はてなキーワード: 憂鬱とは
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
最初に謝罪なのだが、実は元の記事は二、三年ほど前にここに書いたが全然反応がなかったものの再投稿であった。
黙っていてすまん。
相変わらずどころか、加齢のぶん状況が悪化してるわ。
ザッと見た反応には共感も叩きもあるが、とりあえず前と違ってガン無視されなかったというだけでいくばくかの慰めを得ることができたので、そこんところに大いに感謝したい。
それでも叩いたり説教した奴はとても憎いがね……。
ところでこの記事のタイトルはイリヤの空UFOの夏が元ネタだ。
俺の発言がかつてないほど話題になって調子づいたので、その反響に対する自分語りを長々追記する。
悪いが、提案や説教に対して、でもできないよおと拗ねる内容だ。
返事しやすいことにだけ返事しているから、クリティカルな指摘はスルーしてるかもしれん。
・俺の求める優しさとは何か
・宗教
・創作
・風俗
・会おうかと言ってくれる人について
・無職で生かしてもらってんのがこれ以上ない優しさ
・働け
沢山ツッコまれている、「お前の求める優しさってなんだよ」ということを考えてみた。
自分の中でもふわっとしてるので、とりとめなく羅列する書き方になってしまうが。
たぶん俺が欲しているのは、物理(経済)面と、精神面の両方とで、自分の生存に罪悪感と不安を覚えなくていい状態ができてほしい、ということに近い。
居場所を作ってほしい、支えができてほしい、許しを与えてほしい、関係を持ってほしい。
こんな存在価値のない無能が生きていて申し訳ないとか、人と会話して申し訳ないとかの自罰的な気持ちと、その反動で貯まる攻撃的なルサンチマン、更にそれらからくる社会活動・経済活動のうまくできなさから解放されたい。
生きている現在と、生き続ける将来に安心したい。なんとかいい感じに暮らしていけそうだとほっとしたい。
物理面の安心は、セーフティネットや、俺でもつとめられる安定した職や、日本の将来の暗さの解決なんかが欲しいってことだろうか。
精神面の安心は、流行っている言葉で言えば自己肯定感が欲しいとまとめられるかもしれない。
個人でも、思想でも、社会システムでもいいから、俺に優しくすることで自己肯定感を育て直す手助けをしてほしい。
俺が幼稚だという感想も見たが、育て直しを手伝ってほしいってのを望むくらいだから、そりゃ幼稚なんだろうな。
他人を頼るなって意見も多く、そうできるにこしたことはないけど、自己肯定感を独力で育てるのそうとう厳しくないか。
厳しくてもやるんだよ、甘えるなっつーのが人生の現実ですか? こらこら、しばくなしばくなww
ついでに言えば、自己否定感をもたらす色々なものから守ってもほしい。
守ってほしいというとお姫様気取りかよと言われそうだが、人間には防壁が必要だ。
思想も信仰も密な人間関係も、外部の影響で精神が動揺するのを防ぐファイアーウォールになるというのが役割の一つだと思う。副作用として悪質なそれらにハマった人も、防御機能が働き意見を変えづらくなるってのもあるが。
ネット越しのあれこれを見てると、ファイアーウォールの十分でない俺の精神はどんどん腐っていくのを感じる。
だが他に気軽に寂しさを紛らわす手段もないので延々ネットを見ている。
そもそもこういう記事を書くこと自体、優しい言葉と厳しい言葉を両方飛ばされるかただガン無視されるかのどちらかだから、俺みたいな拗ねてこじらせた脛齧り野郎はやらないほうがいいんだ。
共感が10個あっても叩きが1個あったら叩きばかり印象に残る性格の奴が、運がよくても半々、そうでなければ袋叩きになるような愚痴をネットに書いてその反響を追うのはよくない。カウンセラーにでも愚痴るべき。それはわかる。
カウンセラーに愚痴っても淡々と聞かれるだけで虚しさが募ってきたから、我慢できず書いちゃうんだけど。
言ってみりゃ、BUMP OF CHICKENのリリィみたいな存在に出会いてえんですよ。
弱音と苛立ちをこぼしても「そういうところも全部かわいい人ね」って言われてえよ。
無職なのでスポットライトも浴びてないしがんばって自分を唄ってもいないけど。
人に優しさを求めるならまず自分が周囲に優しくしろ、というコメントも多かった。
この場合、俺が他人に送るべき優しさってなんだろうな。俺が求めてる優しさは上で書いた感じだが。
オタクやリアルの方では、人の愚痴にはできるだけ親身に乗っているつもりでいる。いいと思った創作者に長文感想を投げたりもする。落とし物を拾う手伝いとかする。
どれも迷惑な押しつけかもしれないし、性根の腐り具合が滲んでるかもしれないけど、いちおう些細な優しさだとする。
たとえば仕事がきついとか、上司がセクハラしてくるとか、金がないとか、親との関係が悪いとか、モテないとか、ネットで叩かれたとか、そういう愚痴に俺ができるのは「大変だよな」「そいつマジクソファッキン口からウンコ漏らし」「思いつめない方がいいよ」などを言うだけ。作品への感想も結局は面白かったと言ってるだけ。
しばらく泊めてやるし旅費も出すからろくでもない家と会社からは逃げてきなよと言うとか、出版関係者とコネがあるから紹介してあげるとか、そういうちゃんと役に立つ対応はできない。
俺は地方民なので、知人はみな地理的に遠く、日常的に会って一時的にストレスを紛らわしあうこともできない。(俺と会ったらむしろストレスが溜まるかもしれないが、一般的にはそういう優しさもあるだろうってことで)
生活に将来性がないので、他人の自己肯定感を育てられるほど長く密な関係を築くこともできない。
お金も社会的安定も能力も甲斐性ない人間は、責任のある優しさ、問題解決能力のある優しさを人に与えられないんじゃないか。
だから俺も優しくされないのか?
