はてなキーワード: うつ状態とは
転勤
などなどが重なってうつ状態になった。
プロに治してもらおうと思って。
プロに直してもらうっていっても
これこれこういうことがあって辛いです、って。
たぶんそういう事ができたから「こいつ軽症だな」って思われたんだろうな。
んで、本当にうつ状態なのかどうかをテストするペーパーテストをしたんだ。
その結果的には「あらー、結構しんどそうね。」って感じらしい。
でも二言目には
「しんどそうって思わせるためにこの結果にした?笑」
だそうだ。
ふざけんな。
お前の居ないところではしんどくてしんどくて辛いんだと。
さらに。
「機能不全家庭で育ったのはわかるけど、もう24なんだから自分の責任で自分の人生生きないと…。」
だそうだ。
私がリスカまみれ、露骨に精神やんでます系じゃなかったから治るもんも治らないのかよ。
なんだよ、成人するまで機能不全家庭にいたんだよ。
だからこそ成人したからこそ自分の人生に責任持たなきゃ…みたいな感覚が持てないんだよ。
いろいろひっくるめて死にたいんだよ。でも死ねないのもわかってんだよ。
助けてくれよ。
岩波ブックレット『ひきこもりのライフプラン 「親亡き後」をどうするか』の斎藤環氏が書いた部分に、
ひきこもりの子供に対して父親は上から目線で権威的に話し、母親はストレートな批判はしないものの皮肉や嫌味が自然に出てくる傾向があるとあった。
ではどのように話しかければ良いのかというと、個人的に素朴にまっすぐ伝えることだと。
そのやり方が分かって実行できれば何の苦労もないわと、さらっとした書き方に対して一通り僻んで苛立ったあと、
自分は心の能力が低い、未成熟で貧しいんだという感覚に飲み込まれて悲しくなってしまった。
新庄耕『ニューカルマ』に、主人公と先輩社員の会話が出てくる。
子供が出来たのでエロ本の編集を辞めて今の会社に来たという先輩社員の話を聞きながら、主人公のモノローグがある。
「まだ知り合って間もないにもかかわらず、自身の過去を明け透けに伝えられる素直な態度と、それを足下で支えているだろう潔白さに、引け目を感じてしまう。」
「思わず頷きたくなる共感と、同じくらいの反発がない交ぜになって胸に去来する。」
主人公に対して、架空の人物への距離感を失い、お前は俺かとなるモノローグだった。
「素直な態度に対する共感と引け目と反発」。自分の中にある感情の言語化を代行してもらったみたいだ。
それが自分の中に起きているときは、とてもメタ視や冷静な言語化ができない。
胸の中に渦が生まれて息が詰まる。相対的剥奪感や被害者意識、暗くて攻撃的な気持ちに飲み込まれる。
同僚が「人に気持ちを聞いてもらうだけで違うようなところあるから」と自然に言っただけで、
気分が異様にざわついて喉がこわばって言葉が出てこなくなる、ということもあった。
同僚は職能の持ち主である前に人であり、私も人である、話を聞いて欲しいものだ、という一般的なはずのことにざわつく。
ここで書くと「腐かよ」と吊るされそうだけど、中村明日美子『同級生』の草壁くんがとても好きだ。
支配的でも厭味ったらしくもない、私の欲しい素朴のイデアみたいなところが草壁くんにはある。
生きるために衣食住のほかに何が必要かといったら「草壁くんの素朴の概念」だ。
欲しく、取り込みたく、千尋に執着するカオナシのような情動があり、読んでいて泣いてしまった。
でも欲しいというのは支配に近くて、コントロールされた時点で私の欲しい素朴を失っている。
カオナシ×千尋のような、片方が片方をコントロールしようとする関係はカップリングとしても推せない。
でも千尋に執着して、偽物を差し出して釣ろうとして、飢えてヤケクソになってなんでもかんでも食べようとするカオナシにはかなり自己投影しやすい。
自己投影しやすいキャラクターはどこか、カップリングになって欲しくないと思う。
