はてなキーワード: 精神論とは
マニュアル通りに行う仕事は得意なので、なんとかこれまで社会人をやってこれた。
一方で、面白い話をしたり何かを応用させることが極度に苦手。(特に対人コミニュケーション)
高校時代、好きな人に「現金5万円あげるから付き合ってくれ」と言ったらドン引きされた。
お金で釣っても仕方ないと反省し、二人きりで話すことができるくらいの女性に突然告白したら普通に断られた。
告白する文化は高校生まで。大学生からは先に体の関係を持ち告白は意思確認とネットに書いてあったので、様々な女性の家に侵入したが、当然童貞が何かをできるわけもなく、普通にトランプとかで遊んでいた。
わからない。
受験勉強や就職活動は、成功までのプロセスのこと細やかな手順を社会が教えてくれたので、そこまで苦労はしなかった。
それに比べて、こと恋愛においては先生も親も誰も教えてくれない。
友達に恋人と付き合ったきっかけを聞いても「雰囲気」とか「フィーリングが合ったから」など曖昧な答えしか返ってこない。
ネットの記事や恋愛本を読んでも、「関係性はカップル次第」「大切に思う気持ちが一番重要」「恋人が欲しいという雰囲気を出さず、趣味や仕事に力をいれて余裕感を出しましょう……」
私が求めているのはこのような曖昧な言葉ではなく、詳細なデータが載っている解説書である。
例えばだが、
・1日3回目が合えば、LINEを送っても邪険にされない確率70%以上。
・デートに誘って3時間以内に返信が返ってきたら、手を繋げる可能性80%以上。
・次のリストの30項目の内、20項目を満たしているのならば、告白しても付き合って貰える可能性90%以上。
そのようなデータ本があれば、期待値を計算しつつ次の行動に移れるのだが。
どうも女の子は「女の子の扱い方」が上手い男が好きらしいが、その具体的な取り扱い方法は探してもあまり載っていない。これもリストアップして欲しい。
また、仮に恋人ができた場合のHな雰囲気の持っていき方も懇切丁寧に誰か教えて欲しい。
一度勉強しに風俗へ行ったが、ドアが空いた瞬間ディープキスをされベッドに押し倒されたので何の勉強にもならなかった。
書店に売っている恋愛本は精神論ばかりで、どうしてこうも実践に役立つものがないのか本当に理解できない。恋人を作る、いい関係に発展させる具体的な手順が広く共有されれば少子化問題にも良いと思うのだが。
東浩紀「短期決戦でコロナに勝つ、とかいう精神論に騙されることなく、長期化前提で粛々と各個人自分の生活を守るべきですね」
東浩紀氏はCOVID-19をインフルエンザよりも弱いウイルスだという持論を展開して「こんなに弱いウイルスに、こんなに現代社会が弱かったことが驚き」だと対策に慌てふためく人々を嘲笑し、緊急事態宣言やロックダウンなどの規制に猛反対し、当初ニアゼロな規制を求めた8割おじさんや専門者会議を非難し、”「命より大事なものはない」というイデオロギー”を否定するまでに至り、この国にウイルス対策と経済対策の二兎を追わせてCOVID-19との長期にわたる消耗戦に突入することを歓迎したゲンロン人のひとりです。
コロナ禍で誤った言説を垂れ流して問題の解決をより困難な方に誘導しようとした人はいっぱいいますが、私の観測範囲ではこの方がもっともたちの悪いことを言っていました。
自分は個人開発でいずれはそこそこ稼げるようになればとかちょっと夢見てる田舎のIT土方。
一応運営しているサービスは一定以上のPV数は稼げているもののマネタイズという段階で行き詰まってて、
今後の運営の一助となればと考えてSEO/Webメディア運営のオンライン勉強会というのに先日参加してみた。
講師はWebメディア運営を主とした会社を運営しているらしい30代くらいの経営者。
勉強会は「Webで儲けるなんて難しそうだけどそんなに気張らなくて大丈夫ですよー誰でもできますよー」というような精神論含めた意気込み的な説明から始まった。
講師の割とリテラシ低めな人に向けてるような言い方に自分が参加するにはちょっと易しすぎる趣旨の勉強会だったかなと思った。
『SEOとは』の説明から始まって、メタタグとかCMS=wordpressのテンプレートがウンタラカンタラの説明。
