はてなキーワード: プレッシャーとは
いやいや、これが結構大変なのよ
裁定で儲けようと思ったら、値段が本当に価値と乖離してるかどうか悩みながら
目を皿にして市場のゆがみを誰よりも早く見つけないといけない
だてにバフェットさんが一日中企業情報を読んでる訳じゃないわけで
一方でインデックス投資をしようとすると、ある程度大きな単位で投信を買うわけで
信用リスクは気になるし、大化けはない分、細かい手数料が効いてくるから
いろいろ比較しなくちゃならないし、リバランスの頻度とか考え出すとこれがまた…
何も考えずに雑に投資して簡単に大当たりしましたなら、これほど楽なことはないけど
単純に楽しそうだし、世間体的にしておきたいってのもある。
在学中から将来は結婚するものだと思ってたけど、相手の家族とどうしても合わなかった。
独り身になって以来、女性との付き合いがかなり慎重になっている。
それで最近気になっているのが、結婚している人はいつから結婚を意識して異性と付き合い始めたのだろうということ。
自分は、どうせ結婚しない人と付き合っても意味が無いと思ってしまう。
友達には遊びまくっている人もたくさんいる。社会人になって金を得たから学生時代より派手に遊んでいる人もいる。
ただ彼女作るだけだったら、相手のバックグラウンドなんてどうでも良いと思う。
だけど、自分は将来的に結婚するんだって考えると、どうしてもフィルタリングして人を見てしまう。次男坊だから自由の身ではあるんだけど。
自分のことではなくて、自分が言われる立場なのだけれど。つまり友人の話。
かいつまんで書くと、
という経緯を持つ同僚がいて、なんとかしてあげたいなぁと思う。
いわゆる男性社会と呼ばれるものの中では、男性は「男であれ」「男ならこうだ」という性に紐づけた形よりも、「社会人であれ」「社会人ならこうだ」という形でプレッシャーを受けているんじゃないかな。
女性が男性社会の中にいると、そういう規範や暗黙の了解みたいなのがどうも自分に当てはまらないことに気づき、そのことで自分の女性性を意識させられる。
たとえば、男性が「大人ならこうしろ」と言われること(ちょっと古臭い例になるが、飲酒とかタバコとか)を、女性がやると「はしたない」とか「女らしくない」みたいになる。
あるいは、会社のシステムが男性社員を基準に作られているので、生理関連の対応とか出産のための休職というのが想定されていないとか。
外国の格言なんかで" Man should be ~ "みたいな形の文章。あれがそういうのを端的に表してるなーと思う。人=男であって、女はそれとは別のものというイメージ。
そういう訳なので、男性たる増田がちょいちょい自分の性を意識する体験をしてみたいなら、女性社会と呼ばれるところに身を置いてみるのが良いんじゃないだろうか。
頭の中が整理できなくて大声で叫びながら外を走り回りたい気分。仕事のプレッシャーはあまり感じないほうだと思っていたけど、どうしようもない気持ちを吐き出す場所が欲しくて増田に書く。
SNSに書くとかまってちゃんになってしまうし、そんな歳でも立場でもなく、恋人に仕事のことは言いたくなく。部下のケアして、実践求められて、物理的に厳しい現実抱えていると、ひとつひとつは大した重みじゃないのに、じわりじわりと押しつぶされている感覚に陥る。
全部放り出して逃げたくなる気持ちと、放り出したあと、自分が世間から放り出されることを考えて立ち止まっている。できたマネージャなんかじゃない、優秀なプレイヤーでもない。少しの実力と運とタイミングで今がある。実力は、運も実力のうち、といわれるそれかもしれない。
自分が全てを費やせば小さな世界が変わると思ってやっているけど、大きな目に見えない力の前ではほんの少しの事実も変えられないことが悔しい。もっと広い目で見て働きかけないといけないのに、今それを成し遂げられる力がないことも悔しい。
http://anond.hatelabo.jp/20150213000517
なにか、技術的な質問サイトQiitaとか、Slideshareで、どんどん、教えて下さる人は尊敬します。
小さい組織よりも、大きい大企業とか公官庁、国公立大学、県庁、都庁とかの方が、向いてそう…。
情報系の技術職員として、システム構築とかのサポートとか、プレッシャーよりも、ルーティンな方はどうなんだろう、ねぇ。
大学とか、官庁だと今は、任期制職員も多いけど、有給も取りやすいと、休みながら働けて良いと思う。
35才でなくて、40才制限の公務員を目指すとか、むずかしいのかな。
私も発達障害で、職を転々としきたので、発達障害支援の本を読んでます。
周りの人のサポートを上手に受けることが出来れば、良さそうだろうけど、どうしても、苦手な人はいるし。
