はてなキーワード: 享楽とは
長子育ちで、わりとなんでもトップバッターで独り占めしながら生きてきたので(これを言うと皆に長男長女ってそういうもんじゃないと言われるのですが)、
「みんなで別の種類頼んで、シェアしよう〜」
自分で選んだ好きなもんを、ひとりで全部食べたいんで。
大人だからそういう場で反論はしないのですが、何かの会合でない限り、極力ランチは一人で行きます。
わっかんねーよ。
ただ、「おひとりさま」という、女性誌が喜びそうな耳障りの良いつまんないくくりで括られるのもツラい。
なぜなら、ひとりで全てを独占したい、意地汚い根性と欲求を満たすために行ってるだけなのに
「おひとりさま」人種が最近料理の写メ撮りながら悦に入って幅きかせてるの見るとちょっとあれって思います。
結婚して何がツラいって、一人で好きなだけ好きな物を、夕飯に食べられなくなってしまったことでしょうか。
焼肉・寿司・しゃぶしゃぶ・定食屋・ラーメン・煮込み屋・居酒屋・立ち食いそば…気の向くまま、その日食べたいものを味わってきました。
本当にやりたいことと、本当に食べたいものは、自分ひとりでやった方が圧倒的に楽しい人種はある一定数存在します。
結婚とは、規則正しく安定した生活と引き換えに、欲望に赴くまま自由に行動する享楽を捨て去ることでした。
本当にしたいこと行きたいところには、ひとりで行った方がいい…という渇望は極力捨て去り生きています。
誰の影響も受けずに自分一人で、まずは判断してみたい欲望は、人間として未成熟ということなのか。
ささやかな夢は、一人で焼肉屋に行き、〆のスープとかクッパを、独り占めできる喜び。
ショボいちっちゃい皿にちんまり盛られてんじゃなくて、器ごとガバッと食べる快感。
誰かと一緒に食べる喜びなんかより、圧倒的に勝ります。
今日は連れが友人と飲みに行くということで、ひとり行きつけの焼肉屋にやってきました。
ビールを頼んで、ロースとハラミとコブクロを頼み、コムタンスープを頼む。
もう15年以上ひとり通いつめていますが、
肉がそこそこ美味くて、配膳以外は客を徹底的に放っておいてくれる愛想のなさが、最高に素敵な焼肉屋です。
痒いところに手が届くホスピタリティとか笑顔の接客とか、逆にひとりメシする側にとってはとてもウザいものなのです。
「店員の愛想がない」「店が古くて汚い」とか言って、小さい街の昔ながらの焼肉屋に低評価つけてる食べログのクソレビュアー、早く絶滅しないかな。
風俗行ったり行かなかったりしているんだけど、その時時で自分の中で種類にブームがある。
20代の頃はじめてヘルスに行って手コキでも金を払えば女性と肌を合わせ射精できる、とのことにものすごく感動した。現実世界でも色恋沙汰が無いわけじゃないけど、異性は色々気を使うことが多すぎるし快楽と気遣いを同時に進行するのがめちゃくちゃ面倒なので射精だけに特価したサービスが恒常的に全国に偏在している日本素晴らしいと思うことが多々ある。60k払って思い切って中出しOKソープ行ったりもしたけど最近はそこまで気合入ってないので30代になってからエッチなサービスが交渉次第であるjk的な何かにハマっている。ヘルスにしろソープにしろ金額が高ければ高いほどサービスや容姿は良くなる。しかし、サービスの良い店で若くて可愛い子といたすとなるとかなりハードルは高くなってくる。思いっきりやれるところで30k程度ではせいぜいちょっと見た目が悪くないおばちゃんが出て来る程度だ。60k80k出さないと厳しい。その点、ピンサロやらマッサージ系やらのゆるいちょいエロなサービスは1kくらいでかなりかわいくて若い子となんか色々できる。最近アキバあたりでそういう店であれしてハマった。twitterとかで自撮りあげてる調子乗ってるレイヤーっぽい子ってなんでこんなに可愛くて自分好きな奴ばっかりなんだって呆れるけど、そういう感じの子が多い。オタクに理解ある子やオタっぽい子も最近はたくさんいて、ゆるく最近のアニメの話とかしながら手コキしてもらったりして最高に興奮する。まどマギ見てる子の多さよ、あと杏子の生き方に共感するこの多さ、三人くらい会った。サービスでも営業でも自分の現実生活と切り離してこういう享楽にふけることができることに感謝する、あと生きてることに感謝。
日本人を大規模検査したら、セイシン・チテキショウガイのある人達が全人口の50%位を占めていて、同じ悩みを持つ韓国人を始めとする世界の人々が仰天したんだよね。
「もはや正常な国じゃない。そうでなければこんな国になるわけがないし、日韓は特殊な国」って。
冗談ではなく本当に異常なんだね。
これが現実か…
世界中のだれもが認めている。