ここはまあ本職の自分は当然全部知ってる情報だから半分聞き流していた。
その次は収益化を考慮したwordpressの運用方法とかメディア構築の具体的なテクニックとかが紹介された
ここは勉強になるかもなーって話を聞いてみたんだが、なんだかなぁ……
講師の話を要約すると、大体↓みたいな感じだ
いや、このテクニックで生み出される記事って本当にただのゴミなんじゃ……
このとき気づいた。この講師はいかがでしたかブログを量産してるだけのただの社会のゴミだった。
勉強会の最後に質疑応答があって、「その方法じゃ低品質な記事が量産されて問題じゃないですか?」とだけ一応質問したんだけど、
「コピペとかやりすぎるとGoogleや広告会社に制裁食らう可能性があるので注意しましょう」みたいに言われて、
ああ、この人達にとっての『品質』とは需要のある情報を徹底的にリサーチして理路整然とまとめた記事だとか、面白い文章だとか、
そういうことじゃなくて『Googleに制裁をくらわない内容』『人間にとってはゴミでも検索エンジンというシステムに評価される内容』のことなんだなぁって。
「あなたが作っているものは何の価値もないゴミであなたは情報社会に害悪しかなさない社会のゴミだけど生きてて恥ずかしくないんですか?」という質問が頭に浮かんだが流石に口には出さなかった。
そんでこの手の人間がこういう講座で似たような人間を集めて互助会作ったり才能ないけど夢だけ大きい馬鹿に情報商材売りつけたりして勢力増やして更にWebにゴミばら撒くわけだ。
はてな界隈だけ見ててもなんとなくは知ってたけど本当にこの手の人達はITエンジニアじゃなくて転売屋とか情報商材屋とかそういうのの仲間なんだなぁって。
Googleはこの講師のような人が量産するゴミコンテンツと良質なコンテンツを機械的に判別する術を未だに持っていなくて、
「良いもの作ろう!」って人より「とにかくゴミを量産しよう!」の人の方が得をしてしまうこの検索エンジン開発における技術的な限界点が
やっぱり自分はこんな小手先のテクニックじゃなくて本当の品質や発想の面白さで勝負しよう、良いもの作ればいつかは誰かわかってくれるかな。
「他人をねたまず、心優しく居ればいい」とか精神論は意味ない。結婚詐欺師や友達の性格わるいブスがモテてるのに、そんな言葉を信用する必要はない。
必要な事は
この三つだ。
ブスは男と関われば、それなりに一定数のゲテモノ好きやヤリチンにひっかかるものだ。そこでアプローチしまくる。重要なのはセックスしないこと。
ブスが飲みサーに入ったり、華やかな学部に入ってはいけない。美人の引き立て役にされるのがオチ。
引き立て役にされない、華やかな女だけのグループとかに行くのは良いが、あくまで学ぶ為。
オタサーや理工学部に入る。もちろんイケメンが居る。そこで男に媚びてはいけない。あくまで好意を振りまくだけ。ぶりっ子認定されると嫌われる。
男がぞろぞろとやってきて、君を狙ってくるだろう。男のグループの中で君の評価は上がってるので、イケメンも君をある程度ヒトモク置いてるはず。
媚びない程度にアプローチするなり、告白させるなりして付き合おう。
これぞ女の恋愛工学
だよなぁ。日本は下のもの限定の精神論で、特攻隊に志願して死ねって社会だ。
まあ、特攻隊に志願してほぼ死人のゾンビになったら起業経験をもとに起業煽りの仕事をしろと。ゾンビがゾンビを作るかのようだな。バイオハザードかよ。日本の起業社会なんてものは。
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Auguste Comte
Flag of France (1794–1815, 1830–1958).svg フランス共和国、オクシタニー地域圏エロー県モンペリエ
