はてなキーワード: 相関関係とは
久しぶりに部活してた。
部活嫌いだったから内心嫌だなあと思いながらも周りに対してはがんばってやる気があるように装ってた。
ユーザと作り手のゲームの面白さを図解したやつってのを説明されてたけど、
犬の顔にリサイクルマークみたいな矢印が循環してるのがたくさんくっついてて、相関関係とかぐっちゃぐちゃだったし、まあその感想もむべなるかなという感じだった。
ジャングルの中を日本庭園みたいな飛び石の道?があって、そこ歩いてたらドアが隙間だらけの工事現場にあるような簡易トイレがあった。
どうしてもおしっこしたかったから入ったけど便座がすごく汚くて紙で一生懸命拭いたけどとれなくてあきらめて座った。
でも出ない。
直後に起きてから漏らしてないことに気づいて安堵した。
そもそも昨日の夜ごはん食べてパソコンと照明つけっぱでタオルケット一枚で床に寝ちゃってて、めっちゃ寒くて何度も夜起きたんだよなあ・・・
そのせいで眠りが浅くて変な夢をたくさん見た気がする。
女が男に求める理想は「高学歴で高収入」「清潔感のある常識人」「平均身長より背が高いイケメン」等…理想が高いと言えば高いが、相互に矛盾する条件ではない。学歴が高ければ収入も高い傾向もあるし、常識のある男性なら見た目にも気を遣うだろう。
だから女の理想に対し「一つ一つの条件を全部クリアしている相手を探すと○%×○%×○%で○%しかいない!女が求める『普通の男』なんていない!」といって論破しようとするのはおかしいと思う。一つ一つの条件は独立するものではなく相関関係にあるのだから。
それに対し男が女に求める理想は「美人で処女」「若くて高収入」「共働きで家事を全部やってくれる」等……矛盾し相反する条件を女に求める。そこが違う。「美人で非処女で若くはないが高収入で共働きで家事はあまりやらない」にすれば理想は高いが現実にいる女性になるのに、矛盾する条件を求めてるからいつまで経ってもそんな相手は見つからない事になる。
だから男の理想の場合にも「一つ一つの条件を全部クリアしている相手を探すと○%×○%×○%で○%しかいない!」という論法で論破しようとするのは間違いだと思う。「ブスで処女」なら沢山いても「美人で処女」は滅多にいない。一つ一つの条件は独立するものではなく相関関係があるんだから。
今回は雑談関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
物事を多角的に捉えることは君の価値観を豊かにするかもしれないが、本質を見失ってはいけない。
薄皮クリームパンなども同じことだな。
私たち仲間内の間では、ゲームの内容を喋ってそれが何のゲームタイトルか当てるのが流行っているね。
例えば、助けた姫がウザすぎて、ブチギレた桃太郎が姫を叩っ斬るバッドエンドがあるゲームは?
正解は「あれ!も これ?も 桃太郎 日本たらればなしツアー いち」とかね。
気分を変えたいときは、内容の中に嘘を交えてそれを当てるクイズとかもやるな。
私がやっているのは「逃げ道ゲーム」だな。
まずテーマを決めて、それから「逃げる側」と「追う側」を交互にやっていく。
「据え置き機なのがなあ」
→「パソコン版あるよ」
→「家で腰を据えてまでじゃないんだよなあ」
→「ipadでもできるよ」
→「お金払ってまでじゃないんだよなあ」
こんな風にどれだけ繋げられるか遊ぶゲームだ。
コツとしては、逃げる側も追う側も返しやすいワードにすること。
二人でやるのもいいが、一人のほうが思考力を鍛えられるのでオススメしたい。
個の価値観が介入する以上、答えはNOだ。
ただ相関関係はないかもしれないが、「売れている」という事実はあるということ。
個の価値観は尊重されるべきかもしれないが、事実からみた価値もまた尊重すべきだろう。
つまり、この世で最も美味いかはともかく、この世で最も売れているのだから、少なくとも大衆に最も受け入れられている食べ物ではあるということだ。
是非がどうとか、そんなこと私は知らんよ。
あんたが何と戦っているのかさっぱり分からないんだけど「相関関係」という言葉の誤用についてしか俺は突っ込んでないから。数十行書き込む前に引用含めて4行ぐらい読もう。
そこですこしだけ話を戻したいのだけど 相対関係だってことにもどるのでいいの?
もうそれ相対でいいよ
俺が必要としているのはここだけ。後は興味無いから興味ある人とやってくれ。
ちなみにこのツリーで俺が横槍入れる前の増田も同じだと思うんで絡んでやるのはやめてやれな。
呼称や愛称と違って、肩書は「相対的関係」や「相関関係」を示すものじゃないんではないのか?
「○○株式会社社長」は、自分とその人の関係がどうあろうとも、社長なわけで、弁護士資格を持ってないやつが「弁護士」を名乗っていたら、そいつはたぶん詐欺師だ。
野宮でおネエちゃんに「社長さ~ん」と呼ばれたからって、それは「社長」という言葉が呼称ないし愛称として使われているだけだ。
じゃあ これで伝わるかなって もう一度だけチャレンジしてみるね
相対は 相対する二者の関係で
これは大丈夫だったみたいだけど繰り返すね
二者が対しているってことは 片方からみたら相手が一人いるってことで
つまり
三人目がいないと 二人いるってことは見えないよね?
