はてなキーワード: うつ状態とは
俺の彼女が書いたのかと思った。
俺の場合結婚7年目で飛行機の距離(海外)でお互い働いていて、会えるのは年に2から3回。
何故かここ1年で急激に仕事に行きたくなくなってしまい、やらなきゃいけないことが解っているが次々貯まるタスクを処理できなくなりうつ状態になっている。
夜眠れない、2時間ぐらいで自分の叫び声で目覚める、毎朝風呂場で叫んで声をからして泣き疲れてから出社する、死にたい、殺してくれと毎日考える、背中から肩、腰にかけて尋常じゃない肩こり、特定のタスクに取り掛かると過呼吸気味になり頭が回らなくなる、誰とも話をしたくない、自分は無能でクソで無価値で全てにおいて人から劣っていて迷惑をかけていると考える、苦しくなると増田にそれを投稿する(増田ごめん。)などの症状が出ている。机に向かって仕事をしていると、15分毎に叫びそうになる。あまりにひどいときはトイレに抜け出してそこで「クソ、死ね死ね死ね」と叫んでいる。飛び降りてしまうかもしれないので窓には近づかない。電車通勤じゃないので飛び込みはないことが幸いだが、暴漢に襲われて刺されたら設けもんだとさえ考えている。
親から度々スカイプやメールでメッセージが来るが返事ができない。すごく親に心配をかけていることはわかっている。
ごめんなさい。妻の家族とも非常に仲良くライングループもやっていたが、コメントができる気分にならなくて、ラインを消してしまった。
あなたの彼氏が、診断によって現実が改善されるわけじゃないから受信しないと考えることもよくわかる。
俺は心療内科に2度行って、メール等で先生と連絡を取ったが、結局は仕事を休め、としか言わない。
結局はそれしか解決はないのかもしれないが、心療内科を受けて休みを取らされることで、お前はダメ人間だと言うレッテルを周りから受けるのではないかという恐怖から、特に今はもう連絡を取っていない。
でも、受診歴を作っておくことに意味があるかと思ったので、行ってよかったと思っている。本当に潰れてしまったときのアリバイ作りとして。
鬱になる人は過剰にまじめな人だとよく巷で言われているが、俺はそうは思わない。
ただただ人に相談することが苦手な人だ。
人に相談することで、自分が人より劣っていると感じてしまう人、裏を返せば自分に相談してくる人を常に自分より劣った人だと内心感じて小馬鹿にしている意地の悪い人だ。いつも人を何処かで小馬鹿にしているから、自分が人から馬鹿にされると考えてしまうのだろう。
妻はあんなに立派で人から好かれていて、俺は本当に憧れているのに、こんな自分と結婚させてしまって申し訳なく思う。
でも自分はクソ無能で死んだほうがマシなくらい無価値だと思う一方、自分が死んだら俺が大好きな妻が悲しむだろうし、俺の会社は俺がいなくなっても何事もなかったかのように続いていくだろうことを考えると、死ぬのは癪だ。
先月1週間だけ妻が遊びに来た。
事前にスカイプで話したときは、俺が非常に不安定なときだったから、千恵に自分の鬱なところを見られたくないのもあり、来ないでほしいと話した。
1週間の滞在だったが俺は平日仕事だったので夜しか会えず、あっという間の時間だった。
妻が自分の職場に戻って、また鬱な状態になった。でも、本当に来てくれてよかった。短い間だったけど本当に楽しかった。
結婚して本当に良かった。さっさと仕事をやめて、もっと妻と一緒にいたいと思うようになった。
会社のため、仕事のために俺はあと40年、50年生きるんじゃなくて、妻のため、妻と自分のために行きたいと思うようになった。
妻がいてくれただけで本当に生き延びていると思う。独り身だったら自殺していた。
人に合うことが嫌になるのでどんどんふさぎ込んでいってしまう。
http://bunshun.jp/articles/-/3929
「ドラム日野ビンタのダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見が真逆すぎた」
http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456
「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」
http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャ
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml
正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネットで体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在が体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットのひとつだと思う。
で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。
舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校。偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。
ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガのモデルになった偏差値70台のエリートな高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。
我々が入学する前、この高校の理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。
目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。
だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。
「三年の間に偏差値55前後の人間を普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場の教師達は大混乱しただろう。
それはそうだ。彼ら教師のほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校に教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベルの私大に合格させられるノウハウといったものを持っていない。
そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任を回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。
そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。
部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。
正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。
上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場の板ばさみになってから嫌というほど知った。
現在の自分が負担をかけてしまっている現場の人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校の現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。
だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。
そして出来上がった授業自体も適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるかに有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実、自分は浪人して予備校通ってた時期に英語の偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強がいかに非効率かを知った)。
結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活も自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。
正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態を鑑みると、遺族が因果関係を否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。
ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。
今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。
現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。
「教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会や区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師を退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力で制圧する」等。
だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。
他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。
それが事実だ。
今の自分のみならず、多くの人達当時の自分は怠惰に写るのかもしれない。
いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。
言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。
だが、異論=即暴力&否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ。
常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。
現在自分内最高漫画を更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみの人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれた役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。
昔、自分はナチス、ソビエト、クメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校の体験を通して以降、全く笑えなくなった。
さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。
曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。
平賀が自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事で出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。
もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。
お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。
社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。
それだけだ。
お前は教師でもなんでもない。
お前が定年退職したかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。
残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。
原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。
お前も曳地の同類の糞虫だよ。
そして96~98年に保善高校にいた教師達(現在在籍の確認がとれるのは地歴科の近藤八朗、数学科の三河一雄、公民科のト部昌次)お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。
ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手を一方的に殴るのは保善高校の教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。
96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。
そこから俺の名前はgoogleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。
・体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v
【田村剛】私立保善高校(東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞の取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。
2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから、空手部の顧問でもあった担任の40代の男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。
携帯電話を学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。
2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。
学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行の理由も説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。
もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校に行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。
耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力の目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。
「自分はたまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市立桜宮高校の教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。
同校の青木繁副校長は取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭の暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。
という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…
正直、我々の時代に体罰という理不尽な問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。
そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。
だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。
そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。
「進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。
保善高校の理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。
お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。
「質実剛健」とか本当に笑えるわ。
とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校の犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。
・追記 保善高校の13年の空手部の体罰に関してはオンラインの記事は消えているが朝日新聞2013年2月24日の日曜版38頁、2014年7月4日の社会面の記事で確認ができた。体罰を受けた生徒は除籍処分にされたらしいその後、両親と共に保善高校及び同校を運営する学校法人保隣教育財団に550万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたらしい。その後の顛末はネット上を探しても見つからないが、彼にとって良い方向に事態が動いていた事を祈っている。そして22人のうち後に退学に追い込まれた生徒3名、後に自殺した生徒1名を出し、何の成果も残さなかった保善高校初代文系特進クラスの生徒の一人として、彼がとった勇気ある行動に心から敬意を表したい。
ケーキ買ってから飲みに行く夫も誕生日当日昼間仕事中の人間にいきなりプレゼント頼む妻も、
どっちももうストレスで限界いっぱいのうつ状態で、まともな思考が成立してない夫婦の話なんだよ
多分それは病のせい。
僕が患っている病。双極性障害。
躁鬱病と書くと狂人のように激しい感情の起伏を催すように思うかもしれないが、僕の場合は双極性障害“二型”だから激しすぎる起伏は無い。
症状のほとんどはうつ状態として現れる。長い長いどんよりとしたうつ状態が続き、時々、本当に時々、些細な躁状態になることがある。そんな病。
僕もこの前までは、うつ病だと診断されていた。
でも幸いと言うべきか、ほんの少しの期間だけ発症する躁状態がたまたま出てきたおかげで躁鬱病だと正しく診断されることができた。
うつでも躁でもない、普通の状態というのがどういうものなのか。
エネルギーがなく気持ちも塞ぎ込んでいる時は「うつ状態」。それは解りやすい。
エネルギーが満ち溢れていて気持ちも前向き。これも「躁状態」だと解りやすい。
けれど、エネルギーはそこそこあるけど気持ちが塞ぎ込んでる時もある。
そしてこれは多分「軽いうつ状態」ということになる。
では、エネルギーがそこそこあって気持ちが前向きになっている時、これはなんだろう?
