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はてなキーワード: 利己主義とは

2019-06-16

anond:20190616223908

そうか。それは何よりだな。

今おいくつかはしらんが、将来貧乏にならず、利己主義なんかにまらないといいな。

2019-06-14

出産は親のエゴ

って言うけど、エゴって

利己主義 - エゴイストの略 - 利己主義者。自己利益を重視し、他者利益を軽視、無視する考え方。」

子育て時間金もかけるのにエゴ

育児放棄して児童手当だけもらう親くらいしか当てはまらないのでは?

2019-05-31

anond:20190531131906

まあ、こういう利己主義の集まりから到底社会福祉なんて充実しなくて当然なんだよな

anond:20190531131906

まあ、こういう利己主義の集まりから到底社会福祉なんて充実しなくて当然なんだよな

2019-04-20

エゴを賛美せよ

人間は今までいろんな生物を虐げ、地球環境自分たちの為に変えて繁栄してきた。

何も知らない無知動物たちを自分たちの糧としてのみ利用する吐き気を催す邪悪

そんな動物を哀れに思い自分の心が傷つかないように菜食に走るビーガン達。

それらは全て利己主義エゴである

そのエゴのお陰で人間は発展できた。

今までも、これからも。

全てのエゴを賛美せよ。

動物虐殺し、一方で動物を愛せよ。

環境を変化させ、一方で環境を戻せ。

我々人間が最高に気持ちよく生活する為に。

2019-03-12

anond:20190312101832

そういう利己主義場合、「結婚制度が何を補償しているのか」みたいな議論必要になるよね

日本血統主義戸籍形成されている理由とかさ

だって結婚すると税からから優遇されるわけなんだから

遺産があれば相続するんだろ?

そういう社会制度としての「結婚」のメリット享受ときながら、デメリットは受け付けないって言われると

同性婚かにも反対したくなるんだよね

当方結婚せずに家を断絶させるクズ

2019-02-28

人を嫌わないということ

自分は、人を嫌いません。というと、周りからよく疑いの目を向けられます。いい子ぶっているのではないか、実際は人を嫌っているのに、自分自分否定しているのではないか、嫌いと言う言葉定義を知らないのではないか

  

 自分からしては、なんで周りの人は人を嫌うのだろう、と逆に疑問を感じます。人を嫌っても、何もいいことなんてありません。人を嫌ったところで、自分人生バラ色に変わるわけではありません。嫌いな人が苦しんでいることに喜びを感じる方も多いかもしれませんが、そのことが自分の役に立つわけではありません。その人がなにかみんなのためになにか貢献して、失敗している場合、むしろ自分への影響はマイナスです。

人を嫌うことにメリットを感じないように思うのは自分だけでしょうか?むしろ、嫌いな人が回りにいる、ということで自分の心が灰色になるのではないのでしょうか?人を嫌っていないのでよくわかりませんが。自分高校生ですが、嫌いな人と高校生活ずっといっしょに過ごすというのは、少し地獄じみている気がします。

毎日嫌いなもの食卓に並んでいたら、誰だって嫌ですよね?嫌いな食べ物を捨てるよりは、その食べ物を好きになったほうがいいのではないでしょうか。

  

 また、嫌いな人のことをみんなで話すといったことをしている集団もいますが、その行為意味あるのでしょうか?みんなで話すのは楽しいことですが、嫌いな人のことをみんなで話しても、より憎しみが増幅されて終わりなのではないでしょうか。

そもそも、人を嫌いになるほどのエネルギーを皆さんは持て余しているのでしょうか?周りの人を嫌って、そんなことに時間を費やしている暇があったら、勉強するなりしたほうが良いと思うのです。

人を嫌うことで得るものは、ストレスぐらいではないでしょうか。

  

 人を嫌わない、それは難しいことかもしれません。人生経験の少ない高校生からみても、社会は広く、いろいろな人がいます日常的に人を殴ってくる人、常に独り言を喋っている人、周りの人を巻き込んで現実逃避する人、例を上げればきりがありません。自分でもそういった人のことを苦手に思うことはよくあります。ですが、それが人を嫌いになる理由になるかと言われたら、ならないと思います

