はてなキーワード: ラストとは
ラストオーダーとか、無印以外は作画力は凄いけど、無印の頃の面白さには敵わんと思ってる
無印銃夢はラストの打ち切りへの早急感、絵柄の変化が否めないが、急いで話を畳むことになった割には、あれはあれで普通に面白く思ってる
まあ、途端に紙芝居っぽいというか、プロット書き並べた感は否めないが
木城ゆきと作品は過去の読み切りの時点で自分には天才だと思える漫画家のひとりなのだけど、
自分が一番最初に木城ゆきとの漫画を読んだのは、地元の田舎の本屋で買った雑誌の「宇宙海賊少年団」だったと思う
あれを読んだ感想としては、絵は凄いんだが、物語の対象が雑誌の読者の年齢層よりちょっと下に設定されてる感じ、
悪く言えば物語が幼稚というか子供が対象になってる感じがして、自分もその雑誌の読者層の年齢だったので、物語はあんまりに思ったのだけど、
それでも、それから銃夢を知るまで、ずーっと印象には残ってて、
ビジネスジャンプで銃夢初めて読んで、夢中になって、あの「宇宙海賊少年団」の作者だと知って、あー、画力は間違いない、
でも、掲載紙であるビジネスジャンプの読者層である年齢向けにちゃんとなってるどころか、
スナッフビデオ撮影する殺人鬼は出てくるわ、でも、その殺人鬼の人生の悲哀に泣いてしまうわ、
主人公が愛する人のバラバラ死体が箱詰めになって出てくるわ、ビジネスジャンプのビジネスとは?と思ってしまうぐらい、ぶっ飛んだネタもあって面白かった
なんとなくであるが、木城氏は普段からネタ帳みたいなのを書いているとか、ネタを集めていて、
銃夢は屑鉄町とかモーターボールとかザレムとか、バラバラに漫画として描いても面白いんだろうけど、
そのバラバラの話を~編みたいにして、主人公のガリィで串刺しにする感じで描かれていて、当然ガリィの旅とか成長としても描かれるわけで、
話がバラバラの短編だったとしても十分面白いのに、ガリィの話として無理なく統一されてる感じがして、そこも非常に良かった
あの絵コンテがもっとも宮崎駿の脳内を再現したものであって、アニメになると他人の手が加えられてしまう、
というか、長編アニメをひとりで作る体力は流石の御大にもないし、
絵コンテ以上のものを御大以外のアニメーターが、庵野のドロドロ巨神兵とか、魔女の宅急便のラストのスピーダーバイクとか、宮崎以外がやってるわけで、
アニメ作品としての完成度は上がっても、宮崎駿の脳内そのものではなくなってしまうわけで、
つまり、指示書であるべき絵コンテが、最終的な正解となってしまって、そうなると宮崎氏以下アニメーターは宮崎の脳内を再現するための装置に過ぎなくなってしまう
俺の脳内通りに原画を描け、正解は絵コンテにある、みたいになってしまって、アニメーターそれぞれの自主性とか、機械設計とかに敢えて含む余裕みたいなのがなくなってしまう
その結果なのか、庵野氏は逆に走ってしまって、俳優の女子高生たちに適当に喋らせたりアドリブ演技させたものを撮りためて編集するとか、
シンゴジラ、シンエヴァもプリプロ、プリビズが重視されて、絵コンテはなくなり、その場その場で変更もできる簡易的なCGになったり、
仮面ライダーも偶然性みたいなものまで重視するようになって、NHKのドキュメンタリーでは現場を困らせていた?みたいになってたけど、
なんか、宮崎駿というか、アニメ制作こうあるべし、みたいな世界にどっぷりいたことへの反動なんだろうね
脚本こそがアニメ監督の脳内を一番再現できてるというパターンもあるんだろうな
富野のガンダムとかの小説、あんま読んだことないんだけど、富野小説で作品の本来の意図が分かったという人は多いので、読んでみるべきなんだろうな
https://anond.hatelabo.jp/20240703191053
https://anond.hatelabo.jp/20240704181200
岡田知子&調邦行 訳「現代カンボジア短編集2」(カンボジア)