ということが言いたいのだけど つたわる?
おれと おまえがいる とどのつまり 1プラス俺 で2だろ ってことを言いたいのかな
「じゃあ 相手からみたあなたは どういう姿をしていた?」と自分を客観視できる?
できる人間が「二人」と表現すると思うのだけど その時の俺 と 今の俺 を保証する情報は何があるのかな
俺は俺が俺だと言ってる から俺なのかな
じゃあ前増田と今増田が 同一人物だと判定するのは あなたかわたしの どちらになるのかな
相関は お互いがお互いの関係性についてだ
もはや日本語としても伝わらなかったんだね
残念 私の国語力
あなた増田と 私増田が今回接点があったわけだけど これは継続しているのかしていないのか
はてなIDを管理している運営という第三者しか観測し得ないよね
わたしとあなたは 相関として 質問したり されたり する関係に今回はあって
先生は わたしにおしえこんだわけだから私のこと 性奴隷って 呼んでいいよ
はてな運営は 第三者視点で私たちの関係を 先生と性奴隷 って認識してにっこりするだろうけど
その相対関係は 相対として存在できるのは はてな運営だけだよね
先生は私を次もまた 性奴隷って呼びたくなっても 相関関係が切れたらもう呼べないよね
二人の関係を示したこの文章があるから 永遠におまえは俺の性奴隷だろっていいたいかもしれないけど
それははてな運営の視点に似た 読者という視点で二者をみたときの話で 運営でもない第三者が
相対関係をここだけ認識しても その相関はここで終わってしまうんじゃないかな
あなたは 性奴隷をつくることに 成功したって実績をもってその証明にこの相対関係を例に出すことができるけど
じゃあその性奴隷は どの子? って聞かれた時に その相関をこの1例以外に示すことはできる?
相対的にあなたがわたしのことをとらえているのなら 次にあなたに話しかけるだれかも わたしだし
わたしはどこにでもいて どこにもいないことになるとおもうんだけど
あなたにとっての 私はだれ?
おまえは おまえだろ っていわれたら キュンとしちゃ… わないか たぶん
思いついたなぞなぞは どのお楽しみですか?
1、因果関係は 原因と結果 変化前変化後 過去と現在といった 共通性のある因子がそれぞれことなるので
原因と結果は加害者と被害者 変化前後は過去の私と今の私 過去現在は確認の怠りと事故発生 などでそれぞれ呼び名は好きにしたらいい
相関は人間がみた人間との関係性についての表現方法なので四文字熟語としては形が似ているが別物
例にすると、原因と結果 で加害者と被害者という因果関係に立った両者は 相関的に悪人と弱者などの関係性になり
相対的に影響を与えたものと与えられたものと見ることができ 一つの事件という軸線上の二者として点在できる
因果関係としては結果に対してその結果責任を貸借対照表のごとく均等に振り分けるよう懲罰を目的とした刑を処したり
更生を目的とした時間経過を与えたりする 被害者には損失補填はできないが社会保障としてそれに足る内容を法律に照らして考慮する
相関関係は悪意があったのだろうとして悪人だと被害者が思ったり 犯人は完全な悪人で善意がまったくないとしたら被害者を軽視したりする
その結果被害者は加害者のことを「悪魔」と呼称したり 犯人は被害関係者を「豚」と呼んだりするかもしれない
相対関係は 法的に結果の出た関係性について「無罪とかありえない」と評論したり「その刑は重すぎではないか」と意見したりする
何がどうちがうのか語らなくても十分勝ちにみえるから説明まではいらないね
呆れて読むのにつかれた 意味がなくて価値のないものだと 私はおもいました
とか匿名の私が 私と名乗ればまるで一般大衆に流布された 一般人でも知り得た大きな流れと感じたりできるし
2、因果関係と相関関係は字面はにているが別物 なのでそんなのは適当に考えて
なぞなぞのお答え:答えられないんだw
これも その程度なんだと言い捨てるだけで十分勝ちに見える
3、そんなのは知らん 他の偉い人に聞いてみてくれ
なぞなぞのお答え:答えられないんだw
同上
自動車の原動機はエンジン では自転車の原動機はなーんだ:答え人間
みたいなクイズだよね
エンジンはエンジンでしょ エンジンと人間になにか共通項があった?鉄分?ニッケル?
「うごかしているでしょ」とか動力のもとになってるとかいうのかな 動力って何なんでしょう?運動エネルギー?
前に進むって抽象を指してその元を言いたいのかもしれないけどペダルとチェーンはエンジンの機構 つまり人間に含む?
伝導部は含まない から直接運動エネルギーを取り出している部分はエンジンに含まない?
