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はてなキーワード: 八百屋とは

2022-10-21

anond:20221021164853

イギリスでは今でもミカン全般をSatsumaと呼んでるよ。そこらへんの八百屋スーパー果物屋でSatsumaとして売ってる。

2022-10-18

anond:20221016193721

自炊のコツ

業務スーパーでは月2回、季節の関係ない鶏肉牛肉長期保存できる米や根野菜類を購入する。

・近くのスーパー八百屋魚屋で季節の野菜を購入

調味料ネットで購入

これでタンパク質摂取しつつ季節の食べ物を楽しめるようになる。2週間で1万くらい。

2022-10-13

商店街まちあるき

近所のなんとか商店街ってなっている通りを歩いてみたけれど、営業している店は通りの1割くらいで残りは閉店済みの店か、それを潰して建てた民家ばっかりだった。

もよりの駅には数年前までは大小合わせて三つくらい書店があったけど、今は全部なくなった。

ちょっとした定食屋みたいなのも今やってるひとが疲れちゃったらもう閉めるしかないんだろうな、と言うのが大半。

じいさんばあさんがやってたような八百屋だとか肉屋だとかはみんなコンビニまいばすけっとになった。

安くて美味い定食屋とかを揶揄して「家賃を払ってない味」とか言う向きがあったけど、そういうのって基本完全に趣味みたいなもんで潰してマンションでも建てて家賃とったほうがよっぽど楽にもうかるので後継者は当然いない。

いまはどこにでもあるコンビニも今後継続していける形態ともちょっと思えないので気がついたら孤独な老人はドローンが運んできた冷凍食品を三食食うみたいなのがマシな方、みたいになるんだろう。

俺は今もう既に結構な年齢なのでそういうのの最終形態を見届けることは出来なさそうなんだけど、どこかで反転するのかね?少子高齢化マックスまで進んで滅んだ国っていまのところまだ現実化はしてないよね?たぶん。

2022-09-26

anond:20220926002632

野菜は袋売りや大きいサイズコスパ良いので額を小さくすると難しいんだよな。八百屋だとキャベツ人参3本、じゃがいも1袋、エノキ1パック、なす一袋、豆腐二丁、トマト中1パック、レタス1玉、きゅうり1袋辺りで1500円ぐらい。

2022-09-18

なろうに投稿予定の小説ヒロイン候補

なろうに投稿予定の小説に登場する主人公ヒロイン候補をどれにしようか迷ってる。

・近所の八百屋の娘

駐日米国大使の娘

世界ファッションブランド創業家の娘

葬儀屋職員さん

・おばあちゃんヘルパーさん

2022-09-17

anond:20220916181520

そもそもお前が定式化してるから有名になるんだだの論文形式じゃないとだめだだの言ったからつい話を合わせてしまったがそういうことじゃないのよ。こっちも乗せられて自分記事アカデミックだの恥ずかしいことを主張するところだったけど。

そもそも増田で「アカデミック」な記事を書いた世界線ではお前には文句を言われなくても別の誰かたちにこっぴどく叩かれてただろうな。気取るなとかってさ。

叩かれて検索上位に食い込んだ記事なんて内容がアカデミック妥当だろうがそれは読まなきゃ分からないことなわけでまともに読まれはしないだろうな。

査読論文自体ごまんとあるわけなのに(考えれば当然だろ?)そのなかで理論が有名になったものはごく一部なのだからちゃん論文になってれば注目されるというわけでもなかろう。

ある理論や発想が有名になったり世間様の口端に上るかどうかは、論文かどうかが問題なのではなく、まず内容が良いことが第一なのであって、それをどれが内容に合った媒体投稿されているか、そして結局一番大きいのは運だと思うよ。

どういう内容ならどこで発信した方がいいという知識を一通り知っておくべきなんだよ。お前にそれを教える知識がないならもう用は無いってこと。

んで適切なとこに投稿してもバズったりテレビでいまホット理論として紹介されたりするかどうかは結局運。

俺もいいことは書いたのだが、運が無いから伸びないだけ。だってそうじゃないなら、完全に俺が悪いってことじゃん。誰だってそうは思いたくないし、実際そうじゃないと思うよ。

