はてなキーワード: エレベーターとは
日曜日にとある美術館に行ったんだがモヤモヤしてしまったのでどうすればモヤモヤしなかったのか知りたい。
昨日の俺は美術館とは別に買い出しもしてたのでクソデカリュックを背負って美術館に入り、リュックはロッカーに預けることにした。
そこのロッカーは入れた100円があとで帰ってくる今どき良心的なタイプだった。
俺が荷物を入れて鍵をひねると入れたはずの100円がすぐに返ってきた。
壊れているのかと不安になり、確認のために開け締めを繰り返すと100円がいつの間にか2枚になっていた。
前の利用者が100円を回収していないのだ。
この時、前の利用者が100円を忘れた気持ち悪いロッカーは無視して他のロッカーを選び直すべきだった。
今なら分かる。
そうだ。それだけが正解でそれ以外のすべての選択は間違いだった。俺はそこを間違えたのだ。冷静さを欠いていた。
どこから冷静さを欠いたのかと言えばここで間違いない。
買い出しのついでに美術館に寄ったのがそもそもの間違いだったとは思わないのでやはりここなのだ。
俺はひとまず自分の荷物をロッカーに入れて鍵を引き抜きポケットにしまった。
戻ってきた前の利用者の100円は手に握ったままロッカールームを出て、すぐそこにいる警備員に「前の人のが出てきました」と声をかけながら渡した。
俺がすぐ横のエスカレーターに乗ろうとすると、後方から「ロッカーは何番ですか?」という声が聞こえた。
俺が振り返りポケットから出した鍵の番号を見て「◎▲□番です」と答えると「ありがとうございます」が返ってきた。
俺がエスカレーターに乗った直後に警備員が無線に「◎▲□番のロッカーうんちゃらかんちゃら」と喋るのが聞こえた。
そうなのだ。
ここなのだ。
ここで俺の脳は完全にパニックに陥ったのだ。
◎▲□番のロッカーの中に入っているのは俺のバッグだ。中身は人にあまり見せたくない趣味のグッズだ。これ即ちマジのファックだ。脳を飛び交う信号はBPMを加速し続け私の妄想は臨界を突き抜けた。
「俺のバックが前にロッカーを使用した人の落とし物扱いになる!俺は俺を証明してそれを取り返す必要がある!下手をすると俺が他人の荷物をパクろうとした窃盗犯として指名手配だ!それはマジでだるい!」
そう思い込んだ俺は急いでエスカレーターを逆走しそうになるも踏みとどまった。この話で唯一冷静だった部分だ。
エスカレーターのすぐ横に貼られた「お食事お飲み物ご遠慮ください」「マスクをつけてください」「おしゃべりはご遠慮ください」の張り紙が目に映る。エスカレーターの下り口に待つ別の警備員が俺を睨んでいる。
俺を睨んでくる警備員に「これってすぐに来た道を戻るルートってありますか?」と聞いた。
警備員は嫌そうな顔で横を指差す。
エレベーター!見えてなかった!冷静ではない!
警備員に礼をつげてエレベーターに走り寄ると、目の前を通過したのがドアのガラスから見えた。
俺は階段を駆け下りる。発声器官が再び野生に帰る。もうこの美術館にとって俺は「100円をちゃんと返した人」ではなく「迷惑な○ピー○○ピー」だろう。クソ!入館料を払った直後なのにすでにここを出て行きたくてたまらない!ポケットの中でチケットに八つ当たりしていると気づけばそれはパチンコ玉ぐらいの大きさに織り込まれた紙玉になっていた。
ロッカーにつくと荷物はまだあったのでひとまず鍵を空けて荷物を取り出し、別のロッカーに移すことにした。
立て付けの悪いロッカーがあり、あの100円は忘れられたのではなく「機械の調子が悪く飲まれていた」可能性に思い至る。
調子のいいロッカーを探して荷物の移し替えを終えて、最初のエスカレーターに戻る。
100円を渡した警備員と目が会うので気まずくなりそっと目を逸らす。
エスカレーターに乗ってから「ロッカーに前の人のカバンもまだ残っている可能性を感じた俺が急いで盗みに戻ったと勘違いされていたら?」という不安に襲われた。
流石に妄想だというのは分かっていたのだが、さきほどエレベーターを教えてくれた警備員の不快感を顕にしたような眼差しと視線がぶつかると妄想の圧力が増した。
この時に俺は「近くの警備員ではなく受付に100円を返していたらどうだったのだ?」という後悔に取り憑かれた。
今思い返すと、そうした所で結局同じような流れにはなっていただろうし同じように妄想に取り憑かれただろう。
やはり正解は「100円が出てきたロッカーは無視して他のを使う」だったのだと思う。
