はてなキーワード: スウェットとは
元アパレル店員なのだが 元増田が普段どんな店行っているかとかに言及しているわけじゃないので悪しからず
例えばプチプラ系の服屋とかイオンの中にある服屋(いわゆる自店のコンセプトを持たない流行りで店内の商品が決まるようなところ)は現在の流行で決まるので、どんな人でも着れるような服はあんまり置いてないんだよね
そして今はそういう店がものすごく増えてて、イオンモールの中なんてほぼそういう店だからね…(田舎民)
服に対する選択肢がすごく少ないんだよね、今は
もし好みの服があったとしても、ほとんどの洋服がフリーサイズ(ワンサイズ)なんですわな
着る服を選べない〜と言っている人に対して「じゃあユニクロとかGUとかしまむらに行けばいいじゃん!」はあまりにも可哀想じゃん。
選びたくて悩んでいるんだろうし…
最近の店、流行りを追うのはいいけれどサイズの選択肢くらい増やしてくれてもいいよなーっておもう…。その分プチプラとか手軽さとかを謳うのは難しくなるだろうけども…。
たとえばオーバーサイズのスウェットやニットでも、その人に合ったサイズのやつを着ればすごくいいんですよ。(それもうオーバーサイズじゃないやろっていう)
165cmの人がMサイズのオーバーサイズを着てちょうどいいって、つまり165cmの人にとってちょっぴりオーバーサイズで可愛いよね(ダボダボっぽい形になっているから、ダボダボってわけではない)ってなるが、
150cmの人が同じMのオーバーサイズ着たらそれはもう本物のダボダボなんですわ…
プチプラなんか買わないが?って人は普通にPARCOとか行ったらいいと思う。全然そんなの売ってないから 多分 知らんけど
自分も女なのに靴のサイズが26cmで、自店の靴が履けずに悲しい気持ちになったことがある。
極端な例に全部が全部合わせてくれるのは難しいことは分かっているんだよな
でもそれでも、ターゲットをめちゃくちゃ絞られている現状は変えることはできるはずだし、そうであってほしい ただS M L XLを置いてくれるだけでええんや、それだけなんや…
ダサいボディバッグの話題でいつも貼られるあのバッグ、「BODYBAG 7color」って書いてある画像。
アレを例にして話をする。
まず、これを小学生が背負っていてもダサいとは全く思わないと思う。
ファッションにうるさいお姉さんも、お兄さんも、文句は出てこないと思う。
ただこれを大人の男が背負うとダサいとかデートにこの服で来たら帰るとか言われる。
※ボディバッグ自体が全部NGというわけではない。記事を最後まで読んでもらえたら意味がわかると思う。
ご存じの通りバッグにはいろんな種類がある。
サイズ大小様々、布か革か、持ち手の有無、背負えるか、チャックかボタンか、ベルトか…
服ならどうか。ビジネススーツとスウェット上下、どちらが「大人アイテム」かは誰もが分かると思う。
ざっくりとだが「子供があまり着てないもの」を「大人要素」としてカウントすると分かりやすい。
・ボタンが小さい、もしくは隠れている
・着るのに時間がかかる
・高級な生地
・ケアが大変
・両手が空かないバッグ
・天候に左右されやすい
・伸びない生地
・モノクロ
・重い
・装飾が少ない
・ポケットがない
同じ要素を逆転すると子供服になる。
・簡単に着られる
・手頃な生地
・両手が空くバッグ
・フードつき
・カラフル
・軽い
・装飾が多い
・ポケットが多い
※ただし子供要素は「アウトドア」「スポーツ」の要素でもある。後述する
・ボタンが小さい、もしくは隠れている(飾りボタンや見えやすいファスナーなどはない)
・重い
・革製品
・モノクロ
・両手が空かない
・天候に左右されやすい
・高級な生地
・ケアが大変
これにショルダーが付くと「両手が空く」になり子供ポイントになり大人ポイントが-1減る。