人とかかわるのに必要なものが足りてないから、人間関係において害を生み出す。
自分の気持ち悪さや欠損感を問題視し『アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)』を読んだ。
物語を伴わない、私の思う「素朴」の「技法」のようなものがそこにはあった。
長年のコミュニケーションの手癖を矯正していく作業は地道なもので、ショック療法一発で治るようなものではない。
アサーティブでないコミュニケーションをしてくる上司の持つ、強烈な巻き戻し力に抗えないときもある。
子供の頃からうつ状態の再発を数年おきに繰り返している身でもある。未だに父親には脅迫まがいの言い方で人生をコントロールしようとされる。
しかし筋トレのように地道に自分を改良していくことを決めた。支配欲は本当に気持ち悪いものだからだ。
無防備な素朴さに対する、引け目と反発と愛おしさと憎しみと、足下に「自分で自分を許しているかのような」支えがあることへの僻み妬み、
そういう感情にかき乱されるのなら、もう自分自身がそうならない限り、技法として身に着けてそれが一時的な演技でなく本質・血肉にまでならない限り、
非主張的自己表現とは、自分の意見や気持ちは言わない/言いそこなう、言っても相手に伝わりにくい自己表現です。これには、曖昧な表現や、人に無視されやすい自信なげな小さな声での話し方や消極的態度も含まれます。「自分はダメだ」とか「言っても分かってもらえない」など諦めの気持ちが潜んでいたりします。
非主張的自己表現は、相手から理解されにくいことがあります。また、相手を優先し、自分を後回しにするため、結果として相手の言いなりになってしまうこともあります。相手と意見が異なるときでも自分の意見を言わないため、理解されなかったり、無視されたり、同意したと誤解されたりします。自分としては主張を抑えて譲ったつもりでも、配慮したことは伝わらず、感謝されることもないでしょう。
非主張的自己表現をした後には、「やはり分かってもらえなかった」「自分が引いて/譲ってあげたのに」「惨めだなあ」という気持ちがどこかに残ります。心から相手を配慮し、尊重して同意したり、譲ったりした場合とは違うからです。
例えば、家庭の事情があっても残業を引き受けるおとなしくかつ有能な人、セクハラやパワハラにあってもその辛さや不快な思いを伝えられない女性や部下などは、非主張的になっています。長電話を切りたいのに言い出せない人、行きたくない誘いを断れない人なども非主張的です。
このタイプの表現をする人は反論しないために、葛藤やもめ事を回避してくれる「いい人」と思われていますが、一方で「都合のよい人」ともみなされがちです。排除されることはないのと引き換えに、本人は心理的負荷を負い、メンタルヘルス被害に陥っていくことにもなりかねません。とりわけ「攻撃的自己表現」の傾向の強い人との関係では、その危険がより高くなります。
一方、自分も相手も非主張的自己表現の傾向が強い場合はどうでしょう。話が弾まず、そのため互いに分かり合えず、苛立ちを感じながら突破口もできないまま、靴の底から足を掻いているような状態になっていくでしょう。
非主張的な自己表現の傾向が強い人は、相手を立て自分が遠慮することで、相手を不愉快にさせまいと配慮しているつもりなのでしょう。
しかし、自分をないがしろにして、相手の言いなりになってしまうため、だんだん自分でも言いたいことが分からなくなっていきます。自分で決められない、あるいは言い方が分からないと言った状態になることもあります。
幼いときから命令に従うこと、譲ること、他者の言う通りにすることを当然として育てられていたりすると、自分で判断することに慣れておらず、つい相手の言いなりになり、その結果、自信がなく引っ込み思案になっている人もいます。