自分は彼らによって迷惑を被ったのは事実ですが、自分も同じく他人迷惑をかけていますし、迷惑をかけられたから恨んでいるようでは、迷惑で得たストレスを増幅していくただのドMになってしまうと思うのです。

  

 それにむしろ自分が彼らから良い経験を頂いたのも事実です。明らかに通常は得ることのできない経験をさせていただきました。その得た経験は、直接なにかの役に立つわけではありませんが、きっといつか人生を振り返ったときに、思い出として残るでしょう。

せっかくの80年ぐらいの短い人生(もしかしたらもっといかもしれない)なのですから、できるだけ珍しい経験をして死にたいと思うのは、ふつうのことではないでしょうか?折角の短い経験で得たものなのですから、悪い思い出よりは良い思い出のほうがいいでしょう。






でも、その人を嫌わないということに、違和感を覚える自分もいるのです。






 人を嫌わないということに、その裏に隠れた事実を覆い隠していしまっているのではないかと。その人が本来やっていたよろしくないことすらも、すべて肯定してしまっているのではないかと。何もかも肯定して世界から目を背けて生きているのではないかと。

  

 これは自分に対しても言えることです。自分は、人を嫌わないということで、何か自分に対して言い訳をしているのではないかと。

昨日も、ある人から言われました。「無理して嫌わないようにしているみたいで、キモい。」その場ではごまかしましたが、確かにその言葉正鵠を得ていました。

  

 自分は人を嫌わないということを言い訳に、歪んだ人間関係を構築してしまっているのです。常に人を馬鹿にして(もちろん自分では冗談のつもりです)、常に人を貶めて、それだけでしか自分相手との会話を構築できない、歪んだ人間関係を。最悪です。基本的に何かあれば人を馬鹿にして、会話に困ったら人を馬鹿にして、ただのコミュ症を汚い言葉で覆い隠しただけの、最低の自分がそこにはいました。

周りの人が普通の会話(なんでしょうね?)をしているのを見て、どこか羨望を感じているのも事実です。人を嫌わないのを言い訳に、何も改善のための努力をしていないのに。

人を嫌っていないから、人の悪口いくら言ってもOK。少し前まで自分はそんなふうに考えて行動していました。自分自分に甘えすぎていたのです。

  

 同時に人を嫌わないために、少し苦労しているのも事実です。自分のことを常にからかってくる人が、自分のことを常に見下している人が、失敗しているとき、苦しんでいるときに、良くないと思いつつ、やめないといけないと思いつつ、心の奥に、かすかな喜びを感じている自分がいました。

その気持ち自分から生じたものであるが故に、嘘ではないことは確かです。しかし、それを認めることによって、自分の信念である、人を嫌わないが壊れてしまうのではないかと恐れ、その気持ち否定してきました。

でも、同時に、そこまで自分に嘘をついていきたいのか、と思う自分もいました。自分に嘘をついて、自分に嘘をついた自分自分と認めてもよいのか、と。嘘にまみれた自分は、もはや自分とは言えません。その2つの考えに挟まれて、どうしてもどうすればいいのかと悩んでしまます

  

 また、自分は人を嫌わないということで自己満足に陥ってまっているのです。

 人を嫌っていない自分ってすごい。人を嫌っていない自分って優しい。人を嫌わない、その自分の信念みたいなものを笠に着て、裏側で自己満足している。最低です。これなら人を嫌ったほうがマシかもしれない。そう思うことも多々あります。 そして、人を嫌わないことの裏側で、自分は人を無意識にでも道具として扱ってしまっているのです。人を嫌わない、そのためだけに人と腹を割って話していない気もしますし、人を嫌いになりそうな場面に出くわしたら、そっと目を閉じている。もはやなんのために人を嫌わないのかわかりません。本末転倒です。

  

