はてなキーワード: つのとは
現実問題として、AI vs 絵師は政治力の強い方が勝つので絵師側は厳しそう
生き残りたいなら、Xで文句言うより団結して政治家を擁立して、自分達が有利になるように法整備してもらうとか、そういうことをしないと厳しいと思う
いつの間にか、別名保存がPSD他レイヤー構造を保持した形式でしか保存できず、pngで保存するにはコピーを保存で保存しなければいけなくなっていた。
ファイル名も毎回、新しいファイルのコピー.pngみたいな名前が標準で設定されるので余計な部分を手動で削除しないといけない。
こう言う細かいところの操作性をバージョンごとに変えるなよ。君何年この仕事やってるの?ショートカットに対する動作がバージョンごとに変わったらユーザー困惑するでしょ?
なんでそう言うこと言われないと分からないし、言っても治さないかな?そんなことやってたら、信用失って将来この業界でやっていけなくなるよ?
新しくジャスコで買って来たそれは、
なんと3秒測定!!!
は、速すぎる!
測ろうとした矢先、電子体温計端末の電源が切れる。
電池切れかしら?
ガッデム!
昔使ってた電子レンジ、
説明書見ると音が変更できると言うことで、
ただのブザーに変えたわ。
その後窓から放り投げて捨てたけど。
ケーブルを出したり戻したりしてると
恐らく断線したのか、
ビリビリこなくなったのね。
思いっ切り窓から放り投げて捨てたの。
今日は何色の折り畳み傘を持っていこうかしら?って悩みが発生するのよね!
何だっていいじゃないって思うし、
あるときは一升炊きの炊飯器を炊けたご飯がパンパンになったままで渡されてどうしようかと思ったわ。
さすがに一升炊きのご飯の物量は食べきれないので、
これでも召し上がれ!
うふふ。
もうマスクいらない!って
窓から投げ捨てちゃったけど、
また拾ってくるわ!
うふふ。
ガラケーでツイート出来ていたメールのその仕組みは廃止されたみたいなのよ。
その機能が無くなった途端に
鍋肌に仕上げに潤いを足す加湿を怠ったばかりに
その地球で最古と言われる砂漠ナミブ砂漠のトカゲの味がするチャーハンの味だって言われるのよね。
もう迷いっぷり半端ないほどのジプシーさ加減が炸裂してしまって全然手に馴染まなくてこれは流石に買うのを間違えちゃった令和入ってからの一番のテヘペロ案件であることには変わりないぐらい窓から投げ捨てて放り投げたわ、
私もクリスマスプディングをノールックで匙にとって食べたもんだからこんなことになっちゃったのよね。
捨てるのは葉っぱの方のはずだけど、
人間が食べたらいけないと一瞬で感じる囓ったらヤバイ葉っぱをクリスマスプディングに乗せるなよ!って大にした声で言いたいぐらいの山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。
世の中パソコンがなければただの箱ね。
もう、本当に窓から放り捨ててやろうかと思ったけど、
うかつにそんなことできないわ。
これはさすがにどうよ?と思いつつ
またそっと扉を閉めたんだけど、
マラソンする人が走るときに腕につけるウォークマン入れも付属してたから、
ああこれスポーツマンシップに則ったやつかーって
選手宣誓しそうなほど私にはあまり使い道無さそうで窓から捨ててしまいたいところだけど、
破らなければ窓から捨てないようにするわ、って決めたところなのよ。
だから安直に直角を描くような放物線で窓から捨てるわけにはいかないから、
なんか持て余してどうしてもヒマなときに使ってみることにするわ。
新しく新調した折り畳み傘は
そう思っていたけど、
手に馴染まないのでやっぱり窓から投げ捨てました。
投げ捨てたのは嘘だけど、
戻ってきて自分の頭に当たりそうなので、
止めたのよね。
新しいキーボードはやっぱり段ボールにしまって引き出しに入れておくことにしました。
まあ使えないことはないので、
最近は
本当に物騒で
買い物カートだとかレンガだとかが落ちてくる事件が多発してるので、
私もうかうかイラないものを窓からポンポン捨てる癖を本当にどうにかしたいものだし、
今回はなんとか思いとどまって、
さすがにあれは重たくて私一人じゃ担げなかったわ。
まだまだ
ガスコンロでいっかなーって思ったワケなのよ。
古い灯油ってどのぐらいまで使って平気なのか?
