はてなキーワード: 進学校とは
実際自分も自称「偏差値60の進学校」の出身なのだが、あやしいなあと思っている。
というものまずどこが出している偏差値か...でだいぶ変わる。
開き、ありすぎ。
みたいに見えるものの、実際には複数の学科に合格者がかぶっていて数字を稼いでいるものと思われる。
自分の実感としては
・マーチ:30%
・日東駒専:35%
・浪人:5%
ぐらいのイメージ。
浪人した人も、結局なし崩し的にフリーター→デキ婚が多いイメージだなあ。
そんなわけで、
自称偏差値60だと、成績上位者と下位にめちゃくちゃひらきがあるなあと思う。
(まあどこの学校もそうなのかもしれないけど)
知人で某県のベスト3高?みたいなところの出身者がいるけど、はっきりいって中2レベルの英語もできないのでびびる。
地方は学校が少ない分、自称偏差値65でも実際は55〜70ぐらいまでの人がいるんじゃないかなと思った。
あとこんな大人になってまで自分でわざわざ「進学校でした」って言ってくる人はだいたい「自称」とみていい。
そもそも優秀な人は大学名そんなに出してこないし(別に実績があるから...
あ、なんか悲しくなってきた。おわり。
死にたいなあと思った時には増田に吐き出すようにしてるんだけど、今日もそれだ。
私は大学生の女で、中学から不登校。幸いなことに頭は悪くなかったから、高校受験は結構頑張って進学校に入学。でも不登校だったので、途中で留年して退学。大学受験は高卒認定を取って中堅大に入学。でも不登校なので、単位が全然取れなくて、今2回目の2年生をやってるところ。
親からは大学行かないなら金の無駄だと言われてて、自分でも全くもってその通りだと思う。両親には本当に申し訳ない。でもどうしても身体が動かないんだ…
周りの友達は、インターンとか、就活とか考え出してて、将来何をしたいとか、そんなの全然ない私は劣等感で酷い。毎日学校に通うこともできない女が社会で何をするってんだって感じだ。何にもできやしないよ…
自分でも、こんな人間は社会にいらないなあって思う。親の金で実家に住んで、親の金で実家の飯を食べて、親の金でインターネットを見て、親の金で学費を払ってもらってるのに大学に行かない。クソ人間だ。
でもつらいんだ。人によって「これがつらい、これだけはつらい」っていうこと、それぞれあると思うけど、私にとってそれが「規則正しく学校に通うこと」なんだ。しかも生憎、日本の社会って、学校に通えない人、通えなかった人にやけに厳しいように出来てるんじゃないかと思う。なんでこんな当たり前のことできないんだろうって思うけど、中学生の頃から今まで、8年とか、9年とか頑張ろうとしてずっと失敗してきたから、もう嫌になってしまった。
生きるのがこんなにつらいならもうやめちゃおうかなって気持ちだ。これから5,60年間、しんどい思いをして生きるよりも、死んじゃった方が苦しくないんじゃないかって気持ちだ。しかも、私が死ねば保険で両親にお金が入るって思えば親孝行なんじゃないか。あーあ、こんなこと、誰にも相談できない……
高知県の人口が70万人を切ったニュースで思い出した話がある。
超少子高齢化と人口減と都市地方間格差が進んだ結果、進学への情熱が薄れてきているという話。
そのためには私立進学校に行く。」というのがエリートのセオリーみたいなものだった。
だが今は、そんなセオリーが崩れている。
いや正確には「無理してまで良い大学に入らせようとは思わない」「そのために私立進学校に行く必要はない」
その前に、高知県の大学と高校(及び中高一貫校)の事情を説明しておく。
まずは高校。
土佐>=学芸>土佐塾(ここまで私立中高一貫)>追手前(県立)>その他県立高校とか明徳とか
であった。
それが今はどうだろう。
県立西高校と県立南高校が統合され、南西高校になるかと思いきや公立中高一貫の高知国際中学高校になった。
しかも母体の西高校の色もあり、英語教育に力を入れているスーパーなんとかハイスクールに指定されている。
昔ながらのThe私立進学校は、特色ある公立校に押されつつあるとみられる。
次に大学。
高知県にある4年制大学は国立大学法人高知大学と、高知県立大学、そして高知工科大学の3つしかない。
かつては高知医科大学があったが、高知大学と合併して高知大学医学部になっている。
更に機械や電気、情報といった工学系となると高知工科大学しかない。
受験難易度の点で見れば偏差値46程度の高知工科大学であればわざわざ難関私立進学校に入らなくても良い。
筆者は土佐高校の卒業だが、当時人気だった進学先のひとつは岡山大学であった。
同級生や年の近い先輩後輩の進学先ら帯広畜産大学から琉球大まであったし、海外留学していったのもいた。
ほぼ100%が進学志望なのは今も昔も変わらないと思うが、志望大学がバラエティに富んでいた。しかし今や地元志向が強すぎる。
もちろん地元高知大学の人気も高かったが、今はそれ以上に高知大学志望が増えているという。
「もうちょっと頑張れば、もっと良い大学に行けるのに」と先生が勧めても、
生徒や親が浪人を嫌がり、より確実性の高いところで落ち着こうとするのだ。
あるいは、「もうちょっと頑張れば」というなら理学部から医学部に進路変更する。
でも本当に医者になりたいのか?安定した職業を求めているのではないか?
