はてなキーワード: 交通費とは
・エンジニアのスキルシートを名刺交換した協力会社に一斉メールでばらまくタイプの営業スタイル
(BP=ビジネスパートナー、他社のエンジニアを代理で営業すること
・文系、プログラム言語のことはなにも知らない、ふんいきでやっていた
・月に+5人になると会社からインセンティブ貰えるのと全体目標到達するとベースアップがあったので頑張っていた
例の事件は今まで発覚してなかっただけでGithubの使い方しらないSEが公開設定すら知らずにやらかしなんていくらでもあったと思う。
SESの営業マンがエンジニアの言語や環境を理解していることなんてほぼ稀(エンジニア上がり除く)なので「Githubってなんですかね」ってきいたところで「自分で勉強するんですか!すごいですね!頑張ってください!」しか言わないと思う。(もちろん会社から勉強会の時間や費用は出ない)
良い会社は帰社日という名目で勉強会を開催していると聞いたことがあるが、それはごく一部だと思う。大体は営業マンがやるべき常駐先の状況報告をエンジニアの予定を合わせて一回にまとめたいだけの会で、大体残業に追われているSESエンジニアにとっては「そんな時間あったら常駐先に戻って進捗進めたい」との愚痴が多かった。(そういう愚痴をBP営業している最中に聞くとさらっと引き抜きできたりした)
SES営業は商流が深くなると紹介料1~10万以上の差が出てくるらしい。
(元弊社は3~5万で平均的、だったらしい)
らしい、ばかりだがこの紹介料が一番ぼったくれるところなのでいかに大胆に「うちは全然抜いてないですよ~!」と大嘘をつくのことが大事だったので1万円しか紹介料もらっていないという会社は実在しないかもしれない。
これによってもちろんエンジニア本人の給与が変わってくるが、それは案件の難易度、残業時間、エンジニアの経験年数は一切関係ない。
商流浅いところを見つけられなかった営業マンの力不足または中小企業の限界(下請法的な意味で)である。
それでひ孫請けになってしまったもしくは案件で値段交渉を渋られた(高齢エンジニアだとそれだけで単価が削られることがある)場合でも営業マンは淡々とエンジニアに「今回の案件は給与(交通費コミ)25万になりましたー」など伝えなければならない。
優秀なエンジニアを育てる土壌があれば良いのだけれど、SES業界ではそうもいかないし、新しいスキルを伸ばすことをチャレンジさせてくれる案件なんてほとんどない。
安定した生活をするには全く向いていない業界だけどなぜSESに頼るのか、エンジニア本人に聞いてみたことがあるが「自分で転職活動をするのが面倒」「口下手な自覚があり面接で落ちてしまうのが不安だから」
など、自分を磨く時間や労力を割きたくない、ただ黙々と与えられたことをこなしたい真面目だけど不器用な人が多い印象だった。
そんな人を初対面でも何年も一緒に仕事をしていたかのようにスキルシートを盛って常駐先に顔合わせ同席するときの営業マンとしてのプレゼンはとても楽しかった。
ただ、エンジニアが提示した最低でも欲しい金額を割った安い案件を取ってきてしまったときはエンジニアを説得して案件に入れることもあった。
(案件が決まらない場合会社からもお給料が出ないので、月の途中からでも入れる案件の顔合わせにいつでも出れるよう自宅待機させないといけない)
自宅待機期間が1~3か月を超えると元弊社はエンジニアを退職させることになっていた。
無給なうえ顔合わせ(面接)までの交通費も自腹、いつでも連絡取れるよう副業(日払い労働など)も禁止なのに案件が決まらない場合はあっさり捨てるように退職させるのはエンジニアから見たら全く良くない会社だったと思う。どこもそうだったのかは分からない。自宅でプログラミング勉強するための研修コンテンツを使っている会社があると聞いたが、それが成約率に繋がるかは不明である。会社とエンジニアの信頼関係は築けそうだが…。
営業マンをやっていたとき、この自宅待機させることが本当につらく、自分が案件を決める力がないばかりにこの人を無職にさせてしまったという自責の念が強かった。エンジニアが露頭に迷う悪夢に何度もうなされた。
凄腕上司はエンジニア一人一人の人生なんて最後の最後まで何も考えてないように見えた。いかに「どう言って説得するか」「退職時に揉めない方法」だけを追求していた。その方が精神衛生上良いのかもしれない。SES営業マンにプライベートはない。平日は朝から晩までひっきりなしに知らない電話番号(SES業界で営業マンの電話番号は流出という概念がない)から電話があり、それをいつだって3コール以内に取らないといけない。
質問される内容は大体「(要約)高スキルで低単価のPHPエンジニアはいないか」「インフラエンジニアはいないか」「35歳までで」など存在しない優秀な人材をびっくりするくらい安値で買い叩く話ばかり。