コージ苑とか言う漫画で「物理学者としてならノーベル賞を取っていた。でも死ぬまで八百屋だ。」というシーンがあるが、八百屋であるという境遇(という名の親ガチャ)もやっぱり運の一つで、運が無かったから平凡な八百屋の店主としてしか生きられないという解釈になるようなシーンだ。

才能があれば、いいこと言えれば絶対に日の目を見るなんてことのほうが現実に反しているに決まっているわけで、運が無くてくすぶってる人がたくさんいるわけよ。

2022-08-27

激安スーパー玉出に行ってみた

極貧生活をしている増田だ。

一食おかずに200円を出せば贅沢という環境の中でたんぱく質ビタミン食物繊維連合軍と日々戦っている。

当然買い物は客寄せ用だろう日々の激安品のみを狙い打つわけで、食べたいものを食べる生活とは分かれて久しい。

そんな増田にも謎の矜持があり、「玉出で買い物したら終わり」という謎の意識があった。

昔、まだ普通生活をしていたころにネット玉出話題を見てその安さや惣菜ヤバい雰囲気?を語っている場面を幾度か見てきたからだと思う。あとは個人的に丸いロゴ昭和、いや平成初期っぽくて古臭いイズミヤとかもな。さら黄色テーマカラーが古臭さを加速させてしかたがないという偏見

幸い、ではないが最寄のスーパー玉出はなく、自宅から距離的には通うには一歩遠い距離意識的に避ける必要がなかった。

それでも大阪を回ってみればそこそこ見かける各店舗。そんなある日、玉出の目の前で予定がキャンセルになった。

ぽっかりと空いた自由時間。目の前には謎の店玉出増田の足は気付けば玉出へと向かっていた。

(玉出とは

https://twitter.com/ikaring63036919/status/1395281116966227970

https://twitter.com/ikaring63036919/status/1395615475376087041

こんな立ち位置スーパーです。)



結論から言おう。

増田金銭感覚から言えば感性バグるぐらい安いスーパー、ではなかった。

他店のチラシの特売品ばかり買っている身とすれば通常価格だっただろう品々はそれらには及ばないし、生鮮食料以外の普通食料品既製品普通のお値段。他店にくらべ部分的に安かったり高かったりでごく普通だ。

ひとつ特徴的だと思ったのは、生鮮食料の産地だった。韓国産インド産メキシコ産の肉や魚がずらずら並んでいる光景はなんだかカルチャーショックを受けた。産地が明確なのはいいよね。

とはいえ増田の体は業務スーパーブラジル産鶏肉で出来ている。その体はアメリカカナダ産大豆。卵のサイズを選ばず(ミックス卵)。その体はきっと賃金が安い労働者たちによって支えられていた。

まり他者を笑える生活をしていないので、玉出のそれもヤバい点というわけではなく興味をそそられる特異点として紹介ということにさせてほしい。こんなものが輸入されているのだなあと本当に新鮮な体験だった。

(魚は本当に金額的にアウト・オブ・眼中なので輸入品のそれらが安いものかすら増田にはわからなかった)

惣菜についてもほうほうこんな感じねという印象で、質・値段ともに強烈なものはなかった。お弁当は平凡そうだが、どんぶり系は見た感じ普段スーパーより一回り大きい容器を使ってよさそうだった。ただ最近上げ底絞り底が横行しているので実際はわからない。

焼きそばはお得感があるボリュームで、これは既知の店より勝っていたと思う。

また、寿司にも力が入っており普通10種盛りのほかに特定ネタだけ数貫ずつバラで売っているのはうれしい。食べたいネタだけつまめるのはありがたそうだ。しかしあの魚の産地の豊富さを思い出すと食指は伸びなかった。