平気じゃなかったらどこに流して捨てたら良いのかしら?って
流石にいつも窓から必要のないものを放り投げて捨てているようにはいかないわ。
みんなどうしてるのかしらね?
それが2本ってのもサラミソーセージ系だって事に気付かなかったら絶対に買わなかった
結局は食べたんかーい!ってなるけれど、
あっと言う間にタマネギは4玉分みじん切りになったのよ。
これどうしようかなーっていい加減に食べ始めないと減らないのよね!って
いっそのこと美味しいの出来たよ!って実家に鍋押しつけてみるか、
それともまた私の得意技でもある窓から投げ捨てる方法もあるけど、
その時はコーヒーとか買うときオマケが付いてる!ってションテンが上がるけど、
家に帰ってきたら、
もう気が済んじゃってそのオマケマグのことをすっかり忘れてしまっている自分がいることに早く気付いて!って
思って片付けることにしたわ、
踊りながら捨てるの窓から!
「梅田と大阪は同じ街」が最重要事項だと思う。徒歩圏で移動できる迷宮のような一つの街の中にいろんな駅があるということをまず知っておくべき。
次に覚えるのは「大阪環状線は山手線と違って決まった円形ラインをぐるぐる走っているわけではない」ということ。京都民だけど、正直来た電車がどこに行くかよくわからん
市民だけどなんも思わない
気にしたことすらなかった
実際中華街だし
それより「神戸の人ってプライド高いから兵庫出身じゃなくってわざわざ神戸出身っていうんでしょw」みたいなやつのがムカつく
違います
カービィ騒ぎのせいでハッピーセットに年齢制限設けられたりしたら本当に嫌だな。
カービィ関連作品もキャラクターの見た目も好きなのにもしそういう事態になったらカービィごと憎しみの対象になりそう。それも含めてすごく嫌だな。
キティのぬいぐるみの時も鬼滅?の時も大概だったけど、今回はSNSで不良品が大バズしたせいで余計に醜い騒ぎになってる。
どうにか当分ぬいぐるみは出さない、程度でおさまってくれないかな。
あんな分かりやすい不良品が大量に出回ってる時点で作り手の無茶とか苦しみが見えすぎてて心からかわいがれないし、
作り手の待遇なのか何なのか分からないけど改善されるまでは紙モノか作り慣れたプラ製おもちゃで大人しくしていたほうがいいんじゃないか?
今回の騒ぎを経て次は生産数を大幅に増やしました!とか言われたとして、それで結局大量の不良品が出荷されることになったら次はネタにして許してもらえるか分からないし。
今回たまたまカービィっていう常日頃トンデモ変形してる生き物だから笑ってもらえてるだけで、他のキャラクターコンテンツだったら大炎上とかして損失に繋がるかもしれない、大量の無残な売れ残りを抱えるかもしれない。そうなるといよいよハッピーセットの存続に関わる気がする。
何十年もハッピーセット買わせてもらってきて、子供向けコンテンツにいつまでも親しんでる身にはハッピーセットって本当に大切な、なんかこう各ご家庭の近所で安価にコラボカフェやってくれてるみたいなありがたい施しで、
ハッピーセットになったらこの作品・キャラクターもいつの間にか人気者になったんだなって実感できる、そういう尺度でもあるし、
とにかく一時のバズとか小金稼ぎとかのために奪わないでほしかった、対象年齢から外れても卒業できなかった痛々しい大人の密やかでささやかな楽しみを。
まあ今からそんなこと言っても手遅れだし、マクドナルドさんの慈悲に縋るしかない。
望み薄だな……落ち込む……。
一応は真面目に確定申告を取り組もうと思う矢先、
やっぱり部屋を片付けている際にちょっと休憩しようかなーって
残りの半分期間は真面目に取り組まなくてはいけないわ!って自分自身に言い聞かせるキャンペーンを繰り広げたい開催中でもあるし、
2月は確定申告始まると見せかけて資料準備しなくちゃって思いつつ、
思うだけでやる気はあるけど
やるとは言っていない。
募っているけど募集はしていない、
倍増とは言ったけど2倍とは言っていない。
って政治家みたいなことを言ってるけれど、
真面目に取り組めば取り組むほど、
そうよ
私がやって途中で置いたままのゲームの続きが気になっちゃって、
急にプレイを再開しだしたりしない?