早速だが大同生命がやってる“アジアの現代文芸”シリーズはマジですげえよ。インドネシアとかスリランカ、ラオス、イランみたいな東南アジアから南アジアくらいまでの、日本じゃ見過ごされがちな国の文学しか訳してねえんだから。しかも電子書籍として無料で読めるしな (https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/ebook) この「現代カンボジア短編集2」なんかクメール・ルージュ以前から90年代生まれまで、ガチの現代作家の短編しか入ってねえ。マジでこんなん読んだことねえわ。将来、浪漫主義とかフランス現代思想とかじゃなくて「アジアの現代文芸に影響を受けました!」って新世代の小説家、現れねえかなあ。
キンキントゥー/斎藤紋子「短編集 買い物かご」(ミャンマー)
同じく大同生命の“アジアの現代文芸”シリーズからなんやが、今も大変な状況にあるミャンマーの文学もこのシリーズでは10冊くらい読める。特にオムニバスの短編集がかなり出てて「ミャンマー現代女性短編集」やら「二十一世紀ミャンマー作品集」やらオススメなんだけども、より読みやすくかつ俺が一番最初に読んだって意味で思い入れあるこの「買い物かご」薦めたいね。市場って空間と買い物って行為を通じて、ミャンマーに生きる市井の人々の息遣いを知れるんだ。ニュースの報道見ると同時に、こういう文学を読むのも重要やね。
カルロス・フランス/富田広樹「僕の目で君自身を見ることができたなら」(チリ)
これはアレや、男と男のチンコ比べ本や。そしてその男と男ってのがドイツ人画家のヨハン・モーリッツ・ルゲンダスとイギリス人生物学者のチャールズ・ダーウィンで、それだけでもスゲーのに、そのチンコ比べでチリ大地震まで起こるから超壮大や。体長の何倍もデカいペニスを持つっていうフジツボまで出てきて、近年稀に見るほどのチンコ本だよ、コイツは。正直ミソジニーキツくてそういう意味じゃアカンけども、流麗華麗な文体で男たちのチンコ比べが描かれる様は一読の価値ありや。読んでどんな思いを抱いても責任は持たんけどな。
この人はどっちか言うと、サスペンス小説の方向性で受容されてるんだが、俺はこの本を“ドン・デリーロが書かなかった最良のドン・デリーロ作品”みたいに思ってる。テロリズム、パラノイア、不条理……訳者の上岡伸雄、実際デリーロの訳者だしね。デリーロの「墜ちてゆく男」とエイミー・ウォルドマンの「サブミッション」と、この「ザ・ゼロ」で上岡9.11三部作や。中でも娯楽作に舵切ってるからこれがいっちゃん読みやすい、分厚いのにリーダビリティ満載や。だが「美しき廃墟」以降、ウォルター作品が訳されてねえ。
レーナ・クルーン/末延弘子「スフィンクスか、ロボットか」(フィンランド)
レーナ・クルーンの本はね、読んでると涙ちょちょぎれちまうのよ、これが。この子供たちに向けて書かれた本なんかは少年少女の瑞々しい姿を描いていて微笑ましい一方で、俺ら大人が読むと、こう大人になるってこと、成熟するってことで失われる何かについて思いを馳せざるを得なくなってさ、それで俺、涙ちょちょぎれるんや。3つの短めな中篇が入ってるんだが、中でも表題作の「スフィンクスか、ロボットか」が一番いい。ラスト、マジ残酷すぎやろ。読んで言葉失っちゃったよ。
にしても児童文学ってのは扱いがムズいよ。児童文学ってのは何よりも子供たちに真摯に向きあうからこそ生まれる素晴らしい存在だが、その児童文学って括りが大人にとって読むに値しないように思わせる。かといって、例外的に大人がその素晴らしさを語る際に「これは児童文学以上に“文学”だ!」とか言いそうになるが、こりゃ結局児童文学を下位のカテゴリーに入れてるからこその物言いだよな。児童文学の出版に関わる全ての人々、そして何よりも子供たちに礼を欠く態度や。俺はこういうのに陥らんように、児童文学オススメしていきたいよな。
http://iuraichiro.com/perkthim.htm
あとイスマイル・カダレ、とうとう死んじまってこれまた泣けたよ。そんな今だからこそぜひともアルバニア文学翻訳者の井浦伊知郎のサイトを見てくれ。カダレの自伝小説「石の町の記録」や代表作「大いなる孤独の冬」の翻訳がこっから読める。他にもカダレに並ぶ大小説家ドリテロ・アゴリの「裸の騎士」とかアルバニア文学の名著がめちゃ置いてある。マジで信じられねえよ、これは。
