はてなキーワード: ポジティブとは
全部放り投げて東南アジアとか暖かい国に独りで遊びに行ってみろよ、2ヶ月くらい。日本のせせこましく狭苦しく息苦しいコミュニティや社会のしきたりの中で暮らすのがアホらしくなるぞ。フィリピン人は底抜けにポジティブだし、タイ人は超三枚目だし、ベトナム人は強かで高度経済成長のエネルギーを感じさせてくれる。他の国もそこで暮らす人たちもそれぞれ特徴があって、行けば例外なくおもしろい。
人生で1年なんて誤差だ。目の前の試験を捨てたところで、増田の親は金持ってそうだし、その過保護過干渉ぶりから察するに、なんだかんだ増田を捨てたりしないだろ。親に利用されるだけでなく、したたかに駆け引きして利用しろ。せっかくの太いスネだ、そのスネはかじれるだけかじって自分の役に立てろ。
結婚してない人は男も女も人間性に問題ありって話さ、身長低い男だけは勘弁してくれねえかな。どう足掻いたって絶望的なんだよ。
そりゃチビでも結婚してる奴はいるよ。でもそういう奴って底抜けにポジティブで右頬をぶたれたらマジで左頬も差し出しそうなほど優しかったり、或いはめちゃくちゃ高学歴で年収高くて身長以外の要素完璧だったりするんだよ。チビは175cmある男が要求されないレベルのスペックを求められるんだよ。そんなの全員ができる訳ねえじゃん。身長以外完全無欠の超少数既婚チビを例に出して、その他大勢の人生絶望チビに石投げないでくれ。お前らに石投げられなくたって、俺たちは成長期を迎え始めた同級生達に置いてけぼりにされた頃から地獄の日々を過ごしてるんだぜ。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
ダメに決まってるやろ
ワンタイムパスワードすら実装せず固定パスワードの予定らしいで。マジで草・芝・森
データの参照閲覧権限の説明無いし、ぜんぜん余裕で故意に売り飛ばすとか起こりそう
あと韓国みたいにインターネット契約と紐づけるとかやり出しそう
政府は国民にパラノイアだと思われている自覚あっていいと思うわ
それは単純に便利だよなセキュリティ周りの実装終わってるっぽいけど
オレオレFCが柏レイソルに3―0で圧勝。5月29日の川崎フロンターレ戦以来、約5ヶ月ぶり、リーグ戦20試合ぶりの白星を掴んだ。前半27分にDFリシャルソンの技ありミドルシュートで先制すると、後半12分にはエースFW吉田の3年連続二桁ゴールで追加点。同34分にはFKからDF松岡がヘディングで合わせ、3点目を奪った。守備でも村上を中心に完封。同勝ち点の清水、京都が共に敗れたため、わずか1節で降格圏を脱出し、暫定16位に浮上した。次節は29日、アウェイでサンフレッチェ広島と対戦する。
【写真】柏に勝利し、サポーターと歓喜を味わうロイブルイレブン
◇ ◇ ◇
長かった、遂に掴んだ…。試合終了のホイッスルが鳴ると、ロイブルイレブンは歓喜の雄叫びをあげ、阿野燿大監督は渾身のガッツポーズ。ベンチも駆けつけたサポーターも歓喜に包まれ、中には涙する選手、サポーターもいた。5月29日の川崎戦に勝ってから、長く続いた暗闇のトンネル…。昨年は1点リードしながら、残り15分で5失点して大逆転負けを喫した三協F柏でリーグ戦20試合ぶりの白星。イレブンは試合後、サポーターと喜びを分かち合った。
負ければ、残留へ崖っぷちとなる一戦。前半は柏にボールを持たれ、危ないピンチも作ったが、そんな重圧を払拭したのは左ウィングバックで先発したDFリシャルソンだった。前半27分、山本のパスにオフサイドぎりぎりで飛び出したリシャルソンは角度のないところから、GKも見送るだけの技ありシュートをゴール右隅に決めた。ここ最近はベンチスタートだったブラジル人DFは「大事な試合、チームのために決められて嬉しい」と笑顔を見せた。
9月3日のジュビロ磐田戦以来の先制点で肩の荷が下りたイレブンは本来の力を取り戻すと、後半12分には山本のスルーパスに反応した吉田がGKとの1対1を冷静に流し込み追加点。「練習からやっていた形。山本と目が合ったし、準備はしていた。それがいい形でいいコースにいった」と振り返った。最後は同34分に山中のFKをDF松岡が頭で合わせ、ダメ押し点を奪った。守っても、村上を中心に声を掛け合い、チャンスを作らせず、ベンチも声を出して、盛り上げた。3試合ぶりの無失点だが、完封勝利は川崎戦以来となった。
