はてなキーワード: プレッシャーとは
ある程度生活は落ち着いてきたが最近どうもフラストレーションが溜まる、大声で叫んだり走ったりしたくてたまらない。
彼は物静かな人で自分から何かを求めたりはしてこないので、自分のことを必要としているのかがわからず、それがまた日常のストレスとして積み上がる。
それがここ数週間の気分だった。
昨日霊感占いをしてくれるという人と出会い、診てもらう機会があった。
彼と結婚できるか見てくれ、と頼んだのだが戻ってきた回答が結婚どうこうよりも私自身について言及される内容だった。
人からよく見られたい、お行儀よくいたい、嫌われたくない、そんな気持ちが積み重なって自分の本来の欲望が圧迫されている。
それは必要があって被ってきた仮面だし、これはこれでうまく行っているので、このまま仮面は綺麗に被ってしまいましょう。
彼との恋愛、結婚もきれいな世界の出来事として続けていっても問題ありません。
その代わり、自分のための世界、自分がノーといえる世界、自分にイエスと言える世界を作ってください。
なんだろう、本質を言い当てられた気分だった。
結婚しなくてはいけない、人からよくみられたい、普通の人はこうは言わない、こうしない、というのが自分を雁字搦めに縛っていた事を思い知らされた。
親から結婚しろと言われているプレッシャー、相手の親に恥ずかしくないようにきちんとした仕事をしなくてはいけないという気持ち、彼が恥をかかないように出来るだけ上品にしていなくてはいけない。
彼より頭が良くてはいけない、彼が離れない為にNOはなるべく言わない。
そんな事を考えていた。それが行き過ぎて逆流してしまい、感情のコントロールができなくなった事も良くあった。
好きでいなくてはいけない、一途でいなくてはいけないとも考えてたな。
他の男の人に優しくされるのは嫌いじゃない。とても楽しい。
自分がマゾヒストだとも思っていたけど、サディストの要素もありそうだというのが冷静になって自分と向き合った時の自分への感想だ。
裏の顔とか、自分の城を持ってもいいのかもしれない。
どこに自分の城をもとうかなあと思うと少し楽しくなってきた。
93歳の夫が体の痛みを訴えていた妻に頼まれて殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた公判が千葉地裁で開かれている。夫は「今でも愛しております」と語り、2人の娘は「父は追いつめられていた。ごめんなさい」と悔やんだ。(朝日新聞デジタル)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150618-00000012-asahi-soci
頭おかしいんじゃないのか。
尊厳死には条件がある。
①現代医学では治せない傷病で、死が近づいている場合に、単に死を引き延ばすためだけに延命するのはやめてくれ
③植物状態に陥ってそこからの回復が望めない場合は生命維持装置を切ってくれ
というのが尊厳死だ。
今回の事件はせいぜいが骨折からきている慢性疼痛にすぎず、尊厳死の適用案件には程遠い。尊厳死が法的に整備されていたとしてもこのケースで妻を死なせることはできないし、あってはならない。
これはただの殺人だ。人の尊厳を尊重する行為じゃなく踏みにじる行為だ。
検察が「軽率」と称したのもそこから来ているのだろう。不治の病でもないものを殺して救ってやろうとするなんて傲慢以外に当てはまる言葉はない、というのが本来の司法のスタンスであるはずだ。そこを「軽率」と称したこと自体相当叙情酌量してる。
「軽率なんて言わないでほしい」ってバカか。判決ならまだしも検察側が「軽率などとは称せない、壮絶な苦悩があった、追い詰められていたし仕方ない」的なコメントを出してみろ。
今後いったい何件の殺人事件がそうやって美談に祭り上げられるかわかったもんじゃない。
これは殺人事件で、人を殺すというのは悪いことなので徹底して回避されなければならないことだ。それが社会というものの目指す姿だ。
※懲役5年に執行猶予を狙ってるだろうという意見があったが俺もそう思うしその線を狙うのは妥当。物の本によると、こういう「追い詰められて最愛の人を…」系の殺しで無罪放免にすると裁判後に罪悪感で自殺したりするそうなんで、執行するかは別として刑を科すのは意味があると思う。
※話が飛ぶが、逆に裁判長は「どうすれば良かったですか」とか聞いてんじゃねえよと思う。俺が被告だったら「俺が聞きたいわ」って逆ギレすると思う。いや、反省の度合いみたいのを見るために聞いてんだろうとはわかってんだけど。
例えば安楽死センターみたいな施設を作って死にたい奴はみんな受け入れるようにしていたら?
それは社会的な自殺強要でしかなく、自発的に死にに行ける状況を提供することで逆説的に「そんなだったらもう死ねばいいのに。なんでまだ死なないの?」というプレッシャーを正当化するだけに終わるのは明らかだとは思わんか?
