はてなキーワード: スウェットとは
某メーカー勤務なんだけど、修行の一環で地方の生産工場に2年間赴任してた。
そこの工場で働いてる奴らの通退勤時の服装が、とにかく酷かった。
「え?パジャマ?」と見紛うようなヨレヨレの上下スウェットで、田舎道をノタノタと歩く者、
センスが高校生時代から変わってなさそうな、意味不明の英単語がでかでかとプリントされたTシャツで堂々と歩くおっさん、
地味にもほどがある柄シャツ一枚はおってのうのうとあるくお姉さん、
野バラのようなくすんだ赤色のパーカーを夏でも冬でも羽織り、どこで見つけてきたのか、まったく同じ色のスニーカーを履き、ここまで「野バラレッド」にこだわっていながら何故か群青色のジーンズといういで立ちのオールバックおじさんなどなどなど…。
都心じゃなかなか見ない感じの人たちばかりだった。
見られる目がないと、何にも気にならないのかな。
最近ユニクロが「JEANS AGAIN」というキャンペーンを大々的に打ち出してジーンズ需要の掘り起こしを図っているけれど、果たして今更ジーンズを履く人が増えるものなのだろうか。ジーンズって伸びは悪くて動きにくいし、乾きは悪いし、タイトで重いし、夏は暑いし冬は寒い。それらの欠点を克服すべくデニム素材も進化しているとは思うんだけど、同様に進化をし続ける化繊のパンツやスウェットパンツに比べると相変わらず着用感の劣った素材であることは否めないと思う。ジーンズは20世紀後半を代表するファッションアイテムだったとは思うんだけど、正直賞味期限が切れてるんじゃないかと感じている。若い子でジーンズ履いてる子なんて全然いないし、年齢のいった人が敢えて着にくくて動きにくいアイテムを選ぶとは考えにくい。パンツのバリエーションのワンオブゼムとして生き残ることはあっても、昔のように一大ファッションアイテムとして再ブームが起こる気が全くしない。
ユニクロは数年前にもジーンズを再発明的なことを謳ってジーンズの復権を図っていたけれど結局うまくいっていなかった。ユニクロがここまでジーンズにこだわる理由が正直不思議である。柳井さんの個人的なアメカジへの憧れとかだったりするのかな?
静かな夜だった。
幼い娘が電気を消して欲しいと言うから、わたしは寝室の常夜灯を消して、ベッドに横たわる彼女の隣に寄り添った。
「ママ、苦しくない?」
娘はそう言うと、チューブを自分の鼻から外して差し出した。わたしはそれを受け取らず、代わりに小さな手を握り返した。
「お母さんは大丈夫、もう少し吸っていなさい」
そう言うや否や、自分の肺の底から咳が込み上げてきた。身体を反転させ、娘に背を向けて咳き込んだ。
同じ病気にかかっているから、こうすることにたいした意味はないのに。
わたしは枕元のチェストに置いたティッシュペーパーをとって痰を吐き出した。
薄闇の中で、それはどす黒い血のようにも見えたが、さすがに気のせいだろう。
娘は健気にわたしの背中をさすり続けた。その柔らかな皮膚と荒いスウェットの生地が擦れる音は、世界で一番優しい音だと思った。
幼な子の咳は軽やかで愛らしいけれど、自分が重たい咳を吐き出すときよりもよほど強くわたしの胸をしめつけた。
......あのとき帰省しなければこんなことにはなっていなかったかもしれない。ワクチンだってまだ打ってなかった。
そのことを娘に詫びると、彼女はこう言ったのだ。
「そうだね、流れ星も見れたね」
あの夜、星が天球の上を一筋に流れたとき、とっさに願ったのはこの子の幸せだった。
「ねえ、ママ、お水が飲みたい」
「待ってて」と言って、わたしは橙色のルームランプをつけ、スリッパを履き、ベッドから立ち上がった。
足元には、フローリングを埋め尽くすほどたくさんの観葉植物が並べられていた。
わたしたちの感染がクリニックの外来で証明されて、だけれども入院できる施設がどこにもないと知ったとき、帰りに立ち寄ったドラッグストアで買ったものだ。
髪の薄い男性店員が、眉を八の字にして申し訳なさそうに宣告した。
だったらどうしたらいいのよ! といつものわたしだったら食い下がっていた場面だろう。
