はてなキーワード: 杜撰とは
アルファロメオに乗ってる。日本ではあんまり人気のないマイナーな車種。
1年前にオーナーになった後、その車種では結構有名で雑誌にも出たことのある整備士の人に預けたんだ。その人をAとしよう。
Aは個人で一人社長兼整備士をやっていて、その車種の整備にかけては右に出る人はいないですよと〝自分で”豪語する人だった。
そのAに車を預けてみて分かった。実態は口先三寸のボッタクリ。納期は守らない、5Sができていない。提示する工賃に何の根拠もない。
悪く言えば詐欺師のような整備士で、客からお金を頂くプロとして風上にも置けない仕事をする人だった。
自分はそこには車検時の整備を兼ねて一度預けたっきりで、それ以降は地元の親切なアルファオーナーに紹介してもらった、誠実に整備してくれる
別のところにお世話になりオーナーを続けられている。この前のプロフェッショナルでやってた小山兄弟のような信頼できる整備士だ。
それに引き換え問題の整備士Aは趣味の延長線上のようないい加減な仕事で、自分は走る凶器に簡単になる車をこれ以上Aに預ける気にはとてもなれなかった。
そんな杜撰な仕事を行うAだが、とても口がうまいので割と常連客がいる。中には高給職のオーナーも一定数いる。
その整備士Aと公私で親しくしているBさんという方がいる。まだ20代の若手の弁護士だ。
Bさんは基本的に何でも自分で車をいじりたがる人で、どうしようもない場合にのみAに預けるというスタイルを貫いていた。
自分はそのアルファを買うときにBさんとその整備士Aのブログを読んだことが買ったきっかけということもあり、
Aを見限った後もBさんとはネット上では頻繁に、リアルではたまに会う付き合いを続けていた。
最近、そのBさんと自分が偶然同じ部分を修理することになった。修理箇所はブレーキの油圧系統のトラブル。
整備を一歩間違えれば車は止まることができず、自分が傷付くどころか他人にも危害を加えかねない危険な部分だ。
Bさんはその部分に関しては流石に自分ではやらず、Aに整備を一任している。
整備士AはブログでそのBさんのアルファロメオの油圧系統の部品を分解したら壊れていたという写真付きの記事をアップした。
その記事を今お世話になっている整備士の方に見てもらったところ、Aの整備ミスで故意か意図せずにその部分を壊した可能性が高いことを指摘された。
セカンドオピニオンで車に詳しい人に何人か見てもらったが、どの人もその部分が走行や経年劣化でその写真のように壊れるのは見たことがなかった。
Aの仕事の質の低さを痛いほど体験している自分は、趣味の延長線上で仕事をするAに自分や他人の命を預けるブレーキ部分をこれ以上整備させることは危険だと思い、
言う前からある程度想像はできたが、Bさんは「Aさんが壊したという証拠が不十分だ。お前は何が言いたい? 余計なお世話だ」と頑なに突っぱねてしまい、
Bさんは整備士Aをそのアルファの整備を教えてくれる師匠として古くから慕っており、Bさんより上に立っているAはそのことをうまく利用して手玉に取っている。
Aは精神的にBさんを支配するタイプで、極端に言えば教祖とマインドコントロールされている信者の関係だ。
もしブレーキ整備不良のアルファをBさんが乗ることになれば、運転する度に自分と他人が命の危機に晒されることになる。
断言しても良いが、もし事故が起こってもAは自分の整備不良を棚に上げ、アルファロメオという車自体に信頼性がないことを盾にして必ず逃げようとするだろう。
このままでは詐欺師の自動車整備士AにBさんが殺されてしまうかもしれないが、悩んだ末Bさんを見殺しにすることにした。
まあ何かあってもその人は自分で自分を弁護できるから大丈夫だろう。本人が不具になったり死んだらそれまでだ。
最初は何とかしてBさんを救いたいと思ったが、それは自分の気持ちに嘘をついていたことに気付いた。
儀礼でも虚礼でも良いから「親切にありがとう、でもね」という一言が欲しかった。
親切心をコケにされ、心無い言葉を浴びせられた自分のプライドがBさんを許せなかった。
どんな結果になるか少し怖いが、しばらく距離をおいて見守ることにする。
時期をはずした気がするが、さきほどハーモニーを読了したので書く。
16歳未満の子どもには、WatchMeがインストールされていない。WatchMeを入れられたくないからこそ、ミァハたちは16歳になる前に心中しようとしたはずだ。
つまり、16歳未満の子どもはハーモニクスすることが物理的に不可能である。
にもかかわらず、エピローグでは、全人類の意識がハーモニクスされたように書かれている。作中の設定どおりなら、こんなことはあり得ないのだ。
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
上記について、脳血液関門の件を読んでいてもなお本文の記述をそのまま設定であると受けとめるのは少々ナイーブなのではないだろうか。(伊藤計劃が設定を忘れているかはさておく)
個人的には、16歳までWatchMeがインストールされないというのはあくまで表向きだと考える。新生児は出生時に(あるいは臍帯を通して母から子へある種の『感染』をしているかもしれない)インストールされ、戦災孤児の場合は保護された段階でインストールされているという考えだ。いざというときに「16歳未満の人類はハーモニーからはずされました」というのは大災禍への偏執さを感じさせた老人達にしては杜撰な気がする。
話は変わるが、すでにWatchMeがインストールされているとして冒頭のミャハの言動を読むと1回目とはまた違った感慨があるな。
騒動に一区切りついたので、一般国民側からも少し話をしようと思う。
パクリでは無いと考えている。
当然である。デザインを購入した後、世間から問い合わせを受けるのはクライアント。もし、サントリーの一件で佐野氏の名前が出ていなかったら、どうなっていたか。
