はてなキーワード: 漠然とは
[No.1]魔々勇々/週刊少年ジャンプ新連載試し読み - 林快彦 | 少年ジャンプ+
本誌で読んで「絵はプロレベルですが……」になった。
2日経って+に来たので皆はどう思っているんだろうとコメント見たら皆褒めてる。
もう一度読んだけどやっぱり俺の感想は「絵や話の繋がりは上手なんだけど、物語そのものが良くわからないよ……」だった。
1話の物語はただシンプルに「勇者とは守るために戦うものである」のみが語られている。
なぜ魔王に引き取られたのか、勇者とはなぜ生まれるのか、魔王に引き取られたはずなのに東軍寮に住んでいたということは魔王も東軍寮で暮らしていたということか、そもそもこの東軍寮とは魔王と人類どちらの軍なのか、といった部分は「そのうち語られる謎」として2話以降に先送りにされているのだから。
だが、私はこのテーマが全くピンと来ない。
何故ならこの物語で作られている「紋章によってある日勝手に決まる勇者と魔王」という設定とそれは全く噛み合ってないからだ。
御仕着せの役割が人格を育てるというなら、平和な時代に生まれた勇者であるコルレオになぜそれが育ったのか?
「1話はあくまで1話であって読み切りではない。作品の起承転結の小さなプロトタイプではない」という意見の元に打ち切り会議の最初のラインとされる10話まで様子を見るべきという意見なら分かる。
私が不思議なのはこの1話の段階でここまで手放しに褒められていることだ。
いわゆる「ウルトラマン型」の物語と言えるが、そこには「勇者とはなにか」というRPG世界観への問題定義が混じりその解読に多くの時間が割かれてしまった。
「勇者」とは何者であるかというテーマについて名作であるダイの大冒険が出した「勇者とは勇気あるもの」という回答は、あの世界において勇者が他者によって名付けられるから成立するものだ。
コルレオが暮らす世界でもエヴァンが暮らす世界でも勇者はあくまで「魔王と一対の特殊な力を持つもの」でしかない。
そこに勇気の必然性はなく、むしろ「もう1人の魔王」以外の何者でさえないと言ってもいいだろう。
なぜ「勇ある者と呼ばれるのか」についての語りは魔王勇者テンプレートの上に載っかった上でそれを再定義するという軒に住み着き家主の権利に問題を投げかける「ぬらりひょん」じみた妖怪ムーブだ。
それが礼儀として正しいか間違っているかではなく、「漫画として成立させられているのか疑問がある」ということが今は問題である。
漠然と存在する「勇者と魔王の役割」という物語はすでに多くの作家によって分解と再構築が繰り返され、作品ごとに多用な価値観の元で扱われている。
神が遊ぶゲームのコマであったり、才能の証明であったり、家督であったり、職業でしかなかったり、そこに来て改めて「僕の作品における勇者とは実は」をいきなり1話でぶっ込まれても、そもそもひっくり返すべき元々の勇者像がまだ読者にはわからないのだから「そうですか」で終わってしまう。
「勇者は勇気があるから皆が勇者と呼んでくれる」という発言は、右手に宿る紋章とそこから生まれる力が否定する。
「右手に紋章が現れたものが勇者と呼ばれる」というシステムが既にあまりにも前から先にあり、そこについて紐解くには時間が経ちすぎているのだ。
「旦那とは仏教から来た言葉であり、キリスト教徒がそれを用いるのは自身の信仰の否定である」なんて話をいきなり21世紀にされたら困惑するようなものだ。
「俺は勇者になったっとして何がしたかったんだろう……」というテーマで突き進めば私もこの展開に納得は出来た。
だがこの物語は「勇者という言葉は何を意味しているんだろうか?」で進んでしまった。
そんなことを言われても我々読者はそもそも「この漫画で勇者を何と定義してるのかなんて知りませんよ。作者が勝手に決めるんですから」としか言えない。
だから私はノレなかった。
それだけの話といえばそれだけの話だ。
https://anond.hatelabo.jp/20230912005213
上の記事について、たくさんコメントが来てびっくりした。初めてかもしれない。いくつか追加したい。
以降、アロマンティック・アセクシャルは長いのでAro/Aceと表記する。記事で「Ace」とアセクシャルのみの書き方をしてしまった。訂正します。
