はてなキーワード: 考察とは
年齢層が若いため、p支部で文字数3000以下の小説作品もダルいから読まないとかなってそう
本当の考察作品は1万字は余裕で超える小説にならざるをえない、しかもそういう人はp支部には「試読」しかおかない(長いと読まれないから)
ちゃんとした考察作品を「個人サイト」に置く文化をしらず、個人サイトを巡回しなけりゃそりゃそうなるやろな
おまえ「ジャン神」のモブの域にもまだたどり着いてねえよ
CP書いてない人のオールキャラ本とか日常本とか考察本だけ読んでいればいい(CP書いてる人の作品はたとえオールキャラと言っていてもにじみ出るCP臭がある)
タグでつながりたがる人間はたいてい浅いとこにいるからつながらない方がいい それそのキャラじゃなくてよくね?みたいなガワだけ借りたテンプレ二次造作してるやつらばっかだから
繋がりたいタグは基本二次創作界隈だよ。Twitterなら#wj〇〇(号数)とか、#〇〇本誌タグとかの方が考察勢は多い。
あとLINEオープンチャットとか、個人ブログ、YouTubeとかも考察勢はいるから、そっちのコメント欄とかの方がいいかも。
あと、自分はやったことないんだけど、いまmixiがそういう語り合う話なってるらしいよ。使ってる人の話だと、治安が良くていいらしい。
はてな匿名ダイアリーというものを知って初めての投稿がこれでいいのかと悩むが、書き捨てる場所が他にないのでこの場をお借りします。
理解を示すような返事があっても実際は全然理解していない奴らばかりでうんざりしている。
都合の良いところだけ聞いて同意する割にはお前も同類だけどなって言いたいくらいだ。
アニメ、漫画、ゲームと色々とオタク三昧の自分ではあるが、心からその作品を好いているオタクと出会ったことがない。
別に夢でも腐でもなんでもいいが、結局二次創作にしか興味ない人ばかりだった。
同じ作品を好きだからと青い鳥で相互フォロー関係になっても、夢女子とやらは美化した自分のことにしか興味はないし、腐女子はBLにしか興味がない。
原作に興味などなければ原作に忠実なIF作品なんてものは期待できるはずもなく、もはや魔改造されて原型を留めていない棒キャラ化されてしまうキャラクターに吐き気すら覚えた。
彼らとは原作の話は一切できない。できてもほんの数回のやり取りですぐに二次創作(夢、腐)の話にされる。
女受けの良い美形キャラが並んでいるわけでもない作品、例えばジョジョの奇妙な冒険のような作品であっても、夢女子腐女子フィルターで美化された暗チばかり出てくる。
果ては夢女子になるとオリキャラ兼自分みたいな異物をねじ込んでそのオリキャラの設定を長々と話してくる。他人のオリキャラなんぞには全くもって興味ない。
こういう自称ジョジョ好きみたいな奴らのせいでジョジョの奇妙な冒険という作品が苦手になってしまった。特に4部と5部。
6部はアニメ化したし、恐らく7部も8部もアニメ化するんだろう。
アニメ化をきっかけにこういう奴らが流れ込むようにして一番好きな7部まで汚されると思うと本当に残念でならない。
あまり人に認められるような趣味でもないが、もう一つなりきりというものがある。
つまり任意のキャラクターのように振る舞い青い鳥や専用の掲示板でやり取りする遊びだ。
このなりきりという遊びでもすぐに恋仲だの唯一だの、恋愛ごっこをする奴らばかり。
特定の相手に甘い言葉を吐くようなキャラクターでもないし、もはや別のキャラクターとなっている。
自身の私情でキャラクターを左右するような奴らがその作品を好きだとかそのキャラクターが好きだとか大嘘を吐く。
なりきりに触れている以上自分も同じ穴の狢なのだろう。とはいえ、こんなキャラクター愛や作品愛の欠片もない奴らと同じにされたくはない。
そのキャラクターであることを望んでいるだけだというのに、完璧ではないからだのキャラ崩壊含めてなりきりだの、キャラクターらしくあろうとなど1ミリも考えていない奴らばかりで吐き気しかしない。
ほんの小さなミスやド忘れ、解釈のズレなど些細なことを突いているのではなく、原作にない関係(恋仲など)ばかりに興味を向けている様について言及している。
あと猫を理由にキャラ崩壊する奴も嫌い。お前のキャラは猫好きの設定なんてないどころか作中で猫をぶち●しているわ。
作中通りに猫をぶち●せとは言わないが、猫にデレデレするな。気持ち悪い。
・もくりで〜の方
ご愁傷様というかなんというか。
腐や夢を否定するわけではないのですが、棲み分けのできない人が入ってくるのが当たり前のようになっているのが辛いところです。
・バサスでやりなよ
バサスというものを初めて聞き検索をしたのですが、他の方にコールドスリープでもしてたのかと言われる増田には辛いカラーリングのサイトで、何も得られそうにない掲示板で通じるとは思いません。
二次創作にわざわざ入り込んだでもなく、ただの趣味垢としてアカウントを取得して適当な繋がりタグやなんやかんやで繋がった方々がそんな人たちだっただけです。
暗チdisと言われていますが、一切disっていないんですよね。
前に徐々同人スレ荒らしてた原作読んでいない暗チ信者おばさんかな?
