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はてなキーワード: 適応障害とは

2022-03-24

anond:20220324085401

無能サイドの人って大体精神病んじゃうからな……。適応障害とか多いでしょ。資産なくて親族に根回ししとけば行けるんじゃねえかな。

2022-03-21

2021年深田恭子適応障害には「ゆっくり休んで」という雰囲気社会からまれたが、

2011年頃に私が適応障害理由に申し出た休職に対する上司の返答は「いつ復帰するの?」「わからないんだから会社辞めたほうがいいよね」だった。

2022-03-20

当方現在適応障害休職中。

私用の携帯電話番号教えていない会社ジジイからバンバン電話がかかってくる。

限界なのでもう退職しようかと思う

2022-03-18

うつ休職する人は

うつ病とか適応障害休職する人は、どのくらい酷くなって休職するんだろうか。

死にたくなったら?仕事をしたくなくなったら?突発休が増えたら?仕事をしようとしても布団から出られなくなったら?

学生時代からうつ病持ちだから、どこまで悪化ボーダーラインか知りたい。

2022-03-17

人生詰んでる24独身

絵を描くのが好きだった。

話を作るのも好きだった。

感動した、好きだと僅かながら言って貰えることもあった。プロになりなよと友人たち人に言われた。

私は馬鹿から真に受けとって、あわよくばプロになれたらな、なんて考えていた。23歳の独身女が現実から目を逸らした夢物語だった。

それから誕生日を迎えた。24歳になった。

20卒で入った企業適応障害になって1年で辞めて、新しい職場に入れたが1年経った今適応障害の症状が出始めて辞めたくて仕方がない。

田舎中小企業で年間休日94日という求人詐欺会社だ。唯一良いところは早く帰れるところ。

私は早く帰宅して絵を描き続けた。創作漫画も完成させた。ネット投稿もしたし、応募もした。

バズったらどうしようなんて心配もしていたが、杞憂に終わった。かすりもしない。世間に私の漫画なんて求められてなかった。

褒めてくれるのは周りの友人と僅かながら届いたコメントだけ。

おかしいな、色んな人にプロになりなよと言われるぐらいのはずなのに。そう思いながらも私は徐々に現実が見えてきた。

メールアドレス出版社から不採用の通知が届いた。それを見てショックもうけたが、そりゃそうだとどこか納得してしまった。バズりもしない漫画なんて誰も求めないよな。私はいらないのだと実感した。

現実に戻ってきて鏡を見ると褒め言葉をそのまま受け取って勘違いした滑稽な女が映っていた。

1年間、絵を描くだけにあてたのだ。貴重な時間をドブに捨てたようなものだった。資格勉強もせず、なにも技術がない女がそこにはいた。

結婚願望もなけりゃ、彼氏も欲しくない。

でも一人で生きていくにはあまりにも情けなくて初期装備すぎる24歳。

やりたいことを追い求めれるほどリスクに走る勇気もなけりゃ、割り切ることもできない。

やりたくない事だらけで人生詰みだ。

今は資格勉強しているが、正直割りきれてない。

やりたくないのに生きていくために努力していくのがつらい。つらいけど努力しないと抜け出せない。

けどそこまでして生きたいとも思えない。かといって死ぬ勇気もない。クソみたいに中途半端だ。

寿命なんてもういらない。

2022-03-16

anond:20220316114344

適応障害会社にいてウザい」

を読んで煽りを思いついただけのエアプだろお前

実際いたらただ迷惑なだけで遊んでる余裕なんてないよ

2022-03-01

適応障害休職して1ヶ月

なんかちょっとずつやる気が出てきた。

金かからなくて体力と頭使わない暇つぶしおしえて

2022-02-28

すまん、ただの愚痴

俺、既婚子持ちの40歳

30過ぎて技術から営業に異動したのがきっかけでADHDが発覚。全検IQMENSAには全然入れる程ではないもの比較的高めだったし、1番低いWMでも102だったので、2Eかそれに近いタイプなんだと思う。