服を買いに行くための服がない問題みたいだな。
フェミニズムについて書いた部分もあれこれコメントされている。
元の記事でフェミニズムとマチズモの双方を俺の敵対陣営として書いたが、根源的にはフェミニズムは悪ではなく、公正さを目指すって意味ではむしろ善なる思想だとは思っている。
しかし、昨今俺に最も自己否定感や罪悪感をもたらしてくるのがフェミニスト的な言説だから敵視しているのだ。
俺のガバガバなメンタルファイアーウォールを突き破ってくるんだよ。
そういうのは真っ当なフェミニストではなく一部の過激派だとか、フェミを名乗るミサンドリストだとか、脳内フェミだとか言われるのだが、とりあえず確かにツイートやブログが見えるから脳内妄想ではないとして、一部過激派やミサンドリストと「真っ当なフェミ」なるものを区分するのは非常に困難である。
自己否定を煽られたならミサンドリーだとするなんてのは、俺に/男に都合のいい意見しかフェミニズムと認めないなどという傲慢極まるスタンスになるのでありえない。
そしてフェミニズムも色々な考え方があるっぽいから、明らかに罵詈雑言を投げてるタイプくらいしかミサンドリーだと断じきれない。
そもそも疑問なのだが、ミサンドリーの入ったフェミニストが見分けられたとして、フェミに耳を傾けましょうって立場の人間が「ミサンドリーフェミの主張は無視していい」なんて言うのはアリなのか?
ミサンドリーの奴らは、男によっぽど嫌な目にあわされたとか、別に大した理由はなく性格が歪んだとかで男に憎悪を抱き破壊的なことを言うわけだが、そこで他人が聞く耳を持たなくていいのは破壊的な部分に限られていて、あいつらがどんな被害にあったとかどこに男女不公平を感じるとかの指摘を無視することに正当性はないのでは?
たとえて言えば、テロリストのテロ行為は許すべきでないが、なぜテロリストがテロ思想に走ってしまったのかという部分は着目するに足る、みたいなのと近い。
ミサンドリーフェミニストは言論テロリストだしその論調と主張手段は責められて然るべきだが、あいつらが語る己がテロリストになってしまった理由については、ある程度の誇張を割り引くとしても聞いてやるのが、フェミ親和派としちゃあ正しいのでは?
男性への不公平感や抑圧感が嫌悪憎悪のレベルに達することで「あいつらはミサンドリストだからフェミニストではない」と切断処理の対象になってんのって変な気がする。
などとやたら長く書いたが、どっちにしろミサンドリストもフェミニストも嫌いなんだ俺は。
だって俺が男である以上、体格がいいとか化粧しないでいいとかヒール履かなくていいとか生理がないとかガラスの天井がないとか性暴力を受けづらく与えやすいとか性別由来の既得権益を得てはいるし、どんなフェミニズムであれその権益の使い方や再分配をよく考えましょう配慮しましょうと啓蒙してくるわけで、それは公正ではあるけど「ああ、男である俺は不当な利益を貪ってんだな、反省しなきゃな」みたいな気分にさせられるから、そりゃあ嫌いになる。
そのくらいの自省要求にすら耐えられないほどクズなんすわ、悪かったな。
しかし考えてみれば、ネット議論は幾らでもある中で俺が特に精神をかき乱されるのがフェミ主張ってことは、否が応でも目に入ってしまうくらいフェミニズムがネットに行き渡り無視できない勢力にまで育ったわけだから、フェミにとっちゃ順調っちゃあ順調なんじゃないの。
さっきちょっと信仰と書いたが、宗教を勧めるコメントも多かった。
わかる。
持たざる者が精神的救いを求めるなら、宗教が王道と言っていいと思う。
自分でも、上手くハマれればとても楽になれそうな気はずっとしている。
結婚式でチャペル行くのも葬式で数珠握るのも地鎮祭も、もちろん新興宗教の類も、くだらないしキモいと感じられる。
だから楽になるだろうことは分かっていてもやりたくない。
この場合の宗教はいわゆる神様を拝む系の宗教を指しているので、科学信仰や宗教嫌いも宗教であり~みたいな話は今回はなしで。