イジドール・オーギュスト・マリー・フランソワ・グザヴィエ・コント(フランス語: Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年1月19日 - 1857年9月5日)は、フランスの社会学者、哲学者、数学者、総合科学者。1817年からアンリ・ド・サン=シモンの教えをうけ、助手を務めたこともあったが、1824年にけんか別れした。1841年から1847年までジョン・スチュアート・ミルと親交があった。「社会学」という名称を創始し、彼の影響を受けた英国のハーバート・スペンサーと並んで社会学の祖として知られる。『社会再組織に必要な科学的作業のプラン』、『実証哲学講義』、『通俗天文学の哲学的汎論』、『実証精神論』などの著作がある。生涯を在野の学者として過ごし、パリで死去した。
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これが持てない人間は絶対に子どもを作ってはいけません。あたおか
繰り返すけど絶対に作ってはいけません。メンヘラ毒親の負のループは止めよう
完璧に育てなきゃいけないとか
あとは、この増田(anond:20201002100355)にほぼ同意
> あと、こと生活についていえば、ガキを優秀にしようとか、完璧な人生を与えようとか、間違いのない教育を施そうとか考えるから「育てるのが大変」っていう話になる。
> 都会出身で自称中流実質高等な家庭に育った人間はここを勘違いしている。
> 生きてりゃ丸儲け。最終的にそこらへんの職人のオッサンとかになるとしても悪人にはならない。幸福であれば大金持ちである必要ない……ぐらいの気持ちでいけば、
> この日本それぐらいのことは可能な福祉はある。具体的にはガキの食費ぐらいは自治体の支援で賄えるし、大学行きたいといいだしたら常人なら教育ローンぐらい組める。
> 別に塾行けなくて高校生のときヤンキーくずれの学校に行っても親がちゃんとしてりゃ犯罪者になったりしないよ。
> 親のキャリアについても同じで、なんかオリンピックでも目指しているならキャリアにだけ集中すればいいが、
> 大抵の人間のキャリアなんてものは少々子供に労力を割いたからって変わったりしない。完璧を目指すから不安になる。
ただ子どもに誠実に向き合え、愛し方は学べは同感なんだけど、
まず「子供を愛する」とかいう精神論について考えているのが間違い。
子供に必要なのは愛じゃなくて、愛されている実感によって醸成される自信とかだ。
そして子供に実感を与えたりするには、むしろメソッドが大事だったりするんだよな。
お前はせいぜい、誠心誠意お客様に接しましょう、程度の愛と子供相手の接客知識をもっていればよくて。そういうのって本心からの愛があればそりゃあ自然と出てくるんだけど、別に自然である必要はない。勉強して身に着ければいいたけどのこと。
お前が考えるべきは、自分に勉強してメソッドを身に着ける能力があるかどうかだ。
あと、こと生活についていえば、ガキを優秀にしようとか、完璧な人生を与えようとか、間違いのない教育を施そうとか考えるから「育てるのが大変」っていう話になる。都会出身で自称中流実質高等な家庭に育った人間はここを勘違いしている。
生きてりゃ丸儲け。最終的にそこらへんの職人のオッサンとかになるとしても悪人にはならない。幸福であれば大金持ちである必要ない……ぐらいの気持ちでいけば、この日本それぐらいのことは可能な福祉はある。具体的にはガキの食費ぐらいは自治体の支援で賄えるし、大学行きたいといいだしたら常人なら教育ローンぐらい組める。別に塾行けなくて高校生のときヤンキーくずれの学校に行っても親がちゃんとしてりゃ犯罪者になったりしないよ。
親のキャリアについても同じで、なんかオリンピックでも目指しているならキャリアにだけ集中すればいいが、大抵の人間のキャリアなんてものは少々子供に労力を割いたからって変わったりしない。完璧を目指すから不安になる。
「戦後のアメリカに押し付けられた憲法や教育が日本を駄目にした」
という考えがあると思うのだが、
その崇高な戦前?の教育とやらで育った大人が子供達を特攻機に乗せて本土決戦をしようとしたわけなんですが、
(木更津の高台にある寺から子供を乗せた桜花を射出しようと計画していたが、その前に無条件降伏して本当に良かった
安倍界隈はオカルトや神道大好きな反知性主義者のアホが揃った感じで非常によろしくない。
北方領土も献上しようとか菅もアホだったのかと。