一応オープン就労ではあるけれど、特に個別配慮を受けてる訳ではなく。というか障害関係なく、困り事があって業務遂行問題がある場合は、障害の有無関係なく話を聞いてくれて、何かしらのサポートをしてくれる、超ホワイト企業

後出しジャンケンオープンってのもあって、この前の源泉徴収票では600万円超えてた。それだけの働きが出来ていたのか、正直貰いすぎなのかは何とも言えんけど。ちなみに社内の40歳男子平均で見ると、これでもぶっちぎりで平均以下。なので、社内ではやっぱり期待値ほどはまだまだ成果足りてないよね、という扱いなはず。

妻が結婚直前に、何かしらの発達の疑いを自覚していたことをカミングアウト。とは言えもう惚れ込んでたし、今更それだけを理由婚約破棄ってのも考えられず、予定通り結婚

年末、めでたく長男が生まれました。1歳半検診で指摘があり、その後知的ボーダーASDが発覚。

根はクソ真面目なパパ。発覚と同時にうーんこれは、子供の各成長段階で最適な療育なり福祉支援をしてやらなきゃいかんねと。そのためには親がちゃん福祉理解してないとってことで、通信制の某マンモス福祉大学入学。これはADHD特有衝動性もあったかもしれん。今思うと、何で社福を選ばなかったんだろうなんだけど、仕事と並行して、大学単位戻り、実習も経験してから精神保健福祉士も無事取って、大学卒業

よーしパパ、これから日々家庭内ソーシャルアクションをやるぞー、って張り切ってたのですが、ここら辺で燃え尽きました……。

適応障害って診断されたけど、もう半年以上経って回復してないから、反復性うつ病障害シフトしてる感覚はある。あと、神経過敏とADHD特有衝動性が相まって、攻撃的な性格になったり、多弁傾向が強くなったりと、躁転の症状も出てる。現に、こんなクソ長いまとまりのない文章を垂れ流してる段階でお察し。

理由は全く想定外していなかったADHD父とASD男児の相性の悪さ。毎日家庭内で息子からストレスを浴びせられる毎日

そして妻はメシは作れるし美味いんだけど、家事能力無しの汚部屋製造機でした。厳密には、他人から指示されると作業は出来る。でも、自分段取りを決めて、主体的に動くってのが出来ないみたい。

それでコロナ禍の影響で、汚部屋環境下で耐えながら日々続ける在宅勤務。もともとストレス耐性はそんな強い方ではないので、半年くらいでパンクしました。で9月から休職中。手帳は元々持ってましたが、加えて障害支援区分2を取って、身体介護家事援助の居宅介護を取りました。妻が家事出来ない分、私の枠を使ってなんとかしのいでる状況。

から主治医からは家庭環境起因の発症から家族と別居して環境を変えない限りは治らないと言われています。実際、3週間入院した時はすっかり寛解したんだけど、自宅に戻ったら2週間で再燃しました。

今、妻にも心理検査を受けさせてます。でもウェクスラーは終わったっぽいけど、MSPAがまだみたいで、順番待ちでざっと半年待ちだとか。最近発達障害ブームに加え、コロナ禍で今まで見えてこなかったグレーゾーンの人が一斉に顕在化したんだろうから、そりゃそうだろうなとは思います。で、妻の判定は相当先になりそうなので、先に障害支援区分を取らせて、妻にも居宅介護がつけられるように、現在画策中です。

これが済んだら、私はショートステイグループホームに移って、擬似的単身赴任みたいな感じで家族と別居生活をする予定。家族と同居してると、一向に治らんので。

月々の生活費は、元々の基本給が35万円くらいあったので、それベース傷病手当金健保組合から出てるので、意外と困ってない。ずっと働けてなかったので、まだ有給休暇のうちに障害年金を申請して3級は通ったんだけど、就労不能で3級はねえだろと、審査請求視野に入れて原因分析中です。

ここまでなんやかんやでギリギリやれてるのも、自分がMHSWの資格所持者で、計画相談支援とか、その手のサービスが世の中にある事を知ってたからだろうなあと思う。

一方で、会社の人事がここら辺の知識無能過ぎるのが問題復職支援ではなく、復職邪魔をしている。完全に治るまでは会社敷地を一歩も通させん、という姿勢なので、これじゃ治るもんも治らない。