実はすでに、病院とカウンセリングには学生の頃から通っている。
病名はついているが、憂鬱とイライラと胃弱くらいしか自覚症状がないのでピンと来ていない。
延々経過観察されている。
薬は全然効かないので、現在は憂鬱が激しい時にその場で飲む薬しか処方されていない。
障害年金はもらえそうにない。
実はこれも嫌々ながらやったことがある。
某NPOの臨時作業員というかお手伝いみたいな感じで数か月混ぜてもらった。
でも、NPOの人らが輝いた眼をして、力強い握手と共に「増田クン、まずは元気な挨拶からがんばろう!」と言われた一日目の時点で内心もうダメだった。
いや挨拶はしていた。どっちかというと丁寧にしていたつもり。小学校でクラスの挨拶名人賞を受賞していた、昔取った杵柄だ。
ただ全盛期を過ぎた今の俺の挨拶はオドオドさも香るスタイルになってるから、エネルギッシュな人たちからすると元気よくと言いたくなるのは分かる。
でも俺とは求める心地よさが違うのだなと感じた。血圧が俺より30くらい高そうだった。
あと単純にボランティアの具体的な活動でも俺はグズで気が利かなくて、役立たずとして混じってるのがキツかった。
ワンシーズンの活動が終わったあと、臨時お手伝いの立場ながら打ち上げに呼んでもらえたので優しくしてもらったとは言えるんだろうけど、その最後の打ち上げの席も辛かった。
気力体力行動力の消耗がヤバかったし、がんばって書いても読者が少なくてあんまり褒めてもらえないので悲しくなった。
小さいものを一つ作ることはできても、それを複数作ったり書き続けていくのはひどく大変だ。
内容が多少まずくても創作できる人はそれだけですげえよ。42.195kmを走らず歩ききるだけで凄いようなもんだよ。
風俗。
俺の「童貞」という悩みを噛み砕いて言えば、「コミュニケーション能力と、アイデンティティのかなりの位置を占める男性という属性の二つが、他人(特に男性)から被害を受けやすい女性から受容されたことがないことによる、不全感や許されていない気持ち」が問題なので、お金で受け入れさせたところで解決になる気がしない。むしろその手段を取ることで罪悪感が増しそうで怖い。金という暴力で女を従わせたってことになる。
なんて言ってみたが、風俗でいいから一回ヤってみてーという即物的な気持ちもモチロンある。
でも実家暮らしだと、家族に風俗行ったとばれないかという心配事もありなかなか行けない。
男性性なんかにアイデンティティの重きを置くなって意見も見るが、その重心バランスはセルフコントロールムズイでしょ。
はてなの内外で、首都圏だったら飯奢ったり遊んでやるよと言ってくれる人をちょっと見た。
とてもありがたい。だがすまないことに、前述の通り俺は地方民である。
まあそうじゃなくても、こんなクズ of クズな記事書いといて非匿名で会うなんて、恥ずかしさと怖さでできやしないが。
知人に首都圏在住者が多いのもあり、そっちで暮らしたい気持ちは大いにあるが、以前親に話を振ったところ良い反応をもらえなかったので無理だ。
自殺企図したことがあるため、離れた場所に行かせるのは心配らしい。
「30代になって親の顔色をうかがうとか幼稚すぎる」と言われるだろうが、親と話し合ったりお願いしたりということが物凄く苦手でダメだ。一度話を振っただけでとても勇気を出したくらいだ。
無職でもその年まで生かしてもらえてることが最高に優しくされてるだろというド直球。
就職しろというド直球。
養ってくれているお父さんお母さん、医療保険を使わせてもらってる社会、ありがとう! 年金くらいは払ってます!
腕力なくて荷物を落としそうになって迷惑かけたバイト先、一回寝過ごしたらもう顔見せるのが怖くて連絡を絶ったバイト先、寝坊した上道分かんなくなって面接キャンセルした就活先、集団ディベートで変なこと言う俺と同じ組になった就活生、興味ある職種を答えられず困らせたハロワの相談員さん、ごめんなさい!
こんなに迷惑をかけても、直接的な刑罰とか咎は負わされてなくてこの社会はクズにも優しい!