2回目の追記
そもそも返信なんてしなくても良いのかもしれませんが、真面目に取り合ってくれる方には最後までお話ししたいという気持ちがこの増田にはあります。
また、どうも勘違いされていることもあるのでその訂正を先にさせていただきます。
・同人活動(二次創作)をするなとは一言も書いていないです。そもそも増田に禁止する権利などありません。
・同人板のことを書きはしましたが、書き込みは一度もしたことがありません。所謂ROM専。
・原作が根拠である考察なら聞きたいですが、別に考察をしたいわけではないです。「増田は考察界隈の方が幸せになれるよ」というコメントに対してそんなものあったら行ってましたよという意味合いで返事しました。
以下返信
今は特定の作品に近付きたいという気持ちはありませんが、同じ雑誌に載っている漫画に興味を持った時試してみます。
サイトの方も本名入力をしなければならないものなので躊躇っていましたが、入会も検討したいと思います。
本当にありがとうございます!
・「タグでつながりたがる人は大体浅い」の方
増田もそれは努力しました。増田に人を見る目がないのはそうですね、否定できません。
ここで愚痴る前には自分で発信をしていましたが、BLや夢にしか興味ない人たちに煙たがられるか、何も考えていないなりきりにさも自分で考えたかのようにパクられたりと散々だったわけです。
そもそも増田には青い鳥が合わないことは分かっていましたし、他の方が言うようにタグで繋がるような人たちはその程度というのもわかっています。
そういう人たちと繋がった、青い鳥のそういう層について無知な増田に非があることもわかっていますが、それだけでこんな作品を汚されるような思いをしなければいけないかというと違う気がします。
・[キャラ名]かな?
ちゃんと原作読んでいる人がいて安心しました。わかる人好きです。
何故そうなったのかわかりませんが、本当に同じ作品が好きといいながら全然好いていないことに苛立っているだけです。むしろ同担がいないことへの嘆きに近いです。
・二次創作しない人と繋がればいいのでは
それができたら苦労しないです……。
・[作品名]界隈にいるせいで〜の方
それもあって私は絶対触らない作品なので慣れてしまう方が楽なのはわかります。
それなんですよね、BLや夢にしか興味ない方には原作の話なんてカプ否定でしかなくて、ただ煙たいだけなんですよね。作品を好きなはずなのに原作の話ができないこと(キャラ死んだことなど)も気を遣わないといけないというのも疲れます。
3回目の追記 返信
私が青い鳥などで起きた事実を話しているのに対し、書いてもいないことを勝手に決めつけたり、そもそもちゃんと記事を読めていない人が多過ぎて疲れてしまいました。
多分彼らは決めつけるしか能がないので相手をするだけ無駄だと思います。そのため今後のコメント返信はないかもしれません。
失礼な言い方になりますが、今時個人サイトが生き残っていることすら知りませんでした。
しかしながら私は考察がメインではなく『原作の話がしたい』と最初から最後まで一貫して書いております。
要は青い鳥であればそういう話題でのリプライを求めていますし、個人サイトだのなんだの掲示板でのやり取りは相手を先に知ることからになりませんかね。
また、ジャン神のモブとやらに興味はないですし、なるつもりもありません。
わからなくもないのですが、二次創作をしている人たちは二次創作している人にしか興味がないのではないでしょうか。
それは決して悪いことだとは思いませんし、私が原作の話がしたいのにBLや夢の話をする人に「棲み分けをしてほしい」と思うように、二次創作している方々からしたら二次創作(妄想語りでもいいので)しない人は来ないでほしいと思っていても私はおかしいとは思いません。
また、好きでもないものを好きなふりするというのは勿体無いですし、何よりそれは不誠実だと思います。
私は逆に原作を好きでもないのに好きなふりをされていることを嘆いている身なので、二次創作を好きでもないのに好きなふりをするのも同じことではないのかなぁ、と思いました。
勿論そういうやり方を選んでメンタルを削りながらでも二次創作者と絡みたいというのであればそれは否定しません。
私の求める理想(叶う前提ではない)は、原作の話がしたい人と二次創作をしたい人でお互い棲み分けができていて、尚且つどちらも活発であることです。
私もなりきりに触れている以上二次創作は嫌いではないですし、気分によっては一切「原作では〜」といった発言をせず二次創作を楽しもうとする気持ちもあります。
ただ、原作の話を求めているときにBLや夢の話をされたくないというだけなのです。
あと女叩きや腐女子叩きをしたいわけではないです。
私のしている批判は必ずしも腐女子の方に限ったことではありません。
すぐに出る言葉が「腐女子」だっただけで、別に女性のみを対象にしているわけでもなく、男性(つまり腐男子)の方であったとしても、原作の話をしている時に二次創作の話をされたら私はとても嫌な気分になります。
「腐女子」というワードだけ使ってしまったことで誤解を招いてしまったようなので、訂正をさせていただきます。ごめんなさい。
一人称を増田にするお決まりでもある様子だったので増田で統一していたつもりでしたが、3回目の追記だけ忘れていました。全て増田にセルフ変換していただけたらと思います。
