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はてなキーワード: 県庁所在地とは

2024-05-17

善意好意

僕は南の島で生まれた。僕がまだ母のお腹にいた時に、父が軽はずみな悪戯をした。母は気を失い、倒れた。それは僕の運命を狂わせ、家族運命も変える重大な結果をもたらした。僕は脚に障害を持って生まれ、その障害を治せる医療機関は島にも近隣にもなく、関東関西の子供専門病院での長期にわたる入院治療必要とされた。両親は治療費と移住費を捻出するため、先祖伝来の家屋土地田畑ほとんどすべて売り払い、僕が2歳の冬、家族揃って島を出て、関西のある県に移住した。僕はその県の県庁所在地ある子供専門病院入院することになった。


僕が入院した日、窓の外の山々が人生で初めて見る雪で真っ白になっていたことを今でも鮮明に覚えている。両親は家に帰りたいと泣く僕を残して帰っていった。僕はそれから4歳になるまで約2年間入院し、5回の手術を受けた。僕の脚は完治はしなかったけれど、障害者と判定されないくらいまでには改善した。島を出た時は、僕はまともに立つことすらできなかった。退院した時は自分の足で歩いて病院を出た。担当先生看護師さんたちが涙を流して見送ってくれたことを覚えている。


入院により僕の障害改善したが、同時に子どもの成長に必要とされる多くの大切なものを得られなかった。両親から愛情家族他人との人間関係を築くための社会性を身につける機会、病院食ばかりで食べ物好き嫌いを克服する機会、成長に必要な体力と運動能力を得る機会などだ。このため、僕の後の人生で苦しむことになる。前回の日記では、特定の幾つかの出来事だけを挙げ、それが対人恐怖症や人間不信に繋がったように書いたが、実際にはそうではない。


退院したばかりの頃の僕は、体力がないため、同世代男の子たちとは遊べず、妹の後ばかりをついて回った。そして彼女彼女友達と一緒に遊んだ。それは主に、体力を必要としないままごと人形遊びだった。ある時、駄菓子屋さんで妹たちが紙製の着せ替え人形を買った。僕も買おうとしたら店の人に「あなた男の子でしょ!」と叱られた。よく女の子みたいだと言われた。そして、それからもずっとそう言われ続けることになる。


5歳の春、僕は幼稚園に入った。入園日の翌日から、午前中は親から離れて園で過ごす日々が始まったが、その初日で躓いた。僕は園に着いて僕を置いて帰る母を見てパニックになり、大号泣した。僕は病院で育った影響か、感情表現が下手で滅多に感情を表に表さないが、入院した日のようにまた家族と引き離されると思い、その時は全力で抵抗した。それは単に僕の勘違いだったけれど。入園日や卒園日のことは一切覚えていないが、この大泣きした時のことだけは記憶に残っている。

その後、僕は順調に幼稚園に通うことになる、はずだった。


近所に山川君という同級生男の子がいた。同じ幼稚園に通い、小中学校も同じだった。幼稚園に入った4月の末、彼は、突然、僕の首を締めた。息ができなくなり、眼の前が真っ暗になり、意識がどんどん遠のいていった。僕が意識を失う寸前に彼は手を放した。その後、僕の登園手帳5月6月カレンダーは、登園をしたこと示す判子が押されず殆どが空欄になっている。僕は首を締められたことにより、様々な感染症にかかり、ずっと寝込むことになった。

その出来事があってからは僕の母は彼を見ると、手を上げて打(ぶ)つ真似をして、「あんたのせいで」と怒った。その度に彼は彼の母の後に逃げ込んだ。母は彼のことをずっと後まで憎んでいたが、僕は彼のことをそんなに憎んではいなかった。小中学校で、彼は僕がいじめられているのを知ると、時には相手鉄拳制裁を加え、僕を二度といじめるなと言ってくれた。その方法善悪は別として、実際にそれは効果があったし、僕はそれに感謝している。

自身は、なぜ僕の首を締めたのか、それがどんな結果をもたらすのか分かっていなかったと思う。僕は、後に、同級生から他の人の見ていない所でよく抓(つね)られたりしたが、彼は同じような軽い気持ちだったのかもしれない。10代後半の彼が自ら語ったところでは、彼は先天的(おそらく遺伝性の)精神疾患を患い、その治療を受けていた。先天的という意味では僕と彼は同じ境遇で、それは僕ら自身の力ではどうしようもないことだった。僕の物理的に変形した脚では、いくら頑張っても障害のない人のように歩いたり走ったりすることはできない。物理法則を、意思の力や努力で変えることは不可能だ。脳も物理法則支配されているのだから精神疾患だって本人の意思の力や努力だけではどうしようもない。


結局、僕は幼稚園を1ヶ月半以上も休むことになり、十分な体力も付けられずに小学校に上がった。入学式初日に、隣りに座った立花君に抓られた。その後に何度も経験することになる、隠れた場所でのイジメだった。僕は他の誰も見ていない2人だけの場所で、抓られたり蹴られたり嫌味を言われたりよくした。また、3年生の時に、近所の年上の男の子プロレスごっこをしていて、抱きつかれたこともある。抱きつかれたというより抱きしめられたような感じで、その後、凄く気まずくなった。だから、僕はできるだけ他人と二人きりにならないように気をつけた。後から考えると、これは僕が適切な人間関係を築いていく上での弊害になったと思う。