いい人でも、コミュミケーション取れないときもあるから、仕方ないよね。。
元増田の場合は…充分に実力があるだけに、悩ましいんだろうね。
まだ、40手前だから、何とかなると思う。
40過ぎるとほんと、体力なくなるから。
今、35歳でエンジニア。
厳密にいうと、自分に合っている仕事があれば、仕事したいとは思っている。でも無理。だいたい一年毎に些細なことで揉め事を起こして、ジョブをホップすることになる。もう今で10社目くらい。精神科医で適応障害をもらったことも幾つかある。そもそも発達障害で、そういう風に周囲に合わせて仕事をすること自体が困難で、本当は診断とか貰ったほうがいいんじゃないかとも考えたが、診断をもらったからといって、何か改善されるのか、と言われたら、いまいちわからんので、まだちゃんとした診断は受けていない。
とりあえず生活するためにはお金が必要だ。そして、人に提供した対価としてお金をもらうことができるというのは、それはそれで「ああ、認められたんだな」と思えて楽しいのだが、一方で、やはりどうしても周りと上手く付き合えないということが幾たびも重なってくるとつらい気持ちになってくる。
エンジニア自体向いていないんじゃないか、って思ったこともある。でも、コミュ障なりに仕事ができているのはエンジニアのおかげかもしれなくて、エンジニアすらできないとなると、もうこれこそ詰んでいて、どこの仕事もできないんじゃないかって思う。数少ない自分の技能から、それを引いたら何も残らない。だから今の職にしがみつこうとすると、精神がぶっ壊れて適応障害が発病するのだから、もう世話がない。
根本的に仕事をすることに向いていないんじゃないか。コードを書くのは楽しいよ。趣味ではいくつかプログラムを書いたり、ブログを書いたりしているし、QiitaにもいくつかTipsは書いたりしてる。そういうことをする分にはすごく楽しいのよ。自分が考えていたことがコードとして実現可能になったり、なんかよくわからないハックめいたことを書いたり、あるいはQiitaのストック数の告知を見てニヤニヤしたり。そういうのはすごく好きなんだけど、それが仕事になると、もう本当に「なんで俺はこんなことで悩んだりするんだろ」ということばっかりで行き詰まって、メンヘルって爆発してしまう。
ある程度マイペースでやらさせてもらえるところならば、もしかしたら合っているかもしれないkれど、仕事ってそういうもんじゃないわけじゃん。ある程度お金をもらっているわけだから、なんとか無理してちゃんと納品しないとダメなわけじゃん。そして、それが一瞬だったらいいけど、一ヶ月も二ヶ月もたまると、いつしかそのプレッシャーが溜まって爆発して、どうしようもなくなることのほうが多い。要するにメンタルが弱い。
他の人を見ると、そういう状態であるのにもかかわらず、耐えられたり、うまくやってたり、とにかくちゃんと「働けている」のがすごい。俺はそれができない。皆がちゃんと折り合いをつけて仕事をしていてすげーな、って思う。俺はそういうのができない。この違いはなんなんだと思うと本当に泣きそうになる。
また、仕事をやっていると、そういうストレスのせいで、生活が荒れる。生活が荒れると、今度は性格も荒れる。だから、友達とかにも暴言を吐いたりしてしまう。仕事をするまえなら余裕をもった受け返しができるんだけど、そもそもコミュ障なんだから、コミュニケーションも余裕がないときじゃないとうまくできない。仕事を始めるとそういう風になるから、今度は友達にも嫌な気分にさせる。
もう無理だ。
俺は仕事に向いていない。
もうよくわからくなってきた。
今は前職を辞めて転職中なんだが、上みたいなことを繰り返して、寝起きにそれを思い出すと本当に涙がこぼれ落ちて、転職も辛くなる。またどうせ次でも同じことを繰り替えすんだろうって億劫になる。おれは一体どうすればいいんだ。
そんなことをずーっと考えていてとてもつらい。吐き気がする。精神科の処方薬を飲んで抑えている。こんな生活、不安でしかない。
ちゃんと仕事したいけど何かが俺には欠けている。
寝る前にはそういうことばっかり考えている。
みな、どうやっているんだろう。どうやって、がんばっているんだろう。そういうことばかり気になってる。
すぐにそうだそうだと、周りの同じく働き始めている奴らも同調した。
「そうだね、働いてる人たちは本当にすごいと思うよ。就活したくないな。」
隣の席の女子がそう答えたので、自分は返事をしないでその場は終わった。
その言葉が帰り道もずっと引っかかっていた。
言葉自体ではなく、あいつらに言われたということに引っかかっていた。
確かに大学生は気楽かもしれない。
(この文章を見ても分かると思うが、)自分は優秀な方とは言えない。