条件を設けると尊厳死に行き着くんで、安楽死センター要らないよ? あとこの事件の妻みたいな人はたぶん利用できなくなるよ。
この妻みたいなパターンが利用できるような利用者条件って相当ゆるい。「苦痛から逃れたいと思っている人」ぐらいの感じにしかならない。
これはわかる。気持ちとしては痛いほどわかる。
だって殺しを依頼して実行してもらっちゃったことで最愛の夫は妻殺しになっちゃったし、娘たちはそれこそうつ病のひとつやふたつ発症してもまったくおかしくないくらいに傷つけられている。
その点では妻もやっぱり追い詰められていたというのがよく分かる。冷静になれるだけの余裕が(精神的にも、体力的にも)あったら、「迷惑かけたくないから殺してもらう」がどんだけ矛盾してるか気がつけただろう。
これだけぶうぶう言っといて何だけど、この事件は社会制度とか公共福祉とかそういうレベルでしか解決は図れなかったろうと思う。
自分の身内がこういう状態になって死にたいと言い出したとき、できることってのは「殺してあげる」か「それでも殺さない」のどちらかを選ぶことしかないと俺は思ってるってことだ。
そして、自分でも、「『それでも殺さない』一択だろアホか」と、その状況になってみても言えるかどうかは自信がない。言えなくてもまったく不思議じゃない。だからこそ今は言っとくわけだけど。
鎮痛剤の適用について言及したコメントがあったが、そういうアプローチはもっと追求されていいだろうと思った。あと介護ロボか?
介護サービスを嫌がってたというが、その辺のニーズ(助けが必要なんだけど人様に助けて欲しくない的な)に応えられるのはもうロボくらいしか思いつかん。
あと自己防衛として「人に助けてもらう上で生じる抵抗感をいかにして減らすか」ってことだけど、貧困文学『アンジェラの灰』で示されたように、尊厳があるってことは他人に借りがないってことだから、抵抗感を減らすとかそういうベクトルの努力はどうしても焼け石に水でしかない。
イジメで自殺した学生の家族が「子供は学校に殺された!」等といってるのを見るとモヤモヤする。
確かに学校には問題がある。生徒を自殺させるような学校は100%悪だし、叩かれるべきだと思う。
でも、学校に問題があるからといって、家族の問題は見過ごされて良いのかな?
日本において家族が精神的に学校生活を支える責任を放棄していることはよく知られていることだけど、
家族が「辛い事があってもちゃんと学校には通うべき」という既成概念に囚われ学生にプレッシャーをかけていることが、
自殺に一役買っていると思う。
自殺を学校と本人だけの問題だと捉えてると、いつまでたってもイジメ問題は解決しないんじゃないかな。
そろそろ私たちは家族の責任についても考えるべきときに来ていると思う。
尋常ならざる顔で「学校行きたくない……。」とこぼす子供に対して、親はどんな風に対応したんだろうか?
「何があったの?」、「無理に行かなくていいよ」、「学校なんて行かなくても死にはしない」とちゃんと言えたのか?
「もっとがんばれ」、「勉強するのが学生の仕事でしょ」、「ドロップアウトしたら将来困るよ」と言わなかっただろうか?
家庭が心の底から安心でき本音を出せる場所であったなら、子供は果たしてイジメを苦にして自殺しただろうか?
過労死したサラリーマンの妻が「夫は会社に殺された!」等といってるのを見るとモヤモヤする。
確かに会社には問題がある。社員を過労死させるような会社は100%悪だし、潰れるべきだと思う。
でも、会社に問題があるからといって、妻の問題は見過ごされて良いのかな?
日本において女性が金銭的に家庭を支える責任を放棄していることはよく知られていることだけど、
妻が「男が女と子供を養うべき」というジェンダー感に囚われ夫にプレッシャーをかけていることが、
過労死に一役買っていると思う。
過労死を会社と本人だけの問題だと捉えてると、いつまでたっても過労死問題は解決しないんじゃないかな。
そろそろ私たちは家族の責任についても考えるべきときに来ていると思う。
尋常ならざる顔で「疲れた……。」とこぼす夫に対して、妻はどんな風に対応したんだろうか?
「働きすぎ」、「そんな会社やめようよ」、「私が代わりに働く」とちゃんと言えたのか?
「もっとがんばれ」、「お金を稼ぐことがあなたの仕事でしょ」、「私は働けないよ」と言わなかっただろうか?
家庭が心の底から安心でき本音を出せる場所であったなら、夫は果たしてブラック企業で働き続けただろうか?
