はてなキーワード: アラサーとは
TLで「若年層が自民党に投票している理由がわからない」と嘆いている人がいたので、私が今回自民党に入れた理由を簡単に書いてみます。
若い世代の投票率を上げるのが大事だと思って選挙に行ってるので、どこに投票するかあまり深く考察しておらず、その時の印象やぼんやりしたイメージで決めてます。
→いつも文句をつけてて、韓国とか中国に対しては弱気なイメージ。
→政権交代で混乱する下の人が可哀想だし、税金もかかるだろうし。
→自宅待機で死者が出てしまったり完璧な対応ではなかったけど、野党がやってたら死者出なかったといえる?もっと酷くなってたんじゃない?
今落ち着いてるし、ワクチン打つスピードも速かったし、結局自民党で良かったよね。って感じ。
→既婚でいずれ子どもほしいなと思ってるから、助成金にお世話になるかもしれない。
・憲法改正をそろそろ考えた方がいい
→70年前と今とじゃ時代が全く違うのに、改正自体をタブー視してることに違和感を覚える。
夫婦別姓や同性婚については賛成だから、その辺りを変える気が全くなさそうなのは残念ポイントだと思う。
まあ結局今にそんな不満がないから、今のままでいいやって思うのかもしれない。
【こっそり追記】
そんなに私の口調おじさんぽいのか。。
私は服には興味なかったけどナカムラくんのグッズ集めてたよ。ちゃお派でエンジェルハントとビューティーポップが好きだった。
まとめブログはよく見てるから、右に傾きつつあるのかも。あとポリコレとかにうるさい人はちょっと嫌い。
でも同性愛者の人たちが結婚という選択をできる未来や、希望する女性が苗字を変えずに働ける未来が望ましいと心から思ってるよ。
あと、政治に関心あるじゃんってコメントはちょっと嬉しかった。
国会中継見たりしないと関心あるとは言えないと思ってたから。もっと理解深められるようにがんばります。
なんで性別書いたの?ってコメント多くて、自分でもなんで書いたか分からなかったんだけど、単純に語呂が悪かったからだと思う……。
→なんか足りない気がする
→そりゃ人間でしょ……
5年前にマッチングアプリで2人の女性と出会ったが、両方とも音信不通になった
その頃からは年収も伸びたので再開したところ、5人の女性と出会い、いい感じになった
1人目
シュッとしてかっこいい感じの女性
勃起した
容姿は5人の中で一番好きだった
2人目
何度かデートしてみれば印象が変わるかと思い継続してみたが、勃起しなかった
告白されたが断った
3人目
4つくらい下の可愛い子
デート中勃起していたが、ひろゆき信者だったことが分かり一気に萎えた
4人目
口数が少なく無言で一緒に歩くことが多かったが、その時が一番勃起した
たぶんバレていたと思う
何度デートしても勃起が止まらなかったので、そのまま付き合った
5人目
4人目といい感じになっていたので連絡を絶った
今の彼女と付き合って数ヶ月経つが、相手の性欲が強いことがわかり、相性もよかった
ちんぽを信じてよかった
※注意
この記事は大学2留年した24歳が最近思ったことを愚痴ついでに吐き出したものです、文章は散らばってて何を言おうとしたいのかも分かりません、思想を押し付けようとかそういうものはありません
私は最低賃金ランキング下位5位に入る県の人間だ。大学を2回留年し親には多大なる迷惑をかけた。
そんな自分も来年からは就職。全国の新卒平均よりも2万ほど低い月収だが地方だし留年してるし仕方ないと感じた。
さて私の実家は郊外にあり、会社は県庁所在地である。距離的には電車で1時間程度となっておりまあ実家からでも会社周辺に一人暮らしでもどっちでもいいだろう。どちらにしようか、そう考えたときふと「こどおじ」という言葉が浮かんだ。ネットでの考えによると実家ぐらしの人間など言語道断、恥晒しらしい。私も漠然と確かにそうだ、実家ぐらしは恥であると考えており一人暮らしを目標にしていた。
月収から会社からの控除、家賃、水道代、ガス代、電気代、通信費...それら引いた額を予想してみると10万は消える。もちろん実際に行ったわけではない、完全なる予想だ。しかしまあこんなもんなんだろう、残ったお金で食費や交際費を考えればいいだろう、そう考えていた。
次に思い浮かんだのは将来のことだ。2000万問題は皆さん記憶に新しいだろう。食費やらなんやらを残ったお金で使うと貯金できても1万2万くらい、これでは2000万など夢のまた夢である。