いやこれは「軽い躁状態」なんじゃないのか?
そう考えると「普通」って一体なんなんだろうかと思えてくるのだ。
実は人間はみんな躁鬱病で、人間の状態には「うつ」と「躁」しか無いんじゃないか?
死にたいと思うことだって、特別なことではないように思う。誰だって一度は死にたいと思ったことがあるだろう。
何が「普通」で、何が「異常」なのか?
その線引きは一体誰がどうやって決めてるんだろう。
自殺についての5つの誤解 東京都福祉保健局 - http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/chusou/jouhou/jisatsu/5gokai.html
内容は分かる。でも、助けるって言っても助けようが無くない?
どんなに生きよう?生きていたら楽しいことがこんなにあるよ?っていくつか例を伝えたとしても、
聞く耳を持たない人に対して、どう対処するの?落ち着けっていってもその場限りしか落ち着かないよ?
またちょっと嫌なことがあったら死にたいって連呼するのがオチだけど、その都度聞いてるかわからないような言葉を投げかけて相手をなだめていくの?
気持ちを汲み取れって言っても、死なないでほしいよって伝えて納得する?
助けようって思っても、本人は結局そんな人達の気持ちなんか理解できないでしょ。
死にたいって言葉を聞かされる側が逆に死にたくなったら、死にたいって言ってたやつは止めてくれるの?
きっと同調してるだけでしょ。
ああいう言葉で、他人に陰鬱な感情を感染させる事自体がおかしいじゃん。
助けようにも助けらんないよ。
糞みたいな上司の下で怒鳴られながら、この仕事は向いていないんじゃないかという思いを紛らわして、飲み込みながらなんとかこれまでやってきた。
そして先日、仕事終わりに過呼吸で倒れて、それから仕事に行けなくなった。
休みをもらった当初は、上司ぶっ殺すとか泣き叫んだり、ただボーっとしているだけで涙が流れてきたりしたけど、一週間も寝ているうちに完全に落ち着いた。
この数か月は仕事を頑張ろうという気持ちが自分の中にあって、モチベーションが高い状態で仕事をしてきたつもりだった。
結局、芯にはこの仕事が向いていないんじゃないという思いがあって、散々罵倒してきた上司の言葉を思い出すと仕事に戻る気力がどうにも湧いてこない。
他人事であれば綺麗なことはいくらでも言える、自分の可能性にチャレンジすればいいじゃないか、やりたいと思う方に進めばいいんだよ。
いっそのこと積み上げてきた全部をぶっ壊してしまいたくなる。
知り合いに片っ端から連絡して毎日おごりで飲み歩いて、毎日心配して連絡してくれる彼女をよそに元カノに連絡してみたり、三日後に海外に行く航空券をとってみたり。
仕事なんか辞めて、貯金も全部使い果たして、彼女のことも全部清算して。
そしたら楽になるんじゃないかなんて。
そんなわけないんだけど。
いっそ死んでしまった方が楽なんじゃないか、いっそ全部捨ててホームレスになった方が楽なんじゃないか、みたいな極限状態に陥った人が判断力を失った状態ってこんな感じだろうか。
今まで自分が積み上げてきたものを壊してしまうのは明らかな損失だ。
その損失と、元の生活に戻り我慢を続ける損失、どちらが大きいのか。
判断ができない。
いつ決めるのが最善なのかもわからない。
何かを決めてしまうのが怖いし、将来の展望なんてそんな簡単には見えてこない。
一度失った勤勉さはそう簡単にはまた手に入らない。
「一度怠けてスポンジみたいになった脳みそっていうのは、なかなか元には戻らないよ」大学の頃お世話になっていた教授の言葉を思い出す。
でも今いる状況っていうのはすごく楽で、抜け出したくないとも思ってしまう。
今はあんまり何の感情も無くって、不幸ぶってこんな風に自分語りをするのはダサいなあと思うけど、誰かに伝えたくなってこんなことを書いてしまった。