人間は30年くらい生きてたら同じコミュニティじゃなくても、一目惚れや片思いがあると思っていた。自分にはその経験が無い。中高大バイト先職場路上すべて無い。それでおかしいのではないかと思い始めた。自分に自信が無いせいで、好きになる前に諦めている可能性があっても、マジで無いのはおかしいと思った。
彼には大変悪いことをしたが、付き合ってるとき(一緒に出かけていたとき)も恋愛感情は無かった。向こうが好きだというので「ありがとう!」と思ったが、恋愛も性愛も含めた「好き」という意味であることをわかっていなかった。優しくて写真が上手なところは好きだったが、その「好き」は恋愛感情ではなかったので本来は「写真仲間でいましょう」と答えるのが正解だった。
「彼氏」としたのは、そういう呼び名をつけておくと対外的にまとまりが良かったことと、彼氏ができるのが初めてだったので「私のことを好きだという異性」を彼氏と呼んでおけば良いのかと漠然と思った。あと一緒にいるうちに何か私も心情が変わるのかなと期待して付き合っていた部分もあったと思う。幼い考えで恥ずかしい。
Aro/Aceの多くは「自分はこれから絶対恋愛をしないぞ!」と決めているわけではないと思う。恋愛感情が「無い」からいって恋愛感情を「悪い」とするわけではないからだ。恋愛感情(と思われる感情)が芽生えたら、何かがどうかなるかもしれない。全然目測は立っていないけど。過去の行動や現在の気持ちの動きに基づいてAro/Aceを自認しても、未来についてはわからないと言いたかった。
自分ももしかしたら今晩スーパーの店員さんに一目惚れして、自分は恋愛感情が無い人じゃなかった…というオチで終わるかもしれない。その時「ほらやっぱり」って言われたら申し訳無いとしか言いようがない。そう言う意味でもカミングアウトで良いことが無い。
関連してAro/Aceをカミングアウトしても、「いつか良い人が」「いつか恋愛できから」と返されて「うーん」となるシチュエーションもあるあるらしい。それを聞くとやっぱりカミングアウトで良いことは無いと思う。
確かに混同していた。自分の言いたい方は「恋愛弱者」にニュアンスが近いので直した。ありがとうございました。
自分は「好きなキャラがこう振る舞っている様子を見たい」というキャラ解釈の一つを示す動機で夢小説やBLを書いている。BLと呼んでいるが、「Love」にあたるところがわからないのでもしかしたら自分の書いているものはBLでないかもしれない。
解釈をたくさん出したいので「こういう人物が相手だったら?」「また違う人物だったら?」と主人公(夢主)も相手も色々なパターンで書いている。自分をヒロインに据える型だったら主人公設定に一貫性などが出てくると思うが、よくわからない。
自分の小説を恋愛・性愛を持つ人が読んだら「変な小説だな」と思われている可能性は十分にある。
書きながら思ったが、そもそも自分の詳しくない恋愛が発生するようなシチュエーションにわざわざキャラを入れる必要は無いかもしれない。気づきを得た。
インプットする側としては、恋愛が主題になるコンテンツを選んで読むことはほとんど無い。たまたま読んだ本の短編集に恋愛エピソードが入っていたり、映画本編の中の一つの要素としてある場合にしか恋愛コンテンツをインプットする機会は無い。
好きな俳優が出演している作品であれば見る時もあるが、恋愛モノだとよくわからないので恋愛パートについては具体的な感想が出てこない。辛そうだったら「辛いんだなあ」と思うし、嬉しそうだったら「嬉しいんだなあ」と思っている。感情移入はできないが、話を進める要素として観ているので嫌悪感は持たない。
「イキイキしている」は一喜一憂も含めてだったので、辛いを思いをしている人にとっては確かに嫌味だな。ごめん。
---
思考整理を兼ねたいたずら書きのような記事に色々突っ込んでもらえたので面白かった。ありがとうございました。
ところでカミングアウトへの考え方は正反対だけど、「ブサイクのアセクシャルがどんどん出てきてほしい」はものすごい共感してる。
前回投稿でも回答を貰っていたが、逮捕されれば状況は変わっていたというのはそうだと思う。
(それまでは倫理的な問題や傷害で訴える事はできても性加害は罪ではなかった)
前回投稿
・マイクロソフトオフィス/ウィルスバスター/エッジ以外のソフトは使用禁止
この条件でマクロ作らんとならん。
こういう時になんか効率的な順序ある?