ちなみに、僕を最初に抓った立花君は高校まで同じだったが、後には友だちになった。当時、僕の住んでいたのは某ラノベ舞台と言われる市で、公立高校入試にいわゆる学区割というシステムを導入しており、成績上位者の一部を除いて、住んでいる学区で通う高校指定された。だから小学校から高校まで、多くの同級生たちと同じ学校に通った。小中のしがらみを抱えたまま高校まで進学するのは、ある意味きつかった。


小1の時は、いろんな子にいじめられた。抓ってくる子が多かった。クラス学力1、2位を争っていた男子女子によく悪口を言われた。彼らは進学塾に通っていたけれど、塾にも通わないのに教科書をスラスラ読める僕に嫉妬したのだと思う。僕は、入院中の毎晩の看護師さんたちによる絵本読み聞かせで、3歳になる頃には平仮名を全て覚え、絵本も一人で読めるようになっていた。僕のテキストは「くまのプーさん」だった。だから今でもくまのプーさんを見ると、特別感情を抱く。入院で失ったものも多かったが、得たものも大きかった。

いつからかは覚えていないが、僕がイジメられるのを見かねた新池さんという女子が僕を守ってくれるようになった。彼女は本当に心が真っすぐな子だった。彼女は僕より背が低くかったが、人一倍勝ち気で男子相手喧嘩でも一歩も引かなかった。だから彼女は学年中の男子から、新池ゴリラと呼ばれていた。新池さんは授業が終わり、帰宅する時もずっと僕の側にいてくれた。

新池さんとは中学まで一緒だったが、同じクラスになったのは小1の時だけだった。彼女彼女の妹の面倒をよくみていた。彼女はいつも妹と一緒にいた印象がある。彼女は僕のことも彼女の妹と同じように庇護すべき対象と思ったのかもしれない。彼女は僕にとっては同級生というより、姉のような存在だった。

僕は前の日記で新池さんをゴリラ女子と書いてしまったが、それは仮名かめい)を使わなかったから読み易いようにそうしただけで、僕が実際に彼女ゴリラと呼んだことは一度もない。そんなことしたら罰が当たる。彼女は僕の守護神だった。彼女は本当にかわいい子だった。だけど、僕には彼女を慕う気持ちはあったが、恋愛感情は一切なかった。そこははっきりさせておきたい。


小2になると別の守護神が現れた。担任田口先生だった。田口先生女性で優しかったが、弱い者イジメ絶対に許さなかった。先生最初の授業で、僕には障害があるからクラスみんなで守ってあげて下さいと言ってくれた。僕はクラスで一番最後逆上がりができるようになったが、先生がそれを母に報告すると母は泣いたらしい。先生はその話をクラス全員の前で話し、みんなも一緒に喜んで欲しいと言った。当時は、逆上がりくらいでと僕は恥ずかしかったが、今思うと本当にいい先生だったと心から感謝している。

そんな先生の下でもイジメをする子はいた。僕は病院食を食べて育ったため、好き嫌いが多く、食べられない給食が多かった。ある日、給食チキンクリームスープが出た。僕は鶏肉が食べられなかった。無理して食べ、最後は戻してしまった。それを見たクラス安田君という男子が「汚ねっ!」と言って、嘔吐物に唾を吐いた。別の誰かに呼ばれて駆けつけた担任田口先生がそれを見ていた。先生クラス全員が縮み上がるほどの鬼の形相で、烈火のごとく怒った。安田君はわんわん泣きながら、僕と一緒に嘔吐物の片付けをさせられた。僕はそれ以来、毎朝給食メニューをチェックし、ビニール袋を給食袋に忍ばせ、食べられない給食をこっそり持ち帰るようにした。まだ給食は残さず食べるというのが当たり前の時代で、おそらく田口先生は僕の行動に気付いていたと思うが、何も言われなかった。同級生の中には、精神的な理由から肉類を食べられないことを公言し、それを許容されていた子もいた。本来は、学校に僕が好き嫌いが多い理由をきちんと説明しておけばよかったのかもしれないが、僕は親にそういうことを相談できなかった。僕は、いじめのことも親に相談できなかった。


小2の2学期に徳田君という転校生が来た。ある日、体育の時間が終わった後、彼は僕を抓った。それをクラスの別の子が見ていた。僕はジャングルジムの上に避難させられ、徳田君はみんなに引きづられてギャンギャン泣きながら田口先生のところへ連行された。徳田君は転校してきたばかりで田口先生方針を知らなかった。彼は僕をいじめたことで、クラスの大半を的に回してしまった。

