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はてなキーワード: 適応障害とは

2021-12-09

俺が適応障害でしんどかった時も自分のことばっかり考えてわがまま言いまくって散々苦しめてきたくせに、いざ自分が同じ目にあったらあてにしてきやがって。なんなん?人のことを考えられないクソアマ死ねよ。会社から言われた通り休めばいいだけなのにピーチクパーチク騒いでんじゃねえよ。うぜえな。いちいち騒ぐなや。もうほんと死ねよ。

2021-11-28

こうして私は大学院で失敗し中退しました。

私は大学院で失敗しました。

挫折は?」と聞かれたら私は間違いなく大学院での経験を取り上げると思う。

ほぼ書き殴り。

私は元々興味で突っ走るような人間だった。

学部シラバスを見て「これ面白そう!」なだけで取る講義を決めるような人間だった。

大学院についても「ここの研究面白そう!」で決めて院試特に苦労することな合格、迷わず入学した。

だが、それがいけなかった。大学院経験者ならこの時点で察すると思う。

ブラック研究室でした。表向きが綺麗なだけで実情は教員人格破綻していました。

研究報告で成果が出ない/少なければ特にM2教員から恫喝される研究室でした。

それ以外にも男性にはパワハラ女性にはセクハラ日常茶飯事。

その結果、2年間で先輩、同期、後輩が片手で収まらない人数消えました。

修士1年生の時は講義受けて単位取って練習実験特に問題無かった。

修士2年生ではコロナの影響で研究室が4月から6月まで閉鎖、7月に私は就職活動が終了し、2021年3月には修了できる筈だった。

しかし元々実験が下手くそ、そして研究も思ったように全然進んでいなかった私。

9月から「お前は卒業できない」「留年だ」と教員から圧がかかり始める。「馬鹿だ」「間抜けだ」「お前は椅子に座ってぼーっとして何もしていない」等の人格否定も入り始める。

1時間個室でボロカスに言われまくる。これを3回ぐらい。

もっと早く周りに助けを求めれば良かったかな、10月に完全に不登校になりました。

朝起きられなくなり目が覚めても直ぐに身体を動かせなくなりました。3時間は布団から動けない。

自宅から大学まで1.5時間かかりますが通学に耐えられなくなりました。電車自体乗るのが辛い。

両親は共に働いており帰ってくるのは夕方。怪しまれないように帰ってくる前に何とか布団から起き上がって近所の本屋ネットカフェなど、何とかして時間を潰す。

もう自分が情けなくて仕方なかった。

11月教授から電話がかかってくる。親に不登校状態が伝わる。

今の状態研究室に行くのがもう辛いと伝える。親の反応「そんなの逃げだ甘えだ、ちゃんと行け」

・・・・・

その電話後、大学の学医に今の状態を伝えた。不登校状態のこと、電車も厳しいこと。「さっさと病院行け、多分診断書出る」

心療内科受診。親が自宅から病院に対し受診を止めさせるよう妨害もしてきたが今の状態を話す。適応障害の診断がおりた。休学を勧められる。

さっさと休学届と診断書を出して休むべきなのだが、休学届には親及び教員の捺印が必要である

だが先述のように親が元々「精神疾患は逃げ甘え」論者+研究室の教員も信用出来ない状態であり、親については休学推奨だと言われた皆を話したが最終的に理解が得られなかった。

そして12月になった。研究室に行けない状態が続き教授からの連絡で留年が確定した。

自分も、両親も、大学も、研究室も、内定企業も誰1人として望んでいない留年である。全員揃ってLose-Lose。

休学か退学か、の二択が言われた。留年してもう一年出来るとは思ってないのであろう。勿論当の自分修論を書けるビジョンはもう無かった。

そして私は、大学院中退した。

内定は取り消された。勿論内定企業には何ら罪は無いので、後日誠心誠意謝罪を行った。

また後で分かった話だが、研究室側については前々から退学者が相次いでおり、今回の一件が決め手で獲得した科研費をある程度大学没収されたらしい。

そしてただの既卒が完成したとさ。おしまい

最後一言


ブラック研究室なんて潰れろ

2021-11-14

適応障害と診断されてからの記録 まとめ

適応障害と診断され、回復するまでに取った行動や参考になった本、動画などを紹介していく。

周囲との接し方なども書いていくので、自分自身が今病気で悩んでいる人、身近な人が病気になってしまった場合の参考になると嬉しい。

あくま個人体験感想であり、全ての人に効果保証するものではない。

これまでの過程

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

適応障害と診断されてからの記録⑤

症状について

  • 睡眠障害
  • 朝起きられない
    • 正確には、目は覚めているのだが起き上がることができない。
    • 体がずっしり重い感じがあり、ただひたすら仕事したくないという気持ちがうずまく。
    • 腹痛を伴うこともある。
  • 胃痛
    • 朝起きられないの項でも書いたが胃がキリキリと痛む。仕事を始める前、会議中などキリキリ痛んで押さえながらなんとか働いていることが多々あった。
  • 胸のざわつき
    • なんでもない時に胸のあたりがざわざわして落ち着かないことがよくあり、すごく不安気持ちになった。
  • 涙が出る
    • 何もないのに不意に涙が出る、些細なことで異常に動揺してしまい泣いてしまう。
    • 自分場合は泣きながら仕事をしていた。在宅勤務なので、突然わーっと泣き叫び暴れることもあった。
  • 暴力的になる
    • 泣きながら壁を殴ったり、唐突に暴れたくなる衝動に駆られる。
    • 夜寝る前に感情が抑えられなくなり、叫びながらベッドの横の壁を何度も殴った。
  • 仕事が捗らない
  • 自分を責める気持ちが強くなる
    • 自分場合は食欲は普通にあったのだが、いざ食事をとろうとすると「自分のようなこの世に何も生み出していない人間食事なんか取って許されるのだろうか」という気持ちになった。
    • あとは、職場上司に注意をされたりすると「自分のことをダメ人間だと思っているんだ」と過剰に反応したり、同僚たちに対しても「優しくしてくれているけど内心では『無能早く辞めろ』って思っているんだ」と根拠のない被害妄想自分をどんどん追い詰めていった。
  • 今まで楽しんでいたことが楽しめない
    • 美味しいものを食べて美味しいなあと思ったり、週末どこに行こうとか仕事が終わったら何しようとかを一切考えられなくなった。
    • 仕事が終わるとすぐに横になり、次の日働くために眠った。週末も出かける気力がなく、気づけば昼までベッドの上にいて、夕方ごろにようやく起き上がることができるという状態だった。
    • 適応障害と診断される前に、楽しみにしていた舞台を友人と観にいったが、全く心が動かなかった。(友人はいたく感動していた)
  • 部屋が荒れる
  • 希死念慮