俺は受け付けにいかず安易にすぐ近くの警備員にお金を渡した自分を強く攻めていた。
そうではなくもっと前に、落とし物の100円をロッカーから取り出した時点で、問題のロッカーにそのまま荷物を一度預けたまま離れた時点で間違いだったのだが。
自分に対しての苛立ちと僅かなボタンの掛け違いに心のモヤは最大限となった。
情報が入ってこない。
紙玉になったチケットをポケットで握りつぶしながら展示の目の前を早足で進み、それを丁寧に眺める人々を次々に抜き去っていく。
数分のうちに全てを見て回り、ロッカールームへと戻り顔を怒りに歪ませながら美術館をあとにした。
入館時に気になっていたミュージアムショップを見て回ろうという気はもう起こらない。
その気持ちを思い出そうものならこんな奴らにこれ以上無駄金を払えるものかという憎しみで自分が壊れてしまうと感じ押し殺した。
入館料も美術館によった時間もあの100円のせいで全部ゴミに変わった。
思い出してもモヤモヤとしてくる。
冷静さや人生経験が足りなかった。
諦めはつく。
展示のポスターを見たときのキラキラした思いが汚泥にまみれたカスになったことさえ割り切れはする。
クリスマスケーキを帰り道に川に落としたとでも思えばいいんだ。
家に待つ誰かが悲しむでもなく自分が辛いだけなのだから飲み込める程度の痛みだ。
それでも悔しさは残る。
どうすればいいのか、どうすればよかったのか。
本当に全く同じことがまた起きたら対処は出来るが、少し違う形で起きたならまた同じように失敗する気がする。
なにかないものか?
多分AIには答えられない。
奴らはどうせ「ロッカーから出てきた100円は遺失物です。盗めば窃盗罪になります」とでもわかりきったことを言うだけだろう。
①トイレが大きく、常時利用者が複数人いる(ディズニーランド系パーク内トイレ、サービスエリア、新幹線停車駅や新宿等の大型駅、コミケ等大型イベントなど)
⇒一番安心して使う。自分はこの大勢いる中にパス度の低い人がいても気にならない。
というかだいたい多目的トイレが併設されておりそっちを使ってそう?
②男女別に個室が1個づつのみ。場合によっては男女共同で1個のみ。利用者は少ないが出入口の扉を多くの人が目にする(ファーストフード店、個人飲食店など)
ドア開けたらいきなり便器があるタイプ(たまに一応手洗い場が手前にあるとこもあるけど)は基本的には誰かが潜んだりはできないし、常時入口を監視はされてるわけじゃないにしろあれ?なかなか空かないな?は気づく。
もちろんカメラ仕掛けたりとかあるだろうがそれは①でも③でも一緒なので…。女が仕掛けることもあるし。
③男女別で個室が2~3個程度。利用者はあまりおらず出入り口もあまり人の目につかない(公園の公衆トイレ、スーパー、百貨店、よく知らんオフィスビル、小さめの駅など)
⇒このタイプを一番警戒していて、よっぽどの時以外はなるべく使わないようにしてる。正直、ここでパス度が低い人と1:1になったらまあちょっとビクッとはすると思う…。そもそも場所自体を警戒しているので。
子供や同行の友人が使いたいときは外で待たずに自分も絶対に一緒に入る。
小型駅だと有人改札の真横にあれば使うけど、地下鉄の改札~ホームまでの間の階とか改札からかなり奥に進んだところ(エレベーターの先とか)だと使いたくない。
コンビニは「出入口を多くの人が目にする」か(そもそも貸してるか)がお店次第だけど地域や店の配置により②か③と思って使ったり使わなかったりする。
割と自由の利く仕事をしていてちょっと縁があるアメリカの地方都市にいる。
もともと日本が大好きで他国に住むなんて有り得ないと思っていたが、子供たちを無痛でほいほいと出産してから居着いている。
子供たちは現地校に通わせているが日本人とも遊ぶし、駐在の人たちにも仲良くしてもらってる。
夏の一時帰国の予定を立てるにあたって去年都市部の実家に一時帰国した時の面倒くささが蘇ってしまった。
一時受け入れをしてくれた幼稚園、小学校の持ち物にサイズ指定があるのにまず驚いた。
上履き袋は横開きの240mm*140mmでマジックテープ、縦に吊るせる紐を付ける。上履き袋を壁のフックに効率よくかける為らしい。
芋袋も布で用意する。芋ほり体験の後にサツマイモを持って帰ってくるための巾着袋を布で縫う。
お昼寝布団はセットで自転車通園でも大きな袋を毎週よっこらよっこら抱えていかないといけない。