そんな気がする。
一緒に困った顔はしてくれるのだが。
そのうち仕事が手につかなくなってきた。
やるべきことが分からない。
分かるまでとても時間がかかる。
そうしてる自分を見た同僚に、
などと言われるようになってきた。
彼らなりの気遣いなのかもしれないが、からかわれているようでとてもつらい。
顔をクシャクシャにして泣いている。
誰もいないから遠慮がない。
それでも声は出さずにいる。
探す時間は作れるだろう。
なんて馬鹿な考えだ。
いつになったら英語ができるようになるかな。
30年生きてきて英語に触れてきてこんななのに今更そんな簡単にできるようになるわけ無いだろう。
仮にできるようになって、どうやって海外の企業にアプローチするつもりだ。
今まで日本にずっと腰を据えてきたくせに、お前を雇う外国の企業は一体何が目的だ。
今すぐ現状を改善する手立ては無さそうだ。
そろそろ耐えられそうにない。
死んだら全部終わりなことは分かっている。
いや分かってるならこんなことにはなってないのかもしれない。
脳細胞が死んでゆく。
行き場を失い死んでゆく。
知り合って9年、付き合い始めて8年、結婚して6年たちました。
私と近い価値観を持っているから話が合うし、興味があることも近く、何を一緒にしてもいつもとても楽しいと感じます。私があなたの好きなところは、私と近い価値観を持っていることでもあると同時に、あなたの私と違うところでもあって、私一人で考え込んでしまっているときも、あなたと話をするといつも目の前が明るくなります。
あなたは自分の興味のある目的に向けて頑張っています。出会ったときからあなたのそんな姿を見てきて、あなたに憧れのような気持ちも抱いています。
最近、私は仕事の方で自分の能力の足りなさ、仕事の出来なさからひどい自己嫌悪に陥っています。死んでしまいたいとか、小さくなって消えてしまいたい、そんなことを考えることが週に5日ほどあります。今までの人生の中でこんなことは初めてです。うつ状態であることは、朝、ベッドで叫んで自分を奮い立たせないと出社できないことからも明らかです。でも、今もしぶとく生きているのは、あなたがいるからです。
こんなにつらい気持ちになったことは初めてですが、どんなに辛い気持ちになっても、あなたのことを思うと生きながらえていられることに少し驚いてもいます。
私は1年の半分は仕事で出張しています。あなたはここ数年は海外で働いています。
結婚してから二人で一緒に生活できたのは、お互いの短い帰国の期間を合計すると1年ほどではないでしょうか。短い期間ですが、本当にとても楽しい時間でした。
私が今やっている仕事は、私が中学生の頃からなんとなく憧れていた仕事で、しかも社会に貢献できるというありがたい立場にいます。出張は長く生活環境も厳しいですが、自分の技能を必要としている人たちに提供し感謝され、十分なお金をいただくという恵まれた環境にいます。でも最近私は、私自身の幸せ、個人の幸せをもっと追求したいと考えるようになりました。もっとあなたと一緒にいたい。いつか二人は死んでしまいます。この一生の私にとっての一番をあなたにしたい。あなたも私と一緒に暮らしたいと言ってくれました。
私に足りないものは覚悟です。今の仕事を捨て、なりふり構わずあなたの側に行くことができないのは、外から見ると順風満帆に見られているこの仕事を手放し、手探りの状態になることで、私がどう見られるのかを怖れているからかもしれません。
でも、この手紙を書きながら、本当に恐れるべきは、あなたと暮らすために動き始めなかったことを後悔することだと気が付きました。これからは全てにおいて、あなたと一緒にいるという私の個人的な幸せを最優先します。
「完全な何か」「100%」を自分が納得するまで追い求めてしまう性格