これで値引き率が50%を超えるならかなりサイフに優良と言えるが、時間帯が閉店までまだまだあったので残念ながら値引率はわからない。

これは値段とは別の話として、店内のいくつかの照明がおそらく意図的に高速で点滅していた。頭上のみならばさほど気に障らないが、食品フィルムにそれぞれに反射して非常にチカチカして値段や品が見づらいわでとてつもなくうっとうしかった。これはなにかサブリミナル催眠効果を狙っていたのだろうか?少なくとも増田の購買意欲は減少した。

最後に、韓国中国産の生鮮食料のほか、手書き韓国語と中国語張り紙やおそらく人種的黒人店員さんが居てこれもまたなんともいえぬ異国情緒があふれていた。何か言うとうっかり差別的になりそうだから深くは語るまい。玉出があった地域的な特色だったかもしれない。外国語張り紙効果的で感謝されるようなグッドな施策なのだろう。しかるになんというか玉出には品や店員や客を含めてそういった層があるわけで、非常に懐が深い店なのだなと思いました。

まあちょっと暗めの照明もあいまって独特な雰囲気はあったけれど、風評ネット特有の誇張されたものなのかなと。入ったことがない人は一度入ってみるとちょっと面白いかもしれない。



というわけで増田にとって玉出は常用するスーパーにはなり得なさそうという結論に至った。

しかしこれは喜ばしいことであろうか?

先述のスーパー一覧表で「お値段異常」と呼ばれるサンディすら特売や数点の地域最安値メーカーしか買わない増田だ。生鮮食料はサンディでは買わない。

増田が常用しているのは業務スーパーと表にも載っていない地域スーパー障碍者支援だろう八百屋などだ。

一ヶ月半をだいたい1.5万円の食費で暮らしている。辛い。値上がりの波も来ている。家計簿を振り返ると10種類以下の品目しか買っていない月が多い。

増田がするべきは「玉出で気兼ねなく買い物できる程度の生活」への脱出なのである玉出を笑ったり恐れている場合ではないのだ。ああ、しかし、そのための道筋はいずこ…。

次はサンディと同じく「お値段異常」と呼ばれ惣菜が特徴的らしいラ・ムーに機会があったら寄ってみたいと思う。こちらも「行ったら終わり」だと勝手に思っている店なのでいろいろ不安だ。もしそこで安すぎる食べ物があったら増田はその誘惑に勝つことが出来るだろうか。嗚呼しかし、金は命より重いのだ。

2022-08-24

親が死んだって聞いたら、「すっきりしてよかったですね😄」とか言ってしまいそう・・・

いやその人さぁ

家族経営でやってる八百屋の2代目で、奥さんと二人で一生懸命働いてるんだけど、

営業活動訪問するたびに先代の社長が店の奥にでーんと座って一日中ぐちぐち言ってんのよ。

その先代、もう年齢も80超えてるし脚も悪いし、せいぜいレジ打ちぐらいしかできないと思うんだけどな。

まあぐちぐちって言ってもだいたいは「ははは、そーですよねー😅」で流せるレベルなんだけど、

ある時、俺と先代社長しかいない時に、2代目の嫁について「あの女、なんもできねーからさー」みたいなこと言ってた。

あー、あんまり息子の嫁と上手くいってないのかなぁ…

奥さんもも10年以上旦那の片腕として仕事してるわけで、なんもできないってことはないと思うんだけどな。

2代目も店外で会うと元気に声かけてくれるんだけど、店の中だとかなり無表情なんだよなぁ。

2022-08-17

一日善いことをする増田朱眞ル巣を常井一日医回文

おはようございます

仕事が落ち着いてきたとはいえ

そうは言えない状況なのかしら?

