はてなキーワード: 甲斐とは
ドイツでは「メス」とは人を救うための道具を指すのに対し
品性に欠けるためだ。
こういう語句の不適切な使用が国の衰退を招いた一因でありこの国で長らく続いた男性社会文化の産み出した闇である。
実際、腰を打ち付けているのはオス側であるのに対し
支配感、万能感で猿程の脳も無い人間は、自分が優位だと錯誤する。
そうした幾重も顔に皺の刻まれ腰の曲ったボス猿ばかりなのである。
彼らを良く観察すると、メスの個体が甲斐甲斐しく世話をする振りをしながらも全てを管理している。
莫大な富と名声は彼らにとって栄誉となるのだ。
生殖に成功したものたちは、対になった雄猿の交友関係を自慢しようとする。
どれだけ手下がいるかということは人間社会では強力な武器である。
私はこの猿共の群れから抜け出したい。
論点のすり替え、見下し、はぐらかし、逆張りばかりでまるでコミュニケーションする気の無いこの矮小な世界。
一匹の異性を巡り、多数の同性が憎しみ蹴落とし合う社会。
そんな地獄から抜け出して、横に並べる者達と温かいスープを分け合うのだ。
その味はこの舌に合わないかも知れない。腹を下すかも知れない。
迫りくる、冬の訪れに震えながら、私達は大小様々なものを共有するのだ。
杭州市にある浙江大学医学部付属サーランランショー病院に“ルー”という名前の男性が訪れ、背中の痛みを訴えてきたという。ルーさんは医師から胸部、腹部、消化器系の異常を指摘され、検査を受けたものの当初は原因が分からずじまいだったそうだ。
またルーさんは医師に「何かアレルギーを起こすようなものや変わった物を食べたことがあるか?」と問われるも、全く身に覚えがなかったという。しかし後日ルーさんの妻が、2か月ほど前に彼が娘と一緒に川に出かけた際にカニを生で食べていたことを思い出して医師に伝えたそうだ。
その後の血液検査でルーさんは生でカニを食べたことにより、少なくとも3種類の寄生虫に感染していることが判明した。ルーさんが治療を受けた病院のツァオ・チエン医師は地元テレビ局のインタビューに応じ、なぜルーさんが生でカニを食してしまったのかを次のように明かした。
「私たちは何度も『何か変わった物を食べていないか?』と聞いたのですが、彼は『食べていない』と答えるだけでした。しかし彼の妻が生のカニを食したと話した後、彼はそれを認めたんです。それで『なぜ生きたまま食べたのか?』と聞いたところ、『小川のほとりで娘が小さなカニに挟まれてしまい、それで腹が立って復讐するために食べたんです』と話してました。」
どうやらルーさんは、娘を傷つけたカニに腹を立てて生きたまま口に放り込んでしまったようだ。ところが復讐のつもりで食べたカニによって、自分の身を危うくする事態を引き起こしてしまった。その後、幸いにも治療の甲斐あってルーさんは回復したものの、退院後はしばらく経過観察のために通院が必要とのことだ。
・食べていないと隠ぺいすること
昔エロゲをアホみたいにやってた
大学生で仕送りもあったから時間もクソ余ってて娯楽の全てをエロゲに費やしてた。
特に鬱シナリオが好きで、当時1浪で人生がクソ面白くならない自分に「お前はそのままでいい」というメッセージをくれたのがエロゲだ。
就職してからはプライベートの時間にエロゲを費やすことができなくなった。彼女が出来たのだ。
エロゲを通して何度もシュミレーションしていた甲斐があり、休日は彼女と出かけることが多くなった。
(彼女と結婚はまだしてないけど、これから視野に入れていくだろう。)
この間ふとエロゲをまたやりたくなり、FANZAでDL可能なエロゲをチェックしてみた。
電波系のキャラ設定や、インモラルなストーリーのあらすじに目を通しながら
なんと言えばいいのか……飽きたとかつまらなさそうとかそういうネガティブな意味ではなくて、そう。母親のおっぱいだ。
母乳が美味しいので吸うのが大好きだったが、今となってはもう母のおっぱいを見るのは嫌だし、飲むだけなら牛乳のほうが美味いだろう。
気がついたら俺はもうエロゲに自分の人生の攻略法なんて教わらなくても大丈夫になっていたのだ。
立派に歩けるようになった。
彼女ともうまくやっている。
俺はもうエロゲをやることはないだろう
でもエロゲのおかげで、間違いなく今の俺があるのだ
あのときエロゲというものに慰められてなかったら俺は…考えるだけで恐ろしい。
ありがとうエロゲ。おまえのおかげでおれはもう1人で立てる。でもだからこそお前のことはもう忘れなくちゃいけない。明日は仕事の帰りにデパートに行って指輪の下見をする予定が入っている。とても悲しいけどお前とはさいならしなきゃいけない。
あばよエロゲ
お前のおかげで俺人生楽しくなったよ
あの、目の中に物を入れるという行為を難なくやってのけるのがすごい。
こう書くと、いやいやそんなもん慣れですよとか、むしろ出来ないんですかと思われそうなので私の体験談をここに書いておくことにする。
結論から言うと、私はコンタクトレンズを使おうとして失敗した。
医者曰く、そういうケースは実際あるらしい。が、数十年感生きてる間にそういう話を一度も聞いたことがなかったので、本当かはわからない。
が、現に自身はそうなったので、信じられないかもしれないがそういう例は確かにあると自信を持って言える。