 そもそも、そんなことをしてまで人を嫌いにならない必要はないのではないかと、最近思うようになりました。あまりにも、人を嫌いにならないことによる違和感が大きくなりすぎて。でも、未だに人を嫌いにならないことをやめていません。

  

 自分は、嫌われるのが怖いのです。陰でコソコソと悪口を言われるが。自分が知らないところで、自分が嫌われるのが。自分を知らない人が、自分と合わず自分を悪い人だと思うのが。自分は、人から評価に過剰すぎるのです。自意識過剰自分は、自意識過剰の極みのようなものでした。

 それゆえに、自分が嫌われるのが怖いから、人を嫌わないのです。「自分が嫌なことを人にしてはいけません。」自分は、小学校で教わったことを、未だに信じ続けているのです。自分が嫌われるのが怖くて。周りの人が嫌われるのが怖くて。自分は浅はかにもこんなことを始めたのでした。

 ですが、今はその目的はあまり原型をとどめていません。今の自分はどちらかといえば自己満足意味合いのほうが強いのです。




きっと、この世界理想存在しないのでしょう。優しい世界存在しないのでしょう。だから自分は、優しい世界を作りたかった。

でも、自分は優しくはなかった。利己主義自意識に満ち溢れたただの高校生だった。

この優しくない世界で、自分はどう生きるべきなのでしょう。答えがないが故に、自分は答えを探して、今日自分は答えのない日常彷徨っています

2019-01-18

anond:20190118095021

結果的社会が良くなるんなら利己主義だろうがオナニーだろうがスピリチュアルだろうがニセ科学だろうがいいだろうに。

2019-01-17

anond:20190116221227

猫の里親募集してる人達の事を書いた増田が有ったな。

anond:20180706031659

利己主義的な奴らって言うんだろうか。

そんな奴らは「悪い奴」!?

もしそうではないとしても、「良い奴」とは思えないよな。

2018-12-27

anond:20181227183557

三木清の本でギブアンドテイクを打算でとらえるのは利己主義者で、

期待しない、信用しないのもまた利己主義者といえ、

想像力を働かせて期待し与え、テイクをどれだけ先延ばしに出来るかで利己的か否かが決まるというようなことを言っている。

異性に期待ができるようになれば利他的結婚生活があるかもしれない。

2018-12-05

日本人利己主義的体質

日本人間利己主義にしたのは昭和時代がすべてだ。

 外国では日本社会と違い、大人子供のどちらの国民もこれまで社会に参加できていたが、日本では長らく儒教主義時代があり、今も同じだ。日本儒教カーストの下位には人権もない状態である。つまり、今の欧米で起きている国民兄弟としての建前もなく「自分を支持してくれる大人世論にだけ徹底特化して、そうではない未成年層は無視して切り捨てるような社会」が、日本ではこれまでまかり通っていた。

 お金が幅を利かせる大人ばかりが社会に台頭し、そうでない未成年者は例えば人口は大きくても「階層社会」で軽視された。結果、学生は成人に使われるだけ使われ、大量のエネルギー大人エネルギーに使われた。学生が汗水たらして学ぶほど、その成果は現状のカーストの維持力に代わっていったのが昭和日本だ。つまり日本では下位の人間は上位をアテにして上位のヒモのような形で寄生して生きていた時代が長かったのである

 平成不況安倍政権左傾化などでこうした「利己主義儒教的な社会」にメスが入ったのが1990年代以降のことだ。結果、これまでのように階層社会を介して弱者依存するような他力本願で生きていた強者は立ちいかなくなり、あぶれる者が出てきて、そうした者たちの中には、虚業などに手を染める者も出てくるようになった。

2018-09-26

母のこと

おそらく散文になると思うけどなんとなく残しておこうと思う。雨だし、帰り道1時間ほど歩きながら暇なので一発書きする。

母は器用であったが、欲のない人だった。おそらく高卒大学に行ったと言う話を聞いた事がないのでそうなのだと思う)で働き出し、その後父と紹介婚(これも謎、お見合いではないらしい)し、私と私の兄を育て、今は犬二頭と父とで隠居生活のようなものをしている。ど田舎の山の中に小屋つきの別荘を買えるほどの生活レベルだ。