自社の名前で出している以上"管理が杜撰・意識がなってない・人のものを盗んでも平気な会社"そう言われるのはクライアント。盗用騒動があって尚、業界全体に擁護や被害者意識がある以上、こちらが自衛するのは当然の行為。
また、説明を求めるのも当然。発表後はあなたの代わりに説明をしなければならない。その行為を「文句・いちゃもん」だととらえ、「黙らせる」ためにはどうしたらいいのかなど、まるで敵であるかのように表現されているのを見ると、非常に残念。
・論文で嘘が発覚
等、業界の信頼を著しく落とすような問題が発生した場合、同業者はそれを非難、または自分のところは違うとはっきりと主張する。
ところが今回はどうだろう。
・業界ではよくあること
・そんなこと言っていたら、商売にならない
・内々の資料が表に出ちゃってかわいそう
圧倒的に擁護の声が多い。理解に苦しむ。一体何を守ってるのだろうか。
モノを作っているのは自分たちだけだと考えている方が多いようだ。なんという傲慢!あなたの身の回りにあるモノやサービスは自動で生まれてくると思っているのか。
我々の世界では、プレゼン用はもちろん、部署内で数人しか目にしないモノでも、お金を払って正規のルートで入手した素材・原料を使って試作を作る。他社商品を参考にする際も、お金を払って購入する。人のモノを盗んで作ったりはしない。人のモノを盗んで商売に使うのは、それ素材を作った人に対する侮辱、そして犯罪。
社内の試食会で、コックが畑から盗んできた野菜を使って料理をしていたら、あなたはどう思うだろうか。
世の中には有料無料を問わず、使っても問題ない画像が多数存在してるが、それを購入・探す手間すら惜しむ。そんな意識で「モノを作る大変さ」などと口にしないでほしい。複製が容易なデータだからと、甘えてるだけだ。「内部的なものは人から盗んでも可」という甘ったれた業界の常識は一般国民には通用しない。ここを改めない限り、悲劇は何度でも繰り返す。
そうは言っても…、ではなく、まずあなた自身が"盗用とわかっているものを使わない"、そう”指導する”ことから始めて欲しい。さもなければ、イザという時、あなたも同じ目にあってしまうだろう。
此度、使用中止という結果に終わった原因は、エンブレムの類似性よりも、作ったのが佐野氏だったからだと考えている。当初、私や周りの人間はエンブレムを支持していた。世界規模で探せば似ているモノがあって当然と。
だが、トートバッグあたりから雲行きが怪しくなり、それ以後、彼らが行動を起こす度、不信感が募り、空港の写真が決定打となった。
我々一般国民も日々苦労しながらモノ・サービスを作っており、誰かの下で働いている。
会見で後付のコンセプトを話し、内々だからと日常的に盗用を行い、それが公開される事故が起こったら、部下が何も言わなかった、業界では普通と弁解する人間。作品に罪はない。けれど、私は佐野研二郎という人間を支持することはできなかった。
使用予定だったエンブレムは優れている。インターネット上で作られたどの作品よりも、上品で堂々としている。しかし、人の権利を蔑ろにする人間に、オリンピックエンブレムのデザイナーでいてほしくはなかった。使用中止の速報を見た時、ホッとした。
出来上がったモノと作ったヒトとを混合して判断する行為は、モノを作る人間として恥ずべきものだ。騒動が収まり、冷静になった今、深く反省している。今後、同様の事件が起こった際、冷静に多くの問題を切り離し考えるよう改めたい。
この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授の純丘曜彰氏である。
反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。
エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で
純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。
筆者の感じた純丘氏への疑問とは、
そして「独りよがりなデザイン論」「デザインに関する知識不足」である。
http://www.insightnow.jp/article/8591
瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である。
デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、
純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。
以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である。
ニーチェの独文の警句を英文で引用して、名前の綴りがコピー元のままに間違っていたり
(page:2 より)
Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、
その最後の名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、
すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。
Pinterest に綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。
ここで問題なのは「佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。
この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、
ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。
純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである。
