はてなキーワード: レンジとは
我が家は共働きで、早く帰宅できる方が夕食を作ったり子供の面倒を見たりするシステムなんだけど、ここ最近、相方が担当の日でも外食だったり、惣菜を買ってくることが増えてきた。
増えてきたというより8割がそうだという方が正しいかな。しばらく料理しないと、冷蔵庫の食材も覚えてないから不要な食材を買ってきたりするし、なんか段取りが悪くなったりするのはみんな覚えがあるんじゃないかと思う。
段取りが悪くても、ちゃんと洗い物やら片付けを本人がやる分には結果オーライなのだけど、なに分段取りが悪いので片付けが間に合わず、子供を寝かしつける時間帯に突入し、そのまま就寝ということも多い。そういう場合は、残った自分が片付けることになる。
別にまぁ、相方さんも仕事やらスマホやらスマホやらで忙しかったりするみたいだから、攻めたいわけじゃないんだけど、もう少し後片付けのことを考えて料理してよと思うわけよ。
んで、タイトル。相方は一人暮らし経験もあるし、料理下手というより、ただ単に段取りが悪いだけだけど、この前尋常じゃない洗い物が出ててびびった。
一瞬、オードブルでも作ったのかと思ったのだけど、作られた料理を見てさらにびびる。どう計算しても作られた料理と辻褄があわないんで、ずっと気になってるんだけど、誰かこのパズルの謎解けない?
作られた料理
レンジパン何に使ったの? 鍋が2つ多くない? フライパンの蓋いる? ボウルは? ねぇボウルは? ちょっとほんと分からない。
好意的に見て、レンジパンはおそらくさつまいもスティックを作る過程で、さつまいもを柔らかくするために使ったんじゃないかと思われるけど、それにしても後はフライパン2つと鍋が1つあればできるよね? なんなら、もやし炒めなんて瞬殺なんだから、さつまいもスティックを作ったフライパンを軽く洗えばフライパン1つで済む。
後は、何かのおまじないでブロッコリーだけ別の鍋で茹でたとか、さつまいもスティックの油が跳ねて蓋をしたとかあるかもだけど、どうしても鍋1個とボウルが残る。いややっぱ鍋2ついらないでしょ。
だいたい、段取りが悪い人とか、洗い物のこと気にしてない人とかやたらボウルを何個も使ったりするけど、お料理番組でボウル使うからって、ボウル使っても料理上手いって思われないから。ボウルとか乾かす時に場所とるし、洗い物する際もかさばるしでほんとめんどくさい。
教えて欲しいとかタイトルに書いておきながら、ただ愚痴言って、自分は段取りがうまいんだと暗にマウントとってるだけだけど、まぁこれを機になんかいっぱい鍋とかボウル使ってる人達は反省してください。
注意喚起です。トイレ用踏み台を使っている人は注意して欲しい。医者に掛かるのが遅いと治療できなくなり、まともに生活できなくなるので。
発生から三ヶ月経った今も全く快復していない、こじれ続けた怪我の話です。たぶん人生詰んだ。
同じような人を出さないためにカキコ。検索しても似たような話が出てこないというのは本当に怖い。逆に同じことが起きてたら情報求む。
便座の足元に踏み台を置いて急角度をつけることで、楽に排便できるようになるというもの。米アマゾンだと8000件超のレビューが付いててブームのようだ。
ぶっちゃけ半信半疑だが、何事も試してみなければ分からないということで、1000円のものを買ってみた。便秘気味だったし。
そして試してみたが、前のめりに体重を掛けるというバランスを取りにくく、効果があるとは言えない。単純に慣れていないだろうから、もう少し使ってみようと思っていた矢先の出来事だった。
便座に尻がハマった。
普通に地面に足をつけていればハマることはないが、踏み台を使っていたからこそハマったのである。踏み台を使用する記事の画像を見てもらえば分かるが、尻を後ろで支える分だけ非常に不安定で、地面にも足がつかない。
ここで丁寧に、尻を真上に持ち上げていればよかったのだが、便座が小さく掴むところがない。横着して横にある手すりを両手で掴もうとしたところ、
尻穴に激痛が走った
そう、皮膚が切れたのだ。便座に尻を押し付けて皮膚が突っ張っている所に捻りを加えたら、どうなるかを察するべきだった。
ところが数秒もすると痛みが完全に引いて、さっきの痛みは何だったんだろうということになる。手鏡で確かめると、肛門のシワのところに縦に赤い線が走っていた。痛みがなくググっても似たような症状がないので、そのうち治るだろうとオロナインを塗り、あとは忘れることにした。
ここが最初のミス。この時点で皮膚科か肛門科専門に行っていれば、二週間後には何事もなく元気に過ごせていたかもしれない。
この傷跡が、数日で悪化して猛威を振るうこととなる。この先は常に原因不明となるが、これが元凶のはず。ここまでは健康体だったので。
ここまで読んで「そんなはず無いだろw」って思った人へ。自分もその時は大したことないって思ってたよ。ところが肛門の環境というのは想像以上に過酷だったし、ヒトの傷の治りはずっと遅かった。