これについて生物学的男性、性自認はXと女性の間のTSとして男性だけじゃなく女性にも(私からすれば)特権があり、必ずしも男性が強者であるというわけでないという事を言いたい。また、これは私が日常的に感じたこ事も、社会を見てて感じた事も含まれてるのであしからず、
あと私が主に反論したいのは男性ヘイトをしてる米に対してであって、むしろ男女ともにそのような障壁がなくなることを願ってることも強調しておく。
1. 髪が長くても問題ない。
髪が長いと切れだのキモイなど言われる。無論こちらは不潔にならないように気をつけてる。また、髪型も色々選べる。仮に男性が髪が長くてもお団子やツインなどをしてたらおかしな目で見られるだけ。
2. 服に関してレパートリーが多い。
私は特に(浴衣だけじゃなく紬、小紋)和服が好きなのだが、男性用和服でカジュアルなのは少ない。また、洋服でも女性はパンツとスカートを選べたりする。成人式行きたくないわ。
3. 女性は男性よりも女性に対して共感を示す傾向があるし、(表向きでは)女性はあまり女性に対して反論をしない傾向がある。
4. 女性はそれであることによって見逃してもらえることがある。
女だからいいということで見逃してもらえてる人ってかなりいる。もし男性がやったら叩かれてるようなことも……。
6. (家庭内での大掃除等も含めて)肉体労働を押し付けられない。
私の筋力は運動がある程度できる女性並みである。また、女性と買い物を手伝う際荷物持ちにされることも。
特に私は姉弟(兄妹)の中で一番上であり、何かとあると2歳下の妹と9歳下の弟の面倒を見ろと言われる。無論妹は私ほど弟の面倒を見ろと言われない。また、家事等も私の方に振られる傾向がある。
裁縫が好きだが好きなこと、上手いことが分かったりすると変な目や好奇の目で見られる。また、料理や掃除に関してもそう。特にお菓子作りが好きでも女性ならある程度当たり前だったりする。
男性で毛の処理をしてると変な目で見られる傾向にある。また、そういった事があるため小学生の頃から好きだった水泳をやめる事となってしまった。もし泳ぐ必要あるなら着衣水泳してます。
こっちは主に男性ホルモンのせいで女性より肌が綺麗でないのですよ……。
男性がやるとまずおかしな目で見られるか、弱虫などと罵られる。
12. 少女漫画・BL作品を(特定のグループ内)で問題なく楽しめる。また話せる。
また百合についてもある程度女性で好きな人がいるため、話ができる。
CAのトイレ掃除とか女性だけだよね。ある程度、もしくは何らかの理由があれば男性のテリトリーに入っていける。買い物の際も男性が(小物、服等)女性向けのところにいると変な目で見られる。
私と妹の差って何言いたいくらい違う。(学業、運動に関しては私のほうができる。) こちらが何かする必要があったら自分でやれと言われるが、妹の場合は親がやる。他にも学業で成功をさせないとダメというプレッシャーが私よりはるかに少ない。(実際に親や親戚から急かされてない。)また、全般的に言えることだけどデートの時、男性は右側を歩く等をしてもらえる。
16. 微笑むだけで話が進む。
男性なら笑ってるだけじゃわからんだの何だの言われる。もしくは、キモいだの優柔不断と言われる。
17. 女性キャラでゲームをしてるとネカマ/オカマかロリコン、もしくは変態と言われる。
LoLでAnnieとLuluしか使えないのだけどロリコンと言われる。モンハンの時はオカマ扱いだったかな。オカマとTGは違うんだけどねぇ。
18. 助けを求めると動いてくれる。
もし言ったらロリコン扱い。絶対に言えないし、子供をあやす上でできることの範囲が全く違う。
男性で知らないふりや気づかないふりをすると叩かれることが多い。
22. 時間外でも女性専用車両に乗っても邪険な目で見られない。
(つくばエクスプレスでは)時間外でも女性専用車両には女性が多いし、男性が極端に少ない状況で乗ると邪険な目で見られる。
女性であるというだけで相手に与える不信感等が減る。それ男性がやったら変態だの〇〇に気があるのかよなど言われる可能性大ですよ。
父親の8割が親権を取れてない。私もできれば父親側に行きたかったです。
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以下のことは男性、女性どちらに言ってもしょうが無いことだけど一応。
25. 性欲に支配されずに済む。(傾向がある、のほうが正しいかな?)
男性の場合射精をしないとイライラしてくるし、朝起きた時下着が汚れる。
26. 声変わりの変わり具合が小さい。
26. 子供を産める。
どう逆立ちしても無理ですから。技術的にはiPS細胞を使えば女性同士でも子供は作れますから。
最後の3つ以外については社会が変わってけばどうにかすることができる問題だから、互いの障壁がなくなるのが一番なんですけどね。
今も定着したのかどうかはよくわからないけれど、地方出身者としては昔からそういう感じの人たちは一定数いたような気がする。
マイルドヤンキーが話題になった時にもそれは言われていたけれど。
マイルドヤンキーの話題にも絡めて「地方民が田舎から東京へ出ようとせず、地元で満足する若者が増えた」というような論調だけれど、
それは今に限った話ではないのではないか?