親ももう若くない、自分も将来どうなるか分からない、そんな状態で一人暮らしをしたら色々と成り立たない、下手をすると自分が壊れるんじゃないか???ここ数日そんなことを考え軽い鬱になった。食事は喉を通らないし胃はキリキリ痛む。今まで楽しめていたアニメや配信動画を笑顔で見ることもできない。そんな状態が1週間ほど続いた。
ある夜、母がスマホの操作で分からないから教えてくれと聞いてきた。教えたあと何かが決壊したのだろう。ポツポツと不安が全部言葉に出てきた。涙も出た。週1でしか今は学校に行ってないからひげもはやし放題、髪もボサボサの24歳が泣きわめくのは非常にみっともなかっただろう。しかし母はそれをきちんと聞いてくれて一つづつ諭すように教えてくれた。
お前は今2つのことで悩んでいる。知らない会社で働くことへの恐怖と初めての一人暮らしに対する恐怖だ。それを一緒に解決しようとしているから何も解決しない。ならまず一人暮らしは止めろ。そっちは自分でなんとかできる未来である。まずは1年ほど会社に慣れて自分が月にどのくらい得られるのか、どんな生活をするのか、それを知ってからでもいいじゃないか。
もし働いて未来が見えないならそこで転職をしたり副業をしたりと様々な手段がある。でもお前は経験してないから漠然とした不安しかない。具体的な対策が思いついていないだけなんだ。
そう言ってくれた。確かに無理して一人暮らしをして壊れるより実家暮らしでちょっとずつ慣れていくのがいいのは分かりきっている。
なんで自分はそんな簡単なことをしようとしなかったのか。簡単である。親に頼るのは恥だと思いこんでいたからだ。
実家暮らしを恥だと思いこむのはなぜだろう。それは「こどおじ」や「パラサイト・シングル」といった言葉のせいだろう。小さい頃からいい大人は一人暮らしをするものだ、実家暮らしは恥だとなんの理由もないのに思いこんでいた。
でもその言葉はネット上でしか聞いたことがない。某匿名掲示板や笑笑動画くらいしか聞いたことがなく、私の勤務していたバイト先では一切聞いたことがない。
もちろん「パラサイト・シングル」という言葉があるように昔昔からある考えなのだろう。ではなぜ実家暮らしは恥なのか、なぜ親に頼ることを止めないといけないのか。
そういうことを考えると最終的に「別に実家暮らしでもいいや」と考えることにした。
まだ20代と言うが正確には24歳で来年からはアラサーの仲間入りでもある。
勿論ずっと実家暮らしにする気はない。1年位で慣れれば一人暮らしをしたいし3年位してようやく一人暮らしが出来るかもしれない。
将来は誰にもわからない、でも今は誰にもわかる。だったら今を生きることが大事なのだろうな。
何が言いたいのか自分でも分かってません!!
愚痴を吐き出したくて書いただけなので許して下さい
(追記)
私がこのことを考えたのは青い鳥の「手取り13万」なるトレンドを見たからです。
私は1万ほどしか変わらない(予想、基本給だけの計算)のでやばいなぁと思って胃が死んでました
やばいですね
アラサー、結婚する予定もない、ガチガチに拗らせている独身女性です。
最近立て続けに、西洋人にセフレの扱いをされて、日本人と西洋人の考える「セフレ」の定義が違うなと感じたのでそのことを書いておく。
日本人:
・セフレ同士の関係の場合、まず初めての性行為後に「付き合おう」だの「彼女だよね?」の確認作業はない。関係は定義せず曖昧なまま。
・関係を定義されていないので、女・男ともに、自分以外のセフレor特定の彼氏彼女がいるかもしれないという暗黙の了解がある。
・自分以外のセフレor特定の彼女がいたとしても、詮索したり、別れて!!と束縛するのはルール違反。
・所詮セフレなので、将来を約束したり好きだのずっと一緒にいたいだの、甘い言葉はかけない。(女が地雷化することを回避する意味合いが強いと思う)
・毎日連絡するのもルール違反。基本会う(ヤる)前に、いつ空いてる?という日程調整のみの連絡。
・セフレだったとしても、相手に他の男がいることを好まない。この理由は独占欲なのか何なのかわからないけど、たぶん性病もらってきたり、他の男の精子が膣内に残るのが汚いって思うからなのかな?と思う。
・セフレだけど、相手のことをダーリンだのハニーだのスイートハート呼びする。さすがにI love youは言われないけどね。
・毎日メッセージが来る。おはよう、おやすみ、今日は何してる、I miss you、、、etc.