出羽守仕草をやらせてもらうが、アメリカの学校ではそういったものはない。
上履き袋は市販品でいいし、芋袋はガロンサイズのジップロックでいいし、お昼寝セットは市販のナップマットを丸めれば肩に掛けて歩ける。
日本でベビーカーを押していても邪魔にされたり、ひどい時は信号のない横断歩道でギリギリまで車を寄せられたりクラクションを鳴らされたりする。
駅のエレベーターは譲られるどころか並んでいる前に普通の人が次々と入り込み降車から5分10分とかかってやっとホーム階に行ける。
もちろん日本製のアップリカでサイズが邪魔になっている訳ではない。
アメリカで車をベビーカーに寄せたりするのは極悪人だしクラクションなんかしたら人非人扱いだ。
ヒーロー志向が良い方向に働いてエレベーターは並んでいても子連れが譲られるし段差があれば男女関係なく誰かしら助けてくれる。
日本で重く勝手に閉まるタイプのドアを開けてさあ入ろうという時に他の人が入ることはある。
勿論アメリカで開けたドアを他の人に譲ることは多くある。しかし必ず礼を言うものだ。
日本では半分以上の人がドアを押さえる私を無視して素通りする。私はドアマンじゃねえよ。
こくりと会釈か目礼する人で、ありがとうと声に出す人は滅多にいない。
街を歩いていてもテレビを流していても、それはどうなの?というソシャゲのCMばかり。
温泉むすめや雀魂が炎上したがどうもどちらの言い分も飲み込み兼ねる。
私も長らくオタクだったので表現の自由派だったが、日本の街のどこもかしこもアキバみたいなノリなのはきつい。
あんたもコンビニの外壁に貼られるならせめて親戚の家に行く時に失礼にならない程度の露出度の服を着なさいよ。
長々と書いたがアメリカ出羽守の戯言なので叩きたければどうぞ。
色々な肌や言語の家族がいるけど子供たちは普通にバスケやニンテンドーで遊んでいる。
遭遇するかしないかわからないアジア人差別より遭遇率の高いぶつかりおじさんの方が嫌。
日本での勤労と納税の義務は果たしているが子供たちが小さい内はあまり帰りたくない。
嫌なら帰ってくるなと言われるのはわかっている。
嫌だから帰りたくないな〜と思っている話。
>性同一性障害やそれに類する性的マイノリティは精神障害者であって明らかに健常ではない
単に無知なだけだと思うから教えるスタンスでいくが、ここで障碍者に関する基本的な論を、増田は飛ばしている。
車いすのやつがいるとするやん。こいつは障碍者だからまともにはたらけない。職場に来れないから。
だが本当にそうだろうか?
働けないのは、職場があるビルに、大して必要でもない段差があって、整備費をけちってエレベーターがないせいではないか。
それらがあれば職場に来て働けるのに。
ビルに段差があるのは、本人のせいか? 違うね。社会のせいだ。
旦那の親戚の集まりが百貨店のレストランで行われ、少し早くついたからベビーのフロアで時間潰そうかと途中で降りた。
そして時間が近づいてきたのでエレベーターで上に行こうと待つとこれが上りも下りもずっと満員、優先エレベーターなのに誰も譲らない、ベビーカーは一人くらいの空きでは乗れないので後から来た人達がどんどん乗っていく。
遅刻しそうだったので旦那に先に行ってもらい待っていたが、何十分ずっと満員で誰も譲ってくれず間に合わなかった。
約束が、予約が、エスカレーターで行ったほうがと途中思ったが、私は人一倍怖がりなのでエレベーターでずっと待つしかなかった。
ベビーカーになって初めて知ったが、ベビーカーはエレベーターに本当に乗れない。
きっと車椅子もそうなのだろう、混んでる場所でワンフロア移動に一時間近く待つのはあまりにも不便だ。
エスカレーターで上るベビーカー批判を見るたびに、怖がりの自分がエスカレーターで行けないかと悩んだときの気持ちを思い出す。
内部でずっと車椅子ベビーカー専用エレベーターですとアナウンスが流れる専用エレベーターですら、堂々と乗っていた人達を思い出す。
ベビーカーに譲って欲しいと穏便にTwitterで訴えてる方も、優先エレベーターで譲って欲しいのは子持ち様と批判を浴びるのを見て暗い気持ちになる。
車椅子ベビーカーなどのエレベーターでしか移動できない人に譲るマナーや文化が全く浸透していない。
対象の人が居たときに降りる気持ちがないなら、できれば優先エレベーターには乗らないでほしい、私は子供が育った今は混む場所ではエレベーターに乗ってない。
おいおいおいおい日本人よお!!