その辺はマジその通り。
なのに、こんなに優しくされてるのに、なんでか人生がうまくいかねえし外に出るのが辛いし社会や他人と関わるのも不安だし心身落ち着かねえしで自分じゃどうしようもねえし辛いので、もっともっと優しくされたらうまいこといかねえかな、誰か救ってくれよっつー夢想を書き殴ったのが元記事なわけ。
自分じゃどうしようもないとか甘ったれてんじゃねーよ人は自分で何とかするしかないんだよとか、むしろ優しくされすぎたのが悪いんだよとかの声も拝聴しております。
書きたかったのはだいたいこんな感じだ。
自己卑下してかわいそうぶることで批判を避けようとしているのが鼻についたら申し訳ない。
卑屈さによる防御は卑怯なのだが、いったん頭に浮かんだ卑屈さや恐れを脱臭するのもこういうクズ人間のエッセーみたいな文章ではニュアンスを損なうのでは、と考えるとよくわかんなくなった。
よくわかんなくなったということを言い訳にして、卑屈さを大量に残して責めづらくする予防線を張り、そして予防線を張ったことについての予防線を更に張る卑怯な書き方申し訳ない。
また2年後くらいにどうなったのか報告してほしい
悲しいことに自分の中で一番最初に頭をよぎったのは「あ、これでまた自分の評価が下がったな」というものだった。
もちろんよくないことを見つけ、表面化させたのはそのものの手柄だし、それは素直に評価されなくてはならない。
だけどその反面、「あいつよりあいつのほうが頑張ってるよね」と見られることの恐怖が大きくてそれがずっと
頭を離れず悶々としている。
そればかりを気にしている自分がいる。
もちろん自分とて日々努力している。ただ回りに影響力を与えきれていないのではないかと自己反省する部分はあり、
前向きな努力、後一歩の工夫、ひらめきなど内容的に部下に劣っているのでは無いかという部分もある。
そうした中で今回の一件でまた周囲からの評価が相対的に下がるのでは無いかという気持ちが先ほどから暗い影を落としている。
事実、周りもそういう風に見ているのでは無いだろうか。
多分これは傍から見ればものすごく自己中心的で卑屈な思考なのだろう。
自分でもそう思う。自分だって頑張っている、でももう、その頑張りがどうやっても会社内での評価には繋がらないのだ。
不毛な日々のルーティンワークの中でいつしか全うな思考力が失われてただ時間が過ぎるのを待つだけになっている。
忙しいけどそれが実のある忙しさでなくただ時間をお金に変えているだけの労働・・・・。
もう今の会社で何をしたらいいのかも分からないし、きっとこのままずるずると年齢を重ねるだけだろう、というのは
分かっている。後続のもの達が実力を付けて上がってくる中でずっと足踏みしてしまっている自分はもう若くは無い。
長い休みと新しい環境。今の会社でとうとうこの歳になって行き詰ってしまったなぁ、と。もうこれ以上いても
仕方が無いのだろう。そろそろ潮時なのか。
明日には今日の出来事の動きが分かる。きっと自分がこの会社から消える決定打となる反応が感じて取れるのだろう。
憂鬱だ。
注意してもやめる気はなさそうだし、なんなら初めに聞いた頃よりも不倫相手が増えているし、しかも不倫相手は私も知っている共通の友人というやつだし、今後を想像すると憂鬱だ。
友人の結婚相手の方も不倫しているらしく、どう見ても関係が破綻しているのでさっさと離婚すればいいと思うのだがそうもいかないようだ。
友人とはいえ赤の他人である私が憂鬱になっているのに本人たちは楽しそうにしているのが不思議だ。親しい友人関係内で不倫しているだけでありえないが、そこからの離婚・再婚などがもし成立したとしたら他の友人達も流石に引くと思う。多くの友人を失うリスクや世間体を考えれば、離婚せずに不倫しているだけの方が楽しいのかもしれないが、隠し方が下手なのでいつ私以外の人に知られてもおかしくないと思う。(一応、その交友関係の中では私しか不倫話を知らないことになっている)
不倫を聞かされて秘密にしていることも家庭不和に加担している気がして申し訳ない気持ちになるが、私がそのような責任を感じる謂れもないとも思って少し腹が立つ。なんなら共通の友人(不倫相手ではなく)に吹聴して回ったっていいと思うのだが、そこまで加害意欲もないので踏み切れない。
不倫話を聞かされる側の悩みというものを検索してみたのだが、不倫している側の「友人に話すと不倫を注意されるかもしれませんがそれは魅力的なあなたに嫉妬しているのです!」などというどうでもいいコラムばかり出てきてしまったのでここに書いてみた。
結婚とはいったい何のためにするのか、自分に何のメリットがあるのか。
私には分からなかった。
色んな立場の人に聞いた。自分の親。親の友達。同級生。妻子持ち上司。旦那子持ち上司。未婚の同僚。既婚の同僚。
ある人は言った。「メリットとかじゃなくて結婚はするものだよ」
ある人は言った。「何といっても子供だよ!辛いことがあっても子供の顔を見れば疲れはふっとぶよ!」
ある人は言った。「社会的信用度のためだよ。20代未婚は普通だけど30歳半ばで結婚してないって、何かその人に問題があるのかなって思われる。」
ある人は言った。「大嫌いだけど、私の稼ぐお金だけじゃ生活できないから」
私は子供がほしいと思わない。
なぜなら、自分の遺伝子が入った子供を愛せる自信がないということと、生きなければと思う期限が長くなるということ。
私は控えめに言っても馬鹿だ。私の幼少期は笑いのネタにつきない。昔は笑って聞いていたが、大きくなった今は笑えない。
親は笑いながら言った。「子供は3人と考えてたけど、お前があまりにも手がかかって3人目もこんなに大変ならもう無理!と思って3人目はやめた」
その通りだと思った。親はそこそこ頭がよく控えめに言っても要領がいい。それで無理なら私から生まれてくる私のようなものを私が育てられるわけがない。私は自分が好きじゃない。相手に似ればまだいいかもしれないが、自分に似て馬鹿なら虐待すると思う。
生んで育てるなら、きちんと育てたい。生まれてきてよかったとそう思えるような人生にしてあげたい。
でもそのためには私が途中リタイアすることは許されないと思う。途中リタイアが許されないということは自分にとってプレッシャーだ。
自分の両親の面倒を見て看取ったら私も後を追おうと考えている。私は生きていたくない。そんな考えのものが家庭を持って、子供を産んでとはなんて無責任なんだろう。
独り身で暮らす場合のお金のことなら心配いらない。なくなったら死ぬだけだから。ある分のお金で生きて、なくなればそれで終わり。
社会の信用度のため、という観点は言われるまで気付かなかった。確かに自分も30歳半ばで結婚していない人のことを、「この人は何か致命的な欠陥があるのか・・?」と勘ぐってしまう。当然、致命的な欠陥がある人だなと思う人もいれば、ない人もいる。職場で結婚をしていないがゆえに噂話に挙げられることも割とある。
結婚してないだけで職場でそういう目で見られるのは嫌だなぁと思う。
でも社会の信用度のためだけに結婚するって自分の心と折り合いをつけるのが難しそうだ。対して好きでもないのにセックスしなきゃいけないのは非常に労力を使う(ような気がする)。面倒だなと思う。
そこまでして結婚てしなきゃいけないのか?