言っておくが国立高知大学も高知工科大学も、決してチンケなFラン大学ではない。
だが、やれハーバードだMITだスタンフォードだ、東大だ京大だ、早慶だ阪大だ、
そして環境。圧倒的に人が少な過ぎて、異なる価値観に触れる機会が都会とは雲泥の差なのだ。
月とトイレの方のスッポン。多感な学生時代を、世田谷区人口にも満たない県人口の田舎で、刺激の少ない学生時代を送ることになる。
たとえば高知から東京の大学に進学するとなると、それだけで大変だ。
平均世帯収入の低い高知から、物価の高い東京で一人暮らしとなれば、不景気ないまおいそれと出せない。
筆者なんか6年も通ってしまったのだ、どれほど親に金を使わせたか。
余裕がないのだ。
一年浪人させて県外の良い大学にいくよりは、現役で高知大か工科大に行き、
県庁か市役所に勤めることこそが、堅実な将来であることに疑いはない。
でもそれで新しい時代が切り開けるか?
消耗しないように高知に残り、消化試合の人生は「負け」ではないが
超少子高齢化と取り返しのつかない人口減に対応するため、私立進学校も変革の時を迎えている。
ちなみに、土佐高校は昭和半ばからずっと1クラス50人×6クラスである。
どう考えても多すぎる。
学費を上げてでも人数を減らし、きめ細かい教育ができるようにすべきだ。
脱藩マインドが低い者は公立校に任せ、県外や海外へ送り込める少数精鋭の人材育成校に転換した方がいい。
冠する土佐藩の名に叶って欲しい。
田舎で土地とか家とかそれなりに持ってて、親戚が多くて、食費があまりかからなかったりすると430万で全然OKだろ。
地縁血縁かなぐり捨てて東京で地方出身者同士で結婚してタワーマンション買っちゃったような世帯年収2000万よりよっぽど豊か。
大学だって地域二番手くらいまでの進学校で不通に勉強してれば地元駅弁くらいは余裕で行けるけど、奨学金借りて一人暮らしして日東駒専じゃ元はとれない。
地方には仕事がないってみんな言うけど、県庁所在地まで通勤できればそれなりに経済は回ってる。公的セクターの雇用もある。厳しいのは確かだが。
要するに地に足のついた考え方ができるかだよね。
まわりで聞いた話。
30年前の話。
自分以外の連中が騒いでいて、自分も騒いでいると思われ、成績1をつけられた。
他の先生も「あなたが1なんておかしいでしょう」と言ってくれて、私は騒いでいないと抗議しても覆らず。
なんとこの教師が現役。
知り合いの子供にも理不尽なことをしていて、その子供が不登校に。
私たちが納税したお金から給料をもらいながら、着実に若者たちの人生を破壊している。
「どのように生きたいか」
という問いに対して
「楽をして生きたい」
と回答したら社会不適合者と言われた。
質問文に対して正直に答えただけで、みんなそう思いながら勉強もするし、働いていると指摘しても聞きいれず。
「世のため人のため額に汗かき生きたい」
みたいな回答がお望みだったのは分かるが、社会不適合者という人格否定。
全てが嫌になって不登校に。
---
自分はそんないい学校を出てないのだが、ここまでひどい教師たちはいなかった。
ラッキーだったのだろうか。
俺は日本史大好き人間だが、普段日本史で得た知識が即座に役立つことはめったにない。
……のだが、このニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190617/k10011954891000.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190617/k10011954891000.html
「出挙」、日本史Bの古代で出てきたと思います。普通覚えてねーと思うけど。あと、進学校じゃないと触れないかも。
「すいこ」って読む。
農民に春に種子を貸し付けて、収穫の際に利子をつけて返済させる仕組みだ。
ここから中世には貨幣経済の進展とともに私たちのイメージしやすい貸借が一般化していく。
古代から中世にかけて、農民たちは生活が不安定ゆえに、種を借り受けなくてはならない。あるいは、身分ゆえに、半強制的に貸付を受けなくてはならない。