エレベーターの途中階で降りるつもりがなくてもよお、ドアの向こうに車椅子とベビーカーがいたら歩ける奴らはそっから降りろよ!!!
昨日何度もエレベーター乗れずにスルーしてるベビーカー親子いて居た堪れなくなったわ!!!
無駄骨覚悟でエスカレーターで1階まで降りて、そっからエレベーター乗ってもう一度その階に戻ったらまだその親子エレベーター前にいたんだが!?!?!!???
声が通ることだけが取り柄のワシが「ベビーカー優先だから降りなきゃ〜!」つって降りたからみんなも気づいて降りてくれたけども!!!
ワシがいなけりゃ一生そこにいるつもりだったんか!!?!?なあおい気弱そうな母親!!!
もっと強い気持ちを持って!「エレベーター乗りたい」って言えよ!!!がんばれ!!!
わかる!わかるよ!!!ベビーカー使ってたら嫌な思いすることいっぱいあるのわかる!!
でも!言わなきゃ!!分かんないから!!
ベビーカー使ったことない人に察してもらうのなんて無理だから!!
そのまま一生エレベーター前でぼーっと立ってるつもりだったんか????
世の中、悪い人ばっかりじゃないから!!!大体の人が話せば分かる人だから!!!
はあすっきりした
「助けてほしい」「教えて欲しい」「今とても困ってる」「話を聞いてくれないか」「人は助け合いだよね」「旅は人情世は情けというじゃないか、少し親切してほしいんだけどいいかな」
そう言われて愛想笑いで付き合ったら、
「若い女の子と話せて嬉しかった」「若い美人さんと話せて楽しかった」「こんな素敵な人とまたお話ししたい」「彼氏はいないの?自分も彼女いないよ」「彼氏を作ろうと思わないの?彼氏がいる方が楽しくない?」「いつからいないの?」「こう見えて良い男だからいつでも連絡して」「電話しても良い?番号聞いて良いかな」「今度は一緒にご飯に行こう、奢るよ(サイゼ)」「もし俺が素敵な奥さんと結婚したら遺産が残せるよ」「どんな服が好き?それ着ていこうかな」「こんな真面目で素敵なお嬢さんならどんな男も結婚したいだろうねえ」
などと結局言われたわけ。
やっぱりか。お前もか。
少しの人助けのつもりなのに、どんどんセクハラみたいなことも言われる
こんなに長々と話しかけられて何時間もずっと絡まれるのは、向こうがただ「女と話せて舞い上がって、もっと話したいし仲良くなりたい性欲を抑えきれなくなったから」なんだなってどんどん気分が悪くなる
こういうおじさんがどこにいてもやたら現れる
趣味や仕事に真剣になってても若い女だけが邪魔されて公共の場を使えなくなる
こんなことが何回もある
ボウリング1人で練習したくても知らないおじさんが話しかけてきていらないコーチングし始める。多分私の方があなたより上手いよ。もしコーチが欲しければ自分で雇ったり上手い人に頼んだりしてる。
今日はカフェで仕事がしたいなと思って外に出ても、知らない人に邪魔されて仕事にならない
誰も友達を誘わずにわざわざ1人でカフェに来てるのは、仕事に集中したいからなのに。1人でカフェに来て、話しかけられて集中できないことがあるなんてまさか思わないよね
困ってる人を時々助けるのは構わない。
でも男の人はこんな目に遭わないんだよね?
