はてなキーワード: 自動車事故とは
三浦 義隆が書いた、スマホながら運転を助長しかねない有害な記事は削除されるべきだ。
自動車事故により車内外で年間約4000人が死亡しており、交通刑務所懲役囚人のほぼ全員は自動車運転手。
自動車は一瞬にして大勢の人命を奪う爆弾や銃と同等の凶器なことを三浦 義隆は忘れている。
あのような有害な記事を野放しにしたら、三浦義隆本人や三浦義隆の知人や家族が、携帯ながら運転のドライバーに加害され死傷される恐れも高くなる。
警察へのヘイト、憎しみをつのらせ、そういった自動車の年間約4000人も死亡している害について思いが至らなかったとしか思えぬほど愚かだ。
あのような論法ならば、自転車走行中や歩きながらでも「スマホは手に持ってるけど注視していないから!」などという幼稚な言い訳でのそれらが増える恐れがあるというリスクについても考えを至らせるべきだ。
なんかさー、高齢者の自動車事故が増えていて、自動運転の必要性は高まってると思うんだけど、
問題になってるのは車がないと生活しにくい田舎の状況だと思うんだよね。
都会は公共交通機関が発達しているから自動車は生活必需品じゃないし、人も車も多いから自動運転の実験しようにも危険が多いし。
だから、自動運転タクシー特区を人口密度の低い(若者も少ない)過疎農村地帯あたりに策定して、
そのエリアだけ走行するように設定した自動運転タクシーを無料もしくは安価で(実験だから)投入。
各家庭の玄関にボタン一つで自動運転タクシーが呼べるパネルでも設置して高齢者でも簡単に呼べるようにする(時間予約もできると尚便利かも)。
乗ったら音声認識で「◯◯に行って」の一言で移動。「ここを右に曲がって…」みたいなのにも応えられるようにはしておく。
着いたら降りるだけ。料金はパスカード式にしておいて移動のデータも残しておいて、次回は同じ場所ならすぐ行けるようにする。
農作業用に自動運転軽トラもタクシーとして使えるようにするとか。
エリア外に行きたい時はその地点から有人タクシーか路線バスに乗り換えるとかできるようにして。
最初は「自分の車を自分で運転したい」という人も多いかもしれないけど、自家用車と同じぐらい便利でコストも安いと実感すれば利用者は増えるだろうし
或るろくでなしの死を読んだ。短編集なんだけど、タイトル通りの強烈なキャラクターが代わる代わる出てくる小説だった。
全体的に貧者のホラーというか、弱者のホラーというか、社会的に追い詰められた者に降りかかる恐怖を描いた作品集だったと思う。
一話目の或るはぐれ者の死では浮浪者が主人公だったし、六話目の或る英雄の死では第一線で活躍していたのに底辺まで転がり落ちてしまった人物が主になった物語がつづられていた。
自動車事故にあった遺族の物語があれば、若いのに将来設計もなく子供を孕んでしまった男女の物語もあった。
全部が全部そうじゃないんだけど、総じて昭和っぽいレトロな空気感でもって不快感をぶん投げてくる感じ素敵だった。環境もモラルも整備され切ってない境遇と昭和って、よく合うよね。
上で不快感をぶん投げてくるって書いたけど、全部で七つある短編集の全てで違った不快感を味合わせてくれるのも面白かった。。
例えば一話目の浮浪者の話だと貧者の善意が健全に見える社会から踏みにじられる不快感が得られたし、二話目はとある人物の生き死にがたくさんに人々の思惑によって弄ばれている不快感がにじみ出ていた。
三話目はどうしようもない屑の話。ただ似通った話は昨今も絶えないので、実情を想像すると怒りがこみ上げてきた。
うって変わって四話目の狂ってしまった母親の話は終わり方が切なかった。鎮魂の儀式は人それぞれだけれど、そうするしかないってのがつらかった。
表題作である或るろくでなしの死は、ちょっぴり毛色が変わってダークヒーローものだった。ヨミさんかっこいいよ。サキかわいいよ。ただし、最後のスナップフィルムを撮影するシーンは短編集内でも随一の猟奇描写だった。
或る英雄の死は物語の構造がちょっぴりメタい気がする。最終話の話はなんで二人で幸せに生き残るハッピーエンドにならんかったんやって思った。ホラー小説なんだし、死こそが救いなんだから仕方がないのかもしれないけど。
まあそんなこんなで雑多な作品が集まっていたので、どれか一つは好みの一編が見つかる作品集になっていたと思う。反面ずしんとくる不快な読後感はあまりなかった。
最後にもう一つ二つ。個人的に帯のセンスがないと思った。作者二人のコメントが作品に水を差している気がする。ちょっとひどい。
そして解説もどき。あれいる? 自分語りはブログででもやっててほしいと思った。イラストとちょっとしたコメントだけ残してくれたらよかったのに。途中のポエムがひどい。
http://anond.hatelabo.jp/20161112115107
・1位 歩行中 1498人
共に加害車両は、ほぼ100%が自動車。運転手及び同乗者の死亡も山ほどある。横断歩道や歩道の歩行者でさえ、死亡原因のほぼ100%は自動車加害による。