その分、秋には利息付けて返さなくてはならない。富む者は益々富む。
冷害などがあったらどうなるか。借金が膨らむばかりだ。そうして農村は天災だけでなく人的要因により疲弊したりする。
話を現代に戻そう。ブクマ諸賢は「手数料」が実質的な利息であると見抜いているし、さらには私がこのあと述べたい隷属状態に陥りやすい構造に触れているブコメもある。
「手数料」はペイミーに支払われる。この実質的な利息にまず目が行きがちだが、前述の通りもう一つ隷属の問題があるのだ。このあたり突っ込んで考えてみよう。
それは、先に支払われた分、ちゃんと働かなければならないと言うことだ。先にカネをもらうと言うことはそういうこと。
二つのパターンが想定される。まずは労働者の側が困窮に喘ぎこのシステムを頼らざるを得ないパターン。
もう一つは、ひとつめのパターンと連動して、上から半強制的にこの仕組みを利用せざるをえなくするパターン。
給与であるにもかかわらず、前払いは借金の性質を帯びる。前払いは前借りに他ならない。
一回だけと思っても、どこかで金銭的な窮地があり前払いが当たり前になってしまうかもしれない。
そうして、雇い主に対する隷属が強まる。
具体的にどうなるのかというと、無理なシフトや出勤を頼まれた時、断りにくくなることが想定できるだろう。「借り」があるからだ。
ペイミーと企業なんか連動しているに決まっている。アルバイトを前払いで支配しうる(賃金を少なく抑えて支配しうる)構造にあるのだ。
出挙は国家も私人も行なった。古代国家も、有力な田堵なんかも。人に課す税金のようなものだ。そして、その人を雁字搦めにして隷属し支配する。
同世代の人数がものすごく多い。そのため、節目の受験期は、まさに受験戦争だった。
私は中学時代までは、特に勉強を頑張らなくても成績は優秀だった。(1学年250人くらいいて、いつもテスト順位は30位以内)
子供だったから、単純に偏差値が高い高校に行けば、よりよい高校生活が送れるかな、などというバカな発想で、
自分の当時の実力も考えて、その地区の公立高校の中では三番目くらいの進学校に進んだ。(当時の偏差値は64くらい)
当然といえば当然なんだけど、高校に進んだあとは、周囲の人たちは、皆自分と同じくらいか、それ以上に勉強ができる人ばかり。
もう勉強についていくだけで必死にならざるを得ず、まったく楽しい高校生活ではなかった。
それで、そんな地区の三番手くらいの進学校から、当時、どんな大学に進むのが多かったかと言うと、
日東駒専 (第一志望) → 現実は、大東亜帝国 というのがボリュームゾーンだった。
当時、1学年300人くらいだった。(現代では考えられない人数だと思う)
でも、比較的成績が良い上位150人の、大半の「第一志望」は、日東駒専だった。
その当時は、日東駒専もかなりの難関と考えられていた。
上位150人のうち、第一志望の日東駒専に現役で合格できたのは、50人くらいだった。
合格できなかった人たちは、滑り止めに行ったり、浪人したりした。
もしくは、経済的な理由から、大学に進むことをやめた人もかなり多かった。
むろん、ポジティブな理由で、大学以外の道に進む人も多かった。
地区の三番手くらいの進学校(偏差値60~65くらい)であっても、大学への進学率がせいぜい50%くらいだった。
なんでこのような状況だったかといえば、同世代がものすごく多かったため、熾烈な過当競争になったからだ。
ネットの学歴厨さんたちの書き込みを見ると、日東駒専は、ボーダーフリー(Fラン)よりちょっとだけ上レベルだそうだ。
かろうじて同じ人間として扱っても良いレベルが日東駒専くらいまでで、それより未満は、ゴミらしい。
私は、うえの文章からも察しられるかもしれないが、地区三番手の進学校では、まったくもって普通以下に甘んじた。
日東駒専でもあこがれだったが、そのあこがれには届かなかった人間だ。
だが、中学時代に、250人中30位以内の人間だった私でも、ゴミなのだ。