自分が納得できる結果出せないと気が済まず、他の作業に移行できなかったり、1日中そのことばかり考えていたりする
・1つの作業に時間が掛かり、作業効率・生産性が悪化する(している)
・結局は独りよがりに自己満足を追い求めているだけ、悪く言えば幼稚
・自分で「完璧」「完全」「100%」と思っていても、どこかに穴がある場合が多い
・スピード優先の時代、「完璧」な成果など求められていない場合がほとんど
・もし「完璧」な成果を出したとしてもあまり褒められず、更なる高い要求が降りかかってくることが多い
・「成功か失敗か」「0か100か」で物事を考えやすく、ストレスをため込みやすい
・求める基準が高い場合、達成が困難な作業を行っていることがある そうなった場合、途中で投げ出すことになる
・投げ出すこと=失敗を繰り返すことにより、学習性無力感が形成され、無気力状態・うつ状態になる
・他人にも「完璧」を求めるので、人間関係が重苦しく窮屈なものになる
・もし「完璧でないと周囲から認められない」という思い込みを持っているなら、その思い込みを捨てる
・弱い自分を認める、心を開く
初めての医者は「鬱ではないと思う」と言ってパキシルを処方してくれた
「鬱ではないと思う」は「うつ病(の診断基準を満たすほど)ではないと思う」の意味で言ったんだと思うよ。
パキシル(パロキセチン)はSSRIという抗うつ薬、コンサータ(メチルフェニデート)は抗ADHD薬(中枢神経刺激薬)で、この2つは全然別のもんです。
つか精神障害者手帳なんて、特に3級は詐病メンヘラでも簡単に取れるうえに有効期限付きなので、「これは障害者の証なんだ!」とか落ち込むようなものではないですよ。
いや元増田の考えと認識はどうか知らないけど。私はそう思った。
こういう、発達障害とか鬱病とかアスペとかコミュ障とか言われる、精神的な問題って、共感されないし同情されないよね。
同じ様に(それこそ自殺を考える程に)苦しんでいるにも関わらず、被災者は共感され同情され、何より支援される。
かたや精神的問題は自己責任だと叩かれ、絡み辛いと遠巻きにされ、カウンセリングは(場合によるが)保険も効かない。
ここに不公平感がある。
つまり、元増田の怒りの対象は被災者ではなく、共感出来る不幸には物質的・精神的に救いを差し伸べるが、そうでない不幸には寧ろ石を投げる、世間・社会なんじゃないのか。
コミュ障や精神疾患は、周囲から叩かれ疎まれ、それにより更にコミュ障になり、更に叩かれる無限地獄。
かく言う私自身も、周りに居るそういう人を個人的に助ける事は出来ない。
同情はするし出来る範囲の事はしたいと思ってるが、家族や旧友でもなければ彼等を好きになれないし、積極的に関わるのには莫大なエネルギーが必要だからだ。
人に助けて貰う為には先ず好かれるか同情されなければならないが、そこで躓く。
ひと昔前は発達障害や鬱病という言葉も認識されて居なかったので、今よりも更に「怠け者」「性格が悪い」という認識をされ易かった。
そういう意味では今はマシにはなってるが、不十分だと思う。
秋葉原無差別殺人事件の加藤なんかは、そういう負のループから生まれた面も有ると思ってる。
彼が「社会」「世間」に攻撃したのはある意味当然の帰結ではないか。
その社会に彼が共感を持つ事は無いし、復讐心を抑えるブレーキは機能しない。
元増田はとりあえずカウンセリングとか精神科に行って、専門家に知見を求めるのが良いと思うが、社会っつーか我々の理解がもう少し進めば、こうした「救われない不幸」は減って行くんじゃないかと思う。
・自分の周りで精神科に通って投薬治療を続けて改善が見られた人があまりいない。
・投薬治療の改善データを精神科医に要求したが出してくれる人はいなかった。
・自分で両方実践して見て精神科の投薬治療が害悪であるとの結論に達した。
これでいい?