つまり、元凶である自動車を削減すれば重大事故も減る=地域から重大事故が減り安全になる。
http://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/sesaku/xls/data08.xls
自動車依存、自動車中毒、自動車乱用が減れば減るほど地域は安全に。危険ドラッグと同様。
実名公開、顔の公開、懲戒解雇、刑務所懲役につながる場合も多いのが自動車による加害、自動車交通犯罪。
http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_kiken_chishi.html
・京都祇園で歩道のない道路で自動車が暴走して20人の歩行者等が死傷した惨事
・他 http://greentoptube.hatenablog.com/
等もあり、このように、自動車は一気に、自動車運転手及び同乗者も含めたおおぜいの人命を危険に晒すので、各国が特に都市部で自動車削減・自転車活用拡大推進に注力している。
世界各国「重大事故削減と自動車公害削減、渋滞軽減の為に自動車への規制強化・課税強化で自動車を削減し、自転車を増やします」
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1461543122/
国民「クソ金食い虫な負債で死と刑務所直行な害物の自動車捨てるわ」
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/car/1464430360/
http://mainichi.jp/articles/20160726/ddl/k02/040/014000c
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0332048.html
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0331032-s.html
子供の命が事故で失われることと、ポケモンGOを規制することのどちらが大切か、というのは論争になっているのを見ても分かる通り、それほど簡単な問題では無い。ここで命かゲームか?という対立は完全に間違っており、自明に計算可能な命の損失か、計算しにくいがある程度推測可能な命の損失、という対立が実は正しい。何故、直接子供に害を与えた自動車は禁止されないか?という問いへの一つの回答として、功利主義的な説明がある。つまり、最大多数への効用を鑑みると、年間いくらかの自動車事故による死は仕方がない、という判断だ。簡単に言えば、自家用車を禁止すれば回らなくなる経済があり、経済が回らないことで死ぬ人が生じ、生まれてこれたのに金が無かったので生まれてこれなかった人が出てくる。その潜在的な死者と実質の死者のトレードのレートにおいて、実は自動車は許されている。さて、ここでポケモンGOである。ポケモンGOもすでに莫大なリソースが巡る経済圏を作っている。ゲームだからバーチャルだから遊びだから、ということは全く関係無い。その経済圏で飯を食う人々が沢山いる。自動車と同じで基本的には人々のQOLを向上させることで社会的には役に立っているといえるし、基本的に自動車の速度域でゲーム内容に制限がかかるなど、その機能が死なない程度のリミットを(社会的な要請を受けて)かけている。こうした観点からみると単にゲームだから、という理由である産業にだけ厳しい制限をかけるのは割と差別的であるし、倫理的でも論理的でも無いことが分かる。ただし、多くの人はこれを直感的には受け入れられない。経済と言われても、ゲームと同じくバーチャルなもので、人の命の方が大事、という主張をするだろう。車を買ったり、怪我の治療をするときに支払う貨幣という存在も基本的にはバーチャルなはずなのだが、体感的に分からんものは分からん、という人が多いので仕方ないかもしれない。
自動車事故の際の対応は「知ってる」「知らない」で意識が全然違うから色々正直に書く
よく言われるのが「保険会社は結局こっちに過失が無くても8:2とかにしてくる」とかいうやつ
これは、基本ありえないの。あなたの「過失」の認識が少しズレている
もちろん例外はあるけど、大原則として知っておいてほしいのは「(車が)動いていれば双方に過失がある」
過失が完全に0だと言えるのは、その車が停止していた場合(または後ろから追突されたりとか)
自動車事故が起きた時にまずやることは、二次被害を防ぐために路肩に車を移動させること。そのあと、人命救助、ケガ人への早急な対応
相手と話す。カッと怒ってしまう場合もあるけど、どちらの場合でもここで相手のケガ等を一度でも気遣っておくと後がスムーズ
相手だって起こしたくて起こしたわけじゃないんだ
保険会社は連絡を受けると、状況を詳しく聞いてくるでしょ?
