はてなキーワード: エロゲーとは
少なくとも、ネットで言われてるような、恋愛市場の上位3割の強者で、極論だがエロゲーやNTRもののエロ漫画や、エロアニメに出てくるような女とっかえひっかえしたり狙った女落として10人も20人も経験人数があり常にセフレをキープしている、なんていう奴、男のオレから見ても観測範囲を極限まで広げても全然いないんだけど、
でも、そういうのかならずどこかに結構いるから、モテない奴や淡白な奴はダメだって言説多いじゃん、あれ絶対おかしいよな。
だってさ、現実問題ニュース見てても、家が金持ちで慶応ボーイで読モとか、東大グランプリでトップ取るようなレベルのヤリサーのヤリチンと自他ともに評価されてる奴らも、酒で酔わせて性暴行みたいな手口を多用して当然捕まってるわけじゃん、
一流上場企業や総合商社マンクラスの花形エリートでも、酒で酔わせて性暴行とか、未成年に金払って警察にとっ捕まってるわけじゃん
それほどのスペックなら、本当にとっかえひっかえできるほどモテるのであれば、そんなことする必要あるか?って思うんだよな
身近で遊んでてモテてるっていう人たちを見てもそう、どんだけチャラそうで頑張ってても、やっぱり付き合ってるのは一人、かけてもぎりぎり二股(しかも大体バレてしまって1年と維持できない)
今まで付き合った人数も、聞けば多くて4人か5人で、大半は1~3人くらいだった。
こういうの見て思ったけどさ、意外とモテてる人間だって、そんな想像したりネットで言われるほどメダカやカエル並みに不特定多数の何十人も女を食ってるみたいなやつ、絶対架空や空想の産物だと思うから、そんな気に病む必要なく、気負うことなくじっくりいい人を見つける恋愛すればいいと思うんだよな、男も女も
キメセクという言葉がある。一般に何らかの薬を「キメ」てセックスをする行為だ。エロゲーやエロ同人誌の中では独自の世界観が作られているように思うけれど、要するに普通のセックスよりも気持ちらしいというのが、もっぱらの噂なわけだ。
自分はADHDである。ストラテラを使った治療をしていたが、効果が十分では無かったため、コンサータに切り替えられた。一時期、リタリンの乱用が問題になった。コンサータはリタリンの徐放剤だ。胃の中で10時間くらい時間をかけてリタリンを放出する。
勝手な印象だが、リタリンは覚醒剤に近い印象を持っていた。事実、一部の人が覚醒剤のような使い方をして問題になった。だから、疑問に思った。コンサータを飲んでいる時にセックスをしたら、普段とは違う何かを感じることができるのだろうか・・・と。
とはいえ、自分に彼女はいない。つまり、一人でセックスをするしかない。まあ、オナニーだ。前まで飲んでいたストラテラは性機能に問題が出ることが多い。勃起しないとか、オナニーしても気持ち良くないとかだ。そのストラテラが無くなり、なんとなく一般に「キメ」と思われがちなコンサータを飲んでオナニーをしたのである。
結果はほとんど変わらなかった。ただ、射精の瞬間、全身がふわりと暖かい何かに包まれるような感覚がぐらいだった。他は大きな差は無かった。強いて言えばストラテラで溜まっていたものがたくさん出たくらいに感じる。
もしかしたら、もっと多い量のコンサータを飲んでいたら何かが変わっていたのかもしれない。だけれど1日に飲む量は決まっている。無いと仕事にならないからODなんてできない。
はたから見ると、馬鹿なことをやっているADHDの障害者に見えるだろう。
いいじゃあないか、それぐらい許してくれ。しんどいんだ。こんな陳腐なことぐらい夢を見ても許されるだろ。そもそも、処方された薬なのだから。
児童は未成熟である。児童を、酒で判断力が落ちた大人に入れ替えてみてほしい。彼らとセックスしたらその時点でレイプになってしまうのだ。伊藤詩織さんをレイプした山口のように。ゆえに児童性愛とは、性愛というよりはレイプでしか抜けない特殊な病気のようなもんである。なぜなら相手との合意が成立しえないからである。
でも日本人には内心の自由がある。エロゲーでレイプしている分には合法である。子供へのレイプでしか、という精神的な歪みを持った人間とて存在を許されるべきでは?という疑問が生じる。
俺は個人的には、やはり社会は許すことはできないのではないかと思うのだ。レイプ思考といっても、相手が大人ならばそれもよいかもしれない。権利と権利のぶつかり合いだ。しかし相手は子供である。俺は「子供に不安を与えるようなことは、大人はしてはいけない」と思うのである。それは虐待になるからだ。
俺なりの解決案は、子供型ラブドールはもっぱら観賞用であることを徹底して売ることである。球体関節人形のように。そして購入者が改造を行う。遠い昔に違法コピーしたゲームソフトを起動できるマジコンという装置があったが、ああいう感じで、自分で改造して自己責任で楽しむ。社会は許していないが。共存の道はこういう道ではないかと思う
はてなー、詳しくない問題だと途端にアホな反応喚き散らすんだな……
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202005260000646.html
黒川前検事長の定年延長がそもそも違法だったとか、法務省の内規では懲戒のはずなのに訓告なのはおかしいとか、検察庁法改正案はおかしかったとか、そういう批判はいいですよ。賛成します。でも「2006年に賭け麻雀は違法だと閣議決定していたのに黒川氏の刑事責任が問われないのはおかしい!」みたいな批判はおかしい。
だって、政府が言ってるのは「レートはテンピンで高額ではない」ってことでしょ? 「テンピンは合法」なんて言ってなくない?