療養中にやったこ

療養中にしないほうがよかったこ

とにかく無理をすること、やりたくないことをやることは徹底的に避けて、療養に専念するのが良いと思う。

役に立った本、動画など

【本】
映画
YouTubeブログ

周りの人へ

身近な人が適応障害になってしまった時の言動についてまとめる。

避けてほしいこと
  • 過剰に反応する
  • 「病は気から」という
  • 休職を休暇ととらえる
    • 「休めていいな〜俺も休みたいよ」「どっか旅行でもいくの?」「毎日暇じゃない?何してるの?」という質問をよくされるが、何かをする気力がないから「療養」をしているのであり、心身ともに健康で元気に働けるほうが良いに決まっている。サボりではないか自分自身が一番気にしているので、休暇扱いはやめてほしい。
  • こまめに連絡する
    • 心配してもらえるのはありがたいが、返信をするだけでも結構疲弊する。レスポンスが遅くても気長に待っていてほしい。
してくれると嬉しいこと

じゃあどうすればいいんだと思われると思うので、自分がしてもらって嬉しかたことをまとめる。

  • 必ずよくなるよ、大丈夫だよ
  • いつも通りに接する
    • 過剰に反応したり、気を使いすぎず、いつも通りに接してほしい。
    • 体力的に弱っている部分もあるので、早く帰ったりいつも通りのペースで行動できないことは理解してくれると嬉しい。

長々書いてしまったが以上。

あくま個人経験に基づくものなので、全ての人に当てはまるものではないと思うが、誰かの参考になると嬉しい。

2021-11-06

適応障害と診断されてからの記録⑤

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

〜4ヶ月

退職手続き入社手続きで忙しくなってきた。とはいえ働いていないので、郵送されてきた書類をコツコツと片付けるだけで良かった。休職当初は仕事関係文書なんて全く読めなかったので、よくここまで回復したものだ。

この時点でも眠れない日は時々あったが、日中はだいぶ元気になって、少しは新しい仕事に備えて勉強しようという意欲が湧いてきていた。歩きながら「しにたい」と呟くことも無くなっていた。

退職手続き最後にどうしても1回だけ出社する必要があり、緊張しながら会社に向かった。会社パニック発作でも起こすのではないかと思ったが大丈夫だった。出社

していた人何人かに挨拶をして、オフィスを後にした。感慨深さは特になく、とにかくさっさと去りたかった。10年超勤めてもこんなものかという寂しさはあった。

退職手続き入社手続きも一通り終わり、最後の休暇期間はのんびりと過ごした。だんだん眠れるようにもなってきて、電車で遠出もできた。相変わらず働きたくなかったが、日曜日の夜に「明日会社行きたくない〜」とごねる程度の気持ちになっていた。

〜5ヶ月

ついに新しい職場での業務スタートした。完全に在宅で、最初の一週間はオンラインオリエンテーションのため休憩が長く、定時で上がれるのが良かった。それでもめちゃくちゃ疲れるので、休憩の時はベッドに横になり、夜もぐったりしていた。無理するなと医者に言われていたので、業務時間外に勉強するようなことはしなかった。週5働いてるとか多すぎる、みんなえらすぎる。


週末は疲れを取り戻すように寝ていたが、気持ちの落ち込みはほぼなかった。入社して三週間くらい経ってようやく、体力が戻ってきたような感じがあった。その頃、医者にも通院も服薬もも不要だと診断された。ほんの数ヶ月前は号泣しながら話をしていたのに、あっさりと治療完了したので拍子抜けした。

通院をやめた後もたまに不安になる時があったので2回ほど頓服薬を飲んだが、それ以降は全く大丈夫になった。


〜6ヶ月

気持ちも体力ももうほぼ元通りで、人と会っても冗談が言えて笑えるようになった。食欲も睡眠も元どおりで、朝までぐっすり眠れている。病気だった頃の様子を知っている友人に会った時「顔色が良くなった。あの頃は目が死んでた」と言われるほどだった。

心の病気が完全に治るには病気だった期間の倍かかるという。自分場合いつからいつまでが病気だったのか定義けが難しいが、症状が酷かったのが2ヶ月くらいだったので、概ね合っているのだろう。

もう自分は元通りにはなれないかもしれないと絶望して毎日泣いていたが、ちゃんと元気になって、働けているので絶望する必要はないと思う。とにかく無理をして自分を追い詰めてしまうのが良くない。これから先も20年30年働くのだから、そのうちの数ヶ月休んだってしたことはない(と思えるようになった)。

今でも一番辛かった時のこと、当時の上司に言われた言葉などを思い出して不安になったり悲しくなったりする時があるので、自分の闘病生活区切りをつけるためにまとめておきたかった。次の記事で闘病中に読んだ本や参考にしたウェブサイトなどをまとめて終わりにしようと思う。読んでいる人もほとんどいないと思うが、今悩んでいる誰かの役に立つと嬉しい。

つづく →適応障害と診断されてからの記録 まとめ

2021-11-02

狂言自殺をすることにした

高校適応障害起こして何とか卒業したけど二浪してる

高校同級生SNSで楽しそうにしてる

このまま行けば志望校には合格しそうだから受験に集中するのも兼ねて今までの交友関係全部切って、大学から新しい環境人生スタートさせたい

どうにかして家族迷惑かけずに友人間死亡説勝手に流れたりしないかなと思っている

もしかして受験勉強で疲れて寂しいだけなのかな

狂言自殺をすることにした

高校適応障害起こして何とか卒業したけど二浪してる

高校同級生SNSで楽しそうにしてる

このまま行けば志望校には合格しそうだから受験に集中するのも兼ねて今までの交友関係全部切って、大学から新しい環境人生スタートさせたい

どうにかして家族迷惑かけずに友人間死亡説勝手に流れたりしないかなと思っている

もしかして受験勉強で疲れて寂しいだけなのかな

2021-10-31

適応障害と診断されてからの記録④

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

休職開始〜1ヶ月

気持ちの浮き沈みのある日々が続いている。

今日はすごく元気だなぁ、もう薬もいらないかもなぁと思って活動的にしていると次の日疲れて起き上がれなくなる。朝起きた時に「あぁ、今日はだめな日だな」というのがわかるようになってきてそんな日は無理して起き上がることはせずそのままベッドで横になっている。もう二度と起き上がれないんじゃないか不安が襲ってきてシクシクと泣くこともあった。

かと思いきや朝シャッキリ目が覚め、部屋の掃除ストレッチを済ませて散歩へ出かけ、家に帰ってもまだお昼前だということに気づき無職最高ーーーー!」とバンザイするような日もあった。

ただ、そんな時でも外を歩いていると5秒に1回は「しにたい、生きるの辛い」と頭の中で呟きながら歩いていた。橋の上など高いところに立っているとスーッと吸い寄せられるような感覚があった。電車も怖くてしばらく乗っていなかった。