友達からは、「エッチは好きな人とするから幸せなんだから、好きでもない人としちゃだめ」と言われた。
しかし既婚者から話を聞けば、「もう夫とは目隠ししないと子作りはできない」とか「子供は欲しいけど嫁ではたたない」とか
そんなもんなのだ。ますますよくわからない。そもそも私は異性を好きになった経験も少ないのだがら、今後好きな人はできずに生涯を終えることだってあり得る。
色んな人から話を聞いて一番気になったのは「親に孫の顔を見せたときに、ああ、親孝行できたんだなと思った」ということ。
親孝行か・・・と思うとなんだか結婚も頑張ってしなければいけないという思いが強まった。
たまに自分含めた先祖のお墓を掃除する人がいなくなるのも寂しいなと思ったり、「あとから子供がほしいと思っても作れなくなる」と脅されたりすると子供はいた方がいいかと思うこともある。だが前述した通り育てる覚悟がない。
もしも自分の考えが変わって、子供が欲しい、そこそこに結婚したいと思うときが来た時のために、紹介してもらったり、合コンに呼んでもらったりしている。
運よく趣味の合う、お金もそこそこの男性と出会うことができ、何回か食事やお出かけをしているものの心は晴れない。
ここのところ人のご祝儀袋ばかり買いに来ている。今日も残業上がりに会社の目の前のイオンに滑り込んで、明日使うご祝儀袋を買った。こっちはご祝儀をいただく予定どころか相手もいない、アラサーにもなってこんなことでいいのだろうかと自分の人生について考えてしまう。
明日は学生時代の友人の結婚式がある。正直そんなに楽しみじゃない。お祝いする気持ちがないわけではない。そんなにお金に困っているわけでもないし、おいしい食事にありつけるので、行くだけならまだいい。憂鬱なのは知人たちとの再会、それから余興やサプライズやらの結婚式イベントだ。
いつのまにか女子のカワイイ合戦についていくのがしんどくなった。あたりさわりのないドレスを褒められたって大して嬉しくないし、こちらから相手を褒め返すほうが面倒だし。○○ちゃんカワイイ〜の流れに適当な笑顔を添える自分、その想像だけで疲労感が増してくる。なんなら先月同じことをした。静かに食事だけ食べていたかった。
お祝いする気持ちがあるならいくらでも協力してくれるよね、みたいな空気。なんなんだろうねあれ。こっちは自分ひとりの面倒見るのでいっぱいいっぱいだし、案件は炎上中で深夜残業チャンスありまくりだし、晴れの一日とはいえ正直そんなに楽しみじゃないと書いてしまう程度の相手なので余興に付き合ったりサプライズやら見せられるのを考えるだけで元気がなくなってくる。なぜ人は結婚式をするのか。いやでも、お祝いする気持ちがないわけじゃないんだ。祝儀は出す。ただ大切な土曜の睡眠時間を守りたい、休日に早起きするモチベーションなんてプリキュアの力をもってしても実際起きるかは五分五分ってとこだ。やっぱり無理かもしれない。
明日結婚する友人もそうで、お祝いする気持ちはある、でも数々の余興の準備やらなんやらそういうのがひたすらに面倒で仕方ないからちょっと憂鬱になっているだけで、まあ行けば楽しいんだ。引きこもりによくあるやつだ。彼女とも学生時代はまあまあ仲良くしていたはずだ。なんかケンカしたとき部屋に乗り込まれたりその後シカトされたりしたような気もするけど。そういうのもたぶん、ありがちな輝きし青春の一ページなのだろう。そう思ってないとやってられない。というかこないだまでそう思ってた。
でもねー。
先日、別の友人から「あの子はあなたのことを下に見ている、あの子のそういうところが嫌い」って言われて、ああわたしはあの子のことが好きじゃなくっても良かったんだな、って今更だけど思えた。同じ学科でゼミも一緒で、ずっと一緒にいなければいけない子で、気が強くて、外面が良くて、あの子に嫌われたら大学で生きていけなかったから。好きでいなきゃいけないと思っていた。でももしかしたら本当はそんなところに縛られていなくても、わたしには、こんなふうにわたしのかわりに怒ってくれる友達だっていたんだなって、ほんとに今更だけれど。
肩の荷が下りたような気がした。
未だに怖い。あの子のことを好きでいなければいけないと、卒業した今でも思ってしまう。
大学のグループワークでリーダーを務めているが、グループメンバーに話が通じないので困っている。
などなどの出来事の繰り返しの後、振り分けた課題を確認したところ、私からの伝達をグループメンバーがまったく理解していないことがきのう判明した。
今回の課題は、5月から始まったグループワークの流れに則ったものであり、その流れをさらに進めるために設定したつもりである。課題を設定する前には、2, 3度はグループワークの論理展開を全員で確認した。にもかかわらず、どのような資料が必要かをメンバーが理解していなかったことになる。