ナイロンになると「ケアしやすい」になり大人ポイントが-1減る。
こういう風に物に対して大人の要素が多いか子供の要素が多いか割り振っていく。
ビジネスリュックはできるだけ子供ポイントが増えないよう配慮してデザインされている。
本体はレザー(多分フェイクレザー)だけどクタクタで柔らかそう。
背負えて、カラフルで、ファスナーはダブルが二つもついてるし取っ手も大きい。
白いパイピングが目立ち、ハトメなどの金具も目立つ。謎の装飾(紐)もついてる。
同じ形でも黒一色でファスナーも同色で小さくなったらかなり違うと思う。
スポーツミックス=「全身スポーツアイテムで固めると変だから、街着にするため他のものとうまく組み合わせる」という意味だ。
先ほど子供服と言ったポイントはアウトドアにはもってこい…というかそれが推奨だ。
ただそれを着ていく先は山か体育館なのか?違うだろう、ショッピングや、デートだ。という話。
皆(おしゃれな人、もしくは女のいう「普通の人」)形は子供だから他の要素は大人で固めよう。とか考えて服を選んでいる。
もしくは無意識でそう感じてコーディネートをしている。
即ち、大人があのバッグを持つだけで「年齢とTPOに合った服を選べないおじさん」が爆誕してしまうのだ。
大人の恰好というのは、重く、堅苦しく、値段が高くて洗濯ができなくてしわになって…と着ていて良いことが全くない。※
見た目が大人になるだけなのだがそれが「外見を整える」「年齢相応になる」ということなんだ。
一人でいるなら誰も貴方の見た目など気にしないだろう。
だからこれは他人の目が気になる人や他の人から良い印象を持たれたい人向けです。
気にならないならこんな長い記事読まないしね。
某メーカー勤務なんだけど、修行の一環で地方の生産工場に2年間赴任してた。
そこの工場で働いてる奴らの通退勤時の服装が、とにかく酷かった。
「え?パジャマ?」と見紛うようなヨレヨレの上下スウェットで、田舎道をノタノタと歩く者、
センスが高校生時代から変わってなさそうな、意味不明の英単語がでかでかとプリントされたTシャツで堂々と歩くおっさん、
地味にもほどがある柄シャツ一枚はおってのうのうとあるくお姉さん、
野バラのようなくすんだ赤色のパーカーを夏でも冬でも羽織り、どこで見つけてきたのか、まったく同じ色のスニーカーを履き、ここまで「野バラレッド」にこだわっていながら何故か群青色のジーンズといういで立ちのオールバックおじさんなどなどなど…。
都心じゃなかなか見ない感じの人たちばかりだった。
見られる目がないと、何にも気にならないのかな。
最近ユニクロが「JEANS AGAIN」というキャンペーンを大々的に打ち出してジーンズ需要の掘り起こしを図っているけれど、果たして今更ジーンズを履く人が増えるものなのだろうか。ジーンズって伸びは悪くて動きにくいし、乾きは悪いし、タイトで重いし、夏は暑いし冬は寒い。それらの欠点を克服すべくデニム素材も進化しているとは思うんだけど、同様に進化をし続ける化繊のパンツやスウェットパンツに比べると相変わらず着用感の劣った素材であることは否めないと思う。ジーンズは20世紀後半を代表するファッションアイテムだったとは思うんだけど、正直賞味期限が切れてるんじゃないかと感じている。若い子でジーンズ履いてる子なんて全然いないし、年齢のいった人が敢えて着にくくて動きにくいアイテムを選ぶとは考えにくい。パンツのバリエーションのワンオブゼムとして生き残ることはあっても、昔のように一大ファッションアイテムとして再ブームが起こる気が全くしない。
ユニクロは数年前にもジーンズを再発明的なことを謳ってジーンズの復権を図っていたけれど結局うまくいっていなかった。ユニクロがここまでジーンズにこだわる理由が正直不思議である。柳井さんの個人的なアメカジへの憧れとかだったりするのかな?