よせばいいのに会社メールを見て、自分が残した仕事を後輩がつつがなく完了させているのを見て落ち込み、自分なんてやっぱりいないほうがよかったんだとまたシクシク泣いた。この頃には声をあげて泣き叫ぶことは無くなっていたが、暴力的衝動は突発的に現れて、壁を殴ったり、カフェで窓際の席に座っていた時に、目の前のガラスを叩き割りたい衝動に駆られた(流石に行動に移してはない)。

小説ドラマなどは見れるようになったが、ニュースバラエティなど喋っている声がキンキン響くものは相変わらず見れなかった。YouTubeでは焚き火映像などを見ていた。勉強を頑張っている社会人vlogが好きで、いつもそれを見てモチベーションを上げていたのだが、病気になってからは見ると動悸、頭痛がして視聴することができなかった。この人たちはこんなに頑張っているのに自分は…という罪悪感で心がやられてしまったのだと思う。

本屋に行ってうつ関連の本を立ち読みしたりした。以前は本屋時間を潰すのが好きで、自分仕事関連の専門書のコーナーに行きワクワクしながら本を物色していたのだが、この頃はそのコーナーに近づくと頭痛と動悸がし、涙が出そうになっていた。

適応障害についての本を買って読んだが、頭がぼんやりして内容が入ってこなかった。

全然眠れないと思ったらものすごい眠気に襲われる日もあり、風呂も入らずに眠る日も度々あった。

活動できるときはとにかく歩いていた。2駅隣のTSUTAYAまで歩いて漫画を30冊借りて、また歩いて帰るというようなことをしていた。

病院では「元気な時とダメな時がある」と伝えると、「そうやって波を繰り返して徐々に良くなっていきますからね。元気な時に無理しすぎないようにね」と言われた。なんかそのくらいなら自分でも言えそうだな、などと思った。特にカウンセリングなどをされるでもなく、5分くらいの診察の後処方箋をもらって帰るという繰り返しだった。

〜2ヶ月

この頃、友人の結婚式があり久しぶりに大人数のいる場に出かけていった。電車に乗ることもできてほっとした。

長い間会っていなかった友人たちばかりだが、お互いの近況を話したりするのは楽しかった。自分病気のことも話したが、全く平気そうに振る舞った。友人の目にどのように映ったかはわからないがみんな気遣ってくれた。

久しぶりに会えて楽しかったが、やはりひどく疲れてしまい家に帰ってすぐに寝た。翌日も疲れは残っていた。コロナのおかげで二次会とかもなくサクッと終わったのでまだ良かった。

薬の服用量も減った。2種類の薬を服薬していたが、1つは不安になった時だけ飲めばいいとなった。

この頃から少しずつ自炊もするようになり、なかやまきんに君YouTubeで紹介されていた野菜スープなんかを元気な時に作り置きしていた。ただ野菜を切って煮るだけだが、キッチンはぐちゃぐちゃになり、効率的な動きもできなかった。料理ものすごく難しい作業なのだと知った。

転職活動を始めた。休職した瞬間から、もう前の職場には戻らないと決めていたので、とりあえず職務経歴書履歴書を準備し始めた。ただ、そのテンプレートを埋めるのも一苦労で、リモートワークに使っていた机に座るだけで具合が悪くなった。仕事関連の本を見えないところにしまい、机の位置を変えた。できるだけカフェなどの外で作業するようにした。1日に30分~1時間ほどしか作業することができず職務経歴書を完成させるのに二週間ほどかかった。

転職サイトに登録するとありがたいことに色々な会社エージェントから声がかかり、面接の予定がどんどん埋まっていった。

転職活動オンラインでできるので助かった。ただ、1日にいくつもやると流石に疲れるので、午前中に1件やるのみとしていた。転職選考スピード感についていけず、働いている体で「現職の都合が…」とスケジュールをできるだけ引き延ばした。

今思うと、こんなに早く転職活動する必要はなかったが、当時はとにかく不安で、焦りがどうしてもあり、早めに始めてしまっていた。傷病手当金がもらえるギリギリまでのんびり休んでいれば良かったと思う。

仕事を始めた時に備え、資格勉強などを始めた。面接のない日はカフェ参考書を開いて勉強していたが、この頃勉強したことは全く頭に残っていないのでやる必要はないと思う。それよりもゆっくり休んだほうがいい。

この頃は寝られない日が2日続き、翌日はぐっすり眠れるというようなサイクルになっていた。昼寝は相変わらずしていた。

人の多い店などにも行けるようになり、ジムに行くこともできて、回復しているのを感じた。

寝られない日は日中筋トレやHIITトレーニングをして体を疲れさせるようにした。

だんだん見られるものも増えてきて、アドラー心理学の本なども読んでみた。あとはスマホゲームなんかも始めてみた。久しぶりにやるとめちゃくちゃ面白くて、没頭できた。ゲームをしている間は他のことを考えずに済むのが良かった。

〜3ヶ月

ついに内定をもらい、入社条件の交渉になった。正直こんなに早く決まると思っていなかったので、もっと休みたい気持ちがあり、現職の都合で~とか、まだ他社の選考が~とか色々言って提示された入社から1ヶ月延ばそうとしたが受け入れてもらえず、やむなく病気のことを話した。内定取り消しになってもしょうがないと思ったが、意外にもそうはならず(法律上のしばりとかもあるのだろうが)、提示した条件で入社するかを決めて欲しいと言ってもらえた。

とにかく前職を直ちに辞めたかったので、体力的に不安ではあったが(あと、もう少し無職フラフラしていたかった)内定を受けることにした。

病気がひどかったときは早く働かなくてはと焦っていたので、働きたくない、無職でいたいという欲求が出てくるのはむしろ健康になったのかもなぁなどと考えていた。

次の職が決まったので上司退職の連絡をした。先日休職延長の連絡をしたばかりなので少し気まずかったが特に何を言われるでもなく、たった9分の電話退職連絡が完了してしまった。

その後、各種手続き書類が自宅に郵送され、粛々と退職手続きが進められていった。

頭痛睡眠障害もまだ治っていなかったが、医者内定をもらったことを告げると「良かったですね、まあ新しい職場でも無理しすぎないようにね。最初は頑張っちゃいますからね」と言われただけで、復帰なんてまず無理、とは言ってくれなかった。

働きたくない働きたくないとひたすらごねていたが、自分でもわかるくらいに体調は回復していた。朝起きてジョギングをしたりもできるようになっていた。昼寝もしなくても大丈夫な日も増えてきていた。

つづく→適応障害と診断されてからの記録⑤

anond:20211030233115

自分女子高の多い沿線通勤してるサラリーマンだけど、

JK達がきゃーきゃー話してるとなんとなく落ち着かない気持ちはわかる。

ただそれが度を越してしんどいとなると、聴覚過敏と書いてる通り、

そこから派生したパニック障害に近いものなのかもしれない。

一般的に許せるレベルが極度につらいのは、生まれ持った器質的問題じゃないかと思う)