自分はメガネが必須というほど視力が悪いわけでもないが、ないと確かに困るな、ぐらいの目の悪さである。
裸眼視力はおそらく0.4ぐらいで、このぐらいだと「造形や物の種類は特に問題なく把握できるが、文字を読みにくい」ぐらいの感覚である。
コンタクトにしようと思ったきっかけも些細なもので、食事の時にいつもメガネを外してるのでその手間を無くしたい、ぐらいのものだった。
まああとはメガネが無い方が良いよと言われたというのもある。
今思えば目薬すらまともに差せないぐらいビビリなのにコンタクトはなんでできると思ったのか、割と不思議である。
もっとも、コンタクトができない人がいるなんて勿論思ってなくて、それこそ「そんなもん慣れですよ」と漠然と認識していたからなのだが。
そんな軽い気持ちで眼科に行き、一通り検査を受けた上でお医者さんから軽く話を聞く。
そこで言われたのは「着用練習を行うこと」、「それが終わらない場合は処方箋を出せない」ということ。
練習があるなんてありがたいと思ったし(自分でできるわけないので今思えば当たり前なのだが)、処方箋が出ないケースなんて目の病気とかそういうのしかないんじゃないか?と思っていた。
検査自体は終わっていて特に問題もなかったため、これでコンタクト生活できるな~~、などと浮足立っていた。
その後、案内されて着用練習を開始した。
コンタクトの現物を見て初めて知ったのだが、液体に浸された状態でコンタクトが入ってる。
まずそこでカルチャーショック。薬の梱包程度のものだと思っていたので、随分とガッチリしてるな……と思った。目に入れるものだと思えば至極当然だけれども。
で、コンタクトを容器から取り出すのだけれど、これがまた難しい。
これまた当然なのだがコンタクトは無色透明なので、液体の色と同化してそもそもコンタクトがどれかを認識できない。
よくよく見ると縁が若干青いことに後から気づいたが、すくいだすことに必死でやってる最中には気づかない。
私はまだ裸眼視力がそこそこあるからいいが、0.01とかの人ってこれ見えるのか……? と感じた。
まずそこで結構時間を食った。実際の所要時間は分からないが、体感15分ぐらいは格闘してたんじゃないか……と感じるぐらい難しい。
右手左手で目をかっぴらきながらコンタクトを眼球の上に載せる、というただそれだけの作業が全く出来ない。
まず右手の中指であっかんべーみたいな形を取る。これはまあいい。
その後、左手で右目の瞼を全力で引っ張り上げる。ここが難しい。
元来目を開かないタイプの人なので、目を開こうとしても瞬きをしたくなってしまう。
そこで格闘した後、コンタクトを目に近づける。これがまた怖い。
どうしても瞬きをしてしまうし、瞬きを抑えたとしても今度は顔が微妙に逸れてしまう。本能で拒否しているんだろうなと感じた。
見てくれている看護師さん(かは分からないが、そう呼ぶことにする)も根気強く教えてはくれるが、なかなかその通りできずにいる自分に不甲斐なさを強く感じる。
途中コンタクトを床に落としてしまい、そこでもまた申し訳ないゲージが溜まっていった。
……体感では1時間にも2時間にも感じる無限の格闘の末、ようやく装着できた。
初めてのコンタクトレンズは、目に完全にフィットして違和感もなく………ということはなく、普通に違和感があった。
なんというか、こう、目にホコリが入ったときの感覚が常時続くような感じ。異物感がすごい。
異物が入ってるのだからそれが正常なのだけれど、どうにも気持ち悪い。
必死で慣れようと意識した瞬間に、どんどん気分がボーッとしてきて、立ちくらみの時のような感覚に襲われ……
転倒した。尻もちをついた瞬間に、自分が椅子から転げ落ちたことを認識した。
そこからはまあお医者さんが慌てて出てきて安静にしてくださいと言われながら状況見聞された。
多分すごく周囲の注目を集めてたんじゃなかろうか。あまりに小っ恥ずかしくて開口一番出た言葉は「ごめんなさい」だった。
傍から見ても恥ずかしさで参ってるように見えたのだろう、たまにあるケースだから……!と何度も言われた。
まさかコンタクトレンズごときで倒れるなんて思ってなかったので、自分で自分にびっくりしていた。
そして起き上がれることを確認したのち別室に連れて行かれ、そこで10分ほど横になった。
寒いからか、自分への不甲斐なさかわからないが、体が妙に震えていたことを覚えている。
医者からは「今回は処方箋を出すことはできないが、次回以降でリベンジすることはできる」と言われた。
ここまで覚悟が必要とも思ってなかったので、もう生涯眼鏡生活でもいいやと思い、今に至る。
という経験を踏まえて言うと、コンタクトレンズ使ってる人ってすげえよ。ほんとに。
使ってる人は誇りに思って生きていいと思うよ。マジで。
○ラウダ・ニール
※ジェターク姓ではない=後継ぎではない、と暗に周囲に周知されてるっぽいので……
→La1-1:Gu2を受けてCEO代行に就任。La1-2-1へ
→La1-2-1:グエルが学校を飛び出したのはスレッタのせいだと逆恨み。シュバルゼッテを生産。スレッタと決闘/スレッタの命を付け狙う
○ミオリネ・レンブラン
・総裁選
→Mi7-4-1:運び屋フェンのツテを使って宇宙議会連合に協力を仰ぐ。ミオリネとの関係や交換条件は不明。本編待ち
→Mi7-5:奮闘の甲斐なくグループ分裂。少なくともグラスレーは離脱