ざっくり言って、自分と同世代のうち、70%以上は、ゴミだということになる。
ゴミである私が、社会に放たれた当時は、就職氷河期に突入していた。
そんな中では、幸運にも、比較的よいところに就職できたほうだと思うが、
現実ベースで、社会人も10年以上になると、学歴なんてものには意味はなくなる。
圧倒的に職歴や、実績の方が、強い。
こんなことは、私と同世代くらいの人間からしたら、当たり前なんだけれど…。
でも、30代前半以下の人たちにとっては、学歴がすべてらしい。
…ということらしい。
そういうことを考えることもしないで、思考停止した人たちが、私のことをゴミと言っている。
以上、ゴミでした。
電車の中で、社会情勢や自分の不遇についてキレ散らかしてる男性
内容は「この学校はおしまいだ」とか「生徒の質が下がってる」とか
いや知らんがな、って内容ばっかりなんだけど、相手が担任だけに反論できない
電車で遭遇したらこっそり車両を変えればいいけど、教室だから移動できない
結果、授業中に寝る生徒が続出した
元々進学校で、放課後の塾をメインにしてるから学校では寝る生徒が多かったけど、それにしてもその担任の授業の就寝率は異常だった
受験して入るような中高一貫校でもこんな奴いるんだから分からないもんだね
人生は運
でもほんと、何十歳も歳下の、抵抗できない立場の生徒たちに怒鳴り散らす中年の担任の姿は今でも目に焼き付いてる
その先生は終わってた
進学校でしたけど、クラスの男子が修学旅行先でカツアゲされても隣の学校の年上に殴られても警察は動きませんでしたけどね。
今の日本は史上まれにみる治安の良さだというのにブクマカ女どもは何を勘違いしているのだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190608-00022675-tokaiv-soci
ウクライナ人が部落差別の存在を否定するようなこと言って侃々諤々人気だけど、少なくとも東京にいるとその手の差別を感じないというのはわかる。
自分は被差別部落ではないけど明治維新で徳川に付いた「負け組」集落の出身で、御一新で土地財産を取られたのが現代まで影響しているのか、周囲と比べてあからさまに所得も学歴も低い地域で育った。
小中学校では「あの集落の子たち」扱いで暴力を伴う虐めを受けてても教師は我関せずでいて、県中から秀才が集まる進学校に入っても「あいつの家のあたりは……」みたいなことを言いふらす人間もいた。
地元でははっきりと差別されていたと言えるけど、進学で上京するとそういうのとは無縁になった。
「当社は明治の元勲が発起人となった格式ある財閥系企業でございますので、あなたのような出自の者は雇えません」と就職差別されたり、
「うちのご先祖様は新政府のために血を流して戦ったんだ。賊軍の子孫に娘はやれん」と結婚差別されたり、
自分の出身は興信所とかで調べればすぐにわかるし、むしろ自分たちから「幕末の動乱では主君に最後まで忠義を尽くした。差別に負けずに代議士や学者や実業家を輩出した」と熱心に発信してるんだけど、東京では誰も知らないし気にしない。
決して裕福とは言えない家庭に生まれ、狭いコミュニティの中でそれなりに楽しく生きてきた。
常に周りには友達もいて、運動神経も良く、勉強もクラスの中では10番目以内に入るなどスクールカーストでは最上位にいただろう。
その地域では進学校と言われていた出身高校も就職と専門学校の割合が多く、一部の頭が良い人たちが大学に通う程度だった。
当時大学は頭の良い人が行くものだと思っていたし、偏差値なんてものはあまり気にしたことがなかった。
自分は指定校推薦をもらい、その高校からは入ることが難しいとされていた私立大学に合格。
大学の場所は県庁所在地にあり住んでた地域では都会扱いされ、そこに住み大学に通うなんてことは夢のようだった。
実際に大学に通い始めると多くの苦労が待っていた。
高校では優秀とされていた自分も講義に着いていくのがやっとなのだ。
しかし、これはまぁ想像していた。なんせ自分はあの難しいとされていた大学に通っているのだから。こんな高いレベルで講義を受けられるなんてむしろ誇りに思っていた。