もちろんその症状を医者に話せば「パニック障害」「適応障害」みたいな

診断が下されるんじゃないかと思うし、専門家が良くできる所もあるんだろうとは思うけど、

とにかく自分を責めず(たまたまそういう風に生まれた、犬に噛まれたようなもの)、

症状をマシにする手段が見つかればと思います

何の助けにもなりませんが、同じような理不尽な持病を持つ者として。

2021-10-26

こち適応障害の者。具合悪いときは悪いなりにも、家事をしたり、のんびりしたり、自分のペースで生活するようにしてなんとか生きてる。もちろん本格的なうつ病の者よりは軽症なので余裕はあるのだが。

けど嫁がいまいち理解してくれない。すべてを説明しろという。なにか普段と違うことをするとき説明してほしいと。正直意味がわからない。とりあえずゆっくりさせてくれればいいんだが、嫁としてはそれができないらしい。

俺が自分のペースで過ごし始めると、「構ってくれないの寂しくなった」とか「関わり方が変わったよね」とか言ってくる。そしてメンヘラムーブかましてふてくされ始める。俺はそんなのに構っているほど余裕は無いのだが。言いたくはないけど、そういうムーブストレス要因になって俺の体調を悪くしているということが想像できないのだろうか?

とにかく俺のペースでゆっくりさせてほしい。正直自分の元気もないのにいきなり帰宅してクソデカため息履かれて会社愚痴を吐かれてもすごいうざいだけ。知らんがなって思う。正直邪魔

こうして自分ストレスを吐き出すためにせめて増田に書き捨てていこうとすると、むしろストレスが溜まってきた。死にそう。早く適応障害を直して元気に働きたい。こんなところで自分キャリアを止めておくわけにはいかないのに。

何度も「俺はこういう症状で、こういう場合があるから、こうしてもらえると嬉しい」っていう説明をしているのに、いっこうにそうしてくれない。結局自分のことしか考えられない人間から、まず自分、次に相手で後手になるんだろうね。

やめてほしい正直。嫁が家にいるのがストレス。マジ無理。

実家に帰ってる間は元気。ストレスから開放されるから実家に帰るのが特効薬だっていうのは嫁も理解はしてるようだから、「またいつでも実家に帰っていいからね」ともっともらしいことをいう。けどそのくせ、俺が実家に帰ってる間に自分に嫌なことがあるとLINEグダグダ言ってくる。知らんがな。こっちは療養しにきてるんだから、そんな負の感情を当てられても困るんだが。こないだなんて「自転車が壊れてる!!!!どうしよう!!!新しく買う!!?!?!?!」みたいに明らかにイライラした雰囲気LINEしてきた。多分タイヤパンクしてて買い物行けなくてブチギレたんだろうな。死ね。そのテンションで俺にLINEしてきたんだろうな。けどどうだ?自転車なんて別に高い買い物でも無いんだから勝手に買えばいいとは思わないか?高くても2~3万円だぞ。高くてもね。それに嫁は車の運転できないんだから自転車がないと困るのは必然、なら自分で考えて好きなの買ってくればいいじゃんと思う。俺の許可とか相談必要自転車の一台も自分で買おうとしないとか意味不明ではないか?ほんと脳みそ空っぽ。ブチギレてイライラしたら、それを隠してるふうでLINEしてくるの辞めてくれないかな。わかるから、そういうの。

もう全部精算してなしにして実家に帰りたい。ホント無理。

俺が元気な頃は、俺が家事炊事など全部やることで、つまり嫁に何もさせないことで嫁にストレスを溜めさせず結果として自分が楽になるという方法をとってきた。狂ってきたのはそれができなくなってからだな。

まず嫁は生活力がない。家事炊事も下手くそだし、あまつさえそれを指摘するとふてくされる。そしてほっておくとまともなご飯も作れない。味のしないカレーをつい最近作られたときはほんと自分コロナ罹患を疑った。味のないカレーってむしろどうやったら作れるんだ。そして前述の通り、「このカレー味がないね、こうするといいと思うよ」っていうと「でもちゃんと作ったのに」とか言ってふてくされる。死ねよ。

まぁこれでもだいぶマシになったんだけどね。当初は「皿の裏を洗わない」とか「洗濯物を洗面所の床に放置する」とかザラだったから。

基本的相手を考えて動くことができない人間。思いやりとか気遣いが一切足りない。すべてが自分が楽にできる状態でお膳立てされてないとふてくされる。私がんばってるんだからしか言わない。

ほんと死んでほしい。それが無理なら俺に構わないでほしい。まじで。お願い。

今は自分の部屋(リモートワークのために設えた作業部屋)にこもってるから大丈夫だけど、多分この部屋にずっとこもってるとまたメンヘラムーブかましてくるんだろうな。いや、状況から想像して理解しろよ。めんどくせぇ

死んだら同じ墓には入りたくないなぁ。俺は俺の実家の墓に入れてほしい。

2021-10-10

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

休職開始〜一週間

仕事休みだができるだけいつも通りの時間に起きて生活するように努めた。会社外で連絡を取っていた友人や関係者メンタル的な理由会社休職したことを連絡した。心配するメッセージを色々ともらったが、中には「休みいいね旅行とか行くの?」とか、「休んでる間に何かするの?」というようなことを言われて「いや、休養するんで…」とへらへらと答えた。人と接する時はなるだけ元気に、なんでもないように振る舞っているから「休職しちゃった〜てへ☆」というノリで話すので、「全然大丈夫そうじゃん」という反応をされることもしばしばあった。

自分自身、これはサボりではないか、ほら、今元気にできているし、という気持ちがあった。ただ、そのように人と会った後はひどく疲れて、言われたことを頭の中で反芻し、暗い気持ち自分を責めるような気持ちになった。

できるだけ外に出たほうがいいと思っていたので、休職してすぐに近しい友人と会って飲みに行った。(まだアルコール提供されている時期だった。自分は薬を服用しているためノンアルコールだったが)病気の話をしたり、全然関係ない話をしたりして楽しく過ごしていたが、だんだん自分が何を話しているのかわからなくなってきて、頑張って冗談を言おうとするが何もいい話題が思い浮かばなくなった。途中トイレに行った時に鏡を見ると、目がげっそりとくぼんで、あまりにも顔色の悪い自分が映っていた。冗談を言いながら笑っているつもりだったが、実は全く笑えていなかったらしい。

