はてなキーワード: ソラナックスとは
・たぶん便秘
・1ヶ月ぶり2回目
・前回同様、今回も「冷え」と「ストレス」があった
・腸が蠕動運動しようとしてるんだけど、固いかたまりが中で詰まって動けてない感じ
・あまりの痛みに動けなくなり、すぐにソラナックスとロキソニンとムコスタを服用(パニック発作誘発阻止)
・2時間程度で痛みが和らいできた
・もう二度と同じ目にあいたくない
・不溶性食物繊維を摂りすぎてるせいもある?(ロールドオーツ 70g/日、オクラなど野菜たくさん)
・消化器内科に行ったほうがいいのか
・十中八九、過敏性腸症候群だと思うけど、この激痛っぷりからして万が一なにか重大な病気が発見されたら怖い
・ゆーて、二度と同じ思いをしたくないなら消化器内科に行ってみるべきなんだろうか
数時間前から妙に気持ちがザワザワする。不安感に襲われている。自分の頭がおかしくなりそうな感覚があってとにかく怖いし吐き気がするし息苦しいしとにかく不快感が半端ない。
①ここ数週間睡眠時間をきちんと取れていなかったこと。連休期間は特に夜更かしが多かったこと。
②ここのところ食べるのが面倒で1日1食や2食で済ませていたが、3連休に実家に帰って3食食べることでいつもより過剰なカロリーを摂取したこと。
③疲れているのにFPSゲームを長時間プレイし、しかも負け続けてすんごいストレスを感じたこと。
④ここ数日空腹時にロキソニンを飲むことが数回あり胃に負担をかけたこと。
⑤仕事のストレスが半端なくて毎日イライラしていること。一応心療内科にかかって抗うつ薬1/4とイラつきに効く漢方を飲んでいるが、それでもストレスは消えないこと。明日から仕事が始まること。
ざっとこんな感じ。文章にすると情けなさというか自業自得な部分が目に見えてきついな。
とにかく息苦しくて体が熱くて焦燥感と不安感があって頭がおかしくなりそうな感覚がして自分が怖い。もうこのまま狂人になっちゃうんじゃないかって感じがする。てか既に狂っててもう戻れないんじゃないかって怖くもなる。
とにかく気持ちを落ち着けたいと思って、机の上にあった塩分入りのラムネを舐めていたら少しマシになった。専門的なことはわからないけど、低血糖ってやつかなって思った。
でも明日のために寝ないとって思って目を瞑るとまた気分が悪くなって吐き気がしてきてトイレに行って吐いた。すると胃の不快感は消えて少し生きやすくなった。
ただ精神的な不快感はまだ消えない。昔頓服で貰っていたソラナックスがあれば飲んだら楽になったかな。今手元にないから意味ないけど。
今すぐ救急車を呼んで医者に鎮静剤か何かを打ってもらってぐっすり寝たい。そんなことできないから想像で打ってもらうしかないけど。でもぐっすり寝たらこの不快感も消えてくれるような気がする。
明日も仕事なのにこんな時間まで起きてるのがやばい。でも調子悪くて寝れない。どうやったらこの精神的不快感が消えてくれるのか。マジできつい。
文章が支離滅裂すぎて自分でも引いてる。でも部屋で1人この不快感に耐えてるとおかしくなりそうだからネットの海に自分の今の状態を載せる。
8/28(土)
・息を吸うと胸が痛くなる症状が10分ほど現れる
・お腹が張る
〈メモ〉
・昼食を食べる時間がなかった
8/29(日)
・体調は普通
・昨日食事を取れなかった反動か、昼と夜はがっつり食べた。しかし食後に冷や汗と胃痛と気持ち悪さに襲われる。
〈メモ〉
8/30(月)
・また息を吸うと胸が痛くなる。数分で治る。
〈メモ〉
8/31(火)
・体調は普通
〈メモ〉
9/1(水)
・体がだるい。
〈メモ〉
・いつもより水分を取らなかった。
9/2(木)
・昨日に引き続きうっすらと喉が痛むが声は掠れない。夜から銀翹散を飲む。
・夕方頃に左目が見えなくなるような、世界が遠くなるような感覚が起こる。
・夕方に左腕が重だるく痛い感じがする。