こんな感じで、セフレだと思って他の男とデートしてて逆上されたり、逆にガールフレンドって言われてお花畑になって「あれ、これセフレとやってること変わんないよね?」ってなって虚しくなったりするので、何が言いたいかというと、責任を取らない相手に期待を持たせるような態度をしない日本の侍が最高だよってこと。
はじめに、これは母親と娘(私)の話です。ブログを書くことが本当に久しぶりなので、元々文才の無い自分が書くとさらに読みづらいと思います。すみません。
母親との関係に悩みが尽きないと感じるようになったのは、ここ最近のような気がしていた。
ずっと、"それ"は繰り返されていた。
諦めのような、虚無感を含んだったこの感情は、幼い時から繰り返し感じていた。
私は"それ"を知っていた。
いつも走っていて、時々転んでは汚れた服のまま、また駆け出しているような子だった。
あまり記憶が鮮明ではないが、おそらく仲の良い友人に彼が気になると話していたのだろう。
母は、私が彼を好きなことをいつの間にか知っているようだった。
ある日、お迎えに来た母に「〇〇くんはどの子?」と聞かれたのだ。
私は無邪気に指をさして母に教えた。
その時、左斜め下から見た母の顔を覚えている。
眉をしかめて、口を少し開けたまま、「そう。」とだけ呟いた母は、明らかに嫌悪を私に示していた。
悟った。ああ、母の機嫌を損ねてしまったと。
母の機嫌を損ねることは私にとって何よりの恐怖だった。
おそろしいことに、それは今でも。
小学生の頃、着て行く服は母が全部選んでいた。
天気、気温、行事、学校帰りの習い事。あらゆる条件をクリアする服装を毎日ぴったりと揃えて準備してくれる。
私は母の選ぶ服が好きだったし、母曰く「上品で程よくキュート」な洋服を友人に「似合っているね」と優しく声をかけられた日はとても嬉しかった。
きっと忙しい日もあったのに、毎日毎日準備をしてくれたことに感謝している。
ただ、一度私が着たいと思った服を「似合わない」と言われた時に、私はとても怖くなった。
可愛いな、と思って店内で無邪気に手にしたそのワンピースを「変よ」と一言、それだけで怖くなった。
「いいね」と言って、母もこちらに寄ってきて一緒にその服を手にしてくれると思っていた。
でも違った。
文章にしてみると、ただそれだけのことなのに、私は自分の感覚すべてが間違っている、と強く思った。
中学、高校は制服があったので母が毎日服を選んでくれる習慣は無くなったが、例えば友人と出かける時に服を選ぶと必ず私は母に「どうかな、この組み合わせ」とつとめて明るく聞いた。
「似合わない」「違うと思う」と言われたらどうしよう。
「いいと思う」と言われる日もあったし、「スカートの丈がおかしい(母は膝が見えるスカートのことをおかしいと言う)」とそっぽを向かれる日もあった。
たいていの場合、バツをつけられたアイテムはすぐに他のものに変更していたが、どうしてもそれを着たかった時、別の組み合わせでプレゼンする。
初めて言われた時、殴られた方がマシだと思った。
10代の私にとって、大きな壁を作られたような、それはそれはとても恐ろしい体験だった。
すぐにすがった。「やっぱそうだよね。どこかで見た感じをまねしたかったんだけど、違うよね」「やっぱり私センスないから、これやめるね」と。
ただ、ここで母の機嫌は元に戻らない。
もう、こちらの声は聞こえていないのだ。
ツーン、と。こちらの顔を全く見ない母の"それ"は大人になればなる程長くなる。
大人になると「もうその服は年齢的にきついと思う」とよく言われる。
気に入った服、お金を貯めてえいっと気合を入れて買った服、家族には話せていない思い出がつまった服。
みんな色がなくなったみたいにして、ゴミ袋に入っている。
私が些細と思っているだけで、母には大きな出来事かもしれないが、私にとってそれは静電気くらい、突発的にパチッと起きる。
金曜日、帰りにこれを買ってきてほしいと頼まれて、無事購入し帰宅してみると頼まれたものが冷蔵庫に入っていた。
「これ買ってきたよ?」と購入品を見せると、「たまたま出かけることになったから私が買っておいたの」と言う。
ここで、「そうなんだ。ごめん、私も買っちゃったから冷蔵庫いっぱいになっちゃうね」と謝るべきだった。
だけどその日ひどく疲れていた。
「連絡してくれたら買ってこなかったのに」と言ってしまった。
アウトだった。
この会話で、私は週末ずっと脅えながら過ごすことが決定した。
普段はテーブルにランチョンマットかお盆を置いて食べる夕飯時、私がそれらを準備する前に母はドン、と音を立てて食器を置く。
高校生の頃突然のことに驚いて何も言えず、立ち尽くす私に目もくれず、母は不機嫌をアピールするように食べ始めた。
時々、はあと大きなため息や、小さな舌打ちが聞こえる夕飯は心臓が苦しいだけだ。
「いただきます」と合掌しなさいと叱っていた子どもの前で、何も言わずに食べ始めた母は5分も立たずに完食し、「ごちそうさま」も無く、大きな音を立てて席を立ち、自分の使った食器を洗い始める。
私は一人静かに、なるべく音をたてないようにして夕飯を食べる。
こういう流れになったとき、自分で食事をつくると悪化するので、静かに皿の真ん中をみつめて、吐き気におそわれながら食べ進める。
リモコンを触ってチャンネルを変えると負けなのか、誰も見ていない番組が延々と流れる。