休職をして日中どのように過ごしたかというと、まずは部屋の掃除をし、近所に出かけていった。

時間に縛られずにする散歩不思議気持ちだった。近所の歩道には花壇がきれいに整えられていて、様々な種類の花が植えられていることに気づいた。それなりの期間ここで暮らしていたのに全く気にしたことがなかった。近所を散歩しているだけなのに、知らない店があったり、以前あった店が新しくなったりしていて、何も見ずに生活していたんだと思った。公園のベンチに座ってぼーっとしていると30分や1時間はすぐに過ぎた。以前はそんな風にスマホも本も持たずにただぼーっとすることができなかった。空がきれいだなあと思ったり、犬の散歩ジョギングをしている人をみていろんな人がいるんだなあ、この中にももしかしたら同じように病気で苦しんでいる人もいたりするのかもなあなどと考えた。

積読していた本が大量にあるのでその中から適当に一冊選んで、出かけられる時はカフェに行って読書をした。ただ、自己啓発系の本(意識高い系なのでいっぱい持っている)を読むと頭痛と動悸がして読み進めることができなかったので、小説漫画を読むのに切り替えた。日常エッセイマンガを読み、思わずふふっと笑った時に、めちゃくちゃ久しぶりに笑った気がして、なんでこんな面白いものがあるのに、無理して、我慢して見ないようにしていたんだろうと思った。

映画館映画を観に行ったりもしたが2時間耐えることができずに映画を観ながら寝てしまった。

基本的には外に出かけても16時〜17時くらいには帰宅して、照明を暗くして部屋でゆっくり過ごした。蛍光灯の明るい光や、スマホは刺激が強すぎるのであまり見なくなった。大丈夫な時はNetflixとかでドラマ映画を観ていた。ちょうどエヴァンゲリオン映画が公開された時期だったので、今まで一度も見たことがなかったがシリーズを全部見ることにした。

日記を書き始めた。初日日記ノート2ページ分にわたりネガティブなことが書き連ねられていて、当時の自分いか絶望していたかということを思い出させる。

「やりたいことや目標があったのに、もうダメなのかもしれない。」と書いてあり、思った以上にメンタル壊して休職という事実に参っていたようだ。

あとは相変わらずTwitterはてななどで「適応障害」を検索しては自分と同じ境遇の人を探していた。どのくらいで復帰したのだろうかということをずっと調べていた。書かれていることに共感したり、通院が長引いてる人や休職を繰り返す人の話を読んで不安になったりしていた。

2回目の診察

一週間後、再診のためまた病院に。

「どうですか、休めましたか?」

はい、すぐに休職に入ることができました。」

「体調はどう?」

「まあ、いいような気がします。人に会ったりとかもしてみました」

「人に会ってんの?疲れるからまだあんまり会わないほうがいいですよ。とにかくのんびりしてくださいね

てっきり活動的にしたほうがいいのかと思っていたので人と会うなと言われて少し面食らった。どうしても、自分は軽症で、そんなに気を使うほどのものではないと思いたかった。食事は取れているかとか、睡眠はどうだ、薬は飲めているかなどを話して、10分ほどで診察は終わった。

もっと、何か特別カウンセリングとかをしてもらえるのかと思っていたのでこれで終わり?と拍子抜けした。(カウンセリングと診察は別ということをここで初めて知る)

休職して二週間が経ち、1ヶ月ではとても復帰できないということでさらに2ヶ月休養が必要診断書をもらう。

通院の日には毎回上司から状況伺いの連絡が来るのがきつかった。新たな診断書を提出して休職延長の手続きをしてもらった。

当時のツイートに「無理すれば働けないこともなさそう」と書いてあるが、今思い返してみるととても無理である泥酔した酔っ払いと一緒で、大丈夫じゃない時ほど人は大丈夫というものだ。

睡眠の話

うつ状態の時は睡眠問題が出ることが多いらしいが、眠れなくなる不眠だけではなく寝過ぎてしまう過眠なんかも症状の一つらしい。自分場合は寝付きは悪くないのだが、夜中2、3時間おきに目が覚める中途覚醒の症状が出ていた。休職する前からその傾向があったので、単に眠りが浅いタイプなんだと思っていたが、回復した今、朝まで一度も目覚めることなく眠れているのでやはり病気の症状の一つだったのだと思う。

あとは薬の副作用もあり、昼に異常に眠くなり、初期の頃はよく昼寝をしていた。ちょっと出かけて頭の中が情報過多になるとやはり同様に眠くなり、家に帰って眠った。眠くなったら寝ていい、昼寝もしていいと医者に言われていたのでその通りにした。

薬の話

気持ち落ち着けるための2種類の薬が処方され、朝昼晩と服用していた。

ただ、薬を飲み始めてから副作用でお通じが悪くなり、腹が苦しすぎて眠れないことがあった。あまりもつらかったので市販の下剤を飲んだところ、体重が1kg減るほど出た。そのことから、薬が怖くなって、インターネットで色々と調べて、抗うつ薬に対するネガティブ情報などを見つけ、飲まないほうがいいのではと勝手にやめてしまった。飲まなかった初日気持ちが落ち着かなくなり、手が震えて頭痛がした。それがまたさらに恐怖を煽り、こんな恐ろしいものを処方するなんてひどい医者だと思った。

自分は軽症だと思っているので、薬など飲まなくても大丈夫だという勝手思い込みもあった。

次の診察の時に薬を飲んでいないと話すと「えっ!」と驚かれ、薬は悪いものではなく、回復期間を短くするために必要から飲むようにと注意されてしまった。ひどい便秘になって苦しかたからやめたと話すと、服用量の調整と、整腸剤を処方してくれた。

整腸剤と、あとは自分でもヨーグルトを食べたりなど心がけて便秘はなんとか良くなった。お腹が苦しいかヨーグルトを食べよう、という風に思い当たるだけでも自分は生きようと、生活をよくしようという気持ちが湧いてきたんだということに気づいた。

休職して三週間が経っていた。

続く→ 適応障害と診断されてからの記録④

2021-10-07

anond:20211002214318

適応障害でも鬱でもいいか診断書取りに行った方がいいよ。今後、運が悪かった今回の件を説明やすくなる価値のあるものから実家暮らしなのかな?診断書とって、就労支援センター行って、行政を頼って復帰したい意思を見せていれば、若いんだし、かなり手厚い支援を受けられると思う(田舎だったら微妙かも。変な担当に当たったら気を強く持ってね)

女性センターに駆け込むこともできるよ。害になる親から離れて暮らして、お金心配しないで心を休めることができると思う。死ぬの、頭で思うより難しいよね。終わってないよ、これからから納税分の国定サービス活用してこ。