・少しお腹が張る。
〈メモ〉
・いつもより水分を取らなかった。
【原因の予想】
・コロナの初期症状
・熱中症、脱水
・人間関係で落ち込んだりイライラする日々が1ヶ月ほど続いているため
・家でもストレスがあるため
・殺虫剤撒いた後換気してなかったため
・ここのところ自炊ができておらず毎日3食スーパーやコンビニの弁当を食べてるため
はやく元気になりたい
ライブに行く、イベントことに行く、マスクをつけずに買い物へ行く。などだ。
加えて、発症日であろう前後数日は家に篭りきりゲームをしていたから本当にどこからもらってきた菌なのかがわからないのである。
元々小さな会社のワンマン社長だ。吹けば飛ぶような小さな会社だし治ったとして突如首宣告をされても「私が悪いからな、仕方ない」で受け止めるつもりだ。 もちろん失業保険諸々はもらうが。
父親も、母親も、妹も私が陽性になってしまったがために自由も仕事も剥奪され家に監禁生活を余儀なくされている。
私は彼らがきちんと社会復帰させてもらえるのか、が毎日不安で飲みきれない量の抗不安剤を飲み込みながら意識を失うように泣いて、寝ている。
他人の人生を巻き込んでしまった。他人に迷惑をかけてしまった。罪悪感で押しつぶされそうになり毎朝自殺を考えてロープに首をかける。
そして毎日献身的に世話をしてくれる親の顔を思い出して、止まる。
二度と元の生活には戻れないんじゃないか。この先僅かに外出しようものなら村八分にされるんじゃないか。 また私は無職になるのか、私どころか家族まで・・・
よくわからないけどホッテントリになったやつではちまとかまとめサイトに取り上げられるとそこから読むくさい
だからあんまり下手なこと書けないなと思うんだけどどうせホッテントリになるのなんて宝くじに当たるようなもんだから読まれないのを前提に1つ言っていい?
お願いだから私にもう「頑張れ」って言わないで欲しい
今の体重も、今の仕事も、うつ病になったから仕方なくそういう道を選ばざるをえなかったんだよ
もちろん出会う前の話だから病気になった経緯であなたを責めるつもりは一切ない
今の体重、仕事に満足してるわけでもないしさぁ、健康や将来のために言ってくれてるのだってわかる
そこで私なりにこの1年間努力してきたよ
50点も取れてるかわからないくらいの成果だけど、うつ病と戦いながらにしては自分の中で充分頑張ってきたんだよ
それなのに、あなたは認めてくれないよね
あなたは子供のころから裕福な家庭、塾に通わせてもらって私立校、大学院まで出させてもらって大企業に入れてさ
あなたのこれまでの努力を否定するつもりはないけど、それって環境の要因も少なからずあることに気が付いてるのかな
私は貧困家庭、塾なんか通ったこともないし全部公立校で大学なんて行けなかった
私はあなたと性格も違うし能力も違うけど、環境の要因も少なからずあることに気が付いてるよ
それでも何とか立ち直って非正規雇用だけどがんばってる
それなのにさ、何?「頑張れ」って。
私は毎日遅くまで仕事して、帰ってきたら国家資格の勉強してるよ
それかランニングに行ったりジムに行ったりして必死に身体を絞ろうとしてる
その一方であなたは仕事が終わったら毎日映画鑑賞とかゲーム三昧みたいだね
本当に羨ましいよ
楽しめることが羨ましいし、楽しんでると連絡も適当になるよね
あなたがモンハンや桃鉄でお友達と楽しんでる間私がどんな気持ちでいるか知ってる?
教えてあげる
「いいご身分ですね」
ただ追い詰められてるような気持ちになるだけ
その話したら、「自分も頑張らないといけないな」って
そうじゃないんだよ。
自分がもう頑張りたくないの。これ以上。
それをわかってくれ。
そしてことある事に言う「見かけが素敵な人なら他にいくらでもいる」発言も本当は傷ついてるよ
そんな事わざわざ言わなくてもいいのに、なんで言うの?