身内にここ数年ずっとニートしてるキチガイ弟いるけど、キチガイが身内にできると周りの人間がみんな病んでくるな。
役所にいったらいろんなサポートがあるのに、なんで行こうとしないんだろう?とくにあいつは子供もいるから自分から動けばいろいろ手当もらえるのに「分かった。今度行くよ」っていうだけで何もしない。その代わり両親には毎日にように言葉の暴力あびせてお金をせびろうとする。親も根負けしてお金渡しちゃうから余計タチが悪い。
「仕事探すのにパソコンが欲しいから貸して」っていうから俺の使わなくなったMacbook貸してたら数ヶ月でぶっ壊れた。回収して中開けてみたらEthernet Cable指す端子が外されてて、あとハードディスクつなぐケーブルが壊れたみたいでHD認識してくれない。あのーEthernet Cableがないとアップルストアいっても点検すらしてくれないんだけどなんで外すの?っていったら「ケーブルから変なデータが入ってハッキングされるから」とかイミフなこというし。
あいつ絶対精神病んでるんだけど、何回説得しても診察に行ってくれない。何回もいろんな精神病院に連絡しても暴力事件とかもっと深刻な自体にならないと強制入院なんてできないんだって。これ以上深刻な自体ってどんな状態よ。「変な電波が流れてる」っていって深夜いきなり家のブレーカー落として冷蔵庫とかの家電全部使えなくするような奴だぜ?一緒に住んでいる母なんてもう完全にうつ状態。
日本ってなんであんなに引きこもり大人が多いのか謎だったけど、身内にできるとわかるわ。一度もう人として引き返せない一線を超えちゃうともう開き直ってやりたい放題になるんだな。欧米の事例みたらあっちは家族同士でも虐待事例を証明できたら裁判所からeviction noticeっていう強制退去の許可がもらえるんだってね。日本では引きこもっているようなクズは欧米ではただのホームレスになっているわけか笑。いいなぁーーー日本でも家族同士の揉め事で強制退去させる方法ってないの?
メンヘラってめんどくさい。
めんどくさいけどなってしまうとなかなか苦しい。
わたしは希死念慮がある20代前半メンタルヘラヘラ人間(女)だ。
昨日はバイトでにこにこと接客をした。接客したお客さんたちからは病んでいる人間には見えなかったと思う。
しかし一昨日のわたしは電車を待つ際に最大限ホームから離れて、電車が来ても飛び込まないよう足を踏ん張りながら俯いて目を瞑っていた。
最近いろいろあった。
いろいろを一つ一つ説明して行くとまた長くなるので省略させていただくけれど、一言で言うと死に触れる機会が多かった。
何か明確なきっかけがあるわけではないけれど、気付いた時には自己否定しかできなかった。
何かトラブルがあった時、その時の精神状態にもよるけれど気持ちがもともと沈んでいる時にトラブルが起きるととにかく自分を責め、自己否定に自己否定を重ねていかないと逆に気持ちが落ち着かない。
先回りして自分を否定して最大限叩きのめさないと居ても立っても居られない。
自己肯定感の育ちには家庭環境が深く関わってくると言うが、家庭環境は良いほうだと思う。
この歳にしては仲も良く家族で出かけることもある。
わりとどんな話もしている。
唯一わたしがメンタルヘラヘラな件についてだけは話していないけど。
でも十分愛情を注いでくれているが故に、今話したとしてもわたしが望んでいない対応や反応をしてきそうなのでまだ当分話すつもりはない。
話が逸れたけれど、とにかく最近いろいろあった。
いろいろあったからなのか、最近希死念慮がどんどん強まってしまい困っている。
この「困っている」はチャンネルを変えたいのにテレビのリモコンが見当たらないから困っている程度の「困っている」なのでまあ言うほど困っていない。