それでもその中をかいくぐり交代要員で炎上プロジェクトだけど単価がいいとか高齢エンジニアでもスキルがあれば入れてくれるCOBOL案件などを日々成約させてきた。
自分が関わってきたエンジニアたちがGithubにコード流出させていないと信じたいと願っているが、そうでもないだろうなという暗雲がかかる未来を憂いてしまった。
今は転職して全く違う業界にいるので、月末の忙しい時期にセキュリティ対策などで電話対応やエンジニアへの周知メール、各所へ奔走しなくて済んで本当によかったと思う。
80 名無しさん@恐縮です 2021/02/01(月) 12:33:20.66 ID:mfNMOaCv0
683 風吹けば名無し[] 2021/02/01(月) 12:25:13.87 ID:FT/sCwDaa
15,000円 11月29日@東京 田村と早めの忘年会(20人)
15,000円 11月30日@大阪 田村と早めの忘年会(22人)
15,000円 12月1日@福岡 田村と早めの忘年会(15人)
事前ならびに12月10日(昼以降)に準備スタッフとして参加できる権利。
アーティストのライブでパーンと銀テープが飛ぶと会場がめちゃくちゃ沸く。
銀テープでグルグル巻きになった田村有樹子の写メをお届けします。
結局スケジュール帳、去年と同じメーカーが売ってなくてコロナ自粛らしくて、買えないなぁって思いました。交通費がもう5千円 さがしまわっても無い手帳なんさつも買えたなぁ
こういうのはほんとに現場を選ぶべきというか、現場次第だと思う。
多分2学年上だけど、まだ現役だしずっと続けるつもりでやってる。
銀行の案件で、頭おかしいリーダーが仲がいい人間には適正な量の仕事を振って
余った分を全部俺に振るってことをしてた。
例えば設計書の修正をみんなには1週間で50ページくらいの物を振り、
俺には一番でかくて大量の機能が入った300ページの設計書が振られたりとか。
もちろん納期は変わらない。
一番きついときで9~26時(翌2時)の勤務が半年くらい続いた。
残業代も出ないブラックだったから当時は計算してなかったけど、
これは入場したときから炎上していて、9~28時勤務が常態化していた。
元請けの○士通は隣にホテルの部屋を取っていたから終わったらすぐ寝れたんだろうが、
一緒にやっていた、残業代を出していた会社はあとで潰れたと聞いた。
その後でリーマンショックが来て会社がなくなり、フリーになった。
自分で選んでいろいろな現場に行き、「銀行」「役所」「通信基幹系」みたいな、
ベンチャー系でも、リーダーがSIerから転職してきたような系統の人間のとこはダメ。
自らギッチギチのスケジュールを立てて地獄を作り上げているのを見たことがある。
「自分の職務を全うする意識と能力を持った人が集まったユルい現場」が最高の現場だと思う。
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる方式。
フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
それでもすごく世話になった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
これはそんな元ニートの高卒45歳、多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聞いて仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーでなんとなーく仕事をしていた。
プログラムは他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。
当時居た会社は年俸制という糞システムだったので1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれないし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄の電車がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも同じチームの新人には丁寧に接していた。私はまだ恵まれていた方なのかもしれないと思うこともままあった。
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。
フリーアクセスなんて、はっきり言って患者からしたらちっとも望ましくないんだよ
何処の病院もサイトでは良さそうな事ばかり言っておいて実際行くと酷い態度だったりするし
そもそも、使ってる機材とか手術方法とかがなんで病院によって違うんだよ統一しろよ
確立された治療方法がないから患者としては何処を選んでいいのか分からない