ここまで書いて気付いたんだけど、これ愚痴じゃなくてただの自己紹介だよね。ADHDだと、主部と述部が全く異なるはよくある話。

2022-02-23

適応障害」って要は「怒られて落ち込んでいる状態」だよな

怒られて別に何とも思わない方がおかしいと思うが

2022-02-20

自分仕事ができないことを認識したら全てが上手くいった

仕事ができないと言われたくなかった。

「俺、コミュ障だし」「俺、アスペだし」とは笑って言えるのに、「俺、仕事できないし」とは言えなかったのである

現代社会においてコミュ障であることは、仕事ができないことに等しいのは明白なのにだ。

俺はコミュ障だが勉強だけはそこそこ出来た文系という、最も潰しの効かないタイプゴミである

ということで、仕事は勿論うまくいかなかった。

まず俺は締め切りが億劫で守れない。

それに叱られるのが怖くて問題先延ばしにする上、報連相不能典型的な使えない新人だった。

取引相手につい嘘をついてしまい、会社にあらぬ損失を与えたことも何度もある。

こういう時、職場はこいつは排除しよう、という正当な動作をする。ということで俺は孤立した。

さっさと辞めちまえ、という周囲の心の声が聞こえてくるようだった。「仕事ができない」ことを認めたくない俺のプライドはズタズタである

病院ググるのが面倒なので病院はいかなかったが、当時は掃除洗濯風呂に入るという行為が1週間に一度くらいしかできなかったので、多分適応障害かプチ鬱病だったのだと思う。飯も録に食えなかった。