4回目の追記 返信
本当に全然読んでいない人がコメントしてくることって普通なんですね。
そんなに頭が悪い人でも偉そうに生きていられるってなんだか増田は変な自信ついてしまった、ありがとう。でも増田はちゃんと文章読めないのは生きていくのに辛いからそうはなりたくない。
でもバカなりに自信家で、人に対して強い態度でいられる姿勢はとても羨ましいです。
・猫アイコンの〜の方
猫アイコンの時点で心当たりは全くないですが、差し支えなければその小説サイトと検索ワードを教えていただければ嬉しいです。とても気になります。
また、増田は二次創作を楽しむ時もあると言いながらBLはあまり好きではない(ブロマンスだからBLではないとかそういう意味ではない)ので増田とは違う人ですね。猫も(キャラ崩壊の口実にされるので)どちらかというと嫌いです。
・闇の腐女子 の方
ブログでやっていらっしゃる方もいるのですね。情報ありがとうございます。
増田も同じように、腐に傾いていながら考察と言っている方に疲れてしまっているので参考にさせていただきます。
5回目の追記
本当にどうしてこうもまともに文章を読めない人が偉そうに決めつけてコメントできるのか増田は不思議でならないです。
考察に限った話ではなくて、スペースなどのボイスチャットで漫画に似たような場面になってセリフの掛け合い真似たり、あのシーン良かったよねとか、このキャラのこういうところ(原作のシーンなどから挙げて)が好きとかそういう話がしたいだけです。
例に挙げた作品で言えば、増田の感覚ではあの作品のキャラは揺るがない個性を持っていてそれをロックだなぁって思うしそんなところが好きだって感じですね。
そう言う話をしている時に唐突に主人公とライバルは付き合っているよね(そんな事実は作中にはない)みたいな話を振ってくるのはやめてほしいってだけです。
シャーベットとアイスクリームのくだりも「デキているんじゃあないか」って言われているだけで飽くまでそういう雰囲気のヤベーヤツって印象つけられているという事実はわかっていても、作中にないことを押し付けられたりすることが多いです。
セリフのないキャラクターがおかま口調だと決めつけられていることもよくあります。この程度ならまだ増田は(そういう可能性もあるよねと思えるので)平気ですが、それがさも公式かのように話してくる人ばかりだったという意味でこの記事を書いています。
増田の周りの人とのやりとりで見た事実への苦言(愚痴)であって、勝手な決めつけや他者への攻撃を望んでいらっしゃるのは一部のコメ欄の方だけです。
何故か考察にフォーカスされていますが、増田は考察がしたいわけではありませんが原作を根拠にした考察であれば聞きたいという程度です。
それはその人が作品を見てどう思ったのか、またその根拠や思考の組み立てを聞いていておもしろいと思えるからですね。
作中では明かされていないもの、伏せられているものについて「こうなのかな」と考えていて、何故ならばこういう根拠があるからそう思った、といった話はいろんな考えを知ることができて増田は好きです。
6回目追記
自分で書いている以上何度も読み直していますがどこが変わっているのか疑問です。
大まかに書いていたことを細かく追記しているだけで言い分は変えていません。
読解力のない人に合わせるのは疲れますね。
もしも変わっている点がありましたらご指摘お願いいたします。指摘された場合は合わせて説明や訂正(変わっていることを認めるなど)をさせていただきます。
そして例に挙げた作品はもう「大嫌い」になりました。この記事でも吐き気がするくらい苦手になってしまったと書きました。
サイトの色は確かに見辛い(多分老害避けだと思われる)ことを書きましたが、一番重要なのは晒しなどを容認している(むしろそのようなスレ名しかない)ために嫌厭しているだけです。
個人サイトにつきましては例に挙げた作品ではないジャンルで増田なりに調べて探しております。
的外れなアドバイスにも全肯定しなければいけないなんて余程自分に自信がおありでいらっしゃるんですね。
また、別の方ですが「原作厨は引用しかしない」という思い込みは面白いですね。引用は条件を満たせば著作権侵害にならないという話をご存知でないのも面白いです。(ただし引用部分がメインになってはいけない)
原作“だけ”を読めとは一言も言っていません。二次創作だろうがノベライズだろうがアニメだろうが好きに楽しめばいいと思います。
考察も二次創作の一つの在り方です。ただこの記事で増田が言いたかったのは「原作が根拠でないもの」についてです。元の作品を蔑ろにしてそれを考察という方は本当に多いです。
時代背景もあってこういったセリフをこのキャラは言ったんだろうとか、あのキャラが口ずさんでいた歌詞はこの時代に流行っていた曲がコレだったかららしいですねと話すことはあっても、自分の勝手な妄想でボカ□の○○を聴いているとか言うことはないですし、勝手にキャライメージソングとか決めつけることもないです。
例に挙げた作品だとキャラクターの分身の名前がバンド名や曲名やアルバム名なのでそれ関連の話をすることはありました。
これは原作でもまんまその名前を引用されているようなので原作を根拠としたイメージだと言い切れると思います。
同年代といいますと、例に挙げた作品のファンで同年代の方は原作厨になるしかないというお考えも本当に面白いです!