まぁ確かに今は地方ショッピングモールの充実や、amazonを始めとするネット通販の普及で
地方在住であるデメリットも軽減されているので、昔よりも数は増えたのかもしれない。
では、昔の人は本当にそんなに都会に憧れていたのか?
私は地方都市の出身で、地元が決して嫌いではなかったけれど、いろいろなものが窮屈で閉塞感を感じたし、
いろいろな新しいお店や、イベントごとや展覧会やコンサート、そういうのに行きたかったから、
地方都市で生活している人というのはやはり閉鎖的で、自分の住んでいるところ以外にはあまり興味がないようだった。
もしくは、あこがれはあるけれどやっぱり住み慣れた地元が一番、という考えの人が多かった。
地元が嫌いで都会に憧れる人というのはとっとと出て行ってしまうので年を重ねるとその風潮が余計強まる。
そういうずっと同じところに留まり続けている人と話していると、地元以外の世界に興味を持たず、視野が狭いと感じる事がよくあった。
自分の周り以外の世界は別の世界、という断絶というかすっぱりと切り離したような考え方。
比較的若い世代の人になると、東京にも行ったことがある、遊びに行くだけでも十分という人もそこそこいたのだけど。
やはり地元が好きで移住などは考えられないという感じだったが。
さて、東京へ出て就職してみて思った事だが、私が就職したのは別にトップ企業という会社でもなく、
ただの中小企業だったので、地方から出てきて関東に住んでいる、というよりも
今まで東京近郊(東京や千葉や埼玉など)で生まれ育ち、東京へ就職したという人がほとんどだった。
そうすると、やはり視野が狭いというか、自分の周りだけで世界が完結している人が多かった。
新宿や渋谷とかなんでもいいけれどそういうテレビによく出るような都市がこんなにも近くにあるのに、
かえって地方の人たちのほうが、テレビの向こうのあこがれの世界という感じで興味を持っていたような気すらする。
私はこの視野の狭さや自分の周りにいる人がすべてというような考えが好きではなかったし、
自分の周りにいる人や自分の常識がすべてだという思い込み、他人が自分と同じ考えであって当然、だとか
自分の習慣や風習を押し付けるような感じ。あまりうまく説明できないけど
でも、ある日ふと思ったがそれが普通なのではないか?
そこそこ働いて、子どもを育てて社会生活を送る上で他の世界の事なんて知ってどうする?
自分の周りさえ快適であればそれでいいのではないか?
難しい事は考えず、ただ自分の狭い世界だけで生活していければ、穏やかに一生を終えられるのだ。
だから、相容れない価値観は排除して綺麗な世界を作ればいいのだ。
地方から単身東京へ出てきて働くという人と、もともと東京住みなので東京に就職しましたという人では
東京で働くという事に対しての認識がすごく違うというのはずっと感じている。
自分のことは二の次三の次で、四六時中ずーーっと子供を見て気にかけているの?
寝ているとき以外ずっと?
夫が子作りを軽く考えてる(中田氏すればできるでしょ?みたいな)が、そろそろ30代半ばで
女性側のリミットが気になる夫婦です。男性側も衰えているかもしれない。
焦る。
普段自営業で週5日は自分一人の自由なタイムスケジュールで過ごしていて、
土日に夫込みでのスケジュールを考えるのが面倒だと思っている私が
さらに一人増えてどうにかなるんだろうか。
仕事は大好き。
ダメ元で自営業を始めたら性に合ってて、それなりに軌道に乗ってて今4年目。
営業できる範囲も、仕事自体も可能性があるし努力次第で伸びそうで面白いなーと思ってる。
でも、働いていてもいつか引退の時期がくる。生きていれば死ぬときも来る。
決められないものだし、一つの価値観にしがみついても…子供を持ったときが引退の時なんだろう。
と、決断できない……
親からのプレッシャーとか。女性のリミットとか。その辺に押されて、
あとは生物だし本能的に欲しいんじゃ?それに気づいてないんじゃ?とか色々考えてるけど…
こども…
親孝行になる。少子化に貢献できる。いたらかわいい??のか??DNAを繋げる。本能的な。
私がおかしいのか?色々理屈こねてるだけで本当は子供欲しい!と思ってるのかな。
わからん。
高校を卒業してすぐ就職して12年働いた。当時は完全ノルマ制の営業職だったので
毎日毎日毎日、ただがむしゃらに働きながら先輩や上司との飲みに付き合い仕事のノウハウや愚痴を聞いた
6年ほど経った頃、人当たりの良さとアンテナの感度が良いという理由からバイヤーに転属させられた
しかし、この部署は新規事業のひとつとして立ち上げたうえに俺がトップということだった
急な転属で右も左もわからない俺は同業者に頭を下げて休日返上で同行し学ばせてもらった
そのノウハウを部下に教えるための方法も考えなければならないため、大げさな言い方だが不眠不休で働いた