そんな俺の転機は、同じ社の、俺の尊敬する穀潰しの先輩にアドバイスをもらった時に訪れた。

彼は始末書レコード記録と横領じみた行為の数々による犯罪者スレスレの経歴を持ち、

議事録を社内サーバーに上げておく」というだけの仕事を振られていた伝説カス社員だった。

しかもその仕事すらサボり散歩コーヒーブレイクだけをしに会社に来ていたという偉人である

だが、そんな先輩の栄光の日々も、ついに終わる時は来たのだ。社が新たなビル移転する際に、更なる完全窓際部署へと追いやられることになっていた。

使えない新人として名を馳せていた俺は、その人の溜め込んだタコ焼き器だとか、やたら派手な扇風機だとか、そういうガラクタを含めた机回りの移動という雑用を振られた。

あらかた俺に荷物を運ばせた先輩は、俺の買ったコーヒーを飲みながら言ってくれたのだ。

「君なら、僕みたいになれる」、と。

その時、俺は目が覚めた。

「そうか、自分は、仕事ができないサイドの人間だったんだ!」と、ストンと胸になにかが落ちた。

それから、俺は使えないサイドの人間として、積極的会社を使い潰してやろうという意識が生まれた。

その時、ようやくわかったのだと思う。俺は、他人というものが、集団というものが、ルールというものが、嫌いだったのだ。

なぜ生まれた時から法律なんてもの強制されるのかわからず、法律科に行った時の、初心を思い出したような気分だった。

俺は社会人であり、社会恩恵を受けながら、社会というものが嫌いでたまらなかったのだ。

楽しそうな人間は楽しそうだから嫌いだし、つまらなそうな人間はつまらなそうだから嫌いだった。

この世の、ありとあらゆるコミュニケーションが嫌いだった。好きになる理由がなかった。

おそらく、先輩は俺にそういうことを伝えたかったのでは全くないと思うが、彼の言葉が俺の頭の中のスイッチを押して、回路が上手く繋がったのである

社会が嫌いなのに、社会に報いようだとか、社会ルールを守ろうだとか考えていた方がおかしかったのだ。

ということで、「仕事ができない男ですが?」という、ある種の開き直りをした俺の快進撃が始まった。

まず、俺は意図的に締め切りを守らないことにした。

あと、挨拶はしない、電話は取らない、メールは気分が乗った時だけ返す、といった自分ルールを設けるようにした。

さらに、積極的会社になるべく損失を与えるギリギリラインをつく仕事をするよう心がけた。

するとどうだろうか。

仕事が、上手く回りだしたのである

そもそも、俺はルールが嫌いで、ルールを守れない。その病気を上手く利用した形になる。

意図的に締め切りを守らない」という自分ルールが守れず、そこそこ締め切りを守るようになったのだ。

さらに、締め切りを守らないぞ!という意思は逆に締め切りを意識させることに繋がった。締め切りを完全に忘却していなければ、締め切りを破ってもどうとでもなった。

さらに、会社になるべくダメージを加えようという姿勢は、逆に業務を知ることに繋がったのだ。

例えば、うちの会社マニュアルPDF化すらしてなかったので、そのマニュアル悪戯勝手改竄する計画なんかを練ったわけだが、

どこを改竄すれば訴えられず、かつそこそこのダメージを社に与えられるか、というような遊びをしているうちに俺はすっかりマニュアルを暗記していた。

情報に捕まらないように、IT知識自分会社セキュリティ脆弱性に滅茶苦茶に詳しくなった。

勿論俺はそもそも仕事が出来なかったので、ミスは起きたし、会社に損害も与えた。

始末書顛末書も幾度も書いた。だが、左遷されるようなことはなかったし、懲戒減給もなかった。上手く綱を渡れたのだ。

そして、何度もやらかしているうちに周囲の評価も変わった。

「どれだけ叱られても会社に残る根性のあるやつ」という評価になったのである大丈夫かよこの会社、と思ったがとりあえず人間関係もまともになった。

仲良くなると、個人情報結構教えてもらえるようになったので、それも利用できるようになってまさにギブ&ギブの素晴らしい関係だったと言えるだろう。

人間は1人で生きるのではない。俺ような人間ミスカバーしてくれるアホ共がいるから世の中は回るんだな、と心が温かくなったのを覚えている。

あと、ニュース報道される、不正を行った人達も優しい目で見られるようになった。人は罪を許し、助け合うことが大事なのだ

しかし、いよいよ俺の薄汚いリーマン生命でもって罪を償わなければならない時がきてしまった。

まあ無能からいつか来る話ではあったが。

うっかり、社に億に近い額の損失を与え、しかも太い取引先を激怒させてしまったのだ。

今回ばかりはヤバい、という空気をヒシヒシと感じた俺は、世話になった会社に報いるべく、何とか多くの人間を巻き込んでメガンテを撃てないか考えた。

だが、告発書をしたためたり、転職サイトに悪評を流そうとか、上司名刺コピーを色街にバラ撒こうとか考えていた折、

なんと俺を救ってくれる人間が現れたのである。それは、例の左遷されたはずの、穀潰しの先輩だったのだ。

彼は役員になっていた。

俺はビビった。この会社大丈夫かと思ったが、カラクリ簡単な話で、その先輩は創業者から直接の血が流れる男だったのだ。

仕事なんてしてなくても、していても関係なくいつか役員になる、そういう運命の元に生まれていた人だった。だからこそ大出を振ってサボれていたというわけだ。