→Mi8-1:エアリアル改修について問答。ここでスレッタ変化の理由を悟る
・12話で負傷以降
→De1:生存判定
→De1-1:手当ての甲斐なく死亡。
→直前にDe2-1-1発生。Mi7へ
→De1-2:死亡。De2-1は発生せずクワイエット・ゼロはプロスペラが権限を握る。Mi7へ
→De2-1:生存、でも重傷のためあまり動けない。ミオリネに託しMi7へ
→De2-2-1:プロスペラ阻止のためクワイエット・ゼロ計画をミオリネに話す
○ソフィ&ノレア #ここだけただの予想
彼女達は強化人士なのは確定っぽいですね。しかもそれぞれが魔女で花嫁だから、スレッタ&ミオリネのコンビに対抗するポジション。2クール目終盤までがっちり出演。
スレッタを「お姉ちゃん」と呼ぶのは血縁ではなく、お互い魔女と呼ばれる存在だから。魔女の先輩=「お姉ちゃん」かな、と。
あるいはスレッタも特性が違うだけの強化人士だったり。スレッタはガンダムSEEDにおけるスーパーコーディネーターのポジションでは。
社会人になってから長年システムエンジニア(に近い)仕事をしてきたのだが、同時並行的にやる仕事がメチャクチャ多くなってきたことと上司の無理解が重なった結果、
年甲斐もなくキレてしまい同じ会社の営業部門に営業支援技術担当として異動してしまった。
ちなみに会社は外資系のIT企業日本法人で、中途入社して10年以上の勤続年数である。正社員で、特に部下もいない一般スタッフ。
エンジニア(ぽい仕事)の時は、契約に基づいて作業することが求められていたので、細かい実現方法やトラブル対応などの難しさはあったものの、「やることがわからない」ということはあまりなかった。
仕事自体もお客さんや営業が持ち込んでくるのでそれを捌けばよかったのだが、営業職に移ってからはまさに「何したらいいのか」がわからずしばらく暇をぶっこいてしまった。
ある程度周りをみたり、同僚のやってることを真似していろいろ始めてはみたものの、大した成果は上がっていないというのが現状。
俺はお客さん(アカウント)を固定で持たないで、特定のソリューション(データベースとか、セキュリティとか)に関する営業を担当しているのだが、
そもそも話が来た時点で俺の担当ソリューションの話じゃなかったり、間違えた使い方をしようとしてたり、競合と天秤に掛けてきたりと無駄な会話も多い。
一番気になっているのは、「時期に関する感覚のギャップ」ってやつで、会社のマネージャー層は「すぐ売れる」って思っているがお客さんは「じっくり比較検討して予算執行時期が来たら買う」って感じだし、
一緒に動いているお客さん担当は「早く買ってくれないかなー」と思いながら俺は「どういうスケジュールでこの話は動いているんだ」って思ってる。社内ではマイルストーンとかパイプラインとかいう表現で
どんな案件が今どんな状況で、今後どれぐらいの売上がいつ上がりそうなのかをシステムで管理しているのだが、これがそもそも内容がめちゃくちゃだったり更新されてなかったりするので、俺も含めて色んな人が情報に振り回されている。
それでも、エンジニアやっていたときよりは仕事は忙しくないし、プレッシャーもきつくないんだよね。で、給料も同じレベルだったら営業部門のほうが良かったりする。なんなんだろうな。
もちろん売上が上がらなかったらリストラもあると思うんだが、エンジニア部門でも10年で3回ぐらい、デカいリストラがあったからエンジニアの方が厳しいかもしれない。
ついでにいえばリストラで割増退職金が出るならむしろ喜んで出ていくと思う。自分でやめた時は出ないからね。
別にうちの会社が特殊なことは無いとおもっていて、よそのITの営業部門でもこんな感じなんだろうな、とは思うんだけど、この仕事うまくやっていけるのってどういう人なんだろうな。
言語化できる能力があればいいんだけど、無いから悶々としている昨今ではある。そんな事考えてても給料もらえてるので幸せなんだろうけどね。
こういうメッセージが来る時は重大な報告がある時だ。そして、その報告は65パーセントの確率で悲しい話である。
親に何か病気が見つかったのか、あるいは今年結婚すると言っていた弟が婚約破棄になったのか、自分が悲しまないようにあらゆる想像を巡らせてから電話をかけた。
「兄くんが、お嫁さんの方の姓に変えたいって言ってるんだけど、どう思う?」
ドキッとした。Twitterで選択的夫婦別姓がトレンドになった時も他人事だと思っていたし、新婚の友人♂が姓を変えたくない妻と揉めていた時も、そんなに姓にこだわるか?と不思議でたまらなかった。
母が言うには
・嫁実家には財産があるため、ゆくゆくは兄と兄嫁に入る予定である(うちには財産はほぼない)
というのが大きな理由らしい。
「仕方ないけど、寂しいね」
私の正直な気持ちだった。父に男兄弟がおらず、子供は兄と私2人である我が家では、それは自分の家が終わる事を意味していた。
私が婿養子を貰えば回避することはできるが、両親にも私にも、そこに拘る理由はなかった。
女に生まれた時からいつかは自分の性が変わるものと思って生きてきた。高橋という姓に愛着はあれど、執着はない。
両親は兄が結婚すること、兄嫁さんが挨拶に来たこと、頼り甲斐のある人柄であることをたいそう喜んでいた。