19試合未勝利中は攻守が噛み合わず、10月1日の京都戦に敗れ、相田満博前監督を解任。バラバラになってもおかしくなかったチームを作戦担当から2日に就任した阿野燿大監督が「とにかく前に、積極的に、ポジティブに、楽しむ」をテーマに、選手をまとめあげた。初勝利を挙げた指揮官は涙を見せ「選手たちが粘りに粘って、あきらめない姿勢を出してくれたんで。そこが『オレらのサッカー』で大切にしてきた部分やし、続けてやってくれた結果だと思います」と、どん底からはい上がってきたイレブンをたたえた。
降格濃厚と言われていたが、この勝利で残留に一歩前進した。次節は29日にアウェイで広島戦。清水、京都らの結果次第ではあるが、次節にも5年連続のJ1残留が決まる可能性が出てきた。山本は「あと2試合、勝って、3連勝で終えたい。今まで悔しい思いをさせたサポーターに歓喜を届けたいし、僕らも同じ熱量で戦います」と、ラストスパートへ必勝を期した。
18位京都は19日に福岡戦、22日に鳥栖戦、19位清水は22日に最下位磐田と対戦。オレオレはこの期間、試合がなく、京都が勝ち点2以下、清水が磐田と引き分け以下になった場合、29日にも残留が決まる可能性がある。オレオレが勝利し、京都がC大阪に、清水が鹿島と引き分け以下に終わった場合のみ、2試合を残して残留が決まる。それ以外の場合は最終戦に持ち越し。
柏がオレオレにホームで大敗し、これでリーグ戦9試合未勝利となった。試合開始からボールを支配し、チャンスも作ったが、前半27分に失点。後半12分に失点すると、気落ちしたのか、その後はチャンスすらなかった。放ったシュートは僅か6本。ネルシーニョ監督は「残念であり、妥当な結果。全てにおいて下回った」と完敗を認めた。試合後、サポーターからは容赦ないブーイングが浴びせられた。
本国アメリカではホームレスの溜まり場みたいになってるくらいだし。
1996年8月 東京 銀座に日本1号店をオープンしてから今日まで、スターバックスは我々のミッションを大切に、一杯のコーヒーを通じて目の前にいるお客様と誠実に向き合い、言葉と心を交わしてきました。ペーパーカップやタンブラーを手に街を歩くスタイルや、家でも職場でもない「サードプレイス」の提案など、時代ごとの空気をつぶさに感じ取りながら、新たな価値を生み出し、文化を育んできました。
これからも、お客様一人ひとりの暮らしに溶け込んだ、心あたたまるひとときをお届けすると共に、コミュニティ(地域社会)へポジティブな影響を与え、人間らしさを大切にしながら更なる挑戦を続けてまいります。
「座り込み抗議3011日!」って看板なら普通は継続して座り込んでると思うでしょ。別にタラコ野郎に好意的でなくとも。
尋ねて行った時座り込みいなかったら「いねーじゃねーか」ってなるでしょ。
タラコのツッコミは屁理屈ではなくごく素朴な一般的感覚じゃね?
というかそもそもさ、
そこは謝ろう?
そんなとこでみみっちいウソついて何になるんだよ。
仲間内で気勢を上げていくうちにいろんな面で段々盛っていってしまうのは人間としてわかる。
けど外部から突っ込まれた時には正気に返って「誤解を招いた文言を訂正します」でいいじゃん。
そこでそういう真摯な態度を見せれば「ああ、ちゃんと話の通じる、我々と同じ人間が基地反対してるんだ」ってなって興味なかった人もうっすら好感や関心持つ可能性が出るじゃん。
俺が基地反対派の内部にいたらこれが起きた日のうちに急いで内部で相談して新しい文言案決めてまっさらな看板と筆持って行っていって現場にいるひろゆきに案見せて決めてハイって筆渡して頼んで揮毫してもらう。
んで「ひろゆき監修」の看板にしちまえばいいじゃん。文言を監修しただけでも基地反対に賛同加担してるみたいな雰囲気になる。これが賢い錯誤の作り方だろ。
これがピンチはチャンスってことじゃないのか。
「座り込みは継続して座ってなきゃいけないなんて誰が決めたんですかー」て。
こんなん最悪のリアクション。そんな屁理屈言い張ってこの場合に何を守る気なの?