あれは、事故の図解を作りながら、手元で判例集を開いているんだ
基本的にこれに沿って過失割合(どっちがどれだけ悪いのか)を決める
似たような状況で起こった過去の判例を基に、そこから「無灯火だからこっちがプラス0.5」「低速だからマイナス1」とか修正していく(「過失」のプラマイだからニュアンスとしては逆ね)
そしてそれを基に過失割合の見解を出して、あなたにそれを伝える
漠然とした認識だけど、どこか保険会社を敵と捉えている人が多い
よくよく考えて。あなたの入ってる保険会社の人は、今現在誰よりもあなたの味方であり、一応プロだ
だから、「こんな過失割合なんてひどい!」と頭に血がのぼる気持ちも分かるけど、それがどういう整理で組み立てられた答えなのかしっかり聞いてみて、そこから反論やツッコミをした方がいい
ポイントは、自動車保険は1円使おうが1000000000000億使おうがペナルティ(翌年の保険料増加)は同じということ
重要なのは「保険を使ったか」「使わないか」。使ったら、等級(無事故割引)が翌年3ランク下がる。使う金額はここには関係してこない
だから、過失割合が「8:2」で決着しても、「7:3」で決着しても、あなたの来年以降の財布の痛み具合は全く変わらない
決して、甘んじて折れろというわけじゃないんだ。でも、これを意識してゆっくり構えて事故対応をするだけで少し気が楽になると思う
事故が起こると、「自分は悪くなかった!!」という強迫観念みたいなのに襲われてしまうお客さんが多い。そこに、保険会社は判例で淡々と結果を伝える
だから、例えば、失敗して落ち込んでいる人に正論をズバズバ投げ掛けるような図式になってしまう。あなたが気を悪くするのも分かる
でもこればっかりは相手がいることだしお金が絡むし人命ももちろん関わってくることなので、「自分は悪くなかった!!」は一旦保留にして対応した方がいい
あと、最近は保険料も高くなってきて、ちょっとの自損事故(相手がいない事故)なら保険を使わない方がよかったりもする
上にも書いたように、重要なのは「保険を使ったか」「使わないか」。金額じゃない
だから、例えばガードレールにこすって修理5万、車両保険で修理だ~ となると、おそらく多くの場合で損をする
等級(無事故割引)は下がる時は必ず3ランク下がるけど、毎年1しか上がらない
だから、一度使うと元の割引率に戻るまで3年間もかかってしまう
「使わなかった場合の向こう3年間の保険料」と「使った場合の向こう3年間の保険料」の差額は、5万を超えてくる場合が多い
だから、長い目で見たら保険を使わずに手出しした方がお得だったりもする
この計算は事故担当者はすぐできるので、比較して差額を教えてくれとお願いすればいいと思う
でも、相手がいる場合(賠償)はこういう考え方をしたらだめだよ
最後に本音。事故担当者も人間だから、判例とか色々決まりはあるけど、やっぱり助けたい人を全力で助けたくなる
仕事で若者の危機感を煽って保険に加入させるのが億劫なのでここで本音を書くよ
とりあえずこれだけでいい
ここを数千万にしても無制限にしても保険料はほとんど変わらない
車両保険をつけると保険料が二倍になると考えていい。どうしてもつけたかったら免責金額を設定するんだ
細かいオプションや特約はほとんどいらない。レッカー関係だけつけとけ。これでレッカーの牽引距離が伸びる。ただし増加する保険料はほんの少しだけだ
火災保険も保険金額(万が一の際に支払われる金額)は100万くらいでいい。もっと低くてもいい。今の家はそう簡単に燃えない
前者が、例えばドアを壊してしまった時の大家さんへの賠償、後者が、例えば洗濯機から水漏れした時に下の階の人への賠償だ
特に「個人賠償」は、家関連のことだけでなく、君が自転車でおじいさんをひいてしまった時にも使える。これがあれば自転車保険なんてのは要らない
原付を仮に持ってるなら自動車保険にオプションでつけろ。ただし保険料が高いから車があるならもう処分しろ
事故が起こった時は自分が過失0の時以外は保険会社に丸投げしろ、矢面に立つな、下手に謝るのもだめだ(逆に過失100の時は死ぬほど謝れ)
保険は、1円使おうが1000000000000億使おうがペナルティ(翌年の保険料増加)は同じだ
あと医療保険や傷害保険、ガン保険や生命保険だが、これは君が結婚してから考えろ
今君が死んでも金銭的な意味では誰も困らない
万が一ケガした時には普通に貯蓄してる金額から出せ。もっと大きな病気になったら恥ずかしいかもしれないけど頭下げて親を頼れ。20代ならまだ親は働いてるケースが多い