三日ほど経つと、尻穴を引っ張られる違和感を覚えるようになった。
そのときは座椅子から長椅子に変えようとしていたため、その違和感の一つだろうと思って放置。怪我については頭の片隅にあったが、治ってないはずないだろうと高を括っていた。痛みの性質も違う。
今だから言えるが、肛門周辺(または上皮?)の傷というのはどこか鈍感なところがあり、切れ痔の痛みに似た性質を持っている。普通の傷と違って、波が引くように痛みも引いてしまうのだ。なので自覚症状が薄く、気付いたときには手遅れになるというわけ。
一週間後、違和感は更に強まっていた。
ところがセールに釣られてオフィスチェアを注文してしまったため、使用感をテストしなければならない。返品保証は購入後の数日間のみ。
短足なので地面に足が届かず(世の中のオフィスチェアはデカすぎる。背の低い人は足元に踏み台を使うことをオススメする)圧迫感が最高にあるのと、尻を守ろうと力を込めて座り続けたことも悪化の一因だっただろう。ここでいぼ痔の血栓が出来ていた可能性もある。
ここでさっさと医者に行っておけばよかったものの、何とかなるだろうと調子に乗っていた。生活リズムが合わなかったのもあった。もう午後だから明日でいいかってヤツ。手鏡で確認すらしかなかった怠慢は重罪。医者行けば簡単に治ると舐めきっていた。
更に一週間後。切れ痔まで起こしたので近所の肛門科に向かう。そこでは触診がなく視診のみ。いぼ痔と切れ痔の両方のクスリが大量に処方された。ここが二つ目のミス。科をたくさん標榜している医者は怪しいが、とりわけ肛門科は専門医でないといけないらしい。ここ数年は歯医者以外に通ったことがなく、医者に対する不勉強だった。
この時点で、最初の傷は会陰部の方向へと数mmほどに育ち手鏡でも目視できたのだが、医者にはなにもないと言われた。仕方なく注入軟膏を塗ってみることにした(薬効に肉芽形成促進作用というのがあった)が、結果的には大失敗だった。皮膚に塗ってもカブれるだけなので注意。
尻穴の違和感はイボ痔と切れ痔のせいだったのかと思い、二週間の経過を見ることにした。痔に対しての様子見は正しいが、この場合は悪手。傷のセカンドオピニオンとして他の医者を探していれば、まだ間に合っていたはず。
座るのがヤバいというのは直感的に理解できたので、このあたりから一切座らず、常に立ちっぱなしで生活することにした。飯食う時も。え、まともな社会人がどうしてそんなこと出来るのかって?言わせんな恥ずかしい。
そうして二週間後。肛門横の傷は大きくなり、治るどころか注入軟膏でカブレを起こして患部が余計に見えにくくなってしまった。
遠方の肛門科専門医に経緯を伝えて診察してもらうが、カブレて炎症を起こしていたためステロイドを処方されただけだった。ところが塗り方の具体的な説明がなく、ポステリザンをついでに塗ってしまったこともあって炎症は止まらず。電話で聞けばよかったのだが、「診察していない人に聞いても意味があるのか?」と勝手に尻込みしてしまった。コミュ障乙。
一週間後に炎症の痛みに耐えられず再診したら、混みすぎていたせいか非常勤の医師に軽くあしらわれたため、ここに通っていてもろくに相談できなさそうということで別の医者に変えることにする。ここの判断も失敗で、せめて狙った医師が居る日に受診するべきだった。
日常生活はもはや成り立たず、スマホで似た症状を寝ながら一日中探す日々を送ることとなる。もちろん見つかるわけもない。「会陰部裂傷? すぐ縫ってるから関係ないしなぁ…」という具合。
この辺りで、寝ている時にも肛門が痛むようになった。今更ステロイドを塗ろうが遅すぎたのだ。度重なる圧迫と擦過と炎症に晒された肛門の皮膚が、とうとう耐えられなくなってしまったのだと思う。寝ているときの人間の体重の3~4割は臀部に掛かるらしい。肛門が床に着く感覚があったが、皮膚が引っ張られてた感覚だったんだろう。
皮膚を荒らす原因は薬だけではなかった。強い順番から挙げると、着座、トランクス、ズボン、睡眠、ベッドシーツ等。もしかしたら立ちっぱなしで臀部の筋肉が発達してしまったせいもあるかもしれない。O脚は関係あるのか。
トランクスは、寝返りなどで無意識に足を動かすと、股下を容赦なく擦ってくる。運動不足で肥満気味になり、サイズギリギリになっていたのも後押し。トランクス派は今すぐボクサーパンツに転向するといいぞ。
ズボンについて。ズボンには正中線を走るような縫い目があるが、それが一際強いズボンをパジャマ代わりに使っていた。ユ○クロのファーが内側にあるパンツね。これも攻撃力が高く、寝ているときに飛び起きた原因はこれだった。素直にパジャマにしなさい。
ベッドシーツについて。よくシワが発生するシーツだった。これのダメージはいまいちなのだが、上二つのカモフラージュとしてよく機能していた。人間、それらしい答えが用意されていると、それに飛びついて安心してしまうのだよ。