とにかく、彼のおかげで俺はクビにはならずに済んだ。

それどころか、俺は業務改善や社内法規を決める部署に転属になったのだ。会社的には出世である

顔に小じわの増えた、クズの先輩はこう語った。

法律ってのは犯罪者が作らないとダメなんだ」と。

ルールを破らない人間が作るルールほど穴だらけになるものはない、と。なるほど、と思うと同時に、その時、俺は先輩の隠れたメッセージを受け取ったのだ。

「俺達のような人間出世させる、こんな会社復讐してやれ」と。

俺は密命を果たすべく努力しまくった。明文化されていないが仕事を円滑にするためにあえて定まっていないルールというもの会社には多い。

からこそ法や業務効率の名の元に、仕事ものすごくやりにくくなるやろうなあ、という社内ルールを通すべく俺はあらゆる手を使った。

会社がどんどんギスギスしていく姿に、きっと役員の先輩も喜んでいてくれているに違いなかった。

そういう日々が続くうちに、俺にもいつの間にか妻と子供が出来た。(こればかりは本当に相性のいい人とたまたま出会った)。

基本的残業は一切しないので、子供の世話もしているが、仕事と違って楽しいものだ。手当も出て給料も上がり、順風満帆人生を送っている。

何故幸せになれたのかというと、やはり「仕事ができない人間である」というのを認められたからだと思う。

自分が正しい人間だとか、優れた人間だとか、そういうところから脱却するのが肝要だ。

そもそも大した世の中ではないのだから、世の中に報いようなんて考えなくていいのだ。

俺は仕事ができない。だが、それでも幸せに生きて良い。そう思うのが何より大事な事だ。

2022-02-19

専門性がわからない

独り言を書き散らしています

仕事における専門性がない。

農学部卒でメーカー入社後すぐ適応障害休職し、復帰後は品質保証スペックシート作成を9年。

声をかけてもらって今は労働組合に出向している。

組合仕事を延々続けるつもりはない。

品質保証スペックシート作成専門性がありそうだけど、データを転記して取引先に提出するだけ。

問い合わせ対応もやってきたけど、問い合わせのバリエーションも知れており、5年目以降は成長できている感覚もなかった。

でも一度潰れた自分が他部署でやっていけるとは思えず、組合から声がかかるまでは異動希望も出せずにいたし、今も自信は持てていない。

組合任期が終わったらどこに希望を出そうか悩んでいる。

ばりばりマネジメント!というのは心底向いていないので、何か専門性があればなぁと浅はかにも考えているけど、何事においても興味も得意もないので何を志ざせばいいのかわからない。

いい歳して情けない…

2022-02-12

抑うつ状態ストレスからではなく睡眠不足から発生する

素人患者)の体験談です。

20代からアラフォーの今までずっと鬱、あるいは適応障害と診断されて、それが良くなったり悪くなったりを繰り返してきてるんだけど、ストレスから抑うつ状態になるという風潮に違和感を感じている。

この20年近くを振り返ると、自分が体調悪化している時期はストレスとはほぼ関係なく、睡眠時間が減ったタイミングだった。

もっと具体的に言うと、仕事私生活人間関係に困っていたり、お金に困っていたり、まあなんでもいいんだけど、そういったストレスや悩みはないんだけど単に生活リズムが崩れたりとかして睡眠時間が減っていくと、急に死にたいと思うようになるとか、とにかくだるいとか、趣味読書ゲームにもまったく集中できないとか、そういう症状が出てきていた。

一応病院に通っていた時期に向精神薬も処方されていたけど、これは自分にとって効果がないとは言わないが、多少ぼーっとするが故に身体の不調を紛らわせるという対処療法しかなく、一番効果があったのは睡眠薬で強制的自分を眠らせて睡眠時間を確保することだった。

仕事私生活で悩みがあって寝れないとか、そういう場合はたしかストレス関係しているかもしれない。なのでストレスから距離を置くというのは、この場合しか効果がある。

しかし大してストレスがなくても、ちょっとしたきっかけで睡眠リズムが崩れて抑うつ状態になってしまうことはある。

やたらと世間ストレスが鬱の原因と言われているような気がしているが、大事なのはどんな状況でも睡眠時間を確実に確保することだと感じる。

逆に言えば、ストレスがあっても寝れてさえいれば抑うつ症状はなかった。自分は。

ストレスが減るに越したことはないが、やみくもに「ストレスっぽいもの」を回避し続けていくと、それはそれで生活ジリ貧になってしまう(職を限定した結果収入が大幅に下がるなど。あと自分独身だし、一応親兄弟もいて仲悪くはないけど、迷惑もかけられないし…)。

もし睡眠時間が確保できていないのであれば、まずはなんとかして寝れる環境を作ってみてほしい。

(いやまあ、そこが難しいから、当事者としては反感あるかもしれないけど。自分もひどいとき仕事やめてずっと休養しててむりやり直してたし)

あと筋トレが鬱に効くみたいな記事も見たことはあるが、睡眠改善してからでいいと思う。

一時期仕事が激務だった時期にも睡眠時間を削ってまで筋トレをし続ける生活をしていて(筋トレやってる人ならわかると思うけど、筋トレ始めると休みたくなくなるんだよね)、その時期は鬱が悪化していた。

2022-02-02

もしかして鬱?