最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。
「大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。
論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが
こんなお粗末な方法で文章を書いている人物が学生に論文の指導をしているのはいかがなものだろう。
あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。
およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。
まるでいやな気分にさせること自体が目的のひとつにもなってしまっているようだ。
純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。
だがそれは個人的な感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。
大学教授、美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。
識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。
騒動の中、感情のほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。
これ以降、掲示板でもエンブレムをゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。
http://www.insightnow.jp/article/8644
ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。
疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたものを
「超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、
デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。
むろんそれ自体は問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、
己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは
この一文の含まれる段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら
「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデアを否定するのが目的のようだが
9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?
さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、
黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス的悪趣味。
解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。
エンブレムを仮に芸術のひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。
しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザイン」である。
アートのように何ものからも束縛されない自由な意志で構成、配色したものではない。
見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレム」であるという情報とともに接する、
そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。
佐野エンブレムがスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。
が、「ナチスフラッグ」である、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは
エンブレムの出自、コンテクストを無視した悪意のあるミスリードでしかない。
ゴキブリの画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがりな解釈を
強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。
どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視のRGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷のYMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり
この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。
この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを
結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである。
純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。
発表されたエンブレムは RGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、
佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、
あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……
RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり
CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である。
RGB と CMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである。
ポスターやプログラムに印刷するなら CMYK のデータを用意する。
純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、
デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。
特色というのは印刷インクの一種で、
通常のプロセスカラー(CMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである。
エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこからの情報かわからないが
(筆者は見たことがないので、まずはそのソースが問題である)、
それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。
RGB/CMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用の現場に応じて「自然に」決まるのであって
雑誌のカラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである。
金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。
特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、
そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。
・特色番号(印刷用)
純丘氏の言葉を再掲する。
以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナーを想像できるだろうか。
すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定(CMYK 値)のない、
純丘氏の作為の産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。
このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも
デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。
「佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど
エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、
このペダンティックな解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、
芸術・デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、
この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、
己の求める結論「佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉と作為的イメージを用いて
流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。
康芳英@y_yoshihide
≫y_yoshihide キモくて金のない男女は今でも救われてないが、シングルマザー支援が強化されると男性側はさらに救えないことになる(北欧でのデータあり)から文句言ってるって構図ですかねえ
康芳英@y_yoshihide
男性と女性という二項対立の中で男性は強者として扱われるけど、男性の皆が強者としてあるわけでもなくその中に社会的に弱者としてくくられる存在がいるというのに二項対立の中ではそれが無視されてしまうのが問題である、ならわかるんだけど、それがフェミニズムに丸投げされてお前ら対処しないとか言うのはちょっと理解できない。
≫y_yoshihide 女性が既婚のいい男と不倫してシングルマザーになるのは難しくないが、男性が既婚のいい女と不倫して子供だけ引き取ってシングルファザーになるのはかなり困難という非対称性が前提ですね。これは現実的に北欧を含む世界の観測データとして表れているので。
康芳英@y_yoshihide
社会的弱者の男性の問題はフェミニズムが原因なのか、みたいなところから考えてみればまあただのストレス発散としかうけとられないよねえ。
≫y_yoshihide
①社会的弱者の男性自体の生成理由はフェミニズムが原因ではない②フェミニズムの主張の一つであるシングルマザー支援は社会的弱者の男性をさらに痛めつける原因となる(実証データあり)、というだけでしょう。
康芳英@y_yoshihide
北欧の話持ち出されても「俺は女を獲得して子供作らせたいのに一部の男に女が集中するのは許せない」と言ってるようにしか見えない。