徳田君は相当に困ったようで、苦肉の策だったのか僕に接近してきた。自分の家に遊びに来いとしつこく僕を誘った。僕は彼が怖かったから何かと理由をつけて断った。彼の最後の手は「うちにはお金が倍になるゲームがある」だった。家が貧乏だった僕は、その言葉簡単に転んだ。彼の家は僕の家から100メートルも離れていなかった。当時、僕たち家族は、両親が市役所転入届けを出しに行った際、役所の人が「市内一の貧乏アパートから早めに出た方がいい」と助言したくらいの貧乏長屋に住んでいた。2階建てで庭に木まで植えてある彼の家は、実際はそう大きくはなかったが、僕には豪邸に思えた。彼の家の中に入れてもらうと、転校して初めて来た友達からだと思うが、彼の母と祖父母が僕を歓待してくれた。そして、いろんなゲームを二人でした。当然のことだが、最後までお金が倍になるゲームなど出て来なかった。彼が家の外まで一緒に出て見送りしてくれた時に、僕は思い切ってそのゲームのことを聞いてみた。彼は「そんなのあるわけ無いじゃん」とけろっとした顔でいった。そんなにも平然と嘘を付く人がいるという現実に僕は戸惑った。そんな僕に、彼は全く屈託のない笑顔で、「また、必ず遊びに来てね」と言い、手を振った。その後、彼には多くの友だちができ、彼が僕を家に招待することは二度と無かった。それどころか、僕のことなど一切相手にもしなくなった。僕がその後の人生で、悪徳商法詐欺などの被害にあわないで済んだのは、間違いなくこの時の教訓があったからだと思う。それは人を簡単に信用してはいけないという僕の人間不信を強固にする出来事でもあったと思う。

徳田君の名誉のために補足すると、彼は詐欺師などにはならず真っ当な人生を歩み、今では小さいながら自らの事業を立ち上げ、一人で切り盛りしている。彼とは社会人になってから何度か会っているが、苦労が顔に滲み出ていて、気配りのできる本当にいい大人になっている。


小3から中3の話は別の日記や別の媒体でも書いているので省略する。


僕は脚の障害のため、短距離走は誰よりも遅かったが、心肺能力人一倍優れていたと思う。僕の体は、例えるなら、パンクしたタイヤを装着した高性能エンジン車のようなものだった。脚の悪さを心肺機能で補うことで、持久走はかなり速く走れた。学校マラソン大会中学で200人中5位、高校では700人中10位だった。これは自慢しているのではない。僕は高校では陸上部所属し、中長距離走選手として成果を出したかったが、競技者レベルには全く達していなかったというのが現実だ。そのため、僕は高2になるまで試合には一度も出して貰えなかった。

高2で初めて800メートル走に出場した時のことは鮮明に記憶している。それは県の全高校陸上選手が集う競技会だった。観客席には選手監督コーチマネージャーなど数千人がいた。

スタートピストルの音とともに出場者全員が出走すると、会場全体がざわつき、どっと笑いに包まれた。僕の走り方がとてもヘンテコリンだったからだ。それまでにも走り方を笑われることはよくあったが、数千人いる会場であんなに大勢に笑われるとは思いもしなかった。走り方一つで何千人もの人たちを笑わせられるなんて、僕はお笑い芸人より凄いかもしれない。

僕の高校陸上部員の僕に対する声援は会場全体を包む笑い声にかき消されてしまった。どんなに笑われても、監督が苦労して僕を試合に出させてくれた以上、途中で棄権することは絶対にできないので、僕は死にものぐるいで走った。僕が最後尾で第4コーナーを回り、正面スタンド前に来た時に、その奇跡のような出来事は起きた。もの凄い声援が湧き起こった。走りながら、僕がスタンドの方へ目をやると、よく合同練習していた隣の高校陸上部キャプテンが身を乗り出し、両手を口に当て「〇〇、ファイトー!」と僕の名を絶叫し、それに続いて他の部員たち全員が大声で声援してくれた。走りながら僕は体中に鳥肌が立った。その声援は僕の高校部員たちの声援を遥かに上回っていた。そして、その声援は会場全体に響きわたった。一瞬にして会場が静まっり返った。水を打ったようというのはああいう状況を言うのだと思う。たった30人ほどの人たちの声援が、何千人もの人たちの笑い声とざわめきを一瞬にして吹き飛ばししまった。気まずい空気が会場全体を覆った。急に静かになった競技場の残り400メートルを僕は力の限り走った。

結局、成績は最下位だったけれど、あん奇跡のような体験をできただけでも、僕は競技会に出場した甲斐があったと思う。隣の高校陸上部キャプテン水野君、そして、彼に続いてくれた部員たちには、今でも本当に感謝している。当然、僕の高校の部の人たちにも。


大学時代のことは別の媒体でも書いているので省略する。

社会一年目に関することは別の日記に書いたので省略する。


社会人2年目の4月本社異動になった僕は、地元に戻ってきた。地元には戻ったが実家には戻らず、会社の寮に入った。ゴールデンウィーク実家に戻ると、高校時代に同じ陸上部にいた津木と岡崎から飲みに誘われた。焼き肉屋で空腹を満たした後、津木がおもしろ場所に連れて行ってやると言った。