テニヲハを気にする方もいらっしゃいますし、誤字ネタを取り上げる人もいますが増田は別にそこになんのこだわりもないです。
もう本当に面白いことに、ネットにはまともに意図の通じる人間が存在しないということはこの記事のコメ欄で理解しました。
わかりやすく詳細に伝えようとしても読む側が悪意のある受け取り方しかしないのであれば無意味だということは青い鳥で知っていましたが、それは青い鳥に限らずネット全体でそうだったのだとやっと理解できました。ありがとうございます。
――ヒトラーは金融緩和を行っていた。金融緩和を行う日銀はナチスと同じだ。
――男女平等は共産主義者が言い始めた。男女平等を掲げる政治家は共産主義者だ。
――戦中日本は優良多子家庭を奨励していた。少子化対策は戦時体制に回帰している徴だ。
これらが全体的に例証として荒唐無稽なのは言うまでもないでしょう。これは特定の主張と同じ主張をしている別のグループを持ってきて「お前は〇〇だ」と対人論証を行うもので、「連座の誤謬」や「関連付けの誤謬」と呼ばれています。その中でも国際的にも有無を言わさず巨悪とされるナチスは何かを批判する際に引き合いに出されることが多く、些末な共通点だけで同一視するような詭弁が蔓延ったため特に「ヒトラーに例える論証」と特別に名前がついているわけです。本来のヒトラーに例える論証とはそういうものでした。なおこれは論証として不成立であることを批判するもので、侮辱か否かとは少しまた別のレイヤーの議論であることを留意しなければなりません。
そしてヒトラーが持ち出されることが多いのを皮肉ったのが「ゴドウィンの法則」です。議論中にこうなったら大抵建設的でないレッテル貼りになりがちですよね。
しかしつくづく思うのですが、ナチス関連の例えを出した時に”機械的”にゴドウィンの法則を持ち出して論難し始めるのはどうなんでしょうか。元来、「誤謬」に名前を付け「法則」という諧謔を作ったのは非論理的な議論を排し建設的な議論を行うための道しるべを示すためではないのでしょうか。相手の失点を指摘することで点数を稼ぐゲームを行うためのルールなのであれば私の不見識ですが、そういうものではないですよね?現代人が好きな”建設的”な議論をしたいのであれば、紋切り型に言うのではなく相手の論証が不十分である根拠を滔々と説く必要があります。そうすると必然的に根拠を示すだけで議論は成立するので特段誤謬や法則の名前を持ち出す必要も無いものです。
そもそものところ、ヒトラーを出した即ち誤謬・詭弁とするのはあまりに乱暴ではないでしょうか。いや菅直人元首相の発言が連座の誤謬に該当しないと言うつもりはありません。連座の誤謬だと言い切れる自信も自分にはありませんが…。例えばナチスが抱えていた論理的誤謬と同じ誤謬を抱えていると指摘しそれが危険な帰結を導出しかねないと論証できれば連座の誤謬とまでは言えないのではないですか。話を変えて最初に挙げた例に移れば、少子化政策として子供が多い家庭を表彰するという話が出たら戦中の優良多子家庭表彰政策を持ち出し問題点を指摘する程度であれば連座の誤謬とは言えないでしょう。もしくは少子化対策に前のめりになるあまり子供が多い家庭を理想モデルにすることの危険性に注意を促す程度に留まれば個人的には問題無いようにも思います。
こうした区別の判断は「ヒトラーに例える論証」とか「ゴドウィンの法則」とか言って即座に議論を終わらせるのではなく丁寧に反証をしようとすれば、相手の主張が誤謬と言えるものかどうかが見えてきてできるものではないでしょうか。ヒトラーと言うだけで機械的にゴドウィンの法則に該当してお仕舞の世界よりは判断基準が主観的で曖昧になりますが議論とはそういうものではないでしょうか。もちろんそんなに労力をかけられないという意見は分かるのですけれども。
正直なところ、ナチスに関連できることを見つけてすぐヒトラーだと言い出す人とナチス関連の話を持ち出したのを見てすぐゴドウィンの法則だと言い出す人の思考回路は同じようなものじゃないですかね。
と匿名の人間が書いても意味がないでしょうから、権威に訴える論証(詭弁)をしましょう。何を隠そうゴドウィンの法則の発明者であるゴドウィンはオルトライトについてナチスと比較するのを奨励しています。
By all means, compare these shitheads to Nazis. Again and again. I'm with you.― Mike Godwin (@sfmnemonic) August 14, 2017
Since it was released into the wilds of the internet in 1991, Godwin’s Law (which I nowadays abbreviate to “GL”) has been frequently reduced to a blurrier notion: that whenever someone compares anything current to Nazis or Hitler it means the discussion is over, or that that person lost the argument. It’s also sometimes used (reflexively, lazily) to suggest that anyone who invokes a comparison to Nazis or Hitler has somehow “broken” the Law, and thus demonstrated their failure to grasp what made the Holocaust uniquely horrific.