「兄嫁さんのお家は年末も親戚が大集合してお祝いするんですって」年末帰省した実家で、3人でおせちを食べながら聞いた母の言葉が蘇る。
兄はあまり実家に顔を見せない人だった。ニートをしていた時期も、親戚の事業を手伝った時期もあったが、最終的には東京に出て行って仕事を転々としていた。投資で生活をしていると聞いたこともあるし、兄が何をしているのか、両親も私も知らない時期があった。兄はどこまでも自由で、帰る場所がなくても生きていけるのだ。
兄が兄嫁の財産で将来安泰に生きていけるのであれば、喜ぶべきなのかもしれない。
なんとなく、もう家族4人で旅行することはないのだなと思う。母と父、子供2人、小さい自動車に乗って早朝の高速道路を走る。シートベルトは占めてね。サービスエリアに寄ったらお菓子を買って。
幼い頃、自分はずっと子供で、母はずっと母で、父はずっと父で、祖母はずっと祖母で、祖父はずっと祖母であるものだと感じていた。
父も子であったこと、祖母もかつては母であったこと、自分もいつかは母になることが20代半ばになってようやく身をもって分かってきたのである。
そして誰もが順番に死を迎えるのだということも。
祖母と祖父がどう感じるか分からないが、兄が婿入りするという結論が変わることはないだろう。
退職を決めて心がざわつきを感じながら寝て起きた朝
少し気持ちの整理が出来た
ここ数か月頭の大半を占めていた葛藤が無くなったせいか気持ちが楽になった
ただ、退職を告げた時に言われた上長から指摘について自分なりの考えをまとめておきたい
(正直に言えるわけないけど)その通りなんだ。
効率化出来ればその分仕事が早くなるし、別の仕事を見つけるなり作るなりすればいいと思ってた
生活厳しくて食費削り続ったら元気でなくて、最近は寒くて朝食も食べる気力も無くて…
新しい職場でお金増えたら、最悪コンビニで朝食買うようにしよう
仕事に対する考え方は合わなかったから嫌だったけど、人として嫌いではなかったよ
(嫌な感情が顔に出てるんじゃないか?って言われたけど)上司の正解が判断付かなくて困ってたから相当嫌な顔だったとは思う
ただ、仲が悪いとは思ってなかった…
別に全然親しくはないけど、必要な最低限の事は教えてくれるし、上司が機嫌悪そうにしてたのは忙しいからかな位にしか考えてなかった…
仕事が止まるレベルなら仲が悪いけど、仕事が進められるからそこまで問題じゃないと思ってたよ…
それは申し訳ない、口頭で伝えるのは慣れてなくてね…
別に「対して重要な話でもないからチャットで詳細を送って見てくださいで良いだろ」って言われたけどそう思うよ
上司がチャット嫌いなのか直接言えって言うから、とりあえず報告しにいっただけ
それは不安
元から前職に戻る算段ではいたから既定路線だったとはいえ、ネガティブな状態からの退職だから気持ちを切り替えられるか不安
とりあえず、フリーランスから会社員に戻るための準備運動だったと思って心機一転頑張るしかない
でしょうね
よう、俺だ。
ハードと言ってもまだ特殊な道具とか特定部位の筋肉を鍛える必要があるような奴には手を出してないけど、でも今までの俺のオナニー史では間違いなく一段階「上」の刺激だよ。
もともと遅漏気味で、これ以上遅漏にならないようにと思って、ずっとハードなオナニーはしないようにしてたんだけど、ちょっと考え方を変えたんだ。
オナニーをセーブして得られる快感が減るのって人生単位ではかなりマイナスだよな。
で、よく考えたら俺はあんまりセックスでは射精に重きを置いてないなと気づいたんだ。
セックスは好きだけど、どっちかっていうと奉仕したいタイプなんだよな。
今まであんまりはっきりとは考えてなかったから、セックスといえば射精だろと思って、結果的に相手を俺の射精に長時間付き合わせてしまったこともある。
反省してる。
セックスは俺の大好きな奉仕とコミュニケーションの場と割り切る。
これからはさ、相手の集中力が切れたなと思ったらそこで射精したふりだってするよ、俺は。
そう決めたんだ。
そしたらさ、急に目の前が明るく開けた感じになったんだよ。
小学生の頃、古紙を回収するための無人の倉庫みたいなのが各地区ごとに出来てさ、そこを巡回してれば新鮮なエロ本が無限に手に入るようになったんだ。
そのとき以来だよ。この胸の高鳴りは。
すごいことだよ。
インタビュアー(以下イ):最終回となる5回目となりますがよろしくお願いします。
コトノハオールスターズ(以下 KAS):よろしくお願いします。
イ:昨日1月4日より移転した岡波総合病院の外来受付も開始されましたが、今後望むことは?
KAS:さらに設備も良くなり、瀕死だったクリスたん氏のご両親を救ったようにこれからも多くの人達を救ってほしいですね。すでに伊賀市には伊賀市立上野総合市民病院がありますが元々岡波総合病院の方が医療は充実していたようですし今回の移転先の土地も廃校となった中学校の土地を50年間無償で貸すという条件で行政からも大変期待され、実質こちらが市立病院だと言っても過言ではないですね。
KAS:あからさまな嘘なのになっくん氏やジェットシルバー氏など同調するユーザーもいてこいつらも同罪ですよ。
クリスたん氏の書き込みは随時病院には報告していますが、被害届を出したり訴えるなど行動に出てほしいですね。
イ:今後のコトノハについては?
