2023-09-01

くそ田舎ダメ昭和文化に育てられたかつての少女

私はクソ田舎の、ダメ昭和文化がこびりついた大人たちに育てられた。

一人目の子どもが産まれた頃から、突然、親や親族から言われた嫌な言葉フラッシュバックするようになった。

それは夢にまで出てくるようになった。

夢の中に出てくるのは決まって母だ。少女の私に向かって嫌なことを言ってくる。

夢の中の私は大声で怒鳴り返そうとするが声がでない。泣きながら吠えるように反論しようとするのだが開いた口からはヒューヒューと空気漏れるばかりでそのうち夫に起こされる。

「大声でごめんなさい、ごめんなさいって言ってたよ」

目覚めると冷や汗がびっしりで喉が痛い。現実では怒鳴る事ができたらしい。

なぜか謝罪を。

今年二人目の子どもが産まれた。

ふと、この子たちには、私が親や親族から言われた嫌な言葉を言いたくないと思った。

ちょうど9月になったので、8月のカレンダーの裏にその『嫌な言葉』を書いてみることにした。

そうしたら、いや、これはちょっと子どもに投げ掛ける方がどうかしているのでは?と思った。

小一かそこらの少女に『あなた結婚するのが楽しみ』『あなたの孫をみるのが楽しみ』とそれを頻繁に投げ掛ける大人

よくあるシーンだろうか。

でも事あるごとに言うものではないと思う。

中卒で働いて二十歳前に結婚して出産することが当たり前の時代だったら幼い頃から結婚出産意識させるのも最もだが、こちとら平成(当時)の世を生きていく幼女(当時)である漠然とした未来の私より、当時の私を見てほしかった。

あなた結婚しないでいると弟くんに迷惑になるのよ』

そんな事を言わないでほしかった。

あなたの顔は親族の誰にも似ていないわね』

からどうだって言うんだろうか。

『どうしてクラスの子に仲間外れにされるの。お母さんに恥をかかせて』

当時の母はPTA会長をしていた。

『お母さんの考えていることがどうしてわからないの!お母さんの心の思う通りに動いてよ』

共働きフルタイムで働いていた母は疲れて帰ってくるとよくこうして叱った。

圧倒的に対話ができない大人たちがまわりにいた。

そんな私が産まれてはじめて存在肯定されたのは高校生の時、祖父が要介護状態になりオムツ替えや床に垂れ流された汚物を拭いたりしているときだ。

あなたがいてよかった!」

あー、こういう時だけかと思った。

そして数年たち就職し働き始めた私は職場人間関係自分仕事のできなさに悩むことになる。

鬱っぽくなり母にポツリと現状を話した。

「あ~~お母さんの職場にもそんな子いるわ~~仕事できなくてね、みんなから嫌われているんだよ~~どうしてだろうね」

……そうだった。母は相談を受け止めるのがめちゃくちゃ下手なのだ

小さい頃から悩みを打ち明けてもなぜか母の職場愚痴で終わる。私はずっと聞き役だ。

泣きながら訴えても「お母さんそんな事経験したこといからわかんない。ホントにそんな事があるの?あなたおかしいじゃない?」と言われてきた。

これは駄目だな……と席を立とうとしたら

「辞めるんなら結婚してからにしてね」

なんかこの言葉でプツンと切れた。

私は家を出ることにした。

24歳の時である

くそ田舎故に、女が結婚もしくは同棲以外で家を出ることなど論外である。でもなんだかもうどうでもよくなった。

五万円以下の築35年のアパートを借り、今までの職場を辞めて、工場夜勤を中心に働くことにした。なぜ工場?と思うだろうが、田舎の昼の仕事はめちゃくちゃ手取りが少ないのだ。

荷物をまとめる私に、母は焦った親族は焦った。

24歳。同級生は大抵結婚子どもを産んでいる。それなのにどうしてお前はそんなヤクザみたいな生き方をするんだ恥知らず。と罵られた。

家を出る日、母が駆け寄ってきて言った。

「これからもお母さんを助けてね、お願いね

こうして見るとなかなかの事を言われてきたなと思った。まぁ24歳の時の独り暮らしがなかったら私は今もあの田舎で親や親族サンドバッグをしてたかたも知れない。書いてみてちょっとスッキリした。

結局、親も親族も私もアイデンティティがなかったのだ。自分がないか相手のこともよくわからない。対話ができない。

私は私。あなたあなた

それを大事にしていけば私が言われた『嫌な言葉』を子どもたちに言わないですむ……ようになりたい。

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