もうそんな元気がなかったのもあるし、何より社会全体が何かを諦めてしまったかのようなムードに包まれていたから、わたしは何も言えなかった。
調剤室の前のベンチにはたくさんの人が座っていた。
みんな、まるで負けることを知った試合を消化するチームメイトのように、うつむいて、冴えない顔つきをしていた。
結局、わたしたちは酸素ボンベの代わりに、たくさんの鉢植えを買ってきた。
植物が光合成をしてくれたら、部屋の酸素濃度が上がるかもしれないという、浅はかな考えだった。
ドラッグストアからの帰路、緑を満載した赤いコンパクトカーの後部座席で娘は咳き込みながら笑った。
「また行きたい、フラワーパーク」
「うん、行こうね、必ず連れていくよ」
返事はなかった。
白いマスクと、冷えピタシートに挟まれた可愛い目を細めて、彼女はそのまま寝てしまったのだ。すーすーと穏やかな寝息を立てながら。
わたしは安堵して、赤信号が青に変わったのにしばらく気がつかなかった。発進を急かすクラクションがやけに遠くから聞こえた。
あれからまだ三日しか経っていない。いや、二日だったか? すでに、寝室とダイニングキッチンを往復するだけでも身体が重く、息苦しい。
洗っていないコップに水を注いで、一口飲む。
水はもとより味がないから助かる。
昼間に食べた卵がゆは、まるで湿地帯から採取した粘土のようだった。まだ喉の奥にひっかかっている気がする。
味が濃いはずのものを口にして、その風味を感じられないことがあんなに不愉快なこととは知らなかった。
昼間に洗って水切りかごに伏せておいた子ども用のプラスチックのコップに水を注いで、寝室に戻った。
ルームランプに照らされた黄色いコップには、アニメのキャラクターがプリントされていて、屈託のない笑顔を永久に固定していた。
娘はマットレスに手をついて起き上がると、壁にもたれかかって、コップの水をゆっくり飲んだ。
枕元に転がっている酸素ボンベをちらりと見る。これが最後のボンベだった。
フリマアプリで、とんでもない高額で取引されていたものだ(たぶん違法だ)。だから何本も買えなかった。
配送を待っていられなかったから、車で片道二時間かけて取りに行った。古い戸建てに住む、中年の男性だった。
まいどあり、と言ったあの笑顔が、がたがたした歯が、家の臭いが、忘れられない。
......彼は一体どうやってあんなにたくさんのボンベを手に入れたのだろう……どうだっていい!
帰りの高速では意識が朦朧として、事故を起こしそうになったっけ。
黒光りする筒の頭の部分におもちゃみたいなメーターが付けられていた。針は、かなり傾いていた。
パルスオキシメーターで測定したわたしたちの酸素飽和度は、故郷の山の、空気の薄い山頂にいるくらい低い。
どうりで頭がぼおっとするわけだ。
N-95マスクをつけた医師に、少なくとも一分間に五リットル以上の酸素は必要と言われたが、もったいないからもっと絞って使っている。
酸素に味はないけれど、吸えば少し楽になるのがわかる。
「美味しかった」
娘がコップを差し出した。まだ水は半分も残っていた。
もういいの? うん、もういい。
チェストにコップを置くと、ランプを消して二人で横になった。それから娘の体を抱きしめて、小さくて丸い頭を撫でた。
髪の毛は柔らかく、少し湿っていて、甘い匂いがするような気がした。
「ママ、それ、ほっとする」
腕の中で彼女はそう言った。子守唄を歌ってあげたかったが、もう声を出すのもしんどくなっていた。
確かに、わたしの身体は震えていた。でもそれは寒さから来るものではなかった。
「大丈夫、咳を、こらえて、いる、だけ」
声がなるべく震えないように、切れ切れに言って(あるいは本当に息が続かなかったのかもしれない)、わたしは頬を伝う一筋の涙が彼女に落ちないように頭を上の方に向けた。
それにつられて、娘も顔を上げた。
ベッドサイドのチェストの上に窓があった。正方形の小さな窓だ。
ただ今が真っ暗な夜ということだけがわかる。
娘が、ママ、とささやいた。
どうしたの? と尋ねると、彼女は目をつむってこう答えた。
「星が、きれいだね」
わたしは頷いて、
「ねえ、あのとき、流れ星を見て、何をお願いした?」と聞いてみた。