感情ややる気が全盛期の2割くらいしかないんだけど

ひょっとして鬱?

辛いと言う感じより

無みたいな感じ

水中に居るみたい

以前人間関係ストレス過多になったことがあって

その時の適応障害はかなりきつかったんだけど

今はそんな感じがない

空っぽ

こっちはこっちで嫌なんだけど

植物になるような感じ

2022-01-30

他称メンヘラは仕方ないとしても自称メンヘラってただの思考放棄だよな

そもそもメンヘラ自体スラングなのに、そんな雑で大きな括りのレッテル自分に貼って自分理解した気になってるあたりただただ幼稚で頭が悪くて思考停止してんだろうなとしか思えなくて、馬鹿なだけなんだろうなと思う(自己愛性人格障害みたいな精神疾患もあるんだろうけど)

コイツラのせいで真面目すぎる故に不利益被った挙げ句社会生活の中で精神疾患を患った人達もひっくるめて「メンヘラ」呼ばわりされるのがすげえ無神経で腹立つんだけど俺だけ?

適応障害で二人潰れてるの見てるから自称メンヘラ女見てるとすげえ白けるわ。

2022-01-25

適応障害なって、いろいろあって、まぁ会社辞めて元気になって通院も終えて、やっと心機一転元気に働いてこうという矢先にぶちのめされて、また病院行くかとなってる。

もうあなた一定以上距離を近づける可能性は無いよ。お仕事でお付き合いのある方ってだけ。なにが友達だよ。トモダチwww

2022-01-23

パワハラ

新卒で入った中堅メーカーは、ルート営業仕事難易度も高くなく、もちろん給料も安く、暇だった。15時を過ぎるとマネージャーたちはパチ屋に行き、19時位に会社に帰ってきている若手と飲みに行くか麻雀をはじめるみたいな、はちゃめちゃな会社だった。

暇な会社は暇であるが故、他人の事を気にする余裕が出来る。もっと言ってしまうと、それ程くらいしか仕事の楽しみがないのだ。

俺は上司から壮絶なパワハラを受けていた。

もちろん俺のモチベーションも低かったし、仕事も出来なかった。ただし必要以上に色んなことを言われた。全ては過去だ。今更詳細に思い出す必要もない。強いて言うなら最後に殴るまでも行かなくても、生卵そいつに投げつけて辞めてもよかったかなと思うくらいだ。

今でこそ昔話だけど、当時の俺は当然苦しい。苦しいなんてもんじゃない、死にたかった。メンタルクリニックに行って効いてるのかよく分からない薬を飲んだり、(今になって思えば、あれは鬱ではなく適応障害なので処方された薬を飲んでも意味がなかった。憶測になるけど)、朝出勤する時にホームを見ながら「このまま飛び込めば、出勤しなくていいんじゃね?」と思ったりもした。

上司は恐らく自己愛性人格障害だった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%84%9B%E6%80%A7%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3

ルックスが良く、人当たりも良い。仕事上の能力もある。しかし常に誰か1人をターゲットにしてそのターゲットを追い込むのだ。この手の人間は往々にして人の弱点を掴むのが上手く、そこを徹底的に突く。人を貶めることでしか自分自尊心を守れないのだ。また仕事の上の成果も出している為、周りからは「あの人はあいつにああしているけど、まぁしょうがないよね」みたいな見られ方で終わってしまう。園子温監督に『愛なき森で叫べ』という作品がある。この映画はある事件に着想を得ているんだが、主人公がこの上司そっくりなんだよ。

その上司大学卒ではなかったのだが、「本来なら俺は××大学に行くはずだった、お前の大学よりよっぽどレベルの高いな」みたいな話を平気でする。いい歳したおっさんがそんな事を言うのかとびっくりしたものだ。そこから俺が如何に無能かを大声で俺を机の横に立たせて始めるんだ。たまったもんじゃないだろう?