KAS:岡波総合病院の移転もありますし、なかなかしぶといですがクリスたん氏をとにかく叩き潰してコトノハから追い出して誹謗中傷を無くしたいですね。あとはアンチに洗脳された(謎)現;BSOD氏の目を覚ましたいです。
KAS:色々と叩かれたり批判されてきましたがこれも私が一人でコトノハを守ってきた甲斐があったと思います。目標は全盛期のような盛り上がりをもう一度!ですね。
嫌がる人の気持ちも分かるんだけど、年に数日だし特に気にならない
なんか嫌味言われたりもするけど、ステレオ的な嫌味なのでおー、これが噂の嫁いびり!って感じできにならない
ぶっちゃけ義理実家で昭和の甲斐甲斐しい嫁やってるのはなんか面白い。私!演技してる!って感覚になる
虐げられてる、甲斐甲斐しい嫁!ってやってるのは女優になった気分
親戚にも「控えめでいい嫁さん」とか言われてる
思ってもないけど「お母さんいつもありがとうございます。料理もお上手ですごいですね」とかいったら、嫌いな嫁でも褒められて嫌がる奴はいないので「そーお?」ってニヤニヤしてるのがわかるし楽しい
どうすれば他人が喜ぶかはよくわかってる
男が偉そうにしたいならさせてあげたくなるタイプなんだよね
自宅ではゆるさんが
それが分かってから目薬さしたり、こすらないようにしたり、悪化しないようにしてきた
できれば一時的な疲れなどであって欲しい、改善してほしいと思いながら
その甲斐あってか、目の疲れは前ほどに感じない
たまに感じてた痒みも、あまり出なくなった
が、やっぱり視力の左右差を実感する
メガネをかけて、あれ?左目側なんか曇ってる?と思って拭くが変わらず、ああ左目自体のせいかと気づく
視界に欠けるところはない、
疲れ・痒み・乾いた感じなど、前に比べてちゃんと良くはなってる
でもまだまだだ
早く治ってくれないかなあ
病院行くほどじゃないと思いたいんだがな
インタビュアー(以下イ):4回目となりますがよろしくお願いします。
コトノハオールスターズ(以下 KAS):よろしくお願いします。
イ:前回のなっくん氏に続き、今回はもう一人の二大コトノハ問題ユーザーであるクリスたん氏について伺いたいと思っていますが、彼の印象は?
KAS:なっくん氏は自称古参加ユーザーと言っていましたが、クリスたん氏は私が参加した頃から確かいましたね。当初は大人しくて毒にも薬にもならない感じで名前からして女性だと思っていました。
KAS:2018年4月に彼のお父様がなくなり、しばらくしてお世話になった病院を誹謗中傷し始めた頃ですね。内容からしてあからさまに嘘だと思いましたし身内や知人にも医療従事者はいるので許せず、
病院を擁護したりクリスたん氏を叩きました。遡ってみると亡くなった直後からFacebookやTwitter、知恵袋や掲示板で病院を誹謗中傷していたようですね。
KAS:自分の父親が亡くなった直後に各所であんな書き込みをするなんて異常ですよね。知恵袋や掲示板では現役の医療従事者から矛盾点を指摘されていましたし明らかにクリスたん氏の思い込みや逆恨みで
名誉毀損や営業妨害となっているので病院も彼を訴えたりするなど毅然とした態度を取ってほしいなと思います。
イ:その他にも様々な疑惑が出てきましたね。
KAS:お父様が亡くなった翌年の2019年にはスーパー駐車場で車と接触し足の小指を骨折する怪我を負ったようですが「車が自分の方に逃げても突っ込んできた」と言って他のユーザーからも当たり屋ではないかと疑われ、
それを指摘されると「病院の口封じの隠蔽工作だ」と訳のわからないことを言っているので脳に障害があるのだろうと思います。
イ:デート商法で何度も騙されお父様に呆れられたり、仕事で何度も労災を起こし解雇されているようですね。
KAS:あんな出来の悪いのがデートすら出来るわけがないのに考えが甘いですね。屑ダイヤを買わされたこともあるようですが、お父様がダイヤモンドの加工の仕事をしていたようですが顔に泥を塗った形ですよね。
労災もいくらなんでも起こしすぎでわざとやっているのではと思うくらいですし、使えず迷惑をばかりかける役立たずは解雇されて当然だと思います。
イ:自分が結婚できないのは病院やコトノハオールスターズさんのせいだと言っていますね。
KAS:結婚させてもらえないと言っていますが、自分が甲斐性がないだけですし行動的ではないので自分の至らなさを他人のせいにするしかぶつけようがないんでしょうね。
解雇されたのも会社にハメられたと言い訳していましたし、デート商法も親父は心配していたと言っていましたがバカ息子に怒り心頭だったと思いますよ。
自分で期待の子とか神童だったとほざいていますが、両親からすると作らなければよかった産まなければよかったと思う程の失敗作でしょうね。
KAS:某ラーメン店店主やなっくん氏と違い個人情報がバレても相変わらず誹謗中傷を続けていますからね。職も両親も失い、嫁も子も孫も出来なかったので失うものがこれ以上ないので怖くないのでしょうね。
そのまま孤独死して野垂れ死しそうだなと思います。出来が悪いので働きようもないのだと思いますが、一生懸命働いている病院のスタッフを誹謗中傷するのは許せませんし止めてほしいと願っています。
うちの嫁は俺の実家に帰省する当日になると体調不良を起こすもんだから
今年は逆に俺が嫁の実家に行かないようにしたらキレてきたので
俺は義両親とは仲は悪くない義父は男子がいなかったのもあって
俺と会って仕事の話をしたり酒を飲んだり将棋を指したり出来るのを楽しみしてるようだ
俺が行かないというと悲しむから来いと嫁は言うのだけど
俺の親が嫁が来ないことに平気かと言えば勿論そうじゃない
別に冷たい態度をとるとかもないし家事をやらされることなんてない
なんで義理の親に会う事をそこまで嫌がるかねぇ?