https://x.com/info_amagoi/status/1808877483611337162
>えっと私事ですが、いくりは2024年7月1日よりエクランふうと別の家庭の人になりました☺️
>自立したくて離婚してはみたけど名字変えてないし家もひとつしかないので住所も名前も同じです、つまり何も変わっていない
前々から息子(はるかぜちゃん弟)が、両親の関係悪化について愚痴っていたがとうとうきたか
はるかぜ母は、はるかぜちゃんが有名になる前に2ちゃんねるに専スレがあった
母アンチがそのままはるかぜちゃんアンチに移行したというか、はるかぜちゃんの背後にいる母親へのアンチ活動を続けて新規アンチも入っていきながら今に至る
当時のことは過去ログを見て知るのみだが、若い時期のはるかぜ母は芸能活動しており、ビデオ販売イベントで知り合ったビデオ店店長と結婚
夫は年下でかなり若く、母の方が頼み込んで結婚した
ツーショット写真も残っていたが、若い二人は美形カップルだった
また、母は家庭の事情でコロコロ苗字が変わったため、カワイイ苗字の人と結婚してずっとその姓を持ち続けることに憧れており「春名さん」はドンピシャだった
契約途中で急に結婚して芸能から足を洗おうとしたため事務所の怒りを買い、もうやめたかった嫌な仕事を最後にもう一回やらされ、ラストのその作品は取り消しもできずU-NEXTで今も配信されている
仕事のこと歳の差のことなどで夫婦は平等ではなく夫の方が立場が上で、息子を妊娠中に不倫されても、怒るどころか捨てないでくれと下手に出て頼み込むような関係だったという
その時に夫が言ったのが「お前のことはもう愛してないが、子供のことは責任があるから大人になるまでは別れない」
これでなんとなく長文書いたらビビるくらいブクマついたので弊社の例も書いてみる
3年前に買収されて今は世界で数百人年商2000億くらいの規模
外向けのレガシーSaaS、それをリプレースメント中のマイクロサービス群、自社の経理向けのシステム
ただしVPNとRDPはあり
ファイルサーバーはSharePointに移行中
2代前の会ったことがないCTOの時にランサムウェアにやられている
その時はCTOがバックアップから戻せたけれど弁護士代等で数千万の損害
現在のシステムのハックのしやすさはサービスによるので以下に個別に
AWS上のWindows Serverで稼動するWebアプリケーション(Spring)
引き継いだ時は顧客の住所電話等のPII(個人情報)が満載だったけど全部消したので今はここから見れるのは名前と何時間うちと関わったかということだけ
一応AWS上ではあるけどVPNとRDPがハックされた場合(よくある)全部抜かれる可能性はあって正直ユルユルだが最悪抜かれてもそんなに困らないようになっている(した)
ファイルは自社で保存じゃなくてAWSのs3にシステム経由でアップロードされるようになっているのでファイルサーバー、あるいはSharePointなどとは別系統の認証が必要
それでもRDPで繋げられるAWS上のWindowsServer上にのっているのでハックした上で頑張ればとれてしまうけれどブラウズしてファイルがみれるものに比べれば難易度は上
同じ情報をあつかってるけどサービス自体がコンテナ化されてAWS上で動いているので乗っ取れるサーバーがなくて会社がハックされても関係ない
API経由で認証してAPI経由で情報を取り出すようになっているので個々のAPIの安全性は書いた人次第だけどそれで盗める情報はそのAPIが扱う一部に限られる
ここ経由で雑に免許証だのなんだの大量に出る可能性はかなり低い
1.2.3.とそれ以外のケースは大きな会社なら混在してて、いくらノートラストとか言ってて実際一部が3.でやっていてもだめだし
VPNやRDPを乗っ取られないようにするスキルとAPIのセキュリティーを設計して書くスキルとでも全く違うし
仮にノートラストで全部3にしようってしてもできる人間は限られてるし高いしいきなりできるものでもないんだけど