子供の頃BASIC言語でちょっと遊んだから原理そのものは漠然と分かる。
他人が作ったマクロ開いてコピペで機能追加したり二重で処理してる所見つけて早くしたりぐらいは出来る。
流石はてなーだ。
はてなーも質が落ちたと言うが、こういう分野ならまだまだいい感じやね。
②必要な作業を整理して、それだけを出来るようにメモを作り印刷する。
③記録ボタンを押して、印刷したメモを見ながら作業をし、記録完了する。
⑥ググって一通り解説を見て、求めている解説のタイプを把握する。
⑦本屋やKindleで求めているタイプの解説が載っている本を買う。
⑪持ち込んだ紙を見ながら職場のマクロを改修する(この辺雑誌見ながらBASICのゲーム作るアレじゃねえか。令和に何やろうとしてんだろ俺)。
⑫改修版のマクロを動かしてみる。
⑬不満点やバグを洗い出して家に帰ってまた調べる。
⑭満足するまで⑫と⑬をループ。
って感じかあ。
うんこれで良さそうね。
あとは中古のPC買うかWEBのOfficeで代用できるか最新の365でもある程度再現出来るのか調べてみて家でPTSDサイクル作れるようにしたらモアベターかね。
職場(ネット環境なし)でトライ&エラーはしたいから逆引き辞典みたいのはやっぱ欲しい気はするが。
でもウチの職場でVBA本読むのも自分のスマホで調べ物するのも周囲からの白い目はあんま変わらなそうな気がするんよね……。
職場辞めろについてはマジでその通りなんだけど、今の「Excelでマクロを作るだって?そんなの出来るわけねえぜ!俺たち方眼紙魔術師がマクロに手を出したら神罰が下るぞ?」なしょっぼーい環境に慣れちゃってるから他所で上手くやれる自信がないのよね。
じゃあこの会社潰れたらどうすんのって話ではあるんだけどねえ。
どうするんだろうね。
こんな使えないオッチャンになっちゃってねえ。
アハハ(ちいかわっぽい感じで
今週もアニメを見て生を実感できました。大勢の才能ある人達に感謝します。
秋アニメ放映予定をみながら、漠然とアニメはこれから劇場版に移行してゆくのだろうと思いました。さよならの朝に約束の花をかざろうは何度も劇場で見たいアニメです。
結婚して二人で生活するときに、そしてその後に子供ができたときに、自分たちが食事をどうしていくか、決めないと不幸になるよね。自分が食事に対して何を期待しているのか。夫に作って欲しいのか、そうではないのか。一緒に食べ続けたいのか。子供の食事をどうするのか。そのとき夫は何をしているのか。たぶん元増田はフツーの食生活を期待してる。でも彼氏はまったくその期待とは合ってない。そこがスタートだから、元増田が食事について「フツーはこうするものでしょ」って考えてることは全部失敗すると考えてよさそう。考慮しなきゃいけないことが山ほど出てくる、一見エキストラハードモードの人生になる。
「一見」と書いたのは、彼氏はそれを一緒に考えてくれるパートナーとして捉えた場合にまた話が違ってくるから。彼氏自身がその「フツー」とは自分が違うことがわかっていて、しかもそれに対してどうやって対処したらいいか、考え抜いてやってる人間だと思う。「自分はフツーじゃない」ことがわかっていたうえで、「自分はフツーだ」と考えている元増田と付き合うという状況を理解してる。
将来に対する漠然とした不安は、彼氏と徹底的に話し合うことしかないと思う。そのとき「自分が考えているフツーと違う考え方に出会ったときショックを受けがちだ」ということは伝えておいたほうがいい。
某SNSアプリを2年前にインストールし、その後放置し、今起動したが速攻で退会した
共感でつながるコミュニティとかいうキャッチフレーズで、黒い背景に手描きの惑星のようなイラスト
なんだか、やさしそうな人が多そうなイメージを勝手に持っていた
久しぶりに起動して画面に従い自分用のチャット相手AIを作成し、フォローがついてるものにフォローを返した
他の人の日記をさらっと眺めるも、どれも自分には関係なさそうな、まあ若い人たちの話題という感じだった
と、そうこうしているうちにチャット通知がきた