テンピンの麻雀でも賭博罪にあたるのなんて常識で、誰もそこは否定してないよ?
たとえ1円でもカネを賭けたら賭博罪が成立するのは明らかで、そこに争いはない。法解釈を持ち出して「たとえ1円でも賭博は賭博だ!」って言われても、はいそうですねそんなのは議論の前提ですね誰でも知ってることですね、としか言えない。2006年の閣議決定もそういうことでしょ。一般論としては当たり前だけどテンピンでも賭博罪にあたりますよ。
問題は、「従来はそのくらいのレートなら見逃されて、刑事責任を問われてこなかった」ということなのだ。
「レートはテンピン」というのは、「それは合法」ということではなく、「そのへんのリーマンがこのレートで遊んでる分には見逃してきたんだから、今回も刑事責任を問わなくてよくない?」ということだ。
そもそも賭け麻雀、というか単純賭博は昔から「犯罪ではあるが、基本的に立件はされない」枠だった。そりゃそーだろ。仲間内で合意の上でカネを賭けているだけで、失われるのは合意の下で賭けた自分のカネだけ。形式上はたしかに犯罪だが、誰の権利が損なわれているわけでもないんだからわざわざ摘発する必要性は薄い。レートもテンピンならせいぜい大負けして数万、このぐらいなら大人の遊びの範疇だろう。
賭博で警察沙汰になっているのは、単純賭博でめちゃくちゃレートが高かったり、闇カジノに通っていたり、胴元が決まっていて一時の遊びを越えたシステムになっていたりする場合だ。特にスポーツ選手が賭け事で捕まったとかいうのはたいてい最後のやつ。こういうのは単純賭博罪ではなく賭博開帳図利罪という別の罪になり、胴元としてヤーさんが絡んでくることも多いので仲間内で遊んでるだけの単純賭博罪よりも処罰が重くなる傾向がある。闇カジノに行く場合も同様。ああいうのって反社の皆さんのシノギですから。
だから「賭博で捕まったあのスポーツ選手は重い罪を食らってるのに、黒川検事長が無罪放免なんて!」みたいな主張はたいてい眉唾。そのスポーツ選手と前検事長とではそもそも適用されている罪が違う可能性が高い。違う罪なら科される刑罰も違って当たり前。大相撲の野球賭博だって、刑事罰とかの厳しい処分を食らったのは基本的に胴元やってた連中で、仲間内で数千円程度の賭け事やってた連中は厳重注意とかの軽い処分で済んでる。
もちろん刑法には常習賭博罪というのもあるわけだけど、黒川検事長程度の行状(つまり、顔見知りのお友達で定期的に卓を囲んでいた程度)が常習賭博罪として立件されるようになったら、いきなりお縄をかけられることになるそのへんの一般人がたくさんいると思う。年齢や社会的地位を無視すれば、友達の家で持ち寄ったものを飲み食いしながら賭け麻雀してるってだけで、こんなん麻雀好きの友達同士なら大学生やサラリーマンだってやってることでしょ。
政権に近い大物検事が同人作家やってたことが発覚して、「著作権法違反で処罰しろ!」って言われてるみたいな感じ、って言えば恐ろしさが伝わるかな?
「エロゲー割ってファイル共有ソフトで共有してた○○選手は有罪判決食らったのに!」って言ってるやつがいたら罪のレベルが違うって思うじゃん?