それは岡崎の家の近くの小さなスナックだった。津木がドアを開けると、2人の女性が明るく迎えてくれた。僕は本当に驚いた。そこにいたのは小1の頃、僕のことをずっと守ってくれた新池さんだった。彼女は小1の頃と全く変わらない笑顔で、僕たちを迎えてくれた。僕がいることに気づき彼女も驚いていた。新池さんは全然変わっていなかった。彼女の隣にいたのは彼女の母だった。彼女の妹も一緒に働いている三人の店だということだった。もう彼女と何を話たのかは忘れてしまったけれど、津木ばかりが話していて、僕はあまり彼女と話せなかったように思う。僕は、小1の時の感謝彼女に伝えたかったが、うまくタイミングが掴めず、結局は伝えられなかった。地元からいつでもまた会えるという思いもあった。

しかし翌年、僕は今の妻となる人出会い、翌々年に結婚し、地方へ転勤となってしまった。4年後、僕が転職して地元に戻って来た時には、もうその店は無くなり、彼女行方もわからなくなってしまっていた。彼女は小1の同じクラス同級生で僕がフルネーム漢字でも書ける唯一の人だが、SNS友達繋がりでも彼女名前は見当たらない。その後、僕はまた別の会社転職し、関東へ住居を移した。あの社会人2年目以降、僕は彼女とは一度も会えていない。感謝気持ちは伝えられる時にきちんと伝えるべきだったと、本当に後悔している。



補足

  • 僕は書くことを、つい1ヶ月くらい前から始めた。書くことはリハビリという人がいるが、それを実感している。
  • 書くことで不幸自慢したいのでない。そういうことは思い出すだけでも辛くなるし、腹も立つし、ネガティブ気持ちになる。
  • そうではなく、僕の周りにたくさんの敵意や悪意があったけれど、それを上回る善意好意に僕は救われてきたということを伝えたい。
  • 書くことで、僕は自身ネガティブで屈折した思考を整理し、僕を助けてくれたり応援してくれた人たちを思い出し、それと同時にそういう人たちへの感謝気持ち再確認できた。妻への感謝気持ちもそうだ。
  • 文章を公開するのは、そういう人たちが大勢いたことを、多くの人に知って貰いたいからだ。



2024-05-16

石川富山福井合併させて本州中央北陸日本海県にしよう

政令市が3つできる

富山市 100万人以上(旧富山県全域)

金沢市 100万人以上 ☆県庁所在地(旧石川県南部

福井市 70万人以上(旧福井県全域)

2024-05-15

anond:20240515152104

たった今、GPT(といってもBingのCopilotだけど)を使ったところだわ

AWS上でJavaScriptを動かしてて、AWSライブラリ固有のエラーが出たんで

エラーメッセージをそのまま「これって何なの?」と聞いた

Amazon Qに聞いた方がよかったんかなw

でもブラウザで直接Copilotに聞けるから、こっちの方が便利なんよね。。

あとパッと思いつくとこだと、テストデータが欲しいか都道府県県庁所在地データくれ、とか

それをJSON形式にしてくれ、とか色々便利に使わせてもらってる

2024-05-02

anond:20240502194818

もちろんそういう面もあると思うよ。なにがしかトレードオフがあるのは間違いない。 

はいものの、郊外地方がそれだけダメかと言うと、田園調布成城三鷹小金井国立八王子やたまプラあざみ野や、福岡市仙台市札幌市金沢市が、そんなにダメかと言うと、そこまでのことは無いんじゃないの? と思えてならないんだが...

まあ、それなりの規模の県庁所在地レベルなら結構いけてるのでは?

anond:20240501163301

東京どころか普通県庁所在地でも全然めずらしくないし。 

おれは九州の某県庁所在地福岡じゃない)に住んでるけど、小学校の1,2年と中学校の1年の時には同じクラス大学教授の子ふたりいたぞ。高校の時は同学年に少なくとも四人は大学教授の子がいたぞ。そりゃそうだろ。大学なんて日本中どこの県にもあるんだし、県庁所在地ならあるのが普通じゃん。