遠い土地に良い医者がいたとしても、交通費を考えたらおいそれと通えないしこの制度は本当にクソ。
日本の医療制度のフリーアクセスを批判する人の中にも、患者が好きに選べるフリーアクセスをメリットとして挙げる人がいるけれど
患者からしたら何処がいい医者なのか分からないからあちこち回ってみるしかない訳で
ちっとも有り難くなんかない。
保健医療制度で全国均一な水準の医療を提供するのが望ましい医療(歯科医療)の在り方だと思うんだよね
そうすれば患者側としては医者をいちいち探す必要も迷う必要もなく、交通の便だけで簡単に決められるし
いっそコロナを機に民間病院が全部国有化されて統一されればと思うんだが
まあまず無理だろうね。
そこには10年くらい前に御手淫を貰ったということでブログで紹介されていたから行った
だけど今はやっていないとか言われて貰えなかった
俺が遠い所からわざわざその店を訪ねて御手淫を貰おうと思っていた気持ちを無碍にされたわけだ
交通費だけでかなりかかったのに、一蹴してきたマッサージ店の嬢
つまりこの時点でマッサージ店は人の気持ちなんて何も考えていないってことだ
ふざけるんじゃねえよって誰もが思うだろ
俺も思った
マッサージ店では御手淫をやっていないというかチャイナエステ派とタイ式エステ派がやっていないとか言われているが
そんなことは後になって知った
しかしそもそもそのチャイナエステ派とタイ式エステ派の店でも御手淫は元々やっていたというのがブログで紹介されていた
だから行った
元々やっていたのにやらなくなったというのは失礼じゃないのか
遠路はるばる店まで行って御手淫はやってませーんとかよく言えたもんだな
マッサージ店にこのような態度を取られたからには一生許さんという気持ちが芽生えるに決まってるだろ
お前らの系列の店がこういう態度だったら破門くらいするべきだろ
ふざけるんじゃねえよ
差別だろ
今は止めましたじゃねえんだよ
誰か特定の人物にだけあげておいて俺にはくれないなんて差別だろ
射精させろよ
辛いだろ俺が
わざわざ御手淫を貰うために早朝起きてそして電車に乗り、徒歩で行き、そうして何時間もかけて行った店で
御手淫はやっていません
いややっていただろうが
何時間もかけて性感を高めようとしている奴を足蹴にして楽しいか
そんなことして極楽浄土になんて行けるわけねえだろ
何がマッサージ嬢だ
血も涙もねえだろお前らには
お前らの店まで片道14km歩いたんだぞ
往復で28kmだぞ
休日にチンポがパンパンに膨れ上がっただけで御手淫も貰えず悲しく家に帰った俺の気持ちが分かるか
人生で一番歩いた日だったぞ
28kmも歩いた果てにあったのは虚無
お前らが誠心誠意マッサージをやるっつーならきちんと御手淫程度再開しろや
マッサージ店の何派?
チャイナエステ派とタイ式エステ派は御手淫をやらなくなったんだけど
やるようによびかけられねーの?
これが俺がやったトラバ
マッサージ店の糞っぷりがこれで分かるだろ
なんで俺がここまで怒り狂ってるのか分かるかお前らには
違うだろ
だったら御手淫をするくらいどうってことねえだろうが
お前らの職務怠慢だろう
そんな態度を取られたら極楽浄土になんていけるわけねえってみんなが思うわ
つーか観音様が嬢の観音開きの菊門を思いっきり両手で開けて、成敗!とか叫んで肉茎でブチ込むレベルだわ
お前らはリンパばかりマッサージしていて人の気持ちを忘れたんじゃねえのか
穏やかな心を持ってチンポをしごく
どこが穏やかなお前らは
血も涙もないだろ
俺はチンポが腫れあがろうが何しようが御手淫を貰えるなら頑張ろうって気持ちで歩いたんだ
14km歩いたときは、自分を励ましながら、御手淫が貰える、御手淫、御手淫、嬉しいなぁ御手淫って
疲れながらもニコニコ頑張って歩いてたんだぞ
そんでやっと店に入って、チャイム鳴らして
つったら
「御手淫はやっておりません」
ってインターホン越しに帰ってきて
「あの、前はやっていたと聞いて」
いやいやいやいやいやいや!そんなんで終わるとかないないないなないない!
って思ってもう一回会話する
それで終わった
14km歩いた辛さが報われず瓦解していった瞬間だった
え
これで終わり?
嘘だよな
俺、何も貰えずにこのまま帰るの?
嘘だろ?
何の成果もなしに?
これが本当の無駄足?
俺馬鹿じゃねえの?
ここまで14kmだよ?
帰りも14kmだよ?
え?
マジで?
それからは頭の中がぐちゃぐちゃになりながら帰った
なんで?どうして?なんで?どうして?なんで?どうして?
ここまで歩いてきたのに!?
あんな一瞬のやり取りで終わった?
そんなんだったぞ
お前こんな態度をされた俺をどう思う?
1日に28km歩いただけで休日を潰した俺を哀れだと思わないか?
それもこれも全てお前らの系列店のせいなんだが?
今日明日にでもマッサージ全ての店に御手淫やるように伝えられるか?
