はてなキーワード: 伝説とは
商品名 | 値段 | 強度 | 紫外線UVカット(室内の色あせ・ 変色を防止する) | 貼り付けタイプ | 特徴 | 柄 | アドレス |
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UVカット2倍強い明るい障子紙 (幅25cm×長さ22.5m) | 1001 | 約2倍 | 約95%カット | のり | 室内が明るく感じられる。(※1) | 無地、雲竜、笹竹、桜 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001889&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= |
UVカット2倍強い明るい障子紙 (幅28cm×長さ18.8m) | 1001 | 約2倍 | 約95%カット | のり | 室内が明るく感じられる。(※1) | 無地、雲竜、笹竹、桜 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001888&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= |
UVカット2倍強い明るい障子紙 (幅69cm×長さ7.2m) | 1078 | 約2倍 | 約95%カット | のり | 室内が明るく感じられる。(※1) | 無地、雲竜、笹竹、桜 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001887&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= |
UVカット2倍強い明るい障子紙 (幅94cm×長さ15m)UVカット2倍強い明るい障子紙 (幅94cm×長さ15m) | 2123 | 約2倍 | 約95%カット | のり | 室内が明るく感じられる。(※1) | 無地、雲竜、笹竹、桜 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001886&search=%A3%D5%A3%D6%A5%AB%A5%C3%A5%C82%C7%DC%B6%AF%A4%A4%CC%C0%A4%EB%A4%A4%BE%E3%BB%D2%BB%E6+%28%C9%FD94cm%A1%DF%C4%B9%A4%B515m%29&sort= |
UVカット2倍強い明るい障子紙 (幅94cm×長さ7.2m) | 1166 | 約2倍 | 約95%カット | のり | 室内が明るく感じられる。(※1) | 無地、雲竜、笹竹、桜 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001874&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= |
浮世絵障子紙 | 3850 | 約4倍 | 北斎の名画。納期が多少かかる場合があり。 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001935&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | |||
ディズニープリンセス障子紙 | 3850 | 約4倍 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001931&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | ||||
ピクサー障子紙 | 3850 | 約4倍 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001929&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | ||||
くまのプーさん障子紙 | 3850 | 約4倍 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001927&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | ||||
ワークソン ピーナッツ(スヌーピー)障子紙 | 3850 | 約4倍 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001925&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | ||||
エヴァンゲリオン 障子紙 | 5500 | 約4倍 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001923&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | ||||
北斗の拳 世紀末和室伝説 障子の章北斗の拳 世紀末和室伝説 障子の章 | 5500 | 約4倍 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001920&search=%CB%CC%C5%CD%A4%CE%B7%FD+%C0%A4%B5%AA%CB%F6%CF%C2%BC%BC%C5%C1%C0%E2+%BE%E3%BB%D2%A4%CE%BE%CF&sort= | ||||
アイロン貼り超強プラスチック障子紙 | 1573 | 超強(※2) | 約95%カット | アイロン | 無地、雲竜、桜宴、市松、優花 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=005001000056&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | |
夏涼しく冬暖かい障子紙 | 1414 | 約95%カット | のり | 無地、桜、雲竜、 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001558&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | ||
のり貼り超強プラスチック障子紙 | 1210 | のり | 無地、雲竜、桜、 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001777&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= | |||
4倍強いアイロン貼り破れにくい障子紙 | 1128 | 約4倍 | 約90%カット | アイロン | 無地、雲竜、笹竹、桜 | ttps://e-shop.asahipen.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000001794&search=%BE%E3%BB%D2%BB%E6&sort= |
※1「室内が明るく感じられる」…アサヒペン社の説明の通りではこのようになっています。ただし恐らくですがプラスチック障子であれば全ての製品がこの特徴を持つのではないでしょうか?