これらの君の体に関わる保険は、君が結婚したり子供ができたりして「だれかのため」に生きるようになった時に真面目に検討すればいい
それまでは普通に貯金しろ。その方がいい。それは将来の結婚資金にもなる
だけど入った会社が団体扱いで募集対象になっていて周りの先輩たちもみんな入ってるなら、仕方ないからそれには入ろう。カドが立たないし、その場合は団体割引があるから市場のものより安い
(追記)
自動車事故について書いた
http://anond.hatelabo.jp/20151209101249
色々「これはどうなの?」とブコメで質問されてるけど、ここに書いたのは「若者」という定型的に語れる年代だからこそ、それっぽく言えるだけの話なんだ
家族ができたり互いの収入だったり確定拠出だったりは環境や生活や人生プランに個人差があって一概には言えないんだ。ごめんな。ここに何万字も書くワケにはいかない
劇場版『ハーモニー』の公開から一週間が経過し、『ハーモニー』LINEスタンプとか『ハーモニー』Tシャツといった危険信号を無視して戦場に足を踏みいれたオタクも大半が死んだ。不満はいろいろとみかけるが、もっとも多いのは「謎のピンクの日本」と「ラストの『愛してる』」のふたつのようだ。ところがどっこい、このふたつは同じものである。
賢明なる読者におかれてはマイケル・ラザフォードの『1984』を思いだしていただきたい。本作においてはビッグ・ブラザーの支配する全体主義国家がモノトーンに近い暗い色調で、対照的にウィンストンが恋人と逢引きするシークエンスが鮮やかな色調で撮影されている。原作ではこいつらが明るくて前向きの元気ハツラツの若者だったら全人類のハーモニクスはおきなかったといわんばかりの〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の老人たちが、劇場版では思わぬ躍進をとげ、全人類の情報をにぎり管理する巨魁となっていた驚きはまだ記憶にあたらしいと思う。そう、劇場版『ハーモニー』の主題は全体主義との対決なのである。「『ハーモニー』のテーマは全体主義との対決じゃないだろ」といわれても、それは脚本を書いた山本幸治にいってほしい。となると日本がピンクの単色で描かれていた理由もわかろうというものだ。対照的に学生時代の回想は背景の自然を強調して鮮やかな色彩で描かれている。劇場版ではトァンとミァハはAからはじまりセックスまでしているのが、いかにも国家と個人の対立らしい。『1984』でウィンストンと恋人は逢引きするたびにセックスして、むしろセックスするために会っているのではないか、さすが1948年、現代の草食系の若者とはちがうと思うがそれはどうでもいい。
劇場版をみてなんで意識を消滅させるかわからなかった観客も多いようだが、それもそのはず、意識を消滅させる根本の動機である生命主義社会への違和感とか、生きづらさにたいするトァンの独白はばっさりカットされている。劇場版で意識を消滅させるのは、単純明快に「ヤツらに管理されない」という〈次世代~〉の老人たちへの反逆である。シュタウフェンベルクはその手先なのでもちろん同情の余地はないし『働きマン』の上司よろしく最後の最後で態度を変えてトァンをねぎらったりもしない。というわけで、根本的に意識を失いたくはないわけである。しかし〈次世代~〉の老人たちの管理支配体制を脱するために意識は消滅させなければならなくて、トァンが「でもミァハは、私が好きだったミァハのままでいて。愛してる、ミァハ」といってミァハを射殺するわけである。なので、『Ghost of smile』の歌詞も惜別を唄うものとなっている。死んで悲しむくらいなら殺すまえに意識を失っても生きていたいかどうか確認くらいしたらとツッコむのは無粋である。
では劇場版『ハーモニー』は原作とはちがうはなしなのかといわれたらそのとおりである。とはいえマーケティングを考えれば当然で、J・G・バラードにならった個人の精神世界がそのまま世界に直結する内宇宙(インナー・スペース)の物語でも、ノイタミナをみている女子大生に「生きづらいから全人類の意識を消滅させる」といったら、「ナイーヴすぎる」とか「周りがみえてない」とか「『ガキ使』をみれば意識が必要だってわかるよ」とかいわれて終わりである。もし「テクノロジーと情報過剰の帰結として自動車事故でセックスを疑似体験する」などといおうものなら、「なにそれ。キモ」といわれるのがオチである。