はたまたあるあるだけどそのあるあるのなかの第1位でもありそうなあるあるのもう早くそのあるある言えよ!ってヤジられそうだけど、
何か急に資料を整理していたらその間に発掘される面白そうな本やマンガを読んじゃいがちじゃない。
一見、
やってそうでそれは現実逃避なのよ。
分かっているわ。
私のクセ私のくせに!って思うかも知れないけれど、
後回しにしちゃいがち!
ガチで。
やる気を出してみて、
そうよ5分だけでもいいから!
3つの私に対する「いいから」三原則に基づいてあと1個なに?って
その空白を埋めるための1個を見つける旅に出るのよ!
ってそれは南君の恋人の高橋由美子さんが歌っていた主題歌の曲名!
ってまたそうやって現実逃避したがる!
私の悪い癖!私のくせに!
なにかエンジンが掛かってちょっとやり始めたら始められるけど、
あの引っ張ってエンジンを掛けるタイプのまるで私はリコイルスターターね!
スロースターターって言うと怠けている感じがするので、
新方式で私ってばリコイルスターターなの!って言うとなんか意味がちょっと一瞬ではよく分からないからお利口さんに見えない?
見えるでしょ?
その手はみんなには通用しないわよね!
てへ!
あー
表記的にどっちだっけ?って思って両方書いておけば検索に引っかかるわ!って魂胆で両パターン書くけれど、
そのプロを目指している道中でもあるわ。
まだ道半ば!
確定申告の期限まで残り約半分!
本気を出すけどやるとは言っていないって言いがちな政治家みたいなことを言わないようにしたいと思うから!
つーか真面目ななんか税金や行政とかのこととかはちゃんとやんないとマジで怒られるから、
馬鹿なことばかり言ってないで
しっかりと前を見てやっていくわ。
ファイナルファンタジー15でオープンカーに乗っていて
ぶつかってフロントガラスがヒビだらけなのにみんな真面目な真顔のようにね。
そのぐらい真面目に取り組みわ!
うふふ。
ほぼ断面だけ見て選んで買った実質ノールックで買ったら
美味しいけれど、
おかげでヒーコーを一緒に美味しくいただけたのでそれはそれで、
朝に限らずいつでもホッツが飲めるのがホッつするわ!
電気ポットのある生活はお湯が湯水のように使えるってことでもあるのよね。
これも一石二鳥ね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いつかはそうなるんだろうな、とみんな思ってるんだろうけど、
それがいつのなのか?5年後なのか10年後なのか、それとも100年後とかなのか?っていうね。
インフラを抜本的に変えなきゃならんっていう事にようやく気付いたくらいだし、
早くても10年はかかるんだろうな
全部見終わった 。まず番組の作りへの不満。30年前に書かれた本に今日的な価値を見出そうとするなら、その後の状況変化、新たに生じた条件を踏まえて今でも通用する部分・陳腐化した部分を検討するべきである。ざっくり古典としてたてまつるには早い。
オミットするべからざる状況変化の第一はアメリカの孤立主義傾向である。トランプはそれを始めたのでなくその流れに乗っかりダメ押ししているだけだ。
もう一つはいわずもがなインターネットだ。特に近年目につくようになったのはいわばデマのデジタル物量飽和作戦である。ロシアの得意技。当局の雑すぎるウソ発表を、当初我々はナメて嘲笑していなかったか? しかしその雑さは「東側」的な要領の悪さ・いい加減さの結果というよりそれ自体が場を荒らし言論そのものを無力化する作戦だったのだ。今後はそれにAIが加わる。公共の「情報空間」そのものが腐海に沈む。
第三夜以降の内容に目新しいものはなかった。エクスキューズをたっぷり挟みつつ基本的にチェリーピッキング。リトアニア独立を非暴力による成功例と言われても、そんなのいわばソ連崩壊過程の余録だろう。
数々挙げられている「成功例」は、非暴力が勝ったのではなく体制が瓦解する時に民衆の側から追加の暴力はいらなかっただけだ。
独裁体制側に暴力の口実を与えないための非暴力というが、プーチンやアサドみたいにヘッチャラでガンガン殺すパターンは?