普段ルーティーンに終われるまた日々ではあるけど、

一時期のあの怒濤の量よりかは開放されてマシになったわ。

ちょっとホッとして一息だけどもうこの時間だわ。

あのさ、

買い物でさ

買い物かご使うとき手で持つじゃない。

私買い物の量に関わらず、

カート使うようにしてるのよね。

だってレジで並ぶときにカゴを腕にぶら下げていたら片手しか使えなくて

暇つぶしが出来ないじゃない。

カートに買い物かご乗っけてのお買い物だと

手が空くから

いくらレジ待ち行列最適化されていない変な時間帯忙しいのにレジ店員が2人しかいなく謎の配置の時ってあるじゃない。

レジ長蛇の列!って感じで

でも両手空いてるから

スマホみてなにか捗らせたら

あっと言う間に時間が経つからそう苦じゃないのよね。

それに発見してから

割とどんな時間レジの列が変に長くても気にしなくなったので、

それはそれでマイライフハック的な発見じゃない?

みんなも真似していいし

自分発信のライフハックだと言っても過言でないことも間違いなことは確かね。

そんでさ、

その話しの延長線上にあるような話しなんだけど、

そのマーケットで買い物している人、

あんまり片腕が思うように動かないようで

1回1回カゴを床に下ろしては品物を入れてって感じだったので、

私の使ってるカートを譲ってあげたの。

わざわざカート置き場に行ってまたカートを持ってきて2台でカートを併走して1人で走るのが滑稽だったので、

その場で譲ってあげたのよ。

そんで私はカート置き場からまたカートを取ってきてウイリーして買い物をご機嫌に再開したところよ。

横目でカート使って楽そうには見えたけど、

はなからカート使えば良いのにね!って思ったのに使わないのはなぜかしら?

腕が不自由ならばなおのさらよ。

余計なお節介だったかしら?

お節介10回言って一瞬でもその字面

鰹節に見えたら本当にお節介だったかも知れないけど、

10回に1回は節介ってのが鰹節に見えたら

そうかも知れないわね。

あと帰り道自転車に乗ってて

その人にとっては慣れない道なのかしらね

知らずに一方通行の道を進入しそうに右折しそうな車と出会い頭に遭遇したので、

運転手さんと目が合っちゃったもんだから

こっち一方通行だよって教えてあげたわよ。

あい運転種の人って殺伐としてるから注意しにくいけれども、

窓越しに物腰の柔らかそうな人だったから逆によかったのかもね。

普通に一方通行間違って進入しなくて阻止できてよかったわ。

万が一そんなので捕まっちゃったらもったいないじゃない。

から今日

いいことしたなーってあと一つでいいことしたのハットトリックだったのにって

やっぱりそうは簡単には成し遂げられないのよね。

まだまだ私にもお節介の字が鰹節に見えたら

その日の3つ目のいいことの行いが出来たのかも知れないわ。

でも私思ったの

その日の晩ご飯

おかわりしないで一膳でおさめておきました。

なんつって、

これで一善一日にいいこと3つのハットトリック達成よね!

やったー!って

これが良いのかめでたいことなのかよく分からないけど、

結論としては

腹八分目しか勝たんってことなのかしら?

まあ

おあとがよろしいようなので、

今日はこのぐらいにしておくわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ちりめんじゃこおにぎりよ。

珍しいでしょ?