返事はなかった。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
プログラマー(≒ITエンジニア)の服装ってパーカー、Tシャツ、ジーパン、スニーカーorサンダルが最大公約数なのは間違い無いと思う。
理由は「着やすいから」「買うのが楽だから」「動きやすいから」がほとんどだけど、言うほどジーパン動きやすいか?動きやすさで言ったらジーパンスウェットの方が絶対動きやすいじゃん。ジーパンって、洗うのもめんどくさいし乾かすのめんどくさいじゃん。プログラマーのみんなが思ってるよりずっと繊細な服だと思うよ、ジーパン。
つーかサイズ感合ってないし頭髪も適当だからシルエットが全体的にダサい。でも無駄にオシャレしようとしたって今更どうにもならないだろう。プログラマーはどうせ何を着てもダサいから効率とか合理性に全振りした格好にしていこうぜ。
コードを書くことに集中できる服装でいうなら、サイズ感を考える必要がなく、脱ぎ着しやすくて、洗いやすく乾かしやすくて、動きやすく、調達しやすい服装、っていうのが条件になるけど、これらを満たす服装って、もうジャージかスウェットしかないじゃん。
食事中にげっぷをしたり、食器を叩いて音を出したりするのはマナー違反です。それと同様に、麺を音を立てて啜る行為もマナー違反です。「食事中に不必要な音を立てない」というのは、普遍的なマナーであり、麺を啜る行為も当然この範疇に属します。
この「普遍的」というのは、単に多くの地域で習慣化しているということではありません。普遍的というのは、「その背後に覆しがたい道理がある」ということです。たとえば、世界には非民主主義国家の方が多いのですが、それでも、人権や民主主義といった概念は政治の普遍的な理念なのです。「麺を啜るのがマナー違反」というのもそれと同様です。
ところが、世の中にはこの「麺を啜って食べる」という行為に、先入観無しに考えれば異常としか言いようのない執着を持つ人たちがいます。一体彼らは、なぜそんなつまらないことに拘るのでしょうか。
そもそも、「麺を啜るのはマナー違反」という意識がなくとも、他人から「それ(麺を音を立てて啜ること)不快に思う人もいるからやめなよ」と言われれば、普通の大人ならば素直に改めるでしょう。それを、あれこれと屁理屈をこねて自分の行為を正当化しようとするのは、大変みっともないです。
もし、「ごみは分別して捨てて下さい」とか「靴を脱いだら揃えて置いてください」などと言われたら、あえて反抗する大人はいないでしょう。それに対して、「リサイクルは余分にエネルギーを使うから無意味」とか「結局、収集業者が分別するんだから俺がする必要は無い」とか言って周囲に合わせない人がいたら、相当非常識です。
他人に注意されても麺を啜るのをやめない、それどころか屁理屈をこねて自分の行為を正当化することは、客観的に見れば子供っぽいと思われるだけです。やめましょう。
麺を啜る行為を正当化する一部の人の中には、「麺を啜るのは日本の文化だ」という主張をする人がいます。
常識で考えて、そんな「文化」があるわけがありません。落語などで麺を食べるときに音を立てる表現をするのは、単なる「演出」のためです。もし、これを「文化」だと本気で思い込む人がいたら、言い方は悪いですが、相当頭が悪いです。
第一、マナー違反を指摘されて、「それは日本の文化だ」と言うのも、冷静に考えて情けない話だと思います。
麺を啜ることを正当化する理由の一つに、「啜ることで風味がよくなる」というものがあります。
食べ物を空気と一緒に口に含むことで、その空気が鼻から抜けることにより、食べ物の風味をより一層感じることができると言われています。ソムリエがワインを鑑定する際に、ワインを口に含みながら空気を吸うのはこのためです。この例は、麺などを啜るのを正当化するためによく引き合いに出されます。
この理屈は一見説得力があるように見えますが、根本的に間違っています。何が間違ってるかと言えば、「あなたが食べ物を最大限美味しく味わう食べ方」と「マナー」は別の問題だということです。たとえば、「動きやすいから」といって、葬式や結婚式にジャージやスウェットで行っていい理由にはなりません。そもそも、例に挙がったソムリエも、品評の場以外の公の席で、ワインを口に含みながらジュルジュルと音を立てたりはしません。