父の仕事の関係で、夕飯はいつも母と二人だったので夕飯時は好きなドラマや映画を見ることも多かったのに、あまり馴染みのない番組をBGMに冷たい時間が流れる。
そして、食後に甘いものを食べたり、一緒に片づけをする時間はもちろん無く、
食後に片づけを終えた後、私はすぐに歯を磨き、眠る準備を整え、頭を深く下げて「おやすみなさい」と伝えてから自室へ向かう。
しかし、いつもこう言われるのだ。
「何が?」と。
喧嘩ができない。
投げても返ってこない。
この冷戦期間、母がいるかもしれないリビングにはなかなか行くことができないので、薬が必要な時に飲めるように常備薬は自分の部屋に常に置いている。
自室へ行く前にコップかマイボトルに水を入れていくことも忘れないようにしている。
慣れてしまった気もしている。
気持ちが落ち着く香りがするものや好きな飴を自室にこっそり置いて、少しでもこの小さな部屋で快適に暮らせるように試行錯誤してきた。
でも、何度経験しても突然こちらを向いてくれない、口をへの字にした母の表情には慣れない。
おそろしいことに、アラサーになった今でもこわくてこわくて仕方がない。
こわがっていることが情けない。
でも、こわいのだ。
ずっとこわいなら、すぐに家を出ていたかもしれない。
でも気づいたら、大学も就職も県内で、はじめからそれ以外の選択肢は無かった。
母に「A大学へ行け」と言われたわけでも、「B社に就職しろ」と言われたわけではない。
それは多分、ずっとこわいわけではないからだと思う。
母はほんとうに優しい。
優しく、ときどきユーモアがあって、音楽が好きで、海外の映画が好きだ。
ごはんもとても美味しい。
私が作るごはんもすごく褒めてくれる。
働き始めて家にお金を入れる度に「自分の好きなものを買っていいのよ」と言った後、ありがとうと優しく受け取ってくれる。
優しい母が好きだ。
愛してもらった自覚がある。
あらゆるものから守ろうと、常に私のことを気にかけてくれたことに感謝している。
話は変わるが、通帳をしばらく紛失したことがあった。
仕事が忙しく、それどころではなかった時期なので、「家の中でなくしたのだからいつか出てくるだろう」としばらく放っておいた。
ある日、通帳がどうしても必要になり、家中を探した。どこにも無かった。
そんなはずはないと連日通帳を探す私を家族は心配そうに見ていた。
仕事に関して抱えている不安と、見つからないものへの不安がごちゃまぜになって、まるで狂ったかのように家中を探していた。
仕方ない、半休を取って通帳の再発行に行こうと思い、心配してくれた母にも報告した。
銀行に行き、「〇週間ほど、通帳を探したが見つからないので再発行したい」と伝えた。
対応して下さった行員の方の言葉に、私は鈍器で頭を殴られたかと思った。
おととい、つうちょうをつかっておかねをひきだされていますよ。
頭が真っ白になった。
何行かにわたって記された数字を見る。残高はほとんど無かった。
あまり覚えていないが、「勘違いかもしれない、すみません」と怪しまれる前にとにかく銀行を早く出たかった私は多分適当な言葉を並べて足早に去った。
私はまっさきに思った。
話してくれたら、いくらでも使っていいのに。
当時、あることでお金が必要だということはうっすら雰囲気で感じていた。
でも「私出すよ」と娘である私が言うと偉そうなのかもしれないと思っていたし、両親がそういうタイプの人間だと知っていたので、必要ではあるけど足りないという話はしていなかったこともあり、能天気に流してしまっていた。
いくらでも、あげる。
今までたくさんもらってきた。
私も参加させてほしい。
銀行の近くの本屋でなるべく人の少ない階の隅の椅子でこっそり泣いた。
立っていられなくなった。
あと少しで仕事に行かなければならないことと、家に帰ってどんな顔をすればいいのかわからないことで頭がぐちゃぐちゃだった。
話したらお金を出してくれない娘だと思われていたのか。
だから隠し続けたのか。
必死に探している時、不安でいっぱいな私をどういう気持ちで見ていたのか。
学生の時、同級生とのあるやりとりについて注意されてから、携帯のメールや通話履歴は見られるものだと思って使っていた。
話せないまま、外出が急に増えたことを不自然だと問い詰められる前に別れてしまう。
気になる人ができても、母に紹介する時のことをイメージしては〇か×を考えてしまう。
もう、こわい。
母ではない。
こわがっている自分がこわい。
今日も、"それ"は起きました。
来週、とても緊張することがあるから今週はとてもおだやかにすごすつもりでした。
そうしないと乗り越えられない気がしていたからです。
そのことを思うと怖くて眠れない毎日だったから、なんとか心のバランスをとって生きた今月でした。
でもだめでした。
私は家に帰り「言ってくれたらよかったのに」と言ってしまいました。
でも疲れていたのです。
言い訳かもしれませんが、ほんとうに心も体もふらふらだったのです。
ゴミ袋に入った気に入った自分の服を見て涙があふれてきたので、取り繕うこともできませんでした。
帰宅する旨の連絡をした時に返信で教えてくれたら助かりました。
もしくは「ごめんごめん」と笑って流してくれたら、もっと助かりました。
流れず、返されず、そっぽを向いて投げられたボールをずっと追いかけて走っています。