その屁理屈で守れるのは嘘・大袈裟・紛らわしいな看板文言の継続だけだぜ?
そこさえ守り切れば勝てる!っていう決勝点に関してなら
なりふり構わない屁理屈で「きったねー」って思われながら守るのもありだが、こんな看板死ぬほどどうでもいいだろ。
その場でパッと捨てる決定して訂正しちゃえばひろゆきの拡散力でポジティブな発信できたのにさ。
おめーらが内部の屁理屈をどう言い張ったって文言についてはチョンボだろ。
ズルだしウソだし錯誤狙いだろ。
そこを影響力強い奴に画像入りで焦点にされた時点で勝ちはないんだよ。
文言を正当化しようと食い下がれば食い下がるほど文言が焦点化して
「うわあ、こんな小ずるくてバカみたいな理屈で嘘を正当化しようとする人たちなんだ」になるに決まってんだろ。
ひろゆき「あれ?座り込んでないんですけど」
基地反対派「〇時と〇時に座るの!(怒)」
ひろゆき「それ座り込み〇〇〇〇日って言わないと思うんですけど」
観衆「日本語ですらねーのかよ…」
終わりやん。
見てる人間には「話逸らしてんじゃねーよ」という感情しか湧かない。
「敬意」の話なんか始めてキレて返すってのはヤベーよ。
看板の文字ぐらい突っ込みようが無くウソなく書けってだけの話でしょ。
そこを言われてこれだけキレ散らかして恫喝しながら撤回を迫ったりまでして少しも受け入れられないって言うの
相手がひろゆきだからこうやって世間に知られて笑われてるけど組織内部や沖縄内部で懐疑的な意見を受け容れる姿勢が全然なさそうに見えるの俺だけか?個人の感想か?
ぜってー仲間や地元民から「ここはおかしいんじゃないか」程度のこと言われても「敬意がない!」って恫喝して総括して吊るし上げそうじゃん。
こんだけキレまくってやべー集団だと世間に示していっちゃうんだろう。死守作戦するとこでも何でもないとこで総動員してアホじゃねーのか。
タラコは思想とかほぼないから素直に看板直して合理的対応すれば全然矛収めたと思うよ。
逆に「敬意」なんていう内部の論理や定義不明な話はタラコが一番嫌いなやつだから超張り切っちゃうじゃん。
そしてそういうのをアホちゃうかって呆れて無所属な自分との対照で世間に見せていくのはタラコの十八番の一番得意な構図。西村屋!って声掛かるくらいのオハコの構図のやられ役になりにいってどうすんねん。
「阿野新体制」で仕切り直す。オレオレFCは2日、相田満博監督を解任。先月1日から作戦担当コーチを担っていた阿野燿大氏の監督就任を発表した。チームは一夜明けた3日、阿野新監督の下、オレフィールドで約4時間の二部練習を行った。オレオレFCは現在18試合未勝利でJ1参入プレーオフ圏内の暫定18位。自動降格圏の19位ガンバ大阪との勝ち点差は「1」だが、残留圏内の17位アビスパ福岡との勝ち点差なく、逆転は可能。残りは4試合。「J1残留」を目指し、掲げる攻撃サッカーで勝ち点3を積み上げていく。
日差しが差し込み、暑さがまだ残るピッチ上。初顔合わせの選手を集めた阿野新監督が熱い言葉で決意を述べた。「チーム全体が同じ方向を向いて、必ずJ1残留を勝ち取ろう」。先月から作戦担当コーチを担い、前日2日に監督に就任したばかりだが、初日から積極的に指示を送った。戦術や選手達を奮い立たせる言葉がぎっしり書き込まれたホワイトボードを使い、早くも“阿野イズム”を浸透させた。
就任後初めてオンラインで報道陣の取材に応じた阿野新監督は「全てではないですけど、僕の言ったことをイメージしてやってくれたかなと。『まずはやろう』と積極的に取り組んでくれたのが何よりですね」と手応えを口にした。
一方で相田満博前監督の解任にも触れ「(9月から)コーチングスタッフに入って、良い方向に導くために手は尽くしても、結果で示さないといけないんでね。結局、こうなってしまったのは残念やし、何より(契約解除となった)相田前監督の気持ちを思えば、無念やと思うんでね。自分が少しでも役に立てればという使命感はある。難しい決断でしたけど、このクラブの役に立ちたいし、とにかく、できることを全部するつもりで(引き受けた)」と経緯を話した。