うちの町には、やばいおじさんが沢山いる
学校の近くでも「ウオーーッ!!!!!!」と叫んだりするおじさん
自分が学生の頃、一緒に歩いていた女の子が追いかけ回されて、泣いていたな
スウェット姿で町を歩いて、下半身をずっと出して、よだれがダラダラのお兄さん。
その人のおうちの前を通った人が、2階からおしっこかけられたとか言っていた。
声掛け事案、不審者事案なんて毎度のことなので、注意喚起の町内放送とか、学校の不審者情報とかを見た人は「ああ、○○おじさんか」のような反応をする。
あだ名がついてしまっているだいたいの人が、ここの人か、もしくはいたけど通うのをやめている人かだ。
そういう人たちを沢山見てきたわたしは、「障がいを持つ人は、人の支援を必要としている」と強く思うようになったよ
きっと、あだ名がついてしまっている人達、あの○○おじさんや、○○おばさんたちは、自分を手助けしてくれる、見ていてくれる人が居ないのだと思う。
居たとしても、野放し(言い方が乱暴ですね)にされているので、居ないに等しいと思う。
スケート靴を履けないまま、スケートリンクに出た人間が、転ばず人にぶつからず歩いて行けるわけがないと思う。
障がい者への差別や視線を語る前に、まず行動から議論したらどうだろうか。
と、思ったよ、増田を見て。
ふと、生まれ故郷の事を思い出し、最近コロナとかで帰れていないからグーグルマップで散歩してみたんだ。
小学校の頃に仲の良かった双子がいた。一緒に遊んだりゲームをしたり。
低学年の頃は良く遊んでいたんだけれど、クラス替えなんかで友達も変化したこともあって高学年になると疎遠になっていた。
中学生の頃かな。片方がいじめに遭っていた。そして不登校になった。
いつの間にかもう片方も不登校で結局中学校の卒業式には二人とも現れなかった。
両方おとなしい性格で、成績優秀でもスポーツが得意でもないいわゆる陰キャ的な雰囲気だったが、いじめとはそんな些細なことから始まる。
何処に進学したのか、それ以降は音沙汰もない。
ぼさぼさ頭で肩まで髪が伸び、グレーのスウェット上下を着ていた。なぜか記憶に残っている一場面。
声もかけずにただすれ違っただけだった。こちらの事に気が付いていたのかは分からない。
グーグルマップで散歩。子供の頃に良く遊びに出かけていた双子の家の前まで行ってみると、荒れ果てた家だけが残されていた。
表札も外され庭には枯草だらけ。プロパンのガス管が外されていたことから空家になっているんだろう。
ふと思い出したことを書き残しておこうと思う。
夏休み直前に俺から告白して付き合った人生で二人目の彼女、高校に入ってからは初めての彼女だった。
当時俺は4月生まれだから17歳、彼女は3月生まれだから16歳。
見た目も超童顔で幼く背もかなりチビだったが胸だけはクラス一の巨乳だった。
ちなみにディズニーランドに閉園までいると彼女の住んでいる地域は田舎のため終電を逃すのでその日は俺の自宅に泊まる事になった。
親父は仕事でいないが母親と弟は家にいるからちょっと恥ずかしかった。
家に着いた時刻は0時を超えていた(ディズニーランドを22時に出たため)
とりあえず疲れてるのでお互い布団でゴロゴロした。
彼女は携帯でブログを更新するため1日の記事を書き込んでいたり俺の中学の頃の卒業アルバムや浦安鉄筋家族というマンガを見てゲラゲラ笑ってた。
お互い真夏だし汗をかいていたのでサッパリした。そして疲労から睡魔も襲ってきた。
お菓子を食べながらしばらくは話してたが結局寝る事になった。人生で初めて女性と寝る事に俺は興奮していた。
彼女は「寝顔見られたくないから見ないでよー!」と言ってきた。
結局しばらく寝ないでじゃれあってた。
しばらくして彼女が手を握ってきた。
童貞である俺は「キスしていい?」とさりげなく聞いた。 次の瞬間彼女は俺にキスをしてきた。
ちなみに初デートの時にキスをしてるからこれはファーストキスではない。でもやはりドキドキはした。
しばらくして俺は異変に気づいた。なんと彼女は舌をいれてきたのだ!