「多少やられてもいずれはこっちが勝つ」その多少の死体になりたくないし近親をならせたくないのが人間の本音だ。
非暴力的手段に命をかけさせる煽動もまた暴力的であると言える。
畢竟、独裁体制を倒す「さえたやりかた」なんかないのだ。あると思うのが思い上がりである。安全圏からの上から目線のアドバイス。
暴力的な独裁体制下の民衆はやり過ごし耐え忍ぶしかない。独裁体制は本来的に不安定なのだから。なんかの弾みに瓦解する日を待つのだ。俺ならそうする。
シャープ理論への興味が尽きたところで思うのは「民主主義体制もまた本来的に脆い」ということだ。これぞお手本という民主主義のロールモデルは存在しない。民主主義国の数だけブサイクな異形が存在する。イスラエルなんかわりとお手本に近いような先進的でシステマチックなイメージもあったような気がするが今やすっかり自己コントロールを失ってひどい体たらくだ。
「独裁体制か民主主義体制か」が今日的課題なのではないではないということだ。ポイントはそこじゃない。
今日的に重要なポイントはそれぞれにダメな国々がいかに協力して虐殺や抑圧の「悲惨」を避け得るかということ、でもそのための枠組みが死んでいるということだと思うのだが詳論は他日。
「平和な国での平和運動」に、膾吹きカルチャーに現実主義的なふんいきをまとわせる箔付けにはシャープ本は格好のモノだろう。
なんかずっと何かに似てると思ったら伊勢崎賢治だ。さも実務家の触れ込みで全然中身は伴わないという。
ところで「先生役」の清泉女子大名誉教授・中見真理という人を知らなかったがぜんぜんダメだった。完全に仕上がった人である。和田春樹とかの類。
「日本人は平和憲法を棚ぼたでいただいたので、外国のように自分の手で自由を勝ち取る発想がない」
「アメリカはそれであのー経済的な観点からもね、あーの軍事的な、あのー介入を抑えていきますよねこれからね当然ねそういう、そこへ、日本がのほほんと、その(失笑)軍事力を、増強してなんて出ていったら、ほぉーんとにバカみたいですよね」
「他者に決定を委ねる方が楽だと思う人が増えているのではないかっていう気がします。独裁的なリーダーの出現を防ぐことができるかは私たち一人一人の自覚にかかっているということです」
「他国に脅威を与えるような“専守防衛”になっていないかどうか。他国に不安を与えるならば必ず日本の不安となって跳ね返ってくるわけです」
↑
血みどろの「今」を生きてる人の肌感覚じゃない。伝統芸能の業界内でのんべんだらりとやってきて勝ち逃げ確定の人の鼻歌みたいな言論。
四足歩行のサルが二足歩行をすることによって、サルはヒトへと進化した。
歩行に使っていた前足は腕となり、物を作ったり運んだりするのに使われるようになったことが進化の要因なのは言うまでもないだろう。
しかしながら、代償としてヒトは歩行(走行)速度を失うことになってしまった。
最速の霊長類はパタスモンキーで、時速55kmで走ることができるのだ。
巨体で鈍重なイメージのあるマウンテンゴリラでも時速50kmあるのだ。
一方でヒトはそれに比べると遅く、ウサイン・ボルトでも瞬間最高時速は44.17kmでしかないのだ。
ヒトが走行する際に両腕は単にバランスを取るだけに動かしているのと比べて、他の霊長類は前足で地面を蹴って移動しているから当然と言えよう。
ヒトがすでに四足走行を試みていることは知っている。
以下の動画は四足走行の世界大会の様子であり、ギネス記録にも認定されたとのことである。
https://www.youtube.com/watch?v=epxVWHgtwlo
ヒトの新たな可能性への挑戦に敬意を表するが、私が望む四足走行とは少し違う。
動画の方法では、骨・関節・筋肉の負担が大きく、速度も二足走行に比べたら遅く、頭を下げているので視認性も悪いと、デメリットが多いからだ。
私が望むのは、二足歩行と同様に背筋を伸ばし、両腕を何らかの手段で延長して地面を蹴って(押して?)移動することである。
杖(トレッキングポール)を両手に持って登山を経験した人ならわかるが、杖を地面に押し付けると両足の負担を軽減できる。
これは上りや下りの坂道に限ったことではなく、平坦な道でも杖の恩恵はあるのだ。
杖で両足の負担を軽減させながら歩けることはもちろんだが、両足の負担をそのままにして杖で速く歩くことも可能だ。
一歩地面を蹴り出した直後に杖で地面を押し突けることで、歩幅が大きくなって速く歩けるのだ。
杖を使ったとて、両腕の役割はあくまでも両足の補助でしかないからだ。
アシストスーツや強化外骨格とも呼ばれていて、人間が着用することで筋力を増強するようにアクチュエーターが作動して、重量物運搬など人間の動作を強化することができるのだ。
このパワードスーツと杖を組み合わせることで、四足歩行が実現できるのではないか?