「フォローありがとうございます!お話ししませんか」
もうこの2行のコミュニケーションで、もう無理…と感じた
よくある異性との出会い、異性とのコミュニケーションを目的にした流れに思えた
いや、100歩譲って異性目的じゃなかったとしても、リアルタイムではじめての顔も見えないバックグラウンドも分からない相手とコミュニケーションを取らなければならないことがもう無理だった
ゆっくり余暇を過ごすはずの時間に突然配慮すべき相手ができて拘束されるのが苦痛だった
通話5回無料券?とやらが復帰特定として配布されてた、それも恐怖だった
もう何から何まで無理だった
…自分がイメージしたもの、今となってはどんなものだったか思い出せないが
少なくともテキストベースであり通話なんかはなく、やりとりはリアルタイムではなく非同期で、だれかの書いたものに共感したら二言三言返せる程度のもので、、自分から発信することも必要なく、同じような境遇の人たちと静かに気持ちを共有できる…
彼氏はまったく食に興味がないんです。
お互い一人暮らしをしているんですが、彼の部屋に初めて行ったとき絶句しました。
まずガスコンロが無くてガス栓にキャップがついたまま。鍋も包丁もまな板もない。冷蔵庫も昔のアメリカ映画に出てくるようなちっさいのが一つ。そしてカロリーメイト的な栄養バーがダンボールで二箱。
「栄養はちゃんと計算してるから大丈夫」と言っていますが、そういう問題では・・・
もちろん職場は別で、デートのときに入った居酒屋やレストランでは普通に食べていたので気づきませんでした。
私が「ここに行きたい」と言うこともありましたが、彼の方で抑えてくれていたことのほうが多かったです。
これはしっかり確認しなくては・・・と思った私がその日から今に至るまで観察・ヒアリングした結果、下記のことが分かりました。
彼は別に異常に暗かったり感情表現が死んでたりするわけではないです。むしろ明るく温和です。
この前も新しく買ってきたカロリーバーを手に「○○はボソボソで結局水分取らないと食べられなかったんだけど、これはしっとりしてて良いんだよ!これだけで食べられる!」と熱弁されました。内心、私は頭を抱えました。
思い返せば交際前から「この店に行きたい」「これが食べたい」と彼が主張してきたことは一度もありませんでした。
「食には興味が無い」けれど「私といるのは楽しい」というので、外食にも(少なくとも見かけ上は)喜んで付き合ってくれます。
でも、この関係に甘んじてしまっていていいのかと思ってしまいます。
食べたいものがあるのは私だけ、というところがどうしてもモヤモヤします。
彼のことは好きですし、将来的には結婚を考えてもいますが、このままでいいものか・・・と葛藤を抱えています。
ここまで極端でないにしても、食に興味の薄い恋人や配偶者をお持ちの方はいませんか?
もしいたら聞きたいのですが、普段の生活やら自分の気持やら色々なものにどう折り合いをつけているんでしょうか?
追記:
思った以上にトラバやブコメをいただき恐縮です。ありがとうございます。
→少なくとも私が出会ってからは一度もないですが、器用な人なのでやればできそうな気はします。ですが、なんだか申し訳なくて頼めないというのが正直なところです。
・短期的にハマってるだけでは?
→年齢後出して恐縮ですが彼氏は28、増田は26です。大学生の途中からもう10年弱いまのような食生活らしいです。
・食物繊維は?
→いまのは分からないんですが、ちょっと前に食べてたスローバーってやつには食物繊維入ってるみたいです。あとは時々食べるサラダで補ってるらしいです。
・食よりなにを優先してるの?
→特にこれってものは無いようです。一人で食べる時間そのものが無駄だと言っていて、準備したり食べたりに時間かけるなら漫画読んだりスマホゲームをやっなりしてるほうが楽しいとのことです。だから水分無しで食べられるやつに感動してたのも「いかに早く食べられるか」を重視してるからのようです。
・結局なにが言いたいの?