それでは劇場版『ハーモニー』が原作への理解にもとづいて制作される可能性はなかったのか。たとえばタルコフスキー監督である。リリシズムと内宇宙(インナー・スペース)への理解があり、ついでに日本通のタルコフスキーなら『ハーモニー』を完璧に映画化してくれるにちがいない。タルコフスキーなら映画を『007』さながらのニジェールのドンパチではじめたりはしないだろう。学生時代のトァンが自宅でふつうに起居するところからはじめて日常生活をしばらく撮影するにちがいない。そしてトァンと出会うシーンになるが、だいたいこんなカットのはずだ。
①ベンチに座るミァハ(遠い)
②トァンの後ろ姿
① ② ③
そこでミァハとの会話がはじまる。途中からキアンもくわわるが、ともあれえんえん一時間くらいずっと会話がつづく。そこでようやく十三年後になりキアンが自殺する。トァンも政府高官だとわかるだけで詳しい説明はないだろう。物語が淡々と進んでコーカサスに登攀し、なんか濛々たる霧に覆われて半分くらいみえなくなっているバンカーにはいる。もちろん内部は水浸しだ。ミァハとトァンの対話がはじまるが、水中に没している十字架を写すカットが意味深に挿入され、「ちょっと待ってくれ」といいたくなるが映画はとまらない。ミァハとトァンの対話がまた長い。そして最後で唐突にトァンがミァハを射殺し、瀕死のミァハをずるずると屋外まで引きずっていって、だんだん白霧が濃くなってゆきホワイトアウトする。ショットが替わり、チェチェンの広大な大地を少女が遠景に去ってゆくところを長々と写し、クレジットが表示される。BGMに思いっきりヘンデルの「メサイヤ」が流れ、オタクたちが「やっぱり宗教モチーフで全人類のハーモニクスが『最後の審判』に読み替えられてたじゃねえか!」といきりたつが当のタルコフスキーは原作者と同じく夭折していてこの世にいない。いたらいたでコーカサス山脈に撮影に都合のいい海や湖がないからブチ切れそうだ。というかミァハたちの会話がえんえんと一時間もつづく劇場版『ハーモニー』なんてどう考えてもつまらないし、正直なところ①②③とか書きはじめたあたりからどうでもよくなっていた。劇場版『ハーモニー』はあれはあれでいいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150804051451
六0キロ制限の表示のある国道。一00キロ近い速度で他のクルマを抜き去っていくスポーツカーがいる。
ドライバーはカーレーサー気分だ。彼にとって道路は自由な遊び場であるが、もし、子供達が同じ道路で野球をして遊んでいたら、彼はクラクションを鳴らして子供達を追い払うことだろう。
日本全国のどこか。毎日二人の子供が、自動車事故で殺されている。
毎日どこかで通り魔が出没して子供を殺すようなことがあれば、大きな社会問題になるのだろうが・・・・。
http://news.azwad.com/post/31975473123/
http://greentoptube.hatenablog.com/
そして、自動車の危険運転害を野放しにしている地域ほど、子供が減っていく。
道に自動車が増えれば増えるほど排ガス騒音等で環境も壊れていき、重量、専有面積、速度からして自動車は存在自体が極めて危険な凶器。
オランダは自動車乱用を抑制し、自動車を減らすために、自転車を安心安全便利に使える環境整備を推進し、高いレベルの交通安全を実現している。
レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど役に立つこと」を思い出した。
あれはごく短い短編で最初書かれて、その後、長めの中編に改作されて、その改作された方が「ささやかだけれど役に立つこと」なのね。
短編の方がざらっとして好きだったな。中編は「いい話」になってしまっていて。
あらすじをざっと書くと、あるお母さんが、10歳くらいの息子の誕生日のために、パン屋でケーキを予約するのね。
息子の名前なんだったっけ。猫みたいな名前だったけど。スコッティだったっけ。で、ケーキに「スコッティ、おめでとう」って大きく書いてもらうのよ。
で、ケーキは当日引き取りに行く予定だったんだけど、その日の朝にスコッティが自動車事故にあっちゃって、死んじゃうんですよ。
警察やら病院やらを回って深夜に疲れ果ててお母さんは帰ってくるんだけど、電話がかかってきて、
「スコッティはどうなったんだ、あんた、スコッティのこと忘れたのか」
って相手が言う、そういう話。
ここまでが短編のあらすじで、中編はそこからが描いてあって、お母さんは一体誰がこんなことを考えたら、そう言えばケーキを予約してたわ、パン屋に違いないって思いついて、パン屋にのりこむんですよ。