新風を吹き込む。阿野新監督は「90分間、ハードワークして走りきって、(攻守ともに)攻撃的に、積極的に、ポジティブにいくこと。自分たちがしっかり前に進んでいくこと。選手とコミュニケーションを取りながら、目の前の試合をやっていきたい」と指針を明かし、メンバーも「ほぼ白紙。システムも変わると思う」を強調した。
チームは序盤こそ10試合負けなしなど順調に勝ち点を積み重ね、一時は暫定4位に立った。だが、6月18日の清水エスパルス戦に敗れて以降、チームは18試合未勝利で、徐々に順位も下降。現在J1参入プレーオフ圏内の18位にとどまる。指揮官はチームについて「個人的にも能力が高い選手がいて力があるチーム。勝ち星が転がり込んでいないだけやと思う」としながらも「結果が出なくて、自信を失ってるのかなと感じる部分はある」とし「まずは自信を持ちながら、アグレッシブにやっていく気持ちを出していきたい」と話した。
「J1残留」。目標は下方修正を強いられたが、来季以降もJ1で戦いたい思いは同じだ。「まずはJ1残留を目指して、勝ち点3を積み重ねていく。その上で、これからの未来がある事を目指して、俺らは戦うと。そこはサポーターの皆さんに約束したい」と意気込みを口にする。週末の8日、ホームでの鹿島アントラーズ戦から初采配の予定だ。残り4試合、「残留」の可能性が残されている限り、新生ロイブル軍団が逆転ドラマを演じる。
阿野燿大新監督の下、選手は紅白戦などで精力的に汗を流した。練習後、主将のMF山本は「(突然の解任で)びっくりしましたし、自分達の責任が強い。相田前監督から学んだ事を生かして、前を向いて進んでいくしかない」と言葉を振り絞った。阿野監督の指導については「約束事などの説明や今、自分達に足りないものをボードで熱く説明してくれた。限られた時間の中で理解しながら前に進みたい。阿野監督のサッカーでは強度を求められているので、上げていく必要がある」と話した。
FW吉田は「(監督解任は)ピッチでやっているのは選手の責任が一番。申し訳無いですし、悔しさを胸に秘めながら、前向きに切り替えてやっていくしかない。ここまで積み上げてきたのは相田監督ですし、阿野監督のやり方とマッチしながら、残り4試合、必ず残留して良い報告がしたい」と気持ちを新たにした。
MF鈴木潤は「(相田監督が)一番、試合で使ってくださったので、その中で期待に応えられなかった悔しさが一番強い。残り4試合、教えられた事を生かして、阿野監督のもとで、必ず残留出来るように頑張る」と決意を述べた。
2018年に同様の自殺を遂げたライダーの方の模倣とも聞くけど、ざっとツイートを読むと、躁状態的な明るく楽しげなツイートの中に、
「最後」や「もう来れない」といった自殺を匂わせる文言を差し込んだり、発達障害や自殺に関するツイートをRTしていたりと「手がかりの配置」が
美しく、しかも最後の写真が「過去にRTした『一歩踏み出す』というテーマのイラストと構図が同じ」で伏線回収しつつ、「詳しい人や地元の人なら
その写真だけでどこか分かるくらい変わった形状のダム」を背景に写すことで、「どこで彼が死のうとしてるのか」考察し、現地に向かう人を呼びこんで
直前の「これで日本一周は終わり!」ツイートへの当初のリプライを見てると、「いろいろヒントは出てたのにみんな気づかず呑気なもんだぜ」って
感じで、kotaさんこれ見ながら気持ち良かっただろうなと思うよ。「騙し切った!」って快感ね。
これから死のうと思ってて、どうせ死ぬなら多少目立ってみたいと思ってる私のような人間には勉強になることしきりですよ。
ADHDの診断書。いやー分かる。「あ、俺って先天的に欠陥品だったんだ。道理でな~」って確定しちゃえば、今感じてる生きづらさは