非主張的自己表現の人は、自分の人権を自ら侵すようなやり取りを招くこともあります。葛藤を避けようとして相手に大事な決定を任せてしまうからです。また、考えを明確にしないことで、自分にも相手にも無責任になってしまうこともあります。
長い間にわたってこのような非主張的な自己表現を続けていると、理解してもらえないという寂しさ、自分の欲求を抑えている苦しさ、相手から大切にされていないという思いや惨めな気持ち、欲求不満などが積もっていきます。相手に対して「思いやりのない人だ」「鈍感だ」と心の中で恨みを募らせることにもなります。
その蓄積した欲求不満や怒りは、相手や、時には関係のない人に向けられ、突然暴力的になったりすることもあります。そうなると「普段は大人しくて優しい〇〇さんが、突然キレた」と言われたりします。本人にとってはそろそろ出してもいいと思っていた溜まった怒りの率直な表現のつもりでも、相手には理解されにくく、「八つ当たり」と思われることにもなります。
一方で「キレる」こともなくひたすら忍耐強く自分を抑え、他者の要求に応じ続ける人もいます。揉め事を起こさず、相手をなだめ、その場を収める責任を一定に引き受けることで、自分に「頑張れ! 頑張れ!」と言い続けるのです。周囲を立てることに必死になって、過重な負荷に耐えることにエネルギーを使い果たし、心身ともに疲れ切っていきます。
その結果、頭痛・肩こり・胃痛などの体調不良に陥ったり、あるいは不快感やストレスの原因になりそうな場面や人に近づくことを避けたりするようになります。密かに孤独に耐え、感情が固まってしまい無表情になったり、突然うつ状態や心身症になることもしばしばです。いずれの場合も自分を大切にしなかった結果、相手も大切にしないということになりかねません。
非主張的自己表現は、どのような心理と繋がっているのでしょうか。
自分の思いや考えを表現することで、相手に不愉快な思いをさせ、相手から嫌われる可能性が生じたり、相手と違った意見を言うことで葛藤やもめ事が起きたりするのを避ける心理です。
そこには、穏やかな人間関係を求める心理と同様に、他者とのやり取りに自信がなく、自己を表現することで起こるマイナスの結果を恐れ、相手に合わせることで安全を確保しようとする心理も働いています。
また、前に「自分を大切にしなかった結果、相手も大切にしないことになる」と述べましたが、相手に合わせているつもりでも、実は相手に甘え、依存している心理も働いていることがあります。
世の中で当たり前とみなされている習慣や常識に従うことによって自らの尊厳や権利を無意識に否定する、という心理が働くのです。
例えば権威や経験がある大人は立てる、先輩に逆らってはならない、といった常識や習慣は、未熟だとされている者の自己表現を制約しがちです。そのような常識や習慣を破る者は、集団や社会から罰せられ、排除される可能性もあります。そこで、思っていることや気づいたことの表現を避けることで、相手や社会に順応し、認められようとする心理が働きます。
非主張的な自己表現をしていると、自分の気持ちや能力を確かめるチャンスも、自発性や個性を発揮するチャンスも失ってしまいがちです。他者に合わせるあまり、気づかぬうちに自分を否定・否認してしまうからです。
しかし、そのような人は学校や職場にとっては、どんな存在になるでしょうか。アイデアや考え方を表現することによる貢献がないので、評価もされにくいでしょう。また、所属するグループや組織にとってもその人の存在は、「宝の持ち腐れ」になっているかもしれませんし、厳しい言い方ですが、損失をもたらすものとなってしまいます。
非主張的自己表現の傾向の強い人は、一見控えめで相手を配慮して一歩引いているように見えるので、相手は「同意してくれた」「気持ちよく譲ってくれた」と受け取るかもしれません。ところが実は、「分かってもらえていない」「感謝が十分でない」などの不満や恨みを持たれているとしたら、相手はたまったものではありません。