その辺雑だからこういうことになるのかね
昨日雨で洗濯しなかったから洗濯物が溜まってて、特に水回りのタオル類がヤバい
今日も午後雨が降るかも降らないかもというので諦めて起き出して洗濯
ねむい
洗剤がほとんどないけど、Twitterでは洗剤自動投入できてなくて水だけで洗ってたなど聞くので、足りなくてもまぁどうにかなるだろう
一応買ってくるにせよ
そういえば昨日思い立ってレンジフードの掃除したんだけど、途中で空になってしまったのであれも買いたい、昨日のスーパーには売ってなかったからドラッグストアかな
コンロを買い替えたタイミングからめちゃくちゃきれいに使ってるんだけど(コンロだけ)、レンジフードから黄色い油がポタってたのを発見してしまい「えっこれ鍋にポタってたらもの食えなくなる」と判断(ゾッと)し、早急に対処
拭き取り用の雑巾をクイックルワイパーでやるのは自分的には名案だった
ついでに床の掃除もしたんだけど、掃除直後はあんなに歩きやすいのに2時間もしたら「なんか踏んだ」ってなるのなんでなん おこ
さておきコーヒー入れるか……?と思ったところで朝イチの水分が水じゃなくてコーヒーなの良くなさそうと思い出して水道水飲む。横着して手で飲んだら手を拭くタオルがない、そういえば洗濯機にぶち込みました。仕方なく濡れた手であちこち開けて補充
コーヒー入れるかって思って、でもこの間コーヒーできた音(ピーピーピー)とゆで卵できた音(ピーーーー!)を間違えてゆで卵失敗したから、洗濯終わって(ピーッ、ピーッ、ピーッ)からでいいかななどと思う
ところで洗濯終わった音と冷蔵庫閉まってない警告の音同じじゃね?(ご家庭によります)
ゴミはやっぱ今日出せなかった、昨日の自分ありがとう。ノートラスト。明日は紙ゴミだから通販系段ボール今日中になんとかせな
とりあえずもう眠い
※ネタバレしか含まないので未視聴の方は読まないことをおすすめします
三階 ペジンス
30代の青年。投資詐欺によって巨額の借金を追い、漢江に身投げしようとしていたところにショーの招待を受ける。
時々滑稽なところもあるが、物価を暗記していたり、最終的にはゲームを終わらせる機転を利かすなど頭は悪くないキャラクター。
自ら一線を越えようとする性格ではないので、彼のシーンは安心して見れた。
「平凡な青年の役」はかなり難しい役だと思うので、演じたリュジョンヨルさんに拍手!
八階 サラ
気分屋で、一瞬の享楽のために、残酷なことをやり尽くす美女。彼女が八階になってしまったのが運の尽き。もちろん、彼女がいないとこのドラマは面白くない。
次に何をしでかすかわからないエキセントリックなところが非常に魅力的。
私は食事中にドラマを見ていたので、彼女が提案した不眠拷問のシーンは、思いっきり食欲をなくしたが…
演じたチョンウヒさんは「スマホを落としていただけなのに」で拝見しており、役が違いすぎて驚く。
七階 パクジョンミン
映画監督。お金が必要な経緯は不明だが、新しい映画の制作費のため?
エピソード5の彼が「殴れ!」といったシーンが、カタルシスを感じてよかった。
それだけに、足を銃で撃たれたシーンは不憫。
ただし、三階にちゃっかり投票していたり、上層階に支配されている間残酷なゲームを提案していたのは彼だったので、善人というわけでもない。
演じたパクジョンミンさんは、「地獄が呼んでいる」で拝見していたので、役が違いすぎてまたも驚く。
一階
サーカスの劇団員。娘の高額な治療費を自分の生命保険で補うために、事故に遭おうとしていたところショーに招待される。
優しい性格なだけに、虐げられてきた怒りも強かった。一番お金に狂わされたキャラクター。
イントロで火だるまの男性のシーンがあるんですが、あれは最終話の伏線だったんだな。
二階
職業不明。お金がない患者の手術費の肩代わりのため、ショーに参加。
参加の動機から分かるように、正義感が強く、勇敢なキャラクター。一見暴力的だが、参加者の中で最大の良心。
四階
元練習生、現駐車場の誘導員?馬鹿にした同級生を見返すために、ショーに参加?