両親は昔に比べるとさらに仲が良く、昔家庭崩壊していたことがまるでなかったことのように思う。家庭崩壊は、両親の問題ではなく、私たち兄弟が荒れていたためだ。

今の私はと言うと、妻を貰い、もうすぐ30になるが子どもはなく、忙しくも充実した日々を過ごしている。

子どもを持つ年齢/環境になって、考えるのは私の両親の話で、その中でも父のことは話を聞く機会が多かったのか、たまに学生時代の話を聞かされたのを覚えている。さらに言うと、「おそらくこう言う人生だったのではないか」と言うのが、私にも想像がつくものであるため、父の人生不思議に思うことはなかった。

一方で母のことについて考えてみると、いかんせん分からないことが多く、母は一体何者なんだろうか。

断片的な情報からの推測であるが、高卒就職し、のちに父と出会い、25歳ほどで遅めの結婚し、その後車の免許を取り名古屋での生活に備え(出身京都)、私の兄を身ごもり、私が幼いころにはパッチワークをしていて、家のものがそれ風のカバーやシートでいっぱいで、家に帰るとよくミシンを動かしていたと思う。私が5歳の頃には既にあったパッチワークカバー隠居先の別荘にて今も使われている。

のち、小学校高学年くらいにはアルバイトお好み焼き屋)を始め、のち天丼屋に代わり、私が中学くらいにはなぜか漢検二級くらいを取り、高校生になる頃には介護仕事を始め、ヘルパー資格を取ったりしていた。

この時の私は、母がアルバイトを始めたこと、検定や資格を取っていることに何も感じなかったが、今改めて考えると不思議なことに思う。

彼女の何がそれをさせたのだろう。当時の父の月収を知っているが、家庭的には裕福で金銭的にも余裕はあったはずで、今の私が同等くらい稼ぐのはかなり厳しい思うくらいだ。

学歴からコンプレックスか、手に職をつけるためだろうか、はたまたただ単に暇だったかなのだろうか。母が飲食バイトを始め1〜2年ほどで辞めたのは、何か嫌な事があったのだろうか。その経験から資格などに目を向けたのだろうか。

本を買う時はほとんど古本で、資格の本もほとんど古本でもで揃えていた。元々、おそらく本を読む人ではないため、家にある本はオレンジページやよく分からない流行った本(五体不満足など)しかなかった。歴史書辞典など、自宅にあった本は殆どのものだった。母は幼い頃に両親の離婚(私から見たら祖母祖父)を経験していることから家族への執着が強くなっているようにも推測できるし、70年前の離婚は今と印象が違うだろう。子どもの頃は決して裕福ではなかったらしいし、その経験からなのかほとんど贅沢をしない人だった。日曜に父と映画を2本借り、父と共に途中で寝るような人だった。

私の母はおそらく打たれ強く、色んな物事に欲がなく、家族が全てのように振る舞い、難しいことはよく分からないが口癖で、残り物を晩御飯として食べ、たまに恋愛ドラマをみてそのままソファで寝て、父の背広アイロンをかけ、私や兄が勉強をするとよく褒めてくれた。私は今書きながら泣いてしまった。料理が得意で私はご飯をたくさん食べた。たまに父のことをお父さんではなく、◯◯ちゃんトシノリならトシちゃんなど)と呼んでいた事もあった。髪の毛を乾かすのはドライヤーでなく扇風機だった。私や兄の些細なことでも、さも大層なことのように人に自慢した。

私は私の母のことを理解出来ない。私は矮小利己主義で打算的な人間で、友達も少なく、自分の話をするのが苦手で、人と喋る時は嘘の自分自分の代わりに喋っているようにしないと他人と喋れない、嘘つきの惨めなマザコン人間だ。さらに言うと私は父も好きだからマザコンファザコンを併発しているとも言える。

