小学校低学年の頃、祭りの屋台で売られる流行り物として小型のサイリウムがあった。
祖父に連れられて地元の花火大会へ2人きりで行った際、祖父から「屋台のものなら1つ、なんでも好きなものを買ってやる」と言われた。
本当はサイリウムが欲しかったが、それを持ち帰った途端、親から「しょうもないものを欲しがって」と言われるのが容易に予想できたので我慢していた。
親に怒られない程度の価格、内容のもので、さらには祖父も「買ってやってよかった」と思えるようなものはないかと思案していたが、
小学校低学年の私が隠している「本当に欲しいもの」など、祖父からすればおそらく簡単にわかってしまったのだろう。
なんども行き来したサイリウムを売っている屋台の前で祖父が足を止めた。
「これが欲しいんか?」
聞かれた途端に涙があふれた。我慢できなかった。
買ってもらえる喜びよりも、家に帰ったあとのことが心配だった。
結局それを買ってもらったので、帰るのが本当に憂鬱だった。
家に帰ると案の定、母親は私に「こんなもん、いくらすんのや!」
「ま〜おじいちゃんやったら買うてくれると思ってからに甘えたらあかんのやんな」と言った。
いまとなっては姑として気を遣って出た言いわけや詫びの形の一つだったのかもしれない。
私は自分はもちろん、そんなものを買わせたことで祖父までもが母に責められていると思った。
祖父が悲しい顔をしていた。