その時期から少しずつ課外活動に興味を持ち始め学生団体に所属した。そこで他大学の人と出会う機会があり、その地域で一番優秀とされる大学出身の人に出会った。
そこで初めて劣等感を感じるとともにその人たちと一緒に団体を運営してることに対しての優越感も同時に感じていた。
自分はこいつらは違うという意識が芽生え始め、学業より学生団体の活動を中心とした生活を送るようになった。
セミナーやシンポジウムへの参加、団体メンバーと社会課題やビジネスについてディスカッションしている時間が自分の好奇心を満たしていた。
学生ながらにして出来るビジネスは大抵決まっており、小資本で始めることができるインターネットサービスが定石だ。
自分もビジネスをするためにHTML, CSS, JavaScriptとWeb制作をするための最低限の知識を挫折しながらもなんとか身につけた。
しかし、やればやるほどWeb制作は事業の面白みもなく、技術的な好奇心も満たしてくれないことがわかった。
周りの目も気になり下手な企業に就職するのは自分のプライドが許さない。
そこでさらにスキルを伸ばすために休学をすることに決めた。調べれば調べるほど休学にはメリットしかなかったのだ。
色々と悩んだ結果、東京でインターンシップをすることに決めた。
本当は海外に行きたいところだったがお金もなく、しぶしぶ東京に決めたところもある。
日本の中心地東京は夢の場所であり、勝手に怖いイメージを持っていた。
しかし、ここまで積み重ねてきた自信から「自分ならなんとかなる。」 とそう言い聞かせた結果、思ったよりもインターン先はあっさりと決まった。
バイト代をもらいつつエンジニアとしてもスキルを伸ばせる最高の環境だ。
社員と同様に週5で働き着実にスキルと自信を身につけていった。
そのまま東京で就職活動を行った結果、スムーズに夢の企業から内定が出たのだ。
給料は新卒平均年収の2倍はあり、内定者の多くは東大、京大、慶應、早稲田など名だたる大学ばかりだった。
自分は偏差値40代のF欄大学生であり、就職してからはとにかく劣等感ばかり感じていた。話してる内容も理解出来ないことが多くついていけない。
そこで初めて自分は全く優秀ではないことに気づき、ただただ小さいコミュニティで満足して生きていたことを知った。
本当に優秀とされる人の前ではあまりに無力で自分の実力のなさが見に染みてわかるようになった。
しかし、ここを逃げて田舎の小さいコミュニティの中で生きて行くのはこの世界を知ってしまった以上出来なかった。
本当に優秀な人たちに囲われて自分も優秀なふりをしながら常に劣等感感じて生きるしかないのだ。
自分に嘘をつき続けながら生き続けた結果、今ではとある企業から役職をもらうまでとなった。
自分は優秀なふりをするのが上手いらしい。
実力が伴っていないのは自分が一番わかっている。
しかし、もう後戻りはできない。
幸せってなんだろう。。。
就活準備を始めた21卒なんだけど、インターンのエントリーの記入欄に「出身高校」の欄がある。
え、これいるの? Sラン進学校出身だと、その企業に在籍のOB・OGが世話してくれるシステムでもあるの? 女だけど、"灘高校"って書いてもいい? 灘校OG、御社での就活のお世話をしておくれ〜〜〜
キャバ嬢風俗嬢をやる同級生がいるくらいの非進学校出身だから、高校名を聞かれてもなーんの旨味もないんだけど、入力必須になってるから埋めざるを得ないんだよね。めんどくさい。
唯一の救いは、高校名がキラキラネームではないこと。画数も多くないから、履歴書には書きやすい。字面だけ見ればAラン高校に見えなくもない。創立者のおじいちゃんに圧倒的感謝。
知名度低い高校だからさ、同じ県出身の人に「どこのFラン高校だろう?」って毎回毎回困った顔されんの。
もううんざりしちゃって、「就職したら、出身大学>>>出身高校だ」と思って、一念発起して大学受験頑張ったのに、この期に及んでまだ聞かれんの?いっそ、海外進出でもした方がいい?