まぁ会いたくないなら無理しなくてもいいけど片務なんてありえないので俺もいかない
生まれてきたら子供だけはお年玉貰いに行かせたいけど無理だろなぁ
母自身も正社員として仕事してるのに親父は何もしないもんだから家事は全てやっている
毎朝6時に起きて料理して洗濯して掃除をしてと甲斐甲斐しく働いているのに
仕事を嫁に振るなんてことないので自分は何もしてないで朝10時まで寝てるだけってのが辛い
で戻ってきた自分の家では俺が半分以上の家事はやってるのも辛い
風呂掃除やトイレ掃除なんて面倒なものは年に数度やればいいほうで日々は俺担当
時代が違うし俺も自分でやったほうがいいので気にしてないのだが
常に比較されてるような気になるそうな
まぁしょうもねぇな
「んなら行かなくていいよ。でも俺も行かないよ」ってだけの話かな
2023年1月1日、私は限界を迎えて、東京のホテルを予約した。元々3日から予約していたのだけれど、1日からに変更した。実家で絶え間なく続く母の愚痴に耐えられなかった。
子どもの頃のまま、中1のときに貼ったアヴリル・ラヴィーンのポスターがこちらを見つめる部屋で荷物をまとめていると、ドアから父がその様子を覗く。
「どこ行くの?」
「3日からじゃなかったっけ」
「やっぱり今日からにしようと思って。いろいろやることがあるし」
「そう」
しばらくするとまた父が来る。
「そう…」
父は去ってしばらくすると、今度は母と登場した。
ユニクロの縞模様のフリースを着た母は、部屋にはいると、ドアの前で正座をした。その後ろで、灰色のだるだるのパジャマを着た父が立っている。
私はベッドに座って、ポーチに化粧水を詰めているところだった。
「なんで?」
悔し泣きのような顔で、正座をした母が言う。
「なんで? 私がなにか悪いこと言った? なにがだめだったか、教えてください」
正座した上半身をゆらゆらと前に屈ませながら、母が泣いている。
「いや、別に……」
「教えてください。私があなたが子供の頃からしていた所業が悪かったのはわかっています。謝ります。ごめんなさい。でも、言われないとわからないんです。私ばかなので」
正座でゆらゆらと頭を下げる母。泣いて頭を下げる親を上から眺めるなんて、最悪だ。自分が本当に人でなしのように思える。
これが嫌でこれまで距離をとってきたんだったなというのと同時に、これが予想できたとしても最悪のタイミングで拒絶をしたかったんだとも思う。
「5秒ごとにネガティブなことを言われるのに、疲れただけだよ」
「ネガティブなことってなに? 教えてよ」
「どれというより、本当に息を吐くように言ってるから、一度録音してみたら…」
母の涙声の語気が強くなる。本当にわからないのだと思う。それは2人で暮らす両親の習慣なのだ。
***
母は父の一挙手一投足に文句を言い、ときに声を荒げる。父はかなり雑で無神経なほうなので、文句を言いたくなるのもわかるときはあるけれど、母の謎のこだわりに沿っていないかったり、さっき母が自分で言ったことを忘れていたりという理由での文句も多い。
煮物を真ん中から食べたとか、思っていたのと違うお皿を使っているとか。
文句を言うとき、母は私のほうをちらりと見る。一緒に文句を言ってほしいという合図だ。祖母やご近所さん、芸能人を悪く言うときも一緒だ。
子どもの頃は、これに必死に賛同していた。賛同したほうが、家庭内は平和だし、「やっぱり父に似て鈍臭くて雑」と言われたくなかった。私は母のなかにあるお皿のルールを覚えて、完璧に対応できるのが、誇らしかった。
母の文句が合理的ではないと気付いたのは、中学生になった頃だろうか。反抗期を迎えた私は、母の「ちらり」に反応しないことにした。子どもの頃の癖もあるから、反応しないのには一定のパワーがいる。
20年ほど経つのに、未だに母は私の賛同を待っている。目を逸らすと、「冷たい」「つまらない」と残念そうに言うこともある。私は私で、いまだに反応しないのには、パワーを使う。
母は自分にも、ネガティブな言葉を投げかける。料理の味付けが薄かった、もっとこうすればよかった、失敗した……。「そんなことないよ」「おいしいよ」と父はすかさず言う。「心にもないことを」と母が言う。
私も基本的には「おいしいよ」と言って、自分が実際に食べたいと思う以上に食べる。実際にそんなにまずいと思うことはない。おいしいことも多い。絶対に言えないけれど、もっとこうしたらおいしいのにな、夫だったらここはもっと丁寧につくるなと思うことはある。
母と父は2人っきりで、ずっとこの関係を続けているから、自然なのだろう。父は天然で人の話をよく聞かないタイプだし、何十年も家庭を放棄して母に苦労をかけてきた負い目もあるのだろう。なにより退職して、今かまってくれるのは、母しかいない。
そうして自然に任せると、5秒ごとに母が、父の批判か、フォロー待ちの自分批判をすることになる。
「そうだそうだ」と母に賛同しているときは、楽だった。そういうものだった思っていたから。でも、なんだかおかしいなと気づいてからは、食事3回分、24時間くらいが限界らしい。