山椒の良く聞いた、

だれに?って感じの

良く効いたちりめんじゃこおにぎりだったわ。

たまにはこう言うのも食べるのよ。

デトックスウォーター

最近

もうトマト高すぎて1玉ですら買えないけど

トマト缶詰だとかトマトの加工品の方が安くトマト摂取できる逆転現象

いや言い過ぎかも知れないけど

生身のトマトが高すぎるわ。

あんまり値段に躊躇することはないと自負していたんだけど

さすがに高いわー。

ミニトマトだって

詰め合わせたら高いわよ。

露地栽培勝手八百屋やって100円で1袋たくさん入っているトマトが懐かしいわ。

トマトウォーラーだってできやしない、

まだグレープフルーツの方が1玉98円なのよ。

からレモン炭酸グレープフルーツ果汁の追い打ちをかける

レモン炭酸グレープフルーツウォーラーよ。

ほんとトマト高いわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-07-31

「◯◯はもう茹でないでください!」まとめ

そうめん

そうめんはもう茹でないでください!!」女将戦後体験からまれ調理法に「目から鱗です」

https://maidonanews.jp/article/14387882

とうもろこし

「お願い、とうもろこし茹でないで!」スーパー青果部直伝【最もラクに食べる裏ワザ】30万人感激

https://www.o-uccino.jp/article/posts/90575

枝豆

「お願い、枝豆茹でないで!」JA全農広報部が提案【震えるほどウマい食べ方】平野レミさんの仰天系も

https://www.o-uccino.jp/article/posts/91628

オクラ

八百屋「お願い。オクラは茹でないでください」その理由は…

https://buzzmag.jp/archives/399604

いんげん

いんげんはけして茹でないで下さい!ぺぺロンインゲン|けんますクッキングさんのレシピ書き起こし

https://tuberecipe.com/recipe/9021/detail

(参考)

ブロッコリー

農家ブロッコリーの蒸し方が話題に「オッケーブロッコリー」「茹でるより何十倍も美味しい」

https://togetter.com/li/1863599

2022-07-22

ちむどんどん本日放送分がキモすぎてもうだめだ

見たくないんだが同居人が週間として朝飯時刻に時計代わりにつけているので見てしまっている…その場にいる全員でツッコミ入れながらだけど。

もうツッコむ気力も失せた。

吐き出しておきたいかちょっと書いとく。

ーーーーーー

沖縄とは何度か観光した以上の縁がなく民俗研究とかしてない身だけど、沖縄文化はご先祖様を大事にしてお盆は盛大にやる、くらいは知っている。こちらでいうお盆はウークイといい、旧盆の時期にやるのだそうだ。古来より盆暮正月帰省が許されるんだから、お母ちゃん再婚の噂で「すぐ帰る!」とかトチ狂ったこと言わすんでなく、ウークイだから帰ります、でいいんじゃねーのかよ。旅費高いから数年ぶりの帰省って感じにすれば当時の沖縄との距離もだせたじゃんよ。

ウークイは盛大にやる=準備が忙しいわけで、こんな時期に「だけ」遺骨収集にいくお母ちゃんっておかしいだろ…比嘉家なんも準備してねえな?お父ちゃんのお迎えとお送りしねえの?いや、自分ちが親戚全滅してたとしても近所のお手伝いとかあるじゃん社会から完全位孤立してんのか比嘉家。これまでの行いからして孤立してても不思議じゃねえけど。

そもそも山原沖縄の北のほう)からガマのある南部って片道移動に半日かかるぞ…。

で、石川家の嫁、なんで実家にいんの?ここんとこ娘の姿がねえな、どこにやった?海に沈めたのか?子役スケジュール押さえられないなら、子供出すなよ。

そもそも博夫は実家から出てアパート暮らしてんだから、そこに合流すればいいだけなのに良子が実家にいる理由はなんだ?実家に入れば育児は歌子に丸投げできるからだろう?「この子母親は私しかいない!」とか言ってたのは無かったことになったんだな。

だいたいそもそも、ウークイは毎年巡ってくるだろ?子供時代のお父ちゃん死んだ初盆子供に教える体でお作法とかやって、お父ちゃんとお母ちゃんの話をちょっとして「幸せになりなさいね」ってやればよかったやんけ。そしたら視聴者もウークイの勉強になり、ストーリーもなんぼか見られるかたちに積み上がったのに。30近い兄弟雁首揃えて、はじめてのウークイの体ではじめてお母ちゃんの昔話聞いてる体が不自然すぎる…気持ち悪…。

昔話パートでも、親戚探しにいくと言って、親戚の一人でもあるオーナーに親戚の消息を報告するでもなしにいきなり結婚して山原に住むと事後報告とか、お父ちゃんも大概だな。