そこそこのレベルの高校へ行き、そこそこのレベルの大学へ行った。
その間、気楽でいいねと言った奴らは勉強もせずに放課後遊び歩いていた。
高校も馬鹿高と言われる所にしか入れず、高校でも勉強を疎かにし、そのまま就職した。
そしてクラス会での話を聞くところによると、今つらい思いをしているのだろう。
自業自得だ。
自分や他の生徒たちが勉強をしている間に全部放り投げて、気楽に遊びまわっていたくせに。
自分たちのことを気楽だね、とさもあいつらの方が苦労しているかのような言葉をよく投げられたもんだ。
中学時代、高校時代、教師や親は「今勉強しないと、将来もっと苦労する」と必ずどこかで言ってくれたはずだ。
それを無視したのはお前たちだ。
きっとあいつらは、なぜあいつらが苦労していかなくてはいけないのか、
自分たちが楽に見えるのかどうか気づかずに
世間に文句ばっかり言って、反省なんてせずに、他人を羨んで生きていくんだろう。
ざまあみろ。
俺は東大合格者5番には入る学校にいて、学校内では底辺の成績だった。現役東大落ちて、滑り止めの学校にいって、今はニートしてる。いろいろ興味深いこととか実態とか話す。
まず、あまり注目されないことだが、超進学校には明確な学力ヒエラルキーが存在する。低い階級のものは、何か他のもので自分の現状を合理化しようとする。例えば、部活に熱を出したり、文化祭などでリア充っぷりを追求したり、だ。高い階級のものは、無垢なままで高くありつづける。このヒエラルキーは、ずっと続く(受験生になってから、勉強法を模索して東大に滑りこむ奴は結構いるが)
全体として見ても、「昔はチヤホヤされた」集団なので非行に走るやつや、飛び抜けて性根が腐っているようなのはあまりいない。いじめは中学まではあるが、高校に入ると途端になくなる。
次に、カリスマ教師のようなものはいない。教師の質に関しては俺が言及できるところはないが、少なくとも「カリスマ」はいないと思われる。ただ、これはうちの学校だけかもしれない。自身の指導方針に自信と誇りを持っているような教師が、どこかの学校にはいるらしい。(個人的に灘の校長はカリスマだと思う)
塾について。9割の生徒は塾を利用する。鉄緑会を始めとした大手塾に通う人、小規模な個人塾に通う人もいた。塾の学費は年間約50万(科目数にもよる)程度であり、学校の学費が100万程度であることを考えると、結構洒落にならない金額がかかる。ちなみに俺の親は年収1500万付近の人間だが、ほとんどの人はそれ以下ぽかった。子供には相当のプレッシャーをかけていたのだろうか。
総括。
教師も生徒も、「じぶんはなにも知らない」という認識が欠けていた。善悪の判断を自分でしようとするものがいなかった。
「東大いけいけ」「医学部おせおせ」なムードが強く、流れにのるだけで東大にもいけてしまうので、そういうのが好きな人にはいいと思う。しかし物事に懐疑的な人には、生きづらい環境であった。
俺は中学とか高校というものが嫌いなので、自分の子供をいかせるつもりはサラサラないが、「日本国内」で「中学高校」にどうしてもいかせなければならなくなったら、進学校を選ぶと思う。
今日の会計士不足に関する日経記事が地味に注目を集めているようだ。
「会計士不足が深刻 合格者減、採用枠に届かず」http://www.nikkei.com/article/DGXLASGD26H7W_S5A200C1AM1000/
日経記事によれば、原因は金融危機後に監査法人が採用を絞り、会計士離れが進んだためだそうだ。そんなに単純な話ではない。某監査法人のシニアマネージャーをしていたものが、業界内から見たこの10年の会計士需給の変遷と背景を書いておきたいと思う。
会計士試験の合格者数は2000年の838人から徐々に増えて2005年時点で1308人。1990年の634人から2000年の838人と前の10年間での合格者数の増加が200人であることを考えれば、5年で470人増は大きな増加であるが、2005年の増加までは、需要の増加(上場企業数の増加、監査手続の厳格化、M&Aやコンサルファームへの人材流出など)に概ね見合ったものであったといえる。
さて、翌2006年の合格者は何人になったか。3108人。一気に1800人増。前年比238%。2007年は?4,041人。2008年は?3,625人。もうね。何というか。誰が見てもオカシイ。こんなの持続可能なわけないだろ。
2005-7年が人材需要のピークだった。2008年から四半期決算制度の導入と内部統制報告制度が上場企業に義務化され、さらにその2年前くらいから準備支援業務で人手が膨大に必要となったためだ。