仕事帰りに見たらぶっとんだ
なんで伸びてんの…
まあたぶんこの手の話題ははちまとかには乗らないから大丈夫だよね
彼の目に届いて欲しくはないけど、たぶん目に入っても他人事として読むんだろうなと思う
決して余裕があるわけじゃないけど、一人暮らしをもう2年くらいしてるよ
彼氏は実家暮らしで高給取りだからってことでこの間貯金額を聞いてもいないのに教えてくれてぶっとんだよ
もちろん養ってもらうつもりもない
なんで付き合ってるかというと話がものすごい合うんだよね
見た目もまあまあ好きだし
なんだけど、私の頑張りを認めてくれないことや病気に理解がないことが本当に無理になってきたんだよ
一生1人の方が楽なのかなとさえ思えてくる
よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ
に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ
というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。
とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害や病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。
非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ、基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。
ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性のなかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれてしまうのは仕方がないのではないだろうか。
私の話をしよう。
私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。
具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病と解離性同一性障害の診断が下りている。
理系の大学院を卒業後、財閥系企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。
そして離婚歴がある。
私の持つ障害と疾患は、両親からの虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつを発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待の事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的に虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。
この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害と精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。
さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害や精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である。
結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。
そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックス、リボリトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分をコントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。
解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICAの履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミング、シチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。
私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。
主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつも自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人の精神がいびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。
結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームをスマホで遊んでいた。
最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人は他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。
ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまったことだ。ネコは家具が破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレスで過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき、獣医でそれがストレス性のもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。
元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。
おそらくこれを読んで私に好意的な気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付きの障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。
私はネコと暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔をチョコチョコとしてくるだけだ。
でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。
誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。
就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去の自分が他人に思える」「自分の気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活上問題ではない」と判断した。
実家に帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたものが他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。
それは、私が自身の問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。
浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。
何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。
このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。
この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題を過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去のことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。
「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」
「私はパニック障害を発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」
「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」
「私は友人たちと楽しく生活することができる」
「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」
マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。
私は過去の自分を強く否定して、現状の自分を肯定しようとした。その結果、過去と現在とのつながりが断ち切られ、自己の連続性を失った。
私は過去の自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。
カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去の自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分の過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分の気持ちを抑えるから他人の気持ちにも鈍感になる。過去の自分を抱きしめてあげなさい」
抱きしめる?過去の自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?
その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分。中学生の自分。小学生の自分。こんなことは初めてだった。
彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。
小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女は彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女を否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。
カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。
弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。
そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。
中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。
話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい、友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。
母は私の発作を思春期特有の不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。
今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。
でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科でソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。
私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情が暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。
パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間はひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。
「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係を肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。
そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニックで孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。
私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。
大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数の人間と関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。
私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定な自分も、全て否定した。
だから私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。
うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。
私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分に恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。
浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。
人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。
このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。
私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客でコミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているから大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。
不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。
そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。
カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気。17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。
真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。
「自己像 関係 気分の不安定。目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアル・セックス。反社会性と悲観的態度が顕著である」
どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。
それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。
実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。
ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要なタイプの問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論を自分に押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。
私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達がわたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。
私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。
くじけそうになったとき、自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。
1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安)
2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安)
どうもこんにちは。この度はこんな記事を見てくださりありがとうございます。今悩んでることがあるけど言えるような友達もいない、だからここにポツポツ書いていきたいと思います。
・21歳男
・人見知りでコミュ障
・不安障害
不安障害になったのは大学1年生の時。大学でとある先輩からの嫌がらせを受け、元々自分に自信がなく神経質気味だったのが重なって心身を壊した。今はソラナックスを飲みながら生活している。このことは大学の1人の同期にしか話していません。
大学に入学する前は自信に満ち溢れていて、僕は誰よりも楽器が上手いんだと過信していた。が、この有様。ボロくそ言われるし他の先輩とか同期からセンスないとか言われるし、いやお前ら誰目線だよwとか言いながらもしっかり傷付いたりした。いやほんとに誰目線だよ。
それでもさ、2年間はとにかくがむしゃらに頑張ってきたんだ。教授からも褒められることが増えたし、出来るようになったら楽しいし。だけど今僕は3年生。どうしたって「就活」の文字が頭をチラつく。僕も同じ大学の人たちもインターンに行ってる人なんてほぼいない。けどそれは僕の大学が特殊だからで、他の大学に通う友達はみんなインターンだの就活だのそんな話をしている。どうしたらいいんだろう。
僕は就職をする気がない。これは入学する前からずっと思っていた。音楽で食っていきたいなって。でもフリーランスでなんて難しいよなあと思うから、今やってるバイトを続けながら音楽と両立して頑張りたいなあとか思ったりしてたんだよ。だけど最近になって将来を意識しだしてみると、そんなのは子どもの甘えた夢だなって思っちゃうわけよ。この2年間で僕の楽器の技術は間違いなく上がったと思ってるし、コンクールで入賞したりした。だけどそれを引っさげて仕事ができるかと問われるとそれは難しいんじゃないかと思う。めちゃくちゃ緊張しいで舞台に立つ前は薬飲まないとやってられないし。あとバイト先もそんな僕を受け入れてくれるのかという心配もある。今は大学生だからいいけどさ、仮にあと5年バイト続けるとするじゃん、自分の子どもと同じくらいの年代の男が「夢を追いかけるため」とか言っていつまでもどこかに就職せずバイトしてたらちょっと心配になるよねパートさん社員さんも。ほらこんなされるかも分からない心配もしちゃって人の目気にしちゃって、馬鹿じゃない?
