そう一言言うだけで多分回避できたかと。だけどプライバシーの問題とか、爺さんはわりと素直な話の分かる人だったからこんなもんで済んだが、そうじゃなければ余計なお世話だってんで、上手いこと支援が出来ない場合もある。
じゃあどうしろって言われても困るんだが…。ほんと、どうしたらいいんだろうな