制度改正までに人材に経験を積ませるため、また当時の環境は人さえいえれば幾らでも仕事があったため(仕事が多すぎて倒れる人も多かった)、各監査法人は単に公認会計士受験生というだけの一般人の採用も開始した。もともと公認会計士の人数を増やしたかった金融庁は大喜びで合格者数を爆発的に増加させた。そして監査法人は大喜びで彼らを採用した。それが2006年の3108人合格の背景だ。当然ながら合格者の質は酷く、一流企業に連れて行くのが恥ずかしかった。後々に大きな禍根も残した。
私が所属する大手監査法人では当時4000人程度の人員に対して、2006年、2007年は700人ずつくらいの人員を採用していた気がする。ほかの大手監査法人も同様であった。2007年にはすでに現場では需要の陰りを感じていたため、ある集会で理事長含む経営層に対して、需要の落ち着きは間近に迫っている、特に2007年のこの人数の採用は経営的に危険だということを言ったことがある。会計士業界は戦後右肩上がりしかしらず、かつ試験が難しかった時代が続いたため慢性的な供給不足であった。そのため、経営層からの回答は、人がいれば仕事はなんとかなる、IFRSの導入も次の波として見えているから問題ない、というものだったと記憶している。心に暗いものがすべり落ちていった感覚を今でもよく覚えている。
果たして、2008年のリーマンショックが起きた。まず監査以外のコンサルティング業務の収入が大きく落ち込んだ。次に企業業績の低迷による監査の報酬の落ち込みである。ところで監査というのは不思議な業務で、リーマンショックのような不況で企業の業績が悪化すれば、粉飾のリスクは増すので監査の工数は増やすべきである。しかし、現実には監査報酬を払っているのは企業であるため、業績悪化に伴い監査報酬が減額されてしまうのだ。会計士の立場というのは特に大手企業の経営層に対しては非常に弱い。よく会計士と企業の馴れ合いという問題提示を目にするが、馴れ合いは古い問題であり、現在の問題は脅しに近いプレッシャーである。粉飾に手を貸したり見逃したりすることは刑事上の犯罪となり収監される可能性があるため、監査契約を切るぞと脅されてもそれは通常ありえない。しかしながら、監査手続を受け入れ可能な極限まで減らせとか、報酬を減らせ、さもなくば監査法人を変えるぞというプレッシャーは日常茶飯事である。通常の私企業同士の契約という立て付けで行われているため、それが正常ともいえる。大手監査法人は大手企業の契約をひとつふたつ切られてもビクともしないが、内部の個々の会計士にとっては事情が違う。担当する大手企業から契約を切られれば、出世の終わりを意味する。ファームはup or outであるため、出世の終わりはリストラの対象となる可能性を意味する。リーマン後の状況である。企業だって必死である。報酬の減額は飲まざるを得ない。そして監査法人も赤字になった。監査法人はパートナーシップであるため内部留保が薄い。経営環境に即応しなければすぐに債務超過になってしまう。
こうして過激なリストラが始まった。どこの企業でも業績下降期に行うことは一緒である。まずは新規採用者の絞込み。本音ではゼロにしたかったとも聞いたが、金融庁の要請や社会的責任もあり大手3監査法人は200人くらいずつは採用していた気がする。2009年の合格者数は2000人以上。。。次にリストラ。まず対象となったのは需要の最盛期に無資格で採用され、その後試験に合格していない人たち。次に06-08の質の低い合格者。シニアという入所3年経過時での昇格階段でストップさせられ、退職に追い込まれた。何度も面接が行われ、君の将来のために早めの転進をお勧めするいうことが繰り返し告げられ、多くの人(雰囲気に嫌気がさした優秀な人含む)が辞めて行ったが、まだ風化していないためこれ以上語るのはやめよう。日経記事では金融危機後に監査法人が採用を絞ったことが会計士受験離れを招いたというが、民間企業として監査法人が営まれている以上その行動は自然であるし(その前の異常な採用増は明らかに誤った経営判断であるが)在籍者に過激なリストラをしている状況で新卒をたくさん採れというのは無理がある。一方で合格者の供給が減らなかったことも同程度に問題であろう。当時の金融庁は、上場企業の経理部に普通に会計士がいる状態にしてディスクロージャーの質を高めたい、そのためにもっともっと民間企業の需要を掘り起こせばなんとかなると考えていた。