2021-10-02

anond:20211002100403

だいたい気に食わない政治家適応障害とか言ったって単なる逃げとしか思わないくせにな

2021-09-24

anond:20210924161823

皇族:「仕事めんどくさーい」「よし!適応障害!休んでいいぞ!生活税金から気にしなくていいぞ!」

2021-09-20

男、こえ〜〜〜〜

マジで男が怖いよ

適応障害抗不安薬出されたレベルには怖いよ

全ての男にビビりながら生きていくのマジで辛いしな

痴漢する奴も社交辞令を本意だと勘違いして近づいてきてトラウマ植え付ける上司も体目当てでナンパしてくるヤリチンも全員死んでくれという感情しか湧かなくなってきたのが嫌だ 全ての男のチンコ切り落としてそのまま人類絶滅した方が幸せになれるって一瞬でも思ってしまったのが嫌だ 人間は全員生きていていいのにね

ツイッターで男と交流をしてもこいつなんとなくストーカーやられそうだなとかこいつなんとなくオフパコ狙ってそうだなとか女だからって理由で近づいてそうだなとかそういう事ばかり考えてしまって何も楽しめなくて嫌だ〜〜〜〜つらい〜〜〜〜私はただ同好の志が欲しいだけなのにね どうしてこうなってしまうんだろうね 私はどうしたらいいんだろうね どうしたら楽になれるんだろうね

ツイッターでこういう奴はだいたい体目当てのヤバい奴っていう情報を集積したサイトがあればなあって何度思ったことかよ

ネトスト痴漢上司セクハラ精神を全部殺されてしまったよ 肉体も死んで楽になりたいよ ここで「どうせ死ぬならその前にやらせてくれ」とか考えた男全員のチンコ輪切りにして肉体は八つ裂きにして全部土に埋めて虫の餌にしてから自殺したいよ あ〜あ お前らのせいです

2021-09-19

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録①の続き

心療内科を予約するまで

会社カウンセリングを受けて、やはり自分心療内科に行ったほうがいい状態なんだなぁとぼんやり思った。

その頃、たまたまTwitter適応障害という病気を知り、色々とインターネットで調べたり、心療内科ウェブサイトかにある簡易的なうつ病診断をしたり、本を買って読んだりした(「なんで私が適応障害!?」という本は漫画で読みやすかった)

自分病院にかかるほど深刻ではないという気持ちと、診断書が出れば休めるんだ(休みたい)という気持ちでせめぎ合っていた。

この頃のツイートを見ると「会社辞めたい」といったネガティブな内容のものが続いている。

カウンセリングを受けてから数日後、ずっしりと体の重い状態は続き、ついには朝起きた時に胃がキリキリと痛むようになった。

もういい加減限界だと思い、心療内科の予約を取った。明日すぐに診てくれるようなところはなかなか見つからず(初診は大体二週間後くらい)、ネットで家から近い病院を順番に検索して、翌週予約が取れるところをなんとか見つけ予約を取った。こんなに心療内科に通っている人がいるんだなぁと思った。

ただ、胃痛はひょっとしたら心理的ものではなくて内科的なものかもと思い、念の為内科にも行ってみた。

かかりつけの内科に行って問診票に「夜は眠れているか」「不安気持ちはあるか」という項目ほぼ全てにチェックをしたら「心療内科に行ったほうがいい」という診断が下された。(一応診察もしてはくれた)

内科での診察中もボロボロと涙を流していて、気持ち落ち着けるために別室に案内されたほどだった。今思い返すと全く正常ではない状態なのだが、当時の自分はこれでも大したことはないと思っていた。

内科に行ったものの薬などを処方されたわけでもないので胃痛は治らなかった。2日後くらいに起きようとするとキリキリと痛むので、もう休もうと思い「腹痛がひどいので午前半休で病院に行きます」と上司に連絡。「お大事に、無理せずに全休でもいいですよ」と返信が来た。メールを送ると胃痛はすっと消え、気持ちが楽になった。病院に行くというのは嘘なので、午前中ゆっくりと過ごした。突発休をすることで、休職に向けた布石を打つ狙いも少しあった。

診察

こうして第三者たちに病院に行ったほうがいいと再三言われ、緊張しながら心療内科に向かった。

問診票には先日内科記載したような確認項目があり、ほぼ全てに当てはまっていた。

病院によって違うかもしれないが、初診時は心理士がまず出てきて、具体的な症状やきっかけなどをヒアリングされた。もう症状を話すのは3回目なのでだいぶまとまった話ができたのではないかと思う。また、どうしてそのような症状が出たのか、何がきっかけだったのかという話も詳細に話す必要があった。ずるずるに涙と鼻水を流しながら状況を話した。その内容がきれいにまとめられ、医師のもとへデータで送られた。最後に「今後どうしたいですか?」と聞かれた。社内カウンセラーにも聞かれたので、テンプレなのかもしれない。「もうどうしたいのかわかりません。何もしたいことが浮かばないんです」と答えた。

次に診察室に呼ばれ、ずるべたに泣きながら、医師に症状を話した。朝起きられないこと、ジムに行ったときに大泣きしてしまたこと、突発的に壁を殴ったり、明日仕事をするためだけに無理して眠っていること、胸のあたりがざわざわすること、部屋は荒れ、掃除や片付けをする気力もないこと。

適応障害か軽度うつかなぁ〜、、うーん、適応障害にしとくか。とりあえず休職1ヶ月で診断書出しときますね」と、なんとも軽い感じで診断書が発行された。

「とりあえず休んでください。休めば絶対良くなりますから。休んだらもう仕事できなくなるんじゃってみなさん心配されますけどそんなことないですから全然普通に仕事できますから。今仕事するために生きてるでしょう、普通逆ですから

そのあと、薬の説明と、生活面での注意を受けた。

気持ち落ち着ける薬を出しますので、きちんと飲んでください。食事は取れてますか?」

「食欲はあるんですが、準備するのができなくて…」

カップ麺とかでもいいですから食べてください。今デリバリーもあるし、みんな使ってますよ」

デリバリーもたまに頼むんですけど、自分みたいな人間が、こんな贅沢していいのかって気持ちになるんです」

「そんないいもん食ってんの?!1000円とか2000円くらいでしょ?」

ここで、自分認知の歪みに気づかされた。

この世に何も生み出していないのにデリバリー外食で1000円も超えて食事を取るなんて贅沢だ、こんな贅沢をしてごめんなさいと本気で思っていた。普通なら、自分の稼いだ給料で美味しいご飯を食べたら美味しいなぁ、幸せだなぁと思うはずなのだ

「あとはとにかくダラダラしてください。やりたいことだけやって、やりたくないことは何もやらなくていいですから自炊掃除もしなくていいですから。あと、ちょっと元気になってくるといきなり自殺したりする人とかいるんで死んだりしないでくださいねジムとか絶対無理なんで、家でゆっくりしてください」

えらく軽いノリの医者だったが、すんなりと診断書処方箋を出してもらいその日の診察は終わった。

時間にして30分くらいだったが診察室を出ると待ちが発生していて、予定より随分と長く時間をとってしまったようだ(コロナの影響もあり、完全予約制で基本は待ちが出ないようになっている)