エンジンのエンジンたりうる部分はエンジン自体の何割なのか エンジンの定義は などと「答えが定まらない」時点で正常な問いではないと思うんだけど
問いかけた本人のなかでは定まっているのかしら それは本人さんしかわからないよ
おまけに わたしが考えた最強のなぞなぞ用例をあげておくね
高校生 人間は原動機だ ← この時点のようなみずみずしい感性と若さあふれる躍動感を感じる質問だと思う
上級管理職 速くなくては人ではない
引退後 人よ速くなれ
(追記)
おっとかぶった。
他の増田が指摘しているように「相対的関係」を「相関関係」と呼んでいるのなら、他の単語についてもおれが考えているのと違う意味があるかもしれない。
そうなると文意をとるのはすごく困難になって、ポストモダンというのはそういうものかもしれないが、解釈にかかるコストが大きすぎるエントリーというのはまじめに読む気がしなくなるものだなあと思いました。
先生 っていったら言ってる側からみて 先んじて生を経験しているもの その分知識があるだろう事
学者 は学ぶもの それ専門にやってる人を学者と呼ぶのは呼ぶ人間がやってると評価していればだれでも学者
評論してもらうために呼んだら紹介するときは評論家の で問題ない
主観的に本人がそう名乗る場合は 局面を選ばず 呼ぶ側の方が候補を探すときのための自称
肩書きに頼りやがって とか偉そうな肩書きだけでとか 肩書きなんかに何の意味が などと思った時点で
その肩書きの術中にはまってる
相関関係の中に入り込んだ気になってる
番組が マスメディアが とか それはそのガラスのむこうの箱のなかの話
気持ちだけその向こうに入り込んだりする感受性の高さは否定的に捉えたりはしはないが 過度なものは感心しかねる
夜のお店で社長やら部長やら呼ばれている人がいることを知らないか
相関関係において相手と自分の関係と立場を言葉で示すのがそれで
本気にしてしまう 他者の分類にのめり込む というのはいささか精神的に健康ではない様子とうけとれる
自分が相関関係のみを頼りに情報の信憑性を求めたりしない場合 学者や先生で情報を検索しないだろう
有名な情報的強者を個人名で特定しそこから情報を得ようとするのではないか
それを相関関係として自分にとって何かを説明するとき 「人生の師匠だ」といった具合に呼称を追加表現することはあれど聴き手にとっては伝聞と他者の評価でしかない
自分の考えたすごい人たちの輪の中に入った気持ちに浸るのはいいけれど それを人に伝えようとしても無理がある
相関関係を上から見た風に語ると 友達の輪の関係を遠目にみつめる孤独な少年のような作風になる
結論として 相関関係を関係ない人間がイメージだけで語るのはふつうにきもい
魔王の血筋で 神の力をもつ少年と 天使の末裔が みたいな 相関関係だけで実態のない展開を第三者的におしすすめる
そういうものを楽しむにとどめておいたほうがいい
テレビを見ながら愚痴ばかりいう人間になると 付近にいる人間は その姿をすごく気持ちわるいと感じる
本人は 語ってるオレかっけえ と思う以外に気づくことがまったくないのが 救えない
そうなるまえに こころの逃げ場を みつけてほしい
誰かが面白い事をする。
人を集める事が目的となる。
つまらない人が増える。
面白い人は去る。
つまらない。
コミュニティーが終わる。
だからね、
この始まりにある面白さという価値観は固辞あるいは醸成されるべきなんだよ。
コミュニティーを維持しようと思うならば。
醸成というのはそうだな、
価値観にとらわれて変化しないという事は善ではないという考え方に近い。
変化、努力、がんばりは素晴らしい。
それで価値観が変わったり崩れたりするならば、
ただ、悲しいのは、
人が増えて、人それぞれの欲求が集まったとき、
それぞれの欲を満たす為にそこに集まった価値観の維持をないがしろにする人達が現れるんだ。
そして、それでも良いじゃない、という空気が漂い始める。
人が増えれば増えるほどね。
そこには悲しみしかない。
お礼と機会均等と公平性の話
正直、業種に対して好まれない方も多いかと思っていたので、ここまで肯定的に捉えて頂けて違う意味で勇気を頂きました。
その辺を多くは語りたくないのですが、業界自体は厳しい淘汰が進んでまして、一企業として健全に努力をしないと生き残れない時代に突入していたりして昔とはだいぶ変わってきているというのも事実です。
それでもイメージを大きく変えられないのは他でもない業界の責任なんですけどね。
それとここまで反響を頂けるとは本当に思っていなかったので、他所様の畑に口を出したのは行き過ぎだったと反省しています。
なんというか、惜しいなぁ。そこでこらえて欲しかったなぁ。と思った次第でして、現場の大変さは痛いほど共感いたします。
イベントとかお祭りごとって、やっぱり楽しく終わりたくて、みんなそう思っているのだけどそれに任せていてもうまくいかないのが現実です。
「抜け駆けダメよ。みんなで一緒に楽しみましょう。」っていう思いが運営側にあれば、ルールにもそうした気持ちが表れて参加者にも自ずと伝わっていくんじゃないかなぁと思います。