とわざわざ言うなど、一貫してずるい。
でも、八階や七階ほど頭は回らないし、六階ほど力も強くないので金魚のフン状態。
一階が「部屋を交換したい」と言わなければ、拷問に手を貸し続けていたと予想できるので、かなりのエゴイスト。
看護師。冷え切った夫婦関係を癒すために出会った男に、全財産を貢いでしまう。献身的な性格が作品の中で仇となる。
愛情深いが、感情的なために冷静な判断ができないという印象。彼女の判断から起きるストーリーの転換は、本当に最悪だった。
得た賞金で、また他の人に貢ぐ羽目にならないといいが…。
六階
違法賭博で失墜した元野球選手。中古車販売店で暴力事件を起こしたことがきっかけで、高額なお金が必要になる。
やくざ者。毎話誰かをボコボコにしていたが、最終的に腰の骨と睾丸を損傷しているので、因果応報はきっちりと受けた模様。
ストーリーについて
展開が読めず、非常に面白かったです。
イカゲームに似ているとの声もありますが、ほとんど似ていません。
いくえみ綾の『太陽が見ている(かもしれないから)』(2014)は明らかに『I LOVE HER』(1993)の焼き直しだった。芦原妃名子の『piece』(2008)は作者自身が『砂時計』(2003)の再構成と柱スペースで語っていたしそれを読む前からなんか砂時計と似てるなと思っていた。
クリエイターが過去作品のセルフオマージュみたいな作品を描くのってどういう動機なんだろう。やり残し感?
そういえば幾原邦彦もピンドラの心残りはピンドラでやってほしいみたいなことを言われているのを読んだことがあるから別作品で心残りを昇華しようとしていたのか。
アイラブハーも太陽もシチュエーションは突拍子もない非現実的な三角関係もので、掲載誌のターゲット年齢層もあるだろうけどアイラブハーは軽めで青春ものらしい爽快感があるのに対して太陽は暗めだった。(主に女の子の心理描写が)丁寧で繊細になったと言えばそう。
漫画としては太陽の方が丁寧でクオリティが高いんだろうし実際ラストの方の日帆には泣けたけど、キャラクターが全体的にアイラブハーの方が愛おしいんだよな。花も艶香も高校生らしくて、特に主人公の花は本当に明るくて性格いい子だし。艶香はだるいメンヘラだけど単純でバカっぽくてかわいい。太陽の男の楡はいわゆるいくえみ男子だけど、ああいうのより単純に奥田民生を描くのが楽しいんです期のいくえみさんの男キャラがこっちまで楽しくなって好きだった。
いや、太陽の岬もいい子だし日帆も大好きなんだけど…太陽もみんないい子だけど暗くて難しいんだよな…岬はちょっと気難しくて怖いし…日帆は本格的だし…
ヤリ捨て妊娠で修道院に放り込まれた女性が、そこで出産した男児と引き離され生き別れる
年月が経ち、息子より若いくらいのジャーナリストと息子の行方を探す
修道院の闇を暴くミステリ要素や、おもろい婆ちゃんと青年のロードムービー要素もある
(原作およびアニメ最新話のネタバレ含みます。次回のアニメで描かされそうな部分はたぶん触れてないはず)
思ったより長くなったので簡単なまとめ
・一部原作ファン界隈の反応をずっと追いながら、ユーフォ3期を見てきた
ユーフォ3期最新話の改編回りがまあまあ話題になっていたので、Twitterの一部原作ファン界隈の反応を観察し続けてきた自分の見てきた光景について、ちょっと書いてみたいなと思った。
ここで書く原作ファン界隈(以下、「原作組」表記)は、原作・作者に対する熱心なファンで、思い入れの強さが「原作>>>アニメ」ってスタンスに見える人たち。
原作既読のファンの中でも濃度や比重はそれぞれだと思うので、あくまで一部界隈に限った反応ということでよろしく。
ちなみに、なんでそんな界隈の反応を観察していたかというと、
自分個人としてもアニメユーフォの2年生編(劇場版「誓いのフィナーレ」 )が原作の良さを台無しにしまくった残念作品だったことで、アニメ版を見る目が以前よりも少ししらけてしまって、比較的共感出来そうな層の感想を摂取したかったからという経緯から。