女の人だけが「何故か」困ってて助けを求める人に高頻度で遭遇して「何故か」いつも話しかけられる。
このおじさんはいくら口では男でも女でも話しかけちゃうと言ってても、結局、女の方が捕まる時間は長いし、女の方が話しかけられる頻度は多いし、ただ女と話したいだけで女を口説きたいだけじゃん、性欲で周りが見えなくて、他人の都合より自分の欲を優先させてる人じゃん
本当に困ってて本当に助けを必要としてるだけの人のためになら仕事の手を少し止める気はある
こんなこと繰り返されると、そういう人を助けられなくなるよね。
こういうことを言うとたまに「それだと男性は女性とは仲良くなれないじゃん」「男は2度と女に話しかけるなってこと?」「困ってる人を助けることもしない冷たい社会になる」「本当に困ってる男性がいたらあなたは見捨てることになるんですよ」
別に男の人がみんなそうだと思わないし、話しかけること全てが悪なのでもない。これが男性とのスタンダードな付き合い方だとは思わない。
でも「女性として生きてたら、男性とはそういう生き物なのだから、こういうことが起こるのは当たり前」だとも思わない。
とにかく1人でいる女におじさんは話しかけるな、男性に助けを求めない人を女性が助ける必要はない、というのも何か違う。
それはあくまで今の日本社会で女性が迷惑を被らない為にできるベターな対処療法であり、応急処置的手段であり、集団防衛であり、今はそういうやり方で気をつけるしかないこともあるけど、
それが最終形ではない、と思う。
例えばアメリカにいた時はとても楽だった。
エレベーターでもバスでも列でもどこでも知らない人から普通に話しかけられるけど、女だけじゃなく男にもおじいさんやおじさんにも話しかけてる。
本当に助けを求めてる人や世間話をしたいだけの人が男女問わず短時間話しかけてるのが殆ど。
性教育が充実してるからかセクハラされないし、マイクロな女性差別にもすぐに気づいてすぐに怒ってくれる。
仕事でも職業でも勉学でも差別に気づくと、どんなに小さな差別でも、まだ言語化できない些細なもやもやした気持ちでも、「何故モヤモヤするか、それは差別だからよ」と、すぐに大きく対応してリカバリ・改革してもらえる。
お気に入りの女生徒・女子職員にだけ距離を詰めたり変なサービスやえこひいきをしてくる上の人がいない(多分すぐ辞めさせられるんだと思う)。
差別的なことを言う男の人がいると、日本みたいにその場では丸く収めて、後で小声で文句言う人もいない。男性も女性もすぐその場で立ち上がって怒鳴って怒り始めてくれる。当たり前のことを当たり前にしてくれる。
「私は少しくらい差別されても嫌じゃないよ」「気にしすぎじゃない?ネタだしジョークなんだから流しなよ」「自分でネタにできるくらいにならないと」
などと、クソなbullshitを言ってくる人もいない。
リスペクトしてくれて、女性に対して無理に距離を詰めようとしない。
「君が友達でいたい時は、僕は最高の友達になるし、僕は君の意思を常に尊重する。仮に君に振られても僕の態度はずっと変わらない。恋愛として女性としての前に、君のことが人間として好きだし、僕たちは人間同士、何があっても友人同士として、素晴らしい関係を築けると考えている。僕は君をリスペクトする」
という考えがあることが伝わってくるし、そういうことをきちんと説明もしてもらえる。
ちゃんと言葉で気持ちや考えを言語化して正直に伝えようと努力してもらえる。だから「助けを求めてるふりしてるけど内心は女と話したいだけ」みたいなことをされない。
無理強いしたり、女を「女」「性対象」として見て、無理やり女と話して女に話しかけた数をカウントして自分に自信をつけようとしたりしてこない。失礼なことやセクハラをしてこない。
うっかり家に連れ込んでうっかり触ろうとされるようなことは絶対ないのだと、疑って生きなくていいのがとってもラク。まだまだアメリカ社会にも女性差別はあるけどね。
相手からの信頼や相手の意思を大切にしてくれていて、信用されるために、紳士的な男性たちが必ず女性の前では両手を挙げてくれる。