逆にそういう気持ちがないと、参加者は管理されている感じが強くなって、反抗心や抜け駆けしたい気持ちを刺激してしまうのだと思うんです。
ここに来てメンタルな話をすると拍子抜けかもしれませんが、囚人と看守のような関係性ではなく、おなじお祭りを盛り上げたい仲間という気持ちをもって臨まないと、必ずどこかでほころびが生じてしまうということも経験が教えてくれたことでした。
口を滑らしたついでにコミケの入場にまで言及をしてしまいましたが、これもまた規模の大きさが全くもって想定できていませんでした。
はじめてyoutubeで待機列が移動する様子を見たのですがどうすればあんなことができるのか見当もつきません。まさに驚異的なノウハウの賜物なのだと思います。
少し調べてみた限りではコミケの3日間ののべ参加人数は50万人程度とされていました。
1日で言えば17万人程度となるわけですが、その内のどれくらいが入場待ちを行うのかも見当がつきません。
ただ単に徹夜をなくすという目的であれば、ある程度の時点までに集まっている参加者で抽選を行い、それ以降を先着にするという手段は有効と言えます。
しかしながら、抽選に参加さえすれば早い順番を得ることができる可能性があることで参加者は先着順の場合よりも増えてしまうかもしれません。
ざっと調べてみたところ、始発から朝8時までにゆりかもめとりんかい線が輸送できる最大人数は2万5千人程度でした。(乗車率100%x本数)
そこにさらに車やバイクなどの交通手段を加えた規模となれば、それこそ抽選そのものにかかるコストが膨大なものになってしまうため、とても現実的とはいえそうにありません。
これほどの参加者数ともなると全くもって次元の違う対応が必要になることがよく理解できました。
ということで、せっかく反響もありましたのでイベントにおける機会均等と公平性の話も書き起こしてみたいと思います。
どうしても独学と経験則から成り立っているものなので用語の使い方が間違ってたりしたら指摘していただけると嬉しいです。
はじめに断っておきますが、パチンコ業界でイベントを行なっているなんてけしからんお店は存在しません。そんな話はまったくもってけしからん話です。
機会均等という話を少し掘り下げてみると、つまるところ「期待値と参加コストと参加率」が互いに相関関係にあるという話になります。
この辺の情報が明確にされていることによって参加者は公平性を感じることができ、逆に一部情報が隠されている・後から明るみに出る・人によって優位性があると、参加者は不公平さを感じてしまうようになります。
たまに見られるゲスいイベントなんかでは、期待値を高く参加コストを低く見せることによって参加率をあげようとするのが常套化しています。
いざ参加してみると期待値が全然低い、もしくは参加コストが高いなんてことはよくあることです。
そういうイベントに限って誤解するような表現をしておいて、ウソはついていませんみたいな顔をしている場合がほとんどです。
あまりにミエミエだとせっかくのファンを心底ガッカリさせるであんまり褒められた方法とは思いません。
期待値とは、イベントに参加することによって価値を得られる可能性です。
コミケでいうところの希少本を得られる可能性といったところでしょうか。
参加者は、この2つを計算しながらイベントにどのように関わるかを考えます。
「限定希少本を得るためなら徹夜も辞さない。」「徹夜する時間も覚悟もないので希少本は諦める」
この2つに不公平さをそれほど感じないのは、期待値が参加コストに比例することが理解できているからと言えます。
つまり、人によって得られる期待値が異なるにもかかわらず、そのために高いコストが必要であることを参加者が理解できていることによって、機会均等である=公平であると感じられるようになるわけです。
例えばここで、入場を抽選(可否は問わず)にした場合は当然期待値が下がります。
そうすると徹夜するという参加コストが見合わなくなるため、当然支払う必要性がなくなるわけです。
ただし、参加コストが下がるために単純に参加者が増える可能性があります。「当たればラッキー」ととりあえず参加してみるといった参加者も増えることから、徹夜をなくすことはできても参加者が増えてしまう可能性は十分に考えられます。
こうした参加率をコントロールするための基本的な考え方は、10人でも1000人でも10万人でも同じだと考えています。
この辺を明確にしておくことで得られるメリットは、支払うべき参加コストの判断を参加者側に委ねられるという点にもあります。
期待していたものが得られなかった時、自分がそう判断したのだからと思えることが主催者側にとって大きなリスク回避につながりますす。
ここで大切な要素とは、抽選やイベントに対する参加率はある程度コントロールできるという事実にあります。
「集まってしまうから対処する」ではなくて、「この時間に集まるようにコントロールしよう」「期待値に合わせて参加コストをコントロールすることで分散させよう」ということができるわけです。