[抄訳]
ゴドウィンの法則はしばしば次のようにまとめられている。ある人が現在の何かをナチスやヒトラーと比較したら議論が終わったか負けたことを意味するのだ、と。またはその人が法を『破った』とされ、ホローコーストの比類ない恐ろしさを理解できてないということを示唆するとして(反射的に、怠惰に)使われている。
反射的に(reflexively)怠惰に(lazily)という修辞句を使うゴドウィン氏の心情を慮りつつ…。いわゆるトランプ政権のゼロ・トレランス政策をヒトラーになぞらえて批判した議員がいたことについてこのように記述されます。
The response has been predictable: Debate for some people has been derailed by the trivial objection that, even if it is terrible to separate children from their parents (and sometimes lose track of them, or make it impossible for their parents contact them, or even deprive them of the comfort of human touch), it’s not as awful as what the Nazis did.
[抄訳]
「ナチスの行いを矮小化しているからこの比較は不適切だ」という反論したことはないですか?それがいつもつまらない反論でしかも議論を脱線させるような非建設的な意見かは知りませんが、この時なされたその類の反論はゴドウィンからすればここまで大上段に切り捨てられて当然のもののようです。辛辣ですね。この後、こうした時にゴドウィンの法則の名前が出てくるという話もしています。
But I do want to stress that the question of evil, understood historically, is bigger than party politics. GL is about remembering history well enough to draw parallels — sometimes with Hitler or with Nazis, sure — that are deeply considered. That matter. Sometimes those comparisons are going to be appropriate, and on those occasions GL should function less as a conversation ender and more as a conversation starter.
[抄訳]
ナチスの問題は政党政治より大きなものであることを強調したい。ゴドウィンの法則は深く考察される類似性(ヒトラーやナチスとのを含む)を描くのに十分なくらいよく歴史を記憶することに関するものだ。時にそうした比較は適切であり、その場合、ゴドウィンの法則は会話の終止符ではなく会話の第一歩となるのである。
要するにナチスが現代の政党政治と比べるべくもないヤバい奴なのは前提ではありつつも、ナチスとの比較は適切な時もあるから「ゴドウィンの法則に該当するからアウト」みたいな単純な使い方はするなよってことです。もちろんゴドウィンの法則の発明者だからと言ってゴドウィンの言うことが全てではありませんが。ただ、ヒトラーに例えることで議論が脱線し行き詰まるのを防ぐためのゴドウィンの法則という言葉が議論を脱線させる一因となるのであればミイラ取りがミイラではないですか。
ネット上では新しい概念が日夜発明されています。大抵の場合は既にある概念が再発見されて流行してるだけなんですけどね。そうするととかく流行概念に合致してると言えれば即何かしらの結論を得られるという思考に陥りがちです。しかも政治においては用語や見方という枠の解釈合戦(フレーミング)が起こるものです。しかし政治家や活動家でなければ必ずしもそういった方向に行かなくてもいいでしょう。結論と同じようにもしくはそれ以上に過程こそが議論にとって重要であるという基本に立ち返りませんか。その時、数多の概念は思考を論理的に展開する際の補助輪になってくれるはずです。そう、概念は結論に直行するものではなくあくまで思考の補助線なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。概念に振り回されず、連座の誤謬もヒトラーに例える論証もゴドウィンの法則も上手に付き合えば落とし穴に嵌らないようにしてくれるはずですから。
例えばだけど
遊園地に行きたいとするじゃん?
それで実際に遊園地に行ったら楽しくなかったとする
だとしたら
行く前と行った後、どっちが幸福度高いかって言ったら多分前者だと思うんだけど
前者の人にそれを言ったら否定されると思うんだよね
C.経験済み+期待ほど楽しくない
一番幸福な状態はBだと思うし、Aの人はBからの差分で不幸だと言うんだけど実際にはBは存在せずCしかないんだよ
AとCどっちがいいかと言えば難しいところだけど、Cの人的にはまだAの方が良かったって言うんじゃないかな
年収上がって高い飯食ったり美人とセックスしたり色々やったけど
想像より楽しくなかったんだよね
じゃあこの後どうすればいいの?
Aの人はBを目指して精一杯生きると思うんだけど
Cに至ったらどうすればいいの?