日本人って第二次世界大戦の時もだけど、本当に彼らって馬鹿が好きな国民性なんだな。
科学国家としては有能だったかもしれないが、ショウガイシャ大国の現実には抗えなかったようだな。
怠惰・享楽・痴呆など悪い本能の細胞が覚醒してしまったのだろう。
日本人と韓半島人の中のケンジョウシャは中国に頼んで統治を手伝ってもらえ。
アメリカが韓国との国交を止めるならついでに日本との断交もしよう。
帰り道大通り駅で地下鉄を乗り換えていたら突然女の子連れのおばさんに話しかけられた。「マインドフルネスって知ってますか?」「ヨガを習っているんですが、自分も講師になる練習がしたいので練習相手になってほしい」と。明らかに胡散臭くて面白そうな匂いがしたので連絡先を交換して別れた。
翌日連絡があってその週末市内某所のファミレスに呼び出された。まず俺とおばさんの2人(もしくはプラス子供)かと思ったら、子供に加えてもう先に一人若い男が来ている。田中さん(仮名)と呼ばれた彼は年は23歳で俺のひとつ下でパチンコ店員をしていて、一ヶ月くらい前にカレーを食べようと思って歩いていたところ俺と同じように駅で声をかけられ、その日のうちにレッスンを受けたという。なんでヨガを習っているのか尋ねると自分は頭が悪いからと言う。たしかにIQ80くらいに見えた。おばさんが「毎日10時間睡眠だったのが6時間睡眠になった」「田中さんはその日の内に実践したので効果はすぐに現れた」と重ねる。
そんな話をしたところでチャクラ診断とやらをする。いろんな「人助け」とか「ホラー映画」とか40〜50個くらいの項目に「よく当てはまる」「当てはまる」「当てはまらない」で回答していく。それぞれ2点1点0点が与えられ、各設問は5つのカテゴリに別れ、最終的に5つのスコアが現れた。
それっぽい折れ線グラフが作成され「あなたは〇〇な人ですね」みたいにいろいろ浴びせられる。詳しく覚えてないが、そのうち喉が悪くなるカテゴリの点数が高かったらしく「喉の風邪をひきませんか?」と言われたが、風邪を引いたら大抵喉は痛くなるものだと思い「普通です」と答えると「そのはずはないです」不満げになられたりしながら、本題のヨガの講義をするに前に自己紹介のスライドを見せられる。
これまで曹洞宗の父とクリスチャンの母の間に生まれて、周りの大人がみんなバカに見えて、小学生のころテストをしたら知能指数が道内一番だと言われたけど、頭良く振る舞っても損しかしなかったのでバカのふりをしてたら本当にバカになってしまって、悪さと享楽の限りを尽くしたが、ヨガの先生に出会ってヨガを学んで大切なことはお金とかそういうものじゃないと気づき、今では六年くらい経って最高に幸せだ、みたいなことを言っていた。
かつてどんな悪さをしたのか聞いたら「男遊びとか、ときには薬とかにもを手を出しました」と言う。隣に娘がいるにそんなこと言っていいのかと内心ツッコミを入れつつ「そりゃ大変でしたね」みたいな反応しかできなかった。あと三年前から姉と2人の会社の社長をやっていて、市の援助を受けた新規企業の成果発表会で、ヨガの教えを取り入れた発表をしたら一番評価された、みたいな自慢をされた。そんな感じの話を聞いたあたりで、最初のレッスンが始まった。
内容は大別して、嘘を言わないとか人に優しくしようとか極めて道徳的に当たり前なことと、チャクラとかクンダリニーとか理解不能なオカルトなものと、いかに自分の先生(ヨガの修行を30年近くしてる)がすごいか、の3種類に分かれた。1つ目に関しては、不要な言葉は削ぎ落として(あいさつでさえ)意味あることだけ言うようにしようとか賛否ありそうな点もあったが、普遍的ないわゆる良い習慣なことばかりで「なるほど、そうですね」みたいな感じだった。問題は後ろ2つで、本当に意味不明だった。チャクラは腹の中のぐるぐるしたもの(クンダリニー)から溢れ出ていくつかのゲートを通過して頭頂から突き抜けていき、これを極めると覚醒するのだという。そしてピラミッドはチャクラの装置であり、クンダリニーで覚醒して実際に訪れてみれば分かる、と言う。耐えきれなくって「いやそんなわけないでしょwww」と笑っていると、真剣に「そうやって思うのは覚醒してないからだ」「私も娘もクンダリニーで覚醒してるのでわかる」と言う。3つ目の師匠に関して本当に謎だったので「会ってみたい」と言うと「面会には1000円かかる」と言われて「さすがに金はかけたくないっす」と素で反応してしまった。こんな応酬をしたあたりでタイムアップ。「良ければあと3回くらい予定を入れましょう」と言われたがさすがにそこまで付き合えないので「とりあえず来週土曜」と時間や場所は決めなかった。最後に資料の入ったクリアファイルのプリントを抜き出して田中さんと俺の分けて渡されて、「また会うのなら」とクリアファイルごと貸し出されそうになったが、さすがに荷が重く思いプリントだけ貰って解散となった。