武器を持ってないし、君はすぐ逃げれるし、君を卑劣な手段で追い詰めたり、無理強いしたり、見えづらい方法でプレッシャーをかけて僕の望むような方向に誘導したりしない。僕はまず君の意思を尊重したいから。
こういう態度を常に心がけていてくれる。
もし君が僕を信じられないのだとしたら、それは君ではなく、安全を保証して見せれなかった僕が悪い。Noを言える女性が好きだし、それが1番大切なことだ。僕の顔色を伺ったり、僕の気を悪くさせることは考えずに、自分の気持ちを話してNoと言ってほしい。と言ってくれる。
アメリカでの生活は、生まれて初めて男性に対して必要以上に警戒しなくてよくなった素晴らしい生活だった。
差別的な声かけやキャットコールには女性も男性もみんなでNoと言うのが当たり前、Noと言われて逆ギレなんて有り得ないフェアな環境だから、
おじさんに話しかけられることの不快感はそんなない。ある種ナンパされても、不快なナンパをされないし、不快にはならない。
そんな世界が100年後や150年後に日本にも訪れてたら、普通に男性が女性に道端で話しかけても嫌な顔をされない日が達成されることもあるかもしれない。
逃げ回る野鳥が、手に止まる日が来るかもしれない。
人に近づかない野鳥が、人の肩で囀る日がくるかもしれない。
日本の女性差別はひどすぎて、正しく女性差別をしないことの意味を理解してる人はあんまりいない。
フェミニズムは、「女性だけは自分たちが差別に反対して声を上げるんだから他の差別にも声をあげる義務が他の人より特別大きくある」だとか、「差別を優しい猫撫で声で訴えること」「女性が積極的に男性に対等に話しかけること」だと勘違いしてる人までいる。
社会全体の教育と就業と昇任や司法や経済的評価における格差の是正、自尊心や人権や差別の性教育と、女性の身体的精神的な安全性を高めるための警察と福祉、
差別がないよと口では言っているのにお金は渡さなかったら、とんでもない裏切りだよね。
社会は、今はもう安全で素敵なところだと女性たちに信じてもらえるように、差別がない誠実な社会だと信用してもらえるように、もっと頑張らないといけない。
社会は、今はもうジェンダーロールはないよ、誰もそんな偏見を許さないよ、女性が従的な立場になることはないよと、アピールしないといけない。
全ての人は生まれながらにして対等で平等な人間だから女性と男性には、多少の生理機能の違いしかないよ、本当にそういう社会になったよと、間違いを沢山侵してきたけど、女性に許してもらえるように、女性に信用してもらえるように頑張らないといけない。
社会が女性に差別のない安全な世界であることを証明し続けるしかない。社会が女性に信用の貯金をどれだけ貯め続けて、信用をどれだけ獲得できるか。信用は失ったら簡単に戻らない。
そういうことなんだと思う。
少しずつ繰り返すしかないのかもしれない。
少しオタクっぽいような人と話すと、2chから生まれたようなレイシストやセクシスト文化が流行っててそれっぽい雰囲気がある。差別的なジョークやネタが普通にまかりとおっている。誰もそれにNoを言わない、どころかお前も笑えよ、ネタだろ冗談だろ、空気壊すなよと同調圧力をかけている。
ツイフェミとおそらく侮蔑的な蔑称で呼ばれる人たちがいて、オタクはなぜかその人たちを馬鹿にしているが、フェミニズムの話をすると彼らはあんまりフェミニズムに詳しくない人が多くて、ツイフェミと言う割には彼女たちが何を言っているかはよくわかってないぽい。
いわゆるひろゆきしぐさというか、「相手の言葉をいかに理解できるか、読解力に基づく、相手の意見をより深く理解する目的の話し合い」ではなく、「読解力がないこと、無能を武器化することで、無理やり相手に議論を諦めさせて勝手に勝ちを名乗る、相手の意見を理解することに目的がなく、議論ができないことを論破と呼ぶネットミーム」のメンタリティが伺える。
実際の性差別事件も多いし、ネットでそれに反論することすら許されないのだとしたら?