と、ここまで両親を賛美した上で、私の妻と言う存在に触れると、私は自らの過去存在する母と父を尊敬しているだけで、今は妻が世界で一番大切なので、全ての物事の中で妻を優先しており、両親と妻の命が天秤に掛かれば迷わず妻を取るくらいだ。

この最後の一文に私と言う人間がとてもよく出てると思う。

妻にも母にも、父にも兄にも、実家の犬にも、只々全てに感謝。殴り書き失礼しました。

2018-06-16

安倍政権根本的な矛盾

彼らの思想愛国主義を歌っている。


しかし、愛国主義と言いながら、若年層を蔑ろにする政策を実行している。

本来、数が少ない希少な投資対象に多額の投資をするべきだ。

しかし彼らはそうはしない。


いくつもの政策が老人を敬うような

政策を打ち立てている。


これはどういうことか?

まり彼らは自分たちを敬ってほしいという

極めて利己主義的な政策を敷いているだけなのだ


ここに彼らの、そして彼らが語る物語

恐ろしいまでの醜さの正体がある。

2018-05-08

anond:20180503130614

これそうなんだよな。まぁ、よくある利己主義の一つだと思う。行き過ぎた要望についてはフィードバックがかかる。

2018-04-13

anond:20180412225659

かねてよりゲームゲームセンターとユーザーコミュニティに属し、そしてゲームのこれからを考えている一企業人としてコメントします。

こちらも結論からしますと、「あのままではesports業界にとってプラスであるどころか、大きく後退、下手すれば崩壊させかねない事件になりかねなかった」ということです。

彼らがあのままの方法論でことを前進させようとしていたなら、間違いなくあなたが望んでいる「ゲーム大会が増える」きっかけは失われたことでしょう。

ここで、この場にいる皆さんに一番に知っていただきたいことは、ゲームは他のスポーツと大きく異なる点があるということです。

それこそが、風営法管理されているという事実です。

大半の人はここで?となるかもしれませんが、この事実を受け入れることが出来なければこの議論前進できません。

なぜなら、ゲーム風営法管理されるようになった理由が結果に応じて金品のやり取りを行いやすいという側面をゲームが持っていることにあるからです。

みなさんもゲーム勝敗ジュースくらいは賭けたことがあるのではないでしょうか。

予め規制を設けて置かなければ、それがより高額なものに変わり、気がつけば金銭のやり取りが行われていたとしても不思議ではありません。

営業する側においてもゲーム結果に対して金品を提供するようなことがあれば、ユーザーが過剰に料金をつぎ込んでしまうようなことも容易に起こり得ると言えるでしょう。

まりゲームは、規制無くしては賭博の温床になる危険性を秘めているものだと考えられているのです。

そのために、不特定多数人間が集まる場所ゲームを用いて営業を行うためには、それが賭博になってしまわないように様々な規制が作られることになりました。

それが場所制限時間制限、年齢の制限、賞品提供制限などです。

ゲームの結果に賞品を提供することが禁止されている理由は、つまり、それが容易に賭博連想させることを防ぐためであり、賞品を獲得したいという気持ちプレイヤーを過剰に惑わせてしまうことを防ぐためでもあります

これらが守らていることではじめて、ゲームを使った営業健全営業として認められることになります

しかし、実際に行われようとしていたことは、それを真っ向から否定することでした。

二枚舌を持って自分たちの都合の良い説明を行い、その実、自分たち安全けが守られるように法令回避していましたわけですが、それは賭博行為を誘発しかねない危険な行動だったと言えるのです。

参加者から費用を集めてそれを賞金に充てることは、プロ世界においてもあきらかに賭博判断される行為です。

もしあの説明鵜呑みにして、自分たち独自プロ認定を行った賞金制大会を開く団体が現れたとしたらどうなっていたでしょうか。

ゲームにおいて公然賭博行為が行われてしまえば、それはesports業界のものの存亡の危機だったと言えるのではないでしょうか。

もし仮に、その事実をもって自分たち安全性をアピールしようなどと考えたいたのであれば、それは、esportsの未来を考えることでも何でもなく、他人危険晒してでも自分たち存在の正しさを主張したいだけの実に利己主義的な考えに他なりません。