くだらない人種差別をしていたナチスはあるユダヤ人の発明した核兵器に負けたわけです。
次の戦争に勝つためには、その反省を活かすべきであり、それは精神論ではなく、より理系な戦略、戦術になるのは明白です。
例えば、軍服一つをとっても、着ていて違和感がある、不快感がちょっとでもある、というだけで士気は低下するものです。
となれば、兵士にとって着心地が良く、しかしながらコスト面も抑えられている軍服、兵装の開発が求められるわけです。
日本は今になっても、そういう考え方ではなく、黙って制服を着ろ、というような頭ごなしな考え方が根強くある。
○本会議だの神道だののような考え方では次の戦争は必ず負けます。
戦争で負ける日本を作ろうとしている、親学だのは寧ろ売国奴の考えです。
そもそも、安倍は靖国に参拝したことを誇らしげにツイートしているが、ロシアに北方領土を提供し、アメリカにもペコペコ頭を下げる、
そんな体たらくな人物が過去の英霊だのに何を報告する意味があるのでしょうか。
そのためには、よりロジックで理系的で効果的な政策が求められるはずです。
その点で河野さんは今の所よくやっている。
非常に期待できる。
北方領土担当でもあるし、自衛隊方面もよくやっていた。唯一の良心に思える。
イランのような国とも根強く交渉し、交流してきたことで、石油を安定的に供給できている。
兵士は一流だが、上は二流三流なことが多いのですから、日本はやればできる子なはずです。
少なくとも自分はそう思うのです。
だから、何らかのシステムやアーキテクトでも、白人の考え方や企業のサービスを鵜呑みにせず、
柔軟に受け入れつつも、独自の考えや規格を打ち出しても良いはずです。
すぐに欧州で世界で日本の仕様は規格にならなかった、規格化競争に勝てなかった、という話になりがちですが、
それを言うなら、中国はパクリだけでなく、並行して独自の技術や規格でエコシステムを作ってもいるのです。
中国には感心したり呆れたり色々ありますが、国がでかいこともあるのでしょう、
それに、日本や中国の数倍の速度で目まぐるしく流行というか、変改してグルグル回ってるものもある。
人としてそんなにスペックも変わらないはずだし、日本に優れた人材は大勢いるわけで、
特に人間の心理的に気になるのが妥当な場面なのに、なんかの精神論を一辺倒で信じ込んでそういうアドバイスする人はそもそも人間に対して理解してない。
機械に「壊れなきゃいいじゃん」って言うようなもので、そもそも非現実的なことしか言えてないことに気づいてない。おまけにおそらく生存者バイアスかかってる。
そもそも気にしてんだから、気になる性格なんだよその人は。だから「気にしなけりゃいい」なんて効かないんだよ。というか大抵の人間は気になるもんは気になるんだよ。その物理的な事実をスルーする人はちょっとやめてほしい。
令和時代からは人間のこと理解する人の割合が増えることを願う。
こういう無理解な人間が上司になると面倒なんだよ。人間心理の精神的な負担というコストを全スルーしたプロジェクトマネジメントをしようとして結局人間心理に反してるから失敗して、でも頭悪いから「さらに人間力を鍛える」とか「コミュニケーションを!」とかやめようとしない。アホかよ
うちの近所の共産党員、オールドタイプの、屏風から出てきたタイプの、ネトウヨに都合が良いタイプの共産党員なんよ。「憲法9条が日本を守ってくれている」「改憲は天に唾吐く行為」「国民投票法(2014年の手続き整えたやつ)は憲法改悪をできるようにした稀代の悪法」みたいな、憲法スピリチュアル系って言いたくなるような奴。「改憲は民主主義的手続きのもとできるべきでしょ、それが整ってないのは国民主権に反するんじゃない?」って聞いたら、法律で決まってなかったら人を殺すのか?みたいなこと喚いてて、あースピリチュアル系だって確信した。痛いとこ聞かれたらそれを謎道徳とか真実に気づいていない無知蒙昧扱いで無効化に走る、よくいるスピ信者。
本来の共産党って、そんな精神論みたいなの唱えるわけじゃないと思うんだけども。伝統とか慣例みたいなのをクソと切り捨てるタイプだと思ってるんだが。それこそ親学みたいなやつをボコボコにしたがってるって思うんだが。違うんか?