一生続くんだって分かっちゃうからね。だったらば一秒でも早く死んだほうがコスパが良い。でも、ただでさえ面倒だったり怖かったりする
ことは先延ばしにしがちな発達障害。「死ぬ」のなんて一番怖いし面倒くさいですからね。
そこは、自殺を「残りの人生ぜんぶ賭けたビッグイベント」と読み替えて自分に暗示をかけて、「楽しいことなら頑張れる」過集中のムラッ気を
生かして愉快に死ぬしかない。kotaさんのやり口はその意味でも非常にクレバーでしたね。
自分が「普通」に現代社会に適合した生活ができない欠陥品だってことは二十何年生きててよく分かってるし、それが
環境遺伝も含むにせよ親からの遺伝だってことも分かってる。大嫌いだった父親と同じような言い方で他人を脅し、傷つけ横柄に
振る舞うようになってしまった。うちの父方の一族は、全員同じ怒り方をする。私も。嘘で自分を大きく見せようとしたり失敗をごまかそうとする、
父の短絡的な虚言癖と軽薄な外面の良さもしっかり受け継いでしまった。あれは祖父も一緒だった。
軽蔑していた父方の伯父のように、九時五時の仕事が嫌になって辞めてその場しのぎのコネの単発仕事と借金で自堕落に
暮らすことをなんとも思わなくなってしまった。
私の親族を見回すと、ひとりも真っ当に自分の力で生計を立てている人間がいない。父方の一族はみんな、網元で金持ちだった
祖父の当てにして遊んで暮らしている。その祖父だって、独力で会社を立ち上げたんじゃない。大政翼賛会の幹部で県会議員
だった父親(曾祖父)が、公職追放後の新しい稼ぎとして仲の良いヤクザから借金のカタに取り上げた定置網の漁業権を
売ってもらって、それを息子が継いだというだけだ。祖父も父も、ただ親が用意してくれたレールに乗ってへらへら既得権益を
むさぼっていたにすぎない。大体、漁業なんていうのは自分がつくった訳でもない自然のものを略奪する泥棒であって、
網元なんてその泥棒する権利を「最初の方からその町にいた」というだけの既得権益者で独占する犯罪集団の構成員だ。
漁師なんてみんな死んだほうが良い。
母方の一族も、みんなコンビニと不動産業をやっている祖父から金を送ってもらって生きている。母方の祖父母については、高度経済成長の
人口ボーナスを追い風に馬車馬のように働いて戦後のどさくさから一代で蓄財したのだから大したものだと思うが、てめえの息子が
確実に統合失調症なのを40年間引きこもらせて病院に連れて行かせず、今や「玄関の前で蝉が死んでた!集団ストーカーが
死骸を目印のために置いたんだ!」と騒ぐおしまいの60男になってしまった責任を取らずに死んでいこうとしている罪は重い。
父方も母方も、今のうのうと生きている50代以上の寄生虫どもが財産を使い果たし、私にまで回って来ることはおそらくなさそうだ。
私に与えられたのは、ただただ「まっとうに働くことができないこらえ性のない注意欠陥障害で」「社会性も協調性もない」
「ホウレンソウのできない」「部屋も片付けられない」「双極性障害で」「クズのくせに無意味にプライドばかり高い」「すぐにキレる」
「感情的な人間なのを糊塗するために論理的にしゃべろうと必死になってモラハラみたいになる」「虚言癖で自分を大きく見せたがる演技性人格障害で」
「人におもねって喋っているのがバレバレで信頼されない」「自分の意思と力で飯を食っていこうという能力に決定的に欠けた」
自分の遺伝子がこの世に必要がないことは分かり切ってる。生まれてくる必要がなかった。ただ、私が苦しい思いをし、私のまわりの
人間たちが私のせいで不快な思いをするだけなのだから。反出生主義とはなんと妥当な価値観だろう。
私は自分が欠陥品だと分かっているにも拘わらず、反省しない人間なので「じゃあ周りの連中はそんな価値のある存在なのかよ!?」と
他人に転嫁して叫び散らしたくなることがある。結婚や子作り・子育てにポジティブな人間を見ると「お前ら如きの遺伝子を世界に遺す