「舌入ってるよ(笑)」俺は頭が真っ白になりこう言った。
彼女は「やだ?」と聞いてきた。とんでもない!!!と思い今度は俺から再びキスをした。勿論自ら舌を入れた。俺は17歳にして人生初のディープキスをした。
お互い夢中で抱き合いながら舌を絡ませてた。
キスだけで30分以上してた。勿論だが所々で無言の休憩を挟みつつね。
もうこの際言ってやった。「胸が当たってるよ(笑)つうか大きいし(笑)」と。
俺は彼女の背後に周りブラジャーの上からオッパイを揉んだ。 この時はフルボッキでチンコが爆発しそうだった、そうシコらなくても射精しそうなくらい。
途中で勝手にブラジャーを取り生でオッパイを触った。乳首もつまみまくった。
俺は背後から前に移動してついに彼女のオッパイを初めて生で見た。
乳首が薄ピンクではない事にやや萎えたが彼女の喘ぎ声に完全にやられて俺は半分壊れていた。
もうどうにでもなれと吹っ切れて乳首を吸ったり噛んだりもした。彼女の喘ぎ声はさらに大きくなった。
パンツの上から股間を触るとあり得ないくらいビショビショに濡れていて驚いた。
この時まであまり信じてはいなかったが女は興奮するとマンコが濡れるのだと改めて知った。
しばらくずっとディープキスをしながらオッパイを揉んだり乳首をつまんだりパンツの上からマンコを触ってた。
もういいだろうと思いパンツを脱がした。彼女も抵抗は全くなかった。
初めて同い年の女のマンコを見て驚いた。幼い顔をしてるがAVで見るのと変わらず普通にマン毛がボーボーに生えてるという事実に。
俺はついにマンコに指を入れる決意をして人差し指をいれてみた。
「温かい・・・・むしろ熱い」真っ先にこう思ったわ。グチャグチャしてて指にキュッと吸い付いてくる、そして温かい。
その後は指マンをしばらく続けた。
エロ知識を生かして傷つけないようにとなるべく優しく長時間やった。
マンコを舐めてみたくなり初のクンニもやってみたたが口にマン毛が入ったり、しょっぱかったり、
夏だけあって匂いがキツく(尿と汗が混じり発酵したような匂い)萎えたのでほとんど指マンをメインに切り替えた。
俺も相当股間が熱くなった。
彼女に再び密着して熱くなった股間を彼女の尻の割れ目にグリグリ擦り付け
彼女に「俺のも舐めてよ」と思わずこう言った。ぶっちゃけかなり恥ずかしい。
彼女に笑顔で「いいよ~」と言われ俺はズボンとパンツを脱がされた。初めて女性に勃起してるチンコを見られたため正直死ぬほど恥ずかしかった。
彼女は最初舌を使いチンコの先端を舐めてた。次第にチンコ全体を口にくわえ始めた。
思った以上に口の中も温かく唾液がローションのように気持ち良くフェラに感動した。
想像より何倍も気持ち良い。フェラの「にゅるっ!」て感覚に気持ち良すぎて鳥肌がたった(笑)
もう今夜童貞を捨てるしかないと思い俺は彼女を押し倒して生のままチンコをマンコにいれた。
俺は念願の初セックスを楽しもうと正常位とバックを何度も吟味した。
ちなみにバックだとケツが覆い被さり穴が見えにくくマンコとアナルの位置を間違えそうになってしまい彼女から熱い指摘を受けた。
バックだと途中でチンコが抜けたり童貞の俺には難しいため正常位で彼女と抱き着きあいがらキスをしてずっと腰を振ってた。
彼女の喘ぎ声とマンコのグチャグチャ感と温かさ、チンコに吸い付く感覚がとにかく気持ちよくついにムズムズ感が我慢出来なくなり彼女の腹に射精した。
俺が「生だといつ出るか分からないからなんかプレッシャーがかかる、ゴムがあればな~」と言った。
それから話し合い俺達は俺が二回戦に向けて近所のコンビニにコンドームを買いに行く事になった。
そのまま部屋に戻り二回戦を始めた。俺が二回戦が終わった頃には4時を過ぎていたwwwww
母親も弟もまだ寝てるためこっそりと一階へ行き二人で風呂に入ってイチャイチャした。
一晩にして女の身体を物凄くしった一日だった。
ヤリマンと言ってくれ。ビッチと言ってくれ。罵られて当然な人間なのは分かってる。でも、どうにも一人で消化できない気持ちを聞いてほしい。