また、常に遠慮されたり、自分の意見を引っ込められたりするのも、相手にとっては居心地が悪いものです。フランクでない対応に、居心地の悪さだけでなく、苛立ちや優越感、時には哀れみを抱くことにもなりかねません。
お疲れ様です。私は10-20時の百貨店勤務でしたがそれでもシフトが埋まらず連勤に耐えかねて辞めてしまいました。朝までの労働、本当に想像を絶する過酷さだと思いますし、あなたの体調が心配です。
ラーメンが好きで、その一心で働かれていると思いますが、あなたがいちばん大切にすべきものはあなた自身です。
私の知っている人気ラーメン店は毎週定休日が日曜日で営業時間は10時~14時、17時~20時です。こだわりの素材でラーメンを作り、毎日行列ができているようです。
個人店だからこのような営業時間が可能なのかもしれませんが、なかにはこのようなお店もあります。
(3/17追記 もちろんあなたのチェーン店でそうしろと言ってる訳ではなく、"ラーメン店"という括りで見れば法外な営業時間で営業せずとも成り立っているお店もあるという例です。このようなお店になるのは難しいと思いますが…)
いますぐにうつ状態で起きられなくなるかもしれません。だから、早くその職場から離れてほしいです。
正直、あなたがいなくても店はまわります。何日かお休みするかもしれませんが…。
会社のひとがなんとかします。こんな不当な労働をさせたのだからあなたが罰せられることはなにもありません。
元気に健康に生きてほしいです。
心や体が完全に壊れてしまうまえに、1歩踏み出してその環境から抜けだしてほしい。
日本の飲食の営業時間はおかしい。でも、体をボロボロにしてまで働く人がいる限り経営者はそのままです。
うつ状態が重いって設定にしようかな
私と兄は3歳違いの兄妹です。あれです、入学式とか卒業式被って困る年齢差のやつです。
題名の通りなんですけど、兄の反抗期だった時について今でも消化しきれてないことがたくさんあるのでつらつらと書いておこうと思います。推敲もしてないので乱文長文です。
兄の反抗期は大体中1から高3くらいまででした。これが長いのか普通なのかはわかりませんが、この期間私は地獄でした。
もともと兄妹とても仲良し!という訳でもなかったので、まぁどこにでもいる仲が良くも悪くもない兄妹でした。
色々なことがわかり始めた年齢ですね。
兄は壁や扉を蹴りはじめ、家は穴だらけ。窓ガラスを割るという行為をし始めました。
私はなんでそんなことをするのかわからなく「やめてよ!」と言ったところ殴られて首を絞められました。
兄が家を蹴るのに飽き始めた(?)ころは言葉での攻撃にハマりだしました。
リビングにいるだけで、「死ね」「消えろ」「クズ」「ゴミ」「ブス」と言われ続けました。
私の方が先にリビングにいて、兄が入ってきたときは舌打ちされるのが普通、たまに皿やリモコンなどそこそこ硬いものを投げつけられました。
私が後からリビングに行くと「出いてけゴミ」と暴言を吐かれました。
休日母親が早朝から仕事のときは大体兄がリビングを占領していたので朝食を食べずに部活に行き、昼に帰ってきても兄が怖くて昼食もとることが出来ず体重がガンガン減っていってました。それで母親に「なんでご飯食べないの!」と怒られました。懐かしいなぁ。
そのころ私は、兄よりも頭の出来が良く兄が入れなかった高校に私が入れたのとかも反抗期がヒートアップした原因なんでしょうかね。知らんけど。
そんな感じが6年続いていたのでほとんどまともに会話したことはありません。
母に「なんで怒ってくれないの、」と泣きついても「お兄ちゃんは反抗期だから仕方ない。ほっといたら収まるから。」の一点張りでした。