自分も、おそらく原作組もほとんどが、アニメユーフォ1期の大傑作ぶりに魅了されたのがきっかけで作品のファンになったはずだし、
自分としては今でも、1年生編の範囲に関してはアニメの方が原作より好きなくらいなのだけど、
そんな素晴らしいアニメ1期2期を作ってくれたスタッフなだけに、2年生編の劇場版はホントにがっかりしたのよね・・・。
まず、1~3年生編の中で、2年編が一番群像劇感強くてTVアニメ向けっぽいのに、劇場版の短い尺に押し込めたせいで構成が歪になり、大事なシーンもカットされまくったこと全体がとにかく残念だった。
それに、尺が短い中でやらなきゃいけないという前提を汲んでもなお、省略されたことや改変されたことが許容できないシーンが数点あった。
特に一番大きいのが、秀一と久美子の交際停止タイミングを関西大会前に変えて、理由もなんかふわっとした感じにしちゃったこと。
原作だと、タイミングはラストの関西大会敗北後。気丈に振る舞っていた優子前部長が影で涙していたことを知り、しかもその優子・夏紀から直々に次期部長を託された久美子が、部活に全てを賭ける決意の証として別れを切り出す。秀一もそれを受け入れ、”恋人”じゃなく”部長”の久美子を支える決意をする・・・というめちゃくちゃドラマチックで大好きなシーンだったので、映画で改悪されたこのシーン見たときは呆然とした。
そもそも原作のこのシーンから取って「誓いのフィナーレ」ってタイトルにしたもんだと思ってたからね。
他にも、原作の2年生編は続く3年編への布石をいっぱい打っている作品で、
●久美子が下級生の指導係としてお悩み相談に奮闘→翌年部長として慕われまくり、それがかえって真由を疎外してしまう根拠に
●集団退部の苦い経験から、部の融和を何より重んじてきた優子前部長が、その反動で部の空気が緩んだことを敗因と分析→翌年、高坂ドラムメジャーの元でスパルタ改革する理由作りに
●優子や夏紀達が身を削って最後の1年部に尽くしてきた姿を描く→それを部長として受け継いだ久美子の重みが増す
・・・等々、3年編を盛り上げたり説得力を出したりするための「つなぎの一作」として非常に優れた作品だったのに、そういう要素がアニメ2年編では省略されまくり、そのせいでアニメ3年編にもそうした文脈が引き継がれなかったのがとにかく残念だった。
そんなこんなで2年編で一気に原作とアニメの評価が逆転してしまい、待望のアニメ3年編開始にも以前ほどの熱量の湧いてこず、少し冷めた目線を共有するスタンスくらいの方が心地よいかなと思った次第。
一方で、2年編と違って、3年編に関しては個人的に原作に対しても不満・消化不良に感じた点が多かったりして。実は、「そのままアニメ化するより、なんか良い具合にアレンジしてくれないかな・・・」という本音を持ち合わせてたのも面もあったりした。
原作で全編に散らばらせていた月永求のエピソードを、1話にギュッと圧縮した改変は比較的好評で、
後は、アニメで謎に求×奏の絡みが盛られまくったことなんかは面白がられていたが、
それ以外は全体的に、「ここ原作の方が良かった」みたいにチクチク言われてることの方が多かった印象。
特に、不評が一気に顕著になっていたのが、直近の10話・11話の描写。
一番多かった批判としては、アニメの麗奈が原作に比べてブレすぎ、ナヨナヨしすぎ、久美子に依存しすぎに見える、というものだったと思う。
確かに原作の麗奈は良くも悪くももっと自分を貫き通し続けて、久美子への態度もドライだったと記憶している(あんなに繰り返し「久美子とソリを吹きたい」と言うのはアニメだけ。なんなら原作の麗奈は真由とも仲良くしていたりする)
他は、以下のような不満点が挙がっていたかと。
・原作であった「部活・コンクール・音楽とは」みたいな多様な観点が薄れて、「努力して全国大会で勝つ!」みたいな単純なスポ根ものに見えちゃう