性教育や人権教育のあまりの乏しさに、そして性教育を執拗に潰してきた、それを絶対に行おうとしない為政者に、議論のできなさに、為政者を疑わない従順で大人しい国民が育ってることにがっかりする。
女性差別とは別に、障害者差別や、ルッキズムがあること、ソーシャルトレーニングが乏しいことで苦しむ精神障害当事者がたくさんいる。
社会には本当にたくさんの問題があるけどそれもそのうちの一つ。
パパ活してるタイプの女の人と話すと、真面目で昼職してる女に見えるからか、「私たちみたいな人はあなたみたいな女性からしたら、軽いと思われてるかもしれない、男にだらしなくて見下されてるかも」という気構えのようなものも時々感じる。
今の日本だと、「環境に適応するなら」それが1番正しい、正解だよねって思ってる。
若い女にだけ助けを求めてる人を助けて、暇なおじさんの無料キャバクラになっておじさんの性欲と自尊心の満足のために仕事の手を止めて時間を浪費することばかりだし、機会損失にお金払ってほしい気持ちになるのは正解だと思う。じゃないと搾取される。
男に対して差別的なのもそう、それは全然差別じゃない。元々の社会がフェアじゃなくて女性差別的だから、搾取されることから逃れるためになら最も賢い方法だと思う。
社会の傷は深いなあと思う。
上の下以下の男にとっては修羅の世界だ。一昔前ならまだともかく今は敷居が低くなっちゃったせいでライバル多過ぎ&上位に人気集中し過ぎ。あと女側のガチ度があんま高くない。
ダイエット、髪、眉、見える範囲のムダ毛処理その他。男のちょっぴりメイク術も身に着けておく方が良い。
ワイシャツとジャケットとパンツ、あとベルトと靴を婚活用に新しく買え。腕時計を持ってないかやっすいスマートウォッチしか持ってないなら腕時計も買え。普段からそれなりに良いスーツその他を着てるならそれでもいいが、並のスーツならくたびれてるとダサい。
隔週で4回くらい参加しろ。毎回反省会しろ。期間を空けずに参加した方が反省を忘れず改善に繋げやすい。経験を積む場だと自分に言い聞かせておけ。
参加すればまずライバルの男の質がだいたいどんなもんかわかる。その上で自分がそいつらと比べてそれなりに人気かどうかで自分のレベルもわかる。
男女ともに見た目・服装・言動等で「こういう奴って嫌だな」てのがいたら自分は同じようにならないように気をつけろ。
会話の盛り上げ方、そもそも婚活において異性とどう話すか等、所謂「回転寿司方式」でも会話経験は実際に積めるし、ありのままの自分とかわけわからんこと言ってないでちゃんと反省・改善できる奴は強い。
運が良ければここで相手も見つかる。
つまりそれまでに金を貯めておけ。
相談所経由でも婚活パーティ後でも1回目のデートはとりあえずカフェで茶である。極端にオシャレな店であったりする必要は無いが、少なくともダサい店はダメだし喫煙可の店もダメだ。自分で1回は実際に行っておく方が良い。あと昼間のカフェはだいたい予約不可なのでめちゃ混む系のとこはやめておく方が良いが、自分が先に席を抑えておく前提ならアリ。
夕食もまたその辺の飲み屋とかいきなり焼肉とかは論外なのでそれなりに落ち着いた店をストックしておく方が良い。
なんか車道側を歩かせるような男は信じられんとか言うバカ女がネットで散見されるが、普通の女はそこまでは気にしていない。
女が露骨に重たそうな荷物持ってたりしたら持とうか聞く(無理強いはしない)、店のドアの開け閉めは自分で、エレベーターならボーイ役を、着席時に相手の椅子を出す等のちょっとした手伝い、あとは店員に横柄な態度を取らない程度で良い。
自分より若い子限定だとキツいが、ちょい年上の良い感じの女の人を探すつもりならアリアリの歳でもある。30過ぎて婚活始めたまあまあハイスぺ女子とかいたりするぞ。逆に先日増田で話題なっていた非モテ女子みたいな奴もいたりするが。
例えば33歳女子とかなら子供が欲しくても全然間に合うわけで良いのではないか。30過ぎてる女なら相談所での申し込まれ件数が減ってる&40過ぎのオッサンからの申し込みばっかとかになりがちであり、年下から申し込まれれば少なくとも悪い気はしないはずだ。
納得してもらうために身近な例――地震などの要因でエレベーターが止まった場合――で考えてみましょう。
この場合、大きく分けて2つのケースがあります。(細かく分ければもっとありますが簡略化しています)
1. エレベーターの安全装置によって停止し、インターホンを利用して外部と連絡がとれる
2. エレベーター自体の機能が動かなくなり、何も操作できない
これを一般に「失敗」と呼ばないのではないでしょうか。
勿論2.はいわゆる故障で、「失敗」でしょう。2.のパターンを派生して、無理やり指定の階へ動くのも成功とは言い難いです。
本当に最上級のタワマンの最上部に位置するハイクラスな人たちが住める部屋ならともかく
中途半端なタワマンの中途半端な中層よりは上だけれど最上部ではない
なんて位置に住むのはわざわざ高いお金で不便を買うようなものだ。
そういうエレベーターにたくさん人が集まるときにしかエレベーターを使わない住民にとっては
どれだけストレス溜めなくちゃいけないんだ?って感じになる。
あーやれやれ、買い物で疲れるならともかく自分のマンションに帰ってからなんでストレス感じなけれりゃいけないんだ?