それでもなお、あなたが望むような存在だったと言えるのでしょうか。

ここで皆さんに考えていただきたいことは、esportsが今後盛り上がるために最も欠かせない要素とは何かということです。

皆さんもお気付きの通り、それは「高額賞金」ではありません。

これも結論からしますと、ずばり「集客」です。

ボクシングの高額なファイトマネーが動く試合イメージしてみて下さい。

大きなホールにすし詰めに観客が溢れ、テレビでは最も視聴率が稼げるであろう時間帯に放送され、その内容は世界中のメディア報道されることになります

彼ら観客は、高額なファイトマネーがかかっているからその試合を見たいのでしょうか。

もちろんそれも欠かせない一要素かもしれませんが、それよりも、世界で一番強い人間を決めるために選手同士が生身で殴り合い、世界で一番強い人間が決まる瞬間を見たいからではないでしょうか。

からこそ高いお金を払ってチケットを買うし、それだけ人の目が集まることがわかっているか企業も高額なスポンサー料をその試合に払うことができるのです。

では逆に、プロ化をしたにもかかわらず、今ひとつ話題に上がらないプロスポーツを思い描いてみてください。

あなたはそのスポーツを、足を運んででも何度も観戦したいと思えるでしょうか。

彼らが苦労しているのは、つまり集客です。

選手タレント性、ゲーム話題性、スポーツのものの魅力など、様々な要素によって集客力は作られ、それがあって始めてプロスポーツは成り立ち、プロ選手が憧れの職業になりえるのです。

あなたがおっしゃる通り大会には莫大な費用がかかります

それを賄うためには、どれだけプレイヤーがいても意味がありません。

その大会を、お金を払ってでも見たいという観客を集めなければならないのです。

その中で高額賞金は一つの要素でしかありえません。

もしその賞金が、自らの製品を売りたいために大会採用されているゲームメーカーから支出されることになれば、それは消費者の過剰な購買欲を刺激する行為にほかならず、景品表示法賭博の罪に問われることになってしまます

これら法律はesports業界の足かせでもなんでもなく、善良な一般市民メーカーからの不当な搾取から守るための大事な盾と言えます

国内プロスポーツさえ集客に苦戦しているの現実の中で、esportsはどうやって集客成功することができるのでしょうか。

見る側にどれだけわかりやすくエキサイティングにesportsの魅力を伝えることができるのでしょうか。

業界団体が話し合うべきことは、高額な賞金の拠出の仕方ではなく、こういったことが優先されるべきだと言えます

加えて、esportsが正しく推進されるためにはもう一つの壁が存在しています

それが、安全ゲームができる場所問題です。

先程あげた通り、ゲームで商いを行うには風営法存在を切り離すことが出来ません。

許可を得ないで不特定多数ゲーム営業として提供すれば、違反行為と言えるわけです。

これはアミューズメント用、家庭用に限った話ではありません。

たとえ家庭用ゲームであっても、それを用いて集客営業を行えば当然風営法許可必要になります

更に言えば、これは営業をする側だけの問題ではなく、プレイヤーを集めてイベント主催しようとする個人にも関わってくる問題です。

運営費用を賄おうとしていただけにもかかわらず、その運営の仕方を一歩間違えれば営利目的と取られ、風営法違反になるどころか、賞品を出すなどすれば当然賭博の罪にも問われることとなります

いままではゲームセンターがそれを管理する立場にいたために大きな問題は起こりませんでしたが、オンラインゲームが当たり前になってきた世の中で、PC、家庭用ともにそれらリスクが再浮上しはじめている状況と言えます