特に、アニメは原作より久美子×麗奈のイチャつき重視、久美子×秀一の要素は薄め・・・というのは以前からの流れだけど、
直近ではプラスして、麗奈のキャラ自体が原作より変わっちゃった感があったのも相まって、10話11話辺りの久美子×麗奈の描写はかなり冷めた目で見られていたように感じた。
ただ、自分もその感想に全て同調していたかというとそうではなく、
なにせ根っからの判官贔屓体質なので、こうも「原作の方が良かった」という小言を見ていると、「いやここはアニメの方が良くないか」という点を探しがちになっていた。
例えば、10話で久美子が部をまとめるために演説する内容、タイミングが原作から変更されていたが、「北宇治の仲間に話しかけるシーン」としては、自分はアニメの方が良いなと思った。
原作では名無しの3年生達も、皆名前と顔を描き続けてきたアニメだからこそ、「北宇治のみんなと最高の演奏をしたい! みんななら出来る!」というアニメの演説シーンは、全然陳腐とか思わず素直にぐっときた。黒沢ともよさんの演技が最高なのは言わずもがな、それを聞いてる皆の表情で泣けるんだ。この子達にも皆、部活に全力投球してきた3年間があったんだよなあと思いをはせてしまう
一番批判されていた麗奈の描写も、確かに原作の方が孤高な感じでカッコいいなと思う一方で、原作麗奈のスパルタ指導や滝先生への批判を精力的に取り締まる描写はやり過ぎに感じた部分もあったので、アニメの描き方もこれはこれでアリかな・・・くらいの印象だった。
そんなこんなで、多少残念な点もありつつ、2年編と違ってそんなにアニメ版が悪いとも思えなかったので、原作組に対して、「そんなに悪く言わんでも・・・」「ここからアニメ版がめちゃくちゃ凄い描写をして、ギャフンと言わせてくれないかな」みたいな反骨心をどこか抱きながら、12話の放送を迎えることになった。
確か11話の放送が割とすぐ後くらいに、12話のあらすじと一枚絵が掲載されて、
どうやら、12話では久美子と真由がソリをかけて公開オーディションするアニオリ展開になりそうだ・・ということが分かった。
その瞬間からもう、「これはヤバいんじゃないか」という、悪い意味でザワザワした空気が漂っていた。
原作を読んでいる人からしたら、最後のオーディションで久美子がソリを奪い返すという結末を当然前提に入れている。
そのうえで、部員投票の対決という舞台を使って、「皆に肩入れされる側の」久美子が勝つ・・・という展開をどうすれば納得いく形で描けるのか、非常に想像するのが難しい。
11話までの描写でアニメスタッフに不信感を抱いていた層からは「これ、『1期(麗奈vs香織先輩)のオマージュやったらエモいっしょ』くらいの感覚でやってないか? 」みたいに言われてたり。正直自分も、この展開に関しては不安の方がだいぶ大きかった。
後からリアルタイムのツイートを見てみると、オーディションが始まるまでは相変わらず不満の声が多かった。
「まーた麗奈が『最後は絶対久美子とソリ吹きたい』とか言ってるよ。原作と別人じゃん」とか、
「真由にとってつけたような悲しい過去付与すんなよ。原作と別人じゃん」とか。
久美子が敗北するというオリジナル展開、しかも決定的な一票を投じるのが麗奈・・・という大規模改編展開に突入した瞬間、空気が一変していた。
「うおおおおお!」 「まじかあああ!」 「やりやがった!」
みたいな、ポジティブよりの興奮した反応が一気にあふれ出していたのだ。
そして放送終了直後には、
「今回は素晴らしかった」 「こういうのでいいんだよ」 「今までの改変も腑に落ちた」 「石原花田を見直した。すいませんでした」
みたいな手のひらクルクル感想が投稿されていて、ある意味こっちの流れもカタルシスがあった。
単に1期のオーディションや大吉山の名シーンをなぞる演出が良かったとかそういう表面的なところだけじゃなく、この方が物語に説得力がある、作品に筋が通った・・・と思わせてくれる作りなっていたからだと思う。