寝不足で朝飯も食っておらず勝手におごりだと踏んで少し高めの900円くらいのエッグマフィンプレートを頼んでいたが、まさかの割り勘でテンションだだ下がり。店を出るとおばさんと田中さんと2人はさらに用事があるのか俺だけ駅へ帰ることに。
帰り道に即座に友人に「激ヤバ資料ゲットしたwww」と連絡すると近くに居たので帰りの足で合流。近くのカフェに入って何かやばめの勧誘なのは間違いないみたいな話をしていると友人がプリントに「グル」というワードを発見。アレフと気づく。それからはいろいろと腑に落ちまくってなかなかのカタルシスだった。逆にそれまでに気づかない自分の警戒心のなさに愕然とした。
とまあ、何が言いたいかと言うと「ヨガ」というキーワードを出されて延々オカルトな話を聞かされても一般人(少なくとも俺や田中さんに至ってはおそらく今も)はそれに気づくことができないし、札幌市もそういうヤバめなおばさんのやってる会社を援助しちゃうし、未だにカルトは現代社会に息づいていて、社会勉強で、年末にして厄年っぷりを発揮したなと思ったのでした。
妻からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰なんだろう
というコメントがあったので
そして、そのフェミに権力を与えたのは戦勝国のアメリカでしょう
占領せず洗脳で弱体化を図る!GHQが行った『日本弱体化政策』とは
http://matome.naver.jp/odai/2142192163190654201
http://d.hatena.ne.jp/sifue/20061208/1165688702
日本国憲法(というかユダヤがドイツ人を骨抜きにするために作ったワイマール憲法の丸写し内容)で、何がしたかったかというと
目的は以下のとおり
自由の過度の追求
道徳軽視
無気力・無信念
俗吏属僚横行
突端主義
国粋否定
間違いなく、日本の物質的豊かさの反面で大流行している精神的退廃じゃないですか
(苦笑。本当にユダヤ人の法律家ってすごい賢いなって思いました。
最終的にたどり着くところは、家族制度の完全崩壊と金、金、金の欲と利害関係にまみれた個人主義的なエコノミックアニマルばかりの国家、
というか国家として機能しない社会を作るのが目的なんだそうです。
ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、
大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、
どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。
(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)
で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。
で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。
憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介してくれています。
特に憲法の中で「自由」と「平等」という相反する概念の組み合わせがどれだけ人をダメにするか、「義理人情」の方がどれだけ崇高な概念かとかいている所は、かなりぐっときます。民主主義がどれだけ虚妄か本当に勉強になりました。
まあこんな気持ちのユダヤ人の方がいたということで、ぜひ、一度読むことをオススメしたい本です。内容的には、最近流行っている「国家の品格」とかに近い本ですね。
★男女平等は完全な家族制度の崩壊、福祉費用の増大による国家の疲弊を狙ったものだったんですね。
もしかしたら、婦人国有なんていう制度が導入されていた日本の事を考えると寒気がします。
今ももしかしたらほぼ、この婦人国有政策が実施されているのと同じような世の中なのかもしれませんが、
こんな政策が実施されていたら、女性はただイケメンに抱かれるために努力し、
男はいい女を奪い合う、まさに恋愛至上主義、道徳軽視の快楽主義、自然主義が更に蔓延した社会(非モテ・非コミュにさらにつらい社会)になっていたんでしょうね。
そう考えると、日本に古来からあったお見合い制度や信頼ある人同士が結婚相手を紹介し合う制度は非常に道徳的にも精神的にも高度な文化なのかもしれません。