部署は大きくなり更に大きな案件も抱えることになり、プレッシャーも大きくなった
友達がFacebookで楽しそうなイベントを報告するのを眺めてはため息しか出なかった
幸いにも上司や会社から謝罪があって、退院後しばらく休暇をもらった
しかし周りを見渡すとみんな結婚して家庭を持っていて、とても遊びに誘えるような雰囲気ではなかった
「ああ、俺は気づいたらひとりになってたんだな・・」とそのとき悟った
休暇が終わったら、また元の忙しい毎日に戻る。退職するまでを想像すると人生が嫌になった
幸いにも遊ぶ機会がなかった俺の貯金は1200万円近くになっていた
俺は1ヶ月後、何も考えずに会社を辞めた
しかし働かないと、いつかは金が尽きる。そう考えた俺は今まで手がけていた商材を扱う会社を作った
別に大金が欲しいわけじゃない。普通に暮らしていければそれでいい。だから自分で3つのルールを作った
・週休3日
・残業なし
こんな甘いルールでやっていけるわけがないとも思ったが、いつの間にか俺の目的は
このルールで食べていけるように会社を軌道に乗せるということになっていった
結論からいうと今、会社は安定している。何もかも自分でやっているが案件数も自制しているので
対応に追われるようなこともない。当初は「3日も連絡がつかないのは困る」
「17時以降も対応してほしい」という声も多かったが、そういう仕事は受けないように開き直った
今は周りが順応してくれている。特に大きな問題もなく会社は動いている
そして、俺の自由な時間が増えたおかげで1人で旅行に行けるようになった
がむしゃらに働いている所謂、社畜と呼ばれる人達を否定するつもりはない
ただ、耐えられないなら自分で環境を作ってみてはどうか。もちろん簡単にはいかないが
慎ましく生きていこうと思えば週休3日でも余裕でやっていける
過労死で鬱になったり自殺する前に、ちょっとだけ自分で環境を作ってみるのもいいんじゃないかと思う
それで駄目なら仕方ない。でも環境は作れるよって話をしたくて書いてみた
いまだに「街灯ない夜道を1人で歩く女が悪い。だからレイプされる。襲った男が悪いに決まってるが、女も悪い」みたいな戯言をのたまう馬鹿がいる。
まず、レイプ被害に遭った女性に落ち度があったとしても、それは「こうすれば被害を未然に防止できた」という視点から自分で反省すべき落ち度であって、他人から責められるべき落ち度(法的な故意・過失)ではない。それゆえ、他人が「女も悪い」なんて批判すべきではない。
では、それを「電車でベビーカーをたため」論に置換してみる。「混雑している電車内にベビーカーをたたまずに持ち込む母親が悪い。だから舌打ちされ、暴言を吐かれ、無言のプレッシャーを加えられる。不快感を示す乗客が悪いに決まってるが、母親も悪い」という感じに。
レイプのケースとベビーカーのケースで大きく異なるのは、レイプ犯に同意するやつはいないだろうが、乗客に同意するやつが出てくるってことだ。そりゃ、自分を犯行直前のレイプ犯に痴漢してみても「迷惑」は感じないが、自分が乗客の立場なら「迷惑」だと思うやつもいるだろうからね。
だが、それは女性側からすれば、知ったことじゃない。自分に落ち度がないのに、被害に遭うのだから。本来、矯正すべきは自分の倫理観や道徳や空気を読む力ではなく、レイプ犯や乗客のそれなのだ。
「いや、それは間違ってる。電車内はベビーカーをたためよ。マナーだろ」という指摘がありそうだが、それはお前らの勝手なマナーに過ぎない。事実、JRや各私鉄、国交省などは、乗客に対してベビーカーの乗車に協力する旨を呼びかけている。鉄道会社の規則にもベビーカーをたためとは書かれていない。
残念ながら、子育てをしたことがないか子育てに非協力的だった人間で共感力スペックが低いやつには、ベビーカーをたたむということの大変さが理解できないようだ。無論、不可能ではない。不可能ではないが、ベビーカーのせいで乗客ひとりが電車から弾き出されても構わないと思える程度には厳しい作業なわけだ。ベビーカーをたたんだせいで、荷物と赤ん坊を抱えなければいけなくなった母親を「当たり前だろ」なんて感じられるなら、己の心の狭さを恥じたほうがいい。
ここまでは頷いてくれた読者であっても「さすがに満員電車は厳しいんじゃないの?」と考えている人もいるだろう。もちろん、厳しい。できることなら満員電車へのベビーカー持ち込みは避けるべきだろう。街灯のない夜道を女1人で歩かない方がいいのと同じくらいには、満員電車にベビーカーを持ち込まないほうがいいに決まってる。特に首都圏の満員電車は人を殺しかねないからな。