2006年くらいまでの会計士は、総合商社でもグローバルメーカーでも大手メディアでも比較的容易に転職できていた(部署が経理とか経営企画とかでよければだけど)。2008年までに一流企業の需要がほぼほぼ埋まり、リーマン後は、会計士を求めた企業は東証2部や地方上場企業の経理まで会計士があふれた。金融庁の理想は早々達成に近いところまで来てしまった。2009年の採用市場は悲惨だった。2292人の合格者に対して監査法人(中小含む)からの求人は1000人に欠けていただろう。金融庁は、企業に会計士の需要はあるとして合格者数を減少させる動きが鈍く、2010年も2000人以上を合格させた(2041人)。前年からの待機合格者が数百人もいたにも関わらずである。泥沼である。合格者に民間企業の需要があると言うが、企業の定期採用と全く異なる時期に、試験合格しただけで実務経験のない会計士を雇いたい企業が多くあるだろうか。この時代である。会計士合格者がパチンコ店やコンビニでバイトしかできず問題になったのは。アメリカの公認会計士数は30万人(2009年で34万人)、日本は3万人(2014年で3万4千人)、だから日本の公認会計士は少ないとよく言われる。しかしアメリカの公認会計士は日本で言う税理士も包含した資格である。日本には税理士が2014年で7万4千人いる。経済規模が3.6:1(2014)であることを考えれば、むしろ会計プロフェッションの人数に既に差はない(むしろ日本のほうがやや多い)のだ。
待機合格者問題は2012年くらいまで続き、その後解消されたように見える。金融庁は、民間企業の会計士の需要が既に満たされていることを2011年に認めたようであり、合格者は1500人にまで縮小した。2006年の狂想曲以前の水準までようやく戻ったのだ。しかし実際に痛みを被った側は、なかなか痛みを忘れない。需給が回復した後も受験者数は下げ止まらない。「公認会計士の受験者が過去最低 14年、前年比18%減」http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC14H0D_U4A111C1EE8000/
余談だが、社会人出身合格者が就職問題前よりも大きく減少したと思われる。2006年の試験制度改革は合格者増と社会人割合の増加を旗印にしていたが、社会人合格者増については、予想されたとおりだが、完全に逆の結果を生んだ。受かっても再就職できるか不透明な試験のために身を投じる社会人は多くない。試験は難しくても合格すれば就職できると分かっている試験のほうが社会人には受けやすい。試験制度改革を担う方々は、司法試験も全く同じだが、現行制度のプロコンの分析をきちんとせずにとりあえずアメリカの真似をすれば改革だと思われているフシがある。そして結果の責任を取ったものは聞かない。全く聞かない。
受験者数が下げ止まらないため合格者を増やせず、需要が回復しても合格者数は減少の一途。そのための人手不足なのである。2014年の受験者数は10870人。14年前と同じ水準である。合格者数は1102人。会計士試験の合格率は長年6-8%に保たれてきたが、今年は10.2%。質を下げてギリギリまで合格者を増やしても、受験者が少ないので合格者がまだ足りないのである。
ひたすら士業を望む母親と実際の会計事務所での自分の無能っぷりとの間に挟まれ
どうすればいいか分からず、当たりのきつい上司から逃げたい思いもあり、迷いがあった
母親は私にしきりに何がしたいのかと問う
私に答えは無い
何もしたくない、何をしていいのか、何をすべきか、自分はどうあるべきか分からない
自分という存在が分からない、自分が人生を歩んでいるという実感が全く持てない
何もしたくないのなら、親の言う通り、税理士か行政書士になれと、必ず言う
とてもそんな自信は無い、そもそも士業でやっていける自信も確証もない
その状態に追い打ちをかけるように、お前の行く先はニートか引きこもりだ、と加える
20歳までは順調な人生が、21歳から狂い始め、鬱と大学中退とアル中、膵炎と糖尿病を抱え今に至る
どうすれば死ねますか?どうすれば人生無かったことにできますか?
どうして私は成長できないのですか?どうしてこんなに辛い思いをしなければならないのですか?
どうして母が私に巻き込まれなければいけないのですか?
(詳細は書いてないが)どうしてうちの家族だけこんなにも歪んでいるのですか?
長男だから両親の面倒を見ろというプレッシャーとADHDかと思うほど仕事もできず友達も彼女もいた事ないほど社交性もない惨めな自分とのギャップをどう克服すればいいのですか?
もう流す涙も持ち合わせていない
モヤモヤするものを発見したので共有してお前らをモヤモヤさせてやろうと思います。
まず、この画像をみてください。
http://i.imgur.com/S8om1bw.jpg
気刊びびびというブログで、内容はこれ。
今日は2015年の抱負というか、努力目標みたいなものをまとめてみる。
必達目標にしちゃうとプレッシャーになって毎日の生活が楽しくなくなるので、努力目標に留めておく。
(中略)