で、やっぱりパン屋が電話をかけたのであって、パン屋はケーキを引き取りに来ないんで、怒ってたんだけど、お母さんが「スコッティは死んだわよ!」と逆切れすると、パン屋は同情的になって、
「こんな深夜から働くような過酷な仕事をしていると魂が擦り切れるみたいに感じることがあるけれど、そういう時は、おいしいお茶であたたかいパンを食べるんですよ。さあ、あんたもお食べなさい。ささやかだけれど役に立ちますよ」
と言うんですよね。
元増田は「ささやかだけれど役に立つこと」が欲しかったんでしょうね。でもみんな魂が擦り切れるようにして生きているんですよ。私は中編の方のお涙ちょうだいがだいきらい。
http://anond.hatelabo.jp/20141025115552
http://anond.hatelabo.jp/20141024223055
自動車害 自動車モラル崩壊まとめ 自動車運転手らは昨日も今日も交通犯罪行為で地域を危険にしている。
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円
http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
全然割合の少ない自転車加害事故を大仰に取り上げ、抑圧につなげるマスコミ、行政
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111025/1319554054
http://www.tkz.or.jp/con13.html
自動車乱用が蔓延し、自動車流入制限、自動車抑制施策が不十分なために渋滞公害発生 渋滞で動けない救急車(警察車両、消防車両も) 失われる人命。
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8
年間4000人以上もの人命を毎年コンスタントに奪っている自動車
これを天秤にかければ、ある程度理性と知性がある人間ならば、どちらを選ぶかは明白だと思いますよ。
テロだ通り魔だと言い出すならば、自動車こそ全国でテロや通り魔をやっている実行犯です。
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
老夫婦が横断歩道のところで立ち止まっている。クルマが次々と目の前を走りすぎていく(横断歩行者等妨害等違反。併せて速度超過も蔓延。歩行者などの弱者と接触すれば自動車運転手の過失が厳しく問われ交通刑務所行きも珍しくない。)。
自動車の流れが途絶える瞬間を見計らって二人はあわてて道路を横断していく。
横断歩道とは、歩行者がクルマの途切れるのを待つための場所なのである。
いわゆるRV車の鼻先、ちょうど子供の頭くらいの高さに、異様なバーが取り付けられている。
野生動物が飛び出してきたとき、これをはねのけてクルマの安全を守るショックアブソーバーだ。カンガルーバーと呼ぶ。
ちなみに日本にカンガルーが飛び出してくる道路は無い。何を跳ね飛ばそうというのだろう。
六0キロ制限の表示のある国道。一00キロ近い速度で他のクルマを抜き去っていくスポーツカー(速度超過の交通犯罪行為、多くは車間距離保持義務違反や幅寄せ=暴行罪も併犯)がいる。
ドライバーはカーレーサー気分だ。彼にとって道路は自由な遊び場であるが、もし、子供達が同じ道路で野球をして遊んでいたら、彼はクラクションを鳴らして(警音器使用制限違反)子供達を追い払うことだろう。
もともと自分は乗り気ではなかったんだけど(車だけに)、親がうるさかったので仕方なく取ることにした。
でもさ、正直乗りたくないんだよね、車。
だってさ、自分がいつ事故の加害者になるか分かったもんじゃないじゃん。
交差点で仰向けの恰好でスケボーに乗ってた6歳男児、車にひかれ死亡
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1812970.html
こんなのさ、はっきりいって無理ゲーじゃん。
自分はこんな事故起こさないって自信を持って言える人、いないでしょ。
そりゃ確かに、上の例では運転手の責任は法的には問われないだろうよ。
でも問題はそこじゃない。事情はともかくとしても、人を一人殺したことに変わりはないんだから。
寝る前に、轢いた時の音とか、ハンドルの感触とか、異変に気付いて車から飛び出た時に目に入った子供の無残な姿とか、蘇ってくるんだろうね。
「さっきから車のデメリットばっか強調しやがる。車は人殺しマシーンである以前に交通手段なんだぞ?