一週間後に再診の予約を取って病院を後にした。

休職開始

もともと休日受診していたので、その日は休みで、明日上司にどうやって連絡しようと考えていた。

休職 メール 書き方」とかで検索した。(Google先生はなんでも教えてくれる)

このサイトが一番参考になった。

初めて休職される方へ。適応障害の治療の流れについて解説します(メール例文つき) | 早稲田メンタルクリニック

翌日、とりあえず勤務開始して、人事規約などを読んで休職ルール確認しつつ、上司メールを送った。

メールしたのち電話でも話して、実際の体調はどういう状態なのか、医者にどのように言われたかなどを報告した。上司から診断書の提出方法などを指示されて、療養に専念するようにと言われた。

その日のうちに関係者には休職する旨を伝え、引き継ぎ事項などを済ませた。もともとパフォーマンスの悪さゆえに抱えているものも少なく、連絡を終えてみて「全然仕事してないな、いなくてもいい存在だな」と思ってまた落ち込んだ。

薬のおかげか、休むことができた安心感か、ずっと胸のあたりがざわざわしていた感覚も、頭の中が不安や焦りの感情でごちゃごちゃになっていたのも少し落ち着いた。

上司から休職の手引きのようなものメールで送られてきたが、とても目を通すことができなかった。とりあえずPCを閉じて横になった。

翌日、目覚ましをかけずに眠ったが普段と同じくらいの時間に目が覚めた。ただ、いつもはそこから起き上がることができなかったのに、もう会社に行かなくていいんだ(もともと在宅勤務だが)と思うとホッとして、すんなり起き上がることができた。

テレビをつけてみるがごちゃごちゃとうるさくてすぐに消した。ゆっくりと身支度をして、ぼーっとしていた。

Twitter適応障害検索して自分と同じ症状の人を探した。そしてどのくらいで復帰したのかなどをずっと調べていた。

ちょうど自分と近い時期に発症した適応障害と診断されまして… vol.1 - 霏々 というブログを見つけて読み耽っていた。

休めて嬉しいという気持ちよりはついに休んでしまったという気持ちと、もう自分はだめなのかもしれないという気持ちが強かった。今までバリバリ働いていたので、人生終わったかのような気持ちになった。

Twitterを眺めながら気づいたら眠っていて、夕方に目が覚めた。とりあえず何か食べるかと思い起き上がる。外に買いに行く気力はないのでデリバリーにはめちゃくちゃお世話になった。医者から食べていいと言ってもらえたおかげで、罪悪感は薄まっていた。

つづく→適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

2021-09-14

適応障害ワイの勘違いしてたこ

誤:酒飲みとかサウナとかっょぃ運動とかやっちゃうと翌日めちゃくちゃ具合悪くなる

正:単に会社仕事してしまうと死ぬ

適応障害の主ストレス要因が会社から楽しいことした翌日にクソみたいなことがあったら死ぬのは当然だよね。だから昨日晩酌したし最近適度に体動かしてるけどやっぱり健康

2021-09-11

だいたい適応障害で療養してる人間仕事愚痴を噛ましてくるとか頭おかしいでしょ。やっぱり自分のことしか考えられないからね。死んでどうぞ。

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

適応障害と診断されて4ヶ月ほど休職した。


発症してから良くなっていくまでのことを記録しておく。

(今は回復して、通院も服薬もしていない。仕事にも復帰している)

同じような病気で今辛い思いをしている人や、身近な人が発症してどう接すればいいか悩んでいる人たちの参考になればいいと思う。が、基本的には自分語りなのでさらっと読み流してほしい。


発症してから体調、精神的にどんな変化があったか、どんなことをして過ごしたかを中心に書いていく。

前兆発症

自他共に認める意識高い系で、朝は5:55起き(落合陽一の影響)、ストレッチヨガ休日カフェに行って勉強スマホゲーム地上波テレビなどは見ない。YouTubeもタメになる系の動画しか見ない(それも倍速)ような人間だった。働く上で将来的に達成したい目標があって、その実現のためにいつも努力していた。

ホワイト企業ランキングに乗るような大企業に勤めていて、職場の人たちもいい人ばかりだった。

ただ、コロナで完全在宅勤務になり、そのタイミング部署異動もあって対面で会ったことのある人はほとんどいない状態だった。上司も新しい人になり、一から信頼関係を構築しなければならなかった。

新しい部署での自分パフォーマンスは正直言って良くなかった。周りは優秀な人ばかりだったので、早く追いつかなければとかなり自分を追い込んだ。睡眠時間プライベート時間も削って勉強した。緊急事態宣言中なこともあって、年末年始帰省もせずに家から出ない生活をしていた。

そんな風に追い込んでいるのに、何をやってもうまくいかなく、それでいて自分目標実現に近づいているとも思えず、他にも色々な要因があり段々とストレスが溜まっていった。

一番最初に出た変化は起床時間だった。

朝はちゃんと目が覚めるものの、布団から出られなかった。体がずっしり重くて、起き上がるのをずるずると先延ばしにした。普段ならシャキッと起きて、YouTubeを見ながら運動を始めていたり、早朝からやっているジムに行っているところが、なんとなくSNSを開いてぼんやりと1時間も2時間も眺めるようになっていた。もういいかげん起きないとという時間に無理矢理起き上がり、朝食を食べる時間もなくPCの電源を入れるといった日が増えた。

休日も、予定があってもギリギリに家を出るか遅刻、予定のない日はいつもなら午前中に活動を始めていたのに、どこかに出かける気力が湧かなくなった。

次に、涙が出るようになった。

仕事をしながらポロポロと涙が流れるが、在宅勤務なので誰かに気付かれるわけもなく、電話Web会議の時は無理に明るい声を出してなんでもないように振る舞っていた。仕事後はぐったりとし、まだ夕方の6時だというのにベッドに横になった。資格勉強をしないといけないので、本当はここからカフェにでも勉強に行きたいのだが、外に出る気になれなかった。資格試験用の本を買っても、3万円を払って試験予約してもやる気は起こらなかった。

あとは、胃痛が起こるようになった。

Web会議をしているとき、胃がキリキリと痛み、押さえながら無理して喋ることが度々あった。

泣きながら胃を押さえて喋っていて、会議に全く集中できなかった。

仕事の進捗も遅くなり、自分で立てた計画を度々やぶってしまっていた。

周りはいい人なので責められはせず、どうして遅れてしまうのか、無理があるなら他の人と分担しようかとか一緒に考えてくれた。仕事をサボってごめんなさいという罪悪感でいっぱいだった。進捗会議をなんとなしに誤魔化して、来週までに無理すればなんとかなるとまた机に向かうのだが、入り組んだ仕事はできなくて、ただただ単純作業の部分だけこなしてなんとか進捗を誤魔化していた。英語論文など読み込む必要がある仕事だったのだが、そんな精神状態でできるはずもなく、何度も同じ箇所を読み返して理解できない自分が情けなくて泣いていた。