特にTwitter。明らかな罵倒や悪口から、皮肉まで、そういうマイナスなことはできる限り言わないようにしていきたい。
そんなの読んでいい気分になる人なんかいないしね。どうしても言っておきたいことがあったら、Facebookにでも書いておきます。
しかしこう書いておいて、その3時間後には以下の様なエントリをぶち上げるのはどういうことなんでしょうか。目の玉が飛び出しました。
http://i.imgur.com/fXtH2q7.jpg
1/7
id gouleへ。
多分本人は何が悪いのかも分かってないんだろうと思うけど、面識もない人間にいきなりはてなスターで遊ばれても、面白くないどころか不快感しか覚えない。
というかめっちゃ気持ち悪い。即刻やめろ。あとこのブログにつけたはてなスター削除してくれ。人との距離感についてもうちょっと学んでくれ。
なお、gouleさんは1/6のエントリのスタコメにて"リリカルなのはの" "短編小説を" "いっぱいインプットする"という文章を作った模様です。
ギャン泣きである。AFCの決勝トーナメント進出が嬉しいからではない。いや、そりゃーめでたい。めでたいけど、何はなくとも今日は香川のゴールに感動したのである。見てますかクロップ、シンジはやりました。
私がサッカーに興味を持ったのは2010年南アWCからで、今の主力選手たちがいわゆるルーキーたちのころだった。内田さんは顔だけアイドル枠でSONYのCMもあいまって「見せてくれ内田()」とか言われて笑われてたし、ちょうど長友が活躍し始めて「なんだアイツ!?」って言われ始めた頃だったし、っていうかそもそも川口とかいたし。川口って私が小学生でJリーグ発祥したころから代表にいた気がするけどあいつは何者なんだ。そんでもってその頃、香川さんはまだ代表ではなかった。
ただ、この2010年は香川さんが輝き出した年でもあった。ドルトムントへの移籍がこの年だったんだもの。
2010-2012は、ドルトムントにとっても香川さんにとっても黄金期。でも私、この当時は香川さんに興味なかった。いやドルトムントは応援してたんだけど、香川さん個人にはあんまり興味がなかったのだ。そもそもドルトムントを応援してたのだって、一緒にサッカー見る友達がシャルカーだから「じゃあ私はドルトムントにしよう~」みたいなノリだったし。その後大好きになったけど。
そんな流れもあって、まあ香川真司というプレイヤーにはあんまし興味を持っていなかった。ハマって二年目ぐらいまでは、まずサッカーの流れを把握することで精一杯だったし。最初はサッカーって何人でやるのかも知らないままワールドカップ見てたレベルだったからね。
ようやくなんとなくサッカーの流れを理解して、選手ひとりひとりに想いを馳せるレベルになったころには香川さんはドルトムントの人ではなくなっていた。そう、2013年マンチェスター・ユナイテッドへの移籍である。香川真司個人へのスポンサーになりたかったのに、大人の事情でKAGOMEさんがマンチェスター・ユナイテッドのスポンサーを務めることになってしまった悲しい事件が起こった年でもある。まあKAGOMEもマンUもイメージカラーが赤だからいいだろ。
好きなチーム・ドルトムントでえらく活躍してくれてたはずの香川さんは、マンUに行ってえらく泥沼にはまっていった。バイエルンキラーと呼ばれたあの天才はどこへやら、なんかよくわからん使い方をされてよくわからんダメ出しをされてよくわからんまま公園でひたすらクロスの練習をする毎日である。来る日も来る日もクロスクロスクロス。「シンジは他のことがうまいんだからクロスはしょうがないよぉ」とか言ってくれてたクロップとはさよならしてしまったので、ひたすらモイーズの言うこと聞いてクロスの特訓である。おいおい話が違う、俺を中心にしたチームを作るから来てくれってジイさんが言ってたから渡英したんだぜ?と裁判起こしてもいいだろってぐらい冷遇される。かつてかわいがった選手があんまりにもあんまりな扱いを受けてるからって、別リーグのクロップがわざわざ「シンジは本当は出来る子だもん><」とか涙ながらにコメント出したレベルである。
超のつくビッグクラブでボロッボロにされる香川さんは、まあ当然代表でもいいパフォーマンスはできない。もうあれイップスだろやめてやれよ、ていうかあからさまにadidasの都合で背番号10を背負わせるのやめてやれ、その番号は本田に背負わせてやれ!明らかに本田のほうが10番の仕事をしている!確実に香川のプレッシャーになってるもん10番! というファンの心もむなしく、香川さんはもう自分探しの旅に出たほうがいいだろって状態のままマンUと日本代表10番を往復。見ているこっちの胃が痛くなる一年半だった。ブラジルワールドカップについてはもう触れてはいけない黒歴史だ。