父親は私が6歳の頃から県外へ単身赴任に行っていて年に2、3回会うか会わないかだったので頼りになりません。もともと仕事人間で家庭にあまり関わらず一緒に遊んだ記憶はありません。なんていうか私の感覚では「父親」という肩書きの知らない人です。
ちなみに家族旅行は小3のときの一回きり。それ以前も以降も一度も、日帰りすらありません。
話が逸れましたね。
兄に暴言を吐かれるたびに「いつか絶対にやり返してやる」と思っていましたが、母親には「人にやられて嫌なことはするな」と何度も何度も繰り返し言われたので、結局一度もやり返したことはありませんでした。
「人にやられて嫌なことはするな」
いい言葉ですね。心無い言葉、暴言、傷など私の受けてきたもの、傷付いた感情、それら全て私は一度もやり返したことが無いので、兄は一生それを感じることなく生きていくんでしょうね。羨ましいなぁ。
母親の教え「人にやられて嫌なことはするな」を遵守した結果、私の中の劣等感は未だ消えずに心の奥深くで、真っ黒で、ドロドロと粘着質に、そして確実に今も増殖しています。
なんていうか、この兄の行動、言動を「反抗期」って言葉だけで片付けてもいいんだなって思うと虚しいですね。
私は6年もの間精神的に傷つきへとへとになっていたのに、反抗期だから仕方ないんですね。私は兄から受けたこれらをいじめだと認識してたけれど、世間がこれは反抗期というなら多分ただの反抗期なんでしょうね。
それなら、兄の反抗期に振り回された、私のこの状況にも名前が欲しいです。なんだろうなぁ。「とばっちり」かな?「しょうがない」かな?それとも「みんなが通る道」とかかなぁ?
全国の妹や弟、みんなが通る道だから傷つかないとでも思ってるんでしょうかね。私は19にもなっていまだあの頃のこと思い出しては怖くて不安で惨めでぼろぼろ涙がでてくるんですけれど。これがみんなの通る道ならそんな道はやくなって欲しいです。それか全国の反抗期の奴らの道に続いて欲しいです。
でもそんな兄も大学に合格し、家を出て行きました。もうハッピーでした。兄が家にいない高校生活ほんとうにとっても楽しかったです。
まぁでも兄も全く帰ってこない訳じゃありません。長期休みになると帰ってきます。
帰ってきてびっくりしました。反抗期終わってるんです。暴言も吐かないし殴らないし私の大事にしていたものを勝手に捨てたりとか、とにかくそういうの全くしなくなったんです。漫画などでみる優しい兄でした。
とても気持ち悪かったです。私に死ねと言っていた人間が数ヶ月で「高校生活楽しい?」と笑顔で聞いてくるんです。どういう風の吹き回しなんでしょうか。あんなに暴言いってきたのに、今更普通の兄妹関係に戻れるとでも思ってるんでしょうか。
無理です。私は兄にやり返さないことだけに全力を尽くしたので、兄を許すだけの心の空きがありません。でもせっかく兄が笑顔で話しかけてくるので、機嫌を損ねないように私もなんとか笑顔で話を合わせています。殴られるのは痛いので。
もしかしたら大学でよほどいい巡り会いがあったのか、もしくは心境の変化でもあったのか、反抗期のことを悪いと思ったのかもしれません。だからせめて今からでも妹と仲良くしようなどと思ったのかもしれません。
でもそれなら、一言だけでいいから、あの頃は悪かった、と謝って欲しかった。謝ってくれたら、許せたかもしれなかったのに。
謝るのが恥ずかしいのか、それとも謝るまでもないと思ってるのか、わたしにはわからないけれど、もし後者なら、やっぱり兄とは一生分かり合えないと思います。
私は母親と折り合いがつかずに望まない進学先で精神面を壊しそこから身体も崩し短大を辞めました。精神内科の先生からは「うつ状態」と言われ薬を飲んでいましたが、精神的な薬に良い印象を持っていない母親に薬を捨てられました。ウケる。今はだいぶ回復はしましたが、それでも外に出る気力もなく、こんな意味のない文章を書き連ねています。