しかし、それはあくまでも母親が判断すべきことであって、他人がすべき論で語ることではない。お前らに満員電車に乗らざるをえない事情があるように、母親にだって事情があるんだよ。サル並みの知能指数をもつ母親なら、安全上の観点から満員電車にベビーカーを持ち込みことを躊躇するだろうが、それでもそうせざるを得ない理由があるんだろう。もっとも母親にそんな事情がなかったとしても、それを周囲がとやかく言う問題でもない。むしろベビーカーは赤ちゃんのパーソナルスペースなんだから、そのスペースくらい周囲の乗客は確保してやるべきだし、座席を譲ってやるべきだんだよ。
母親ひとりに優しくできない日本では、「お・も・て・な・し」はヨソモノ向けの精神にすぎない。内には徹底的に厳しく接する。自分に優しく他人に厳しい。だから、ブラック企業が生き続け、労働者は心を病んだり過労死したりする社会になる。そして皮肉にも、今日ベビーカー批判をしたやつが、昨日はブラック企業批判を展開するのだ。実は同根の問題が形を変えて表出したにすぎない。母親を思いやれない人間が、労働者を思いやれと主張することの滑稽さよ。
(まとめ)
■ジーパンを裾上げをお願いできなくて辛い
http://anond.hatelabo.jp/20150522085914
■冷やし中華が注文しずらくて気を遣う
http://anond.hatelabo.jp/20150522131233
■図書カードが買いずらい
http://anond.hatelabo.jp/20150523093439
これら含めて全部私です。
ちなみに「ずらい」は最初素で間違ってて指摘してくれたんですが、
同一人物だと分かるかなと思ってあとのはワザと「ずらい」にしてました
黒のジーンズを欲しかったけど、紺色と見分けが付かなくて店員さんに聞きたかったけど
聞けませんでした。
靴がなくならないか不安で試着どころではないです。
もちろん裾上げは頼めません。
冷やし中華の類いは
食券のラーメン屋さんで食券と知らずに
「食券買ってね」と言われた瞬間ごめんなさいと逃げ出したくなります。
1万円札しか持ってないとき、崩してもらうのも舌打ちされたり言われたら嫌ので
一人でやっと行けます。
すぐ選ばなきゃ、と、ぜんぜん食べたくないものを選んでしまうことがあります。
なか卯の表のポスターの季節のセットのが食べたいのに、それを食券機で探すのが無理ゲーすぎます。
昨年の
冷やし中華が頼めない増田も私です、お店の人に迷惑掛けてごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20140708102313
さすがにピーターは無いと思ったけど、
とりあえず、中身が入ってることを信じて贈りました。
お祝い届いた?とこっちから聞くのもヤボなので聞けません。
「弱者男性」(少なくともその自覚を持つ人)の敵は端的にマチズモだろう。
「男はこうあるべき」という価値規範から外れた男性は、規範が内面化されている場合であれ外的な圧力の場合であれ、相当のプレッシャーと負い目を感じる。またその規範は、たんに精神的なものにとどまらずに、さまざまな面(経済的であれ性愛的であれ)での実際の格差にもつながっている。
フェミニズムは女性の地位向上の運動であって、男性についての規範とは(少なくとも理念上は)関係がない。一方で、(男性だけでなく)おそらく多数の女性がマチズモを内面化している、あるいはマチズモの維持に加担していることも事実だろう。
「弱者男性」にとって問題をわかりづらくしているのは、女性の権利を主張するその口で「男(人間)はこうでなければ」「こういうのはだめな男(人間)」といったことを言ったりほのめかしたりする女性(ないし自称フェミニスト)がいることだ。こういうのが「弱者男性」からすれば「強者としてのフェミニスト」に見えるのかもしれない。
たしかにそういう人は「弱者男性」の敵ではあるのだが、それはフェミニストらしき部分で敵なのではない。それはマチズモに加担しているという点で敵なのだ。
この点を正しく把握すれば、「弱者男性」は、自分がなにに苦しめられているのか、なにと戦うべきなのかがわかるだろうし、なにが敵でないかもわかるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150524050514
後半以外は同意。
家の中には、大きな家具から引き出しの中の小さなクリップまで、いったい何点の物が存在しているのだろう。
引っ越しのたびにその物と向き合い、持っていくのか、捨てるのかの選択。
新居に着いたら、どこに置くのかを考える。
結婚する前は、コレクション好きで、物が増えていくことに喜びすら感じていた。
それもそのはず、実家暮らしだったこともあり、自分の管理範囲は自室だけ。
引っ越しもないし、目が行き届く範囲だし、物が増えても痛くも痒くもない。