皆忙しいなかで授業に臨んでいることは理解しているので、自分の話し方・伝え方を改善することでグループワークを円滑に進めていきたい。しかし、使うつもりだった資料がまったく集まっていない現実に心が早くも折れてしまった。
企業がコミュニケーション力を新入社員に求めるのも当然であって、就職活動を始まる前から、自分にコミュニケーション力が圧倒的に不足していることに気づいてしまった衝撃も心を折ることを手伝った。
グループワークで「自分がやったほうが早い」を実行するほどのキャパシティはないので、これから半年間は他人への仕事の振り方で悩まなければならないかと思うと今から憂鬱だ。運よく就職できたとしても、仕事の中でこれから長らく他人とのコミュニケーションはしていかなければならないのだから、こんなところで挫けていてはどうしようもないことは理解している。一方で、毎回のグループワークでストレスがたまっていくのも止められない。そもそも、自分のコミュニケーション力不足でグループメンバーにも迷惑をかけてしまっているのが辛い。
口での説明が下手なのはすぐにはどうしようもないので(弁論を学びたい)、ひとまず伝達をすべて自分の手で文書化することにする。それくらいは書記にまかせたいんだが……。
例えば、明日仕事だからといって、ビールを控えたり、少し早い目に電気を消したり、借りてきたDVDを見なかったり、そんなことをするから、今日という日が憂鬱になるんじゃないかなって思う。いっそ飲めばいい、どうせ明日になったら、働かなきゃいけないんだから、そんための肝臓だろ?
不味いんじゃなくて、味がしない、風味がない、カレーじゃない。
原因はだいたいこうなんじゃないかと推測。
・ルーパッケージの説明書にかかれている色んな分量を無視して自分の好きなものを好きなだけ入れる。
・途中はもちろん、出来上がりにも味見をしない。
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今回は
とのことで、問題はその量。
ドレだけ入れたのかを聞くと「全部」だからその具体的な量は何mlなのかがわからない。
そもそも、二人で食べるだけなのに寸胴鍋いっぱいに作ることからしておかしい。
どうも「カレーや煮込み料理は大量に作ると美味しいはず。寸胴鍋で作るのが美味しいはず」という思い込みが在るみたいだ。
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煮込む時には炒めた肉野菜に対して500mlの水分を追加すると書いてあった。
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それにたいして、出来上がりの量はざっと3000ml~4000ml。
6~8倍になってる、そら味がしないはず。
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年に数回カレーを作ってくれるけどだいたい毎回こんな感じ。
「シーフードカレー」というのが出てきた時は、カレーのスパイシーな香りよりも鼻についたのは生臭い匂い。
おそらくイカかなにかを下処理しないでそのまま入れてたんじゃないかと推測。
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以前に「湯豆腐」が食卓に出た時も、鱈の下処理をしなかったらしくて生臭い豆腐になってた。
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まだ最近は少しマシだけど最初の頃は全く味見をしないどころか、味付けすらしないでただ焼くか茹でるかした肉や野菜をそのまま出されて。
これはどうやって食べるのかを聞くと「そのまま」、味付けはしたのか聞くと「してない」、味見をしたかどうかまでは聞けなかった。
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今は味付けはしてくれたり、食卓に調味料を並べたりするようにはなったけど、やっぱり味見はしないらしい。
何故味見をしないのかとか見慣れない料理について尋ねると「家庭のやり方はそれぞれ!」と激高されるのでもう何も聞かないことにした。
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今週末にあるんだけど、憂鬱だ。
私はアラサー独身、高卒で頭は良くない。顔も良くない。身体も良くない。腰痛もち。
ちなみに合コンではなく、仕事の縁があって飲みに行くことになった。
イケメンだ。
そしてT大とか高卒の私でもエリートだとすぐわかる経歴の持ち主たち。
私と話が合うはずがない。
底辺に近いただの庶民なのに、どうやってエリートと会話をもたせるのだろうか。
ちなみに顔も良くない。
コミュニケーションもうまくない。
すぐ沈黙→はじっこで相づちマシーンになるに決まってる。
あぁーっ。
本当に行きたくない。どうしよう。