資本家全員破滅したら面白いのになーって思ってる程度には共産党と親和性がある私ですら、「あんなのが居るの?ちょっとヤダな」って思うくらい酷いのがチラシとか配ったり署名求めたりしてない?
で、そのオールドタイプスピリチュアル系共産党員、奴らはれいわ新選組に走らんの?そっちのがよっぽど親和性高いと思うんだが。スピ系共産党員、居なくなれば大手を振って共産党員になれるのに。
最初は増田にぶらさがってブクマを稼ぎたいだけだったのに、そんな話にも関わらずしっかりと耳を傾けてくれる姿勢に襟を正す思いでこれを書いています。
一応は20年くらいは写真を撮っていますが、自分はプロではないので、あくまでアマチュアの一意見として受け流してくれるとありがたいです。
増田の話を聞いていると、もしかしたら、まずは追い求めたい被写体を絞り込んでいくことから始めるのがいいのかなと思いました。
カメラというのは車と同じようなもので、利用目的によって様々なサイズや性能に特化したものが用意されています。
それをすべて詰め込もうとすればサイズも価格も膨らんでいく一方ですし、目的に沿って取捨選択ができてはじめてもっともシンプルで無駄のないシステムが構築できるのだと思います。
その上で、すこし精神論じみた話をしてしまうと、写真というものは、撮影者と被写体との関係性が絶対に写り込んでしまうものだと考えています。
同じ人を撮影するにも、同じ機材を使っても、撮影者と被写体との関係性でその写真は全く別のものになります。
親しい人であれば自然な表情が取れるでしょうし、心を許せていない人であればどこかぎこちない写真になります。
まずはその観点において、カメラという機材の存在感は無視することができません。
ストロボに大きなデフューザーをつけてでかい一眼レフを向けられれば人は緊張するでしょうし、アクセサリーのように自然に首にぶら下がったミラーレスが気づかないうちにシャッターを切ることができれば、何を意識するでもない自然な表情が撮れるかもしれません。
例えば結婚式の写真を頼まれたとき、大きな一眼レフを仰々しく首から下げておくと割と一般のゲストが遠慮して撮影を優先してくれることもあるでしょうし、小さいカメラだからこそ撮影することを意識させずにゲストの自然な表情を撮れたりすることもあります。
そういう観点から、増田にとってカメラという存在がどのように自分の撮りたい写真に影響を及ぼすのかということは考えてみてもいいかもしれません。
増田にとって、一眼レフをぶら下げたほうが自分の撮りたい写真にとって有利なのか、それとも小型のミラーレスのほうが有利なのか、撮りたい被写体ありきで考えてみてはいかがでしょうか。
もちろん、カメラを持つこと自体のストレスも重要です。物理的な重量やサイズ感以外にも、自分とカメラの溶け込み具合なんかも自分は大切な要素の一つだと思っています。
要するに、カメラを持った自分と、カメラを持っている自分を認識している被写体とが自分にとってどのような関係性でいることがベストかということを考えてみるのがよいのだと思います。
今で言えば生活のどこにでも溶け込んでいるスマートフォンも、カメラとしては優れた機材の一つだと思っています。
そしてもう一つ、被写体との物理的な距離感も大事な要素の一つです。
全く手に届かない被写体を意識もされないままに望遠を使って撮影するのか、それとも身近な存在を撮影することを意識されたままに撮影するのか。
好みの画角を決定づける方程式はどちらかというとシンプルで、被写体との距離感と、それに対して写真の中の被写体の占有率の2つで求めることができます。