既存の杖やトレッキングポールを杖1.0として、四足歩行が可能となるような腕が延長されたパワードスーツを杖2.0と呼ぶことにする。
この杖2.0を利用しながら両足でも通常通り歩けば、歩行速度は2倍の時速8kmとなるのだ。
走行速度ももちろん2倍になり、50mを8秒台で走れる人ならばウサイン・ボルト超えの速度になるのだ。
ウサイン・ボルトが杖2.0を使えば瞬間最高時速は88kmになるだろう。
いや、さらに上も目指せるだろう。
人間は走行時に背筋(せすじ)をまっすぐに伸ばすだけで、腹筋も背筋(はいきん)も推進に全く使っていないのだ。
陸上動物で最速なのはチーター(時速120km)であり他にも猫科の動物は速く走れるが、猫科の動物がなぜ速く走れるのかと言うと腹筋や背筋を大きく伸び縮みさせることで推進力としているからだ。
杖2.0でも腹筋や背筋を走行時の推進力とするようにして、さらにその筋力をアクチュエーターで強化すれば時速100km越えも可能になるだろう。
高速道路を車やバイクと一緒に、杖2.0を装着した人間が走っているのだ。
烈海王(バキシリーズ)のように水上を走ることだって可能になるはずだ。
それにしても、アクチュエーターによる筋力増強もなくさらに人を一人背負って水上を走る烈海王は、漫画とはいえすごいものだ。
閑話休題。
走行速度の速さを追求することはさておいて、この杖2.0が登場したら自転車以上に便利な移動手段になることは想像に難くないだろう。
あくまでも杖だから電車やバスの中にも持ち込むことができるし、店の中でもオフィスの中でも利用できるのだ。
現在歩行機能が衰えた人は杖1.0か電動カートを使うかの二択だが、そこに新たに杖2.0という選択肢も出てくるのだ。
技術力が向上し大量生産をするようになったら、杖2.0は電動カートより廉価に提供されることだろう。
現在、杖1.0は老人や身体障害者やケガ人が使用する物というイメージが強い。
登山をする人で杖やトレッキングポールを持っている人でも、日常の歩行では使うことはないからだ。
しかし杖2.0が登場することで、杖はカッコいいアイテムへと変化するのだ。
杖2.0が登場するにあたって社会に軋轢が生じることも想像に難くない。
「杖2.0を装着している人は歩くのが速くてぶつかると危ない。よって規制すべきだ」
といった具合にだ。
しかしながら杖2.0は若い人だけでなく、老人たちにとっても役に立つ道具なのだ。
杖2.0の使用に免許を課そうとしても、老人たちが政治団体を通じて反発するだろう。
未来の世界でも老人は多数派を占めているので老人票は強いのだ。
杖2.0に対する世論を受けた国会審議の結果どうなるのだろうか。
おそらくだが、杖2.0に関しては何の規制もなく、代わりに自転車運転が免許制になることだろう。
「杖2.0はあくまでも歩行や走行を補助する物であり、歩行や走行の結果他者に危害を加えたとしてもそれはその人の責任であり、免許で規制をするのに適していない」
「アクチュエーターによる増力は制限があり、速さにもある程度の上限があるので、速度上限の無い自転車よりは安全だ」
「それよりも自転車を免許制にすべきではないか。ヘルメットの装着が義務化されてから何十年も経つのにいまだに着用しない人は大勢いるし、危険な運転も散見されるからだ」
といった具合にだ。
電動キックボードの国会審議の結果、電動キックボードにヘルメット着用は義務とならずに代わりになぜか自転車がやり玉に上げられて、自転車運転時のヘルメット着用が義務化されたことを思い出してほしい。
杖2.0の登場にあたっても、同様に自転車がやり玉に上げられることは想像に難くないはずだ。
こうした杖2.0が登場する未来を近づけるためにはどうすればいいのだろうか。