つまるところ、失敗してしまったイベントというのは、この期待値と参加コストを見誤ってしまうことで十分な準備ができていない場合がほとんどいうことになります。
某駅100周年でいえば記念カードの価値を低く見積もってしまったことと現地でしか販売しないという参加コストを高く見積もってしまったということであるし、某ソーシャルゲームのイベントでいえばイベントそのものに対するユーザーからの期待値と幕張メッセという立地に対する参加コストをそれぞれ見誤ったことが原因と言えます。
いずれにしても参加率を小さく見積もってしまった(もしくははじめから管理コストが決められていた)がために、管理そのものが崩壊してしまったと言えるわけです。
この辺を加味して考えて見ても、コミケの場合は多くの指摘の通り参加者数が問題になってきます。
例えばオンライン抽選にしてみたとしても、その参加コストの低さから参加率が跳ね上がってしまい、管理することは不可能だといえるでしょう。
そう考えると、恐らくはシビアに順番を気にするであろう1000~5000人程度だけをいかにしてコントロールするかが課題になってくるのかもしれません。
(例)
・整列開始位置を抽選にする
例えば8つ程度整列開始位置を用意しておいて、始発組が到着したのちに正解を発表する。先頭に並んでも全体の先頭になる可能性は1/8となるため、少なくとも徹夜する理由はなくなる。
・始発到着組のみ抽選に参加できるようにする
参加コストが高い分ある程度まで参加者を絞り込めるが、始発電車争奪戦が始発駅で勃発して、徹夜する場所が変るだけの恐れあり。
参加者と同じだけのくじを用意して、そのうち1000番までのアタリと番号なしのハズレをいれて抽選する。
有料に参加したくない人間は1000番以降の入場順に甘んじることになるが、徹夜するメリットは奪うことができる。
1000番というのは暫定だが、この数字と価格設定さえ間違えなければ抽選参加者数と先着組とをうまくわけることができるかもしれない。
ちなみに、抽選から入場までの時間つぶしにおいて近隣店舗への影響などを気にされているコメントもありましたが、数万人が流動的になるということはある意味でビジネスチャンスといえるのでむしろ経済効果のほうが高いのではないかと思います。
と、いずれにしても現状を知らなさ過ぎるせいで素人臭さの抜けない恥ずかしい提案になってしまいました。
書くのをためらったのも事実ですが、この辺をもとに造詣の深い人の間で議論が進んでくれたならいいなぁと思いあえて書いてみることにしました。
どちらかというと蛇足エントリーなので元記事へのトラバは日和りました。
また何かの機会に!
今回はソーシャルゲーム関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
基本無料、勝利有料。
金 or 腕前、金 or 運、金 or 時間、金 or 仲間。
なお、無課金で遊ぶことを誇りにする人種もいて、それを煙たがる人もいるようだが、基本無料系はユーザー全体のなかで数%がお金を落としてくれればいいというスタンスだから、単純な計算だがプレイ人口が増えればそれだけ儲けやすいということになる。広告がやたらクドいのは、とりあえず人口を増やすことが第一だからなのだろう。
なので無課金の人も、間接的にだが貢献しているということになるね。競争系なら尚更だし、協力系もそうだな。課金者の財布の紐を緩めてくれる。人口をどれだけ維持させられるかは、作り手たちの腕の見せどころだな。
なんだかんだいっても、儲かるからな。
……違う、間違えた。
……じゃなくて、えーと。
……違うけど、もういいや、話を進めよう。
彼らのいう「健全なゲーム」とは、利己的でない、お金の面で良心的という意味だ。つまり、それら健全なゲームを好む人間は金を払わない。けれど、遊びに貴賎がないと思っている人間は金を払ってくれる。この両者が混在しているから、イメージと現実の剥離に繋がっているわけだね。
「据え置き機じゃなければ買ってた」とか真顔で言う人間が蔓延る世の中で、それでもその媒体でゲームを作る理由を見出すには、相応の余裕がないと難しい。先立つものがないとな。かといって、据え置きゲームでは、DLCや関連商品で儲けるのすら嫌な顔をされる。
他にも、「物理的価値がないから、ダウンロード版はパッケージ版より安くしろ」という風潮もある。サーバーの維持もただじゃないし、物理的価値が必ずしもプラスとは限らないのにな。
でも電子版の少年ジャンプ定期購読とかのように、媒体が漫画とかになると「高くても仕方ない」ってなるあたりは世知辛いところだ。だったら開き直って、もっと利己的なデザインのゲームを作ったほうが楽なのだろうさ。
ハリボテなデザインで、数値をちょっと弄って敵味方の強さや配置を変えたり、たまに新しい絵を追加しただけで一喜一憂してくれる。架空のカードで儲かるなら、新しいゲームなんて作る気おきないよなあ?