→分かりづらくてごめんなさい。彼氏に変わってほしいとかではないんです。家族になったり子どもが生まれたときにどういう風に生活に落とし込むのがいいんだろうみたいな漠然とした不安があるというか・・・
私は10代20代の頃、何度か痴漢という性被害にあっています。
痴漢にあったというと、自意識過剰とか、虚言とか、冤罪の認識があるようで、被害者なのにあまり表立って言えません。
さらに被害にあったのは高校生の頃、専門学生の頃と、漠然とした年代と、痴漢された場所、家の近く、JR中央線は言えるけど、決め打ちはできません。
あまりにも悲しく辛い出来事なので、普段はその記憶を思い出せません。
ただ、満員電車で男性の近くに乗り合わせてしまうと、未だに体がこわばってしまいます。
そして、この話をすると、痴漢被害と強姦は違うだろ、と言われるのが目に見えています。
性被害にあったならすぐに警察や親に言えなかったの? という意見も散見しました。
私は性被害にあったことを両親に言ったら、確実に過剰以上の心配し、泣き崩れる。
そして門限が厳しくなることを想定して言えませんでした。
私が10代の頃、親に心配をかけることが罪で、自分の行動範囲を制限されることを恐れます。愚かな子どもでした。
しかし、30代半ばになった今も過去にあった痴漢被害は言えません。
きっと怒り狂って、さめざめ泣いて、30半ばなのに毎日連絡をしろと言い出し兼ねません。
私は辛いことより、面倒をとってしまいました。本当に馬鹿な女の子です。
性被害にあったのに、詳しい年代覚えてないとかありえない、と、思っている方もいますよね。
でも覚えていません。
だって、性被害にあったことを記憶の底に鍵をかけて沈めていますから。
ジャニー喜多川氏の事件がテレビで流されるようになって、自分の痴漢被害のことも急にガチャっと鍵が開いて、芋づる式に思い出しました。
その気色悪い感触は蘇っていつまででも覚えているけど、詳しい日程は覚えていません。
人間は悪い記憶を忘れているように出来ていることをひしひしと感じます。
一部のジャニオタの方の中で、「この人が被害にあったタイミングでの性被害は、〇〇のタイミングだからありえない!」
と叫換している方もいますが、たぶんプラマイ3年くらいはズレていると思います。
あの服を着ていた、とか、あの髪型だったとか、拙い記憶を手繰り寄せて証言をしているはず。
私だって夏の制服を着ていたから多分夏のあの時とか、ユニクロのタートルを着ていて寒かったから冬とか。
思い出せるのってそれくらいです。
そしてその嫌な、ただその人の一方的な性欲を満たすだけの感触は覚えているのです。
私は、高校の指定の制服や、デニムのパンツを履いてる時に痴漢被害にあいました。
制服のスカートを極端に短くしたこともないし、ボディラインが見えるような服をきていたタイミングでもありません。
扇情的な格好をしているなんてツユほども思っていません。
それでも痴漢被害にあった方にも落ち度がある、証言に裏取りが取れない、と言われてしまうなら、
この国は性被害に合っても誰も助けてくれない、救いがないと感じています。
私はジャニオタです。コロナの閉塞感がある時、ジャニーズのタレントたちが私を元気付けてくれました。
彼らがいなかったら、私は社会復帰ができませんでした。
だから、私が愛したジャニーズ事務所の崩壊を見るのは本当に辛いです。
しかし、一部のファンたちが性被害者に対して批判をしている様を見るのはもっと辛いです。
私は何も悪くないのに、やはり私が悪いのか……
推しという大切なものを守ることも大切ですが、被害に遭われた方に対する言動も考えていかないといけないと、考えさせられた数ヶ月でした。
私は10代20代の頃、何度か痴漢という性被害にあっています。
痴漢にあったというと、自意識過剰とか、虚言とか、冤罪の認識があるようで、被害者なのにあまり表立って言えません。
さらに被害にあったのは高校生の頃、専門学生の頃と、漠然とした年代と、痴漢された場所、家の近く、JR中央線は言えるけど、決め打ちはできません。
あまりにも悲しく辛い出来事なので、普段はその記憶を思い出せません。