頼むからそこを政争の具にしないでくれよというか、安倍政権憎しでそのへんの麻雀好きがまとめて捕まりかねない主張をするのやめてくれとしか言えない。特に違法性を国会で言い募る立憲民主党とか、黒川氏を刑事告発した弁護士さんたちとか、あなたたちは善良な小市民の人権や自由のために活動してきたんじゃなかったんですか、っていう失望感がすごい。
いやほんと、これまでの慣例なら黒川氏くらいの賭け麻雀ならマジで刑事罰の対象になんてならないからね。知人や友人同士が、おうちで、テンピンで行う賭け麻雀なんて警察や検察からは黙認されてきたというか、処罰されることなんて基本的になかった。メンツにヤーさんが混じってたとかなら話は別だけど、新聞記者とかお堅い職業の人たちばっかりだったみたいだし。
検察人事ではあれだけ従来の慣例を尊重しようと主張してたんだから、賭博罪の立件のハードルについても慣例を尊重していただけませんかね。
もちろん、形式的には違法なので処罰がされるべきだ、という主張には一理ある。悪法もまた法なりってやつだね。当然こういうこと言う人はアラン・チューリングが逮捕されたのも仕方ないって思ってるんだよね? 当時のイギリスでは同性愛は犯罪だもんね。エルサルバドルでは中絶は犯罪で、中絶の罪に問われた女性は刑務所に入れられるんだけど、これも法律で決まってることだから当然だって主張するんだよね? 本気でそう思ってるなら一貫性があって尊敬に値するけど、そうは思わないっていうならなんでこの件では慣例を無視してまで法律の墨守を主張するんだよとは言いたくなる。
最後にちょろっと書いとくけど、俺はノーレート派。賭け麻雀ってちっとも楽しくない。だって手作りよりも失ったカネのことが気になっちゃってちっとも麻雀を楽しめないんだもの。賭け麻雀自体は好きな人が遊ぶ分には自由だし単純賭博罪を撤廃しろよと思うけど、それはそれとして「麻雀をするなら賭けて当然」みたいな風潮は滅びてほしい。
正常です。これからも清く正しいインターネットライフをお過ごしください
気をつけてください
インターネットに向いてなさそう
クズや精神異常者たちが織りなす物語を消費する舞台としての役割を。
なぜ?
簡単だ。
割られなくなったからだ。
今でも割られてるのかも知れない。
しかし堂々とエロゲを割って、割ったゲームについて堂々と人と語る人種は減ってきた。
なによりも今どき割れぐらい恐れ知らずの技術音痴ほど手を出す類のものであるというイメージによって割れ文化はオタク界からフェードアウトしていった。
代わりに残ったのが無料で提供されるソーシャルゲーム、WEB漫画だ。
気になったら無料ですぐ遊べる、すぐ読める。
何かが流行るために必要なのは初動のアクセスこそが重要だが、それを邪魔する金銭的コストや購入手続きという障壁が一切ない。
圧倒的にバズりやすい。
連ちゃんパパは凄い。
ツイートやスレッドに貼られたURLをクリックして5分も読み進めれば圧倒的クズの凄まじさについて皆と語れるようになる。
「読み始めたんだけど思ったよりクズじゃないな元教師ってこと考えるとヤバいけど」
「それはまだヌルい方」
「これパチンコ進めたガキが全部悪いだろ……」
圧倒的に高速だ。
これがエロゲだと発売日の段階で既にクリア(早売り店で購入+そこから割れで共有)した連中が怒涛の勢いでネタバレをしていたのでクリアするまでは近寄れなかった。
今の時代ではクリアするまで近寄れないというのは圧倒的に重くて遅い。
ソシャゲであれば始めたばかりのプレイヤーが最強リセマラランキングに騙された風を装えばいくらでも相手してもらえる。
プレイ時間数十時間の果てにある衝撃のラストとは、数十時間かけて消費し切るまでは誰とも語り合うべきでないコンテンツであることを意味している。
これでは語る時には既にその作品は思い出に変わっている。
「語るときには思い出になっている」というのはエロゲの持つ強みであった。
美化されたものについて語り合うからエロゲのトークは熱を帯びた。
しかし、思い出を語るスタイルはリアルタイム性を重視する時代にはもう合っていない。
ここに全ての答えがあると言っていい。
インターネットという空間の文化が変わったことでエロゲは衰退した。
アンダーグラウンド性の強かった時代、割れを容認する空気とゆったりとした時間の流れの中でエロゲ文化は育まれた。
時は流れインターネットの空気もSNSの一般化などによりクリーンになっていき、同時にスピード感が求められる中でエロゲはマイノリティ文化となった。
マイノリティであるということほどインターネットで弱いものはない。
無限大に広がる海の中、いくらでも時間をつぶす場所がある中でマイノリティであるということは無いということにすら近しい。
しかしそれはインターネットの主流からは取り残された場所にある。
そこでは今もほそぼそと思い出が語られている。
18禁美少女ビジュアルノベルなんてそれでいいんじゃないだろうか。
好きだろ?