ははははは……はぁ。
すまない。さすがに露骨だったな。
好きか嫌いかの二元論で語るのは難しいかな。微妙な言い回しだが、「現実と事実を受け入れる」といったところさ。どうせ個人がどうこういっても、ソーシャルゲームはなくならないし、据え置き機は下火のままさ。相関関係なんてない、という人もいるようだがな。
まあ「売り手と作り手が全て悪い。買うやつは愚かだから仕方ない」というスタンスでいこうじゃないか。それに需要があるからって、私だって全面的に肯定するってわけじゃない。最低限は作り手の矜持を持ってほしい、と思うゲームもいくつかあるさ。
「キャンディ・クラッシュ(サガ)」、てめェーだよ てめェー。
パク……既視感のあるデザインなのはまあいい。古今東西、パズルゲームで個性を出すのは難しかったし、「カブった」と言い訳もできるだろう。ゲーム内容がほぼ運で、まるで頭を使わないのもまだいい。アコギな課金形式と、フェイスブック連動も許そう。
だが、そうやって無知なユーザーから絞り取った金でパクり元を訴えたり、「candy」や「saga」の商標化をしたのはやりすぎだ。そんなゲームを日本に輸入したことも含めて恥を知れ。
えっちなものを青少年には見せないようにしましょう、という動きがあちこちにあるみたいだけど、
昔はテレビでおっぱい丸出しの番組とかをゴールデンタイムに放送していたじゃん。
あと殺人事件ものの2時間ドラマとか(湯けむりなんちゃらとか、強姦の場面をわりと具体的に描写したりとか)を夕方に再放送してたり。(自分は関東圏)
深夜にもおとなのえほんみたいなのがあったりとか。
えっちな番組が放送されてた地域と、あんまり放送してなかった地域と、あるはずでしょ。
そういうテレビ番組の有無と、たとえば性犯罪の発生件数とかとの相関関係みたいなのを調べれば、
もしかしたら、牽強付会であっても、それなりに説得力がありそうなデータが出てくるんじゃないかと、天才的な思いつきをしたのだけど、
そのくらいのことは既に調べてる人がいるんだろうなー。
性格を数値にするのって難しいし、ばらつきも大きいだろうから、相関がないことを証明するのって悪魔の証明に近くなっちゃうじゃん。
サンプル数増やしたり統計手法をちゃんと用いても、自己評価の性格と周囲からの評価が違うかもしれないし、サンプル自体の信頼性が評価しにくいじゃん。
でさ、糖鎖が違うだけでそんな影響が出るわけないって言ったってさ、糖鎖がエピジェネティックに遺伝子の発現に影響しているかもしれないじゃん。
それと性格に遺伝性があるか寡聞にして知らんのだけど、性格に遺伝性があったとするとさ、血液型は遺伝するからさ、緩やかな相関関係があるかもしれないじゃん。
そういう緩やかな相関関係が、ほぼ単一民族で血液型の種類も程よく分かれてる日本では強めに出るのかもしれないじゃん。
先日当落が発表された今夏の夏コミC88において、艦隊これくしょん(略称:艦これ)のサークル数が大方の予想を大きく裏切って前同維持の1846サークルに留まる事態となった。
艦これの同人サークル数は、ゲームのサービスが開始して以来、常に明確な増加の一途にあった。
それが、種々のコンテンツにおける"最大の華"であるアニメ化をもってしてもほとんど増加を維持することができなくなったことに鑑みれば、艦これの同人界隈はついに最盛期を越えて「秋」の時代に突入したと言える。
約2年で成長の限界に達した艦これの同人界隈は今後どうなって行くのか、これまでの傾向を分析しつつ今後について言及してみたい。
尚、本稿は艦これやその他の作品並びにそれらのファンを煽ったり貶したりするものではないことを先に述べておく。
本稿を読み進める方は、あくまで冷静に数字とその結果を見ていただければ幸いである。
序文で「大方の予想を大きく裏切って」と述べた通り、C88の当落発表まで、Twitterや各種掲示板の艦これコミュニティでは「C88では艦これサークル数が2000を超える」ことがほぼ確実視されていた。
読者の方の中にも、漠然とそう思っていた方は多いのではないかと思う。
そのような意見が支配的だった理由を精査してみると、主に以下の2つの要素が根拠として挙げられていることが分かった。
まずは、これまでのコミケにおける艦これ同人サークル数の変遷を見ることにしよう。
・C86(2014年夏):1498 [+362:前同131.9%]
・C87(2014年冬):1840 [+342:前同122.8%]
※註1)C85時点では「301:艦これ」というジャンルコードは存在しないため、有志が計測した実測値となり誤差が含まれる
このように艦これの同人サークル数は毎回約350サークル増という極めて高い増加率を誇っていたことが分かる。
(尚、C84の締め切りは2013年2月であったが、艦これのゲーム本編の提供開始が2013年4月であるため、C84に艦これのサークルは存在しない)
また、2015年は年始からアニメ版艦これの放映が始まり、結果的に賛否は割れたものの大変な盛り上がりを見せていた。
前述したように、ゲームや小説や漫画を原作とする作品において、アニメ化は一般にコンテンツ最大の盛り上がりを見せる場となる。
この傾向は、例えば最近ではアイドルマスター系列作品やラブライブ、進撃の巨人などの作品でも明らかである。
(比較的誰でも簡単に確認することができて、かつこの傾向が顕著に表れる指標としては、pixiv大百科の各作品タグに掲載されている毎日の閲覧数を示したグラフが分かりやすい)
アニメが華と言われる理由はいくつかあるが、本分析のテーマである二次創作や同人に限れば「お金を払ったり特別な装置を用意したりせずとも、TVで見るだけで手軽にその作品の世界に触れることができ、新規のファンが増える」「声や映像によってキャラクターの所作や性格がイメージしやすくなる」という点が大きい。