冷蔵庫の中から洗面台の下のハブラシの在庫まで、気を配らなければならない。
もし切らしてでもいたら、整理されていなかったら、無くしてしまっていたら、汚れていたら、
夫は別に文句は言わないけれど、なにより、主婦力の低い自分への罪悪感がハンパない。
会社で総務の仕事をしたことがあったけど、自分には本当に向いていなかった。
夫はいずれ家を建てたいと言っている。
引っ越しはなくなるけど、夫のものと子供のものと、部屋数だけ管理範囲が広がることへのプレッシャーを感じる。
さすがに夫のものや生活必需品までは強制はできないから、自分のもの限定だけど、物欲がなくなってしまった。
今や単行本一冊すら所有したくない。
管理物がこれ以上増えるのが恐い。
http://anond.hatelabo.jp/20150515014847
で言っている内容はよく分かる。
正直、大阪都構想は賛成反対両方が「民衆(悪く言えば衆愚)」チューンナップされすぎててイマイチだ。
選挙カーで名前を連呼した方が、当選しやすくなる、という例のアレと同じだ。
「絶対反対」と街宣車で連呼したほうが、具体的にデメリットを伝えるよりも、
本当は言葉を尽くしてきちんと説明して、風邪のガキ連れ来た親だの、
毎度毎度やってくる爺婆だのにお引取り願うのが正しいハズだ。
でも、ちょろっと咳止めでも出しときゃ納得する。
今の選挙はそういう状況だ。
お医者さんには、2種類いる。
臨床は、いわば街のお医者さんだ。
人体実験はダメなので、基本的には「前例のある処置をする」エキスパートだ。
病気の新しい診断法や、治療法を発明する。治験と呼ばれる人体実験もする。
もっと言えば、より基礎の研究として、神経細胞の構造を調べたりネズミの皮膚を弄ったりする。
このうち、臨床は、当然患者に対して説明をする。
わかりやすくメリット・デメリットを伝え、決断を促し、場合によってはセカンドオピニオンも勧める。
「マウスの皮膚組織にある線維芽細胞への遺伝子導入法」のメリットを語るのは難しい。
すると、「これは、肺をシャーレで複製して本人の臓器を移植できるような再生医療に繋がるんです!」と資金を勝ち取る必要がある。
結果、iPS細胞が生まれてノーベル賞までとったが、肺の複製は盛り過ぎじゃね?と言われればきっとそうだろう。
たぶん、元増田の言う、「政治は庶民生活へのメリットを判りやすく」は筋が悪いと思う。
その筋を進めていくと「反対!反対!」と街宣カーで叫ぶ情報伝達に繋がる。
たぶん、「どんなに判り難くても良いから、きちんと情報開示して欲しい」じゃないだろうか。
「線維芽細胞への遺伝子導入法」の予算獲得のために「将来の再生医療」を謳うのは仕方が無い。
でも、具体的に何をするか、その結果がどうなるかは、医学者にはある程度目安がつく。
現在の直接投票は、基礎研究医の予算獲得や、基礎研究の方向性を、(医学の知識が無い)病院の出資者が決めている状況じゃないだろうか。
こういう時、金を出す出資者に医学者と同じ知識や、研究のメリットを語っても、恐ろしく遠回りになるだろう。
大抵こういう時は、適切な経験を積んだ医学者のアドバイスがあるはずだ。
たぶん、以下の流れが、必要なことだと思う。
現状、2番がホトンド居ないのが問題なんじゃないんだろうか。
1番と3番(つまり、政策立案者と、民衆)とを直接繋げるのは、双方にとって負荷が高すぎるか、飛躍させすぎないと届かないだろう。
「線維芽細胞への遺伝子導入法(≒ある政策)」に賛成して欲しい時に、
それを「出資者(≒投票者)の直接のメリット」で伝えるというのは難しいのではないか。
それの方向性では、「肺が複製できて、再生医療出来ます!(≒無駄が減って財政破綻しなくなる!)」と言うしか無い。
そしてそれは、確認しようがないし確からしさも確認できない、エビデンスの妥当性が判断できない飛躍になるだろう。
そして、飛躍無く詳細に判りやすくどんなに噛み砕いても、素人に医療の基礎研究の妥当性は判断できない。
そこに必要なのは、医学(≒政治)の知識を持ったアドバイザーじゃないだろうか。
最先端の医学者が出資者の前でプレゼンするのは、なんか違うような気がするんだよなー
どうやっても真摯な研究者は「絶対」を口にしないし、それを約束する山師にプレゼンでは負けちゃうし
そして今の政治は、この「判りやすく伝えろよ」プレッシャーで、山師が跋扈してる気がする。
「良くわからないから反対」というヤツだが、コレかなり強力な「迷信」だと思う。
世の中の物事はたいてい予想通りには行かない。
すると、「やってみても失敗しそうだから反対」は凄く言いやすい。
この意見そのものは正しいことが多い。だってたいていは予想通りに行かないもの。
でも実は、その賛成反対というのは、次の2択だ。
こう置き換えて考えるとわかりやすいだろう。
