食事中にげっぷをしたり、食器を叩いて音を出したりするのはマナー違反です。それと同様に、麺を音を立てて啜る行為もマナー違反です。「食事中に不必要な音を立てない」というのは、普遍的なマナーであり、麺を啜る行為も当然この範疇に属します。
この「普遍的」というのは、単に多くの地域で習慣化しているということではありません。普遍的というのは、「その背後に覆しがたい道理がある」ということです。たとえば、世界には非民主主義国家の方が多いのですが、それでも、人権や民主主義といった概念は政治の普遍的な理念なのです。「麺を啜るのがマナー違反」というのもそれと同様です。
ところが、世の中にはこの「麺を啜って食べる」という行為に、先入観無しに考えれば異常としか言いようのない執着を持つ人たちがいます。一体彼らは、なぜそんなつまらないことに拘るのでしょうか。
そもそも、「麺を啜るのはマナー違反」という意識がなくとも、他人から「それ(麺を音を立てて啜ること)不快に思う人もいるからやめなよ」と言われれば、普通の大人ならば素直に改めるでしょう。それを、あれこれと屁理屈をこねて自分の行為を正当化しようとするのは、大変みっともないです。
もし、「ごみは分別して捨てて下さい」とか「靴を脱いだら揃えて置いてください」などと言われたら、あえて反抗する大人はいないでしょう。それに対して、「リサイクルは余分にエネルギーを使うから無意味」とか「結局、収集業者が分別するんだから俺がする必要は無い」とか言って周囲に合わせない人がいたら、相当非常識です。
他人に注意されても麺を啜るのをやめない、それどころか屁理屈をこねて自分の行為を正当化することは、客観的に見れば子供っぽいと思われるだけです。やめましょう。
麺を啜る行為を正当化する一部の人の中には、「麺を啜るのは日本の文化だ」という主張をする人がいます。
常識で考えて、そんな「文化」があるわけがありません。落語などで麺を食べるときに音を立てる表現をするのは、単なる「演出」のためです。もし、これを「文化」だと本気で思い込む人がいたら、言い方は悪いですが、相当頭が悪いです。
第一、マナー違反を指摘されて、「それは日本の文化だ」と言うのも、冷静に考えて情けない話だと思います。
麺を啜ることを正当化する理由の一つに、「啜ることで風味がよくなる」というものがあります。
食べ物を空気と一緒に口に含むことで、その空気が鼻から抜けることにより、食べ物の風味をより一層感じることができると言われています。ソムリエがワインを鑑定する際に、ワインを口に含みながら空気を吸うのはこのためです。この例は、麺などを啜るのを正当化するためによく引き合いに出されます。
この理屈は一見説得力があるように見えますが、根本的に間違っています。何が間違ってるかと言えば、「あなたが食べ物を最大限美味しく味わう食べ方」と「マナー」は別の問題だということです。たとえば、「動きやすいから」といって、葬式や結婚式にジャージやスウェットで行っていい理由にはなりません。そもそも、例に挙がったソムリエも、品評の場以外の公の席で、ワインを口に含みながらジュルジュルと音を立てたりはしません。
誰が決めたどこのマナーに違反してるの?
「食事中に不必要な音を立てない」というのは、普遍的なマナーです 誰が決めたとか、どこの国かとかは一切関係ありません。 無法国家でも人を殺してはいけないのと同様です。
存在しないマナーを押し付けるのはマナー違反です
そうですね。 「麺をすするのが日本式のマナー」というマナーは存在しません。 したがって、麺をすすることを正当化する人こそマナー違反です。
そうですね。 「麺をすするのがマナー違反」というマナーは存在しません。 したがって、麺をすすることを指摘する人こそマナー違反です。
麺をすすると熱さに敏感な舌先との接触を最小限にして熱い麺を口の中に送り込むことができる 麺は熱い内に食いたいのだ