2024-05-01

anond:20240501175001

県庁所在地でもないワイタウンですら市内に2つもあるのに、、、

2024-04-26

ゲームする友達欲しい

タイトル通り。

当方33女性、夫と5歳2歳の子どもと暮らしてる。

地元から遠く離れた田舎県庁所在地に住んでる。

ゲーム読書筋トレと昔からやってるスポーツ趣味

リアルに会ってやってるゲームの話とかできる友達欲しい。

好きなゲームゼルダ(全部)、シレンN64〜)、MOTHERシリーズドラクエドラクエモンスターズ、アンダーテール、ロックマンエグゼシリーズ、ぱわぷろくんポケット

やったことがあったり内容が分かったりで話せるゲームカービィシリーズスマブラシリーズピクミンシリーズマリオシリーズ、昔のFFスプラトゥーンポケモン等。

苦手なゲームどうぶつの森乙女ゲー全般、育成物

世代女性は皆忙しそう。

忙しい時間をぬって自分の見た目が美しくなる方向に課金するのが趣味のように感じる。

美容室、服を見る買う、美容医療アクセサリーネイル、バッグ…

自分も女なので周りから浮かない程度には課金するけど正直こんなことに時間お金使うのが苦痛

でも女性と話をする時は明らかにその話題の方が盛り上がる。

趣味聞かれたときゲームって正直に答えると「…えっ…?」みたいな反応になる。

たまに子供の園のお父さんとゲームの話で盛り上がるけど、大体その奥さんゲームしないし周りの目があるのであんま仲良くするわけにもいかない。

最近こんなゲームしてるとか聴きたい。こんなゲーム面白いらしいとか話したい。

どうすればゲームする友達が作れるんだろう。

誰か私の友達になって。

ゲームする友達欲しい

タイトル通り。

当方33女性、夫と5歳2歳の子どもと暮らしてる。

地元から遠く離れた田舎県庁所在地に住んでる。

ゲーム読書筋トレと昔からやってるスポーツ趣味

リアルに会ってやってるゲームの話とかできる友達欲しい。

好きなゲームゼルダ(全部)、シレンN64〜)、MOTHERシリーズドラクエドラクエモンスターズ、アンダーテール、ロックマンエグゼシリーズ、ぱわぷろくんポケット

やったことがあったり内容が分かったりで話せるゲームカービィシリーズスマブラシリーズピクミンシリーズマリオシリーズ、昔のFFスプラトゥーンポケモン等。

苦手なゲームどうぶつの森乙女ゲー全般、育成物

世代女性は皆忙しそう。

忙しい時間をぬって自分の見た目が美しくなる方向に課金するのが趣味のように感じる。

美容室、服を見る買う、美容医療アクセサリーネイル、バッグ…

自分も女なので周りから浮かない程度には課金するけど正直こんなことに時間お金使うのが苦痛

でも女性と話をする時は明らかにその話題の方が盛り上がる。

趣味聞かれたときゲームって正直に答えると「…えっ…?」みたいな反応になる。

たまに子供の園のお父さんとゲームの話で盛り上がるけど、大体その奥さんゲームしないし周りの目があるのであんま仲良くするわけにもいかない。

最近こんなゲームしてるとか聴きたい。こんなゲーム面白いらしいとか話したい。

どうすればゲームする友達が作れるんだろう。

誰か私の友達になって。

2024-04-23

おい、若い衆、見合い結婚はいいぞ

今は見合いなんて風習なくなったんだろうか。婚活アプリとか会員制クラブとか使うのか。

今つくづく思うんだが、俺の場合はかなり幸運だったのだろう。

それで、俺の場合の概略を述べる。

俺のスペック(という言葉自体よろしくないが)

当時34歳

東北地方県庁所在地在住

大卒無名関東地方大学

収入不安定(ただし、当時の平均以上)

兄が結婚して両親と同居、すでに子どもたちは小学生

身長170cm、痩せ型

++ヨメさんのスペック++

当時29歳

俺と同じ県の某市内在住

大卒地元の人しか知らない国立大学理系だぞ)

当時は収入ほぼゼロ

長女で、両親の世話をする可能性あり

妹は既婚で遠方に在住(すでに子どもあり)

身長164cm、痩せ型

+++共通する点+++

どちらも同じ県の生まれ

どちらも先祖代々日本人

どちらもサラリーマン被雇用者の家庭ではない

どちらも家は昔から仏教宗派は異なる)

どちらも食い物の好き嫌いは少なく、酒を飲む

これは後から判ったことだが、家族親族にはギャンブル依存遺伝病、犯罪歴のある者はいない。

どちらも、ほぼ、童貞処女

まあ、こんな感じだが、むこうが俺をかなり気に入ったようで、積極的に攻められて、見合いから3か月後ぐらいに結婚した。今から思うと、やっぱり女のほうからグイグイ攻めないと、話はまとまらないと思う。特に俺みたいな優柔不断な男の場合は。

当時、俺は相手スペックなんて、ほとんど気にしなかった。

ヨメのほうは、当時としては年齢的にはあせる時期で、将来的に親の面倒を見るのは、かなり不利な条件であると思っていたようだ。それに、当時の女としては学歴が高すぎて、釣り合う相手が少ないという事情もあったかもしれない。それにしても、こっちの収入心配じゃなかったのか、今でも不思議だ。

さて、これからがこの匿名ダイアリーポイント

結婚後のトラブルの9割は、双方の家族、具体的には親の問題なのだ。俺の父親は、説明不能トラブル人間で、それを母親、兄、兄嫁が支えていた状態スペックのところで書いたように、遺伝病もギャンブル依存も無いが、それと同じくらいのやっかい人間だ。

ヨメのほうの両親も、いろいろ問題がある。これも犯罪歴とか詐欺とか新興宗教から問題ではないのだが、やはり身内にしか判らないトラブルがあったわけ。

しかし、これ、現在婚活クラブとか婚活アプリでは、判らない問題だと思う。勢いで結婚して、なんとか家庭を作った後で生じる問題なのだ

今の若い衆が、結婚したくない、家庭を持ちたくない、ってのも実はこの家族問題が大きいのじゃないだろうか。どうですか?