≫y_yoshihide いや、別に「全ての女性は平均以上の男を好む」(大まかな近似)というところまでは単なる事実であり、事実は事実だなと思いますよ。それを尊重して少子化対策(独身税)を加えると、事実上キモくて金のないおっさんは生かさず殺さず奴隷化して最後は野垂れ死ねという反人権的結果が得られ、全員の自由意思と人権を尊重すると少子化という結果が得られる、ということなわけで。
康芳英@y_yoshihide
≫y_yoshihide 出生動向基本調査とか読めば分かると思うけど、女性は結婚相手に求めるものとして収入が最上位に来るし、実際の未婚率調査でも男性の30代の収入と未婚率は強く反比例するよ。思ってるというか単なるデータ。
康芳英@y_yoshihide
≫y_yoshihide 徴税段階で独身重いですがな。ドイツあたりでは大雑把に年収の半分を税で持ってかれるが、被扶養者がいると3割くらいになる。というか自分はもともと税金と社会保障の側から入ってこの問題に接したのであって、フェミニズム・反フェミニズムから入ったわけではないんで。
康芳英@y_yoshihide
扶養者がいるよりも扶養者がいない方が金銭的な余裕はあるのどからそこから税金がとられるのはなんの不思議もないし、それを搾取何て言ってしまうのはあまりにも杜撰。
y_yoshihide 個々に見たら当然と思うことが結果的に弱者を痛めつけてるという話をしてるんですが……ついでに言うとドイツは独身なら平均収入の2/3でも5割持ってかれるが、平均的な子あり夫婦だと平均収入より上でも3割くらい。
≫y_yoshihide もう一度書くけど、女性は得てして結婚相手の選択基準に収入を置く+子育てのために独身税は当然=キモくて金のないおっさんは「当然のこととして」可処分所得を減らされてさらに結婚から遠のき、男性の二極分化が福祉経由で拡大していて、さすがにノルウェーの男女平等白書的な資料でも1ページ割かざるを得なくなった、という話なわけだが。
康芳英@y_yoshihide
あ、消せないからもう一度かきなおすけど、子あり夫婦よりも独身者が貧困であるって話じゃないでしょ。結婚しないと裕福に暮らせないから結婚しないとアウトというのはむしろ女性なのに。
≫y_yoshihide いまちゃっくり計算してきたけど、子供含めて一人当たり可処分所得を見たとき、税引き前年収3.5万EUR独身子なしと税引き前年収6万EUR夫婦子1人だと後者がやや多い程度になるかな。あくまで平均からの計算なんで具体的な額は向こうの税務の人に聞かないと分からんけど。
あ、上の数字は子供に対する再分配の政府支出含まないんで、税引き前年収3.5万EUR独身子なしと税引き前年収6万EUR夫婦子2人程度で子供含めた1人当たり可処分所得が均衡するくらいかと思う。
B「(ずさんな論理で)Aはこうだ!奴は金目当てで煽ってるに違いない!」
なにこれ
印象操作クサくてかなわん
あのね、「ダメなCMだったかどうか」とか「差別的であったかどうか」なんて話はしてないの。すっごく簡単に言うと、杜撰な論理で批判すんなという話だよ。特に差別とかセクハラとかって繊細な話題じゃん? 繊細な話題で杜撰なのはダメです。
なるほどな。
個人的にはルミネのCMがアウトだという意見そのものには正当性あると思うよ。
ただし、同じ内容を繰り返すことになるけど、杜撰な批判を正当化するのは違うでしょと言ってるだけ。どこかの増田に言わせると「杜撰な批判」を否定しただけでルミネ肯定派に見えるらしいから、本当に面倒くさい。
追記
現実の例としては
「主張が複雑に絡まってて何が言いたいのかよくわからないウヨ」
と
「主張はシンプルだが論が杜撰すぎて説得力がなにもないブサヨ」
なのが大半って感じ。
前者は何を言おうがヒスって喚くだけなので論破どころか会話もしたくないし、後者はどれだけ論破しても諦めないので徒労感凄いからやっぱり会話したくない、という点では同じだが。
先日のラブライバー集団による一人のラブライバーイジメの一件からお行儀の悪い信者で構成されている事が確認されたが
考えてみたらラブライブ!本編もお世辞に行儀のよいアニメとは言えなかった。
その原因は、少なくとも二つあった。
アイマス、後に別会社によって再アニメ化された事もあり、監督の長井龍雪など実力派スタッフが手掛けた事もあって再評価の兆しがあるが
元々放送当時から原作レイプが懸念され、始まってみてもその期待は裏切られず、一介のSFアニメとすればサンライズもかくたるやという出来であったものの、
構想数年とされてきたラブライブ!の橋渡しとなるわけもなく、ただただお行儀の悪い作品でしかなかった。
もう一つは脚本と監督が海外ドラマから盗作した事とそれに関する悪い意味での反響である。
そして特にスタッフに悪びれた様子もなく、そのパクった内容でやり遂げたお行儀の悪さはゼノグラシアの時から変わっておらず、
特典商法でラブライバーなるお行儀の悪い信者を釣り上げる商業的成功は収められたものの、純粋なアイドルアニメファンからはあまりのテキトーさや
杜撰な対応などから不信感を募って売上げにも拘らずファンが離れる原因となった。
その証拠に掲示板が盛り上がらず個人ブログやまとめサイトでも放送後取り上げられ難くなっている事からも明らかである。
以上のようにサンライズのお行儀の悪さがそのままラブライバーの素行に反映された結果、先日の物盗りかつ暴行と穏やかでない事件が発生してしまった。
ああいうヤバい一面を持っていたからこそ、悩みのるつぼではテクニックを駆使して的確な回答を導き出せたんじゃないかとも考える。
だからこそ、いざ自分の事となると、普段は上手い事言えるおっさんが悪手しか出せないで火に油を注ぎ、自分も周囲も燃えちゃった。
卓越した客観的な視点を持っているけど、やはり自分自身は客観的には見れないってことなのかね。
とはいえ自分の行動や言動を社会的常識の範囲に落とせないのは致命的だったよなぁ。
謝罪放送の後半でバカ笑いして自分の女性観や性事情話すのは駄目だろ。
さすがに引いたわ。