当方、女、独身。年齢は身バレが怖いからはっきり書かないけど、割といい歳。
大学時代に恋愛で拗らせてから、今までずーっとヤリマンビッチで生きてきた。歴代彼氏は4人しかいないけど、経験人数で言ったら50人は超えていると思う。一回きりの男の顔なんて忘れちゃうから、正確には数えてないけど。
若い頃は「何で自分は誰かのセフレにしかなれないんだろう?」とか「セックスすると男から連絡が途絶える、、、」とか、「ザ・セックスすると重くなる女」の典型だった。(この辺の知見については、また今度書きたい)でも、歳を重ねて自己が確立していくにつれて、こういう気持ちを持つことも減っていって、能動的にワンナイトセックスを楽しめるようになった。
「彼氏はいないけど、セックスする男は切れない」状態で、私は毎日独身生活を謳歌していた。
そんな私に、久しぶりの彼氏ができた。それも、合コンとかナンパっていう、私にとっては「その日にヤる男を調達する」場で出会ったわけではない、真っ当な真っ当な彼氏が。
彼氏は、私なんかにはもったいないぐらいのイイ男。いい歳してしょうもない、こんな私の良いところを見つけてくれるし、悪いところがあったら叱ってくれるし、お互いの今までの人生を語り合って、認め合った。(だから彼氏も私の過去は知っている) 「この人となら将来を考えられる」と初めて思えた男性だし、彼氏には、人を愛する・人に愛される素晴らしさを教えてもらった。
ただ、残念ながらその大好きな彼氏が、地方に転勤することになってしまった。
初めは寂しかった。でも、私もいい大人だから、数ヶ月も経つと1人の生活に慣れてきた。
過去、独身生活を謳歌していた時のように仕事と趣味に明け暮れる毎日。ただ昔と違ったのは、合コンとかクラブとか、出会いを求めるような場所に自ら行かなかったこと。元から「性欲でセックスするタイプ」ではなくて、「この後セックスするかな、しないかな、という興奮した状況の中でデートをして、お酒の流れで致しちゃう」みたいな、ナシ崩し的雰囲気が好きなタイプのヤリマンだったから、特段セックスを必要とする女ではないってことが大きい理由だと思う。特に性欲もないなら、よく分からん男とヤる必要もないし。あとは何より、その辺にいる男より彼氏の方が好きだったってことも勿論ある。
こんな感じで、退屈だけど生産的な毎日を過ごしてた。ついこの間までは。
そう、この間、めちゃめちゃタイプの男にナンパされた。これが、コリドー街とか六本木とか出会いを求めているような男女が集う場所でナンパされていたら、私も靡かなかったと思う。でもそのナンパ男は、「今ここでナンパする?」っていうありえない状況の中で私に声をかけてきた。
例えるのが難しいけど、地元のスーパーで昼間買い物をしていて、さぁ帰ろうってスーパーから出ようとした時に、ナンパ男が私のことを追いかけて声をかけたきたって感じの状況。私は、スッピン・髪ボサボサ・スウェットという、可愛さのかけらもない身なりだったのに。言い訳になってしまうけど、全くそういう気分じゃなかったから私も初めは断ったよ。でも、このナンパ男が「あなたのことがすごくタイプで、どうしてもデートしたいから追いかけちゃった」って息切らして言うんだもん。しかも私のどタイプの容姿と話し方で。
まんまと連絡先を交換してしまったよ。
そこからの展開は増田たちの想像通りだから省略。ナンパされた翌日の夜にはデートして、そんでもってセックスした。
大好きな彼氏ができて、真実の愛を知ることができて、いよいよ私も「上がりだな」って思ってたんだけどさ。
どんなに大切な人が出来たとしても、ヤリマンビッチの根本は変わらない、変われない、いや、自分変わる気がないのかな?ってモヤモヤするんですわ。
あとさ、このナンパ男は「女たらし」って感じの男なんだけれど、こういう男って昼間のスーパーでもヤリマンビッチを嗅ぎ分けられる嗅覚をお持ちなの?