もう一つの問題健康問題

これも、事前には判らない。家族の病歴とか、血液検査の結果とか、健康診断の結果とかを、相手に出させるわけにはいかないでしょう。(あるいは、現在の習慣として、そういうデータを交換しているのか?)

俺たち夫婦も、けっして健康で体力抜群とは程遠い体質で(さら運動音痴で)、今までいろいろ問題があった。しかし、これも事前には判らんよな。

今の若い衆が、やたらと顔やボディに注文つけるのも、実はこの体力と健康度を見ているのかもしれない。俺のまわりの連中でも、早く結婚したやつらは、心身ともに健康なやつらが多いもん。20歳前後パートナー獲得合戦ってのは、実は健康なオス・メスを見つける行動なのかもしれない。俺とヨメの婚期が遅れたのも、実は、はっきりと表に出ない健康度の競争に敗れた結果かもしれない。

さて、現在、しみじみ思うのは、今のヨメと結婚してよかったってことだ。あの見合い後の1か月ぐらいの期間に、ぐいぐい攻められなかった、たぶん結婚していなかっただろう。だから最初からすぐに結婚するという条件で付き合う見合いがよかったのだ。結婚してしまえば、多少の身体の不調や病気やケガは、なんとかなるもんだ。ちなみに、ヨメはなかなか妊娠せず、さらに一度流産している。その後やっと生まれ、すぐに二人目も生まれた(ぜんぜん避妊してなかった、アホですね)

から若い衆も、収入がどうだとか、会社の規模がどうだとか、こまかいことにこだわらず、さっさと結婚しちゃえばいいんだよ。いやあ、結婚当時のヨメはかわいかったぞ。いっしょに、おそろいのパジャマ買いに行って、それを着て毎夜寝ていた。ミニスカのヨメといっしょに自転車に乗って鰻屋に行って、ビール飲みながらうな丼食ったりできるぞ。

2024-04-21

anond:20240421212647

地元映画館が相次いで閉館し、クラッシャージョウナウシカ県庁所在地封切り館まで電車賃往復2000円ほぼ1日ががりで見に行ったのは遠い思い出(元岩手県人感

2024-04-19

anond:20240419075559

おれも甲府市あたりかなと思った。山梨県は一応東京の隣だし、新幹線こそ通ってないもの特急一本で甲府市から東京まで出られるからね。 

あと、人口が数十万人と言いながら結構田舎というと、甲府市の人にはすまんが、県庁所在地なのに人口が二十万に届かないそうなので田舎っぽい街なのかもなと想像した。(人口以外に推測の根拠は無い)

2024-04-14

anond:20240414210301

千葉駅に初めて降りたとき、なんか悪い意味昭和だなあってショックを受けたのを思い出す 

県庁所在地の駅だしもっと綺麗なイメージがあった

むかーしの大分駅に降りた時は、逆に昭和感がノスタルジックに感じた

多分東京から距離とかも影響してるんだろうけどね

2024-04-08

anond:20240408134812

地方県庁所在地クラスにあるコワーキングスペースなんかだが、そう言う感じで運営しているところがある。

ワイは出張に行った時に気に入ってスポット利用で使ってるやで。でも最近は土日に気晴らしにドライブがてら行く事もおおいんや。

2024-04-07

新興宗教団体感染対策ガチだった

私の両親は某新興宗教団体三色旗のとこではない)の会員である普段地元道場とやらに自分達で通っているが、今日行事があるので県庁所在地の大きな教会に行きたいと言うので、私が車を出して久しぶりに一緒に行ってみた。

それで驚いたのだが、感染対策がしっかりしていた。

全員マスクは当たり前、入口には自動検温器と消毒液、室内は大型の空気清浄機が稼働していた。医療機関並とまでは言えずとも、下手なホテル飲食店よりよほどしっかりしている。

感心したと同時に面白く思った。というのも、両親は常々、自分コロナにこれまでかかってないのは神仏のご加護があったからだと言っていたからだ。感染対策しっかりしてたんじゃん(両親はワクチンもしっかり打ってる)と言ってみると、以下のような返事が帰ってきた。

物事自分努力、周囲の協力、神仏の加護が揃ってうまくいくというのが団体の教えであり、感染対策をしないで神仏にすがるだけというのは教えに反する。しか感染対策をしていても、たまたまうつされることはある。そういうどうにもできないところを神仏に頼むのだと。

正直、自分には理解しがたい感覚だったが、しかしま科学的なリテラシー宗教感覚面白い融合例だと思ったのでここに記録に残そうと思う。

2024-04-06

anond:20240406083319

県庁所在地なのに駅から見事なシャッター街スロープが琵琶湖畔へ延びている、と一時期は名高かった

2024-03-31

とにかく田舎での暮らしが怖くて震えている

現在地方にて1人暮らしをしている20代の男。

まれ育ちは都内社会人になって数年を経て地方に転勤となった。

ここでの生活は本当に怖い。

買い物はイオンスーパーで事足りる。

近所付き合いも問題ない(あまりないが)。

仕事内容も人間関係問題ない。

最大の問題点は病院がないことである

総合病院小児科併設の内科クリニック、眼科クリニック、耳鼻科クリニック。

これしかない。

県庁所在地まで行けば大学病院もあり、ここよりはクリニックも多いがそれでも地元に比べれば少ない。

選択肢がないのだ。

俺は既に都内にて人生初の胃カメラ大腸カメラと胆、膵、肝、腎のエコーをしており異常はなかったため消化器についてしばらくは問題ないが、大学病院やがん連携拠点病院にて10年以上研鑽した医師検査を行う消化器内視鏡クリニックなんてここには存在しない。