仕事ができないと言われたくなかった。
「俺、コミュ障だし」「俺、アスペだし」とは笑って言えるのに、「俺、仕事できないし」とは言えなかったのである。
現代社会においてコミュ障であることは、仕事ができないことに等しいのは明白なのにだ。
俺はコミュ障だが勉強だけはそこそこ出来た文系という、最も潰しの効かないタイプのゴミである。
まず俺は締め切りが億劫で守れない。
それに叱られるのが怖くて問題を先延ばしにする上、報連相が不能な典型的な使えない新人だった。
取引先相手につい嘘をついてしまい、会社にあらぬ損失を与えたことも何度もある。
こういう時、職場はこいつは排除しよう、という正当な動作をする。ということで俺は孤立した。
さっさと辞めちまえ、という周囲の心の声が聞こえてくるようだった。「仕事ができない」ことを認めたくない俺のプライドはズタズタである。
病院をググるのが面倒なので病院にはいかなかったが、当時は掃除と洗濯、風呂に入るという行為が1週間に一度くらいしかできなかったので、多分適応障害かプチ鬱病だったのだと思う。飯も録に食えなかった。
そんな俺の転機は、同じ社の、俺の尊敬する穀潰しの先輩にアドバイスをもらった時に訪れた。
彼は始末書のレコード記録と横領じみた行為の数々による犯罪者スレスレの経歴を持ち、
「議事録を社内サーバーに上げておく」というだけの仕事を振られていた伝説的カス社員だった。
しかもその仕事すらサボり、散歩とコーヒーブレイクだけをしに会社に来ていたという偉人である。
だが、そんな先輩の栄光の日々も、ついに終わる時は来たのだ。社が新たなビルに移転する際に、更なる完全窓際部署へと追いやられることになっていた。
使えない新人として名を馳せていた俺は、その人の溜め込んだタコ焼き器だとか、やたら派手な扇風機だとか、そういうガラクタを含めた机回りの移動という雑用を振られた。
あらかた俺に荷物を運ばせた先輩は、俺の買ったコーヒーを飲みながら言ってくれたのだ。
「君なら、僕みたいになれる」、と。
その時、俺は目が覚めた。
「そうか、自分は、仕事ができないサイドの人間だったんだ!」と、ストンと胸になにかが落ちた。
それから、俺は使えないサイドの人間として、積極的に会社を使い潰してやろうという意識が生まれた。
その時、ようやくわかったのだと思う。俺は、他人というものが、集団というものが、ルールというものが、嫌いだったのだ。
なぜ生まれた時から法律なんてものを強制されるのかわからず、法律科に行った時の、初心を思い出したような気分だった。
俺は社会人であり、社会の恩恵を受けながら、社会というものが嫌いでたまらなかったのだ。
楽しそうな人間は楽しそうだから嫌いだし、つまらなそうな人間はつまらなそうだから嫌いだった。
この世の、ありとあらゆるコミュニケーションが嫌いだった。好きになる理由がなかった。
おそらく、先輩は俺にそういうことを伝えたかったのでは全くないと思うが、彼の言葉が俺の頭の中のスイッチを押して、回路が上手く繋がったのである。
社会が嫌いなのに、社会に報いようだとか、社会のルールを守ろうだとか考えていた方がおかしかったのだ。
ということで、「仕事ができない男ですが?」という、ある種の開き直りをした俺の快進撃が始まった。
まず、俺は意図的に締め切りを守らないことにした。
あと、挨拶はしない、電話は取らない、メールは気分が乗った時だけ返す、といった自分ルールを設けるようにした。
さらに、積極的に会社になるべく損失を与えるギリギリのラインをつく仕事をするよう心がけた。
するとどうだろうか。
そもそも、俺はルールが嫌いで、ルールを守れない。その病気を上手く利用した形になる。
「意図的に締め切りを守らない」という自分のルールが守れず、そこそこ締め切りを守るようになったのだ。
さらに、締め切りを守らないぞ!という意思は逆に締め切りを意識させることに繋がった。締め切りを完全に忘却していなければ、締め切りを破ってもどうとでもなった。
さらに、会社になるべくダメージを加えようという姿勢は、逆に業務を知ることに繋がったのだ。
例えば、うちの会社はマニュアルをPDF化すらしてなかったので、そのマニュアルを悪戯で勝手に改竄する計画なんかを練ったわけだが、
どこを改竄すれば訴えられず、かつそこそこのダメージを社に与えられるか、というような遊びをしているうちに俺はすっかりマニュアルを暗記していた。
情報に捕まらないように、ITの知識や自分の会社のセキュリティの脆弱性に滅茶苦茶に詳しくなった。
勿論俺はそもそも仕事が出来なかったので、ミスは起きたし、会社に損害も与えた。
始末書や顛末書も幾度も書いた。だが、左遷されるようなことはなかったし、懲戒や減給もなかった。上手く綱を渡れたのだ。
「どれだけ叱られても会社に残る根性のあるやつ」という評価になったのである。大丈夫かよこの会社、と思ったがとりあえず人間関係もまともになった。
仲良くなると、個人情報も結構教えてもらえるようになったので、それも利用できるようになってまさにギブ&ギブの素晴らしい関係だったと言えるだろう。
人間は1人で生きるのではない。俺ような人間のミスをカバーしてくれるアホ共がいるから世の中は回るんだな、と心が温かくなったのを覚えている。