私のヤリマンビッチ臭はここ数年で影を潜めていたはずなんだけど、やっぱり消えないものなの?
結婚したとしても、こういう機会があったら絶対に他の男と寝てしまうから、そんな自分にも怖くなってる。
普通の女性だったら、まず彼氏以外と生理的にセックス出来ないだろうし、それにヤリマンビッチ臭も発さないから、こういう女たらしに声もかけられることもないだろうし。
どうすればいいんだろう。病気の治し方、誰か教えて。
私は地方公務員の女だ。関東圏のとある都市の市役所で働いている。
私立の大学で文系科目を修め、リーマンショックの時期に冗談抜きで大手民間企業100社に祈られ、ほうほうの体で公務員になった。だから、私は民間企業を知らない。営業職が何をするのかも、経理に経費を精算をしてもらうまでのやりとりも、接待も海外出張もテレワークも何もかも知らない。
「公務員は9時5時でやる気がない」「公務員はノルマがないヌルい仕事」「公務員は民間では全く役に立たない」という世間の評判に翻弄されながらも、サビ残を厭わず、クレーマーにも笑顔で耐え、上司の無茶振りにも嫌な顔をせず、地獄のような霞ヶ関出向からも生還した。
公務員としてはよくやっている方だと自認しているし、一定の評価ももらっている。しかしながら、私の心の中はいつも「私は民間を知らない」というコンプレックスに苛まれていた。私の苦労は民間の社員の苦労に比べたら大したことはなく、私の仕事っぷりは民間では全く歯が立たないと、信じていた。
そんな私だが、最近、民間企業の同年代の女性社員たちが参加するマーケティング系のワークショップに、縁あって参加した。
私のグループは私を含めて4人の参加者がおり、彼女たちが働く企業は、みんな私が志望しては玉砕した大手企業だった。私はただ1人のノルマを知らない公務員というだけでなく、彼女たちが勤める企業に採用されなかった劣等生でもある。私は初めから彼女たちに対して卑屈な気分になっていた。
グループの女性たちは、みな堂々と社名を名乗り、民間の総合職の女性らしい華やかさだった。グラデーションカラーの髪や、テレワーク中で、と照れ笑いするスウェット姿は、私が普段暮らす役所の中ではついぞ見かけない。彼女たちはzoomの画面越しに自己紹介した私の顔を見て、
と聞いてきた。私は微笑み、
「公務員って聞くとそういうイメージあるよね。でも私は企画部門だよ。経営戦略を立てるところ」
とできるだけ丁寧に答えた。彼女たちはよくわかっていない様子だったが、そうなんだ、と明るく答えた。
ワークショップのテーマは地方創生だった。私の本分である。私はみんなの意見を聞き、地方創生の実態や課題について話すのがいいのかな、と自分の中で役割のあたりをつけ、議論に参加した。
1人の、某携帯キャリアのマーケティング職の女性が口火を切った。
「地方は元気がないから、地方に元気を与えるような、そう、例えば都心の子供と地方のお年寄りを繋ぐサービスはどうかな?」
「もしそうなったら素敵だね。そうしたら、そのサービスで、どんな地方の課題が解決できるのかな?どんな価値が生まれる?」
私が尋ねると、マーケティングの彼女は考え込み、代わりに引き受けたのはインフラ系企業の研究職の女性だった。
「地方のお年寄りはやることもなくてきっと寂しいよ。それに、自分の知っている地域の遊びとかを教えれば、子供も楽しんでくれるし嬉しいんじゃない?そうだ、忙しいワーキングママの代わりに子供の面倒を見てあげられればいいよ!ねえ、そういうの、いいんじゃない?」
「確かに高齢化が進む地域は子供が減ってるから、寂しいと感じる人もいるかもね。共働きのお母さんも仕事に家事にで忙しいもんね。じゃあ、そのサービスは、どうやって収益を出すの?」
私が再び尋ねると、今まで微笑んでいるだけだった自動車メーカーの広報担当の女性が、やや苛立った様子で言った。
「そんなの地方がお金を出すんじゃない?だって、『地域が元気になる』んだよ?」
残りの2人も、私を非難する目つきで見、メーカーの彼女に続いた。
「そうだよ、お年寄りが元気になれば、地方も助かるんじゃない?」