走る私の背中を監視するような目でずっと見ていますね、わかります、感じています。
だんだんと体が冷えてきました。
窓の外は本当に真っ暗で、でも部屋も真っ暗なので、まるで境がありません。
どちらが暗いのか、もうわかりません。
もうすぐアラサーになる女です。元気にオタクし続けて生きてきました。彼氏いない歴=年齢を更新し続けています。
最後に好きな人が居たのは高校生の時だった。わりといい雰囲気まで行ったけど何も無く終わりました。最近夢にその人が出てきて内容が少女漫画のような感じで話が進んでいってた。懐かしいなあと思うと同時にまだその人のことを考えることがある自分が気持ち悪くいし重々しいなとなりました。こんな現実味のない夢を見てしまうくらいなら相応に恋愛経験は積まなきゃいけないんだな……としみじみと感じるにはちょっと遅い年齢かもしれない。
周りも結婚、出産と着々とライフステージを進んでいってて親の圧が強くなってきた。周りに女しかいない大学時代、業種的に女9.5割くらいなので出会いはほぼ0、どうしたもんかなあ。恋愛経験が少なすぎたのかなんなのか分からないけれど職場の同性の先輩にときめき始めたので見境がないな!となっている。
タイトルの通り、もうアラサーなのにまだ自キャラ(自分が創作したキャラクター)達のことが頭から離れない。
中~高の頃とっても仲良い友達がいて、毎日のように共通の世界観でお互いのキャラクターを持ち寄って、絵を描いたり小説を書いたりして遊んでいた。
はたから見たらよくある痛々しい中二病だったとは思うけど、本当に楽しかった。
それからお互い大学に進んで社会人になっても細々とたまに会ったりしていたけど、コロナのこともあってか会う機会はめっきり減った。
多分、友達は一緒に作ったキャラクターたちのことはほとんど覚えてないか、もしくはヤベー黒歴史として封印してると思う。
私も、「そんな時期もあったなぁ」と封印できたらよかったのだけれど、できなかった。
特に気に入っているキャラクターが数人いて、彼らはずっと私の頭の中で物語を紡いでいる。
それどころか、私はアラサーになった今でも彼らのイラストや小説を描き続けている。
アラサーなんだが、頭の中に十年以上住んでいる同じキャラクター達の妄想しているってこと。
辞めたいのにやめられない。
これが二次創作とかだったらいっぱしの同人作家として活動もできたろうが、対象が自分の作ったキャラクターって。
アラサーにもなって何やってんだろって泣きそうになる。
どうやったら治るんだろうと調べてみたりもしたけど、こういう悩みは見あたらなかったので今こうして書いてる。
一度完結させてしまえばこの未練も断ち切れるんじゃないかって数年前から断続的に長編を書いている。
別にどこかに投稿して注目を浴びたいとは思わないし、99.9%自己満だ。
でも、0.1%だけ、あの頃みたいに友達に「面白かった!」って言われたいという気持ちがある。
友達に久しぶりに他愛のないメッセージを送ったけど、一往復で終わらされてしまった。
友達はとっくに別ジャンルのアニメや友達、彼氏と楽しくやっている。
アラサーの私だけあの時の創作から抜け出せないで、小説を書いている。
もし、この投稿が目に入ったら、「小説また見せて」って言ってくれないかなって思っている自分が本当にあさましくて、嫌だ。
こんな風に同じ自キャラを十年以上もあれこれしている人って他にいるの?
友人知人は皆この数年で色々な変化があったみたいだ。
俺だけがこの2年間、何も変化がなかった。
そうだな、絵だけは前より上手くなったかもしれん。Twitterの中では下手絵師に分類されるが。
マイクラは楽しかった。自分で課題を設定して取り組むゲームって新しい。
YouTubeは俺が知らないことをたくさん教えてくれた。それらの知識は殆どドブに捨てたけど。
それくらいだ。俺の2年は。
仕事辞めて時間ができたらやりたいと思っていたことは一つもやらなかった。
俺ってこんなやつなんだ。受け入れつつある。
でもやっぱりまだ変わりたいと思ってしまう。
一年後に3年間変化が無かったと思いたくない。
もうアラサーだけどこの生活に変化がほしい。現実逃避による刺激じゃなくて、俺年表に書き残せる変化が。
そう思って仕事を探し始めた。
↓
辛い。何もしたくない。やっぱり変化とかいいからゲームしようかな。
↓
でもこのままじゃだめだ…
ずっとこれの繰り返し。
タイトルの通り
大卒のアラサー。結婚して地方から関東圏に引っ越してきました。仕事は辞めて現在就活中。しかし就職先が決まらない。困った。
もともとやってた専門職?に就きたいんだけどまず募集があんまり無い。それで近い職種に応募したら面接行ったりしてるけど受からない。
ついでに産休育休とれるかとか、夫の職場から遠すぎないかとか、残業は多くないかとか、新卒の時には気にしなかった条件が今回は重要になってきてますます選択肢が無い。(新卒は入れれば何でも良かった)
結婚してるならバイト(パート?)でいいんじゃと思われるけど稼ぎ的に扶養内じゃ生活が苦しいのでフルタイムとなる。どうせフルタイムになるなら正社員になりたい。あとはこの時代、どうなるか分からないので自分でも稼げるようにはしておきたい。