好き勝手に生きてきた兄は大学に進学し就職しているのに、兄の裏で沢山のことを我慢して自分の気持ちを抑圧してきた私はうつで学校を辞め今や引きこもりですよ。笑っちゃいます。
過密的な訓練期間は躁状態、それが3ヶ月以内しか持たないこと、それでその他の期間は概ねうつ状態、ということになれば躁うつ病の可能性がある。
躁うつ病(≒双極性障害)とうつ病は、似ている部分もあるし明確にわけられない場合があるものの、「治療法が異なる」という大きな違いが存在する。
いまの診断がうつ病+ADHDなのであれば、本当に躁うつ病+ADHDでないのかどうか、担当医とよく相談したほうが良い。
なお一般的な躁状態の症状は、睡眠が短くても平気、快活で爽快な気分、活動量の大幅な増加、多弁、新たな興味・感心、浪費傾向(場合によっては借金も)、血統妄想(ナポレオンの生まれ変わりだ!)、などなど。期間は数日から数ヶ月であることが多く、過密的な訓練期間とやらが3ヶ月以内で毎回終わるのなら、該当する可能性は十分ありそう。
実際に、物理の暴力も当然あるが、そうでない場合がほとんどだ。
モラハラとして暴言を受け続けて、うつになり、自分が我慢すればいいんだ。
お前は外で仕事してるだけだから、夜おなかが減って泣いている、1歳未満の赤ちゃんに、
ミルクも、母乳も与えないけど、ずっと抱っこしてなんとかしろ。
とか言われていたらしい。
また、家に帰ると当然自分のごはんはない。(妻は専業主婦)仕方がないので、ごはんがないので自分で作ったら、
ぐらいに言われる。そういう暴言や態度を日常的にやられ続け、じわじわと蝕まれるパターンだってある。
一体、相談員や相談施設がどういう認識で仕事してるのかほんとに親族としてははらわたが煮えくり返る。殺してやりたいくらいだ。
被害にあった親族にはとにかく今すぐ逃げろ!弁護士に相談しろ!と言っても、うつ状態に近く正確な判断ができず、
幸い、言われたことをすべて日記的に書き留める、録音するなどできたので最終的に離婚はできたが、
親権は向こうだし、下手したら慰謝料まで払わされる可能性があるとのこと。
でも、これが今の女→男に対するDVの場合の日本の現状なんだ。
このことがもっと、大きく認識されて、社会的によりよくなっていってほしい。
本当に切に願っている。
仕事が出来なすぎて、消えてなくなりたい。
頼まれた仕事を忘れていたり、やらなければダメだと分かっていながら手を付けられない。
結果、どうにもならなくなって周りを失望させてまう。
メールの宛先を間違えたり、内容を正しく理解してない(または、読み飛ばしている)ことも多い。
計画性がなくて、計画の見積もりが甘いからギリギリになる事も多い。
正直ギリギリ間に合えば良い方で、間に合わないことも多い。
忘れ物がひどかったり、宿題をしていなかったり。賃貸、携帯代、学費の振込みをしなかったらもした。
社会人になると困るのが自分だけでなくなることも増えきて、計画性や正確性を求められるから、
問題が多くなると、自己否定の頻度も高くなるから、なるべくしてうつ状態になり会社を休んだりした。(3年位前)
ここまでくるとまぁ自分がADHDかもって思い始めて(知って)、病院に行って検査した。()
結果、ADHDでほぼ確定ってことで、ストラテラ服用したりして生活してきた。
それで、服薬とともに生活習慣(癖?)を見直したほうが、いいだろうなぁってことで、
・メモをとる
・整理整頓
とかまぁ色々考えて、実行してみたりしたけど、上手くいかない。
これを実行している間にも、仕事上の問題は出てくる(生み出す原因は自分)し、
ここまで書いて、何か他にも書きたい事があったような気もするけど、
ちゃんと表現するのも面倒だし、なんだかか飽きてしまったので、おしまい。
消え去りたいよ、ほんとに。
他でも言われているだろうけど、経験者として。
リワークプログラム的なのをやってくれてる病院連携のカウンセリングルーム的な所探すのはマストではないけれど、かなり優先度高いと思う。