さて驚きの2014年、ボロボロになって先も見えない自分も見えないサッカーボールも見えない状態の香川さんは古巣・ドルトムントに帰ることになる。ドルトムントはもう大喜びである。号外新聞とか出しちゃう。王の帰還だの放蕩息子の帰宅だの、ロードオブザリングなんだか単なるdisなんだかわからん歓迎ぶりで、香川さんもささくれどころかゴビ砂漠ぐらい荒れ果てた心をちょっと癒しつつ帰独。
ただ、あったかいおうちに帰ってきたからそのままいいプレーに繋がるぜ~なんて甘い話があるわけもなく。「ええ~シンジ帰ってくるならもうシンジを中心にしたチーム作るよ!俺は赤い悪魔とは違うよ!」という浮かれポンチなコメントを実現させたユルゲン・クロップを持ってしても香川さんの「自分ってなんだっけ病」は治らないままだった。っていうか環境もよくなかった。自分たちのサッカー教の教祖である本田さんとその筆頭信者・長友さんが近すぎた。物理的に。マイブラザーとか呼んでる場合ではない。今の香川さんに必要なのは小笠原病(鹿島)である。
自分が何者かもわからないまま自分のサッカーを探しているせいで香川さんはボロボロ、ついでに香川さんのせいではないけどドルトムントもボロボロ、日本代表だってボロボロ、どこを見てもボロボロ。王の帰還とか持て囃してくれたドイツの新聞は「コイツいるとチームの空気が悪くなるわ」とかdisってくる。空気読まないことに定評のある内田篤人から「救ってやりたい奴がいる」とか言われちゃう。槙野からはもんじゃ焼きの約束すっぽかされて待ちぼうけ喰らわされちゃう。
そんなぼろぼろな香川さんが、ちょっと気分転換でもしといでよ~とばかりに送り出されたAFC。狙い的には、下位相手に無双して自信を取り戻してもらおうという目論見があった人も多いんじゃなかろうか。
ところが幕を開けてみると、なんでか香川さんは初戦で2アシストとかしちゃってる。結果的には3得点に絡んじゃったりしてる。続くイラク戦でも、めっちゃ頑張ってるのはすっごい伝わってくるけどアシストが多いのである。エースアシストかってぐらいアシストしてる。
違うんや…アシストは大事だ、大事だけど私はお前にゴールを決めて欲しいんや…!と祈り続けて9日め、ついにその日はやってきた。そう、ゴールだ。後半に入ってきた武藤から繋がって、香川真司AFC初ゴール。アギーレジャパンでの初得点。川島はゴール捨ててまで疾走してきて香川を祝う。お前はゴールを守れ。
下位相手に1ゴール決めただけだろ、って意見もあるだろう。つーかもっと決めろよって思われてると思う。ゴールは決めたけど内容あんまよくなかったね、って意見だってたくさんある。
でも、はからずもマンチェスター・ユナイテッド移籍という泥沼時期から香川真司を見守り続ける形になってしまった私にとって、このゴールは本当に本当に眩しいものだったのだ。「よかった、よかったネェ…!!!」という一言以外に言葉が出ないわけですよ。
ゴールした瞬間に私の脳裏をよぎったのは、内田さんの「救ってやりたい奴がいる」っていう一言だったし、「シンジは何も損なわれてない」と香川さんを信じ続けてるクロップの言葉だった。すっ飛んできた清武の姿でもう涙腺は崩壊。えらいこっちゃ。試合が終わったわけでもないのに大号泣。
次にあたるUAEとは中二日の調整になるので大変だと思うけど、今日の感覚を忘れないうちにまたゴールを決めてほしいわけです。日本代表を応援してるのはもちろん、自分がこんなに香川真司を応援しているだなんて夢にも思わなかった。びっくりしたわ。彼のサッカー人生で一番輝かしかった時代と、一番どん底だった時代を両方見てしまったので思い入れがとんでもないことになっている。どうか彼が自分探しの旅を終えて、サッカーを楽しめる道へ帰ってきてくれますように。
quoraに関して言えば、職業とかも表示されるから下手なこと書けないプレッシャーがある。
https://answers.yahoo.com/ これとか見るとそんなに日本も海外もそんなに変わらないよ
今までほとんど「好き」と言えてなくて、それを改めたい、というのを前提とすると、「好き」は相手と同じくらいが無難かな。あまり言い過ぎると、自分が「好き好き」いってるんだから、相手も「好き好き」言わなきゃいけない、というプレッシャーをかけてるように感じられてウザいかもしれないので。でも相手より少し多いくらいなら問題ない。
相手があまり口に出して「好き」と言ってこないタイプなら、週末のデートごとに一回くらいを目標に「好き」と言えばいいのではないか。言いそびれたら、別れた後のメールに「大好きだよ」と一回書けばいい。
あ、今週は週末も別の予定があるんだった。つまんないなー!!