良くも悪くも男女平等なので夫となった人からの生活費とかは出ず、独身時代の貯金はこの無職期間で使ってしまった。今は失業保険に助けてもらいながら就活してる。専門職にこだわらなければ、正社員にこだわらなければ、何だっていいならお金を稼ぐことはできるんだよなと思うとちょっと後ろめたい。
失業保険が切れるまでは専門職で探し続けて、それが切れたらやりたい仕事に近い非正規の仕事をしようかな。やりたい専門職はニッチな割に給料は低いので、別のことを勉強をし直してもう少し間口の広い業種に行ってもいいのかなと思ったり。
どうしたもんかな。
かつて脳みそが溶けるような恋愛をしていた。自己陶酔はこの世のものと思えないぐらい気持ちよい。そのまま恋愛に溺れてまた誰かと結婚して子供を何人も作って母親として人生を終えたかった。
が、いかんせんアラサー、バツイチ。年齢も年齢なので仕事も管理する側になりつつあり、サボれなくなってきた。仕事に頭を突っ込まなくてはいけない。抵抗していたのだが状況が許さず、そのうち思考が雄になって、いつのまにか心も雄になりつつある。男の人はみんな財を成し家族を養うためにこんな努力をしてきたのか、これは勝てない…と思いながら日々仕事をしている。できれば雌として生きていきたかった。男女平等とは雌を殺すことだなと感じる。
あんなに好きだった恋愛の歌やら映画やら小説やらに、少しも共感できなくなってしまった。誰かに会いたくて脳みその裏がヒリヒリする感じ、誰かと想いが重なってくすぐったく恥ずかしい感じ、どこを探しても出会えない。愛した人には別に好きな人がいて、私は孤独でひとりよがって寂しくなり自己陶酔している、あの感覚。どこを探してもない。
今年で20代も後半に差し掛かるが、何故か大学のサークル時代の先輩から恋愛相談を受けることが多い。
要はアラサーの男性たちなのだが、彼らに共通するのが、「彼女いない歴=年齢だから、婚活というよりまず恋活がしたい」「マッチングアプリに登録しても同年代や歳上ばかりからいいねがくる(それが嬉しくない)」「ATMになるのに忌避感がある」ということだ。
彼らにはそこそこのお金(年収700万〜800万円)と、これはおそらく彼らが一番誇りに思っていることだろうが、学歴がある。
ただ、容姿やコミュニケーション能力には恵まれていない。垢抜けない眼鏡姿で、ヒョロヒョロかぽちゃぽちゃで、女性を前にすると全く話せないかとんでもなく喋りすぎるかだ。
彼らの魅力はATMとしての魅力で、むしろそれ以外のところを伸ばす努力をしてこなかったはずなのに、何故かATMになるのを拒む。じゃあ他の要素を伸ばせばいいのに、だからといってお洒落に邁進するわけでもない。
ありのままを受け入れてくれる、恋を教えてくれる可愛い女の子を求めていて、しかも何故か揃いも揃ってそこそこの歳下を望んでいる。
悪い人たちだとは思わないが、このまま拗らせてTwitterで女叩きとか始めたら、多分その時は縁を切ると思う。実は最近そのうちの1人がナンパ界隈のノウハウや女叩きツイートをいいねするようになっていて、第一号が出るのもそう遠い未来の話ではないのかもしれない。
10年程前、下手したらわいせつやら何かの事件に巻き込まれていたかもしれなかった出来事をここに書いて供養する。
自分の危機管理能力がガバガバすぎて家族や友人にも話せなかった事なので、記憶を頼りに書いていく。
まだガラケーが主流だった10年程前に、高校生にメジャーだった手軽な暇つぶしツールと言えばGREEかモバゲーだった。無料ゲームとコミュニケーションツールとしての機能があり、自分もGREEに登録してゲームをしたりメッセージをやり取りしたり、それなりに暇つぶしをしていた。
ある時、GREE内で友達登録をした1人のユーザーからメッセージが届いた。聞けば同じ県内に住む女子大生だと言う。当時私が志望していた大学に在学中との事で、チア部に所属していると言った。自分が大学案内を見た時はチア部なんてなかったはずだが、非公式のサークルか何かかもしれないとその時はあまり気にしなかった。
GREEやモバゲーを出会い系代わりに使って犯罪の温床になっているような話は知ってはいたが、相手が同性かつ県内の人だと聞いて安心してしまった部分があったのかもしれない。その後も何度かやり取りしていたら、相手からGREE内ではなく直接メールでやり取りしないかと持ち掛けられた。
その時点で多少ウッ…とは思ったが、大学入学後友人になれるかもしれないと思うと断りきれなかった。
その後直接メールで他愛もないやりとりを何度かした後、リアルで遊ばないかと提案された。ネットで知り合ったとは言え、同性で年も近いと聞いていた人だったので、少し考えた後に承諾した。待ち合わせ場所はうちの最寄り駅から急行で1駅隣駅の駐車場で合流することになった。その際に何故か高校の制服を着てきてほしいと指定されて、疑問に思いつつもその通りにした。
指定された待ち合わせ時間の直前、女子大生から「急用ができたので自分は遊べなくなった。代わりにいつもメールしていた事を話していた兄と遊んでほしい」と連絡が入った。
この時点で脳内に?がたくさん浮かぶと同時に、女子大生の非実在を確信したが、時間も差し迫っていたため、そのまま待ち合わせ場所に向かうことにした。