小学校の頃に、時々デブで頭も悪く馬鹿にされていた同級生が椅子振り回してた事を思い出す。
デブの家はちょっと貧乏臭く、親は金髪でピアスのある人たちだった。デブに粘着して虐めていたのもまた、馬鹿なヤンママの息子みたいな奴らだった。
田舎の公立校は親の仕事でぼんやりとグループが分かれていて、医者教授公務員の子供の層と、地元出身の親の層は、住むところも交友も何となく違っていた。
だから下層の方の争いは、下層で起きることで、大抵皆無関心だったのだけど、デブが椅子を振り回す時だけは、我々にも被害が及んだ。
19歳、浪人中の夏だった。
僕は幼い頃から空気が読めず、からかわれてばかりいた。今なら発達障害と診断がおりるかもしれない。
ヤンキーだらけの中学校で、教室の隅に転がるゴミみたいな扱いを受けながらも、成績だけは良かったことが僕の唯一の拠り所だった。だが、進学校に入学して地頭がいい連中の中に入れば、真面目さだけが取り柄の僕では敵わない。
早々と童貞を捨てたようなコミュ強や、高3の夏まで部活に打ち込んでいたクラスメイトが現役でMARCH以上に合格する中、僕の浪人が決まった。プライドばかり高い僕は、当時の2ちゃんの学歴板に毒されていたこともあって、人生に負けたと思い込んだ。
ショックを引きずったまま入った予備校では、声の大きい派手なグループが幅をきかせ、友達はできなかった。
春が過ぎ夏になっても、模試の判定は良くならない。家と予備校を往復するだけの毎日だが、世間の楽しそうな人たちが目に入らずにすむからその方が気楽だった。
通っていた予備校は駅と花火大会の会場の真ん中にあった。予備校の建物から出ると、狭い歩道は浴衣姿のカップルだらけ。露店も出ていて呼び込みの声も騒がしい。押し分けても押し分けてもはしゃいだ様子のカップルが押し寄せてきて、まったく駅に近づかない。肩がぶつかった強面の男に舌打ちされた。
惨めだった。毎日楽しいこともなく、女の裸なんてディスプレイ越しにしか見たことのない僕が、なぜこいつらに遠慮しなければならないんだ。刃物だと一人か二人しか殺せないから、マシンガンがいい。高いところから会場を埋め尽くしたカップルを打ちまくり血の海にできたらどれだけ爽快だろう。自分より幸せそうな人を殺す想像に、罪悪感はなかった。
今思えばまだ19歳。未来に絶望する歳じゃないし、花火大会なんてたった1日のことだ。でもそう思う余裕がなかった。
想像だけで済んだのは、ただただ親に恵まれていたからだと思う。浪人を快く認めてくれ、予備校から帰る時刻になると母は夕食のメニューをメールで教えてくれた。雑談をしながら家族で囲む食事が、心の支えだった。
その後、第一志望には落ち、格下だと思っていた大学に入学した。そこで気の合う友達に出会えた。卒業後、合った仕事に就くこともできた。だから当時の鬱屈はすっかり記憶の隅に追いやっていたが、川崎の事件でふと思い出した。
もしも親ガチャで爆死していたら、大学でも孤立していたら、仕事が見つからなかったら、犯人は僕だったかもしれない。そして、この先も人生に絶望するようなことがあれば、また僕はマシンガンを求めてしまうかもしれない。
小さい頃、割と頭が良かった。賢いね、と言われるのが嬉しくて、知識を吸収した。夢のような将来の夢を掲げた。こんなに賢いんだからなれるんじゃない?と言われ調子に乗った。
親もお受験に熱心だったし、結果的にそれなりの進学校に入学した。変わらず将来の夢を掲げて勉強した。
この時、既に何となく気づいていた。私は周りの優秀な子達より、要領が悪い。
けれどそれは、勉強の仕方を知らないだけだと首を振った。首を振って、頑張った。
今更あの夢は諦めるなんて言える空気じゃなかった。それに、なりたくないわけじゃなかった。
現役では無理だった。浪人したら、案外あっさりと目標の大学に入れた。
なーんだ、私やっぱり頭良いんだ!そう思った。馬鹿だった。
いざ、入学してみると、周りのレベルはとんでもなく高かった。だからと言って彼らが勉強しかしてない訳では無い。むしろ逆。遊びに恋にサークルに、勉強する時間ある?って感じなのに、
勉強してない、やべーって笑いながら、私が逆立ちしても取れない点数を取って合格していく。
私は沢山落ちた。私、身の丈に合ってない所に来た。今更知っても、遅かった。
勉強出来るわけじゃないんだ、私。ようやく理解した。空っぽになってしまった。何も持ってない。ステータスというか、キャラ付けになるもの。歌も一般人レベル、絵も一般人レベル。料理もできない、英語も話せない。何も持ってない。
この頃、同人にハマった。推しカプが出来て、彼らのことについて誰かと話したかった。Twitterをはじめた。けれどただ神絵師の絵をリツイートして最高、と呟いてるだけじゃ友達は増えない。それに私も推しカプを表現したかった。絵は描けないけど、小説なら書けた。だって日本人だから。