その会社では3年働いて、転職した。メンタルが3年持ったのは、仕事が楽でかつ家族や友だち、当時の恋人存在が大きい。本当に恵まれていた。

常時転職活動をしている感じだったが、転職する際に基準にしたのはガバナンスがしっかりしている会社だ。それを満たし自分がやりたい仕事が出来そうな会社が見つかり、入社した。幸いにして前の上司ような人も15時からパチ屋に行く人もいない。順風満帆とまではいかないが、社内でも実力を認められてそれなりのポジション仕事をしている。

オチとかもないし、何か教訓になる話でもない。それでも一つ言えるのが「逃げないといけない相手に会ったら、全力で逃げろ」だ。俺はたまたま生き残ったが、もう少し居たら完全にメンタルをやっていた。キャリア大事だがメンタルはそれ以上に大事だ。

現在辛い思いをして働いている人がこれを読んで、少しでも楽になればと思って書いた。さぁがんばろう、なんて言えない。とにかく、逃げてくれ。

2022-01-17

anond:20220117112616

心療内科精神科ってどう違うの?

心療内科精神科も「こころの病」を治療する診療科目です。

 

ただ、大きな違いとして、次のように分かれています

心療内科は、こころの病が原因で症状が「身体」に現れる病気治療する。

精神科は、こころの病が原因で症状も「こころ」に現れる病気治療する。

 

もう少し、詳しく説明していきましょう。

 

心療内科

心療内科では、心理的な要因から身体に症状が現れる「心身症」が主な対象となります

心身症とは、心理ストレスの影響により、身体機能障害を患う症状を指します。

例えば、職場学校など、特定場所・状況になると頭痛吐き気下痢に襲われるなどは、心身症に当てはまる可能性があります

内科などを受診し、特に異常は見当たらないにもかかわらず、身体の不調が治らない場合は、一度、心療内科受診してみた方がいいかもしれません。

 

主な症状

・倦怠感、疲労感・動悸や胸の圧迫感・手足のしびれや震え・めまい耳鳴り喘息・腹痛や下痢など

 

主な病名

心身症・消化器心身症うつ病睡眠障害過換気症候群拒食症など

 

精神科

精神科は、精神疾患を専門に扱う診療科目となっています

不安や落ち込みなどの症状から幻覚妄想といった症状まで、こころで起こってしま病気治療します。

「周りがみんな自分悪口を言っている」「近所の人から監視されている」などの思い込みも、よくある症状のひとつです。

また、アルコールや薬物などの依存症精神科担当分野となります

 

主な症状

不安抑うつ・不眠・幻覚幻聴妄想・物忘れなど

 