こうして長期間を掛けて荒れた皮膚は簡単には治らない。ダメージを減らそうとタオルを敷いてみたり、横向きで寝ようとしてみるが、気付いたら仰向けに戻っていて効果はない。うつ伏せはペニスにダメージがありそうなので試したくなかった。勃起したらどうするのかと言い訳していた辺り、まだ何とかなるだろうと甘えていた。このまま放っておけばどうなるかなんて想像つくだろうに。
ところで、肛門科はあまり儲からないらしい。本当かどうかは知らないが、高価な注入軟膏を出せない問診主体の患者は時間ばかり食って何の旨味もない。
当時の自分はまさにそれだったせいか、医者の問診も実にやる気がない。こちらの話や症状も、向こうからしてみれば荒唐無稽なもので相手にしようがなかったのだろうが。ステロイドを一本丸々使ったと言った後に強度のステロイドを処方されるというのも、今思えば悪意の塊ではないか。
医者としても目に見えた傷がなければ治療できないのだろうが、こちらとしても目に示すことが出来ないのでどうしようもなかった。
ついでに切れ痔も再発。軟便剤に頼りすぎないようにと使用量を減らしたのが仇となった。
そうして二週間を無為に過ごし、とうとう肛門の※の窪みが大きくなり、周囲が紅斑を起こしてしまった。要は赤く腫れていたのだ。会陰部の方の傷自体は塞がっていたが、同様の紅斑が発生していたために痛みは変わらない。
何が起きたかを言葉にすると、仰向けで寝ていただけで肛門周辺が勝手に腫れ上がったというわけである。ついでに切れ痔も再発。一言で書いたが、二週間が台無しになったショックはかなり大きい。慢性裂肛になる恐怖もある。
今から思えば、肛門が縦に裂けるように傷が出来たせいで、肛門周辺の荷重の分散が適切に出来なくなり皮膚が荒れたり伸びたりして形が変わった結果、肛門上皮にも力が加わるようになってしまったのではと思う。そして腫れたと。じっくりと時間を掛けた分、治るにはそれ以上の時間が掛かるか治らない可能性すらある。皮膚がたるむと自然には治らない。
仰向けで寝ていては絶対に治らないとようやく悟ったため、なんとかして横向き寝に切り替えようとする。が、寝具もない不安定な状況では寝返りが怖く、バランスが崩れる度に眠気が一瞬で吹っ飛んでしまう。
三日三晩をほぼ完徹で過ごして精神を病み、人生初の支離滅裂な暴言や思考回路というものを経験した後に、ようやくうつ伏せ寝(前傾側臥位)を試すこととなった。結論から言うと大正解で、ここから皮膚の荒れだけは止まってくれた。
まずは炎症を鎮めるために皮膚科を受診する。こちらもステロイド処方だったが、丁寧な塗り方指導があって安心した。ステロイドを塗る量は極僅かで驚いた。
まだ行っていない肛門科にも行ってみるが、経緯を説明しても怪訝な顔をされるだけだった。「神経性のものかもしれないから痛み止めを処方しようか?」というのがとても心に刺さる。症例にない、目に見えないものだと、医者は途端に治せなくなるようだ。…それなら、次はどこに行けばいいんだろう?
この時点で肛門部の炎症と紅斑と切れ痔を併発している上に病状も確定してないので治る見込みもなく、メンタル的にはドン底だった。
ついでだし、生活習慣について気付いたことを書こう。同じことになった人向けなので読み飛ばしていい。
うつ伏せ寝については、前傾側臥位がオススメ。これでようやく眠れるようになった。2,3時間おきに体のどこかが痺れて目が覚めるが、動かさないと褥瘡(床ずれ)になってしまうので仕方ない。それを3回繰り返せば朝になるが、今のところ寝不足にはなっていない。痔の人にも向いてるのではないだろうか。
胸にクッションを当てれば腹を圧迫せずに済む。クッションが小さいと他の部位に体重が掛かるが、高さがあると背中が反ってしまうのでバランスが大事。
枕元にタオルを敷けばよだれを防止できる。高い枕は使いようがないので、枕は薄いものかタオルがいいだろう。早めに合う枕を見つけたほうがいいと思う。抱きまくらを脇に抱えれば、寝相で動いてしまうのを防止できる。太もも正面横の筋肉にずっと負担が掛かるので、ちゃんと揉みほぐしたり血行を気にするようにしよう。
ただうつ伏せは体への負担が大きい。首関節、顎、歯、目に悪影響があるので長く続けたくはない。ちんちんへのダメージもある。一度、包皮の内側に傷がついて戦々恐々とした。ゲンタシンを軽く塗って2日で治ってくれたが、更に悪化してした可能性もある。(ワセリンは洗い流しにくく、塗りすぎると尿道に入りそうなので注意。冬場は縮み上がるので特に。)寝る時の息子の向きは、頭の方ならおっきしてもダメージが少ないかもしれないが、そのまま潰してしまうリスクがある。足元の方に向けておけば玉袋がクッションになりそうだが、勃起すると最悪折れるかもしれない。陰茎折症って言うらしい。
恥骨筋(YラインのVの部分の筋肉)へのダメージも大きいので、マッサージを欠かしてはいけない。そこと太ももの付け根にも負担が掛かるので、足の広げすぎは止めておいたほうがいいだろう。足元が痺れるのも怖いので、目が覚めたら足首を振って血流を促してる。悪あがきだが。