初めて書き上げた小説に、コメントがついた。嬉しかった。この人が読んでくれてるってだけで次も書けると思った。次も書いた。見てくれる人が増えた。Twitter上での友達も増えた。また、見てくれる人が増えた。私が向いてるの、これだったんだ、と思った。思えば中学の頃、小説家になりたかった時期もあった。そっちに進んでおけば良かったかな、なんて。
違う。
私なんか、何も凄くなかった。面白い話が次から次へと湧いて、それを直ぐに言葉にできて、その文章がまた綺麗で。
そういう天才が、数え切れない程いた。
私がいる狭い世界でさえ、そういう凄い一般人が溢れてるんだから、この世の中で私の小説なんて下の下の下じゃん。そう思った。
けれど、そんな凄い人が皆、私よりずっと前から書いてる人なら。それならきっと、目標に出来た。
でも違った。みんな、同じ時期にハマったり、私より遅くハマった人で、それなのに凄い勢いでいいねやブクマやフォロワーを増やしていく。
私は違う。頑張って考えてこれいいなって思ったネタを何度も練り直して、それをさも今思いつきましたって顔して呟くの、とてもしんどい。凡人なのに、凡人だから、みんなと同じ凄い人のフリするの、しんどいよ。
私、何も持ってないんだなあ。
これから先、何かを手に入れられるのかな。
お先真っ暗だ。
気づいたら友達がいなかった。原因を探るため自分の人生を振り返った。
一学年15人程度しかいない程度の田舎の公立小学校に通った。天パで吃り癖があって3月生まれで足が遅く体格で不利な癖に、本をよく読んで小難しい事を喜んで話したがる君の悪い子供だった自分はわりといじめられた。今振り返ると自分に原因があったと思う。当時の自分は周りは馬鹿だから大人になれば一番自分が金持ちなって自分が幸せになると思っていた。当時の人達の多くは恐らく高卒。現在交流なし。
一学年120人程度の公立中学校に通った。最初の中間テストで学年一位だったので頭いいキャラになった。親に学年一位だったら何でもかってあげると言われたので、当時20万円近くするノートパソコンを買ってもらった。プログラミング等に目覚める事はなく主にエロサイト閲覧に使う。部活は卓球部のインキャ。身長は150→172になるも運動神経は悪いまま。当時の人達とは現在交流なし。
東大に行く人もいるような進学校は下宿する必要があったので偏差値53の公立高校に進学。インターネットで進学校は高二で受験範囲を終わらせる事を知る。参考書を親にAmazonで買ってもらって自分で軽く勉強。そこまで長時間勉強したわけでもないが計画的に受験対策を行い、数学3物理化学2が高3の11月末に終わる劣悪な環境で地方旧帝国大の工学部に現役合格。
部活では卓球部のキャプテン。というか他のメンバーが高校中退or卒業後引きこもりor明らかな発達障害などで明らかに谷間の世代だったので消去法だったと思う。クラス、部活共に当時の人達とは連絡なし。部活は年末年始集まる仲。
工学部の機械系に進学。大学は遊ぶところだと聞いていたので全く勉強せず、授業中は寝る。単位だけは落とさないようにしたのでひたすらDをとりまくる。というかテスト前はDが取れそうだと思った時点で他の教科に切り替えていた。そのお陰でGPAは2ちょっとしかないくせに一度も単位を落とさず。その際にクラスの人に頼み込んでノート見せてもらっていたので、そういうグズな面もあってか研究室入って以降、クラスの人達とは連絡とらなくなる。サークル、バイト共に在籍時は交流があった人たちとも現在は交流なし。
ただ、大学入ってすぐはインキャだったものの、コンプレックスだった天パをうまくパーマ風に生かすことを覚え、身なりに気を遣うようになった結果、身長が180cmあって顔立ちはイケメンではないが小顔で脚も長く雰囲気で誤魔化した結果、合コン大学2年あたりからそこそこモテるようになった。
初体験こそネットで会った女性なものの、彼女と交際を通して女性とのつきあい方などのコミュニレベルをあげた結果、バイト先やサークル、居酒屋、合コン、クラブ、ネットなどで女の子をお持ち帰りできるようになった。ただ、経験人数も30人程度になりいつまでも遊んでいるわけにもいかないと思っていた時にベッドで『付き合わないのにするのは嫌』と言ってきた女性とお付き合いを始める。
旧帝大、早稲田慶応あたりの人達がマス層の大手メーカーに勤務。彼女とは就職時に遠距離を始める。同期とはたまに飲みに行く程度の仲。
社会人2年目も終わろうとしていた今年の3月に転勤が決まる。あるプロジェクトに参画する形で職場に自社のメンバーは自分だけという状況になった。一方、遠距離だった彼女とは逆に近くになり、いよいよ結婚かという期待を彼女からされた時点で彼女を振ってしまう。まだ結婚したくなかったからだ。そして自分にはもっと相応しい人がいると思ったからだ。