遠い被写体を大きく写したければ当然望遠ですし、遠い被写体を広く写したければ広角、近い被写体をアップに撮りたければマクロ、近い被写体にも広い背景を入れたければ広角など、画角と最短撮影距離の2つが判断基準になります。
この辺りは意識して絞り込むことは難しいので、自分が撮影した写真を見返してみて、どの画角、どれくらいの被写体との距離感の写真が自分にとっていい写真だったのかを見返してみるのがいいと思います。
おそらくこの2点は画質を考えることよりも先に解決すべき問題だと思っています。
画質に対するこだわりは、そこまで被写体を絞り込んでからでも遅くないと思います。
そうすると、自分が撮影したい被写体に対してベストなレンズが絞り込めてきます。
ズームレンズは一見便利なように思えるのですが、1本でいろいろな写真が取れてしまうので自分の好きな画角に気づかないままで過ごしてしまうこともあります。
そこは割り切って単焦点レンズを使ってみてまずは理想の写真に対して自分の足で稼いでみるのもよい経験になるのではないでしょうか。
動体に対するピント精度はレンズよりも本体性能に関わってくるので、この辺はメーカーやそれこそ価格帯で異なってきますが自分には明確な答えを持っていので実際に使っている人の話を聞いてみてほしいと思います。(どちらかというと静物中心の撮影が多いので)
また、暗所に対する撮影はカメラとレンズ性能よりも、どちらかというと周辺機器で解決する場合のほうが多いです。
水族館なんかだと機材に制限があるので使えないことが多いのが現実ですが、そういう場合はそもそも撮影できないものなのだという割り切りも大事です。
それでも撮影したい気持ちがまさるのなら、それに特化した機材選びが必要になってきます。
いずれにしても、機材にはメリットとデメリットが常にセットになります。
その時、自分の都合よりも撮りたい被写体のために機材選びをできれば、そのデメリットはそれほど苦痛にはならないのではないかなと思いました。
自分が尊敬してやまない「決定的瞬間」という言葉を作り出したアンリ・カルティエ・ブレッソンも、今で言うミラーレスのようなカメラを常に懐に忍ばせては、数々の芸術的なスナップショットを生み出してきました。
彼は構図の天才でありながらも、被写体との関係性とはなにかということを表現した写真家の一人だと思っています。
すこし年寄りの説教じみた話になってしまいましたが、増田にとって写真がいつまでも楽しめる趣味であってほしいと願っています。
はてブではほぼ無風。女性の少なさを改めて感じつつ、暇なのでツッコミを入れていってみる。
キャンペーンサイト: https://www.kao.co.jp/laurier/kosei-ful_2020cp/
誰かが生理で休んだとき、 「お大事に」って口では言ったけれど、
心のどこかでは「生理で休むなんて…」と
思ってしまうことがあったり。
“生理は一人ひとり違う”
リアルだったりする。
けれど、その違いを 受け入れ合うことができれば。
違いを“個性”ととらえることができれば。
今まで見えなかったことに気がつけたり、
そっとフォローしあえたり、
_人人人人人人人人人人人人人人_
> 突然の宝石ジェネレーター <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
A. 10人中6人が休まないと回答。休む、休まないの回答のどちらにも「生理なんかで休むなんてと思われそう」という類の回答あり
Q.5 生理痛がしんどそうな後輩に薬を渡したら断られた。あなたはどう思う?