静かな夜だった。
幼い娘が電気を消して欲しいと言うから、わたしは寝室の常夜灯を消して、ベッドに横たわる彼女の隣に寄り添った。
「ママ、苦しくない?」
娘はそう言うと、チューブを自分の鼻から外して差し出した。わたしはそれを受け取らず、代わりに小さな手を握り返した。
「お母さんは大丈夫、もう少し吸っていなさい」
そう言うや否や、自分の肺の底から咳が込み上げてきた。身体を反転させ、娘に背を向けて咳き込んだ。
同じ病気にかかっているから、こうすることにたいした意味はないのに。
わたしは枕元のチェストに置いたティッシュペーパーをとって痰を吐き出した。
薄闇の中で、それはどす黒い血のようにも見えたが、さすがに気のせいだろう。
娘は健気にわたしの背中をさすり続けた。その柔らかな皮膚と荒いスウェットの生地が擦れる音は、世界で一番優しい音だと思った。
幼な子の咳は軽やかで愛らしいけれど、自分が重たい咳を吐き出すときよりもよほど強くわたしの胸をしめつけた。
......あのとき帰省しなければこんなことにはなっていなかったかもしれない。ワクチンだってまだ打ってなかった。
そのことを娘に詫びると、彼女はこう言ったのだ。
「そうだね、流れ星も見れたね」
あの夜、星が天球の上を一筋に流れたとき、とっさに願ったのはこの子の幸せだった。
「ねえ、ママ、お水が飲みたい」
「待ってて」と言って、わたしは橙色のルームランプをつけ、スリッパを履き、ベッドから立ち上がった。
足元には、フローリングを埋め尽くすほどたくさんの観葉植物が並べられていた。
わたしたちの感染がクリニックの外来で証明されて、だけれども入院できる施設がどこにもないと知ったとき、帰りに立ち寄ったドラッグストアで買ったものだ。
髪の薄い男性店員が、眉を八の字にして申し訳なさそうに宣告した。
だったらどうしたらいいのよ! といつものわたしだったら食い下がっていた場面だろう。
もうそんな元気がなかったのもあるし、何より社会全体が何かを諦めてしまったかのようなムードに包まれていたから、わたしは何も言えなかった。
調剤室の前のベンチにはたくさんの人が座っていた。
みんな、まるで負けることを知った試合を消化するチームメイトのように、うつむいて、冴えない顔つきをしていた。
結局、わたしたちは酸素ボンベの代わりに、たくさんの鉢植えを買ってきた。
植物が光合成をしてくれたら、部屋の酸素濃度が上がるかもしれないという、浅はかな考えだった。
ドラッグストアからの帰路、緑を満載した赤いコンパクトカーの後部座席で娘は咳き込みながら笑った。
「また行きたい、フラワーパーク」
「うん、行こうね、必ず連れていくよ」
返事はなかった。
白いマスクと、冷えピタシートに挟まれた可愛い目を細めて、彼女はそのまま寝てしまったのだ。すーすーと穏やかな寝息を立てながら。
わたしは安堵して、赤信号が青に変わったのにしばらく気がつかなかった。発進を急かすクラクションがやけに遠くから聞こえた。
あれからまだ三日しか経っていない。いや、二日だったか? すでに、寝室とダイニングキッチンを往復するだけでも身体が重く、息苦しい。
洗っていないコップに水を注いで、一口飲む。
水はもとより味がないから助かる。
昼間に食べた卵がゆは、まるで湿地帯から採取した粘土のようだった。まだ喉の奥にひっかかっている気がする。
味が濃いはずのものを口にして、その風味を感じられないことがあんなに不愉快なこととは知らなかった。
昼間に洗って水切りかごに伏せておいた子ども用のプラスチックのコップに水を注いで、寝室に戻った。
ルームランプに照らされた黄色いコップには、アニメのキャラクターがプリントされていて、屈託のない笑顔を永久に固定していた。
娘はマットレスに手をついて起き上がると、壁にもたれかかって、コップの水をゆっくり飲んだ。
枕元に転がっている酸素ボンベをちらりと見る。これが最後のボンベだった。
フリマアプリで、とんでもない高額で取引されていたものだ(たぶん違法だ)。だから何本も買えなかった。
配送を待っていられなかったから、車で片道二時間かけて取りに行った。古い戸建てに住む、中年の男性だった。
まいどあり、と言ったあの笑顔が、がたがたした歯が、家の臭いが、忘れられない。
......彼は一体どうやってあんなにたくさんのボンベを手に入れたのだろう……どうだっていい!