それがわからんのだよ
あと一つ考察することがあるとすればBとCの差なんだけど
それって脳内の状況次第だと思うんだよね
もっと楽しめる脳になってればいいんだけど
>開幕ツイから「不適格者としてクビだ」だし閉幕ツイも「分をわきまえない…」だもの。「考察が無茶苦茶なのはまだ許せる」て本人が書いてんだから、荒れた理由は野田氏が権威主義的パーソナリティすぎたから
謝罪しても態度が悪いと叩き続ける人は
もう野田がなに言っても悪意ある見方しか出来なくなっているから
ここまでの流れを自分なりに整理したくなったのでまとめてみた
増田A...…どうして優生学がタブーとされるのか知りたい増田。すべての始まり。
増田B...…集団遺伝学の視点から優生学に意味がないことを諭す増田。この議論の流れを作る。
増田C...…増田Bの議論に科学的に怪しい点を多数発見し指摘。人の手の介入により人間は遺伝的に強い生物になれるという立場。ちょっと口が悪い。
増田D...…かつて集団遺伝学の論文の投稿経験もある実力派。増田Cの反論に対して、より現実的な立場からの意見を述べる。
某ミュージシャンの「国がスーパースターの遺伝子を管理して、スーパースター同士で子供を作らせればより強いスターができるじゃない!」という発言が炎上したことに対し、増田Aが違和感を抱く。
「個人レベルでは優秀な遺伝子でパートナーを選別するのはみんな当たり前にやっているのにどうして?」
これをはてな匿名ダイアリーに投稿したところ、「なにをいまさら……」みたいな感じで軽く盛り上がってしまう。余談だが、ここで増田Aが「優生学」と「優生思想」という言葉を混ぜて使ってしまったことで議論が少しややこしくなった気がする。
反応の多くは倫理的な批判だったが、その中で目を引くトラックバックを投稿したのが増田B。ゲノム科学者と名乗るBは、集団遺伝学的な以下の点から優生学は突出した人類を生み出すことは不可能と述べる。(私はここでちょっと納得しちゃいました)
拍手喝采!増田Aも「こういうのが読みたかった!」と追記し、物語は終わりを迎える……。ように思われたが、よくよく調べると増田Bの言っていることは科学的に怪しいということがわかってくる。
その代表が増田Cの投稿だ。CはBの投稿を精査し、一文一文について真偽を確かめていった。
Cが「間違い探し?」と言っているように、指摘の多くはBの自論を補強するための根拠に誤りがある、というものなので割愛するが、最も大きな意見の違いは以下のBの意見が完全に誤りだと述べている点だろう。
動植物の育種に代表されるように、遺伝的に有利な集団を作り出すことは人間でも可能というのが増田Cの意見である。
そこで現れたのが増田Dである。当初は増田Cと同様、増田Bには反対する立場だったが、トラバを眺めてるうちに「意外と合ってるんじゃね?」となってCの議論に意を唱える結果となったらしい。
個人的な感想だが、増田Dはより「ヒト」という種全体での形質について着眼しているように感じた。
増田Cの意見としては、「背の高い人同士で子供を作らせて、背の低い人は子供を作らせないようにすれば種全体として平均身長が上がる」って話だと思うんだが、増田Dの意見は自分は以下のように解釈している。(間違ってたらゴメンナサイ)
Cの意見はBの意見を否定する材料としては十分だが、以下の理由から優生学的に人類を選別するメリットはあまりないというのがDの意見かなと思う。
淘汰圧に上限を設定するというのが増田Dの意見の大きな根拠かと思いました。集団遺伝学は難しいですね。
Aさんの「ほんとに優生学って悪なの?」という疑問に集団遺伝学的な面からメスを入れるという議論が見られて面白かったです。この流れを作ったBさんに感謝ですね。
増田Cさんはかなり議論を具体化してくれたんのですが、立場がいまいちわからなかったのがモヤモヤポイントでした。増田Bさんの誤りにイライラして投稿したのは伝わってきたのですが条件設定が非現実的で、ちょっと極端な思考実験的にも感じました。あと思想として優生学的な手法を是とするか否とするが気になったところです。(もう少し優しい感じのサイエンスコミュニケーションを見たいかもね……)
Cさんの意見がその他の条件を一切排除した場合の考察に対し、増田Dさんは現実的な条件設定のもと選択圧を適用したという仮定について考察されてよみやすかったです。
たしかにこういう議論になると極端な設定を考えてしまいますが、絶滅しても淘汰圧かけるぞ!とはなりませんもんね。勉強になりました。
結局のところ優生学がなぜ悪か、という一番知りたかったテーマにはたどり着けていないのですがいろんな人が取り上げてた本を読み漁ってみます。
Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、その他のみなさん、ありがとうございました
今まで見ていなかったので、義務的に再放送を3話目まで見ているのだが
軌道力学的な考察が無茶苦茶なのは、まだ許せるが、主人公だあろう新人、もし私のところに配属されたら、速攻で、不適格者としてクビだ
もともとのツイートはこれ。