杖2.0が現在のところ存在しない以上、杖1.0を使って街を歩き杖の優位性を世に知らしめることだろう。
しかし、約30歳かつ健常者の私が両手にトレッキングポールを持って大股で歩くというのも変質者じみている。
歩行速度のわずかな向上と引き換えに、行き交う人の信頼を大きく損なうことになってしまう。
変質者となるだけならいいが、人込みの多い駅やショッピングモールだと杖1.0は邪魔になりそうで、周囲の人にも迷惑をかけることになるからダメだ。。
それに両手で杖を持つと荷物が持てなくなるのもよくない。
杖2.0なら必要に応じて腕を縮めたり折りたたんだりするから邪魔にならないし、荷物を引っかけるフックがあって便利となるはずなのだが。(願望)
杖1.0が使えるのは公園くらいだろうか。
しかしながら、公園で杖1.0を使っても歩行のリハビリにしか見えない。
杖1.0を利用することはさておいて、ひとまずはこの文章を公開して杖2.0の理念を広げることとしよう。
ああ、杖2.0よ。
四足歩行の夢はまだ遠いなあ。
いっそのこと杖を持たずに、上記の動画の様に手袋を付けて街を四足歩行してみようか。
いや、それこそ変質者だ。
性犯罪は男全員の責任だ! みたいなことを言う人がいるが、顔も名前も存在すらも知らない他人のした性犯罪の責任を引き受けるべきだというなら、一つの町を「セカンドレイプの町」とまで罵って積極的に誹謗中傷した人は、自分の行為の責任をきっちり引き受けるべきだが、現実はそうなっていない。
はああああああああああ、つら。
信頼できそうと思いギブギブしてた状態から、後足で砂かけられた心境。
いやわかってる、先方のジャンルが好きそうと感じていた。同じ土俵なら先方のジャンルを選ぶだろうと。それに、俺自身も、先方に集まって欲しいと願ってたから安心はしてる。
しかも、明らかに相手が悪い状況で、コミュニティがギスギスしそうな状況で、全く気にしてないような大人な対応ができたさ。他の人と積み重ねてきた信頼のおかげでもある。
だけどなああああああああ。
ため息が出るほど悲しい気持ち。
いや良いんだ。誰にでも失敗はある。
それでも、ひたすら腹の底からため息が出る悲しさはなんだ、辛さが込み上げてくる。
コミュニティの連絡網ではなく、個別連絡で謝罪が来ると解決できたか?
うん、完全解決までは至らずとも、配慮を感じて感情は和らいだ。マイナスが0になるだけでも大進歩だ。
しかし、配慮もスキルだから相手が必ずしも持ってるとは限らない。
失敗は誰にでもあるのだから。
怒りについては俺の中に全く感じない、なぜか感じない。
週末を楽しもう。
相手への誹謗中傷を胸の内から湧き出る観測もあるが、無益なことだ。
悪いと思ってるなら、せめて何かの行動で失敗に対する誠意を見せてくれることを望みたい。
しかし、知人だろうが友達だろうが、失敗した行動に対して誠意ある行動することを俺は大事にしている。
これは俺が中核にしている価値観なのかもな。
しかし、その選択はガチャに等しい行動で、何かが損なわれる気がするため避けたい。
人は成長する生き物、失敗しても学び、人間的に深みを帯びていくものと信じているから。
自他問わず失敗を受け入れること。これが俺の人生で大事にしたいことなのかも。
もちろん、相手に挽回の誠意がないなら離れていくだけではあるけど。
しかし、この生き方を貫くのも辛い気がする。今回みたいに自分が失敗の余波を受けた時、ストレスが過重にかかる。
相手が悪い!と感情をぶつけられると楽なんだが、俺にはそれができない。
これは俺の今後の反省点だ。
フィードバックなしに相手が変わり誠意ある行動を期待するのは、相手の成長と自分の生き方に対して無責任と感じた。
それでチャラだ。
多分、世界の中華街(チャイナタウンって言った方がいいのか?)として見ても割とでかい方なんじゃないか?