ただ、満員電車で男性の近くに乗り合わせてしまうと、未だに体がこわばってしまいます。
そして、この話をすると、痴漢被害と強姦は違うだろ、と言われるのが目に見えています。
性被害にあったならすぐに警察や親に言えなかったの? という意見も散見しました。
私は性被害にあったことを両親に言ったら、確実に過剰以上の心配し、泣き崩れる。
そして門限が厳しくなることを想定して言えませんでした。
私が10代の頃、親に心配をかけることが罪で、自分の行動範囲を制限されることを恐れます。愚かな子どもでした。
しかし、30代半ばになった今も過去にあった痴漢被害は言えません。
きっと怒り狂って、さめざめ泣いて、30半ばなのに毎日連絡をしろと言い出し兼ねません。
私は辛いことより、面倒をとってしまいました。本当に馬鹿な女の子です。
性被害にあったのに、詳しい年代覚えてないとかありえない、と、思っている方もいますよね。
でも覚えていません。
だって、いつも性被害のことを記憶の底に鍵をかけて沈めていますから。
ジャニー喜多川氏の事件がテレビで流されるようになって、自分の痴漢被害のことも急にガチャっと鍵が開いて、芋づる式に思い出しました。
しかし、その気色悪い感触はいつまででも覚えているけど、詳しい日程は覚えていません。
人間は悪い記憶を忘れているように出来ていることをひしひしと感じます。
一部のジャニオタの方の中で、「この人が被害にあったタイミングでの性被害は、〇〇のタイミングだからありえない!」
と叫換している方もいますが、たぶんプラマイ3年くらいはズレていると思います。
あの服を着ていた、とか、あの髪型だったとか、拙い記憶を手繰り寄せて証言をしているはず。
私だって夏の制服を着ていたから多分夏のあの時とか、ユニクロのタートルを着ていて寒かったから冬とか。
思い出せるのってそれくらいです。
そしてその嫌な、ただその人の一方的な性欲を満たすだけの感触は覚えているのです。
私は、高校の指定の制服や、デニムのパンツを履いてる時に痴漢被害にあいました。
制服のスカートを極端に短くしたこともないし、ボディラインが見えるような服をきていたタイミングでもありません。
扇情的な格好をしているなんてツユほども思っていません。
それでも痴漢被害にあった方にも落ち度がある、証言に裏取りが取れない、と言われてしまうなら、
この国は性被害に合っても誰も助けてくれない、救いがないと感じています。
私はジャニオタです。コロナの閉塞感がある時、ジャニーズのタレントたちが私を元気付けてくれました。
彼らがいなかったら、私は社会復帰ができませんでした。
だから、私が愛したジャニーズ事務所の崩壊を見るのは本当に辛いです。
しかし、一部のファンたちが性被害者に対して批判をしている様を見るのはもっと辛いです。
私は何も悪くないのに、やはり私が悪いのか……
推しという大切なものを守ることも大切ですが、被害に遭われた方に対する言動も考えていかないといけないと、考えさせられた数ヶ月でした。
件名:このメールを受け取っているほとんどの人の年収は生涯上がりません
「令和2年分民間給与実態統計調査-調査結果報告-」(p.19)によると、20~24歳の女性の平均給与は242万円です。女性の平均給与が生涯を通して高くなるポイントは2つあるのですが、そのうちの1つは50~54歳で319万円です。
そう、20代前半に242万円から始まった給与は、20代後半にもう最高クラスの319万円となり、その後ほぼ変わりません。
あなたが女性を自認している場合(すみません、このメールの対象は女性を選択した人となっています。)、だいたいどの企業に入ろうが、子どもが生まれるあたりで仕事から離脱し、その後非正規雇用で再雇用され働き続けるので、大差ありません。就活、ノープレッシャー!
「必ずしも結婚して子どもをもつ人が全てではない?」高齢単身女性の4割強は相対的貧困の生活にあります(藤森 2018:10)。
「自分は結婚して幸せになる予感がする?」それは良かった。日本の離婚率は…わざわざ言うまでもありませんね。
なんて嫌味なメールなのでしょう!