最近は、夫や弟夫婦と帰省することが多く、彼らがいたから、なんとか耐えられていた。
弟の奥さんや夫を気遣う体で、物理的に距離をとれたし、外の目がある手前、母のネガティブも多少減る。
彼らは空気を読むタイプなので、波風を立てない形で、母をなだめ、父へのフォローもできる。弟と私が、そういう伴侶を共通して選んだのは、偶然ではない気がする。
そんな夫が「あんなに失敗したって言われながら、食事を出されると反応に困るんだよなぁ」と、いつかの帰り道にぼやいた。
それで私は、やっと自分がいつも母の絶え間ない自虐に疲れていることに気づいた。
12月29日の夜に帰省した私は、24時間が過ぎた30日の夜に、電池切れしてしまった。
31日はタイミングが悪いことに母の誕生日だったけれど、その日は私はなにも話すことができなくなっていた。そうなると、私は思春期に戻ってしまう。
こうならないように、ここ何年かは、それっぽい理由をつけて一人のときは自分が耐えられる時間だけの滞在にしてきたし、長い時間のときは夫や弟夫婦と一緒に行動するようにしていたのに。
今回は急遽海外への引っ越しのスケジュールがずれこんで、直前に長く実家に滞在することが決まった。私以外は皆海外にいて、一人での帰省だった。
「ゆっくり実家にいれるようになって、よかったね」というまわりの言葉になんとなくそうかなぁと思ったけれど、やはりどうしても私には無理だったらしい。
年末に駆け抜けた引っ越しや渡航準備、仕事で、疲れきっていた。さらに悪いことに、家族の緩衝材役を担ってくれていた犬が、最近病気で寝たきりだ。
私は母と話せなくなると、犬に話しかけて、場を和ませて、なんとか大人の自分に戻っていた。
①母の文句や笑いに喜んで賛同し、適度に甘える、7歳の無邪気な自分 ←母はこれを一番期待している。25歳くらいまでは、違和感を持ちつつも、これで仲良くやっていた。
②母に反抗して黙りながらも、我慢してその場にとどまる15歳の自分 ←母はこのモードに、世話を焼くのも嫌いではなさそうだ。私はかっこわるくて最悪な気持ちになる。
③母の愚痴をニュートラルに聞き、親切にする35歳の自分 ←母は物足りなそうだけど、自慢の娘というかんじでご機嫌。私も心が安定する。心の余裕がないと、長時間できない。
もちろん、基本的には今の自分の年齢と一致する③でいたい。①は楽で平和だけど、自分のなにかが死んでいく気がして、絶対にやりたくない(実際この形でうまくいっている母娘はけっこういる気がするけど)。
③が崩れそうなときに、①を断固拒否すると、②になり、今回は頼みの綱の夫、弟夫婦、犬の不在で、③に戻れなくて、耐えきれず、物理的な脱出をはかったわけだ。
***
修羅場に戻る。
「なんで嫌ならそのときに言ってくれないの!? 私が子どもの頃、すぐヒステリーになったから、それがトラウマで、普通の言葉もすごく嫌に聞こえるんだよね? そう、私が悪いの……」
母は一人で話しつづけている。
たしかに、そうなのかもしれない、と思う。
「どうせ私は虐待親ですよ。そう思ってるんでしょ。この家に足を踏み入れるのも辛いんでしょ」
こんなふうに母が言うのは、弟が4年ほど前に、そう言って母に反旗を翻したからだ。
私から見て、弟は弟でわりと極端な思い込みがあるほうなで、それは言い過ぎではと思いつつも、面倒なことを伝えてくれて助かったなとも思っていた。
虐待とまでは言わないけれど、母の臆病さや不安定さに、随分振り回されたなと思う。母の年齢に近くなり、いくら大変でも、大人の私はそれはしないなぁということがいろいろある。時代も違い、私には子供がいないから、未体験の領域ではあるけれど。
ただ今になって本人を責めたいとも思わないし、お金と労力をかけてもらったぶんそれなりに自分の人生を生きらている自覚はあるので、のらりくらりと、どちらの側にもつかずに距離をとっていた。
その間に結婚して、夫という防波堤ができて、このまま平穏にほどほどの距離感でやっていけそうだったのに。ここにきて、こんなことになるとは……。
「ずっと嫌だったんでしょ。無理してこの家に来てるんでしょ」
「まぁ、それはそう」
弟ほど実家に寄りつきたくないわけでもないけれど、母の雰囲気におされて肯定してしまった。実際、いればいるほどエネルギーが吸い取られるかんじがするし。
「嫌なら、なにが嫌かはっきり言ってくれたらいいのに。なんで教えてくれないの?」
「こういうふうになるってわかってるから、おかしいなと思っても指摘できないよ。子どもの頃から、言えないように、あなたがしてきたんだよ!」
「指摘できないなんて、思わないけどなぁ」
父がとぼけて言う。
ついでにした父への批判は、なんとなく母が言ってほしい言葉を言ってしまった気がする。
だって、いなかったし、そのうえ、気に入らなかったら、怒鳴ったり暴力振るったじゃん。アル中でDVだったときのこと、忘れたの?