横向きはシムスの体位が有名だが、自分の場合は脚をクッションに乗せると肛門部を広げる形になってしまってダメだった。これはお腹を楽にしたい妊婦のためのものだ。横向き寝は寝具無しだと肩がすぐにシビれてるか寝返ってしまうので無理だった。
うつ伏せ寝で睡眠問題は解決したのだが、別の問題も引き起こした。切れ痔だ。
ここ数年は問題なく排便できていたのに、すぐ切れ痔を起こすようになってしまったが、その原因がハッキリした。筋肉の過緊張だった。
座れないのでスタンディングデスク風にパソコンを使っていたのだが、これがもう簡単に筋肉痛を起こす。ついでに臀部の筋肉も硬直する。立ちっぱなしはウォーキングと違って動かないので筋肉が凝り固まっていくのだ。
普通なら仰向けで寝てれば尻は勝手にほぐれるが、うつ伏せならノータッチなのでカッチカチのまま。これが切れる原因だった。
風呂でのマッサージが非常に効果的だった。肛門を刺激してしまうのが気になるが、背に腹は代えられない。ウォーキングも良かったので肛門の状態と相談。
肛門括約筋体操は、切れ痔や皮膚が荒れている最中だと自殺行為。止めておいたほうがいい。
あとは個人差かもしれないが、立ちっぱなしで筋肉を付けないようにしましょう。膝の方に力を逃がすといいよ。
立ちっぱなしは下半身の鬱血も起こす(=イボ痔の元)ので、スタンディングデスクは痔の発生装置じゃないかって思う。職場で強制されている人はご愁傷様です。
切れ痔の食事療法についての体験談。個人差が大きいので参考程度に。
一番効果があったのはカマグ(マグミット錠)。必須。パントシン錠と一緒に処方されるだろう。毎食服用することで便がかなり柔らかくなって切れ痔は起きなくなるが、飲み忘れるリスクがある。一日一回だけ飲んでもまるで効かなかったので、最低朝晩は飲まないと効果がないのでは? 回数は各自で要調整。
次に水溶性食物繊維、難消化性デキストリンの粉。カマグと同時に使用を開始したので正しい効果はわからないが、スルッと出ているので今後も飲み続ける。レンジで白湯にすると手っ取り早い。摂りすぎると、ネットリとした拭き取りにくい便が増えるので程々に。水分不足だと逆効果らしい。
納豆オリーブオイル。カマグが無い時にスッキリ出せた原因はおそらくこれ。
ヨーグルト。腸内環境を整えるためのもので便への影響は薄い。カマグ服用中のドカ食い厳禁。
鍋物。便が柔らかくなる唯一の食事がこれだったが、一日三食食べるわけにもいかない。
逆にダメなものが不溶性食物繊維。便秘は解消されるが、カマグ無しだと便が硬いまま巨大化するために凶器となる。切れ痔に対しては逆効果、冗談抜きで悪化の元凶だった。フルーツ食ってりゃ野菜は要らないってくらい。「野菜で食物繊維を摂ろう!」という謳い文句は、不溶性と水溶性の区別がなければ完全に罠なので信用してはいけない。オールブランを許すな。
過剰な水分。一時間おきに補給しても便は柔らかくならずカッチカチのままだった。排尿が多ければ減らしていい。カマグを使う時は多めに飲もう。
排便については、朝一番のコップ一杯の水が重要だった。食べなさすぎても出ないので、基礎代謝程度の食事は必要だろう。食事量によっては、うんこを出した後に第二波を待つ必要があるかもしれない。トイレの時間を確保できるよう早起きが肝心かも。睡眠不足も強く影響する。寝てないと出ない。
一番の敵は食欲。食べ過ぎはダメだし、食べてはいけないものもある。香辛料の類は消化できず肛門が焼けるので厳禁。キムチ鍋を食べたら向こう三日間は地獄だった。
「何かを食べると便が増えて切れるかも」という不安もストレスになり食欲が減衰する。カマグで解消できるが、今はジャンクフードを食べる気が完全に失せてしまった。
このイライラが長期間も続くのでQoLが著しく落ちる。完治までは二週間~一ヶ月くらいか? 慢性裂肛なら二ヶ月という話も。
ストレスもさながら、医者に掛かるコストも薬代もバカにならないので、切れ痔になっていない人は予防することを強くオススメする。男性はイボ痔の方がなりやすいらしいのでこちらも気にかけよう。痔は七大疾病に含めるべきとすら思う。
ここに書いたことだけでは足りないので、信頼できるサイトを探すといいでしょう。どのサイトも似たようなことを言っているが、食物繊維の下りが判断基準としてはオススメ。医者は生活指導をしても点数に加算されないらしいので自衛するしかないです。パンフレットも情報不足だし。
既に痔になっている人へ。症状が悪化すると羞恥心は完全に消え失せるので「恥ずかしくて肛門科なんて行けない!」なんて人はさっさと行くといいよ。手遅れになると手術必須なので早いほどいい。もちろん肛門科専門医ね。
こんな感じで三週間後には紅斑が治り、見た目だけはよくなった。見た目だけは。