だからといって就活をする気はやっぱり起きないし何だかんだで僕は音楽が好きだし楽器をしている自分が、拍手を貰って心から幸せな気持ちになる自分が何より好きなんだ。
僕にとっての最善は一体何なんだろうか。
社会生活のストレス(自身の離婚、家族の病気、上司との相性)から心療内科に通っていた。その後3ヶ月職場離脱後復帰した。
その間、薬の取捨選択をした。残ったのが標題のソラナックス0.4mg錠だった。
具体的な効能としては気分が落ち込んだ時に飲むと数時間後には普通に戻り、約半日効果がある。職場復帰後は冬の月曜日に向けて日曜の夜に服していた。寒い朝&月曜日が気落ちがするからだ。
職場復帰後は、毎日ではなく、気落ちしそう・やばそうな日の前日に飲む程度だったので、2週間分を半年で消費する感じだった。(個人的には中毒性は無かった)
ここ1年で2泊3日(または3泊4日)の出張(仮に複数日出張と呼ぶ)が3回あった。御年アラフィフ、疲れが溜まる(出張では飲むというのもある)。複数日出張の後は疲れがどっと出て、いつも出張報告の後に休むことが多かった(薬使用せず)。
今回土日月の出張で、金土は飲んだ、日曜の夜は疲れていて飲めなかった。月曜朝も疲れはとれず、薬を飲んだ。すると1時間ほどで疲労感は消え、月曜は乗り切った。火水曜日は薬を飲まずに乗り切ったが木曜日の午後から疲れがどっと出た、もう薬は効かなかった。
覚醒剤とは「疲労・睡眠を忘れて仕事ができる薬」と聞いたことがある。当然、薬が切れれば廃人のように疲労感が襲うこととなるとのこと。
かなり似た状況(疲労をおして気分を高揚させた)を体験できたのではないかと感じている。もちろん今後覚醒剤を摂取したいとはこれっぽっちも感じない。
当方社会人で、2005 年頃に発症したうつ病患者。今のところ休職経験なし。メンタル回復に効果があったものとなかったものを列記してみたい。
自分の抑うつ症状は睡眠不足に大きく起因しているようで、大変効果的。かつては深夜 0-1 時入眠 6 時前起床の 4-6 時間睡眠だったのだが、今は 22 時入眠 7 時間睡眠を目標にしている。それでもたまに睡眠不足に陥るが、以前のことを思えば随分良くなったように思う。以下は睡眠関連のコツ。
酒もクスリもやめた自分にとって (後述) セックスだけが即効性のある快楽として残ることになった。パートナーが病状理解してくれているのも幸いしている。効果はアルコールやベンゾジアゼピン系薬剤に近いように思う。大変効果的。だいたい 6-8 回/月。
自身の想いをぶつける場として大変有用。このエントリーも、まずは日記用の非公開ファイルに書き出してみて、自身の考えをまとめて、多少推敲を加え、それからポストした。今なら音声入力などを併用しても良さそう。非公開で絶対に人に見られないことがメンタルによい日記の秘訣かと思う。
大変効果的であったが健康問題により止めた。かつては連日飲酒し (ワインボトル 0.5-1 本/日)、かなりの頻度で出勤前にも飲酒していた。勤務中に飲酒することもしばしばあった。飲酒運転をすることはなかったものの、事件や事故にならなくて良かったと思う。γGTP 500 台というまあまあ重篤なアルコール性肝機能障害を来たして断酒。宴席では今でもたまに飲みたくなることもあるが、日常生活から二日酔いがなくなったメリットのほうが大きく、数年間禁酒継続できている。ちなみに最近人気のストロングゼロは頭痛必発なので好きではなかった。
