2015-08-22

怠惰に依る価値観崩壊は悲しい。

誰かが面白い事をする。

面白いから凡人が集まる。

コミュニティ形成される。

人が集まり、人の多さに価値生まれる。

人を集める事が目的となる。

まらない人が増える。

面白い人は去る。

面白くない人が面白い事をしようとする。

まらない。

コミュニティーが終わる。

からね、

この始まりにある面白さという価値観は固辞あるいは醸成されるべきなんだよ。

コミュニティーを維持しようと思うならば。

醸成というのはそうだな、

価値観にとらわれて変化しないという事は善ではないという考え方に近い。

価値観根本にある美学のようなものを維持する為の

変化、努力、がんばりは素晴らしい。

それで価値観が変わったり崩れたりするならば、

それはまたそこに価値あるものなのだと思う。

ただ、悲しいのは、

怠惰に依って価値観が崩れる時だよ。

コミュニティー形成されて、

人が増えて、人それぞれの欲求が集まったとき

それぞれの欲を満たす為にそこに集まった価値観の維持をないがしろにする人達が現れるんだ。

そして、それでも良いじゃない、という空気が漂い始める。

人が増えれば増えるほどね。

これは怠惰に依る価値観崩壊だ。

そこには悲しみしかない。

面白さというものコミュニティー形成との相関関係には、

繊細なバランス必要という事だ。

自己実現承認欲求を混在させるとろくな事がない。

それはコミュニティ自身人格にも同じ事が言えるってことだ。

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