http://anond.hatelabo.jp/20150118145812
自分がどう見られているか?を重視する人はプレッシャーになるのかもね、とは思う。男女ともに。
私は、だけど、容姿にコンプレックス持ってた時には、女性との接点を持たないようにしてた。
嫁さんも職場での服装、母親としての服装や振る舞いで悩んでたりしてる。
そんな時には、そのままの君で素敵だと思うよ、って言い続けてる。嫁さんは都度、ぼんやりと幸せそうな顔をしてる。普段は聡明な人なんだけど、時々デレ。自縄自縛のメンタリティってあるよなー、その辺、察知して開放するとなぜか好かれるって不思議だ。
でも続けて「そのままの君でいいし、別に化粧しなくてもいいんじゃない?その方がナチュラルだし、健康にいいんじゃないかなー」っていうと「これはやりたくてやってるから良いのです」って返ってくる。まぁいいんだけどね。
ここで吐き出すことで忘れたい。
私の知人に、30代で、女性にとってはブラックな職場だという会社で働いているという人がいる。
その知人の職場は、女性社員の産休取得のような、はっきり法律で定められている権利を行使することを嫌がるなど、女性が働き続けるには様々な問題があるようで、それ故私に連絡をくれ相談する気になったようだ。
私は教育関係の職についている独身の40代、本を書いたりするほどの専門家ではないが、女性同士の情報交換のネットサークルに加入している。会員相互でTwitterをフォローし合っている関係上、気がついたらフォロワー数が4桁に達していたから、たまに見ず知らずの人からも相談のメールをもらうことがある。
その知人との付き合いは数年ほどで、よく相談のメールをくれ、仕事の繋がりはないが可愛げのある後輩という感じだった。
ただ彼女の悩みや質問には、専門違いの私では答えきれないことも多く、私より詳しいネットサークルの他メンバーに相談してはどうかともちかけたり、連絡をスムーズにするためにいっそあなたも会員にならないかと誘ってみたりもしたが、その都度仕事の忙しさを理由にあまり乗り気でないと断るので、それ以上勧誘しなかった。ならばなぜ私だけには相談するのか、少し不思議だった。
しかし、1年半ほど前に知人が恋人ができたと言い出したころから、相手の雰囲気が少しずつ変わりはじめた。知人のパートナーは3つ年上で、早いうちからお互い結婚を意識するようになり、この春に結婚式を挙げる準備を進めているとのことだった。
もちろん私は、知人と恋人がうまく行っていることは全力で祝福した。だが、恋人は十分な収入があるので、相手に今の職場を辞めて専業主婦になってほしいと言っていると告げられたため、私の疑問はさらにつのった。
まず仕事を辞めたいというのは、相手自身の意思なのか、相手の恋人の意志なのかというのが第一の疑問だ。
もし相手の恋人の意思であれば、辞めるのはよくないんじゃないかと告げた。今はお互い相手に夢中の状態だろうが、嫌なことを言うようだがそんな関係がいつまでも続くとは限らない。もし仕事を離れ経済的に自立する手段を手放せば、女性側の立場は圧倒的に不利になる。残念ながらそれが現在の日本社会の現実なのだ。
産休は法律で認められた正当な権利なのだから、仕事は辞めずに復帰する道をさぐったほうがいいと告げた。また、男性側も育休を取ることができることも知らないようだったので、そうした権利があるから恋人の協力も求めてはともアドバイスした。
だが相手は今度は、はっきり言うと今の職場で続けるには様々な悩みがあり、それ故その私にも相談していたんだという。産休をとってまた復帰するのは、もちろん出来ないことはないがかなりプレッシャーのある職場だという。
ようするに、女性にとってはブラックな職場であり、相手自身わざわざ周りから白い目で見られながら続ける気になれないという。
だから先のことはわからないが、とりあえず結婚を機に今の職場はやめると言うのだ。
だったらそれは、恋人の意思ではなく、あなた自身の意志ではないのか?
辞めたいのなら辞めればいい。それは本人次第で私にはどうすることもできない。
だがブラックな職場だからと言って何の意思表示もせずにただ辞めるというのは、ブラックな職場を利するだけのことじゃないかと思って、せめて少しは抵抗してみたらどうか、女性の権利は決して天賦の物ではなく、先輩たちが筆舌に尽くしがたい苦労を重ね、現状でも十分とは言いがたいにしろ少しずつ勝ち取ってきたものだから、というようなことを告げたのが私にとっての運の尽きだった。
これまでの私が知人に言ったことが、次々と過激な言い回しに翻訳され拡散されてしまった。曰く「女は断固として仕事を辞めるべきでない」「育休は夫にとらせるべきだ」「今までの私が相談に乗ってあげたことを全部無駄にするのか」「女性として社会と戦うつもりはないのか」「あなたの選択は負けて奴隷になるようなものだ」このようなことを言ったことにされてしまった。そして私は「フェミニスト」という烙印を押されてしまった。
私もカッとなって喧嘩別れになり、それ以来twitterもメールもブロックした。私の理解するところによれば「フェミニスト」というのは、男女の性差には生物学的なもの(sex)以外に社会・習慣に起因するもの(gender)が存在し、両者の違いを見定め、後者に起因するもののうち理不尽で女性を苦しめる原因になっているものについては改める努力をしようという立場のものをさす言葉のはずだ。しかしネット上では、この言葉が相手にマイナスの烙印を押す単なるレッテルのように使われていることも当然知っている。そのことに関してだけは、適切に反論できれば良かったと思っている。
目下の最大の疑問は「結局あの人は存在したのだろうか?」ということだ。相手の書いた文面を思い返すと、女性なら当然知っているはずのことにあまりにも無知・無関心だったことに気づく。どっかのミソジニーをこじらせたおっさんが、自分の人生を自己肯定するために私を使おうとしていただけだったんだろうか? だとしたら壮大な時間の無駄だった。気づけなかった自分がバカだとしか言うしかない。まああの人のことは忘れて自分の人生を歩むつもりだ。