帰りの高速では意識が朦朧として、事故を起こしそうになったっけ。
黒光りする筒の頭の部分におもちゃみたいなメーターが付けられていた。針は、かなり傾いていた。
パルスオキシメーターで測定したわたしたちの酸素飽和度は、故郷の山の、空気の薄い山頂にいるくらい低い。
どうりで頭がぼおっとするわけだ。
N-95マスクをつけた医師に、少なくとも一分間に五リットル以上の酸素は必要と言われたが、もったいないからもっと絞って使っている。
酸素に味はないけれど、吸えば少し楽になるのがわかる。
「美味しかった」
娘がコップを差し出した。まだ水は半分も残っていた。
もういいの? うん、もういい。
チェストにコップを置くと、ランプを消して二人で横になった。それから娘の体を抱きしめて、小さくて丸い頭を撫でた。
髪の毛は柔らかく、少し湿っていて、甘い匂いがするような気がした。
「ママ、それ、ほっとする」
腕の中で彼女はそう言った。子守唄を歌ってあげたかったが、もう声を出すのもしんどくなっていた。
確かに、わたしの身体は震えていた。でもそれは寒さから来るものではなかった。
「大丈夫、咳を、こらえて、いる、だけ」
声がなるべく震えないように、切れ切れに言って(あるいは本当に息が続かなかったのかもしれない)、わたしは頬を伝う一筋の涙が彼女に落ちないように頭を上の方に向けた。
それにつられて、娘も顔を上げた。
ベッドサイドのチェストの上に窓があった。正方形の小さな窓だ。
ただ今が真っ暗な夜ということだけがわかる。
娘が、ママ、とささやいた。
どうしたの? と尋ねると、彼女は目をつむってこう答えた。
「星が、きれいだね」
わたしは頷いて、
「ねえ、あのとき、流れ星を見て、何をお願いした?」と聞いてみた。
返事はなかった。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
プログラマー(≒ITエンジニア)の服装ってパーカー、Tシャツ、ジーパン、スニーカーorサンダルが最大公約数なのは間違い無いと思う。
理由は「着やすいから」「買うのが楽だから」「動きやすいから」がほとんどだけど、言うほどジーパン動きやすいか?動きやすさで言ったらジーパンスウェットの方が絶対動きやすいじゃん。ジーパンって、洗うのもめんどくさいし乾かすのめんどくさいじゃん。プログラマーのみんなが思ってるよりずっと繊細な服だと思うよ、ジーパン。
つーかサイズ感合ってないし頭髪も適当だからシルエットが全体的にダサい。でも無駄にオシャレしようとしたって今更どうにもならないだろう。プログラマーはどうせ何を着てもダサいから効率とか合理性に全振りした格好にしていこうぜ。
コードを書くことに集中できる服装でいうなら、サイズ感を考える必要がなく、脱ぎ着しやすくて、洗いやすく乾かしやすくて、動きやすく、調達しやすい服装、っていうのが条件になるけど、これらを満たす服装って、もうジャージかスウェットしかないじゃん。
食事中にげっぷをしたり、食器を叩いて音を出したりするのはマナー違反です。それと同様に、麺を音を立てて啜る行為もマナー違反です。「食事中に不必要な音を立てない」というのは、普遍的なマナーであり、麺を啜る行為も当然この範疇に属します。
この「普遍的」というのは、単に多くの地域で習慣化しているということではありません。普遍的というのは、「その背後に覆しがたい道理がある」ということです。たとえば、世界には非民主主義国家の方が多いのですが、それでも、人権や民主主義といった概念は政治の普遍的な理念なのです。「麺を啜るのがマナー違反」というのもそれと同様です。