A. 回答はもはやどうでもいいので割愛
生理は「一人ひとり違う」と思うようになった
NO 14%
YES 79%
NO 21%
生理でツラい思いをしている同僚がいたらフォローしたいと思うようになった
YES 88%
NO 12%
10人中何人のところ、増田が勝手に内容をまとめたものをアンサーとして書いていたことを追記しました。個別の回答を非難したいわけではなく、全体としてこういう価値観を公開できてしまう社風なりキャンペーンコンセプト自体に問題を感じているためです
思いのほか反応があったので追記する。
「生理には個人差があるのを理解しようっていう事自体はいいじゃん」という意見が多いように見受けられた。
ただ、ブコメにもあったけれど、このキャンペーンがこんなに反発を食らっているのは、ちょうど韓国の生理用品のCMが話題になっていたタイミングだからだと思う。
生理の日でもアクティブに過ごそう!というよくあるキラキライメージをぶち壊し、休んでいい、頑張らなくていいというメッセージ性が支持されている。
https://twitter.com/still_bambi/status/1285242450076823552
それから、これも先月頃に話題になっていた「街で初めて生理が来た女の子を見つけたら?」という社会実験の動画。増田はこれを見てちょっと泣いた。
韓国: https://twitter.com/danielx1210/status/1294954040762146816
中国: https://twitter.com/massy_ayoumi/status/1295526705088434178
こういうCMが作られ話題になっている中で、今回のロリエのキャンペーンのメッセージ「生理は個性」「女性同士、違いを個性として受け入れればもっと気持ちよく助け合える」は残念ながら周回遅れだと言わざるを得ないと感じた。
「個性=個人差なのでおかしいと感じない」「言葉狩りでは?」と感じた人もいるようだった。
一方で、私を含め「生理は個性」というワードに違和感を覚えた人の多くは、個性という言葉にポジティブ、あるいは楽観的な印象を受けたり、「障害は個性」という表現を連想したりしているようだ。
これは主観だが、「個性」には「ありのままでいい」という意味を感じ、もっと言ってしまえば「改善する必要はない」「そのままうまくやろう」という意味合いさえ感じてしまう。
生理の重さや症状は確かに一人ひとり異なるもので、自分を構成する一要素ではある。けれど、私は、それを自分の個性だとは思わない。
汚い例えで恐縮だが、例えば下痢は病気ではないが、下痢になりやすい体質、全く下痢にならないなど、一人ひとり下痢との向き合い方は違う。自分が下痢になりやすい体質だったときに、それがあなたの個性だよ!と言われて、どうしろというのだろうか?
そんなに下痢するならこういう市販薬があるよ、おむつもあるよ、もっと辛かったら病院へ行ってみよう。そういった建設的なメッセージもなく、下痢体質がキラキラした宝石に化けて、なにが嬉しいのだろうか?
そんな呆れにも近い読後感が炎上の源泉になっていると思う。
重すぎる生理は子宮内膜症や月経困難症などの病気の場合もある。だからこそ、キラキラの宝石でごまかさずに「これくらいの症状があったら一度病院に行ってみて」って言うべきだったと思う。
そういった具体的な解決策を何も示さず「生理が重いのも軽いのも個性だからお互い受け入れて助け合おうね。に終始するキャンペーンは、令和の世の中には軽率と取られても仕方ないのではないか。
こういう素朴な考えをひた隠しにし続けるのは、「生理休暇を軽視する人がそこかしこにいるって現実は無視します」ってメッセージになってしまう。たしかに若い人たちの意識は向上しているだろうけど、花王でさえもまだこのレベルなのかって話であって、花王が突出してヒドイって証拠はない。社会の現状に目をつぶって理想論に浸っていては、改善の足取りは重い。
花王が突出してヒドイとは思っていないし書いてもいない。単純に、「花王でさえもまだこのレベルなのか」という部分に呆れている。まあ、隠さなかったのは良いことだったのかもしれない。
社会全体でのアンケート結果だったら、むしろよく分かる話だった。でも、社内で起きていることなら、改善できるはずじゃん?
私が期待していたのは、「社内ではこのような考えがあった。生理用品を手掛けるメーカーとして相互理解は不可欠と考えて、まずは自分たちからこのような施策を行ってみた(たとえば生理休暇取得状況の実態調査だとか、制度化&取得推進だとか)。まだまだ浸透に時間はかかりそうだがこれからも続けていく」みたいな話だったのかもな、と思った。
追記終わり。
仮に、産まれてきた子供がその直後まとめて育児施設にぶち込まれて、そこで育児と教育のプロフェッショナルがつきっきりでお世話をして幼少期を過ごすというシステムがあったとして何か不都合があるのだろうか?
画一化された育児よりも更にレベルの高い環境を提供できるような富裕層を除いてそういったシステムに組み込んでしまう方が、虐待だの階層の固定化だのといった課題の解決策となるような気がする
教育学は学んだことがないのでそういった先行事例があるのかどうかや反論が聞きたい(「親の子供を育てる喜びが失われる」といった精神論ちっくなものではなく、子供と社会に及ぼす悪影響の観点での反論)