待ち合わせのメールに書いてあった場所、車種を探すと1台の軽自動車を発見できた。運転席には無精髭で小柄な冴えない30代くらいの男が座っていた。女子大生の兄かと尋ねるとそうだと言う。促されるまま助手席に乗り込み、そのまま近くのジャスコに向かった。男は道中、自分は地元のFラン大出身で現在は会社員をしていると話した。あんなFラン大学に行く人がいるんだ……と、高校生の分際でドン引きしていた事をよく覚えている。
ジャスコに到着すると、昼時だった事もありまずは昼食を取る事にした。ご馳走しますよ、と言われたものの、連れていかれたのはスガキヤだった。スガキヤを知らない人に説明すると、東海圏を中心に大抵どこのフードコートにも入っている激安ラーメンチェーン店である。スガキヤでラーメン(320円)をご馳走になっている間、当たり障りのない事を話していたが、話の内容がクソつまらなかったのでほとんど覚えていない。それよりも、こんな冴えないオッサンと同席している制服姿の自分は周りの目からどう映るのかばかり気にしていたように思う。
昼食を終えたら、ゲームコーナーに移ってプリクラを撮ることになった。さっき食事を奢ったから、プリクラは割り勘でとお願いされた。割り勘の意味が分からなかったし、そもそもオッサンと写りたくなかったが、下手に抵抗して怒らせたら面倒だったので渋々了承した。撮影後分割して半分貰ったがその後すぐ捨てた。
プリクラを撮り終えた後、カラオケに行かないかと提案されたが、こんな知らないオッサンと密室に入ることを本能的に拒否したので、それはお断りした。今思うとこのままカラオケに行っていたら、何をされていたか分からなかったので、これだけは賢明な判断だったと思っている。まぁそれ以外がダメダメなんだけど。
その後暇を持て余し(田舎なので遊べる場所が少ない)、帰ることになった。道中のゲオに寄り道した時、お気に入りのマイナーバンドのシングルCDを発見した。こんな片田舎のゲオで中古シングルが売られていたことにいたく感激したが、同行者が喜びを共有できる相手でもなかったのが残念だった。無事にCDを購入し、再びオッサンの車に乗り込み最初の待ち合わせ場所だった駅へ向かった。
駅に到着するとお礼だけ言ってそそくさと車を後にした。今日の出来事はなんだったんだろう。ただひたすら?が頭の中をぐるぐる回っていた。
この出来事以降、女子大生(非実在)と連絡を取る事はなくなりGREEも辞めた。
結果的に何もされなかったので助かったのだが、相手の車に乗ってしまった以上、どうにかなっていた可能性は非常に高かった。最近もSNSがきっかけで女子高生が事件に巻き込まれる事が多発している。普段思い出す事もないのだが、ふと、そうしたニュースを見るとこの出来事が頭を過ぎってゾッとしてしまう。
余談だが、この日買ったマイナーバンドのシングルに、後日バンドが地方公演で地元に来た際にサインを書いて貰った。ボーカルから「こんな懐かしいのよく持ってたね」なんて言われたのをよく覚えている。
誰にも話さず、私の記憶の中だけの幻だったのではないかとさえ思えるこの出来事が、このサイン入りシングルCDのおかげで、存在を証明できてしまっているのが何ともほろ苦い。
これを見てほしい(見なくてもいい)
https://www.youtube.com/watch?v=4viE2RYAwok
abemaTVの看板番組で若年層を中心にそこそこ人気がある。
昨今のひろゆき人気も、その一端はこの番組のおかげといわれていて、そこそこ影響力のある番組だ。
#アベプラ では過度な演出や切り取りを完全排除。たっぷり時間をかけて、ニュースの本質を探る報道リアリティーショーです。伝えることだけに満足せず、社会課題を解決するには何が必要なのか?出演者や視聴者の皆さんと一緒に考えます。番組には、芸人からジャーナリスト、社会起業家、AV女優まで、幅広いジャンルで活躍する論客がレギュラー出演、カタガキ抜きのリアルな言葉でニュースを斬ります。ほかのメディアでは見られないアベマならではの尖った特集にもご期待下さい。
まあ要するにキー局のワイドショーにありがちな過剰演出、偏向報道をやめて、「まともな」報道番組をやりますよ、とのことだ。
そんなアベプラの新コーナーが冒頭の動画なんだが、これがひどい。
バズリたい素人を募集して、ひろゆきの前でプレゼンさせ、内容が良ければひろゆきがフォロワー130万人のツイッターで拡散する、って企画。
コンセプトからしてマネーの虎を彷彿とさせる時代錯誤感があるんだが、実際放送された中身はもっと酷いものだった。
記念すべき第1回の挑戦者として自称ラッパーアラサー元ニート美大卒の弱者男性が登場。
若いころに画家やバンドなど色々挑戦したが芽が出ず、30代を前にしてラッパーに転向、自身の失敗や苦難、挫折をライムにすると海外で火が付きインドやフィリピンで1000万回再生された、との経歴。
そんな彼はひろゆきのツイッターを通して自分のように報われず希望を持てない若い男性に希望を与えたい、と語る。
彼はまな板の上のサンドバッグとして終始なじられ、笑われ、自尊心をズタズタに引き裂かれていた。
何を言ってもニヤニヤされる。周りが鼻で笑う声が聞こえる。ヤジられる。
一対一なら勝負かもしれないが一対多ならイジメである。さらにいえば彼は喧嘩する気などさらさらなく、ただ誠実に言葉を尽くしているのに、返ってくるのは圧倒的な量の嘲笑なのだ。やるせない。
これが「ニュースの本質を探る報道リアリティーショー」なのか?