現状の問題点は、下半身へ掛かる力の大半が肛門にそのまま掛かっているようで、くしゃみや笑いでイキんでも痛い、というか筋肉が肛門を引っ張ってしまい、間にある皮膚にダメージが入る感じ。
座るのも寝るのもダメで、自重だけでも悪化してしまう。縦方向に力を掛けると最高に悪化すると思うので、クッション等の効果はない。これは臀部に対する衝撃は和らげてくれるが、負荷が掛かっているのは臀部の上の肛門周辺なので意味がなく、今は立つか横になるしかない。
四つん這いで腰を突き出すと引きつるような痛みが出たし、ブリッジ気味に太ももを少し持ち上げたら肛門の皮膚のどこかが切れてしまったため、一切解決していないようだ。丈夫なところが切れたようで数週間が台無しになった。悲しい(もしかすると、一番最初に切れた部分かもしれない。切れた後の痛みの経過が似ている)。
いちおう肛門科で診てもらったが「肛門への異常なし」という結果。ここより肛門に詳しい科はないと言われて絶望する。日常生活できない程度には異常があるんですがね…。
というわけで、自分で原因を特定して適切な医者に診てもらうしかないが、既に特定しようがない手遅れな状況になっているのかもしれない。「三ヶ月前の怪我が~」なんて切り出した時点で相手にされなくなる。
総合診療科という原因を突き止めてくれる科があるので、そこに全てを託そうと思うが、内科が主体というのが気になる。今からの予約だといつ頃になるんだろうなぁ。
以上。長くなったが読んだ人はお疲れ様でした。元に戻せるなら戻したいので、同じような症例があったらコメント求む。今のところは祈るしかない。
俺は料理が趣味だ。レパートリーを増やすために、異世界の図書館でレシピ本を読んでいたときのことだ。なんとなく手にとったそのレシピ本は、おかしなことに途中から空白のページが続いていた。なぜか途中から空白のページになっている、おかしいぞ、と思った瞬間に、本の中に吸い込まれるような感覚がして、気づいたらこの世界にいた。
それからはとにかく大変だった。俺の服装はどうもこの世界では変な格好と見られるらしく、街の人に喋りかけても9割の人に話も聞いてもらえずに逃げられた。なんとか話を聞いてもらえても、異世界から転生してきたなんて話を信じてくれるわけもなく(そりゃあそうだ)、9割の人に逃げられた。飲まず食わずで助けてくれる人を探し続けたところ、5日目でようやくまともに話を聞いてくれる人に出会えた。アパレル通販の会社を経営しているという中年の男だった。彼は、食事を御馳走してくれた上に、自社で取り扱っているという服を俺に与えてくれた(水玉模様のモダンなデザインの服で、とてもおしゃれだ。今でも勝負服として使っている。この世界は、俺のいた世界と違って良質な繊維が取れる植物があまり無いらしく、化学繊維工業がとても発展しているので、ああいったモダンなデザインの服が存在するようだ)。さらに、当面の生活費として現金100万円も渡してくれた。転生したときに着ていたボロボロの服まで引き取ってくれた。俺の世界では、貨幣といえば銀貨や銅貨しかなかったので、こんな紙切れ100枚ぽっちじゃ燃やして暖を取るくらいしか使いみちがないな、と思ったのは今では笑い話だ。1年くらい前のことなので彼は覚えていないかもしれないが、俺は本当にあの人に感謝している。
それから賃貸住宅を見つけ(俺の世界には住宅を賃貸しするというシステムがなかったので、これにも大変驚いた) 仕事も見つけ、今ではやっとこの異世界を楽しむ余裕が出てきた。
この世界には異世界転生というジャンルの小説や漫画があるらしく、同じ異世界転生した境遇を持つ俺としては大変興味深かったので試しに何作品か読んでみた。どの作品も、主人公が元世界にあった知識や技術を活かして異世界で活躍するという内容だった(そこで描かれている異世界は、不思議なことに俺が居た世界の100年くらい前の姿とそれなりに似ていた)。しかし現実は小説のようにはうまく行かない。異世界転生して無双なんていうのは現実には無理だ。確かに俺の世界にしかない科学技術もたくさんあるが、この世界とは根本的に物理法則が違うので、この世界じゃどう頑張っても再現できない。魔法の相互作用と呼ばれる相互作用はこの世界には存在しないらしい。自然界に相互作用が4つしかないというのはなんとも不思議な感じがする。うちの世界には、魔法の相互作用、つまり魔力を応用した便利な技術がたくさんある(魔力で水を活性化させてサビを取るとか)が、この世界には存在しないようだし、根本原理が存在しないので再現することもできないようだ。電磁気相互作用が存在しない世界で電池が作れないのと同じだ。
異世界転生モノを読み慣れている人からすると「魔法を使って無双すればいいじゃん」と思うのかもしれないが、あいにく俺は元の世界ではただの商人だったから、魔法なんて使えない。魔法を使えるのは、特殊な訓練を受けた一部の人だけだ。君たちの殆どがスマートフォンや自動車を設計できないのと同じだ。