「やってみないとわかんないんだし、まずはこれで話を始めようよ。細かいこと言ってたら、始まらないよ」
みんなの表情には、ありありと「だから公務員は頭が固い」「民間のスピード感が分かっていない」と書いてあった。私は弱々しく笑い、
「地方の自治体も、慈善事業じゃないから、何のために地元のお年寄りと都心の子供を交流させるか分からないと、お金は出せないと思うよ」
と答えるのがやっとだった。
その後、私と彼女たちは噛み合うことなく、それでも私たちのグループは地方のお年寄りと都心の子供をマッチングさせ、zoom上で昔ながらの遊びを教えるプラットフォームを製作する企画書をまとめた。ステークホルダーは、地方のお年寄り、子供、子供の面倒を見てほしい親、そして地域活性化を目指す自治体であり、「地域活性化」を目指す自治体が出資するシステムである。「民間のスピード」に、私は口出しをすることができなかった。
私は民間企業を知らない。就職活動をして、100社から断られたからだ。新卒で市役所に入った。出向していた時期もあるが、それも霞ヶ関でだったので、結局はお役人の仕事しか知らない。根っからの公務員だ。なので、民間企業の社員に激しいコンプレックスを持っている。私の知らない、私なんかには絶対に成し遂げられないことをしている人たちが、羨ましくて恐ろしかった。
だけど、地方の年寄りがzoomで見ず知らずの子供の子守りをするサービスの企画書に、いらすとやのイラストを貼り付けながら、私は一体何に怯え、何に憧れていたんだろう、と思った。公務員はぬるくて、民間企業は厳しい。公務員は劣等、民間企業は優秀。でも、そんなの会社によることだろうし、優秀か否かだって社員によって異なるだろうに。
ワークショップは淡々と進み、私たちの班の企画書は、講師から「このサービスに本当にお金を出せるのか、今度どこかの役所に聞いてごらん」という感想をいただいた。まあその通りなんだけど、と私は内心で下唇を突き出した。それでも、彼女たちは一様に満足げであった。私以外は東京の企業に勤めているので、週末リアルで会うそうである。私に対しても、礼儀正しく「東京まで会いに来ないか」と尋ねてきたが、私は真面目な公務員らしく、緊急事態宣言中を理由に断った。
ワーク感出てるでしょ?
そう思うけど、
早く飲みに行くなら飲みに行かないと
20時までに仕上げないといい気分にならないじゃない。
もう街はそのぐらいには真っ暗で、
まだ20時なのによ!ってこのただならぬイキフンの中
夜の道をとぼとぼと歩いて行かなくちゃ行けないのよ。
銭湯とかの灯りは煌々と灯ってるけど、
そこだけは賑やかなのよねー人で溢れているというか、
そこだけ密じゃないの?って言いたさげだけど、
スウェット!って感じで
もう一踏ん張りだから
あとは無事終わりますように!って
あ!そう言えば近所の神社の鈴鳴らす紐が新しくなってたので
自分自身が救えなかった、
抱きしめたバブのように儚く消えていくのよ。
ユーチューブで何々を救うって言い方が流行ってるわけなのかも知れないわね。
よく分からないけど、
だからその日までは
ちゃんとしっかり鈴を鳴らしてみてあの丘の上で!
すっかり見なくなったあのWindowsXPの壁紙の丘で会いましょ!って約束するぐらい。
あの壮大なWindowsXP丘をみると
ゼルダやらなくちゃって思うけど、
いったいどのぐらい料理すればいいのって料理名人になってしまいそうだし、
かれこれ1ヶ月ぐらいはゼルダ立ち上げてないのに、
私はなにを攻略したらいいのかと
私にはまだオープンソースは早かったのかしら?って
デミーな気分で言いたいぐらいよ。
もう私はクリアした1つの祠の前でずっとなんか磁石みたいので鉄を持ち上げたりしてみてるけど、
そんなことしても
うふふ。
またまたあったわよ
もうちょっと時間帯早かったら結構揚げたてほんのり暖かいからなおのさら美味しいのよ。
今朝の心の川柳詠んでみたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!