ほとぼりが冷めてもし上手く復帰できて、落ち着いて、それでもいずれ食うに困ったら、
理知的だけどネジが飛んでて無邪気に人を傷つけてないかとハラハラさせるような文章を読ませて欲しい。
でも『ぼくたちの洗脳社会』以上のデキじゃないと買わないけどな!
しかし、現実に人に迷惑かけちゃう所まで行ったことは本人にとっても大失敗、情報管理が杜撰で迂闊でしたね。
としか言えないけど、本来責められるべきは情報を流出させた奴なんだよね。
言う事は面白いが、あまり近づいちゃいけないタイプ、という判断は間違っていなかったかも。
とは言え身を落としてゆく様子を見るのはなんとも忍びない。
自身のプロフィールから当てはまるであろう分野から無作為に選ばれた求人がその対象になるからだ。
要するに、事務を希望してる人がいて、その人が就きたい職種と全く異なる営業職とか技術職とか、要資格のデザイナー職などが対象企業に列挙される。
その興味がある会社ですら、このキャンペーン中は応募者が圧倒的で応募不可になっているものだってあるのだ。
しかもこれら応募不可求人をオファー拒否するとしても次の公開日には、あたかも初オファーであるかのようにまた求人一覧に載るのである。
それなのに事務局の対応は杜撰で、無作為、アトランダムに選ばれるのだからプロフを変えるしかないと返してきた。
以前同じ事を返されてプロフを変えてみたが効果はなく、今回もまた同じ求人が載り、しかもお祈りが来た求人まで再度新求人として
実際の所、このキャンペーンは交通費を支給するのか甚だ疑問であり、企画倒れと言わざるを得ない。
それなのに毎回このキャンペーン中は応募者が圧倒的に増加するのだ。
リクナビダイレクトは本来こういった釣り求人サイトではなかったはずなのだが、どうにもこうにも空回りの上にやる気が感じられない。
リクナビダイレクトの本分である既卒者向け求人サイトというのが、今ではほぼ形骸化してしまっている。
去年も一昨年も同じ状況だったので、今後も改善する気がないと思われる。
秋冬になって、セーターの購入を検討していたらふと巨乳について考察がはじまっていました。
我、巨乳なり。世に生を受けて26年。
巨乳であることのデメリットやコンプレックスを、はてだで読んで共感しながら、メリットであることを考えるに至って。
なんでかと言うと、自分とおっぱいは切り離せたことが無いので「こっからここまでが女だから優しくされて、こっからここまでは巨乳分だな」
だから女であるメリットはあっても、巨乳メリットは正直よくわかりません。
自分の魅力の底上げになってんだろうなとは考えるけど、その部分を実感したことは正直ない。
化粧にも服にも人並に気を使っているので、クラスにいたら4~5番目というところでしょうか。
容姿をほめられることもあるが「可愛い」であって「美人」と言われたことはない。
「おっぱい大きいね!」を「スタイルいいね!」と言い換えてもらえることはある。
前置きなげーな。
昔は巨乳コンプと、「女」であることを受け入れられない自分にすごく悩んでいました。
性的対象と見られることへの拒否感と、実際女であることを自分の自意識との共存が難しかった。
わかりやすく言えば、こじらせてた。こじらせ系女子大生だった。
今は別にいいや~と思えて、わたしって女だし、女以外として生きられないし。
「女らしいとか、エロいとか、好きなようにとらえて下さい」と素直に思えます。
別に他人がどう自分を見ようと、それに私が付き合う必要が無いということを実践できるようになりました。
異性からのセクハラも、同性からの貧乳コンプのサンドバックになることも、容姿的特徴をネタにされることも流せます。
でも同時に、「自覚的に女をやる」ことで昔は感じなかった弊害を感じるようになりました。
わたしは男と同じ土俵で何かをやる必要を感じていない、その分、女として意識的にふるまいます。
男性からは受け入れられるけど、同性と異性の一部からは「媚びてる」とたまに思われるようです。
ユニセックスな爽やかさが私に足りないことは自覚しているので、そうだなあ、もっと爽やかに振舞おうと思います。
女であることを自覚して、肯定してますけど、、女の武器を使って得しようとまでは思っていません。
セックスアピールだけしまくって、実力や内面が伴わないなんて、下品じゃないですか。
わたしには、別に不二子ちゃんみたいなキャラクターも、美貌ものないのは知っているし。だからもっと自然体で良いと思います。
でも巨乳と言うオプションがついている限り、女として見られないで生きるのは難しいです。
だからユニセックスな爽やかさに憧れつつ、それは手に入らなかったので、ある種の諦観を持って、いまの位置に落ち着いるんですよね。
なんていうかつまり、巨乳と言うオプションは魅力かどうかは置いておいて、「女」って部分を強調しすぎてやっかいです。
だから私が「媚びなくても」=(性別は関係無いと言うスタンス、ユニセックスな考え)を貫いても、
そうはいかなかったと言うことを嫌と言うほど実体験的に知っているし。
じゃあ、肯定的に女であることを受け入れようと思えば(まあわたしのやり方の杜撰さもあるのでしょうが)陰口言われるし。
・・・なんていうかおっぱい大好きな素敵男子に好かれたいですよね。
この前ある会社の悪口書いたんだけどそれが何故かバレてさ
そのせいか先日呼び出されてこれ書いたの貴方ですか?って。
次の日からかれこれ6回、紹介状お願いするたびに別室に連れてかれてそこで発行になってしまった。
誰も紹介状切って貰ってない時間帯でも俺だけ別室御用だったからその時初めて不審に思ったけどさ。
何かさ、多分ブラックリストに載ってんだろうね。
わざわざ室長の所まで行って確認だから、完璧マークされてるわ。
これ出来れば誰かわかものハロワに魚拓か何かで報告してくれると助かる。
だってさ、面と向かって言っても「たまたまです」ってはぐらかすんだぜ?
こういうのを就職差別って言うんだけど、わかものハローワークつか厚労省はこういうのを容認してるんなら