彼女と別れてマッチングアプリを始める。学生の時にやったとき、普通クラスなら自分でもどうにかできるが、トップレベルの女性には学生というお金も車もない身分からお近づきなれない限界のようなものを感じていた。
ところが社会人になり、彼女とのデートでたまった見栄えのいい写真に加え、高学歴、企業名こそ明かしてないものの地方の中ではそれなりの高給取り、車持ちというステータスとなった私は婚活市場の中でなかなか『強い』ようで、女の子の方からバンバンいいねが来る。明らかに自分がこれまで付き合ったレベルの女性よりハイクラスな女性からもいいねが普通に返ってくる。
これはこれで嬉しいのだが、一つ問題に気づく。正確には気づかないふりをしていた問題が顕在化したとも言えるが。
彼女と別れて自分には雑談をふれるような連絡ができる友達が一人もいないのだ。
年末年始とかに今度集まろうじゃなくて、なんとなく用事はないけど普段の近況について話す事ができる人間が全くいないのだ。
どうやったら友達ができるんだろう。というかみんな友達っているのだろうか。まぁたぶん自分の性格に問題があるんだと思う。友達がいなくて寂しいくせに、自分から連絡を取れないのがいけないんだと思う。だからネットで安易に浅く繋がって、それで自分は相手の肉体と精神を傷つけながら一時の寂しさをしのいで、深く長く関係を築くのを拒否し続けた結果が今なんだと思う。
増田とおなじ氷河期世代で、同じグレード感で進学@東京だけど、中・高・大学通して殴られる躾は当たり前だったという話を当然顔で同級生からされたら内心ドン引きしてたと思う。
広島という土地柄なのかもしれないけど、または増田の家がたまたまバイオレンスだっただけじゃない?
いやなことではあるが、かしこい学校に通ってる子たちは賢いだけあって、友達のドン引きエピソードを聞いても顔色を変えたりせずに、うっすら分からないようにその人との距離感を徐々に離して行ったりするんだよなぁ。君子危うきに近寄らず精神というか。
進学校とかいい大学に入る子は結局のところ育ちが良いというか富裕で穏当な家庭に育っているケースが多いし、そうでもなかった子も、賢さから空気を読んで浮かないようにアジャストしてたりするんだよ。中・高からの親友で一人、両親が某宗教団体にのめり込んで色々難儀をしてた子がいたが、中2で仲良くなってそのままずっと親友で、でも親の宗教とか進学問題で疲弊しつくしてることを打ち明けられたのは高2の秋の進路調査票を出す時期だった。打ち明けられるまでは私も他の子も誰も気づかなかった。
怒った親が手を出すのは当たり前の世代って、どの辺までだろうな
俺は広島出身の就職氷河期世代だけど、同級生みても親に殴られた経験持ってる奴は多かった
出身校は修〇高校って言う、その頃は県内でも知られた進学校だったけど、子供のころに親に殴られたとか同級生でも普通だったね
その後、なんやかんやで浪人して東京大学に入ったんだけど、そこでも親が怖かったって話は普通にしたよ
中学校の体育教師に殴られるとか、怖い先生が居たって奴も少なくはなかった。
公立中学に通ってたけど、いじめから不登校になるような子が出なかったのも、いじめがあったら教師が問答無用で殴ってたし
それでいじめられる子が守られていたのも大きかったね。
なんなら、近所のおっさんですら、怒って叩くって事はあった時代だったと思う
何でもかんでも体罰=犯罪って時代になって、子育てが犬のしつけと同じ水準で語られる時代を生きてる最近の子と
親に限らず大人が怖かった俺らの時代とでは、明らかに社会の在り方が変わったなと思うんだけど、どこで変わってしまったんだろうね。
今日娘が中学校で初めてのテストの結果が返ってきた。娘は普段それなりに勉強していたから予想していた以上に成績が悪く、びっくりした。結果に対して怒っても仕方ないけど、自分は学生の時に成績が悪くはなかったから、どうしたらいいのかわからず、とりあえず妻に中学校の時の成績ってどうだったか聞いてみた。それまで妻の学生時代の成績とか聞いたことなくて(妻は美大卒)、絵は得意だったんだろうな程度の認識だった。そうしたら「中学校の時は1番以外取ったことなかったなー。でも高校で私立の進学校受かったけど、学費が高くて行けなかったし、公立の進学校行ったら落ちこぼれちゃって美大に行っちゃった。でも私立の進学校に行ってたら美大には行かなかったと思うし、あなたと会えなかったと思うから今は公立に行って良かったと思う」と言われて最近そういう男女の会話というか夫婦の会話がなかったからめちゃめちゃドキドキした。
それはともかく娘の成績はどうしよう。