上述の①及び②のような状況を見て、C88の1846サークル [+6:前同100.1%]という壊滅的な成長率を予想するのはほとんど不可能であろう。
特に②の要素は、他作品の当時の傾向に鑑みれば、本来であれば艦これ同人界隈に大きなプラスの寄与をもたらしたはずである。
C88での艦これサークル大幅躍進を確信する声がほとんどだった一方で、ごく少数ではあるがアニメの出来が良くなかったため、C88ではサークルが艦これから離れるのではないかという意見もあった。
確かに、艦これのアニメに関しては、一部の作画の問題やシナリオの迷走などで賛否が大幅に割れていたことは否定できない。
(賛否の割れた例としては、加賀の弓の構え方、赤城の食べていた大盛りカレーの描写、如月の轟沈、提督が吹雪を採用した理由など、激論が繰り広げられていたのを覚えている方は多いのではないかと思う)
これはニコニコ動画での放送後アンケートの結果からも見て取ることができ、特に3話及び9話以降で顕著である。
しかしながら、アニメが艦これの同人サークル数に負の影響を与えたという考え方には否定的にならざるを得ない。
C88の参加申し込み期限は、郵送が2/4(水)、オンラインが2/12(木)であった。
艦これのアニメ放映開始が、一番早いところで1/7(水)深夜であったため、C88の申し込み締め切りまでに4話あるいは5話まで放送されていたことになる。
アニメの前半期で大きく評価の割れた回は3話の如月轟沈の回のみであり、1~2話及び4話以降はしばらく相対的に評価の高い回が続いたため、サークル数の伸びをここまで抑え込むほどの壊滅的な影響があったとは考えにくい。(則ち、9話以降の影響は申し込み期限の時点では現れない)
もう一つの理由として、堅調なアニメDVD&BDの売り上げが挙げられる。
あれほどまでに賛否が割れたにも関わらず、アニメのBlu-ray Discの売り上げは初巻で2万枚に達するほどの売り上げを見せている。
もちろん、BDの売り上げが艦これの同人界隈の盛衰をそのまま反映する指標であるとは思わない。
また、全巻同時予約かつ予約キャンセルを受け付けない前提で別途特典を付けるなどの一部の販売方法の影響も少なからずあるかもしれない。
しかしながら、それでもなお2万枚という販売数は昨今のアニメBDの中でもかなりの上位に位置しているものであり、それだけアニメに否定的でないファンがいるということであり、言い換えれば艦これファンの絶対数自体がまだ多いということに他ならない。
また、後述するが、同人界隈の動向を調べる上で相関性の高いpixivやニコニコ動画の投稿数等も、アニメ放映中に増加していたことも付け加えておきたい。
以上を考慮すると、アニメがC88のサークル数増加に負の影響を与えたとは言えないと結論付けるべきである。
では、同人界隈と相関性の高いpixiv、ニコニコ動画の投稿数や実際の同人誌即売会のサークル数はどのように変化していたのだろうか。
同人界隈の各種分析を行っているありらいおん氏の所見では、「2周年を迎えた艦これの二次創作は、pixiv・ニコ動とも現在も拡大を続けています。アニメ放送後も、今のところ艦これの二次創作投稿が目に見えて減衰するような様子はありません。(中略)これからの1年も艦これでは活気のある二次創作活動が続くでしょう。」と結論付けていた。
http://ascii.jp/elem/000/001/001/1001334/
しかしながら細かく数字を見ていくと、実際には2月をピークに緩やかに減少を続けていたことが分かり、特に記事の掲載後には一部の指標で前年の極小値を下回る数字が現れていることが分かった。
言い換えれば、兆候はすでに現れていたということに他ならない。
pixivは同人サークルが多く利用している投稿サイトであり、そこでの作品投稿数と即売会でのサークル数の間には強い相関関係が見られる。
【月ごとの週平均投稿数】
・ 9月:3653
・10月:3266
・12月:3997
・ 1月:4089
・ 2月:4516
・ 4月:4001
・ 5月:3790
上記の調査結果から、艦これは昨年10月に極小値を示したあと、アニメ化の影響を受けて急回復し、今年2月にピークを迎え、その後緩やかに減少していることが分かる。
6月現在の投稿規模は昨年9月とほぼ同程度であり、アニメ化によるプラスの影響は全くなくなってしまったと言ってよい。
ここで注目したいのは、C88の申し込み期限であった2月の投稿数が極大値(実際には過去最大値)を示していることである。
C87の申し込み期限は8/21であったが、投稿数が当時の2割増しの状態でなおC88の申し込み数はほとんど増えなかったことになる。
・ 9月:13.15
・12月:13.98
・ 2月:15.61
・ 3月:15.57
・ 4月:13.84
・ 5月:13.02
となり、著しく減少していることが分かる。
特に6月はまだ全体平均が出せないとは言え、11月の極小値を下回る結果が出始めていることは驚きに値する。
pixivの傾向を見れば創作者、閲覧者ともに艦これ離れが進み始めていることが明らかになりつつある。
ニコニコ動画も伸び悩む。
投稿数を見ると、やはり2月の週平均投稿数1200を境に下降の一途をたどり、現在は週平均500未満まで落ち込んでいる。
これは昨年10月~今年1月の平均値とほぼ同じで、やはりアニメ化による効果は消滅したと考えて良い。
閲覧数もアニメ最盛期に週平均約13,500あったことと比較すると、現在の約8800という数字はあまりに寂しい。