これが「ほかのメディアでは見られないアベマならではの尖った特集」なのか?
(たしかに昨今のテレビはコンプラに厳しいので、こんな時代錯誤の素人をコケにして笑い者にする番組はつくらないかもしれない。)
今すぐできることを5分先延ばしにして
午前中に片付く仕事を午後に回す
今週中に完成するはずだった資料を来週仕上げる
今月こそはと思いながらカレンダーをめくる
周りは普通に結婚して家庭を持っているのに自分はずっと独身気分で
死ぬまでにやりたいことを1つもできないまま
子供の頃、宝物のビックリマンシールそっちのけで貪った『コウくんのお母さんの水餃子』を死ぬ前にもう一度食べたい - Togetterとブコメを読んで、いろいろ思うことがあったのでつらつら書く。旧満州出身のアラサー日本永住者です。
中国のご家庭では手作りが多いが、テイクアウトもある。ただし我が家では「外の水餃子は何が入っているかわからないから」という理由で一度もテイクアウトしたことがない。
作る頻度が高い割にご家庭ごとの味にもばらつきがあり、私の母などはいまもこれ!という領域にたどりつかないらしく、YouTubeを見て餡を研究している。
また、日本のように、キャベツor白菜と豚肉、というフォーマットは決まっておらず、セロリやピーマン、ズッキーニ、小松菜等々、汁気のない野菜ならなんでも入る(試したことはないが、トマトを入れる餡もあるとか)。私のお気に入りは、ニラ・炒り卵・春雨・干しエビの餡。もちろんにんにくは入れない。
件の記事ではお母さんが作っていたが、我が家では餃子といえば家族総出で作るもの。小学生のころまでは餡を父、皮の生地を母、皮作りは私、包むのは父母、と分担されていた。水餃子はしっかり包まないと、茹でる際に餡が流れ出てしまうので、包むことができるようになったのは中学生以降だった。
で、一度に作る量も多い。餃子のサイズにもよるが、大人ひとり頭20個ほど食べ、残りは冷凍するか、茹でて食べ切れなかったぶんを翌日焼餃子にする(これが日本の焼餃子とはまた違って、もちもちした皮がカリっとしておいしいのだ)ので、3人家族なら50〜60個は作る。皮を寝かせる時間をカウントしなければ、餡を作り始めてから茹で終わるまで30分弱で済む。
祖父が餃子大臣だった母方の実家では、餃子を作るとなると必ず子や孫を電話で呼び寄せるため、一度に100個以上作ることもめずらしくなかったと思う(餃子以外のおかずも出る)。
先程母方実家の例を挙げたが、中国人にとって、餃子といえば、大勢人を集めて食べるもの。日常的にも食べるが、中国人に「いつ餃子を食べますか?」と聞けば、返ってくる答えは八割方、「旧正月」だと思う。
旧正月といえば、家族が全員集まり、大勢でにぎやかに食事をするイメージである。一度、餃子を作る、となれば、たくさん作って、大勢で食べて、何ならお客さんにおみやげとしてタッパーで持たせて……なんてイメージが、餃子にはつきまとう。
父を筆頭にコミュ障が3人寄り集まった我が家も例外ではなく、父と母は兎角、他人を家に呼んで、餃子を食べさせたがる。人生のほとんどを日本で過ごしている私は、流石に客好きのマインドは受け継がなかったが、それでも、父母のお客様が家に上がるのも、餃子をたくさん作るのも大好きだ。
ところで、知り合いの、90過ぎた日本人男性から、ある日こんなエピソードを聞いた。
曰く、「壮年の頃に、30代の中国人夫婦と知り合った。二人は日本への国費留学生で、夫と私はともに書が趣味ということもあり、友人としてよく親しみ、年賀状のやりとりをした。夫妻は、何度も、晩御飯を食べていってください、と私を家に招いた」。
「それで?」
そのおじいちゃまに、なぜ、と聞く気は起こらなかった。聞けばよかったのだと思う(なお、ご老人は勿論ご存命である)が、聞く勇気が湧かなかった。ただ、心がすこしひんやりした。日本人って、やっぱりすこし冷たいのかもしれない。
だからコウくんのお母さんは、たくさんの小学生男子たちが美味しそうに餃子を食べてくれてうれしかったのだと思う。ほんとうに。