全部終わった後の静けさみたいの?
参考資料
音楽ですらYouTubeで最初の30秒でサビが出ないと飛ばされる時代に何時間もやってられない。
キャラの生い立ちなど、もう負の設定はインフレしてしまっている。
貧乏や家庭環境の問題を提示されてもありきたりの設定と感じてしまうし、わざわざその問題を解決するために主人公が動くとか、そういうのに感情移入するのも怠い。
ゲームを10分して、Twitterで返事を返して、と短時間のサイクルを通知で繰り返すのに合わない。
1人で時間が余っていて、作品に没入しても問題ないという環境はもうない。
学生と接しているとわかるが、とにかくコンテンツのハズレを引きたくない。
お金も無駄にしたくないのもそうだが、何時間もかけるだけのコストに見合うかどうかを気にする。
仮に大絶賛されるようなゲームだったとしても、他人に同じ時間だけ使えっていうのは言いにくい。
顔出しでエロすげーとは言いにくい。
若いクリエイターがより他に行ったというのはその通りだと思うが、「世代交代に失敗した」というわけではない。
そもそもにおいてエロゲーがブームになったこと自体が異常であるし時代が産んだ奇跡と言ってもいい。「世代交代」など出来るはずがない。
エロ漫画もエロアニメも、売れた作品はあるし、素晴らしい傑作もあるだろうがブームになってはいないだろう。
ポルノ映画もそう。ポルノ映画から名俳優や名監督が登場したり、ヒットしたポルノ映画はあるだろうがブームにまではなってないだろう(あったしても一過性)
コアなエロゲーユーザーも多くいたが、ブームになったときのユーザーの大半がライトなユーザーだ。エロシーンに絶対的必要性を求めていないユーザーのほうが圧倒的に多い。
だからこそ増田が言うようにクリエイターが発信できる場が増えたことによってブームが終了するのは必然なのである。
一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?
エロゲが一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか。
ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術を評論してみようとした
浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志や東浩紀がオタク文化評論をしてる。
一方で別の文脈でオタキングや同人誌における作品評論もあって、
彼らはフロイトの精神分析や民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように
指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって
50未満のオタクたちは、かなりのボリュームが存在しているであろうに取り残されている。
(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸や
最近のオタクはルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)
で、重要なのは芸術の評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラスの作業領域で
実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。
西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。
こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクストで
「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので
上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。
でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。
ここで登場するのが、大塚英志や東浩紀が薫陶を受けたポストモダン。
この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学や価値観より
マイナーとされた文学、価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。
PS2とかドリキャスに移植されたことで「これエロなくてもいいじゃん」ってことが広がって
エロゲ業界は衰退したというより、「ブーム」は起きたけど、「文化(ビジネス)」には出来なかった。
ここでいう「ブーム」とはまぐれ当たりが出て業界に人が流入してくること。「文化(ビジネス)」とは収益構造が確立し、作り手や客が世代交代して持続していくこと。