総合病院の消化器内科医師が少なく経歴も載っておらずこちから選ぶことはできないようだ。きっと内視鏡AIも搭載していない。

胃がん大腸がんになれば早期発見できずに確実に死ぬ

耳鼻科ファイバースコープ設備を持っていない。総合病院への紹介が必要らしい。これでは20代、30代の若者がなる咽頭がんを早期に発見することができない。都内にいた時は定期的にかかりつけの耳鼻科にて鼻炎や喉の痛みを訴えてファイバースコープをしてもらっていたがここでは気軽にできない。

咽頭がんになったら早期発見できず確実に死ぬ

内科クリニックはおじいちゃん先生小児科担当のおばあちゃん先生のみ。人柄は良いようで評判も良い。

しかし、熱を出して通院した際に血液検査をせず喉を視診してリンパを軽く触診しただけで「喉かぜだね〜」と診断した。地元病院では不安症な俺を気遣い、熱がある時にはいつも血液検査をしてヘモグロビン白血球CRPの数値を見てくれた。ここではそのように親切な病院はない。

白血病になれば早期発見できず確実に死ぬ

そう。

この田舎では大病を患えば確実に死ぬのだ。

「気になる症状があれば病院に」とは言うが、ここにいる医師たちは「何かおかしい」という症状がなければしっかり診ない。

若ければ尚更である

「何かおかしい」という症状が出た際には既にリンパ転移や肝転移を起こしているため確実に死ぬ

まさに「医者に殺される」という状況である

しばらく移動はないため数年はここで暮らす必要がある。

俺は一人っ子で他に兄弟はいないため、絶対に親より先に癌で死ぬことは許されていない。

以上のことから待遇も良く人間関係にも恵まれているが、仕事を辞めて都内に戻ろうかと考えている。

給与待遇が下がっても病院の多い都内に住みたい。

田舎病気になれば助からない。

ここはアフリカと一緒。

2024-03-24

anond:20240324180125

東北都市部の話じゃないのそれ?

三重には喫茶店なんてオシャレなもの県庁所在地の津であってもないぞ。

マクドくらいならあるけど。

2024-03-23

そもそも地元名産品って、地元民が消費するんだろうか。

赤福を好む人も、伊勢うどんを好む人も見たことないし、

そもそも赤福に至っては近鉄の駅売店名古屋から奈良大阪まで、

どこでも買えるので、近鉄お土産品としての印象の方が強い。

志摩スペイン村鳥羽水族館遠足以外で行く人は知らない。

大阪粉もん文化にあこがれるけど関西にはなれず、

東京直通の交通機関夜行バスしかいから、

ディズニーへのあこがれを押し殺してUSJ妥協し、

教科書に乗っている有名なことと言えば四日市ぜんそくしか無い。

日本一短い名前県庁所在地を持つことがたまにネタにされるけど、

その津だって県内そこそこの進学校がある以外、何の特徴もない。

バスは1日1度来るを地で行く限界衰退集落、それがMIE

2024-03-18

anond:20240317120034

コンパクトシティと言えば普通地方の中核都市あたりを指して言われる言葉でしょ。人口数十万程度の県庁所在地くらいの規模の都市が散漫に広がらずにコンパクトにまとまっている方が住みやすいみたいな。

2024-03-17

anond:20240317063652

福井嶺南嶺北に分かれる

原発県だが原発嶺南に偏り、一方でその金は県庁所在地のある嶺北に流れていく

嶺南にも原発マネーの変なハコモノは色々とあるが、役所図書館なんか見比べると明らかに嶺北の方が立派

高校進学校嶺北ばかり

そして20年前には学区制というものがあった

居住区によって高校の進学先が制限される

嶺南に生まれたら勉強できる子でも嶺北進学校受験する権利がなかった

原発従事奴隷である嶺南民を王都に入れたくないという差別的構造があった

制服嶺北はオシャレだが嶺南はクソダサで、セーラー服の下にワイシャツ着せる

今では学区制はなくなっているが、それでも嶺北嶺南の溝は深い

まず方言からして違う

嶺北民は福井の正当な民族としての誇りを持ち、いわゆる福井弁を話す

嶺南民は福井から迫害されている分、関西にすり寄って関西弁を話す

テレビネットの影響で若者はほぼ標準語を話すが、イントネーションは生まれ土地の影響を知らずに受ける

嶺南の子供が努力して嶺北への通学を許されても、口を開けば「あ、南の賤民か」とわかってしま

2024-03-08

都道府県県庁所在地以外の都市を格付けできないだろうか?