嫌な気持ちにさせて、ごめんなさい。免罪符にはなりませんが、このメールを打っている私は一応、女性としてアイデンティファイしているので、漠然と、というかデータに基づいた不安を抱えていた身として、自分の復習がてら書いてみました。
なお、上記の生き方を否定するわけではありません。もちろん、幸せは主観で測れず、誰かがとやかく言うものではございません。
(と言っといてごめんなさい、我ながらやや恣意的なデータ解釈をしている箇所はあります。あ、でも、そこらへんのYouTuberよりはよっぽど、まともな参照しています。どこか気になったら直接聞いてみてください。)
多分、ここまで読んでくれている人は、上記の数値なんて分かっていて、「女性でも働きやすい企業」とか選んでいると思います。
さすがです。そういった企業が増えてほしいと切に願っています。
(中略)
すみません、ここまでくるとうざいですかね。
弊社の他の社員が、腹の底でどう思ってるかは、結局のところわかりません。他人なので。
でも、少なくとも私は、「信頼できる人たちだな」と思いながら働いています。代表は、社員に何かあって路頭に迷ったら、迷わず、手を差し伸べてくれる人だと思っています(多分ね)。
その信頼がベースにあるからこそ、普段、顔の見えないリモートをしてても「頑張ろう」って思えるんですよね。
みんなで頑張る、会社がどんどん大きくなる、給与も増えて、さらにやる気が出る
代表の口癖は「人生は楽しく生きるもの。楽しく生きる基本は、経済的安心。新卒3年目で年収1,000万円にするぞ」です。本気で言ってます、代表。
初めてここに文章を残してみる。
改行がどうだとか、段落の後は1マス空けるとか、そういう文章上のルールは一旦無視する。
俺はもう30になる。
人並みの一軒家を購入した。
クセのない、みんなが頭の中で思い描くような。
仕事についてもなんだかんだで
しかし、俺は満たされているのかと問われれば
素直にYESと言えなかった。
少し生い立ちを振り返る。
自分で言うのも憚られるが、
俺はきっと優秀な子だったはずだ。
進学して部活を始めた。
バレーボール部に入部した。
バレー部に入ったのは、
やることになったからだ。
サッカー部には入らない子が多かった。
籍がクラブチームにある子は
全国ベスト8まで行ったし
それと同時に、片手間のバレー部では
ジュニアオリンピックの県選抜に選ばれた。
それは当然驕りであり、
でも、そんなことが15歳の中学3年生に
出来るわけがなかった。
スカウトが来ていた。
当時は漠然と思っていた。
そうはならなかった。
怪我でも何でもなく、
チームとしてではなく、個人として。
アニメオタクとして3年間を過ごした。
器用貧乏だった。
器用貧乏というには、少し器用すぎた。
まともにできないレベルだったら?
もっと早くに諦めがついて、新しい道を探せていたんじゃないのか。
先にも述べた通り、俺は今それなりの生活を送っている。
それでも、後悔や過去への想いが絶えない。
ここまで読んでくれた人たちが言いたいことはわかる。
きっと俺は何者にもなれない凡人だ。
何回繰り返してもそれは同じなんだ。
俺と同じような思いをしてる人もいるだろう。
これから俺と同じような思いをする人もいるだろう。
それは、「お前たちは凡人だ。早めに見切りをつけて、優れた凡人になれ。」ということじゃない。
お前たちが仮に凡人だったとしても、
やれるところまで突き詰めて、
本気で何者かを目指してくれ。
そうじゃないと過去に思いを馳せるだけの凡人になる。
何者にもなれない。
ということだ。
俺は幸せな凡人を目指していく。
私はクソ田舎の、ダメ昭和文化がこびりついた大人たちに育てられた。
一人目の子どもが産まれた頃から、突然、親や親族から言われた嫌な言葉がフラッシュバックするようになった。
それは夢にまで出てくるようになった。
夢の中に出てくるのは決まって母だ。少女の私に向かって嫌なことを言ってくる。
夢の中の私は大声で怒鳴り返そうとするが声がでない。泣きながら吠えるように反論しようとするのだが開いた口からはヒューヒューと空気が漏れるばかりでそのうち夫に起こされる。
「大声でごめんなさい、ごめんなさいって言ってたよ」
目覚めると冷や汗がびっしりで喉が痛い。現実では怒鳴る事ができたらしい。
なぜか謝罪を。
ふと、この子たちには、私が親や親族から言われた嫌な言葉を言いたくないと思った。
ちょうど9月になったので、8月のカレンダーの裏にその『嫌な言葉』を書いてみることにした。
そうしたら、いや、これはちょっと子どもに投げ掛ける方がどうかしているのでは?と思った。
小一かそこらの少女に『あなたが結婚するのが楽しみ』『あなたの孫をみるのが楽しみ』とそれを頻繁に投げ掛ける大人。