と本当の私は言いたかった。
宙吊りにされてテーブルの角に頭を打った母が頭から血を流したことも、ベランダのガラスを蹴って割ってくるのを、弟と部屋のなかで怯えて見たことを、私は忘れられない。
部活から帰ってきて眠っていたソファから、突然投げ落とされたことも。
日曜の昼、ウィスキーを飲み始めたら、今日は怒鳴りだす合図だったことも。
でも、それはこの家ではなかったことにされているタブーだ。母の思う「うちは、幸せな家庭でよかったね」の規範から、明らかに外れているからかもしらない。
今の父は穏やかで、母を落ち着かせる役割を担っているし、あの頃のことを申し訳なさそうにする素振りをしているので、私も言わないことにしている。
ある一定の期間だけだった気がするので、仕事でストレスもあったのだろう。その仕事で、大学まで行かせてもらったわけだし。だからって、許されることとも思わないけれど。
そんなことを考えて黙っている間も、母は話し続ける。
「私はひどい親かもしれないけど、あなたのことが大好きだから、楽しみにしてたくさん準備して」
楽しみにしていた誕生日とお正月に、大好きな娘にこんなことをされるなんて、母はとても可哀想で、そんなことをする私はなんてひどい娘なんだろう。
「あなたがしていることは、はっきり言って暴力だよ。無視されることって辛いんだよ。お父さんと同じことを、あなたはする。なんで?」
母は悔しそうに泣く。父にされたことも、思い出しているのかもしれない。
たしかに、15歳のモードで言葉を話せなくなってしまった自分は、不甲斐ないし、申し訳ない。もう35歳なのに、なにが嫌か言葉でなかなか説明できないなんて。それでも。
「被害者面なんてしないよ! 絶対しない。でも、被害者って言うなら、言わせてもらうけど」
「被害者」というキーワードが、なにかの引き金になったらしい。母がここぞとばかりにまくし立てる。子どもの頃、どれだけ私や弟に尽くして節約し、我慢し、プリントを整理し、時間をさいてきたか。自分がこんなふうに拒絶されるのが、どれだけ辛いか。
プリントの整理、私嫌いじゃなかったし、別にしてもらわなくてもよかったんだけどなぁと思う。
節約して5歳から18歳まで行かされていた塾も、今思えば先生が子供たちに人格攻撃をするやばいやつだったので、あの先生のために節約しなくてよかったのにねとも、思う。
どんどん人が辞めていくなかで、私は一番長くその塾に通った。今思えば、あそこにいた子どもたちは、みんな無表情でか細い声をしていた。
母にも辛くあたった塾の先生や祖母を黙らせた私の全国模試の順位に、母が満足気にしていたのも思い出す。私に勉強の機会を与えたのは、私のためだったのだろうか。
母は絶対否定しない父を後ろに据えて跪き、私が絶対罪悪感を抱く言葉を泣きながら放つ。
「過去やってきたことを否定したいわけじゃないよ。ただ今、愚痴を聞き続けるのが疲れたっていうだけだから」
「本当に行くのね?」
「うん」
これまでの私だったら、ここで東京に行くのをやめていたかもしれない。そもそも、行事を大切にする母の手前、大晦日とお正月に実家の家族から離れる選択肢なんて、一昨年夫がコロナの濃厚接触者になった一度以外、なかった。
海外駐在中も両親が自宅まで来たし、濃厚接触者になった翌年の新婚ニ年目も年末がちょうど誕生日だからと義実家より私の実家を優先した。「失敗したかもしれない」と呟く母のおせちづくりを毎年手伝い(「おいしいよ」とフォローしながら)、きれいにできた重箱やお正月の風景を撮ってアルバムにして、プレゼントした。
今年は弟夫婦も夫も海外で、犬は寝たきり。それでも母は、親子水入らずでのお正月を楽しみにしていたのだと思う。急遽伸びた海外行きと、それに伴う実家滞在の長期化を、母はもちろん喜んだ。
私は夫と会うのがお預けになってがっかりしたし、なにより自分が実家滞在に耐えられる自信がなくてとにかく不安だったけれど、そんなこと、まったく思いもしなかっただろう。
「私はお正月は家族で過ごすものだと思ってるから。こんな仕打ちってないよ。〇〇ちゃんの家は母娘でおせちをつくって、●●さんの家ではもっと……」
母が地元に娘が残って、べったり子育てもサポートしている家族を羨ましく思ってるいるのは、わかっている。
それが嫌だから、上京してよかったと何度思ったか。一方でその願望に多少は答えなくてはと思って、お正月、誕生日と、GWかお盆は帰省した。旅行もした。
でも、今回は無理だった。弟夫婦や夫がいてくれる年を過ごしたら、もう1人では耐えられなくなっていた。
「もう何十年も、十分やってきたでしょ」
そう言うと、母は静かになって、去っていった。
私が喜んでやってきたと思っていたことを義務のように言われて、母は心底悲しくなったのかもしれない。私だって、いつも100%嫌々やっていたわけではない。ある程度、楽しんでいた。
母は本気で自分を直そうとして、泣いて質問しているのもわかる。
それでも、「まだほしい、まだほしい」と千と千尋のカオナシのように、やればやるほど依存されて欲しがられるかんじに、耐えられなかった。
母が変わるのを根気強くサポートする気力が、私には残っていない。
母が羨ましがる〇〇ちゃんや●●さんの家だって、娘が気を遣っているところはあるのだろうと、私は思う。彼女たちが一時精神を病んでいた原因に、母との関係がなかったと言えるだろうか。
娘同士で話すと、娘側が母にリップサービスをしたり、話を合わせたり、距離をとったりしていることは多い。
10代の頃は本当に仲の良かった「友達母娘」でも、いつまでもそのままでいられると思っているのは、たいてい母のほうだけだ。それでも、娘は母をがっかりさせないように、大人の振る舞いで和やかに過ごす。
私だって、本当はスマートに、本人には気づかず幸せでいてもらったままで、ほどほどの距離感で過ごしたかった。
誕生日やお正月を楽しみに、食材を考えていた母を思うと、胸が痛む。とても。涙がでるほど。
こんな最悪のタイミングで反抗しなくたってとも、思う。しかも、こんな年齢で。
それでも、今、私は自分のために、自分をどうしても逃がしてあげたかった。
脱出した私は、その夜、東京の銭湯に行って、ホテルのベッドでぐっすり眠った。
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けんか(?)を片方の立場から書くのって、フェアじゃないよなぁと思いつつ。
まずは自分のなかの混乱を整理するために書きました。だからか、うまく削れず、とても長いです。
迷いつつも、シェアするのも悪くないかなと思ったのは、信田さよ子さんの本や記事にでてくる人たちの具体的なエピソードに、私自身が背中を押されたからです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4393366255
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html
もうおばさんという年齢なのに、いつまで私は子どものようにじたばたするんだろうと思うけれど、自分で選択して、書いて、振り返って、前へ進めば、大人としてドライなほどほどの関係を築けると信じて…。