俺は最初、元JAXA男性が「科学考証なってなくてつまんねーわ、このアニメwwww」と言ってDisってたのかと思った。増田にもそういう形での書き込みが多かったし、トゲラー見ても科学考証なんて味付けでしかない云々みたいなコメントがとても多かったので。
でも実際には科学考証に関しての批判は「間違ってはいるけど、まぁ、それはそれとして」という程度だった。
そして本題である主人公が気に入らないに関しては、「登場人物があまりにバカバカしいことばかりするので話に入れない」といった類の批判であり、それなりに市民権を得ている批判だと私は思う。
我々のような素人ではわからないことでも、現場でやってきていた人には許せない描写というのも存在するだろうと思う。映画批評でお馴染みの元警官の三角締めさんも警察描写がクソすぎるから減点という批判をよくしていたし、俺も教員をやっていたことがあるのでドラマや映画の教員描写で「なんやこれ舐めてんのか」となることはある。
何はともあれ、今回のプラネテス批判の本題は別に「プラネテスは科学考証がなっていない」ことではなく、
「登場人物にイライラさせられるので面白く感じられない」ということだった。
表に出てきている情報だけで語ろうとするの善くないなと改めて感じた。
オープンリーチを知らない人がこの記事を読むとは思わないが、念のために説明すると麻雀のローカル役の一つであり、リーチ宣言時に手牌を全て公開することだ。通常のリーチは1翻役だが、オープンリーチは2翻役となる。
オープンリーチに賛成する理由として、麻雀の戦略性が広まることにある。例えば終局間際において、トップ取りなりラス回避なりでそれなりに大きな得点が必要な場面を考える。手牌が安くなってしまい得点のためにはあと1翻か2翻欲しい、というやきもきする経験は麻雀を打つものなら誰もが理解できるだろう。セオリーとしては2通りあり、たとえ向聴数が伸びても高い手を作るのか、リーチをして一発や裏ドラといった懸賞役に賭けるのかである。しかしながら前者の手段を取った場合は、手が遅く捨て牌から読まれやすくなりトップ目の他家にとっては有利に働くので、逆転の要素が小さくなり麻雀の競技としての楽しみも薄れることだろう。一方、リーチして懸賞役に賭ける場合でも失敗したら場がしらけることになる。リーチしてロン和了では点数が足りないので、ツモ和了のためにロン牌を見逃すこともあり得るだろう。こんなときこそ、ルールとして認められているのならオープンリーチがしたくなる。場が盛り上がるだけでなく、公開された手牌によってチー・ポン・カンの副露よりも牌の情報公開が増えて他家にとっても戦略性が増すだろう。このように、オープンリーチを認めることで麻雀の競技性は高くなる。
リーチという役は元々中国麻雀になく、緑一色や七対子と同じくアメリカで生まれた役である。聴牌したことの宣言・リーチ棒の供託・和了までツモ切りする、といったリスクを背負うリーチが生まれたことにより、競技としての戦略性が増したことは想像に難くない。さらに、リーチという役から派生して一発や裏ドラも生まれて、これまで競技に使われなかったドラ表示牌の真下の牌も使われるようになった。オープンリーチもまた同じく、リーチから派生した役として戦略性を高める役として普及してきたことだろう。
しかしながら、一発・裏ドラと違ってオープンリーチは現在主流になっているリーチ麻雀ではルールとして採用されていないのだ。せいぜいがローカル役として紹介されるだけの扱いである。
長い歴史を持つ囲碁や将棋の様なボードゲームと違い、麻雀は戦後の動乱期に勃興した競技なのでルールの確立にもさまざまな葛藤があったことだと推測できる。現在ローカル役として扱われてる役は、見た目などは華やかであるものの戦略性が乏しく、単に覚える役が増えるだけの煩わしい役といった類の役が多い。例えば、大車輪は役満として扱わなくとも高い翻数の和了になるのでわざわざ役満と位置付ける価値はないし、三連刻や四連刻も同様だ。一方で緑一色は、現在扱われている役の中で最もローカル役的な雰囲気の強い役と言えよう。牌色が全て緑でアメリカ人にとって縁起がいいからといった理由も、オールグリーンという英名が由来になっていることも、いかにもローカル役っぽさが漂う役だ。個人的には緑一色がローカル役に留まらず正式な役として認められているのは釈然としない。一方で七対子もアメリカ由来だが、4面子1雀頭という和了形の原則を大きく崩すものの麻雀の戦略性を増す良い役だと思う。ローカル役として最も有名な役として人和があるが、説明すると長くなってしまうしオープンリーチの是非を問う本題とはかけ離れてしまうので割愛する。
このように、ローカル役と正式な役との境目を考察してみても、オープンリーチがローカル役に留まっているのは残念でならない。オープンリーチの麻雀をやりたいのならば勝手にやればいいのではと言われるかもしれないが、雀荘でもネット麻雀でも採用されていないルールを身内だけで導入してもむなしいだけだ。