県庁所在地の都会度比較お国自慢的な話でさんざん語り尽くされてるテーマだと思うが、県庁所在地以外の街についてはあまり語られてない気がするので、実際のところどうなのか興味が湧いている。

下記のような分野別にポイント加算して、総合点の大きい都市を都会度上位としたい。

◼︎人口

1万人当たり1ポイント四捨五入

◼︎交通

新幹線20ポイント空港20ポイント(リムジンバスで直に移動できればOKとする)、私鉄20ポイント(3セクを除く)、バス以外の都市交通20ポイント高速道路20ポイント(東名等の幹線と繋がっていること)で合計100ポイント

◼︎商業

百貨店20ポイント、大型化電量販20ポイント(ヨドバシ、ビック等)、大型書店20ポイント(紀伊国屋ジュンク堂丸善等)、シネコン20ポイントプロスポーツチーム20ポイントで合計100ポイント

◼︎文化

大学20ポイント動物園20ポイント水族館20ポイント博物館20ポイント美術館20ポイントで合計100ポイント

##### ノミネート自治体一覧 #####

都道府県から最低一つは選出、人口少なくてもエリア拠点的な要素あれば採用

◼︎北海道

旭川北見帯広釧路根室苫小牧室蘭函館

◼︎東北

弘前八戸一関大館能代横手石巻白石酒田鶴岡米沢郡山会津若松いわき

◼︎甲信越

燕、三条長岡上越上田佐久松本諏訪飯田韮崎

◼︎関東

高崎太田佐野日立土浦つくば、柏、船橋成田川越秩父川口八王子立川町田川崎相模原

◼︎北陸

魚津高岡輪島七尾小松敦賀

◼︎東海

熱海沼津富士宮浜松豊橋岡崎大垣高山桑名四日市伊賀

◼︎近畿

彦根宇治、堺、姫路、橿原、田辺舞鶴豊岡洲本

◼︎中国

米子出雲津山倉敷福山、萩、宇部下関

◼︎四国

丸亀鳴門今治新居浜宇和島、四万十

◼︎九州

北九州久留米佐世保鳥栖別府延岡都城八代霧島、鹿屋

◼︎沖縄

名護宮古石垣

さて、どの街が上位に来るかな?

調査前のイメージだと、上位にきそうな街はこんな感じ。

本命: 川崎北九州

次点: 浜松、堺、姫路倉敷福山

政令指定都市が強いイメージあるけど、実際のところどうなるかだろうか?暇な時にでもリスト化して結果見てニヤついてみたい。

2024-03-05

anond:20240305205648

ただし検察からの呼び出しには応じること、1時間もかからんよ

県庁所在地地方検察庁まで出頭するのに、片道2時間以上かかる県民気持ちなんか考えたことも無い23区目線だ(西の外れや島しょ部だと、多分それくらいかかると思って都民とは書かなかった)

2024-02-21

建築アカウント」を見ていると暗い気持ちになる

Twitterを見ていたら,「〇〇という建物解体されてしまった。価値のある古い建物が保存されないのは悲しい。」と建築アカウント自分の住んでいる田舎が取り上げられていた。

彼は誰かを責めているわけでもないし,純粋に悲しんでいるのだろう。彼のフォロワー自治体に抗議をして…ということもないので,実生活には完全に無害だ。

それでも,彼と自分との間にある隔たりを感じて暗い気持ちになった。

別に田舎人間は「価値のある古い建物」を好きで壊しているわけではない。その建物が長い年月残ってきたということは,それなりの価値を感じていた。

でも,いろいろな事情で壊さざるを得なかった。維持費の問題かもしれないし,管理できる人がいなくなったからかもしれない。

彼がそれを悲しむのも,SNSに書き込むのも自由だ。

ただ,「文化つまみ食いをする立場で,よくそんなことを言えるな」と心の暗い部分で思う。

都市に住む彼は文化資本で圧倒的に有利な立場にいる。博物館美術館図書館が山のように整備されていて,いつでも旅に出て田舎に行ける。

かたや田舎では,県庁所在地博物館美術館市町村に小さな図書館があるだけ。自分が住んでいる場所から美術館まで行くには,自動車で2時間かかる。

田舎を出て別の田舎に旅をしようとすると,信じられないほどお金時間がかかる。

彼はそんな「文化的に恵まれない暮らし」が想像できない。彼はいろいろな田舎を訪れて,文化をつまんで食っていく。

しかしその文化が金のなさや人手のなさにギリギリで耐えながら成立していることを知らない。あるいは,知った上で目を背けている。

そしていざ文化が消えていくと,SNSに悲しみの気持ちを書き込む。「自分が支える」という気概は全くない。

極端な言い方をすれば,「田舎人間は,俺たち都会の人間というゲスト文化を見せるためのキャストだ」と田舎テーマパークのように思っている。

そうじゃない。田舎文化は,住んでいる人間が作り上げてきた,作り上げていくものだ。

SNSで悲しみの言葉を呟く彼に言いたい。

田舎に来てくれ。価値ある建物を,田舎文化を一緒に残そう。

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