これもやはりアニメ化以前の極小値である昨年10月の数字とほぼ同じである。
オールジャンルイベントではない、艦これのみを対象としたいわゆるオンリー即売会が振るわないという話を耳にしたことはあったが、実際にサークル数の増減を検証してみると、
・駆逐してやる!なのです!4:41(-4:前同93%)
・(舞鶴)砲雷撃戦!よーい!16:106(-23:前同86%) ※註2)
・海ゆかば3:133(-74:前同64%)
※註2)「砲雷撃戦」は開催地ごとに規模が全く異なるため、同じ開催地のもので比較
と軒並み前同を割り込む事態となっており、増加したのは
・西海ノ暁5:145(+81:前同179%)
など、わずかであったため、そのような話は強ち間違いではないことが判明した。
参加するサークル数が万遍なく減少しているということは、それだけ艦これの同人サークルが少なくなっていることに他ならず、コミケの参加サークルが頭打ちになっている傾向にも合致する。
無論、艦これはオンリーイベントが比較的多く開催されているためサークルが参加するイベントを選りすぐって見かけ上分散しているという可能性もあるが、昨年と比較して開催されるオンリー即売会の数自体も減少しており、疑問が残る。
コミケと同様に、艦これはその他のオールジャンルイベントでもサークル数が伸び続けていた。
しかしながら、実際に直近のイベントで検証してみると、どうやらすでに頭打ちの兆候は見えていたことが明らかとなった。
・コミックトレジャー:381(-34:前同91%)
直近の同人誌即売会の状況を分析する限りでは、C88での艦これサークル数の頭打ちはむしろ予想されてしかるべきものだった可能性が高い。
上述の各種指標が示す通り、艦これ二次創作の勢力が昨年最も低下した時期と同程度まで落ち込んでいて、尚且つ今もなお減少を続けていることを考慮すると、艦これ同人界隈はすでに成熟期を越えてその先へと足を踏み込んだ地点に達したというべきであろう。
アニメ化を経てその隆盛を維持することが困難であった理由を考察するのは容易ではないが、敢えてその愚を犯して私見を述べるならば、艦これそのものの手軽さゆえに訪れた結末なのではないかと思う。
艦これが多くの人に支持された一番の理由はやはり片手間で遊べる手軽さであると思う。
しかしながら、それ故にシンプルなデザインは大幅な要素の追加を許さず、システムの改良やシナリオの設定・追加などの大幅な改定が行われることはほとんどなかった。
加えて国産艦で追加できる艦は最早ほとんど残されておらず(「信濃」を除けばほとんどが駆逐艦のみ)、海外艦に活路を見出そうと試みているものの、必ずしもユーザーに好意的に受け取られているわけではない。(「ローマ」「リットリオ」などは残念ながらあまり芳しい評価を得られなかった)
イベントや改二、大型建造、キャラクターボイスの追加などで拡大・維持してきた人気を、ついに保てなくなる線まで達してしまったのではないだろうか。
言い換えれば、大変失礼な言い回しであることは承知の上で敢えて使うが、作品としての寿命が近づいているということになる。
再びC88に目を向ければ、半ば公式の同人サークルであるC2機関が落選していることも興味深い。
個別の当落をあれこれと詮索するのは良くないことだが、同規模の「東方Project」で言えば「上海アリス幻樂団」が落選するに等しい事態であり、今後の動向に注目が集まるのは必至である。
以上を踏まえると、今後艦これの同人サークル数が増えるというのはなかなか厳しい想定になると結論せざるを得ない。
これ以降もVita版やアーケード版の発売はあるが、アニメ以上のインパクトファクターになるとは考えにくい。
それというのも、艦これは先述の通りその手軽さがユーザーに受け入れられた大きな要素であり、専用のゲーム機を必要とするVita版、衰退著しいゲームセンターに設置される大型のアーケード版などはむしろその流れに逆行するもので、一時的な話題性はあるにしても、アニメほどの起爆剤には決してなり得ないからである。
各々の創作者に迷惑をかけかねないため詳細は敢えて省くが、すでに一部では「ポスト艦これ」を探る動きも出始めている。
これらは間違いなく即売会のサークル数にも影響してくることだろう。
すでにコミケのサークル数が減り始めている東方Projectの場合は、しかしながら各地のオンリー即売会がなおも堅調で、特に博麗神社例大祭の参加人数が一転して増加に転じるなど一部ではむしろ復調の兆しすらも見られるが、これはひとえに東方ファンが10年以上にわたって積み重ねてきた"基礎体力"とも言うべき根強い人気に下支えされての結果である。
近年のコンテンツ消費サイクルの激しい中、2年もの間同人人気を拡大し続けた艦これではあるが、そのような理由で「単に規模が似ているから」と今後の艦これ同人界隈の行方を東方Projectの現状をもとに比較することは困難である。
ソースコードの複雑さを表す指数で、これが高いソースコードはバグが多いって言われてるの。
サイクロマチックの発案者に直接、科学的根拠あるのかって聞いたら「実際に役にたってるから(根拠は)いいだろ」みたいな返事らしいのな。
たしかにソースが複雑だったらバグは増えるだろうけど、それならツールを使わないと算出できないような複雑な指数をつかわなくても「ネストは○段まで」「サブルーチンは短く」「サブルーチンのローカル変数は○個まで」みたいな単純なやり方でもいいよな。
サイクロマチックでなくても、見た目が複雑なソースなら大きくなる指数を適当にでっち上げても「この指数とバグの発生件数は相関関係がある」って言えそうだよな。