もちろん、オープンリーチの導入に対して反論もある。リーチには一発・裏ドラという偶発役がからみ、さらにオープンも加わると競技としての偶発性がますます高まり、麻雀としての戦略性は逆に下がってしまうのではないかという意見もあるだろう。しかしながら、囲碁や将棋の様な完全情報ゲームとは違い、そもそも麻雀は全ての情報が公開されない不完全情報ゲームである。伏牌の偶発性によって、初級者が熟練者に勝つこともあるのが麻雀の魅力だ。一発や裏ドラなどの偶発性を小さくした競技麻雀があまり普及してないことからも、麻雀には偶発性があることが好まれることの証とも言えよう。麻雀の発達とともに向上した点数のインフレをさらに向上するのではという意見もあるだろう。かつて、麻雀は満貫が最高点であり、清一色でも3翻しかなかったのだ。点棒も現在の100点棒・1000点棒がかつては10点棒・100点棒として扱われていたのだ。しかし、認められる役が増え、場ゾロ(バンバン)が常態化され、満貫で打ち切りだったはずの最高点が四倍満(役満)までにインフレしたのだ。こうしたインフレも麻雀競技者が望んだことでルールとして確立されたことだろう。それでも、オープンリーチを導入したとて単なるリーチに1翻追加されるだけなのでインフレがさらに加速するとは到底思えない。
麻雀勃興期の頃の麻雀団体は、進化し続けていくルールを確立していくことに苦労したことだろう。一方で現在の麻雀プロはただのプロライセンス発行団体になっており、麻雀の競技を普及するつもりはあってもルールを改定する気は無いのだろう。現在のルールを守り続けていくことはもちろん大事なことだが、ルールの改定が麻雀がより面白くなることにつながるなら一考の価値はあるだろう。オープンリーチを今すぐ正式なルールに採用しろなどと横暴なことを主張するつもりはないが、ローカル役の導入について意見を交わしたり試行するなどして、ただただ現在の麻雀ルールを盲目的に追従するだけの姿勢を改めてはもらえないだろうか。
「惨めな美女」が出てくる映画なりAVなり教えて欲しい。できれば小説でなく、映像で見れる美女が惨めな感じで。
例えばどんなものが好きか?
少し昔だが、小倉ゆずという、明らかな超絶美少女のAV女優がいて、明らかに酷い扱いを受ける。
弘前亮子という明らかに広末にそっくりな美女AV女優がイラマチオ作品にばかり出て虐められるのも好きだった。
アナル舐めみたいな、人間の尊厳を奪うようなプレイを美女がやるのが大好きだ。おすすめは『アナル舐め中毒女』の乙女ななせ。乙女って名前でそんなことやらされるのが大好き。『ムカデ人間』(肛門と口を連結される映画)っぽさがある。
何が面白いのかというと、「美女」という人生スーパーイージーモードに対する嫉妬だ。
可愛いとか、愛したいとかそういう感情ではない。「自分のクソ人生の溜飲を下げる」ということだ。
「産まれの価値=その人間の価値」という現代の法則を否定したい気持ちになるから。
最近は、ジョーカー事件というか、無差別殺人とか流行ってるけど、多分犯人も気持ち的にはそういうことなんじゃないかな。(実際に事件を起こすかどうかは全く別の問題で、ほとんどの人は事件を起こさないけど)
つまり、産まれた価値の低さを受け入れられなくて、社会の他の人を残酷に貶めて溜飲んを下げるみたいな。
それでも、自分は、社会的には大成功している部類なのだが、「チビでブサイクでハゲでデブでブサイクだから努力しなキャならなかったんだ」ということ、「最初から余裕でイージーな美人」というものへの嫉妬が深い。
最近のあたりは、『Meagan is Missing』14歳の女の子2人がさらわれて、ひたすら暴力を受ける。
英語だから誰も見ないだろうから、ネタバレするけど、監禁されてる部屋のドラム缶に友達の死体がずっと入っていて、主人公の女の子は最後にそれを知らされて、自分もドラム缶に入れられたまま埋められる。
14歳という人生を知らない人間が「女だから」で目をつけられて虐められまくるのが大好きだ。
残虐が足りない。
見終わったら隣の席から緑のクマ(ぬいぐるみ)が出てきて「なお、この映画はベクデルテストをパスしない」って言ってた・・・
冒頭に掲げられた「INSPIRED BY TRUE STORY」がdisclaimerとして機能しているように、しょうがないんだけど、スカッとしないんだよね。
いや、わかるのよ。わかる。悪の凡庸さ、罪の矮小さを通じて人間を描こうとしている。あるいは描かれている。
自律的に暴走していく欲望に躓き、尻つぼみにみじめな終局を迎えるキャラクターたち。
だけれども、私がみたいのはガガ姉さんが悪のカリスマを演じるピカレスクロマンなのですよ。
フィクションであればもっと吹っ切れた魅力を表現できた可能性がある筈なのに、そうはならない。
(緑のクマ氏であれば、男性キャラクターと女性キャラクターの違いが作劇にどう影響しているか歴史的文脈を踏まえて考察してくれるかもしれない)
ジャレッド・レト(ジョーカー@スーサイドスクワッド、エイズ患者@ダラスバイヤーズクラブ、クラブメンバーのエンジェル@ファイトクラブ)演じるパオロにあてがう「記号としてのダサファッションセンス」を作り上げた美術は絶妙。
日本のドラマは視聴者を信用していないから大げさに説明しすぎるっていう批判を時々見かけるけど、父グッチ(ロドルフォ)ジェレミー・アイアンズの”病人風メイク”はやりすぎの「コントかな?」って思った。