そして沖縄戦の悲劇は合計30分未満の語りで終わって、ノブコとクズピコのラブシーンの踏み台にされただけだった。は?きも。海と三浦大和の歌で誤魔化しきれると思ってんのか?八百屋あんちゃんはもう退場なのか?オーナーの、メイレイハゼタイって要らんだろ。きも。

ただ、昔語りの2日間はノブコが「マサカヤー」「アリエン」と金切り声あげなかったから耳に優しかった。それだけは評価する。どうせなら顔映すのもなくてよかったかな。あの人声が良くねえ。あの子供っぽい喋り方はそういう演出なのか?厨房では髪を結べ、汚えな。

本土復帰50周年作品と銘打ってしまたか沖縄を使ったけど、沖縄文化を描くでもなく、本土復帰前後のもろもろの社会運動や復帰後の混乱を描くでもなく、ただ顔の濃い方言女子おっさんの考えるカワイイムーブさせたかっただけじゃねーか感。

料理とか取ってつけた感しかないし、イタリア料理について調べもしてない。食材ぶちまけるとか焦がすとかい寒いギャグの連発を見るに、製作陣は、食事エネルギー補給のエサとしか思ってないんじゃないか鶴見居酒屋下宿して、自転車10分の横浜寄りの小綺麗な洋食屋修行でよかったじゃないか

そして1970年代80年代前半の新聞記者様(エリート)は当時の鶴見なんぞには絶対に住まないので、クズピコノブコが同じ下宿=やりまくりですね!になるんだよ。あーあ下半身の相性が良すぎてステータスと金を持ってくるはずの婚約者切っちゃった、とな。

放送開始前に思い描いたのは、沖縄舞台にして綺麗な海や山原のモリモリの森やギンギンの太陽を背景に、地元食材を使って、戦争の傷を抱えた人々とともに食のアメリカ化に抗う沖縄料理食堂を切り盛りする物語だったのに…。なんでこんな…。

本土復帰前後は「二人のウルトラマン」で描かれてた。

2022-06-23

anond:20220623110051

横だけど、ぶっちゃけ酷かったぞ

一億総中流?フザケロってな

東京しか見てない奴とか、バブル勘違いしてんだよ

土手沿いの長屋に住んで、腐った床に隙間風

浮かれ騒ぐ世間しり目に、八百屋クズ野菜を貰う家庭とか普通にあった

継ぎ接ぎのパッチ服着てる子も普通に居たし

貧乏は当たり前だった


スマホもってSNSできたり、学校無償化が進んだりしてるのにさ

今の辛さは、貧乏が許されない、事に起因してるんじゃないかと思う事がある

2022-06-07

anond:20220607004533

やきそば屋をやらせたり、初めてフォアグラを食べる新人編集者かわいいとか言ってたりキモかったな

田舎八百屋の娘のくせに、東京育ち高学歴編集者に囲まれ自分フォアグラ食べて育ったみたいなツラしてるのは寒すぎる

2022-06-01

anond:20220601000743

軽減税率対策補助金があったのにな

ざるカゴを使ってた八百屋にまで精算機が置かれるようになったのに

2022-05-20

与党である肉屋支持政党とする豚が、

野党である魚屋を指示する魚たち、

八百屋を指示する野菜たちと、

ネット論戦を繰り広げる毎日…🐷🐟🍆

2022-05-16

転売ヤープライドってないの?

A八百屋が、代理店契約しないと買えない珍しい野菜市場から仕入れた。

B八百屋が、Aからその野菜を買った。

そして、農産物直売所でBがその野菜を無断で高額販売

「今年もお待ちかねの○○野菜が入荷しました!」なんて手書きのポップ付けて。


そもそも八百屋農産物直売所に、自分が作ってないものを出すのも結構アウトなのに、堂々と転売してお待たせしましたってツラするのが非常に腹立たしい。

うちの売り場減らされて、代わりに転売ヤー売り場が出来るって状況なんなんだよ。

真面目にやってる農家馬鹿にしてるよ。


農産物直売所としては、確固たる証拠でもない限りはそういうの取り締まれないんだってさ。

Aは同業者売るわけにもいかいから非協力的だろうし。

代理店の胴元にチクるしかないのかなあ

2022-04-07

anond:20220407111619

crexist 〜すれば映画に出す/〜しなければ映画にださない、は優先的地位を乱用した脅迫では?ロジック的には殴られたくなければ金をだせ、とあまり変わらない気がするのだが