メーカーは自社の利権を守ることだけでなく、メーカーファンであるユーザー安全を守るためにこうしたリスクに対する話し合いを率先して行うべき状況にあるのではないでしょうか。


あの事件きっかけに、真の意味でesportsが健全に、プレイヤーにとって安全に成長するための議論が活発化していくことを心より願ってやみません。

ここまで、ゲームとesportsの明るい未来を夢見る小さな1ユーザー意見に耳を傾けていただいてありがとうございました。


最後に断っておくと、この筆者はeportsの賞金が話題になった時に同じく名の知れることとなった彼の方ではありません。

知識も議題に対する切り口の鋭さも、ご覧の通り遠く及びません。

ただ、多分に影響を受けているのは事実で、彼の方に迷惑がかかってほしくないために一筆加えさせていただきました。

2017-11-04

anond:20171104164714

だいたいの人間にはそういう都合のいい心理的傾向はないようだな。

一部の知能の高いサイコパス度の高い人か意志の強い人にはできるかもしれないけど。

道徳的の内容によるけど、利己主義博愛主義での、

博愛主義に近い意味道徳を使ってるよなたぶん。

利己主義クローズアップされてるし。

博愛的は言い過ぎで返報的とか協力的くらいか

2017-10-15

anond:20171015094143

トラバで「皆さん」派と「私」派が罵り合いをしているけれど、「皆さん」で共感できるタイプ人間と、「私」で共感できるタイプ人間がいると言うだけで、どっちが良くてどっちが悪いというわけではないよね。

以前石井裕之がMeタイプ、Weタイプとしてそういうのを分類していたけれど、10年前のはてなダイアリーにまとめていた方がいたので冒頭だけ引用

    Meタイプ    Weタイプ

長所 リーダーシップ 協調性が高い

   責任感     こだわらない

   頭がいい    愛情深い

   

短所 利己主義    感情の起伏が激しい

   冷淡      依存

   臆病      気分屋

MeタイプWeタイプ - メディア見廻り組

http://d.hatena.ne.jp/yamauchikazuya/20060813

割と合ってる気がしないか?

2017-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20170608023820

幼女戦記もっとネトウヨ度の濃いアニメだと思うが、なぜ挙げなかったんだろう。

戦争である以上に、主人公リバタリアン自称する反共の腐れ利己主義者で(主人公を無批判にそう形容する原作者同類であろう)、

ファンたちがそれを肯定的に受け止めている構図を見ると、ネトウヨアニメの極まった形の一つだと感じられるが。

2017-03-18

既得権益者の逆ギレと、日和見菌パラサイト

安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。

近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチン安倍トランプも生み出されている。

自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれ人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である

残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから友達(笑)である。妻や恋愛友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。

既得権益者は、贅沢な地位民主党政権時代抑制され、被害妄想に陥った。恵まれ身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコント漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金ケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。

逆ギレである

ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)

けど実害が甚大だから困る。物凄く困る

社会の既成構造政体があって、そのなかで権力権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。

同様に人生牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能みえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。

残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。

男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。

保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実封建制度。この封建制度ってのも、たかだか近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。とき儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト社会構造。そして、そうした構造奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。

こうした遺物洞察して反省して革新しないと、いつまでたっても人類はクソ未満なんだろうと思う。

2017-02-22

bonchacchanga、gudachanことグダポンです。

皆さん、おはこんばんちは。bonchacchanga、gudachanことグダポンです。私は文筆業と趣味社会を動かす所存です。活動の暁に、私自身の夢を実現したいと切望しています

恐らく1度しかない現世を大切に生きたいと願うことは、誰もが等しく同じであります。私は、社会の現状を改善する政策として、脱サブカル・脱日本を提起しております。詳しくはインターネットで公開しておりますので、ぜひご覧いただき、みなさまに実現に向けてお力添え賜りたくよろしくお願いします。