あと、ニュースで報道される、不正を行った人達も優しい目で見られるようになった。人は罪を許し、助け合うことが大事なのだ。
しかし、いよいよ俺の薄汚いリーマン生命でもって罪を償わなければならない時がきてしまった。
うっかり、社に億に近い額の損失を与え、しかも太い取引先を激怒させてしまったのだ。
今回ばかりはヤバい、という空気をヒシヒシと感じた俺は、世話になった会社に報いるべく、何とか多くの人間を巻き込んでメガンテを撃てないか考えた。
だが、告発書をしたためたり、転職サイトに悪評を流そうとか、上司の名刺のコピーを色街にバラ撒こうとか考えていた折、
なんと俺を救ってくれる人間が現れたのである。それは、例の左遷されたはずの、穀潰しの先輩だったのだ。
彼は役員になっていた。
俺はビビった。この会社大丈夫かと思ったが、カラクリは簡単な話で、その先輩は創業者から直接の血が流れる男だったのだ。
仕事なんてしてなくても、していても関係なくいつか役員になる、そういう運命の元に生まれていた人だった。だからこそ大出を振ってサボれていたというわけだ。
とにかく、彼のおかげで俺はクビにはならずに済んだ。
それどころか、俺は業務改善や社内法規を決める部署に転属になったのだ。会社的には出世である。
顔に小じわの増えた、クズの先輩はこう語った。
ルールを破らない人間が作るルールほど穴だらけになるものはない、と。なるほど、と思うと同時に、その時、俺は先輩の隠れたメッセージを受け取ったのだ。
「俺達のような人間を出世させる、こんな会社に復讐してやれ」と。
俺は密命を果たすべく努力しまくった。明文化されていないが仕事を円滑にするためにあえて定まっていないルールというものが会社には多い。
だからこそ法や業務効率の名の元に、仕事がものすごくやりにくくなるやろうなあ、という社内ルールを通すべく俺はあらゆる手を使った。
会社がどんどんギスギスしていく姿に、きっと役員の先輩も喜んでいてくれているに違いなかった。
そういう日々が続くうちに、俺にもいつの間にか妻と子供が出来た。(こればかりは本当に相性のいい人とたまたま出会った)。
基本的に残業は一切しないので、子供の世話もしているが、仕事と違って楽しいものだ。手当も出て給料も上がり、順風満帆な人生を送っている。
何故幸せになれたのかというと、やはり「仕事ができない人間である」というのを認められたからだと思う。
自分が正しい人間だとか、優れた人間だとか、そういうところから脱却するのが肝要だ。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
例えば東洋経済オンラインだとこうなる。
https://www.google.com/search?q=%E3%83%AF%E3%82%B1%E3%80%80site%3Ahttps%3A%2F%2Ftoyokeizai.net
成果をあげない人ほど働き、「忙しい」と嘆くワケ
https://www.google.com/search?q=%E3%83%AF%E3%82%B1%E3%80%80site%3Ahttps%3A%2F%2Fpresident.jp
「急いで金持ちになろうとしてはいけない」伝説の投資家バフェットが繰り返しそう説くワケ
トヨタやソニーもかなわない…エアコンのダイキンが株価上昇率で「グーグル超え」のワケ
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なんでこんなに「ワケ」を多用するのか。
あのチョコのゴディバのマークにもなっているゴディバ夫人の逸話が流れてきた。
慈悲深いゴディバ夫人が、夫の圧政に苦しむ民の為に減税をするよう諌めたら、減税したくない夫から全裸で馬に乗って街を行進したら減税してやると言われて、本当に全裸で街をまわり、民は夫人に恩義を感じ目を背け見なかった。
しかしスケベのピーピング・トムだけは覗き、天罰を受け失明したという伝説だ。
男なら覗くよね、失明は厳しい、といったコメントがついていた。
いや、自分のために辱めを受けてる人を覗かんやろ。
そんなやつ国内で一人級のゲス野郎だろと思うんだけど、どんなもんなんだろう。
ついでに、覗きくらいで的なんも多かったけど、現実で風呂覗いた学生が退学とかになっとるし、そもそも軽い罪やない、漫画的価値観に毒され過ぎ。
一番多かったのはエロいってコメントで、それはそう、全裸で街を回らされる高貴な清い聖女ってエロ本的シチュエーションだし、昔の人も多分そんな気持ちで合法ポルノ的にこの話作ってると思う。
こころぴえん④
四
七夕があった。
私はというとまた失声気味になっていた。
顔面の半分がしびれて麻痺したような。これだと七夕の伝説を解説できないから。
そりゃあ困ると思ったけど代替になってもらえる人もいないから、課長に付き添ってもらって死ぬことにした。
そう私は先生に言った。
そしたら先生は優しく私の首に手をかけて私のことを殺してくれた。
でもねこれだけは言っておくんだけど、その殺傷のおかげで私は今これをこうやって書いてる。
生きてる!