この理屈だと

八百屋は「野菜が欲しければ金を出せラッシャイ!!」で脅迫してることになるよな

2022-03-11

高給取りはすでに応能負担しまくり&ダブルパンチを食らってます

貧乏人どもはアホだから高所得者が実際どれだけ税金負担してるか、知りもしない。

たとえば年収300万だと、年間60万円くらいの税金を納めている。(社会保険料実質的税金と同じだからここに含める)

では、年収3000万円だとこれがいくらになるか知ってるか?

無能貧乏人は、

年収10倍だから税金10倍だと年間600万円。まあ累進課税があるから、だいたい年間800万円くらいか?」

と思っているだろう。

正解は、「年間1200~1300万円ほど税金を取られる」。

いか、総支給額じゃないぞ。手取りでもないぞ。自動的天引きされる額が1300万円だ。

それでもまだ多額のお金が残るから十分じゃないか!というアホも非常に多い。

あのな、この収入死ぬまでずっと保証されてるなら、たしかにそうだよ。

でも来年どうなるか分からないのよ。今年たまたま年収3000万円でも、来年からゼロになる可能だってあるのよ。

一口に「金持ち」と言っても、資産家と高所得者では全く意味が違うことを理解しろストックフローの違いだ。

代々の資産家で、株式などの資産10億円あるけど無職なので今年の収入ゼロでした・・・という人は「低所得者」扱いで課税ほとんどない。

一方、ずっと貧乏だったが商売たまたま当たって今年の収入はいきなり3000万円になりました・・・という人は「高所得者」扱いで多額課税商売がすぐピークアウトして来年からまた低所得者に戻っても、すでに払ったこ税金は戻ってこない。

まり何が言いたいかと言うと、日本は古くから資産家・権力者はずっと富を保てるような仕組みになっており、成り上がりの新興金持ち特に小金持ちレベル)はなるべく潰されるように設計されている。

要するにフローへの課税が凄まじい。ストック課税するもの相続税など)もあるけど、その回避策がいろいろ用意されているのは貴族の流れを汲む人たちを見れば分かるでしょう。

さらに言うと、雇われサラリーマンなら、まだそれだけで「済む」とも言える。

しか法人を立てて自分株主経営者だと、負担はそれだけでは「済まない」。

まず社会保険料は2倍だ。会社負担分も実質自分が払ってるのと同じだからね。

さら法人として利益が出れば、そこにも各種税金がかかる。法人税、法人県民税法人市民税事業税etc. むちゃくちゃ搾り取られる。

これを主張すると、「資本家=悪」「会社=悪」「金儲け=悪」みたいに考えている頭の悪い共産主義者がこう言ってくるのが定番だ。

「そのカネは従業員酷使して搾取したカネだから、多額の課税されて当然だ! いい気味だ!」

みたいに言ってくる。

あのな、世の中の会社ほとんどは従業員なしで社長一人のみか、あるいはせいぜい家族しか従業員がいない超零細企業ほとんどなんだよ。

形式的法人なだけで、実質的には父ちゃんちゃんでやってる自営業なの。街の八百屋とかと同じなの。

まり、誰から搾取なんかしてないの。頑張って働いて、それに対してお客さんが喜んでお金を払ってくれてるから稼げてるだけ。お客さんに喜ばれない商売だったらすぐ潰れてるんで。