できねえよなお前には
でも俺はそこまでやって貰えねえと納得いかねえよ
俺がここまで一生懸命になってやったことを踏みにじったんだからな
謝れよ
お前だけじゃない
全マッサージ店の客や嬢たちがこの俺に向かって
俺がどれだけ苦しんだのか分かっているのか
28km歩いたのに何も無い
その先には虚無しかなかった
お前もやってみろよ
1日で28km歩いてみろよ
辛かった
本当に辛かったんだ
一応言っておくがこういうのは俺だけじゃないからな
ネットにある情報を見て御手淫があるかもと思って行ったら貰えなかったとかいうのはな
みんながみんなお前らが御手淫をやらないせいで苦しんでいるんだ
そしてその態度だ態度
「遠路はるばるご苦労様です、わざわざお越しになっていただきありがとうございます」
「しかし当店では御手淫はやらない方針に決まったのです。誠に残念ですが」
「折角きていただいたのですからこちらで休憩していただいて構いませんので」
とかこういう基本的な会話すらできねえのかてめーらは
店には休む場所も何も無く道中も一切なかったので帰り道は地べたで一旦休憩したぞ
はぁはぁ言いながらな
お前らは悪鬼羅刹のようにしか思えなかったぞ
今もそういう風に見ている
いいかよく覚えておけ
人は苦しんだことは絶対に忘れないんだ
28kmも歩いた俺の地獄は一生忘れられない
この俺の気持ちが伝わったのなら
分かったな!
私の周りはリモート大賛成の人が多いけど、「一等地の巨大ビルで働く」ということがモチベーションになっている層も一定数いるようで、テレワークでなく出勤したいという声も出てるらしい。交通費も出るし帰りにお買い物もできるしランチも美味しいとこ行けるし、そこに需要があるのも何となくわかる…
@yokumitarakao 確かにそうですよね‼OL時代のシャンとした服装、ヒールの靴、髪のセット、美味しいランチや大型ビルで働く自分が好きでちゃんとしてましたが、独立した今はもう何でもありで😅💦
くま@24歳惚気垢 @lion4989
これめちゃくちゃ分かる。私は丸の内OLになるために今の会社に入ったと言っても過言ではない。それなのに、この一年ずっとリモートだから、週に一回くらいは会社に行かせて欲しいと思ってしまっている。
らん @23ranOrchid
コロナは怖いけど完全にこれ。
𝐾🩰 @xkh48__xx
リモートが楽と思いながらなんだかんだ出勤するほうが髪もメイクもお洋服も気遣うから気分があがるし、、、ぶっちゃけ週4ぐらい出社でいい👶🏻
「セキュリティゲートがある高層ビル勤務」という軸で就活したのにかれこれ1年近く在宅だから意味なし😢
どれみ@婚活 @Ai75679484
去年の1月に本社に異動になって、仕事終わった後買い物して~💓美味しい物食べて~💓と色々妄想してルンルンだったけど、3月から完全にリモートになって定期も無くなったのでルンルンが一瞬で消え去った🥺
🍍 @equal_mecom
納得。つらいけど早起きしてパキッとメイクしてオフィスに通勤することが仕事するぞー!!ってゆう気合いになる
𝓶 @cjmyyy__
ほんっっっとにこれ!!!
エミリー @ezesfyCg1YDsSFv
コロナでオタ活を一部やめた。
具合的には舞台観に行くとか、同人誌即売会行くとか、俳優声優のイベントに行くとか、イベント参加系をやめた。
とても悲しかったしコロナ許さんと思いながらチケットを何枚も払い戻しした。
当然だけどその分お金が戻ってきた。チケット取らなくなった分、出費も減った。
チケットだけでなく交通費や食費や宿泊費、参加にかかるお金が全くかからなくなった。
生活がめちゃくちゃ潤った。
今までカツカツで、貯金も少しできればいいやが当たり前だった。
イベント多い月は当然のように食費を節約して、それでも年に何回かマジで金欠のときがあった。
それが全くない。
代わりにちょっといいスキンケア用品を買い、新しい家電を買い、なんとか焼の器を揃えた。
それからしばらくして、少しずつオタイベントが開催されるようになった。
中止にならなくても時間の変更があったり、そもそもやるのかやらないのか分からないまま待つ時間も長い。
仕方ないけど予定が不安定すぎて、イベントに合わせて日程調整できる自信もなくてチケットは取らなかった。
休日にゆっくり家を掃除して、漫画読んでアニメ見てゲームやって…といわゆる原作に触れる時間が増えた。
ずっと何の予定も入ってない(翌週のイベントに向けて準備する、とかもない)休日はすごく充実してた。
あと何より疲れがない。
そんなそんなで、自分のオタ活は生活水準に見合ってなかったんだなと痛感した。
貯金は少しはできてるからこれで大丈夫、と思ってたけどそうじゃない。
イベントは楽しいから休みの日フルに使っても大丈夫、と思ってたけどそうじゃない。
経済力、体力、精神力、どれもこれもキャパオーバーだったんだなと気が付いた。
まだ体力もあって実家に住んでた頃と同じバイタリティで活動できる訳ないよな…
イベント行かないと死ぬ!っていう人はそれでも参加するだろうけど、自分はイベントこんなに行かなくても死なない(むしろ行きすぎて死ぬ)タイプだったんだろう。