自分やばいのかもと思ったのは、無理してジムに行った時のことだった。グループトレーニングトレーナー音楽にノってぶち上げてくれるタイプ)中にぼろぼろと泣いていた。体が悲鳴を上げているようで、仕事のこと、上司言葉などが頭の中で反芻されて、叫びながら泣いていた。幸いにも、ガンガン音楽が鳴っているので声はかき消されていた。帰り道も、涙は止まることなく、子供のようにわあわあ泣きながら帰った。緊急事態宣言中で人はほとんどいないとはいえ、人前で声を上げて泣くことを、もう30も超えたいい大人なのに、理性で止める事ができなかった。

食事だんだん適当になっていって、自炊はできなくなっていた。買い置きしていた食材賞味期限が切れていくのに気づいていたが料理することができなかった。

何かを食べて美味しいとか、何かをして楽しいとか、仕事終わったらあれしようとか、週末どこ行こうとか、そういう些細な楽しみさえ感じられなくなっていた。

部屋は荒れ、脱ぎ捨てられた服や、本などが床に散らばっていた。掃除をしたり、洗濯をするのもしんどかった。

ただ、ちゃんと夜眠らないと明日仕事に支障をきたすから仕事が終わったらすぐに横になる日が続いた。

から知ったが、うつ気味の社員を見極めるにはまず勤務態度を見よというのがあるらしい。遅刻や欠勤を繰り返す社員は要注意ということだ。

例に漏れ自分も勤怠が悪くなっていって、9時始業だが5分とか10分の遅刻をするようになった。(一応会社の勤務ルール的にはフレックスなので問題はない)ある日、どうしても起き上がる事ができず、10時の会議ギリギリに勤務開始した事があった。

その日即座に上司から電話がかかってきて、勤務開始時間について咎められた。フレックスとはいえ、連絡なしに遅く出勤されるのは困ると(当然だ)。

電話を切った後、また泣き叫んだ。壁を殴り、意味をなさない声で叫んだ。

ひとしきり泣いた後、もう限界だと思い会社カウンセリングを予約した。

コロナ禍でカウンセリングオンラインになっており、家にいながら受けられるので助かった。

メール簡単な症状を書いて、当日Web会議に繋いだ。優しそうなカウンセラーの人に、新しい部署に異動してから何があって、今自分がどんな症状なのかを話した。号泣しながらだったが、慣れているのか驚くこともなく聞いてくれた。会社所属カウンセラーなので、会社制度など細かい背景を理解してくれているのが助かった。

自分ちゃんとした人間じゃなくて周りに申し訳ない、もっとちゃんとしないと、と訴えると「あなた充分ちゃんとしてますよ。本当はもっと色々とできる能力がある人なのに、今少し疲れてしまっているんですね。」と言ってくれて、少し救われた思いになった。

あとは休みを取ることはできないのか、とか、カウンセラーでは病気の診断をすることはできないので、一度心療内科に行ったほうが良いと勧められ、今まで社員受診した実績のある、自宅付近心療内科リストを送ってくれた。

しかし、心療内科に行くのはやはりハードルが高く(なんか高そうだし)、ちょっと考えますと答え、二週間後に次回のカウンセリングの予約を取ってその日は終了した。

なんか長くなってしまったので今回はこの辺で。続きはまた書く。

続き→適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

一日が長い。

適応障害会社がしんどかった頃は、なんとかコアタイムに間に合わせて11時に起きるのか精一杯だった。

けど今日は6時に起きた。既に8時間過ごしていて、もし11時に起きていたらもう既に夜7時。けど実際はまだ昼の2時。なんだこの時間の長さは!まるで一日が24時間以上あるかの様な感覚。これこそ自分本来生活リズム

会社辞めて良かった。

2021-09-10

会社退職を通告したった。社長が「最後ちょっと話そうか」って言ってきたけど、ふざけるのも大概にしろ、率直にお断り申し上げて退職手続きの連絡だけするように返答した。今更なにを話すというのか、笑わせんな。

そして即来週から仕事を欠勤することも伝えた。引き継ぎらしい引き継ぎもないので問題ない。当然、欠勤は欠勤なのでその分の給料はなくなるが、それで構わない。

心理的会社に近づくのが無理な以上、それしかできない。適応障害で、その根本原因が会社にあるなら、もう会社から離れるしかない。これまで1年間、なんとか仕事を続けられるように頑張ってきたけど、無理なものは無理だったので、とうとう諦めることにした。

増田でも何度か愚痴を吐いたけど、そのたびにレスしてくれた人の言葉もあとを押してくれた。増田カオス場所だけど、今回は助けになってくれた。ありがとう

2021-09-09

anond:20210909161714

心療内科だのメンタルクリニックだの精神科だの、何度か行ってるけど何にもならなかったよ

適応障害みたいなのはまれついての体質だからストレス元凶を避けるしかないんだよ

から自宅が安心して休めない場所だと詰む

2021-09-08

俺は「体力的にキツい(適応障害の主要因が会社なのでどうしようもない)から辞める」って言った。そしたら「それはやめてくれ。休みながらでもいいから長期的なスパンで復帰して欲しい」ってそっちが言ってきた。だから俺も最大限、以前みたく働けるレベルで復帰できるように今は調整している。

それを思い出すと、こうして実質仕事をサボっている状態でもスッと気が楽になる。サボるというか、毎日フルで働いてストレス下に置かれるとすぐダメになるので緩急つけながらのんびり働いてるってわけなんだけど。

普通に働かなきゃって思うと、仕事が進んでないことに対する不安や罪悪感に苛まれて落ち着かないから、良くない。

とにかく、毎日普通に仕事に向かえるようになるまではこのままだ。毎日我慢。本当はゴリゴリ働いていきたい。しんどい。元気な時は『働きたく無いなぁ〜しんどいなぁ〜笑笑』って思ってたけど、いざ働けない状態になるとこんなにも辛い。マゾか?チクショー。

2021-09-03

適応障害療養中。

仕事と空腹がストレスなので、仕事時短(フルリモートなので自分で調整してる)、空腹はまぁ食べたいときちゃんと食べる(食べすぎないように注意する)のを意識して対応

仕事はどうしても遅れを取り戻そうと頑張りすぎてしまうし、食事は気づくと空腹無視して惰性で時間を過ごしちゃうので大変。

コツコツと。

2021-08-25

地元に帰ってきて、時間がすごくゆっくりしている。まだ3日くらいしかいないのに、なんかすごい長い時間を過ごしてる感覚。毎度お盆年末年始に帰って来てたのはやっぱりメンタルに良い効果があったんだな。あくせく忙殺されてる毎日から離れるのが大事適応障害治りそう

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