たぶん人生で初めて痴女のような人と出会った。地元の駅を出てしばらく家に向かって商店街を歩いていると、わざわざスカートをまくってわざとらしく尻を出し、人影の居ない脇道に曲がった女がいた。中肉中背でガールズバーの勧誘にしてはやや太めだが、十分に見栄えのする女性だ。何かの間違いだろうと脇道を眺めていると、誘うように何度か尻をまくって、僕を住宅街の奥へ奥へと誘い出す。角の手前で息を潜めると、そこにいるのは分かっているのよと誘ってくる。そして途中から住宅街の中にある駐車場に入ったので、これはさすがに潮時だろうと通り過ぎた。すると彼女は僕を探すように、通りへ出てキョロキョロとしている。追っかけるほどの勇気はなさそうだが、ここで尾行されるのも怖いので自分から向かっていった。彼女は身じろぎもせず僕のことを迎えてくれた。マスクで顔立ちは分からなかったけれども、目尻を見る限りは若いし、目鼻立ちも悪くない。この時間に何だろうか。「どうしたの?」と聞くと彼女は「お金がなくて困ってるんです。咥えさせてもらえませんか?人気のないところで」一緒にいるところを見られたくないと感じながら、ふらふらと脇道に入り「こんなところ人目だらけだよ。どこからきたの?」というと西の方を指す。「お金がなくて困ってるんだったら、これで帰りな」と、小銭入れから出した千円札を差し出すと「そういうのじゃないんです、咥えさせてもらえませんか?」という。この子に咥えてもらえるんだったら悪くないかもと思いつつ、地元であるが故に人目が気になる。この子はどこから来たんだろうか?そう遠くないところからであれば、今後の近所づきあいとして面倒すぎる。「うーん、やっぱ、ちょっと無理かな」と断ると、彼女は残念そうにとぼとぼと商店街の方へと消えていった。終電前、彼女の大事な書き入れ時を浪費してしまって申し訳ないと思いつつ、見送るでもなく自宅へと歩いた。彼女は今ごろ無事にスポンサーを見つけられただろうか?人生の貴重な機会を棒に振ってしまった気もしつつ、誘い込まれながら享楽に身を任せることもできない自分の中途半端さを残念に思いながら、これでよかったのだと自分を納得させるために、さっき目の前で起こったことを書いてみる。
乾物屋を商った東北出身の父は婿養子で、ただ寡黙に働くために生まれてきたような男だった[1]。男ばかり3人兄弟の長男[1]。初孫だったために粋人の祖父に溺愛され、小学生のころから浅草で酒の味や映画、演芸の享楽を仕込まれた[1]。
早稲田大学第一文学部[2]在学中は映画監督を志し、「稲門シナリオ研究会」に入った[1]。大学卒業後、主に子供向けソノシート制作などを手がけていた音楽出版社・勁文社に入社。1971年12月、自ら編集を手がけ発行した「原色怪獣怪人大百科」がこの当時の第二次怪獣ブームを受け、53万部を完売する[3]という当時としては画期的なベストセラーになった[1]が、労組を結成したため1年半で解雇された[1]。その後、フリーに転身[1]。
1997年(平成9年)、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』により第28回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2009年(平成21年)、『甘粕正彦 乱心の曠野』により第31回講談社ノンフィクション賞受賞。
2003年から2012年まで、開高健ノンフィクション賞選考委員を務めていたが、週刊朝日による橋下徹特集記事問題で辞任した。
この橋下事件をきっかけに、佐野による数々の剽窃行為が明るみに出され、溝口敦・荒井香織『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』(2013年、宝島社)の中で盗用問題の詳細が検証された。溝口はまた、佐野からの直筆の詫び状をインターネットで公開している[4]。
2013年7月31日、著作権を侵害されたとして日隈威徳から訴訟を起こされた[5]が、2014年10月16日に和解が成立した[6]。
2015年2月18日、大阪地裁における裁判で、大阪維新の会総支部長の橋下徹に対して、「タイトルをはじめ記事全体が差別的で、深くおわびする」との「おわび文」を渡し、解決金を支払うことで、和解が成立した[7]。
以上パクリ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E7%9C%9E%E4%B8%80
≒世界の不毛化された記憶が凝結する地下墓地=ミイラや<死者>の住処
≒社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい
≒自己複製子の乗り物(?)