蛭田(エルフ)とか剣乃(シーズウェア)とかTADA(アリスソフト)とかの活躍によって市場と認知度を獲得した90年代後半の業界はエロつきならある程度の売上が見込める状況だった。そこに髙橋(Leaf)とかだーまえ(Key)とかぶっさん(ニトロプラス)とかきのこ(TYPE-MOON)といったワナビーだった過去を持つ連中がそれぞれ得意とする世界観にエロを足したゲームを世に送り出してブームが発生した。それによって新規メーカーやユーザーが大量に流入したが、後が続かず一過性で終わった。
エロゲ衰退論の多くは何故ユーザーが離れたかという観点で論じるが俺は逆だと思ってる。ヒット作(ブーム)が新規ユーザーと次代の作り手を呼び込む(つまり世代交代)のであり、ブームが発生している間に次のヒット作が生まれる土壌を作っておく必要があった。蛭田らに髙橋らが続いたように。しかしそうはならなかった。
その要因のひとつに、若いクリエイターがよりローコストで、より好き勝手に作品を発表できて、あわよくば儲かる場が他に出来てしまった、という点が挙げられるだろう。
それが2ちゃん(99年~。電車男、まおゆう)であり、ニコニコ動画(06年~。アイマスP、ボカロ小説)、小説家になろう(04年~。さすおに他)だ。若いクリエイターが作品発表の場をそれらに移した結果、サブカルの最前線(今現在ブームになっている業界)がエロゲから他に移り、新規ユーザーも次代の作り手も流入しなくなってしまった(それに唯一抗ったのがニトロプラスだと思う。ネットで作品を発表していた鋼屋ジンや奈良原一鉄、下倉バイオを発掘して世に送り出している)。
企画/シナリオの話ばかりをしてしまったが、原画や音楽担当も同様だ。90年代後半から00年代前半はエロゲンガーがコミケの壁をはっていたが、pixiv(07年~)やTwitter(06年~)の登場でエロゲンガーは若いクリエイターの憧れではなくなり、サウンドクリエイターもエロゲの同人音楽から東方アレンジやボカロ曲をYoutubeやニコ動で発表する形に活動の場所を移していった。
これらの状況分析から、エロゲの衰退を、安易にスマホやSNSやフリーミアムの登場に結びつける論調には同意できない。
任天堂は未だに据え置き機兼ゲームメーカーだし、集英社は週刊少年ジャンプを発行し続けている。それでいて『あつ森』や『鬼滅の刃』のような最新のヒット作を生むことが出来ている。それは次代を担うクリエイターを発掘・育成し、そのヒットによって新規ユーザーを呼び込むという世代交代ができているからだ。
任天堂や集英社のような巨大メーカーと泡沫のエロゲ業界を比べるなよ、という意見はあるだろうが、ゲーム業界だって漫画業界だって最初は泡沫にすぎなかったし、スマホやSNSやフリーミアムの登場といった時代の荒波にさらされてもいる。しかしビジネスモデルを作り上げて作り手と客が世代交代して業界が持続するようにしたから今があるのだ。ちょっと儲かったからって社長がランボルギーニを痛車にしてるようじゃダメなのである。
結論:エロゲ業界は衰退したのではなく、ブームを文化(ビジネス)に転換させられる商才あるビジネスマンがいなかった。だから世代交代できなかった。以上(よく武内が社長として評価されているが、きのこが死んだら終わりの状況から脱せてない以上ダメだろう。同様に、蛭田も剣乃もだーまえも後進を育てられなかった。この論で評価できるのはでじたろうぐらい)。
ところで鏡が定期的にエロゲ衰退論を語って耳目を集めようとする(https://togetter.com/li/1505761)のなんなの? 仕事ないの?
【追記】
jou2 抜きゲーと泣きゲーで完全に別れてたと思う。Fateとかエロゲーとしてはマジでエロに対して真摯じゃないからね。「絶対命令権である令呪」をえっちな事に使うシーン一切無いという。選択肢選ぶタイプのゲームなのに
なんでや! セックスで魔力供給するシチュ最高にシコいやろ! あとセイバーがキャスターにとらわれてエロい格好させられるやつとかアニメで強調されてたけど、あれ若い子をリョナに目覚めさせるの狙ってるよね絶対。
ところで抜きに関してもちょっと面白い観点があって、オタクがエロ同人(ここでは二次創作エロを指してる)で抜くようになったってのもエロゲから客が抜けていった理由として結構あると思うんだよな。
もちろん当時からエロ同人はあったけど、当時はSNSがなかったから情報そのものにリーチしにくかったんだよね。個人ニュースサイトとかからたどる時代だったわけで。それでもアンテナ張ってたやつは即売会やショップで仕入れてたんだろうけど、それはそれで大変だし、特に地方民には厳しい。
今はSNSが発達してるから自分の好みの同人作家や本を探すのも容易だし、市場が形成されてるから昔に比べて数も質も飛躍的に向上してる(昔は落書きみたいなのも普通にあったんだよ!)。ゲームはソシャゲやって、抜きはそのエロ同人って人それなりにいるんじゃなかろうか。このへん、オタク白書で市場規模を年次比較すれば見えてくるものがあるかもしれん。ないかもしれん。
まあエロゲは早い段階で回想をボタンひとつでフル解放できるようにしとくべきだったな(SAGAOに探しに行くのダルい並感)。