「挫折は?」と聞かれたら私は間違いなく大学院での経験を取り上げると思う。
ほぼ書き殴り。
私は元々興味で突っ走るような人間だった。
学部でシラバスを見て「これ面白そう!」なだけで取る講義を決めるような人間だった。
大学院についても「ここの研究面白そう!」で決めて院試も特に苦労することなく合格、迷わず入学した。
だが、それがいけなかった。大学院経験者ならこの時点で察すると思う。
ブラック研究室でした。表向きが綺麗なだけで実情は教員が人格破綻していました。
研究報告で成果が出ない/少なければ特にM2は教員から恫喝される研究室でした。
それ以外にも男性にはパワハラ、女性にはセクハラが日常茶飯事。
その結果、2年間で先輩、同期、後輩が片手で収まらない人数消えました。
修士1年生の時は講義受けて単位取って練習実験で特に問題無かった。
修士2年生ではコロナの影響で研究室が4月から6月まで閉鎖、7月に私は就職活動が終了し、2021年3月には修了できる筈だった。
しかし元々実験が下手くそ、そして研究も思ったように全然進んでいなかった私。
9月頃から「お前は卒業できない」「留年だ」と教員から圧がかかり始める。「馬鹿だ」「間抜けだ」「お前は椅子に座ってぼーっとして何もしていない」等の人格否定も入り始める。
もっと早く周りに助けを求めれば良かったかな、10月に完全に不登校になりました。
朝起きられなくなり目が覚めても直ぐに身体を動かせなくなりました。3時間は布団から動けない。
自宅から大学まで1.5時間かかりますが通学に耐えられなくなりました。電車自体乗るのが辛い。
両親は共に働いており帰ってくるのは夕方。怪しまれないように帰ってくる前に何とか布団から起き上がって近所の本屋やネットカフェなど、何とかして時間を潰す。
もう自分が情けなくて仕方なかった。
11月に教授から電話がかかってくる。親に不登校状態が伝わる。
今の状態、研究室に行くのがもう辛いと伝える。親の反応「そんなの逃げだ甘えだ、ちゃんと行け」
・・・・・
その電話後、大学の学医に今の状態を伝えた。不登校状態のこと、電車も厳しいこと。「さっさと病院行け、多分診断書出る」
心療内科受診。親が自宅から病院に対し受診を止めさせるよう妨害もしてきたが今の状態を話す。適応障害の診断がおりた。休学を勧められる。
さっさと休学届と診断書を出して休むべきなのだが、休学届には親及び教員の捺印が必要である。
だが先述のように親が元々「精神疾患は逃げ甘え」論者+研究室の教員も信用出来ない状態であり、親については休学推奨だと言われた皆を話したが最終的に理解が得られなかった。
そして12月になった。研究室に行けない状態が続き教授からの連絡で留年が確定した。
自分も、両親も、大学も、研究室も、内定先企業も誰1人として望んでいない留年である。全員揃ってLose-Lose。
休学か退学か、の二択が言われた。留年してもう一年出来るとは思ってないのであろう。勿論当の自分も修論を書けるビジョンはもう無かった。
内定は取り消された。勿論内定先企業には何ら罪は無いので、後日誠心誠意謝罪を行った。
また後で分かった話だが、研究室側については前々から退学者が相次いでおり、今回の一件が決め手で獲得した科研費をある程度大学に没収されたらしい。
ブラック研究室なんて潰れろ
普通は学部と同じ研究室を選ぶだろうし、異なる研究室の院に進むなら事前に見学したり根回ししたりするものじゃないの?
学部と研究科の接続のシステムによっては、そのまま同じ組織の内部で上がるって形での進学ができなかったりするんよ。 そもそも別の学部であるはずの先生が開いている研究室に学部...