≒相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」
≒自己幻想の世界=無条件の連帯の肯定も平等も存在しない共同体で自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認の供給不足にある存在
≒権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在
≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在
≒植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤
≒暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象
≒パノプティコン的な匿名の不可視の視線の下で見世物化された監視付き生活を強制されている存在≒近代社会の合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象
≒生政治的範例
≒排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者
≒非差異、無差別、連続=差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音
≒警察権力が市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象
≒一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
•理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者=生物的な世界
≒マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ
≒貧しい文化や洗練されていない不自然な表現=モテない存在=影の薄い人
≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手に「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者
≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人
≒「象徴的他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像的他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移を拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的な幻想を抱いていた転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態
≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれた世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界を調査しようとする人
≒他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界
≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在
≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望
≒自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態
≒自己の統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係
≒動物のルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係
≒理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
•自我理想=象徴界=大文字の他者A=超越的な他者=社会的な世界
≒文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造=サンボリック
≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社会
≒掟によって自己中心的な万能感の感覚を否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界
≒個々人の欲望や自己中心的な感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界
≒自己中心的な個人的な自己愛を一度否定したところから成り立っている
≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤
≒社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的な象徴的契約
≒共同幻想の世界=個体保存の欲望と各人のナルシシズムを言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在
≒仲間意識で連帯した世界=倫理的関心を内輪に限定する世界=感情で動く世界=ビオスの世界
≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係や差別や排除がある世界
≒魅力の低い者が客観的な理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界
≒魅力の高い者が客観的な理屈として間違っている事を主張しても容認される世界
≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気や人間関係の網の目に支配された世界
≒掟の門の門番
≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間」であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力や言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在
≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在
≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者
≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在
≒近代国家の一市民の世界=国家の保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在
≒ネットの掲示板やコミュニティを教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界
≒労働や勉強で生産的な成果を挙げ社会的に評価される事が美徳であるとされる世界
≒人が自分を社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序
≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在
≒第三者の審級=規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在
≒言語的、父権的な中心ないしコード=象徴的父の表象であり、制度であり、掟
•超自我
≒誇大自己に執着した存在=他者を非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界
≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令
≒集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在
≒植民地主義の国家、民族差別を容認する国家、人権侵害を推奨する国家、死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家
≒近代社会の合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在
•対象a
≒羊抜け
≒現実の領域は対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象aが現実の領域を枠どっている
≒犠牲のメカニズムにより歪められた表現を犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為を告発する探偵
≒秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外
≒寄る辺ない存在
その匿名の誹謗中傷を疑いもなく信じきっている「無敵人」が、匿名の誹謗中傷をソースにして、
実名で、恥ずかしげもなく、堂々と誹謗中傷してくるからである。
言論とは「恥」の上で成り立っているのである。
「匿名の誹謗中傷」とは、そんな「無敵のテロリスト」に爆薬を与える手段である。
「賢いテロリスト」ならば自分で「爆薬」を作ってる可能性もあるのだろうが、
恐らく大半の爆薬製作者は「匿名で爆薬を作るのが楽しい」からやっているのだろう。
そして実際に爆薬が使われたら「使った奴が悪い」とでも言い訳するのだろうか。
享楽がテロリストの餌になってるとは、これは我々の望んだことか。
恐らくそうだろう。
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないもの。アウレリウス
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
98ページ
君が自分の義務を果たすにあたって、寒かろうと熱かろうと、意に介すな。
また、眠かろうと眠りが足りていようと、人から悪く言われようとほめられようと、
まさに死に瀕していようと、ほかのことをしていようとかまうな。
それ故、このことにおいてもやはり、
81ページ
君が何か外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。
137ページ
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
人を悩ませるのは、事柄そのものではなくて、事柄に関する考えである
http://anond.hatelabo.jp/20140128210522
http://anond.hatelabo.jp/20140210002505
http://anond.hatelabo.jp/20140226202308
http://anond.hatelabo.jp/20140227190648