象徴的なのが、これまで批判されていた、「麗奈が久美子にベタベタしすぎ」 「やたらと繰り返す、久美子とソリ吹きたい発言」という要素が、「それでも、『演奏の上手さが絶対』という信念や、2年前オーディションの時の久美子との誓いを貫いて、真由とのソリを選ぶ」という、原作とは違う形で麗奈の気高さを描く展開の前振りとして機能していたこと。
これがやりたかったのなら、なるほど今までの改変描写も理解出来る・・・と見直されたわけだ。
「ここから巻き返すには、もうアニオリ展開で真由に勝たせるしかないのでは」
「これで真由に勝たせたら手のひら返すわ」
みたいな、この改変展開になったら良いんじゃないかって予言していた人もちらほらいたのだ。
(まさか本当にそこまで攻めた手を打ってくるとは思ってなかっただろうけど)
原作至上主義みたいな人からもそういう発想が出てくるあたり、少なくともアニメ版は最初からこの結末を正解とする前提で、そこに向かっていろんな描写を積み上げてきていたのだと思う。原作と目指すゴールが違うから、その過程で違和感が生じることにもなるよねと。
アニメのユーフォは最初の1期が原作にないオリジナル要素盛りまくりで、
麗奈と香織が部員投票オーディションで対決するくだりも、その際に久美子と「裏切ったら殺していい」と誓い合うくだりも、久美子が上手くなりたいと叫びながら橋を疾走するくだりも、全部原作には全くないシーン。
これらのシーンがあるかないかによって、初期の時点からもう原作とアニメの久美子・麗奈のパーソナリティは分かれてきているのではないかと。
アニメスタッフは別に原作を理解出来てないわけじゃなくて、スタートの時点から違う解釈のものを描き続けてきて、それを貫き通したんだというのが自分の印象。
アニメ版では原作よりも、中3麗奈の「悔しくて死にそう」発言が久美子の原点であると度々主張していたり、
「上手くなりたい」 「特別になりたい」という価値観を強調し続けてきた。
だからこそ今回の大一番で、久美子と麗奈に徹底した上手さ至上主義を貫き通し、
最後に改めて久美子の「死ぬほど悔しい」発言で決着させたことで、
「アニメ版ならこの結末が正解だ」 「アニメ版でのテーマをやり通した」と納得させて、
これまで不満を表明していた原作ファンからも、「自分はそれでも原作の方が好きだけど、アニメの解釈もこれはこれで一つの形としてアリだ」みたいな声を引き出すまでに一気に挽回できた・・・のだと思う。
あとは、単純に今、「原作改変」に向けられる目が史上かつて無いほどシビアであり、
しかもアニメのユーフォといえば「くみれい」 「演奏シーン」が代名詞になってる節があるのに、
最後の最後で、「久美子と麗奈が全国大会でソリを吹く」という、無難にやれば3期最大の見せ場になっただろうシーンを、あえて外す。
原作通り久美子に勝って欲しかった、普通に久美子麗奈の全国ソリを見せて欲しかったって意見の人もいるだろうし、その価値観も否定されるべきでは無いと思う。
ただ、少なくともアニメ版の改変はちゃんと意図のある、信念に基づく行為だったと思うし、
原作ファンの中にもそれを理解している、評価している人は少なからずいるよ・・・という話でした。
個人的にも、12話の展開は凄く好みだったし、納得したし、感動した。
ユーフォの1期2期は自分の生涯No.1アニメ作品になるほど心揺さぶられた作品だったので、これ作った人たちはやっぱり凄かったんだって、改めて3期でも感じられて良かったです。
あーほんと、2年生編だけもう1回アニメシリーズで作り直してくれ無いかなー。
一からリセットは無理でも、せめて夏紀先輩主役のスピンオフ小説と混ぜて、なかよし川視点で2年編を描き直す・・・みたいな感じとかでなんとかなりませんかね。
いつか行ってみようと思いはじめてもう何年も経ってる気がする
現金なんか持ち歩かない(持ち歩きたくもない)んだよな
さすがに数千円程度は持ち歩くけどそれじゃ何も買えないだろうし買えたとしてもまた数千円を補充するのがダルい