たった一件の事故について知っただけでこんなセンチメンタルになりやがって。主語のデカさだけは一丁前の増田だな。」だって?
そりゃそうだね。何事もメリット/デメリットを比較して考えるべきだ。
ところで、俺は東京に住んでるんだよね。だいたい行きたいところには電車かバスで行けるんだよ。
ごめん、話をそらすつもりはなかったんだ。
でも、東京で暮らしてて「車欲しいなぁ」って思うこと、ほとんどないんだよ。
オリンピックが来たらさ、公共交通機関ももっと充実するじゃん?
そしたらもっと車も要らなくなる。
車を使いたくなるのってどういう時なのか、よく分からないんだよ。
それでも一応、エントリに起こすためにちょっとは真面目に考えてみた。
車があると便利なタイミング。
俺、車を使うような仕事に就くつもりないんだよね。
仕事で車使うのって、トラックやタクシーの運ちゃん以外だと、会社の営業とか広報とかくらいなんじゃないの?
よく知らないけど。
俺、結婚できるのかなぁ。
しかもだよ。上で「メリット/デメリットを比較してみよう」とか言ったけどさ。
「人を轢く」っていうリスクを定量的に評価するの、意味があると思う?
車を運転してて実際に人を轢く可能性は、確かにそこまで高くはない。
じゃあ人を実際に轢いた時の損害を算出してみようという段になって、君はその損害を数値化できる?
「車が壊れたから買い替えウン千万。あと慰謝料ウン百万」とかそういうことじゃなくて、精神的な苦痛の話だよ。
例えば彼女にフラれたときの苦痛を100として、人を轢き殺した時の苦痛はいくつだって即答できる?
俺にはできない。強いて言えば「∞に発散する」って答えると思うよ。
「自動車を運転するの、どうよ?」っていう命題は、最悪の事態が発生したときの損害が大きすぎて、メリット/デメリットを比較検討する意味がないと思わない?
どこかの原発でも、「確かにでかい津波来たらやべぇけどさ、そんなのありえなくね?マジこれほとんどノーチャンっしょ」っていう意思決定があったらしいね。あれと一緒。
おまけに、この「最悪の事態」は日本のどこかで日々起きてるんだよ。
車の運転に対する君の感情が、今のところポジティブなものだったとしても、それは単に「運が良かった」だけでしょ?
こんなんだったら俺、免許とらなくても良くない?
宅配とか送迎とかのために、車は使われ続けるだろうさ。
でも、狭い住宅街のただ中を車がビュンビュン走るっていうのは、ちょっと前時代的過ぎると思わない?
今や駅にもホームドアが付いてるんだよ。自殺しようとでも思わない限りはそう簡単には電車に轢かれないよ。
じゃあ、君の家の前の道路はどう?歩道はある?ガードレールは?
でも、歩行者と自動車の間を隔てるのが白線一本だなんて道路は、なくなった方が世のためだと思う。
実際に車を今バリバリ運転してる人は、ここに書いたようなこと、どうやって折り合いを付けたの?