ここまで明確だと先行きがある程度予想できるので想像しやすいだろうが、
「結婚にメリット・デメリット色々言うヤツがいて正直良くわからん」という質問者に
「明確に自分の生活に対するメリットが見いだせないなら、とりあえず止めたら?」とは言わないだろう。
「よく判らんから、線維芽細胞への遺伝子導入法に予算付けるの無しな」してたら永遠に再生医療は進化しない。
今年班長になってしまい、この面倒な業務が降りかかってきました。
あまり早い時間帯だと不在の家だらけだし、遅い時間は迷惑だし。
滅多に回ってこない業務というのもあり、不慣れでおたおたすると先方にイラっとする表情を浮かべられたり
(まあ忙しい時間帯にお邪魔しているから仕方ないけど)仕事以上に神経をすり減らす。
小梨で両隣2~3軒の方としか顔もわからないようなご近所付き合いの中、ほぼ他人からお金を預かるのは結構プレッシャーだ。
一世帯いくらと決まっていればまだ気が楽なんだけど、完全任意となるとお願いする方もされる方も気まずい。
以前募金をネコババした事件とかもあったらしいし、あらぬ事故防止のためにも町内会の予算から普通に拠出すればいいじゃないかと思う。
でも「俺は募金なんかしたくない」とかゴネる人が出てくるんだろうなぁ。
ああ面倒臭いよ。。。
そんな集金業務の中で「大変ですね。」と労いの言葉を一言でも掛けられると、すごく嬉しい。
俺もオッサンなんだけど、過去の自分を見ているみたいなのでアドバイス。
若いってだけでモテて調子乗ってる女は30代になって婚活で苦労する。
男の場合は快適な30代が女の10代にあたる。
仕事も覚えてお金もできて社会経験もあって、いい感じなんだよ。
でも人間は年をとる生き物。食の好みが変わるように、快適な生き方っていうのも変わってくるんだよ。
30代の快感ってのは40代では維持しにくいんだ。50代になったらもっと変わってくる。
「快」っていう感覚は脳内物質で得ている。それは本能に従った行動をしている時にご褒美として放出される。
「子孫を残せ」「時間がないぞ」と。
だから少しずつ今の快適さは維持できなくなってくる。
具体的に言うと40代になっても結婚していない事実は、他人にマイナスとして評価されやすくなる。
社内の出世にも影響するし、人付き合いにも影響する。
子孫を残す=幸せと認識している多くの人間が、あなたをそう評価するのだ。
同年代の結婚した友人は遊べる機会が減っていくし彼らの興味は家族になるから話題も合わなくなるパターンが多い。
親からも孫見せろプレッシャーはかかるし、年上の世代からは人間的に何か問題があるのでは?というレッテルを貼られやすくなる。
どこかに旅行にいっても美味しい物を食べても仕事で成功しても一緒に思い出を共感してくれる家族はいない。
年を取るほど未婚の友人は少なくなり孤独感が増す。
子供が大学卒業前に定年も考えられるし、男性の精子劣化リスクも知っている女性が増えてきた。
だからよほど年収がよくない限りは40代になっての結婚は難しいんだ。
国勢調査によると40台を過ぎると男性も結婚できる可能性は極端に下がる。
http://matome.naver.jp/odai/2139321691696009301
俺たちが60代になるころの40代とかなら許されるかもしれないが、俺たちは無理なんだ。
文章を書いて生計を立てている。
しかし、半年前から文章を書けなくなった。ごまかしごまかし書いているが、どうにも気持ち悪い文章になってしまう。
文章を書こうとすると、言葉が脳内に溢れて、まとまらない。てにをはを結べない。文末の言葉が見つからない。
主題を整理していないからだと指摘されそうだが、原稿を書く前には骨組みを作り、文の流れと結論は決めている。それなのに、肉付けができないのだ。
良い文章を書かなければ、というプレッシャーが私を殺す。良い文章を書かなければ、WEB原稿だからPVを稼がなくては、エッジーかつキャッチーな文で書かなければ、編集サンの気に入る文を書かなければ、リズムを意識しなければ、誤字脱はどうだろうか、構成はこれで正しいのだろうか、言葉選びは最善を尽くせているだろうか……。
WEBの進化により、誰もが「ライター」時代となった。編集プロダクションや出版社などで先輩や上司に添削された経験のない人間ですら「ライター」を名乗るようになった。はてブでも、ひどい文章で書かれた記事がホッテントリするのは決して珍しいことではない。
WEBでは、文章の上手さを求められない。だから、文章にこだわるWEBライターの単価は上がらない。
紙媒体はコネがモノをいう慣習がいまなお強く根付いている。新規参入は難しい。
金が稼げないという悩みと、文章がかけない苦しさを混同させているのは薄々理解している。理解しているんだ。でも、苦しいんだ。苦しくてたまらない。