小学校低学年の頃、祭りの屋台で売られる流行り物として小型のサイリウムがあった。
祖父に連れられて地元の花火大会へ2人きりで行った際、祖父から「屋台のものなら1つ、なんでも好きなものを買ってやる」と言われた。
本当はサイリウムが欲しかったが、それを持ち帰った途端、親から「しょうもないものを欲しがって」と言われるのが容易に予想できたので我慢していた。
親に怒られない程度の価格、内容のもので、さらには祖父も「買ってやってよかった」と思えるようなものはないかと思案していたが、
小学校低学年の私が隠している「本当に欲しいもの」など、祖父からすればおそらく簡単にわかってしまったのだろう。
なんども行き来したサイリウムを売っている屋台の前で祖父が足を止めた。
「これが欲しいんか?」
聞かれた途端に涙があふれた。我慢できなかった。
買ってもらえる喜びよりも、家に帰ったあとのことが心配だった。
結局それを買ってもらったので、帰るのが本当に憂鬱だった。
家に帰ると案の定、母親は私に「こんなもん、いくらすんのや!」
「ま〜おじいちゃんやったら買うてくれると思ってからに甘えたらあかんのやんな」と言った。
いまとなっては姑として気を遣って出た言いわけや詫びの形の一つだったのかもしれない。
私は自分はもちろん、そんなものを買わせたことで祖父までもが母に責められていると思った。
祖父が悲しい顔をしていた。
うつを公表したくないのはそうすることで生まれる不利益が大きすぎて余計憂鬱になりそうだからなんだが、
仮にうつに寛容な世の中になったとしても私は自分のうつを隠すと思う。
それはうつを持っている人間(つまり私)の心の弱さからなんだけど、
とは言え『うつを持っている人』というレッテルを張って日常を過ごすのは凄く勇気がいるし、自分には無理だと思う。
まあ結局のところ仕事をいきなり1ヶ月とか休んだりとかして、うつを隠しきれていないんだけど。
私だけかもしれないけど、うつな間は誰とも会いたくないし何もしたくない。
誰かに手を差し伸べてほしいとも思わない。とにかく、自分に向かってくる全てのインプットを拒絶して、一切のアウトプットをしたくなくなる状態が私のうつ。
仮に私の周りの人全てが私のうつに理解があったとしても、そういう期間に『何もしてほしくない』というのが私の唯一のお願いであり、
勝手かもしれないけど、時間が経てば勝手に元の状態に戻り、いつかまたみんなが好きな私の躁状態に戻る。
だから、私は何も言わず1ヶ月音信不通になって、何事もなかったような顔をして戻ってくる。
そういう人なんだって思ってくれるのが一番ありがたい。
○朝食:なし
○夕食:天一
○調子
はややー。
噂のプロジェクト規模縮小による人員整理の噂話がちらほらと聞こえてきている。
うーむ、やっぱり僕は別のところらしい。
通勤時間とか人間関係とか色々かなり今の場所は気に入ってるから、残念だなあ。
かなり憂鬱な感じ。
それとはあんまり関係ない話として、来週の火曜日は「ゆうきゅー!」を使うことにした。
いや、本音は遊びたいんだけど、役所に呼ばれてしまったので、あんまり遊ぶ感じではない。
●3DS
○ポケとる
うーむ、サファリ攻略にメガスピアーがほしいが無いので、ゲンガーで我慢。
○はねろコイキング
コイキングは進化してギャラドスになってメガ進化すると、僕の愛する「あくタイプ」が付与されるので、これはガッツリプレイしないといけない感じ。
とりあえず課金はしてないけど、ポケモンは好きなので応援の意味も込めてスタートダッシュキャンペーン的なやつだけでも課金しようかな、1000円ぐらいだし。
なんとすごい運が良いのか、この第4世代目で「金色コイキング」を捕獲できた。
確率とかぐぐってないけど、図鑑の位置的に最上位レアっぽいのでかなり嬉しい。
こういうことがあると、課金したくなるね。
ログボのみ。
なにやら、僕の愛する、あくポケたちに上方修正が入るらしい。
ダークライ、アブソル、ヤミカラス、サザンドララインが強くなるみたい。
○朝食:なし
○夕食:ハヤシライス(湯煎するの)、4種の香味野菜と大根のサラダ、コーンスープ(溶かすの)
○調子
びっくりするぐらい調子が悪くて、全く仕事に集中できなかった。
その上、どうもプロジェクトが規模縮小するらしく、要員整理があるらしい。
うーむ、今の職場気に入ってるけど、こればかりは仕方ないよなあ。
難しい部分のPG任されたり、トラブルの問題解決要員として有識者扱いされたりと評価もされていると思うけど、こればっかりはなあ。
仕方ないし、自分で選んだ職業なんだから受け入れろよって話なんだろうけど、本当、このプロジェクトごとにまた人間関係形成するの苦手。
ちょっとその件で憂鬱になってきたので、今日はゲームはお休み。
毎週恒例の真面目に聞きたいラジオもあるし。
まじで憂鬱だ、ゆうきゅーがほしい。
最近であればこんな女はいくらでもいるだろうけど気持ちの整理がてら書き出す。