主な病名

依存症うつ病解離性障害強迫性障害睡眠障害摂食障害双極性障害躁うつ病)・適応障害統合失調症認知症パーソナリティ障害発達障害パニック障害PTSDなど

https://sei-ryu-kai.or.jp/790/ より

そういえば、睡眠サイクル障害症候群の時に、紹介されて通院していたのは精神神経科(=精神科)だった。

二年以上通ったけど治ることは無くて、通院と薬止めたらいつの間にか治った。

暫くは、眠れなくても周囲と同じ生活時間に合わせるように無理して起きてたり、

夜はただ横になってるだけで辛かったな。

2021-12-27

精神科の正しいかかり方

精神科心療内科臨床心理士カウンセリング民間カウンセラー産業保健師渡り歩いて悟ったことがある。

当方双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。

だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。

そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。

どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、

という話を聞かない。

向精神薬しろ麻薬しろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。

ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、

病院慣れしている人間にとってはありがたいことだ。

しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。

薬をもらうためだけに精神科診療内科に通っている、

を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。

つまるところ、精神科心療内科は「ヤバいブツ販売する場所なのだ

加えてこれらの病院には大きな役割がある。

仕事を辞める際、多重労働人間関係の辛さが原因だったとして、

でもパワハラ労災にするまででもない、というケースがある。

こうした場合精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、

退職後に離職票診断書を持ってハローワークに行くと、

失業保険給付要件が緩和される場合がある。

この場合会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由会社と争う必要はない。

形のない労災パワハラ会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。

辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。

精神科心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。

ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、

賢く利用するのがよい。

クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、

そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。

残念だけど。

精神科の正しいかかり方

精神科心療内科臨床心理士カウンセリング民間カウンセラー産業保健師渡り歩いて悟ったことがある。

当方双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。

だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。

そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。

どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、

という話を聞かない。

向精神薬しろ麻薬しろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。

ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、

病院慣れしている人間にとってはありがたいことだ。

しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。

薬をもらうためだけに精神科診療内科に通っている、

を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。

つまるところ、精神科心療内科は「ヤバいブツ販売する場所なのだ

加えてこれらの病院には大きな役割がある。

仕事を辞める際、多重労働人間関係の辛さが原因だったとして、

でもパワハラ労災にするまででもない、というケースがある。

こうした場合精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、

退職後に離職票診断書を持ってハローワークに行くと、

失業保険給付要件が緩和される場合がある。

この場合会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由会社と争う必要はない。

形のない労災パワハラ会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。

辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。

精神科心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。

ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、

賢く利用するのがよい。

クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、

そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。

残念だけど。

2021-12-18

無題

僕は三年前近くからデパスマイスリー等の安定剤睡眠薬摂取している。

きっかけは大学生時代コンビニ居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事

仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。

僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った

真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン

半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。

今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。

飛んで今年の三月、僕は大学卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。

これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京精神を患った。

パワハラ嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。

コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。

精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。

以前デパスマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。

そこから毎日しかった。自分の病名に酔い、自分無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームドラマアニメ鑑賞、寝たいときデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。

システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代貯金を削りながら毎日治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。

6月から8月休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。

9月末、これが僕の人生最後夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。

9月中旬僕の家に遊びに来た彼女シャワーを浴びてる間にLINE確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った

もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。

結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。

11月末新しく彼女ができた。コカイン中毒彼女

僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。

彼女は言った「眠剤バカになるから辞めて、わたしコカイン辞める」

二つ返事で快諾、眠剤バカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事時系列や、記憶因果関係がめちゃくちゃになっていた。

でも僕は自分依存しているなんて思ってもなかった。

次の日、行きつけのバーバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン

完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに

でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分身体眠剤依存していることに自覚した。

そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠

こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた

眠剤気をつけないと離脱症状悪夢を見るし幻覚幻聴聞こえるから気をつけてねぴーす

無題

僕は三年前近くからデパスマイスリー等の安定剤睡眠薬摂取している。

きっかけは大学生時代コンビニ居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事

仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。

僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った

真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン

半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。

今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。

飛んで今年の三月、僕は大学卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。

これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京精神を患った。

パワハラ嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。

コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。

精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。

以前デパスマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。

そこから毎日しかった。自分の病名に酔い、自分無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームドラマアニメ鑑賞、寝たいときデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。

システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代貯金を削りながら毎日治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。

6月から8月休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。

9月末、これが僕の人生最後夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。

9月中旬僕の家に遊びに来た彼女シャワーを浴びてる間にLINE確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った

もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。

結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。

11月末新しく彼女ができた。コカイン中毒彼女

僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。

彼女は言った「眠剤バカになるから辞めて、わたしコカイン辞める」

二つ返事で快諾、眠剤バカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事時系列や、記憶因果関係がめちゃくちゃになっていた。

でも僕は自分依存しているなんて思ってもなかった。

次の日、行きつけのバーバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン

完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに

でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分身体眠剤依存していることに自覚した。

そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠

こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた

眠剤気をつけないと離脱症状悪夢を見るし幻覚幻聴聞こえるから気をつけてねぴーす

2021-12-09

ワイ「適応障害しんど…」

クソアマ「おウチのことたくさんやんなきゃしんどー!!!お金大丈夫なのかな??!?!なんで構ってくれないの???あーいろんなことやんなきゃだから辛いよー!!!!」

なにこれ?

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