生きてはてなーになって駄文を二人して巻き散らすのも悪くないかもしれないよね。
でも私いつまでたっても先生よりバズれないの。
先生は先生ですんげーおもろいツイートしてるのにいいねが一生0なの。
うけるよね。
そうやってお互いネトストし合ってうちら生き延びちゃってるんだよね。
単芝失礼。
あ、そーだ。柴犬飼おうよ。保護犬になっちゃった柴犬を引き取れるようになろうね。
大人になんなくちゃ。
真っ赤なバラと白いパンジーと子犬と私の横に先生がいてくれるのかはわかんない。
けどこうやって増田に書いてたら先生がでんちゃ♪でんちゃ♪でんちゃっちゃ~♪に乗って
銀河鉄道に乗って
ワイの街まで来てくれるんじゃないかなって思ってるの。
でもいつになったら会える?
私より先に逝ったらそのときだけはおこだよ。
激お子ってハンネで活動し始めるかも。
ネットでガキがこれ天才が実現させた!って言われてたことそこら辺の月給20万レベルの派遣プログラマがみんなやってる
社会知らない学生や無職がそういう系の文章を(Wikiとかニコニコ動画とか2chで)書いてたからFFの飛行船の実装はバグがどうのこうの、もう再現できないとか言ってるだけだと知った
エンジンの仕様変わったらそりゃそのままじゃ再現は不可能だろカス殺すぞ
でもね、みんな頭捻って不可能だと思えるようなこと実現させてるんだよ今もね
声のでかいやつがなんも言わないから原神は天才がオープンワールドゲームで重厚なライティングを実現させたとか、ゼルダの伝説は鬼才のサウンドデザイナーが世界観を作り上げた(以降RPGでは1小節ずつBGMを作ってどこからでも変調できるようにするのが当たり前になった)とか言われてないだけでね
まともな大人はみんな安月給で何かを創り上げてるんだよ
なんか上がってたので追記
今と昔の違いが〜とか知らんがな
今のゲーム開発者もまたまだ実現してないことを有り得ないぐらい安月給で実現させてる
吹聴して回る奴がいないから伝説級にならないだけでvtuberオタクが今も変わらずらんらんるーとか言ってれば新しい伝説が築かれてたと思うよ
ゲーム開発に携わるまではやばすぎるんだろうなと思ってた開発者が、意外にもそこら辺の派遣と大差なくて拍子抜けしたわ
ゲームもなんでもそうだけど注意してみなければ気がつかない創意工夫があらゆるところになされてるぞ
たまたま子供が好きなゲームで開発秘話がされたから禿げたインドのおっさんに伝説って形容詞がついただけで時代や詩人の価値観が違えばそこらへんのおっさんが"伝説の"車エンジニアだったワケ
彼女には思うところが色々あるので、箇条書きで書いていく。
・アイドル力については文句なし、特にライブパフォーマンスは素晴らしい。
・歌はあまり上手いってタイプではないけど、キャラをうまく憑依できてる。
・↑みたいな感想みて、変に意識して歌った歌が一番ひどいので普通に歌ってほしい。
・SNSを上手に使えていれば(使わなければ)もっと仕事は増えていたと思う。
・キャスティングで炎上する可能性のある演者をすすんで使いたい人はいない。
・熱愛おめでとう。素直に祝福できる数少ない声優。
・これで声優活動(ミリオン)からはフェードアウトしてほしい。
・そういう人格・性格を否定はしないが、アニメ・ゲームが好きな層からは遠いぞ。
・エゴサから来ました!は伝説。周りの人どんな反応したの?もう止めてくれる人いないの?
・でも、この脇の甘さがあって30歳まで恋愛報道されなかったのは素直にすごいと思う。
・話がまとめきれていないのも、脊髄反射で喋るのもラジオの話者としては向いていない。
・↑が受けているという反論もあるだろうけど、さすがに進歩がなさすぎ。
・一般人でも煙たがられるのだから車やブランド品をSNSにあげるな。
・バンドメンバーとのキャンプも需要どこにもないと思うぞ。(やってて好評な人いるか?)
・↑上をやる前にとことん未来に向き合えよ。
・仲間の誕生日の祝い方がわざとらしい、困ってる人多いだろ。
・仲間が業界でも売れっ子になってるの見て焦る気持ちは分かる。
・髪色とか別に気にしないけど、それについて持論を述べるツイートが鬱陶しい。
・Machic○みたいに髪色変えましたーだけじゃだめなの?
・亡くなったお母さんの~って理由ならなおさらしまっておいてほしい。
・ファンへのくれくれが見ててひどい。
・似顔絵とか送らせるのも見ててあまり面白いものじゃない。(彼氏にやらせるよりはマシだが。)
・ゆき〇の姉の化粧品の宣伝とか、あなたがやるとちょっと疑っちゃうよ。
・胡散臭さがもうしみついてるのかな。
・Youtube配信とか続かないんだからやめとけ、やるにしても、もう少し企画を練ってほしい。
・あーコンビニはどうでもいいや、あれは運も(性格も)悪かったと思うよ。
・いろいろ書いたけど、総合的に山崎はるかというコンテンツは嫌いじゃないよ。
・もうすぐ結婚かな。おめでとうな。