けれどこのままだと本格的に困ることになりそうなのでどうにかしたい気持ちがある。
わたしは自分の顔も身体も性格も声も何もかもがコンプレックスだけど、何が1番コンプレックスかと聞かれると間違いなく人との関係を保つ能力の低さだと答えると思う。
人と話すのは好きだし人と関わることも嫌いではない。
というか人と関わる仕事に就くことが決まっているし好きな方なのだと思う。
が、その築いた関係を上手く継続して守り続けることができない。
仲良くなった人となんやかんやあって仲違いし、今まで築いて来た関係が壊れてしまう。
そんな経験をしたことがある人はいると思うし少ないわけでもないと思う。
長い人生の中で経験する可能性は大いにある、だからそこまで気にすることはないと言われたことがある。
確かにそうだけど、20数年生きて来てすでに何度もその経験があるとなると気にもなってくる。
だいたいはわたしの精神状態が不安定だったり、ひどい気持ちの落ち込みや悲観的な考え方が原因で、勝手に考えすぎて勝手に落ち込んで勝手に病んで離れるというまあめんどくさい形でそれまでの関係を壊してしまうことが多々あった。
相手の行動にイライラした時、疑問を感じた時、不安になった時。伝えるべきタイミングで自分の気持ちを伝えられず、伝えるべきでないタイミングで抑えきれなくなってだーっと伝えてしまう。
自分に自信がなく、人からどう思われているのかもマイナスにしか考えられない。
直接ではなくても、SNSで散々しんどいしにたいもう疲れたと鬱々としたツイートばかりしていて引かれて離れられてしまうこともある。
自分でもここまで書いていてなんてめんどくさい人間だろうと思う。
そりゃあ周囲の人も離れるだろう。
こんなわたしを…こんなカスを…と自己否定フィルターがかかって純粋に物事を捉えられないため、相手に友達だと言われていても堂々と友達ですと言い切れない。
信じてくれていないのかと言われると申し訳ないけれど、きっとどんなに深く心を通わせられたとしてもわたしは友達ですと真っ直ぐ前を向いて言えるようにはなれないと思う。
それはわたしがわたしを肯定できるようになれなければ無理なのだと思う。
何が言いたいのかわからなくなって来た。
文章が拙くて引いているけどもう吐き出したいだけだと思うので気にせず乱文を失礼したい。
何ってもう自己肯定感がないのだ。
自分では否定しかできないため人から肯定してもらえないと自分を保てない。
自分の友達のいなさに、いついつ会おうと約束できるほどの関係性をもっている相手がいないことに、メンタルがヘラヘラなわたしは絶望を感じている。
3月もきっと誰とも遊べないままインスタグラムで楽しそうに旅行の思い出を語る同級生を見なかまら過ごすことになるのだと、考えるだけでしにたくなる。
とてもめんどくさい。
メンヘラってめんどくさい。
だったら数少ない友人(あちらがそう言ってくれている)を誘えばいいのだけれど、毎日しにたいと騒ぐわたしに引いているだろうと思い踏み出せない。
かわいそうなわたしと遊んでと頼み込んでお情けでも遊んでもらえば少しは気持ちもマシになるのだと思うけれど、何よりその友人たちにはわたしより優先するべき人たちがいると思うと意地でも予定を合わせて遊んでもらうことは気がひける。
健全な精神を持つ人からしたらこの程度でと思うだろうがこんなことで毎日生きるのがしんどい。
自己肯定感はなくなるばかりで、そこに友達がいないという現実と誰にも必要とされていないという気持ちが相待って、ゆるやかに希死念慮が強まっていた中人身事故に遭遇した。