経営者なら経費使いまくりだったり、いくらでも節税できるんだろ!」と言ってくるアホも多い。

あのな、税制ってものすごく上手く出来ていて、何をどうやっても同じくらいの税金が取られる仕組みになってんのよ。

国もよくある節税策とかそんなことは百も承知で、抜け穴なんか全部ふさがされてるのよ。

そういう事実も知らずに、「会社経営従業員から搾取=悪」みたいに単純に考えてる小学生レベル低能が多くてマジでうんざりするわ。

話が脱線したが、とにかく高給取りはすでに応能負担しまくりで、それどころか各種手当や助成金などは全て打ち切りというダブルパンチを食らっている。

不公平なんてもんじゃない。

それでも雇われサラリーマンなら高給取りでもまだ負担がマシなほうで、経営者株主)だと非常に厳しい課税などの嫌がらせがすごいことをより多くの人に知っておいてほしい。

公式勝手に言ってるだけ」からはじめる文学理論半世紀

最近二次元に魂を奪われ二次創作萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。

歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである構造主義の話はしません)。

すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。

さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石作品批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石意図」に接近しようとした。

これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。

聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である

これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者あなたが「八百屋さんの隣にあるポスト手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。

これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァ世界公式に起きたこと」にアニメ劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダム関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。

話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生ノートをもとにソシュール一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。

聖書漱石研究など、ソシュール以前は「世界言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンル議論酷使されすぎだと思う)。

それに対して、「言葉世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回であるソシュールが言ったのはあくま言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまり革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてから文学理論最近半世紀である

それまでの哲学世界観と言ってもよい)においては、言語研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたまのものいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?

よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。

これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しか言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかソシュールいわく言語対象の結びつきは「たまたまである。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。

冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。

もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。

二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズエラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。

しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたし感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。

上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこ言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作アニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観いか正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。

しかしそうした努力にもかかわらず、論理学数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデル不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。

かくして文学研究者らはそうした論理的数学理論縦横無尽闊達自在引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。

しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに自分場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。

から、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情想像力こそ、人間発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから

 

最後

これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探していますPythonとかほんの少しできますよろしくお願いいたします。

2022-02-06

千林大宮

少し前まで千林商店街近くに住んでいた。今でも通院で2ヶ月に一度は行っている。

千林商店街はとにかく安い。先日白ネギ八百屋さんで10100円で売られていた。

八百屋さんで野菜を買いお肉屋さんで量り売りのお肉を買う生活をしていた為千林から離れた今スーパーで買う食材が高く感じてしまう。

大阪のおばちゃんに聞いてみました!的なロケでよく千林商店街は映る。自分も住んでいる時何度かロケをしてるのを見たことがある。

千林商店街にはテーマソングがあり引っ越した今でも口ずさんでしまう。いち、じゅう、ひゃく、せん、千林

千林商店街から道路を渡ると千林大宮商店街がある。千林商店街ほどお店はないけど美味しいパン屋さん、和菓子屋さんがありそこで買って家でコーヒーと一緒に食べるのが至福の時だった。

商店街のすぐそばにある銭湯お気に入りコロナ禍前はよく行っていた。銭湯がやたら多かったけどそこの銭湯しか行ったことなかったのはもったいなかったなあと思う。露天風呂があって水槽の中の魚見ながらぼんやり入るのが好きだった。

これからも通院は続くので千林大宮界隈に行くことは何度もあると思うけど、ずっとあの下町空気は続いて欲しい。

引っ越しても大好きな町。

曲の題名を教えてほしい

小学校の時に音楽教科書に載っていた曲。

周りはみんな知らないと言うので誰か知っていたら教えてほしい。

うろ覚えだけど、確か八百屋のお父さんが車に跳ねられて死んでしまうというような内容で、

最初は明るく始まるのに曲が進むにつれて暗い内容になっていって、クラス女子には泣き出してしまう子もいた。

最後は「バカヤロー」というセリフのような言葉で終わっていた気がする。

未だになんであんな暗い曲が小学校教科書に載っていたのか謎。

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