したがって、俺はこの世界では、ときどき変なことを言う空気が読めないキモくて金がない若者としてひっそり生きて行かなければならない。もともと頭はよくないし、この世界の教育を受けていないから、肉体労働で身体をすり減らしながら薄給を得ることしかできない。実に虚しいことだ。虚しい気持ちで異世界転生小説を読んでいると、マヨネーズと呼ばれる異常に美味しいとされる調味料を作って異世界人に尊敬される話があった(当時はマヨネーズという調味料の存在を知らなかったので、急いでスーパーに行きマヨネーズを購入し、店先で味わった。異常においしかったためその場で1本飲み干してしまったことは言うまでもない)
そうだ、科学や魔法がダメでも、俺には料理があるじゃないか、料理を振る舞って尊敬されよう、と思った。でも、俺には料理を振る舞う友達なんていないし、俺を雇ってくれる店なんてないし、開業資金なんてあるわけがない。そこで俺は、過酷な肉体労働と苛烈なパワハラですり減っていく自尊心を補うために、ここで俺の世界の料理を紹介して、君たちから称賛の声を浴びようと思う。全部家庭料理なのでとても簡単だ。この世界風の個人的なアレンジが入っているものもあるが、ベースとしては俺の世界のものと大差ない。本当においしいのでぜひ試してほしい。
鶏卵4個をとく。顆粒かつお出汁、なければめんつゆを鶏卵に入れてよく混ぜる。キャベツ4分の1を千切りにする。鶏卵の液にキャベツを入れて良く混ぜる。フライパン(俺の世界にはテフロンという物質が無いので、テフロン加工のフライパンを始めて使ったときは大変感動した。俺の世界はフッ素化学がこの世界より100年遅れている。蛍石が魔力源として利用され枯渇してしまったことがその原因だ)にサラダ油をひいて、肉やエビなどの具を焼く。さらに先程のキャベツと鶏卵を混ぜたものを投入する。蓋をして中火で3~4分ほど焼く。完全に鶏卵に火を通さず、上の方の卵液すこし半熟なくらいが美味。裏返さずにそのまま皿に移し、お好み焼きソースとマヨネーズをかける(俺の世界にはマヨネーズが無いのでソースだけで食べていたが、この世界に来てマヨネーズの存在を知ってから、マヨ無しでは食べられなくなった)
この世界のお好み焼きも美味だが、粉を計量して混ぜないといけないので手間だ。この料理は鶏卵を溶いてキャベツを千切りするだけで作れるのでとても楽だし、なにより卵の風味やふわふわの食感が味わえて美味。
この世界の、いわゆるミルフィーユ鍋を5時間くらい弱火で煮込む。ミルフィーユ鍋は水を入れないで作るレシピが多いが、このレシピの場合は煮込まないといけないので水は白菜が浸るまで入れる。白菜がとろとろになって美味いし、豚バラの甘みが引き立ってとろける美味しさだ。鰹出汁で味付けして七味を振って食べると今の時期最高。ミルフィーユ鍋と言っているがミルフィーユ形状にする意味はまったく無いので適当にかさねて入れれば良い。ガスコンロで5時間煮込むのは大変な手間だが、この世界にはシャトルシェフという便利な調理器具があるので活用しよう(俺の世界にシャトルシェフはなかった 魔力レンジがあったので安全に煮込み料理が作れた)
少なめの湯でマカロニを茹でる(塩は入れない)。茹でてる途中でビーフシチューのルウを適量入れる。ルウが溶けてマカロニが茹だったら、上にシュレッドチーズをたくさん乗せる。チーズがとけたらコショウをかけて出来上がり。簡単に作れてメチャクチャ美味い。(俺の世界にはビーフシチューのルウが存在しないので、ビーフシチューを作った次の日に作るごちそう料理だったが、この世界ではルウを使って簡単に安く作れるのでとても嬉しい。、異世界転生してよかったと思える数少ない点だ)
生の白菜を千切りにする(繊維に対して垂直に切る)。海苔を細かくちぎる。白菜と海苔を混ぜ合わせて、ごま油と醤油(あるいはめんつゆ)をたっぷりかける。お好みでゴマをかけても良い(この世界ではあまり白菜を生で食べないらしいが、とても美味しいのでぜひ試してほしい)
コーラを水で2倍から5倍程度に薄める。この世界では、食事中にコーラを飲む人は味覚音痴だなんて言われがちだが、水で薄めると食事にもよく合うようになる。炭酸の刺激や甘さが抑えられて、コーラ本来のスパイスの味がよくわかるようになる。お茶感覚で飲めるのでおすすめだが、休憩室でコーラを薄めているとクソ上司に哀れみの目で見られてムカつく。(この世界にはコカコーラとペプシコーラしかないようだが、俺の世界ではラスコーラというのが主流だった。この世界でもラスコーラ売ってないだろうか。コカやペプシを飲むと、微妙に違和感があってマジで元の世界に帰りたくなる。水で薄めると違和感も薄まって飲みやすくなるのは俺にとって意外なメリットだ)
食に関しての興味は人並みかそれ以下で、そもそも美味しいと感じるレンジが広く、自分の舌にも特に自信が無かった。
大学2年生の時、インターン先の懇親会で叙々苑に連れて行ってもらって