「明日、もし俺/私が人を轢き殺したら」って、考えたことない?
勢いでバーっと書いたエントリだから、少しミスリーディングになってしまった。
「都会暮らしの人には車は基本必要ないし、それ故に免許を取る必要性も俺はほとんど感じないけど、みんなはどう思う?」
って聞いてみたかっただけです。
家族や友人と話をする中で、「車の免許」というものに対する温度差を感じたので。
色々とグダグダ言いましたが、免許は取ります。もう金も払ったし通い始めちゃってるからそこは仕方ないね。
車に対する自分の見方が偏ったものなのか、はてな村民をバロメータに確認してみたかったので、レスポンスがもらえればまあそれでいいやと。
しかし、企業・労働力・雇用・交通機関・資金が、一極集中し過ぎている東京都のような
都会だけではなく、
もちろん、私の議論が交通手段の発達した都会でしか成立しないのは重々承知の上です。
「都会においては、」歩行者を守れるものが白線一本しかないような危険な道路はなくしてくれ、とでもすべきでしたね。
ごもっともです。
結論が免許取得の有無になってしまったのは、単に私が「教習所めんどくせえ」と念じながらエントリを書き上げたからであって、
「免許とかいう制度、この世からなくなれ」などと言うつもりはありません。
リスクなんてそこらじゅうにある、というのはその通りなのですが、
車の運転に関して言えば「都会住みならリスクへの対策が容易(運転を控えれば良いだけ)」かつ「『万が一』の事態が起きる可能性が比較的高い」ため、
通り魔に遭いたくなければ外出を控えなければならないし、スリに遭いたくなければ金品を持ち歩いてはいけない。
どちらもたいへん非現実的です。だから、実際に金品を持って外出する人は通り魔•スリに遭う可能性についてはいわば妥協しているわけです。
ただ、都心の発達した交通網のおかげで「車を運転しない」という選択肢は比較的現実的であると私は思います。
おまけに、種種の犯罪に巻き込まれる確率に比べて自動車による死亡事故を起こす確率はかなり高い。
例えば警察庁のデータ(https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h24hanzaizyousei.pdf)を紐解いてみると、毎年事件に巻き込まれて亡くなる方の人数はおおむね500人前後。
通り魔とかいった「突然、偶発的に巻き込まれる恐れのある事件」のみならず、
怨恨殺人とか、金品狙いの強盗殺人とか、そういうものも含めてこの人数です。
それに比べて自動車事故による死亡者の人数は、2013年で4373人。(http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikokoutsu)
ニュースで殺人事件の報道がなされ、死亡者の名前が一人読み上げられる裏で、
八名の方が自動車事故で亡くなっているわけです。
「そもそも、4373という数字自体が小さいではないか」と思われるかもしれませんが、
それでは、あなたの知り合いの中で、過去に刑事事件もしくは自動車事故に巻き込まれて亡くなられた方はいませんか?
私にはいます。親戚が刑事事件に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。
おまけに、車に乗らなければこのリスクは避けられる。
だったら、乗らない方が身のためだと思いません?
免許取って1年間で三回。
物心ついたころから普通の人と自分が何となく違うという違和感があったが、
最近になっていよいよ自分て発達障害なんじゃないかと思えてきた。
・接客バイトがまったく向かない。
バイトは3つ変わってるが、どこでもゴミクズレベルに使えない。
うっかりミスが多い。仕事が覚えられない。機転がきかない。怒らせるつもりはないのになぜか接客でお客さんを怒らせてしまう。
・集中力が無い
勉強に集中できない。ひとつの物事にもって15分ぐらい。気がつくと他のこと考えてたりする。
・締め切りが守れない
夏休みの宿題から大学のレポート、ヤフオクの取引連絡まで忘れまくって相手を怒らせた回数無数。
・空気読めない
飲み会など大勢で会話するのが苦手。一対一も苦手。こっちが何気なく言った一言で相手が凍り付いたり怒り出したりする。
・自動車事故が多い
上に書いた通り、物損二回、人身一回。
自分はADHDなんでしょうか?病院で診断受けた方が良いですか?
親にはよくお前は不注意だ、もっと慎重に行動しろと言われますが、
自分ではもはや自分の意志一つでなんとかできるレベルではない気がします。