まず、綺麗に着飾った自分を見られたくない。
自分の容姿にあまり自信がないので、花嫁姿をあまり見られたくない。
というかそれでご祝儀3万円も取られる参加者の人の気持ちを考えると申し訳なさすぎる。
私自身、写真を撮られるといつも変顔してルックスをごまかす人間の方だ。
成人式の着物の写真は、二重アゴが黒歴史すぎてもう一生見たくないレベル。
結婚式でもそんな風に自分の容姿で傷つくくらいならやりたくない
会社ではそれなりに働き、それなりに仲が良い方だ。
でも彼の前でデレデレしている自分や、友人の前でおちゃらけている自分を見せたくない。
彼は働いている会社の人を中心に呼びたいと言っている。
今関わりのある人たちを大事にしたいようだ。
私は友人関係は広く浅くで、学生時代からの付き合いの友人が多い。
会社の人は仲はいいけど、それよりも学生時代の友人を中心に呼びたい。
これまでも何度も披露宴に呼んでもらうことはあったけれど、
披露宴の日に自分の経歴を紹介されるというのは、自分には合わないなと思っていた。
できれば自分のことは説明しなくても分かってくれるような、仲のいい友人数人と、呼ぶとしたら家族だけでやりたい。
でも彼が会社の人を呼ぶのであれば私もそうはいかない気がしている。
新郎は会社の人しか呼んでなくて、新婦は友人だけって、新婦会社に居場所なさそうに見えてしまうんじゃないか。
働いてないわけじゃないのに。
そして親をあまりまわりに会わせたくない。
親は嫌いじゃない。経済的に苦しい中ここまで育ててくれて感謝している。
でも、好きでもない。話が合わない。
地方で自営業をやっていたせいか、話がいつも自分の世界の中だけで完結している。
例えば就活で受けている企業の名前を話すと、それはXXの息子が勤めているとか。それで自分たちもその企業をよく知っているような話をしてきたり。
また、お酒をよく飲むので、酔っ払っている姿を小さいころからよく見てきた。
暴力とか暴言とか、そういう本気で嫌になる酔い方ではない。陽気に明るく飲むタイプだ。
でも、たまに余計なこと言ったり、デリカシーのない質問をする。
いろいろ考えると結婚式をどんどんやりたくなくなる。
私も彼も呼ぶ人をお互い譲る気はない。それもイライラしてしまう。
だったらもはややらなくていいんじゃないか。
彼は優しくてとてもいい人だ。とても好きだし尊敬している。
一緒にいれて幸せだ。結婚しても二人で仲良くやっていけると思う。
でも、私のコンプレックスのせいで、華やかな式はできない。
申し訳ないと思うけど、やっぱりいろんなこだわりは譲れない。
ドレスに凝る花嫁がいるなら自分の自意識を守ることにこだわる花嫁がいたっていいじゃないか。
親の言うままに何もかも妥協して、黒歴史と化した成人式のようには絶対にしたくない。
なんだか考えれば考えるほどやりたくなくなってくる。
別にまわりにお披露目しなくていいし、一緒にいるだけで十分幸せなのに。
なんで余計なこと考えて憂鬱な気持ちにならなきゃいけないんだろう。
結婚式、やっぱりやりたくない。
いい歳したおっさんだが「本気を出せばSだが面倒なのでBクラス」だと思ってる
やりたくない理由はこうだ
・責任が増える
・常にその頑張りを期待され続ける
・どんなに積み上げても寿命が来たら死ぬし、寿命が来る前に劣化する
・金を手に入れても買いたい物もない
ようするに頑張ったところで所詮無駄だと思っているのでのらりくらりして生きたい
なぜそんなところに入ったのかを説明すると面倒なので省くが流石にサボり続けられなくなってきた
辞めたくはないので勉強しないといけないのだが正直ノリ気がしない
誤解しないで欲しいが元々の頭は自己評価で高い方だと思う
自分が成長して力を獲得すると経験上間違いなく傲慢な人間になる
これを基礎人格の俺としたらいつも24時間表に出てるのは偽造人格の俺だ
基礎人格の俺は弱者は死ねといい、敵も死ねといい、言う事聞かないやつは死ねと思っている
偽造人格の俺は基礎人格の俺にデメリットを感じ、嫌気がさして構築した
もし俺が事件を起こしたら「挨拶できてしっかりした子(おっさん)だったのにねえ」とコメントされるタイプだ
この偽造人格を被ってる間だけ俺は大人しい草食動物でいられるし
弱いからこそ他者にマウントしたり高圧的な態度を取らないでいられる
なんと美しいのだろうか
基礎人格のように醜い闘争に快感を感じるのと違い他者を思いやろうとする素晴らしい性格だ
ここまでで気づいただろうがこの日記を書いているおっさんは極度のナルシストだ、残念ながら
せっかく押さえていた基礎人格もここから求められる成長性と共に
男性特有のマッチョイズムも発掘していかなきゃいけないと思うとかなり憂鬱だ
平和で平等で融和で調和を愛したかったがこの世界の経済はそれだけでは生きるのを許してくれない
俺が野獣になっていくところを見ても同僚はどうか失望しないでほしい
俺のせいじゃない