って何度も繰り返し思いながら玄関開けてスーパーの袋を台所において
は~っとため息をつく。
買い物袋の中身を片付ける前に
ちょっと休憩しようと
よっこらしょっとつぶやきながら
街が小さく見える。
好きなんだよな、高い場所が。
この眺めがあるから売って引っ越す気にはならんのよな。
それにしても、なんでこんなに高い場所が好きなんだろな、自分?
不思議だ。
朝、NHKのローカルニュースを見ていたら、近くの温泉ホテルで現代アートのフェスをやってるというのが流れてきた。
個人的に美術には造詣が深くない。持っている美術知識といえば大学の一般教養で受けた西洋美術史概論(途中でいかなくなったため単位未取得)とダヴィンチコード(序盤で読むのやめた)くらい。
特に「現代アート」なんてものはわけがわからない。ルネサンス絵画や印象派の絵なら実物を見て、「あ、これ知ってる!」「すごい!」、「うまい!」、「きれい!」などの感情を抱けるが、現代アートと呼ばれるものは、見ても「?」、「これがアートなのか・・・アートってなんなのかよくわからんわ・・・」みたいな感情しか持てない。
なので普段なら見流すところだった。
だがしかし、前日にスーパー銭湯でブルーピリオドを読破していた私は俄然興味を持っていた。
今なら、わかる気がする。
もしわかんなくてつまんなくても温泉に入れるみたいだし、温泉ホテルで美術館ってなんか珍しいから話のネタになりそうだし。
というわけで行ってみたんだが、結論から言うと、行って良かったとは思うがそれが現代アートのおかげなのかどうなのかは正直よくわからん、というところ。
会場は半径500mくらいの温泉街の5、6個のホテルに点在していてる。高低差が50mくらいある。結構歩く。つらい。
鑑賞エリアがわかりやすく区切られているわけではなくて、ロビーの一角だったり、エレベーターホールだったり、客室、ゲームコーナー、ラウンジなんかに自然な形で展示されていて、それが意図して作られたアートなのか、元からあったホテルの什器なのかよくわからなかったりする。
どのホテルも年季が入っていて、80年代、90年代のバブル、平成レトロな空気が漂ってるように感じたんだが、これがアートのおかげなのか元からそうだったのかよくわからない。
作品展示以外にもロビーで劇をやっていたり、夕日が沈む海の前でバイオリンを弾いていたり、日常空間が非日常空間になっていてよくわからない気持ちになった。
穏やかな海と冬の午後の暖かい太陽がとにかく美しくて、ノスタルジックなホテルで展開されるよくわからない現代アートと相まって、不思議な空間を作り出していた、気がする。
いやほんと、気がする。確信が持てない。なんとなくでしかない。ずっとほわほわしていた。
ブルーピリオドを読んでいたおかげで、作品が絵や彫刻でなくても「これがインスタレーションってやつね!」と自分を納得させることはできたが、それ以上の助けにはならなかった。
なんだろう、映えスポットだらけだった。現代アートと映えスポットの違いがわからない。若者はあまりいなかったけど、いたらきっと至る所でパシャパシャしてるんだろうな、と思った。
結局私には現代アートはわからないままだった。でもこの日の体験は行ってよかったと思えるものだった。
エレベーターに嫌われてて笑った
なんで毎回毎回、俺が1階からエレベーターを使うときに最上階に止まってるんだよ
俺が下に行く時は毎回毎回エレベーターは1階に止まってる
これ、凄まじいまでの嫌がらせなんだけど
初めて裁判見るなあ、自分もいつ裁判に関わるかわからないから知っとかなきゃなあ、静かにしてないといけないし緊張するなあ、内容に驚いて変な声出しちゃったらどうしよう…とドキドキながら、
とりあえず思ったこと3つ
自分か同居家族が車持ってて任意保険加入してるなら、「日常生活賠償特約」をつけておけば自転車で相手にケガさせた・何か壊した系は基本カバーできるやで
でも教えてくれてありがとう。
傍聴しながら書いたメモには弁護理由として「本人が罪を認めている」「もう運転しない」「家族の協力もある」「くむべき事情がある」も書いてある。けどニュアンスは忘れた。