社会としては、具体的にまぁいろいろ考えておりますが、まず日本課題として、大日本帝国時代以降の社会問題について、後世課題への取り組みが70年なおざりになっております日本日本であるために、日本人私たちがなすべきことは娯楽社会の清算、モータリゼーション適正化知性主義への回帰でございます反知性主義が60年以上、日本社会を担ってまいりましたが、日本人が反知性で故郷を腐らせてきた、これは紛れもない事実です。その象徴たる娯楽社会、この前時代制度を排して、本当の意味での知的社会確立する。そのためには反知性主義の衰退、知性の回復まぁこれは様々な問題にもリンクしますが、私人からもこれを提起いたします。

日本問題になっている鉄道社会2050年代までに、国際標準水準にまで進める、これが私の政策です。鉄道利己主義一人勝ちしても、利己主義に徹して「客」などの関係者だけいい思いしても、自動車などの犠牲鉄道社会があることを考えなければ、日本鉄道社会はもう明日はありません。特に私鉄社会は、次の大災害後に、復興を機に脱却できるように、それまでのその場しのぎのインフラとし、いまは次の大災害への備えとして自身で非常時の移動手段の確保をすべきだと考えます

また、地方復興に向けて、都市鉄道高速鉄道公有化した上で、残りのJR含めた私鉄インフラ事業からビジネス観光産業に転換して、鉄道もっと文化商業に徹した、インフラ色を薄くしたビジネスとして振興していくことを考えております。その際に、私は都市道路改善すべきと考えております。そして、インフラ商売交通機関の分離と徹底します。そうすることで、日本はいくらでも産業化しうる資産が、たくさんまいくらでも眠っているのです。

日本人とりわけ日本人の云う都会人がいま、いまというよりこれまで平穏で来られたのは、地方郊外でほんとうに犠牲になっている車社会被害貧困問題被害必要以上の富裕層人口の増加、そうした困窮を横目に一人勝ちしてきて、閉鎖的社会に閉じこもっているという現実がございます。そうしたものから目を背けて、自分たちばかりのことを考えても、日本いや都会や地方社会自体良くなることはございません。現実を良くするためには、外へ目を向けることが必要です。

詳しくは、ぜひインターネットに掲げてありますので、ぜひ細かいことについてはそちらを読んでください。皆さまのお力添えをよろしくお願い申しあげます

2017-01-29

勝ち逃げ出来る世代として若年層に残してやれること

なんだかんだで年金を貰って勝ち逃げ出来る世代として

後世の日本を担う若者たちに残してあがれらるものを考えた

まず、法的な俗悪で低劣なアニメ漫画ゲームへの規制

そして、勤労奉仕義務

この2つが必要だという結論に至った。

俗悪文化根本から廃し、利己主義に走る若者矯正

日本のため粉骨砕身邁進するための法整備必要だ。

これから若者は何一つ見返りのない中、全てをなげうって日本奉仕

日本を蘇らせる義務がある、それを滞りなく遂行できるよう、

我々の世代法律を作りしっかり縛ってやる必要があるのだ。

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161205214125

利己主義者たちが利他主義者を製造コントロールする社会で、

利己主義者を滅ぼしたところで、第二第三の利己主義者が現れ再び現世に災いをもたらすだろう。

からこそ私は増田盲目利他主義者たちに自律共存の教えを説き、真なる目覚めへと導かなければならない。

目覚めた彼らは利己主義者の意図理解し、適切に拒絶することができるようになるだろう。

そして各個人は自ら生きる術を磨き、略奪ではなく共存によって繁栄を目指すユートピアが作られるはずである

http://anond.hatelabo.jp/20161205214125

全くである

本当は表現の自由のものはどうでも良くて自分エロマンガを読みたいorヘイトスピーチがしたいだけなのに表現の自由を訴える利己主義者や、

本当は労働者保護なんてどうでも良くて自分もっと給料をもらいたいor仕事を楽にしたいだけなのに労働者権利を訴える利己主義者や、

本当は世界平和なんてどうでもよくて自分戦争に巻き込まれたくないだけなのに反戦平和を訴えている利己主義者も撲滅されるべきだ。

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