「こんな、口に入った途端とろけるようなお肉があるのか…!」
と驚いたと同時に、ああ、美味しい食べ物のために人は働くんだな、と思った。
何より、この世にまだ自分の知らない喜びが隠れていることが一層嬉しかった。
就職して東京に出てきてからも色んな物を食べた。上司が連れて行ってくれる、普段行けないちょっとお高いお店は全て美味しかった。もう、口に入れた途端美味しい、もむもむと噛む間幸福感をいっぱいに噛み締めている心地さえする。
お寿司にも良し悪しがある事がわかってきた。北海道は回転寿司でも美味いなんて言うけど、あれは…嘘だと思う。東京の回転寿司、美味しいね。回らないお寿司はもっと美味しい。
高いものは高いなりに美味しいことを知ったけど、高くなくても美味しい物は沢山ある。
江別市の居酒屋で食べた大きな焼きホッケ、身がたっぷりでぷりぷりでホクホクで、本当に美味しかった。
あのホッケが食べたくてよその居酒屋でホッケを頼んでも、あれと同等またはあれを超えるホッケにまだ出会えてない。
週末のランチでふらりと入った和食屋さんで出てきた煮付けの定食。
ほろほろ崩れる魚の身と、いいかんじの小鉢が2つと、美味しい漬物と、優しい味のお味噌汁と、粒が揃ってツヤツヤほかほかの炊きたてごはん。
今この瞬間だけとてもまったりした豊かな時間が流れているみたい。
一口一口体がうれしい。嘘みたいだけど染み渡るってこういうことか。
誰に言われるわけでもなく三角食べ、お皿ごとの味が被らないから自然とそうしてしまう。
和食ってもっと味が濃くて甘ったるくて地味な印象があったのだけれど、なんて優しくて美味しいんだろう。ていねい、ていねいだなあ。
レンジでチンして柔らかくするといいょ。
誰しもが口を揃えてとんでもなく便利だと言うので、家事の手間を減らせるかと調べたりしてるのだけど、これそんなに手間減らなくない?
煮物とか超便利!とか言うけど、煮物の工程って、材料を切る→煮る、だけなんだけど、この煮る工程が楽になるってこと?
煮る工程なんてもともと鍋に火をつけて放っておくだけじゃん? 焦げる?いや焦げないでしょ
味噌汁とか作ってるって記事もよく見るけど、味噌汁なんて炒め物作ってる横で適当に材料ぶっこんで火にかけといて最後に味噌入れるだけじゃん?
レシピ一覧でポテトサラダとか見て、おっ?って喜んで開いたら、じゃがいもを細かく切ってホットクックに入れて、煮終わったじゃがいもを別の容器に移して潰したらおしまいとか。そんなの鍋と何も変わらなくない?なんならレンジとかを活用した方が楽じゃん。
予約機能はちょっと便利かなーとか思って調べたら予約調理できるレシピはカレーとかシチューとか数種類しかないとかもうね。どうせ朝材料切る時間なんてないんだから、そんなの前の晩に作るだろうと。
ちょっと上から目線で書いてしまったけど、もともと料理を普通にする人でホットクック導入したら楽になったって人がいたらどの辺が楽になったかぜひ教えてください
日本人の出生は1.4を超えて、アメリカを除く白人女性と同水準となっている。
アジア間でも出生率に差が見られるが同様のことが欧州でも見られ、しかも、その値は同じレンジに収まっている。
異なる家族形態であっても同じことが起きていることから、全然的外れ。
多産多死→多産少子→少産少子への移行期間が短いっていうことに尽きる
人口ボーナスを食い尽くして成長 っていうのはさもありなんだが、その現象はアジアも欧州も変わらない。
しかし、欧州、アジアの後ろにはもっと早いペースで移行する国が控えてる。アフリカ諸国だ。
そこら辺の問題は人口爆発として認識されていて、出産計画とか言って実質、人口抑制させるべくコンドームをビルゲイツが配ってる。
【読んだもの】本を購入しようと思ったら、リアル書店やネット書店、最近では出版社による直販(弊社もやってます)などさまざまなあるかと思いますが、今回ご紹介したい『アーギュメンツ#3』という評論誌は「手売り」、つまり関係者による直接販売というきわめて珍しい流通チャンネルを選択した書籍です。売り方の時点でかなりチャレンジングな企画なのは明らかで、魅力的な論稿も多数収録されているのですが(レイ・ブラシエ(佐藤正尚訳)「脱水平化―フラット存在論に抗して」や、大前粟生さんの小説「断崖」もすごかった)、その中の波勢邦生さんの論考「トナリビトの怪」が本当に本当にすばらしかった。ので、今回はそれについて書きます。
当該論考のテーマをおおきくまとめると、理性的で自己判断できる存在としての近代的主体(いわゆる「強い主体」)の淵源にあるものとしてのキリスト教という一般的なイメージに対して、ハワイ・日本・沖縄におけるキリスト教受容史をふりかえることで別の可能性(本書でいう「隣人」)がたちあがる場としてダニエル書・イザヤ書を読みかえすという試みといえます。