つーか首都圏でも人口の多い都市である横浜の中華街だからあの規模で成り立つのであって、神戸はともかく長崎で同じ規模の中華街作るのはどう考えても無理だろ。
じゃあねっていったやつの横ってこと?
「20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。
1999年に埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者のルポルタージュ。事件が事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミは面白おかしく報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫版あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。
「人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマのビジネス書”と紹介されているが、バリバリのビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。
世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間。中島が嫌いなのは「常に感謝の気持ちをわすれない人」や「自分の仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観を根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。
はいきました、直木賞作品。小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章とオチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後は破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。
めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系!マジで想像以上に理系。文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人と出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーションを解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学、科学技術系の新書シリーズの中の一冊。
光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西の古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやすく出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃えて駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないから詐欺します、どうやら彼女が浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったから人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。
小学生の頃図書館で読んで不思議な気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブ猫ヒデヨシとその友達のテンプラやパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後のコマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)。別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。
無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会の本屋で、片田舎の図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人から聞いたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自の理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論が社会にピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。
「7つの習慣」「チーズはどこへ消えた(「金持ち父さん貧乏父さん」でも可)」
「not for me」とは思いつつも自分の好きな作品が共有できる可能性が少しでもあるなら、って気持ちは分かりますがね。
このケースにおける「not for me」の構造を考えると、「〇〇巻から面白くなるから」って言ったって効果的じゃありません。
ひとつめの理由として「その人にとって、そこまで読み進めるための導線が足りない」。
この「導線」には作品の内容そのものか、作家への信頼感いずれかが必要です。
例えば『ワンピース』とかグランドラインまでは我慢して読んでください~なんて文言がありますがね。
じゃあ、そこまでは面白くないのか、先を読み進めたいと思える要素がないのかっていうと、そんなことないでしょ。
瞬間最大風速が“そこ”ではないってだけで、序盤から“風”は吹いているわけです。
その“風”を感じる人が多かったからこそ、かのジャンプで打ち切られることもなく看板作品となったのでしょう。
しかし“風”を感じられなかった人に対して「風は吹く」と言ったところで仕方ありません。
ましてや天気予報士でもない人間がそんなこと言っても信用されないでしょう。
つまり、その人にとって「1巻:面白くない、2巻:面白くない、3巻:面白くない……」となってる時点でダメなんです。
では、ここでいう天気予報への信頼感とは、なんでしょうか。
それは作家への信頼感です。
前作の実績によってファンが多い状態だったりすれば、読み進められる可能性は上がります。
「あの漫画の作者なんだから、ここから面白くなってくるはず」という信頼感です。
でも、そういう人は「〇〇巻から面白くなるから」と他人に言われるまでなく購読していますよね。
もう一つの可能性としては、雑誌などで連載をまとめて読まれる場合があります。
「目当ての作品は他にあるが雑誌ごと買ったんだし、せっかくだから読み続けよう」って人の割合は増えるでしょうね。
フルコース料理で一品や二品イマイチなのがあっても、最後のデザートまで食べ進めるように。
でも単品料理に都度決済するならば、一口めが美味しいと感じないのに「二口めは美味しいかもしれない」と思ったりはしません、次の料理を注文する気も失せるでしょう。
ふたつめの理由は「実際に〇〇巻から面白くなる保証がないのに、読むための+αが必要」なことです。
つまり時間的なコスト、金銭的なコスト、読むためのエネルギーもろもろが必要になるわけです。
その人にとっては“これから面白くなるかもしれない”という段階のものに対して、です。
つまり賭けなんですよ、とても分の悪い。
賭けても負ける可能性が高い、勝っても元をとれるか怪しい。
そもそも「勝つか負けるか」とか「元をとれるかどうか」で見ないといけない時点で、その人にとっては不健全な賭け事です。
そんな博打をするくらいなら一巻から面白い、無料試し読みの時点で面白いと思った漫画を優先して読んだ方が健全ですよね。
あと「〇〇巻から面白くなるから」というのは、逆にいえば「〇〇巻までは面白くない」って言ってるようなもんです。
一巻から面白い作品があるんだから、それは無視できない欠点でしょう。
それをオススメする側が暗に認めつつ、忍耐を要求されても困りますよ。
本当に面白いと思ってオススメしたいなら、あるいはその作品を擁護したいのなら、
1から10まで面白くなるように思える導線作り、それを可視化できるような視点アプローチ。