ところが、世の中にはこの「麺を啜って食べる」という行為に、先入観無しに考えれば異常としか言いようのない執着を持つ人たちがいます。一体彼らは、なぜそんなつまらないことに拘るのでしょうか。
そもそも、「麺を啜るのはマナー違反」という意識がなくとも、他人から「それ(麺を音を立てて啜ること)不快に思う人もいるからやめなよ」と言われれば、普通の大人ならば素直に改めるでしょう。それを、あれこれと屁理屈をこねて自分の行為を正当化しようとするのは、大変みっともないです。
もし、「ごみは分別して捨てて下さい」とか「靴を脱いだら揃えて置いてください」などと言われたら、あえて反抗する大人はいないでしょう。それに対して、「リサイクルは余分にエネルギーを使うから無意味」とか「結局、収集業者が分別するんだから俺がする必要は無い」とか言って周囲に合わせない人がいたら、相当非常識です。
他人に注意されても麺を啜るのをやめない、それどころか屁理屈をこねて自分の行為を正当化することは、客観的に見れば子供っぽいと思われるだけです。やめましょう。
麺を啜る行為を正当化する一部の人の中には、「麺を啜るのは日本の文化だ」という主張をする人がいます。
常識で考えて、そんな「文化」があるわけがありません。落語などで麺を食べるときに音を立てる表現をするのは、単なる「演出」のためです。もし、これを「文化」だと本気で思い込む人がいたら、言い方は悪いですが、相当頭が悪いです。
第一、マナー違反を指摘されて、「それは日本の文化だ」と言うのも、冷静に考えて情けない話だと思います。
麺を啜ることを正当化する理由の一つに、「啜ることで風味がよくなる」というものがあります。
食べ物を空気と一緒に口に含むことで、その空気が鼻から抜けることにより、食べ物の風味をより一層感じることができると言われています。ソムリエがワインを鑑定する際に、ワインを口に含みながら空気を吸うのはこのためです。この例は、麺などを啜るのを正当化するためによく引き合いに出されます。
この理屈は一見説得力があるように見えますが、根本的に間違っています。何が間違ってるかと言えば、「あなたが食べ物を最大限美味しく味わう食べ方」と「マナー」は別の問題だということです。たとえば、「動きやすいから」といって、葬式や結婚式にジャージやスウェットで行っていい理由にはなりません。そもそも、例に挙がったソムリエも、品評の場以外の公の席で、ワインを口に含みながらジュルジュルと音を立てたりはしません。
うちの町には、やばいおじさんが沢山いる
学校の近くでも「ウオーーッ!!!!!!」と叫んだりするおじさん
自分が学生の頃、一緒に歩いていた女の子が追いかけ回されて、泣いていたな
スウェット姿で町を歩いて、下半身をずっと出して、よだれがダラダラのお兄さん。
その人のおうちの前を通った人が、2階からおしっこかけられたとか言っていた。
声掛け事案、不審者事案なんて毎度のことなので、注意喚起の町内放送とか、学校の不審者情報とかを見た人は「ああ、○○おじさんか」のような反応をする。
あだ名がついてしまっているだいたいの人が、ここの人か、もしくはいたけど通うのをやめている人かだ。
そういう人たちを沢山見てきたわたしは、「障がいを持つ人は、人の支援を必要としている」と強く思うようになったよ
きっと、あだ名がついてしまっている人達、あの○○おじさんや、○○おばさんたちは、自分を手助けしてくれる、見ていてくれる人が居ないのだと思う。
居たとしても、野放し(言い方が乱暴ですね)にされているので、居ないに等しいと思う。
スケート靴を履けないまま、スケートリンクに出た人間が、転ばず人にぶつからず歩いて行けるわけがないと思う。
障がい者への差別や視線を語る前に、まず行動から議論したらどうだろうか。
と、思ったよ、増田を見て。