いろいろ論じたい点はあるのですが、とくに筆が冴えるのは、小原猛『琉球奇譚 キリキザワイの怪』に紹介されている怪談「ジーマー」の話です。曰く、ある男性が「ジーマー」という老婆に「神様の用事の手伝い」を頼まれる。それは波上宮という砂浜で、彼女の三味線に合わせて民謡を歌うというもの。そこで事は起きる。
知ってる歌は歌い、知らない歌は手拍子をうつ。適当にこなすうちに背後の砂浜に人が集まりはじめるが、おしゃべりの中に英語やうめき声が聞こえるなど、奇妙な何かがそこにあった。徐々に不審なおもいにかられたその男性は後ろを振りかえる。「すると、そこには誰もいなかった」やがて夜も明けて、ジーマーの三味線も鳴り終わったあとに砂浜をみてみると、声が聞こえた場所には子どもをふくめた無数の足あとが残されていたという。こうした情景に、その男性は戦争(太平洋戦争のことか?)の傷跡を読みとり、波上宮の鳥居を抱きしめて泣く。「みんな死んでしまった。父親も、幼馴染の友達も、学校の恩師も、みんなみんな死んでしまった。自分は生き残ったが、果たしてこれは良いことだったのだろうか。自分のようなくだらない人間が生き残って、優しく勇気のあった友達や、才能のあった人々が死んでしまう。この差は何なのだろうか?」(30ページ)
この「ジーマー」は沖縄固有の物語ですが、波勢さんはここに「死者との交換可能性」という「怪談の本質」を見ます。生者と死者の想像力が同時に起動する場所、そこに怪談という物語は立ち上がる。そして同論考にとって重要なのは、この「怪談の想像力」はキリスト教のテクストにも見出されるという点です。
(「怪談として聖書を読む」というこの箇所は本稿でもっとも屈折し、そして読みでのある所なのですが、そこはあえて飛ばします。気になる方は「アーギュメンツ#3」をお買い求めください)
この怪談という想像力からみて、「西洋近代的自我による主体的区分による解釈は、恣意的でグロテスクな切断」(34ページ)となります。しかしバベルの塔の神話が示すように、神は常に「言語と文化を奪われたものの側に立ち上がる」。つまり強き主体の側にではない、という点が重要です。
「神は奪われ排除されたものの側に立ち上がる。歴史と非歴史の境界で『主体』と『弱い主体』を隔てる壁は消失し、ありうべからざるものが現れた。」「ぼくはそれを『隣人』という言葉に求めたい。なぜなら聖書において隣人とは、まさしく自他の交換可能性を示す言葉だからだ。」「隣人が現れるとき、『神を愛せ、己を愛するように隣人を愛せ』というイエスの声が、聞こえ始める。隣人は、神の赦しを伝達するぼくらの似姿であり、またぼくらの赦しを待つ異形のものでもあったのだ」(35ページ)
ここで提示された「隣人」は、大仰で圧倒するような<他者>、私たちの理解を拒む絶対的な<他者>ではないでしょう。どこにでもいるあなたであり、わたしであり、そして誰かです。これはブルーハーツの歌に出てくるような、といっていい。そう思います。(すこし恥ずかしいけれど、いや、しかしそう言ってしまっていい)
「隣人の思想」、波勢さんの論考が到達した地点をそう呼んでいいと思うのですが、ここで示された思想の内実とともに、この思想に至る論述があくまでもキリスト者としての波勢さんの信仰に貫徹されている。ここに本稿のもうひとつの傑出した点があります。
たとえば「昨年11月、九三歳で祖父が死んだ」ではじまる本稿は、「キリスト教信仰を告白せずに死んだ祖父が天国でないどこかへ行ったのではないかと不安になった」という文章が地の文で、鍵括弧抜きで出てきます。たぶん信仰をもたない人にとってこの一文は、理解の遠い、「向こう側の人」の言葉に聞こえるのではないでしょうか。(本稿の最後、註のラストの文章も「神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。感謝して記す」です)
「聖書を怪談として読む」という本稿の試みをもし信仰をもたない人がするならば、さじ加減をまちがえたとき即座に「他者の信仰否定」になるでしょう。でも、波勢さんはあくまでも信じることで聖典を読み替える(またはこれまで読まれなかったものを読み解く)という姿勢を貫く。そこにこのテクスト独特の緊張感と救いがあります。
イスラーム法学の中田考先生や、このたび『トマス・アクィナス』でサントリー学芸賞を受賞された山本芳久先生などもそうですが、これまで護教論や宗学として避けられがちだった信仰者自身による学問的考察のいくつかには、相対主義と決断主義のあいだでさまよう私たちの課題を乗り越える何かがあるように思います。私にとって本稿はまちがいなくその一つです。そう断言していいものがこの論稿にはあると考えます。
以上、編集Aは自社本を紹介していないどころか本すら紹介していないのではないか疑惑もあるのですが(広報誌とか、雑誌の特集号の論稿とか)、これにて「トナリビトの怪」の長文の感想を終わります。ご清聴ありがとうございました。
レンジは軽めにしといて余熱を重視するってこと?