その瞬間は見ていないけれどそれ以来電車のホームであと一歩前に出れば終われると思うことが増え、座りたいがために最前列に並ぶタイプだったわたしは序盤に書いたように最大限ホームから離れた場所で電車を待つようになった。
ここで飛び込まないようにしている点で結局はしにたくないのではと考えたが、飛び込むことを防いでいるのは親に迷惑をかけたくないから電車でという方法は避けたいというだけの理由だった。
ここから飛んだら終わる、ここで一歩踏み出せば終わる、薬を買うお金はないからODはできない、ならどうすれば。
毎日こんなことばかり考えている。
確実なのはやはりホームに飛び込むことだけれど、人身ほど迷惑な死に方はないと言うし、あのマジかよ…というホーム全体の雰囲気とイライラをぶつけられる駅員を見てしまうとするべきではないと思う。
もしここまで読んでくださっている方がいたらわかると思うがわたしは死ぬことに対してこの程度の考え方だ。
しにたいけれど社会のことを考えて悩む。
だがめんどくさいことは確かだし、しにたい気持ちがあるのも確かだ。
けれどたぶんどこかでしぬよりも誰かがわたしを肯定してくれて、自分も自分を少しでも肯定できるようになればそのほうがいいだろうと思っている。
それは良いことなのか、しにたいと考える時点で良くないのか。
昼間から憂鬱な気持ちになったり、一日中憂鬱だったり、鬱々とした気持ちでいる時間は圧倒的に長くなっている。
うつ診断を試してみたらどの診断でも中程度のうつ状態だと出た。
ここで専門医に診断してもらうことが大事で、この時点での対応でこの先うつ病になるかならないかが左右されるらしい。
でもわたしよりしんどい人は世にたくさんいるだろうし、黙れファッションメンヘラと真のメンヘラの方々に怒られそうだし、結局はただのかまってちゃんなのだからそこまで大げさに捉えることはないと思っている。
メンヘラってめんどくさい。
メンヘラってくるしい。
もっと毎日元気に過ごせたら、友達とどこに行こうかと旅行の予定を立てられたら、人生がもっと楽しかったら。
たらればばかりだ。
でもそれは全てわたしが自己否定しかできないから、友達を信じきれないから、承認欲求が強すぎて拗らせてしまうから、結論自分のせいなのだ。
わたしが今仲良くしてくれている人の中でとくにこの人たちは好きだなあ、一緒にいると楽しいなあと思っていた人たちはその人たちだけで旅行に行くらしい。
一緒に行きたいとは言えない。
いいね楽しんできてねと言うと、○○も今度一緒に旅行行こうねと言われた。
そんな日は訪れないことは百も承知だけれど、そうだね一緒に行こうね、大阪とか楽しそうだなと返した。
くるしい。
しにたい。
ここまで読んで大多数の人はイライラするだろうけど、もし共感しかないという人がいたら友達になってほしい。
最近身に染みてそう考えることが多くなった。
書くべきものを書ききれずに結局逃げてしまったわけだけど、逃げたことが正解だったと自分では思う。
あの時はすごく追い詰められてたし故意的に事故にあう方法とかも考えてた。
追い詰められるほどに手につかなくなって悪循環に陥っていた状態。
逃げないでそのまま終わらせられればそれはそれで良いのは勿論なんだけどね(それは頭ではわかってる)
逃げないで心を病んで取り返しのつかないところまで行くのと比べたらマシだよね。
逃げないで終わらせていれば逃げないで良かったと思うだろうし、逃げることでなんとか心も病まず生きてこれたのはそれで良かったとも思える。
しがみついてた時期は「死なない程度に事故る方法」って検索したり自転車に細工をして車が通るタイミングでいい感じに自転車を壊す方法を妄想していた。
どっちが正解だったかは答えが出せない。
今回のことで逃げ癖が付かないようにだけは自戒したい。
どうすれば逃げずに済んだんだろうってよく考える。