食に関しての興味は人並みかそれ以下で、そもそも美味しいと感じるレンジが広く、自分の舌にも特に自信が無かった。
大学2年生の時、インターン先の懇親会で叙々苑に連れて行ってもらって
「こんな、口に入った途端とろけるようなお肉があるのか…!」
と驚いたと同時に、ああ、美味しい食べ物のために人は働くんだな、と思った。
何より、この世にまだ自分の知らない喜びが隠れていることが一層嬉しかった。
就職して東京に出てきてからも色んな物を食べた。上司が連れて行ってくれる、普段行けないちょっとお高いお店は全て美味しかった。もう、口に入れた途端美味しい、もむもむと噛む間幸福感をいっぱいに噛み締めている心地さえする。
お寿司にも良し悪しがある事がわかってきた。北海道は回転寿司でも美味いなんて言うけど、あれは…嘘だと思う。東京の回転寿司、美味しいね。回らないお寿司はもっと美味しい。
高いものは高いなりに美味しいことを知ったけど、高くなくても美味しい物は沢山ある。
江別市の居酒屋で食べた大きな焼きホッケ、身がたっぷりでぷりぷりでホクホクで、本当に美味しかった。
あのホッケが食べたくてよその居酒屋でホッケを頼んでも、あれと同等またはあれを超えるホッケにまだ出会えてない。
週末のランチでふらりと入った和食屋さんで出てきた煮付けの定食。
ほろほろ崩れる魚の身と、いいかんじの小鉢が2つと、美味しい漬物と、優しい味のお味噌汁と、粒が揃ってツヤツヤほかほかの炊きたてごはん。
今この瞬間だけとてもまったりした豊かな時間が流れているみたい。
一口一口体がうれしい。嘘みたいだけど染み渡るってこういうことか。
誰に言われるわけでもなく三角食べ、お皿ごとの味が被らないから自然とそうしてしまう。
和食ってもっと味が濃くて甘ったるくて地味な印象があったのだけれど、なんて優しくて美味しいんだろう。ていねい、ていねいだなあ。
平松洋子のクローン人間かと思うレベル