よくあるシーンだろうか。
でも事あるごとに言うものではないと思う。
中卒で働いて二十歳前に結婚して出産することが当たり前の時代だったら幼い頃から結婚出産を意識させるのも最もだが、こちとら平成(当時)の世を生きていく幼女(当時)である。漠然とした未来の私より、当時の私を見てほしかった。
そんな事を言わないでほしかった。
『どうしてクラスの子に仲間外れにされるの。お母さんに恥をかかせて』
『お母さんの考えていることがどうしてわからないの!お母さんの心の思う通りに動いてよ』
共働きフルタイムで働いていた母は疲れて帰ってくるとよくこうして叱った。
そんな私が産まれてはじめて存在を肯定されたのは高校生の時、祖父が要介護状態になりオムツ替えや床に垂れ流された汚物を拭いたりしているときだ。
「あなたがいてよかった!」
あー、こういう時だけかと思った。
そして数年たち就職し働き始めた私は職場の人間関係、自分の仕事のできなさに悩むことになる。
鬱っぽくなり母にポツリと現状を話した。
「あ~~お母さんの職場にもそんな子いるわ~~仕事できなくてね、みんなから嫌われているんだよ~~どうしてだろうね」
……そうだった。母は相談を受け止めるのがめちゃくちゃ下手なのだ。
小さい頃から悩みを打ち明けてもなぜか母の職場の愚痴で終わる。私はずっと聞き役だ。
泣きながら訴えても「お母さんそんな事経験したことないからわかんない。ホントにそんな事があるの?あなたがおかしいじゃない?」と言われてきた。
これは駄目だな……と席を立とうとしたら
なんかこの言葉でプツンと切れた。
私は家を出ることにした。
くそ田舎故に、女が結婚もしくは同棲以外で家を出ることなど論外である。でもなんだかもうどうでもよくなった。
五万円以下の築35年のアパートを借り、今までの職場を辞めて、工場の夜勤を中心に働くことにした。なぜ工場?と思うだろうが、田舎の昼の仕事はめちゃくちゃ手取りが少ないのだ。
24歳。同級生は大抵結婚し子どもを産んでいる。それなのにどうしてお前はそんなヤクザみたいな生き方をするんだ恥知らず。と罵られた。
家を出る日、母が駆け寄ってきて言った。
こうして見るとなかなかの事を言われてきたなと思った。まぁ24歳の時の独り暮らしがなかったら私は今もあの田舎で親や親族のサンドバッグをしてたかたも知れない。書いてみてちょっとスッキリした。
そもそも、現代人の感覚では、護らないといけないもの自体がどこにも無いんじゃないかと思ってる。
都会化、IT化の流れが速すぎて、何をまもらないといけないのか誰も分からない。
変化についていけなくなると、落ちこぼれる。
当方アラサー男性。所謂弱男だが先日プライベートで自身の甘い見通しにより他人に迷惑をかけてしまい怒られてしまった。
何かを壊したり人を怪我をさせたりというわけではないのだが警察も来る事態になってしまい恥ずかしいやら後悔やらでモヤモヤしている。
家へ帰った後に来た彼女とゲームをしたものの、その時のテンションを引きずってしまい、何とも会話は盛り上がらないまま終了しもそもそと床についてしまった。
迷惑をかけてしまったことについて再発をするつもりはないし状況からおそらく無いと思うが、ADHD的生来のだらしなさから似たようなことは起こる可能性はあると感じており抜本的に生活ルーチンを見直す必要があるとも思っている。
とりあえず表面上は切り替えて仕事や家族の米寿の祝い事の準備などをしているもののやはり落ち込みは抜けない。
こういうものは時間が解決するものと思ってはいるもののなかなか気持ちを切り替えられないことにも悩んでいる。
そもそも「時間が解決してくれる」というのはどういうことなのだろうか。
落ち込む時にもらうアドバイス№1といっても過言ではないがなんとも漠然としている気がする。
時間経過による忘却による感情の薄れなのか、生活をするに伴って得られる様々な情報(多幸感、快楽?)で記憶や感情を上書きしてしまうことなのか、それともその両方なのか。
法人向けビジネスだからというのはあるけど、コンサルはそれでも結構有名だよな?
コンサルと聞いて、適切にMBBやBig 4、もしくは漠然とでも業務内容を思い浮かべられる人は投資銀行比では多いと思う。
商社も法人向けだけど「なんか忙しそう」「海外行きそう」みたいなイメージを持ってる人は多いんじゃないかな。
でも投資銀行は「銀行なんだね〜」みたいなのばっかりで、粒度の粗密によらず適切な認識を持ってる人って少ない。そもそも投資銀行が会社ではなくて部門である(例えばJPMでも全体が投資銀行業務をやってるわけじゃない)という事実も認識されてないし。
商社はともかく、コンサルとはなぜここまで差がついたのか。慢心、環境の違い。
※知られていないので当然この投稿への反応もない。