リワーク:
9時とかから12時とかぐらいまで、平日の毎日、うつ病、うつ状態の回復期にある人が集まって、単純作業(塗り絵とか)とかディスカッションとか、論理クイズとかする会。
料金を抑制するためか、医者でもカウンセラー(臨床心理士)でもない、良くわからない人が仕切って4~6人ぐらいで。
うちのところでは100マス計算とか毎日やってて、決められたノルマ達成、頭の回転のリハビリ、対人能力の復帰みたいなのがバランス良く振り分けられてた気がする。
・うつが快方に向かってないと参加すること自体がかなり負担になる。
実際に復職に向けてリワークに通い出したはいいけれど、悪化している人が結構居た。
人との接触が嫌、毎朝の起床が辛いなど理由はそれぞれっぽいけれど。(こう書くと朝起きれないダメ人間みたいだけど、動き出すのにめっちゃパワー要る)
確か、補助出て、1日1500円ぐらいだったよーな。(場所によると思うけど)
・午前と午後の落差が酷い
午前中我慢して、午後はリラックスできてる環境から復職したら、午後がきつくて死んだ。
メリット:
朝起きるって本当に大事。
それほど嫌でもない一日が想像できるときに、朝から動き出せるのは復職への希望。
・コミュニケーションが取れる
無理やりグループで話し合って結論を出さないといけない課題とかある。
・頭が回り出す
これ意外と大事。散歩、小説、ブログだけでは実務に戻ったときに思考力というか頭の回転? 落ちてるので結構ダメージ食らうと思う。
・あいつよりマシと思える
いろんな人が参加してる。時には鬱になったきっかけとか語らされる(多分、微妙にそっち方向にも答えられる議題とかで誘導してたりするんだろう。話したくなければ離さないでもよかった)
だから、あのおっさんよりはよっぽど仕事できるし、対人能力もあるなとか思えて自信に繋がる
・似たような境遇の人と知り合える
仕切る人も参加してる人もだいたい優しい。
自分だけかも知れないけれど、一時はノルマ的なものに向き合うのがとても辛かった。
散歩は体にも頭にもいいので、3時間でも5時間でも平気で歩けたけど。
なので、散歩は良い事なんだけれども、制約ではない。
読書だったら、面白いか面白くないかわからない本を絶対に何ページ読むとか、ブログも一日3記事とか(雉数は徐々に増やす、テーマはあらかじめきめとくとか)
ちなみに私は、軽度のうつ状態だったので、1か月休んで、1か月リワークに通って、医師からOKでたので復職して2か月でダメになりました。
今から思うと、朝はリワークに通って行ける気になってたけど、午後から寝るまで、ストレスフリーな環境にしてしまっていたので、復職後のブラックな環境で耐えることができませんでした。
残業はほぼほぼ無しだったけど、ノルマ的なのと先輩からのプレッシャー、納期。
復職前に、中期ってほどでもないけれど、1週間とか2週間とか気にしないといけないノルマ的なのを課してみておいたほうが良いかもしれない。
病院行っていないから何とも言えないけど、私は躁鬱のケがあるとは思う。たぶん双極性Ⅱ型。
で、躁状態の時に欲望に従っていろいろやっていいのか悩むときがあるのね。
どうなんでしょう。躁状態を楽しみすぎるとうつ状態が早く来るとかひどくなるとかなら抑えるんだけど、影響がないならこのまま突っ走りたい。
躁状態って悪いことなくない?いや、うっかり犯罪しちゃったり人間関係壊しちゃう場合もあるらしいけどさ。
そこまでではないならアクティブになるとか寝なくても平気とか素晴らしすぎるやん。
どうしたらこの躁状態を維持できるのか。せいぜい2か月くらいしか続かないのは経験で分かっているんだよ。
こんな掃きだめで相談しないで病院行くべきなんだろうか。いやー、でも行ってみて健康ですねと言われるのがめっちゃ恥ずかしいから行きたくないんだよなぁ。誰か背中押してほしい。