こちらも大変効果的であったが健康問題により止めた。4-5 年ソラナックスとメイラックスを併用。どちらも確実に効果を実感できて大変良かったが、どんどん常用量が増えていき、ときどき OD することもあった。禁酒しても肝機能障害が遷延したため (γGTP 200 台) 勇気をもって投薬中止。ベンゾ離脱症状で 2 ヶ月ほど死にそうな気分で過ごした。残念ながら断薬後も γGTP は 3 桁高値が続いておりベンゾが悪かったとは断定できないが、離脱症状の辛さを考えるともう二度と内服したくない。
かつて 7 年間ほど常用していた。当時この手の薬剤は日中の眠気が必発で、内服時間を調整しても眠くて仕事にならなかった。世にいわれるような晴れ晴れとした気分にはならなったので、自分にはあまり効果的でなかったように思う。典型的なシャンビリ症状とインポ症状がでてきて内服中止。騒い離脱症状は出なかった。
朝 5-6 分のストレッチと自転車通勤を数年間、毎日 3 km 弱 / 20 分の室内トレッドミルを半年間、週 1 回 1 時間の水泳を 3 ヶ月続けてきたが、今のところ効果は微妙。ランニングを始めたきっかけは "脳を鍛えるには運動しかない!" という本に感化されたためだが *2、本に書いてあるほどには回復しなかった。しかし良い習慣ではあるので今後も続ける予定。
独学で始めたマインドフルネスにはほとんど効果はなかった。しばらくして臨床心理士のガイド付きマインドフルネスを 2 ヶ月ほどする機会があり、こちらは即時的な効果はあったように思う。ただ自身で再現性を得ることができず結局続いていない。そろそろ再開してみてもいいかもとは思っている。
セックスに比べると効果は弱いように感じる。安心ホルモンであるセロトニン (オキシトシン?) の分泌量に違いがあるのだそう *3。ちなみにオナ禁の経験はない。
*1 http://www.200kounen-training.com/entry/2018/01/10/223227
*2 https://www.amazon.co.jp/dp/B00JDLBEFW/
*3 https://ameblo.jp/kinyoku9/entry-12249634913.html
2018/02/03 16:18 追記コメント投稿しました。https://anond.hatelabo.jp/20180203161614
自分も人と会う予定があるときは、予定時刻の30分前にソラナックス0.2mg(0.4mg錠を半錠)を飲まないとダメだわ。
どうダメかっていうと、表情がガチガチに硬くなり、自然なスマイルが出なくなる。すぐに赤面する。どもる。
一応、社交不安障害(SAD)の診断も付いているし、SADの第一選択薬であるパキシルも40mg/day MAXまで飲んだりしたけど、ダメだね。
飲まなくなったら元通りになってしまう。
暴露療法もやったけど、あれは「慣れ」を生じさせて症状が軽減されるだけで、もともと生まれ持った素因は変わらないっていうのが、現時点での自分の結論。
自分の人見知り、人嫌い、内にこもる傾向は、持って生まれたものだと腹をくくったよ。性格を変えようとするのはやめた。
どうしても社交的な場面に出なければいけないときに、頓服としてソラナックスを飲めば十分。
たぶん、自分は周りからは「ファッション人見知り」だと思われてる。
薬さえ飲んでれば表情は柔らかく自然になるし、笑顔も出せるようになるし、会話も普通にできるからだ。
会った人からは「元ヤン?」とか言われたりする。本当は友達が1人もいないガチ引きこもりなんだけど、まったくそうは見えないんだと。
内面の葛藤は表には見えない。人見知りに見えないガチの人見知りは、人から辛さを分かってもらいにくいという欠点があると思う。
もちろん、周りにバレない程度の人見知りは軽症だろうという意見もあるだろう。
けれど、社交性が求められる場面でのみ必死で適応しようともがき苦しんでいる人もいるんだということを、意識の片隅にでも置いておいてもらえたら嬉しい。